また仕事が増えるらしい - 2003年11月30日(日) 正直に言えば、もう勘弁してほしい。 でも、サークルは好きでやっていることだから、 その中で仕事をしたくないとは言えないし、 なぜ自分が頼まれるのかもわかる。 引き受けるからには、もちろんきちんとやる。 もし、もしも、見ているなら。 自分や、口に出している人だけが 大変なのだと思わないでください。 ぎりぎりのところで頑張っている人は あなただけではないし、 あなただけが特別頑張っているわけではないのです。 - 宮杯の季節(つづき) - 2003年11月29日(土) 昨日に引き続き、宮杯について。 わたしが宮杯で友だちになった人たちのうち、知っているだけでは二人が、東京外語大学に入学した。ひとりは女性でもうひとりは男性だったのだが、なぜか二人とも武術をやっていて、いつのまにか同じサークルに入っていた。 わたしもそうだが、普段、他人に対してわざわざ自分が宮杯出身だとは言わない。 だからふたりは、お互いが宮杯の同期だということを全く知らないまま、同じサークルの中で活動していた、らしい。 女の子のほうとは手紙のやりとりをしていたので、男の子のほうの名前を出して「もしかして同じサークルなんじゃない??」と尋ねたら、たいそう驚いていた。 そんな彼女は中国・北京大学に留学し、その後、連絡が取れなくなってしまった。 男の子のほうも、いつの間にかメールが送れなくなった。 みんな、どうしているんだろう? 今でも連絡が取れる友だちは、たった一人だ。 よく憶えているのは、泊まった旅館で部屋に突撃してきて(笑)仲良くなった男の子が、「宇宙飛行士になりたい」「東大に行きたい」と言っていたことだ。宇宙飛行士のほうはわからないけれど、東大のほうは見事に現役合格を果たしていた。 宮杯には2年連続で出場したのに、2回とも決勝に進めなかったと残念がっていた彼は、お姉さんも宮杯出身者だった。 そうそう、宿泊の旅館は、指導者(先生ですね)と付き添いの父母は、出場者とは別の旅館に泊まることになっていて、わたしたちが泊まった旅館には、出場の中学生と、大会の運営を手伝っている大学生集団(それがJNSAという組織だ)しかいなかったのです。おかげで楽しく過ごしました(笑)。 最後の日、夜通し話していたことは、はっきり憶えているよ。 さて、今年の入賞者や、レセプション、全日本中学生会議(略して中会)の様子を見ると、本当に懐かしく思い出す。あのときわたしたちと一緒に旅館に泊まっていたJNSAの大学生さんたちよりも、自分のほうが年上になってしまった。 不本意とまではいかなくても、自分にとっては力を出せなかった決勝大会だが、やり直したいと思ったことは一度もない。 一人でも多くの中学生が、あの気持ちを味わえますように。 - 宮杯の季節 - 2003年11月28日(金) 昨日から、高円宮杯全日本中学校英語弁論大会が始まっている。 この大会は、中学生の英語弁論大会なのだけれど、「高円宮杯」は「全日本」、つまり地方大会でよい成績を収めた生徒が出場できる大会だ。 この大会はさらに、日本を4つのブロックに分け、ブロックごとの予選で上位に入った生徒計27名が「決勝大会」に出場し、順位を決める。全ての都道府県から、総勢百数十人が出場するからだ。 これを言うと自慢にしか聞こえないので、リアルではほとんど言わないが、わたしは第47回高松宮杯決勝大会の出場者だ。当時の名称は「高松宮杯」で、第50回大会から「高円宮杯」に変わったけれど、47回大会当時はすでに高松宮さまは亡くなっていたので、47回大会にも、高円宮さまがいらっしゃっていた。 大会終了後にはレセプションがある。その座席配置が、ものすごく露骨だ。決勝出場者、中でも入賞者から順番に、宮さまに近い席に座ることになる。 だからということではないけれど、わたしの目標は決勝大会に出場することだった、と言ってよい。 このことは、結果的に、よかったとは言えないようにも思う。 決勝大会に出場することはできたけれど、そこでのスピーチは、全力を出したとは言い難い。全く緊張しなかったのが、いい証拠だ。そして全力を出せなかった理由は、他にもある。 でも、力を出せなかった理由は、やはり完全に、自分のせいだ。たぶんこれまでの人生の中で最も頑張った部類に入ることを、最後の最後で台無しにしたのは、他の誰でもなく、自分が悪い。 宮杯で知り合った友だちの多くが、今はどこでどうしているかわからなくなってしまった。大学受験を越えたあたりから、年賀状のやりとりがなくなったのが大きな理由だ。 でも、世間は狭い。同じ大学に、わたしと同時に県代表として宮杯に出場した友だちがいたり、先輩の友だちが、わたしの宮杯での友だちのことを知っていたりした。(その友だちは九州男児で男子校出身だったので、とても驚いた。) この大会のことを「宮杯」と呼ぶのは、全国大会出場者と、準備や進行などの実務をするボランティアの大学生集団だけだろう。全国大会だけが「宮杯」だから。 たぶん土曜日も宮杯のことを書くでしょう。 - いろんな先輩がいる。 - 2003年11月27日(木) 学校に行ったら、学校に行っていても滅多に会わない先輩に会った。卒業後の進路がはっきりしない先輩のひとりだ。進学するでもなく、試験はだめだったと聞いているので、どうするんだろうと思っていた。 修士論文を提出して卒業するか、提出せずに学校に残るか、まだ決めかねているらしい。いずれにしても、合格ライン以上の論文を書かねばならないことにかわりはなく、やはり「論文病」にかかっていた。 そんな先輩に学校に行っていない理由を話したわたしもわたしだけれど、それに対してきちんと答えてくれた先輩がすごいと思った。 去年「卒論病」だった自分に、同じような余裕があったかと振り返ると、どうにもそんな自信はない。「修論病」はもっと重いと聞く。先生もパピーもナイトさんも、口を揃えて言う。「修士論文がいちばんきつかった」と。 大学院生にとっての研究は、仕事と同じ。 この言葉を聞いたのは、今日で3人めだ。 - 先生から電話がきた - 2003年11月26日(水) 先生っていうのは指導教官(=ヒゲ)のことですが、 そろそろ、 激烈登校拒否児も学校に行かねばならないようですね。 ま、いいタイミングです。 久々にずいぶん休んだし。 頑張りますか。 - 休日に寝ているのも癪なので - 2003年11月24日(月) エレクトーン奏者ふたりによるユニットの、インストアライブに行ってきた。 なんであんな音が作れるのかなぁ。ううーむ。いずれにしても生演奏は素敵です。柔らかいのにインパクトのあるブラス音が印象的でした。 その後は、映画でも観ようかなぁと思っていたんだけど、やっぱり止めて、なんとなく、ひとりお買い物ツアーをしてしまった。いろんなお店に入ったけれど、結局買ったのは一点だけで、しかもそのお店のお姉さんがお世辞ばっかり言うもんだから、お世辞のせいで買ってしまったのか、その服が気に入って買ったのか、よくわからなくなってしまった。気に入って買ってきたはずなんですけどね。 なんだかんだと意外にお金を遣って帰ってきたことに気づいた夜でした。 サークルの2年生で、東大の駒場祭に行ってしまっていた人が多かったので、インストアライブにあんまり部員が来なかったのがちょっと寂しかったな。 - 羽根布団を足した - 2003年11月23日(日) 20日夜、21日夜と徹夜だったので、日付が変わって家に帰ってから、まさしく一日中、ずっと寝ていました。 寝ていてもわかったこと。 今日は寒い一日だった。 以上。 ※昨日の分の日記も書いてます。 - determination - 2003年11月22日(土) <今日の動き> 午前中はサークルに出て合わせ練習をしてから、お昼ごはんを食べつつ後輩くんと冬コン打ち上げのお店を決めて(なぜか幹事の一人)、その後サークル全体会議に出て、さらにその後サークルの先輩(むしろ友だちと呼ばせてもらってる)と飲んで、帰ってきた。 なんてサークルづくしの一日でしょう。ワォ。こんな日もある。 会議は良くも悪くもいつも通り。 でも、とにかく、数人で話し合っているのとは違うのだから、進める側も話し合う側も、それを理解して発言してほしいと思う。これは大きな不満。どうして、いつまでたっても話し合いが上手にならないのか理解に苦しむ。しかも集団のサイズは年々大きくなっているのに。今回の会議でマスター連中の発言がダントツに多かった理由を早く理解してほしい。 まあ、ここで言っても仕方ないです。はぁぁぁ。 会議のあと、飲みながら、今迷っていることについて初めて友人に話してみた。 もうわたしの周囲には、そんな話を聞いてくれる人は少ない。年が同じか年上の友人の多くが、この土地を離れてしまったから。その友人だって、具体的な方策を授けてくれるわけではないけれど、わたしより多く生きている分だけ、知恵をくれる。ありがとう。 それから、もう決めたことについて、報告のような話もした。 次に進むためにはどうしても必要なステップだと思うから、思う通りに行動します。 思えば、出会った当初から、わたしに対して常に「変身」を説いてきたのは、先輩、あなたですね。彼じゃない。そして変わるために必要なのは、誰でもない。 みんなみんな、大事な人が、たくさんいなくなってゆく。この場所から。 新しく出会う人たちもいるけれど、わたしだけが、この場所にとどまっていて、動かない気がする。たぶんそのことも、今迷っている理由だろうと思う。 悪い意味で、わたしは一事が万事。 決めたことで、今より苦しい状況になるとしたら(おそらくそうなるだろう)、そのときに、他のことでの迷いを払拭できるような動きができてこそ、だ。 チャンネルを閉じるときと閉じてはならないときを、区別すること。 今から暫くは、閉じてはならないとき。 - sync. - 2003年11月21日(金) そう、わたしは今でもあなたが好き。 でもどうやって溝を埋めたらいいのか、わからないのです。 なにを紡げば伝えることができるのか、わからないのです。 あなたがどんどん遠くなってゆく気がするのです。 - 無理。 - 2003年11月20日(木) 今日はなにも出てこない。 - 空我 - 2003年11月19日(水) 誠実さとはなにか? 今日、避けなかったのは、わたしの罪。 二か月前、尋ねたことと、それを承諾したことは、あなたとわたしの罪。 「空我」とは、仮面ライダークウガのこと。 反対する友人もいるが、物語のラストで彼は死んでいるとわたしは思っている。 それは希望の有無の問題ではない。彼が何を引き換えにしたか、という話だ。 彼の大きさは、空の大きさだから、…。 全部この手に抱えていようなんて、都合よくは、いかないのだ。 - FUNKY BRASS - 2003年11月18日(火) 彼はPE'Zを聴かない。 サークルでPE'Zを演奏するグループが出ても何も言わないし、そもそもあのタイプの音楽を聴いているところを見たことがない。 けれど彼の家には、PE'Zの「Akatsuki」がある。 PE'Zがポピュラーなバンドになるずっと前から、そのCDはあった。 PE'Zはその一枚だけなので、不思議に思った。 好きならばCDを集めるタイプの人だし、好きでなければCDは買わない人だからだ。 よく聴いているMDの中にもなかった。 最初にCDを見たとき、わたしはまだPE'Zを知らなかったので、なんだろうと思った。 彼の家にあったCDとMDの中で、ミュージシャンの名前がわからないのはそれだけだった。 彼の家にいるとき、わたしは自由にBGMを選ぶことはできなかったので(「聴きたい曲は自分の家で聴け」と言われた)、PE'Zが聴きたいなら借りていくしかなかった。 聴いてみても、なぜ彼がそのCDを持っているのか理解できなかった。 わたしには守備範囲でも、彼には守備範囲外の音楽だった。 彼には何も訊かなかった。 今でも不思議に思っている。 なぜあのCDが彼の家にあるのか。 そしてどうして、自分は何も尋ねなかったのか。 今日は本田雅人を聴いていて、そのことを思い出した。 ブラス好きは、派手好きでもある。 でも、派手でありながら聴いていて飽きない曲となると、なかなかないと思う。 それから、自分に吹奏楽の経験がないのに、金管楽器の音をエレクトーンでうまく作って弾くのは難しい。生の音に近づけるか、エレクトーンと思って作るかも、大きな分かれ道だろう。 それに弾くだけならまだしも、聴音して楽譜におろすなんて面倒なこと、もうやりたくない。と思っている。 でも。どうしようかな。 音楽は希望。 - 怠けてる - 2003年11月17日(月) ひとつ崩れると、あとは将棋倒しの如く。 仕方ないなぁ。 部屋に張り紙でもしよう。 - 牡蠣は縮むよ。 - 2003年11月16日(日) わたしの家で、鍋をしながら、冬コンで弾く曲の打ち合わせをした。 鍋がメインなのか打ち合わせがメインなのかよくわからないような会になってしまった。 でもこういうのってなんだか楽しいから好き。 後輩さんがケーキを買ってきてくれて、全部違う種類のケーキだったから、わたしが「ジャンケンして、勝った順に決めよう!でもこういうのって言い出しっぺが最初に負けるんだよね〜」と言ったら、見事に最初に負けたので、すごく笑った。 先週も、サークル以外のところで個人的に部員に会っている。 サークル外の友だちに「仲いいんだね」と言われた。 言われて初めて、そうだと思った。 音楽がやりたいからサークルに入ったけれど、いま、その目的と同じくらい大きな、しかし別の目的をもって、サークルに参加していると思う。 今さら、何を作り上げたいのか、か… 好きだから、というのは、答えになっているのでしょうか - 宣伝効果 - 2003年11月15日(土) 自転車をこいでいたら、歩道にライオンの着ぐるみを着た人がぽつんと立っていた。 ちょっと気になったので目をやったら、小さくバイバイと手を振られた。 知り合いではないと思ったけれど(もちろん確証はない)、手を振ってくれているのでこちらも手を振ってみた。 自転車で通り過ぎながら、「ばいばーい」「じゃあね〜」という感じで、ライオンの人と手を振り合っていた。 プラカードも持っておらず、サンドイッチマンになっていたわけでもなかったあのライオンは、一体なんの宣伝だったのか、今さらだが気になっている。 それにしても着ぐるみというのは、こっちを見ているのか見ていないのかがわからないのでちょっとこわい。 - 甘いものの日 - 2003年11月14日(金) 集え甘味王!@サークル、と聞いた当初は甘いものの食べ比べかと思ったけれど、食べるほうではなく作るほうの競い合いだった。残念。実家でなら作るのに。(と、一応言っておく) で、今日は学祭の係内反省会の予定もあって、サークルに顔を出した。 三人の部員がお菓子を作ってきていて、とてもおいしくいただいた。 三人とも違うお菓子を作ってきていて、どれも本当においしかった。 アッシュからは「改善点を指摘してほしい」という意味で「文句つけてください」と言われたけれど、文句などありませんでした。 なにやらこのお菓子作り大会はしばらく続きそうな予感…♪ このあいだ実家から送られてきた荷物のなかに入っていた、野菜クッキー、おいしくなかった。 まだ残ってます。んー。 - もう木曜日だ。 - 2003年11月13日(木) 気持ちはあるけれど、 その先にどうしたいのか、 どうなりたいのか、 わからない。 苦しい、と、言ったところで、どうにもならない。 でも、よしよし と言われると、少しだけ落ち着く。 結局、あのときと同じくらい泣いている。 違うことは、見たいのが自分の気持ちだということだけ。 今日も行けなかった。顔を合わせたくない。 - 街中 - 2003年11月11日(火) ずいぶん久しぶりに、ユウちゃんと会えることになった。 一昨日、用事はなかったのだけれどなんとなくメールをしたことの結果が、このデートだと思うと本当に嬉しい。 彼女がずいぶん忙しくしているのは知っていたし、実際に話を聞いて、苦しそうなのにすごいなぁ、よく頑張るなぁと思った。 でも好きなこと、本気で目指していることだからできるんだろうなぁとも思う。 体力的なもの以外のつらさもわかるけれど、羨ましいと思ってしまう自分がいる。 ユウちゃんの同級生で、ちょっと精神的に追い詰められてしまって休学することにした人の話も聞いた。 語弊があるかもしれないけれど、出来事について深く考え、思い悩む人には、向いていない職業が、あるような気がする。 よくわからないのに勝手に言うのも悪いかもしれないけれど、そういう人は、自分にしか意識がいっていなくて、本質的なところで他人のことを考えられないような気がする。たぶん自分もそうだと思う。 それでそういう人は、他人のことで思い悩まなければならない職業には向いていないような気がする。 向いているのは、いつも余裕のある人だと思う。 こんなふうに言うと漠然としすぎているけれど。 でも、いるでしょう。いつも淡々と頑張っていて、精神的なアップダウンが外からは感じられない人。 だから、親がわたしに向かって「教師に向いているのではないか」と言うたびに、寝言は寝てから言ってほしいと思う。わたしは絶対に向いていない。 さて、話がずいぶん飛んでしまったけれど、夜は前から約束していた通りに、かわいい後輩さんと飲んできた。 予想外に昼間出歩いたのと話題のせいで、飲んでいる途中、後輩さんに何度も「大丈夫ですか?」と言われてしまった。 大丈夫だったけど、ちょっと苦しかった。 想像以上に疲れている自分にびっくりしたのもあるけれど、それ以上に、話をするのに、とても緊張したことにびっくりした。 たぶん、後輩さんを羨ましく思っているんだと思う。 帰ろうとして、今日も会った。 どうしてだろう。 サークルの人と飲みに行くと、帰りにばったり会うことが多い。 いつか、飲んでいたら同じお店に入ってきたこともあった。 もう驚いたりはしない。 でも、気になる。 - 野菜ミルクスープと和風パスタ - 2003年11月10日(月) 今日はアッシュが家に来て、特製の晩ごはんを作ってくれた。 昨日・一昨日はうまい具合にすれ違っていたので、満を持してという感じだった。 んー。おいしかった♪ 表向き、体調を崩しているわたしがろくなものを食べていないだろうから…という感じで来てくれたけれど、本当は、わたしが出していた「かまって・甘えて」テレパシーを受け取っての行動だった。アッシュ本人も後からそう言っていた。 付き合いも4年目ともなると、そのくらいはメールの文面で判ってしまうらしい。こちらとしては、そんな雰囲気の文章を打ったつもりはないのだけれど、アッシュはそう読み取ったようだった。…さすが。 そんなアッシュも来年の春から社会人だ。 また一人、信頼できる友人がこの場所からいなくなるのは、やはり淋しい。 アッシュのエピソードや名場面はわたしの中にいくつもあって、付き合っていた彼氏との思い出みたいに、ふとした瞬間に浮かんでくる。 …まあでもいちばんは、去年の年末、「Tank!打ち上げ」でのケーキフライング事件かな。笑。 今日は来てくれてありがとう。とても嬉しかった。 - 腹筋が… - 2003年11月09日(日) 痛いです。咳の出すぎで腹筋が痛いのなんて何年ぶりでしょう? はう。 夜になるとゲホンゲホン、いい加減に止まってほしいです。 おかげでまた昼夜逆転生活に戻ってしまいました。 今週ほとんど授業がないのがまたよくない。 月曜日なんて6限オンリーだし。それはいつもだけど。ちなみに6限って18時からです。暗い中を登校するのだけは嫌だ。 今日は、本当に何も考えずに過ごしてしまいました。 他人のことはよく見えるのに、自分のことは、なかなか見えないものです。 「伝える方法を間違うから、屈折するんだ」と言われたのは先月の終わり。 わたしがいろんなことを思っていること、そしてその思っていることまでもが、予想の範囲だとしたら、なぜ、あんなにもつっかかってくるのだろう。それは伝え方のせいだけなのだろうか。 彼はわたしに何を期待しているのだろう。なぜ期待しているのだろう。 どうして「今さら」という言葉に反応するのだろう。 どうでもよくないのは、あなたもわたしも一緒と、わかっているはずなのに。 もしかして、わかっているから、なのですか? でも、無理だと思っているうちは、無理だよ… - 連想 - 2003年11月08日(土) 今日の日記は、右足が痛い→前回の風邪→バイト、という、連想のままに。 長そうだなぁ。 昨日、寝る頃から、前に怪我をした右足が、痛むなぁと思っていた。 今日の天気予報は雨だったから、そのせいだろうと思った。 今日はなんだか寒い一日だった。それもあったのね。 この春、いつもと同じようにバイトに行こうとして、アパートの階段を踏み外し、右足首に怪我をした。 友だちの車で病院に連れて行ってもらったら、ニ方向の捻挫と、靭帯の損傷だと言われた。 足をひねって、ああ捻挫だな、と思ったすぐ後は、階段の下に座ったまま、遅刻するけど出勤しますと連絡したのだけれど、二階の自室に戻ったら、見る間に足首がふくらんできて、ちょっとパニックになった。 じっと見ていたら貧血を起こしたのだ。 ああ、これがショックの軽いのかぁ…と思ったが、そこまでわかっても、なかなか回復しなかった。 突然ものすごい怪我をすると、その怪我よりもショック症状のほうが危ないと聞いたことがあるけれど、よくわかった。 人間ってすごい、と的外れなことを思った。 捻挫なんて、本当に大したことはない。でも、一人暮らしということが、想像以上にこころの負担になっているのだと、そのとき改めて思った。 そして、怪我をしたのは、自分のこころに隙ができたからだ、とも思った。 去年、バイトでの全体のリーダーを専従さんから指名された12月から、ずっと緊張していた。けれど前期の合格発表も過ぎ、最も忙しい時期をなんとか乗り切ることができて、ちょっと安心したのだ。 学部一年から続けているこのバイトだが、わたしの知る限り、トップは毎年、前期の合格発表を終えて一段落したところで風邪をひいていた。 おもしろいくらいに全員が、風邪をひいていた。 わたしは怪我かぁ…と、思っていたら、風邪までひいた。熱が出たのでびっくりした。 テーピングをしてもらっていると言っても、右足は痛いし、熱は出るしで、なんとなく悲しくなった。 だいたい、捻挫した足なんて、寝るときがいちばん気を遣う。 いきなり戻るが、今ひいている風邪は、それ以来の風邪だ。 このバイトをして、春休みというそのバイト期間にプライベートがうまくいかなくなってしまった人を、わたしは数人知っている。 特に、各部署の幹部くらいから、その傾向が見られるけれど、わたしの場合は、ほとんど毎年、何かが起こった。 これまでにいくつかの人間関係がうまくいかなくなったことを、このバイトのせいにするつもりはない。わかっていてそれが嫌なら辞めればいいだけの話だ。たかがバイトである。 でも、この春のわたしは、バイトのために、まるでぜんまい仕掛けの人形のようだった。 自分が大きな失敗をすれば、それはすぐに全体に関わるミスになる。信用第一の商売において、そのミスは、全体の利益に関わってしまう。そのことが恐くて、できる限りのことをしていても、夜中に不安になって目を覚ますこともあった。それが自意識過剰ではないことは、トップ経験者の先輩たちが教えてくれた。 だから、仕事以外のことは、だんだんどうでもよくなっていった。 寝ている間にネジを巻いて、起きて、働き、食べて、また寝る。 それ以外のことはどうでもよかった。 そんなとき発した「もうどうでもいい」という言葉に拘るあなたに、わたしは今、なにが言えるだろうか。 わたしの2代前のトップだったヨウさんに褒められたときは、本当に嬉しかった。わたしと一緒で滅多に人を褒めないヨウさんが、ダメ出しなしでストレートに褒めてくれたことは忘れない。 だんだんあの季節が近づいてくる。すでに、今年もトップを引き受けている。 それ以外のチャンネルを閉じてまで働いて、お給料や経験以外の何を得るのか、そしてどうして辞められないのか。 そろそろ答えを出してもいい頃ではないだろうか。 - 今日は家で大人しくしてました - 2003年11月07日(金) 怪獣ママゴンからメールが来た。 「元気ですか?どこかに監禁されていないですよね?」 …このご時世、あんまり冗談にならないから恐い。 しかも親にそう言われると余計に冗談に聞こえなくなってくる。やれやれ。 でも心配してるのはわかるので、まあ仕方ない。 まあ、それはともかく、わたしは今日になってようやく病人の様態を示し始めたので、ママゴンメールをみてもそのままぼんやりしていたら、返事をしなかったからだろう、ママゴンから電話が来た。 荷物を送ってくれると言うのでありがたく頂戴することにした。用件はそれだったらしい。けれど風邪をひいているのがすぐにばれて(当たり前だ、頻繁に咳が出ているし口調がおかしい)、「前におばあちゃんにもらったレトルトのお赤飯はもうないの?」と訊かれた。 …そうだ、そういうものがあった!忘れてたです! なんか、忘れてたへそくりを発見した気分♪ そんなに喜ぶことでもないけど。 ていうか、なんでママゴンが憶えてるんだろう。もらった本人が忘れてたのに。 それから、東京行きを控えたなっつに言われたのは、 「お前、風邪ひいたら一度は病人らしくならなきゃ気がすまないだろう。」 ビンゴー☆ 明日、おきばりやす。でもなるようにしかならんですよ。持ってるもの出すだけです。いつもそうやってきたじゃない。まだまだ道は長いですよ。 すごくぼんやりした頭で、今日いちにち、時々思っていたのは、タイミングだとわたしに言ったヨウさんのことでした。 こたえは、変わらないんだね。 3年半前も、同じことを言ってたのに、気づいてる? 先に、出会ってたらなぁって。 それって、ちょっと、ひどいよ。 - 忙しいんだね。 - 2003年11月06日(木) ヨウさんに会ってきた。 忙しくしていると、一目でわかった。 わたしの体調が悪いのをみて、ヨウさんは「無理して今週にしなくても、来週にしたらよかったのに」と言った。 ちがう、今週会いたかったの。ここにいるなら、会ってほしかったの。 よしよし、元気だせよ、ってききたかったの。頭なでてほしかったの。 チャンネルを閉じろ。引き受けすぎだ。 今はタイミングが悪い。 意固地に拒否するのを止めてほしいと思ってるんだな。 いつか歯車がかみ合うときもくるかもしれないんだから、囚われてないで、進め。止まるな。 …元気でたか? このひとの言葉は、いつも、こころにすとんと落ちてくる。 落ちてきてほしいところに、かならず、落ちてくる。 返事がほしいときにはかならず、返事をくれる。応えてくれる。 だからだろう、ヨウさんには、本当に素直に、自分の気持ちを言える。 なんて言ったらいいんだろうとか、どうすれば伝わるんだろうとか、そんなこと考えたのは、最初のときだけ。あれはもう、3年半前。 今はもう、なにも考えずに、思ったことをただ口にしてるだけ。 ヨウさん相手にはこんなに簡単なのに、そしてとても大事なことなのに、どうして、他の人にはできなくなるんだろう? なにがわたしを曇らせるんだろう? わかってる。 今の関係性では、 ヨウさんは絶対にわたしを傷つけない。 わたしも絶対にヨウさんを傷つけない。 だからだ。 傷つかなきゃいけないのはわかってるけど… 今は、少し、くるまっていたい。 - ぼうっとしています - 2003年11月05日(水) 風邪だ風邪だと言いながら毎日出歩いています。 明日も、夜に先輩と出掛ける約束をしました。 くしゃみを頻発していることと、リンパ腺が腫れていることには気づかないふりをしています。 今日なっつに会って、きちんと会ったのは一週間ぶりだと気づいた。 最近こうしてよく会うと思う。 嫌なら会わないから、それが問題なのではなく… あれから一週間か、とお互いに思ったことが、ちょっとひっかかる。 あれはタイミングが悪すぎた。 ごめん、と言った意味が、わかっただろうか? もう、わかってしまったから、謝ることしかできないんだよ。 ごめんね。 実際には微熱があると思う。 熱がないのは朝だけだ。 だからだろうか、やさしくしてほしいなと思ってしまっているらしい。 甘えたい。 でも誰でもいいわけじゃない。 そして、 自分のせいでますますつらい思いをさせるわけにはいかない。 まだ言葉を出す時期じゃないらしい。 何も書けなかった。 なにか書こうとするとすぐ泣きそうになる。 弱い。 - ひたすらつれづれ - 2003年11月04日(火) この日は、学祭最後の仕事、エレクトーンの運搬を手伝わずに、街中にいました。 だって連絡が来なかったんだもん。集合が15時なのか16時なのかわかんなかったんだもん。と、言い訳。 まあ、わたしが授業か学校の用事だと思われてるんだろうっていうのと、後輩たちで人手が足りてるから連絡がないんだろうっていうのとで、いいんだけど。運搬は。 よくないのはこっち、勉強しないと。 と、言いつつ、この日も予定入れて外出してしまったりなんかして。 絶対今日の図書館空いてただろうに。うふふ。 しかもどう考えても体調おかしいけど。いやそれは気力でカバー。 カバーできるくらいなら大したことないんです。 ほんとはね、 なんとなくひとりでいたくなかったんです。 みんな曲がり角みたいだねー。 今日はリコちゃんに会ってそう思いました。どんな返事が返ってくるだろうね? ごめん、うまくいくといいねって、なんか言えなかったよ。 ほら、わたし、都合よくやっていきたい人だからさ。 場所がひとつなくなるのは嫌なんだよ。 「これからのほうが大変だよ〜」。 その通り。わからないでいるほうが幸せだったりもするよね。 でもここまでわかっちゃったら、もうちょっと、わからないと。 ここに止まったままでいるわけにはいかないでしょ。 あなたも、わたしも。 - はい終了〜 - 2003年11月03日(月) 思いっきりダウンしてます。 サークルの学祭イベントが終了したので、すぅぅっと気が抜けました。 で、当然のように風邪をぶり返しました。 今日は一日中寝てたけど、全身倦怠感がまったく抜けません。 昨日の打ち上げのときも、もう食べること自体が億劫で億劫で… おなか空いてるのに、食べたくなーい、みたいな… そりゃそうですって。 全部承知で動いたんだから、仕方ない。 移動が全部自転車っていうのもいけないけど。 みんな、おつかれさま。 特に2年生のみんな、今年はサロンじゃない場所でコンサートしてる分だけ、成長が早いなと思います。よく頑張ってたと思うよ。まだまだできることもあるだろうって意見には賛成だけど(笑)。 でも今回は手放しで褒めてもいいかなと思う。 楽しいイベントをどうもありがとう。 泣けてくるさー。 でもそんな人は自分だけじゃない。 いまいちばんつらいのは誰だろう。 自分じゃないことだけは確かだ。 - 帰ってこれた! - 2003年11月01日(土) 現在時刻は2:57AM です。 今まで、サークルメンバーで深夜の練習をしていました。 今日から四日間、学祭です。 わたしにとって、次は、もうないでしょう。 まさか家で寝られると思わなかったので嬉しくて仕方がないです。 今年も、エレクトーン4台の音が鳴り響くなか、だだっ広い部屋でごろんと寝ることを覚悟していました。 今年はダンボールがないから床で寝るのかぁ…なんて思ってました。 よかったよかった。 ときどき自分が女の子だということを忘れかけます。 準備して早く寝よ。 あー、オルガン・マニアの暗譜が危ない… 3:03AM 。 -
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