憂色透明
憂々とし 夢現 筒抜で ウェア アム アイ 強引

2004年06月21日(月) 濃かった

先週の月曜日、学校が終わって自転車で坂を下ってたら、黒い服の女の子に
「ああッ!」
と叫ばれたのでびっくりして止まったら、同じ高校の違うクラスの子だった。
在学中ほとんど喋ったことがなかったのに、時速12kmくらいで駆け下がる私によく気づいたものだ。
うれしくて家に連れ込む。えんちゃんはまだ帰ってきてなかったけど、とりあえずごはんを食べさす。孤独についていきなり話しあった。

というか、ここはまったく高校からも遠いし、新宿とか渋谷とかそういうターミナル駅でもないのに、すごいなぁ。なんでこんなところにいるのか。

なんでも、偶然にも私のアパートから徒歩8分くらいのところに、「夢をかけて」通っているって。ちなみにそこに行った。地下室にあって、裏に墓場があって、変な所だった。こんなところがあったとは、彼女に会わなければ知らなかっただろう。

近所に友達が出来るのはうれしい。
騒がしい繁華街で、わざわざ会う約束するのでもなく、都内らしい細い路地で、何気ない紫陽花の花とか、豆腐やとか、クリーニングやの前で、ひとりひとりが向かって歩いてきて、にこにこしながら出会えるのはたのしい。
今日も傘をさしてにこにこした彼女にでくわした。



というか週末の夜中、バンドのメンバーの家にふらふら行く途中、コンビニの中でGA○に会い、びっくり仰天、バカ嬉しくて話しかけてしまった。
メンバーがコンビニの中から、「なんか、豆(私)がB系の男にからまれてるよ」って言ってた…。
…ガオ知らないって?
あの、がらがら声の…。
私の頭の中は、5つも年上のメンバーよりも老化しているので、古い音楽が好きなわけですよ。腐。



2004年06月05日(土) おもいをはせる

ずっと前に、ブラジルのバンド・トリバリスタスのCDジャケットを学校のラウンジで見ていたら、突然ブラジルからきた留学生に話しかけられた。
tudo bem?

わたしは突然話しかけられるということがきらいでない。
このトウキョーで、見ず知らずの人間に突然話しかけてくる人間は、良くも悪くもどこかがおかしいから楽しい。

だからそれだけでうきうきなのに、ポルトガル語ときた、なんて美しいことばなんだろう。


誰かに話しかけられて、話しかけて、仲良くなって、一緒にお昼とか食べて、話しあって、という、世の中ではきわめて日常的な一連のプロセスが、わたしにとっては日常でない。
といってもやっぱり日常なんだろうが、「当然だと思ってあたりまえのものにしたくない」という思いがいつもある。
あの人と今日会えて、この人と今日話が出来た、なんつーことは、ぜんぜん、あって当然のことじゃない。なのに会えてすげーすげー、と、いつもアホみたく思う。

小中高のクラスとか、大学の飲み会とかは、未だすきになれていない。みんな、自分がそこに居たくて、自分で選んでそこに居るわけじゃないからだ。そういうオーラが人を無気力にする気がしてならん。
そういう環境にいると心底、他人がどうでもよくなってくるので、何よりそんな自分がイヤになるのであります。でございます。屁理屈を今夜もこねているのでございます。ぷーぷー。


ぶらじるという国は一体どういうところなんだろう。
そういうおもいをはせてみる。
街は騒がしくゴミだらけで、人々は大変いい加減でありながら温かく、自然と貧富の差のはざまで、神をどこかで感じながらほがらかに生きている。そんないい加減なイメージしかない。

お昼を食べながら、髪を染めておしゃれに着飾った大学生を眺めて、
「ぶらじるでは、いろんなもので飾ることなく、いろんな人種が、そのままの自分で生きてるんだよ。それはmore humanだと、おもう僕は」
と、そのぶらじる人は言っていた。
その瞬間がなぜかすごく印象的で、この週末はそれについてばっかり考えてる。そのままって。そのままって!こんちくしょう。なんかわからんけどくやしいんだ。


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