エンピツを読んで・・・
なかじ〜



 人間開き直りが大事(自分自身へ)

今日引継ぎが行われました。
事業自体は次の上司に引き継がれますが、
勿論具体的な中身については知る由もなく、
実質、自分が事業を進まないと
いけない状況になりました。
明日からは一緒に新規事業を
行ってきた上司も先輩もいません。

思えば、新卒でベンチャーに飛び込み
5ヶ月になろうとしている。普通だったら
こんな早い時期に新人に
何かを任せるということはあるはずがない。
ましてや新規事業なんて滅多にあるもんじゃない。
そう考えると不思議な気分だなー

最初は責任感というのが重くのしかかる
という心境でした。でもいなくなって
もう割り切りました。
また気負いするつもりはありません。
貴重な体験だと思い、何でもやってみようかー

自分の好きな言葉の一つに
以下のような言葉があります。

やってやれないことはない
やらずにできるわけがない

2001年08月29日(水)



 去る人・残る人 それぞれの戦い

今日、自分の事業部が送別会を行った。
去る人は自分にとって初めての上司、
新規事業を一緒に行っていた先輩、

残る人は自分を含めた5人

去る人たちは、最悪の景気状態である中
ベンチャーを起こしていく。

残る自分は、ほとんど自分一人の状態で
新規事業を進めていく。

去る人、残る人
これから凄まじい戦いが眼前に広がっていく
にも関わらず、比較的落ち着いた店で
ワインを片手にみんなで楽しい時間を
過ごしていた。

帰りの電車の中で普段音楽を聴かない自分に
ある歌詞(というかフレーズ)がふと浮んできた。

…勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく…

「Tomorrow never knows」by Mr.Children

2001年08月28日(火)



 高野連について

(今日は個人的コラムです)
ちょっと前の小さいニュースだが、
むかっときた記事があった。
先ごろ甲子園で優勝した「日大三高」の優勝祝賀会を
中止するように高野連から通知があった。
理由は「高校生を英雄扱いにし、
間違った心情を植えつける」とのことである。
また、準優勝の「近江」も純粋な青少年育成を目指す
本大会の趣旨に反するため、
デパート主催の祝賀会を中止したという。

一体高野連というのは何様のつもりなのだろう。

1つは地元での優勝を歓迎したいという気持ちから、
祝賀会をするのであり、もしそれでもというならば、
高野連から地元に対して気持ちは受け取るけど、
高校生の将来のためにお願いします
と下手にでるのが筋だと思う。
でも、ニュースを見る限り「通知」という
上から下へ言葉であり、
しかも祝賀会直前に通知したとならば
なおさら地元に対して謝るべきである。
高野連の言う言葉は絶対であるという
態度がどうも納得いかない。

もう一つは純粋な青少年育成を目指すとして、
はたして高野連が行っている行為が
本当に青少年が形成されていったのかである。
それを調べるためには、高校野球をしてきた人が
どのような人生を進んでいったのか
を見なければならない。でもそのためには、
高校野球という狭い枠から外さないと、
真の青少年育成にはならないのである。
高校野球だけではダメなのである。

高野連は自分が健全な青少年が大人になった姿
を見せるべきなのに、殻に閉じこもり
高校野球という砂上の楼閣の王様気取りの
ように見える。

2001年08月27日(月)



 知ってるつもり

自分の日記に登録していただいた
日記にディズニーで働いている(のかな?)
の日記があったので、今回はその関連で・・・

日本人が平均1回以上訪れたことのある
東京ディズニーランドは自分は行ったことがないが、
多分ほとんどの日本人が名前しか知らないと思う
ディズニーの生涯は自分は知っている。

昔「ホケット偉人伝」という本があり、
小さい頃よく楽しく読んでいました。
また、読書感想文では随分お世話になりました。
選んだ理由はもちろんすぐに読めるから。
でも、楽しかった理由はその当時では
どちらかというとあまり聞かないような
人物の偉人伝であった。

「翼よ!あれがパリの灯だ」で有名なリンドバーグ
戦争写真家のロバード・キャパ
世界の雑誌王サイラス・カーチス
その中でディズニーの偉人伝があった。

ディズニーは何度も挫折しながら、
トーキーから天然色へ移る映画の変革期において、
アニメという分野で成功を果たした人である。
当初ディズニーはウサギをモチーフにした
「オズワルド」というキャラクターで
売り出していったが、配給会社に従業員を引き抜かれ、
キャラクターを奪われてしまった。
そこで、その配給会社を見返すために
新たなキャラクターを作ったのがミッキーである。
また、ドナルド・ダックは
戦争時の税収不足から、税務署が納税を薦めるために
作られたキャラクターであったりする。

「知ってるつもり」ではないけど、
普段他の人が知らないような人物を
知ってるのはなんか楽しいものだ。

2001年08月25日(土)



 男女恋愛日記の違いに関する一考察(LEVEL1)

仕事がいきなり大変になる中で、
いろんな人の日記は気休めになります。
まあよく読むのは恋愛系の日記なのですが、
男女によって文章の表現が違うのではないか。
現時点で自分として思った点は

女性の日記は1つの出来事を深く掘り下げて、
自分の感想を述べるような日記

男性の日記は複数の出来事の流れの中で、
自分の感情を述べるような日記

ただ恋愛日記を書いている人が女性が多いので、
すべてがそうであるとは言えないが、
自分の印象としてはそんな感じがする。
LEVEL2のときにはもう少し考えて書いて見たい。

2001年08月24日(金)



 ホップ・ステップ・ジャンプ

自分の日記に登録していただいた
日記に受験生(なのかな?)の日記があったので、
今回はその関連で・・・

県内の普通のレベルの普通の高校だったため、
あっさりと大学は落ちて、勉強したのは浪人時代
予備校に通っていました。
学校は勉強する所、それ以外は遊ぶ所というのが
染み付いていた自分にとって予備校は、
結構充実していました。

受験の夏も過ぎ、成績がよかった自分は
上のクラスに行く事ができました。
自分の行きたい大学も見えてきた夏明けから
めっきり成績が上がらなくなってしまいました。
最初は気のせいだろうと思っていましたが、
成績は上がるどころが下がる一方で、
すっかり自信を無くしてしまいました。
悪いことは続くもので、点滴を打つほどの
ひどい風邪をひいてしまい、
1週間も寝床で横になっていました。
浪人時代は今からもう7年くらい前ですが、
その時の苦しみは覚えています。
(今と考えれば別に2浪でもいいかと思えますが、
その当時、かなりの真面目人間だったので
まっすぐにしか考えられていなかったのかな?)

そこで自分の自信を取り戻す方法は何かと考え、
思いついたのが、
「ホップ・ステップ・ジャンプ作戦」
一番苦手だった英語を克服するために、
英検2級・準2級を受けるのが「ホップ」
浪人でも推薦入試ができる大学があったので、
そこを受かって滑り止めにする「ステップ」
そして、本命の大学を合格する「ジャンプ」
という今から思えば幼稚な作戦でしたが、
必死だった自分はそれで頑張って
結果、すべて合格することができました。

受験時代に覚えたのは、
・何かを目指していれば必ず壁がある。
・自信を失ったときに、
どう自分で自信を取り戻すのか
という2点でした。

2001年08月23日(木)



 クリエイトの人に

今度新しくベンチャーを立ち上げる
上司の言葉である。もう少しで元上司になるが。

ドラッガー(だったと思うが)曰く
今後の労働市場は
何かを生み出すクリエイトの人と
マニュアル通りに行動するサービスの人
に分かれるという。

サービスの人の例えとしては、
マクドナルドの店員がそうである。
店員にとって一番大切なことは
自ら何かを生み出すことではなく、
マニュアル通りに動くことである。
そうでないと、お客としては同じ品質を
味わえなくなってしまうからである。

対してクリエイトの人は、
マクドナルドを例えにするならば、
お客を満足させるようなサービスを
作り出していくことである。

クリエイトの人とサービスの人
何が決定的に違うのか。それは
サービスの人は代替しうることはできるが、
クリエイトの人は代替できないことである。
まして、グローバルな時代に入っていく中で
日本人でなければいけない
ということはなくなりつつある。
中国人を雇って高品質・低価格を実現した
ユニクロがいい例である。

でも、クリエイトの人は
その人でないとできない。
そんな人になってほしいと上司は言った。
自分の自己実現のため。
自分の個性を表現するため。
ただ、そのためには常に勉強し、
探究心を持って何事も貪欲に求めなければ
ならない。でも自分はクリエイトの人
になりたい。社会人4ヶ月目の自分であった。

2001年08月21日(火)



 院生時代

しばらく更新していませんでしたが、
MYエンピツをチェックすると、
いろいろな人から登録されていました。
こんな日記に訪れていただきありがとうございます。
今日は登録していただいた日記の中からの関連で・・・

今年、社会人1年目の自分ですが、
3月までは大学院生でした。
大学院生と聞くと頭がいい人が
行くようなイメージに思えますが、
自分の場合は苦悩の2年間でした。

M1の時は課題課題の連続で大変でしたが、
まだやることが決まっていたのと、
同期の院生がたくさんいたことから
充実していました。
だけどM2は自分一人で
研究を進めないといけなかったし
また就職活動もしなければならなかった。
しかも研究に行き詰まり、
そして就職活動も思うようにいかず
悩んだりして精神的にきつかった。

でも、今から考えると、
苦しかったが貴重な体験をしたと思う。
今までの自分は、高校までの授業、
大学・大学院での講義で、
自分で求めることなく勉強する機会があった。
また、勉強するきっかけもあった。
大学院は本気で自分の勉強を追及して、
自分できっかけを見つけて、
一時挫折もしたし、
また決していい論文ではなかったが、
なんとかやり抜いたことは大きかったかな?
まだ、院生時代は自分の中で消化
されていません。

2001年08月20日(月)



 MYエンピツ

そもそもこの日記の目的は、
いろんな人の日記を見ての感想
をつらつらと述べていこう。
(自分の日々が日記にするほど
のものではないので)
というのがメインの趣旨なので、
当然MYエンピツをかなり利用している
だろうと思いますが、
実はまったく登録していません。
自分の日記に登録させて
いただいている人には申し訳ございません。

今まではいろんな人の日記に登録することに
少し抵抗がありました。理由として
一つは登録すると自分の日記を
宣伝しているのではないかと思い、
なんか恥ずかしいから。
もう一つは、仕事で忙しいので、
なかなかすべての日記を読む事ができないので、
登録したのに読む事ができないと、
申し訳ないなというのがあって、
いつもブラウザソフトの
「お気に入り」に入れてこっそりと見ていました。

でも二つの理由で登録してみようと思います。
一つは自分の好きな日記がいつのまにか
ジャンル変更されていたので、気づかなかったこと。
(これは痛かった)
もう一つは自分の好きな日記がいつのまにか
やめてしまったこと。しかも他の人の日記から
知りました。

■■大人の時間■■
だったかな?すごく染み入るような日記でした。

これから少しづつですが、
MYエンピツに登録しようと思います。
とりあえず、いつも登録させていただいている
人からはじめよう。

P・S 今日は終戦記念日
これについてはまた日をあらためて
自分の考えを述べようと思います。

2001年08月15日(水)



 離れている友人だからこそ

久しく日記が更新できなかったのは、
友人が名古屋から来たからだ。
親が転勤族で自分が名古屋に住んでいたのは
2年も満たないが、大切な友達の1人である。
ただ、その当時から自分も友達もゲーマーで、
自分はシュミレーション
友達は格闘ゲーに傾倒していったので、
一緒にゲームをやることはなく、
お互いにそれぞれゲームをするという
なんでわざわざ東京へ来たのだろう
と思うくらいゲームをやっていた。
お互いにいい年しながら、
「変わらないなー」と言いながら
ビールを飲む。もうオヤジ化しつつあるが、
楽しい時間だった。

ところで・・・
みなさんは大切な友人は近くにいますか?
先ほども言ったけど、親が転勤族で
小さい頃から友達はできても、
すぐに別れなければならなかった。
特に小学校6年の2学期が終ってから、
転勤したのは悔しかった。
一緒に3学期を過ごして卒業したかった。
でも、できなかった。
今から考えれば全国に友達ができたけど、
その当時は嫌で嫌でたまらなかった。

大切な友達は近くにいない。
だからなのだろうか。機会があれば
よく昔住んでいた場所へ行き、
友達に会っていた。次に会えるのが
いつかわからないから。

2001年08月14日(火)



 靖国参拝を切る

(スパンメールが来そうな内容ですが
よろしくお願いします)

小泉首相が靖国参拝をしたいと言っている。
公人・私人とは関係なく
ただ戦没者を弔いたいという信念からで
あるそうだ。信念は素晴らしいと思うが、
疑問なのは、なぜ靖国なのかである。

靖国神社を参拝することは
1つの宗教的行為である。
というのも靖国神社は神道という
1つの宗教の施設であるからだ。
ということは総理大臣として参拝することは、
国という権力が1つの宗教を保護するという
政教分離の問題に抵触するからである。

それでもいいのではないかという
自民党の超党派が言うかもしれないが、
この論理からでいうと、
例えばオウム真理教が戦没者を慰霊するための
集会を持ちたい。そこに小泉首相が
戦没者を弔いたいという信念のもとに
集会に参加するとなれば、
おそらく自民党は大反対するであろう。
また、マスコミも大反対するであろう。

つまり靖国神社自体がどう解釈しても、
民主主義の時代においては、
1つの宗教である。だから無宗教の墓地を
作るという話があるそうだが、小泉首相は
そこで戦没者を慰霊すればいいと思う。
靖国にこだわることは、小泉首相が神道という
宗教の布教活動をしているように
疑われても仕方がないような気がする。

あと1つ言うならば、戦没者の御霊が
すべて靖国神社にあるのもおかしい。
戦時中は国家権力によって
神道という宗教が強要されたが、
例えばキリスト教を信奉しながら、
御国のために亡くなった人もいると思う。
その御霊は多分神に召されると思うが、
なぜ靖国だけなのだろうか。

2001年08月08日(水)



 昔の日記

ネット上での日記は(今のところは)
なんとか書き続けているが、
大学時代ノートに日記を書いていたことがある。
さっき久しぶりに見てみたら当然三日坊主で、
一日書いたら次は六ヶ月後であったりして、
燦燦たるものであった。

内容もその当時好きだった人に会った
会えなかったなど、恥ずかしいばかりである。

1997年1月27日
TでたまたまSちゃんに会って、いろいろ話を
していたら、マーケティングを教えて欲しいと
言っていたので、家に来ると冗談交じりで聞いたら
来ると言って、はじめてSちゃんが家に来た。
教えることはそんな大変じゃなかったが、緊張した。
結局そのほかに何もできなかったが、びっくりした
一日だった。

大学に入るまで、あまり女性と話したことが
なかった自分にとって、ドキドキしていたことが
記憶に残っている青春の1ページである。
(ただ今でもそんなに女性と話していないような気が)

2001年08月07日(火)



 流れの速さの中で

今日上司が会社をやめることになった。
自分で会社を興すためである。
入社して4ヶ月しか経っていない
自分にとってはビックリした。
たしかにベンチャーに新卒で入ったから
いろんな変化があるのかなと
漠然と考えていたが、
本当に変化の連続である。

電車の中でいろんなことを考えていた。
もしベンチャーでなく、安定した会社に
入っていたらどうだろう。
ベンチャーというある意味特殊な環境下で
自分はどのくらい成長したのだろう。
自分の性格にベンチャーは
合っているのだろうか?

いろいろな人と出会い、
いろいろな人と別れ、
流れの速さの中で、自分は・・・

2001年08月06日(月)



 日本人の活躍

(仕事で忙しかったのと、
少しネタも少なくなったので、
遅れました。よくわかりませんが、
見てくれている人にはすいません)

少し前だが・・・
名古屋グランパスエイトのピクシーが
ファンを前に引退発表をしていた。
サッカーについてあまり詳しくないので、
どれくらい在籍して、どのような活躍を
したのかはよくわからない。
ただ、その引退発表は感動的なものであり、
ここでサッカーをしたことを一生忘れない
と言っていた。

よく外国での日本人の活躍が
連日報道されていて、それに一喜一憂している。
たしかにすごいことだと思う。
でも自分はあえて、ピクシーにそこまで
言わせたグランパスエイトサポーターに
拍手を送りたい。

外国人にとっての日本は
経済大国にはなったが、ソニーは知っているけど、
日本は知らないとか、ブランドを買い漁る
チョンマゲ、ハラキリ、ゲイシャ
そんなイメージを持つ人はいるだろう。

どんななのかあまりわからない国に外国人が
来るということは日本を知ってもらう
最大のチャンスであり、ましてや祖国で有名な人
だった場合はその人の言葉から日本が
語られるから、大切である。
だからこそ、ピクシーのあの言葉は
グランパスサポーターが世界で通用できるという
言葉に聞こえてくるのは自分だけだろうか。

2001年08月04日(土)



 今がよければいい?

諸外国との比較調査で、日本の若者は
今がよければいいという。
そう答える人にとっては
しばらくは今がよければいい人生を
おくることができると思う。

しかし、それを続けること
ができる一番の要因が若さだと思う。
今の日本は若さがあるか無いかによって
情け容赦ない社会であるような気がする。

例えば、今がよければいいと
フリーターをやって30代に入るときに、
日本の社会はどう迎えてくれるのだろう。
結婚する必要は必ずしもないのでは
と思う女子高生が9割いるという結果でも、
30代に入った未婚女性は
日本の社会は、どう見るのだろう。

自分の考えとしては、今がよければという
人生があってもいいと思う。
ただ、若さというものが無くなった人が
そう言えるのか?自分がそう思っていても、
日本社会の雰囲気がそれを許さないような
気がする。

2001年08月01日(水)
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