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2026年02月03日(火) 極真空手の原点

私は17歳の時に国際空手道連盟極真会館福島県北支部に入門しました。この時は本当に世界チャンピオンになりたい!と言う夢を持って、それまでにしていた馬鹿な事を全て止めて入門しました。その時によく指導しして頂いた先輩は、梶川裕史先輩、堀江崇先輩、滝嶋邦彦先輩、吉田広明先輩でした。その頃に私がライバルにしていたのは、八木沼史郎さんと増田亮一さんでした。特に堀江崇先輩に可愛がって頂きました。一緒に稽古させて頂いたり、食事に連れて行って頂いたりしました。基本稽古、移動稽古、組手などを良くやっていた記憶があります。自主トレでサンドバックやウエイトトレーニングをやっていました。休みの日もウエイトトレーニングをしに道場に行っていました。20歳で東京に出るまでお世話になったのですが、この道場で空手の基礎となる事を学ばせて頂きました。三瓶啓二師範は雲の上の存在で審査や試合でアドバイスを頂いただけでも嬉しい気持ちになりました。1度だけ約束組手の相手をして頂いた事がありました。凄い迫力で師範の前に立っているだけで圧倒されてしまいました。何かしたら本気で攻撃されてしまうのではないか?とおっかなビックリ組手をしていましたが、とても優しく組手をして頂き、本当に強い人は優しいんだと思いました。先ほど書いた指導して頂いた先輩方もみんなそんな感じでした。後輩や弱い人を大切にするとても素晴らしい雰囲気の道場でした。悪い噂しかない私にも指導して頂いた先輩方は「真面目になろうと思ったから空手を始めたんだろ!頑張れよ!」と良く声をかけて頂きました。極真空手の素晴らしさをこの道場で学びました。私の極真空手の原点はこの道場だったと思います。今は新極真会と言う団体になり別の組織になってしまいましたが、三瓶啓二師範を初め指導して頂いた先輩やライバルにしていた同輩には本当に感謝しています。


2026年02月02日(月) 空手との出会い

今までの空手人生を振り返って思い出を書いてみようと思うのですが、空手歴37年にもなると、何から思い出せば良いのか?何から書き出せば良いのか?とても迷います。そんな時は思ったままに書き出せば良いと言う言葉通りに、思ったままに書き出そうと思います。私の最初の空手の先生は魏桜流拳法菊地塾塾長菊地信弘先生です。菊地先生は硬式空手の世界チャンピオンでシュートボクシングのシーザー武志会長と異種格闘技戦をしたり、様々な流派の試合に出場して素晴らしい成績を収めていました。菊地先生との出会いは私が15歳で高校を退学になり、馬鹿な事ばかりしている頃に、それを見かねた私の知り合いに「お前は何かやりたい事はないのか?」そう聞かれ、私は「TVで極真空手の世界大会を見たんだけど、それをやって見たい!」と答えました。その方に「極真空手ではないけど、空手のチャンピオンを知っているから、見学に行ってみるか?」と言われたので、私は「見学に行けば、その人と戦えるの?」と言いました。その方が菊地先生に電話で連絡すると、是非道場に来て下さいと言われました。そしてその方と菊地塾に行きました。当時は福島市の青果市場の近くにあり、プレパプの道場でした。私達が道場に入ると門下生の方がもう練習していて、菊地先生はまだ道場にいませんでした。菊地先生が来るまで見学していて下さいと師範代の方に言われ、私達は練習を見ていました。私の記憶では、キックボクシングのようなシャドーをしていました。少しすると菊地先生が道場に入って来て「君か?じゃあさっそくやるか?」と言われ、私はヘッドギアとグローブをしてもらい、スパーリングなのか喧嘩なのか分からない感じですが、スパーリングが始まりました。まるで今流行りのYouTubeの道場破りのような感じです。私が殴りかかると、菊地先生のハイキック一発で私は失神させられました。納得がいかない私はその後、何度も立ち上がって菊地先生にかかって行きましたが、パンチでまた失神させられ、最後はローキックを何度も蹴られて、私は立ち上がれなくなりました。「まだやるか?」と聞かれたので、私が「もう立てない」と少し生意気な感じで言うと「負けたんだから、参りましたと言え」と言われ、私も観念して「参りました」と言いました。続けざまに「悔しいか?強くなりたいか?俺に勝ちたいか?」と言われました。私が「強くなりたい」と言うと「じゃあ空手を教えてやるから、俺に勝てるようになるまで頑張れ」と言われました。そして鏡の前に連れて行かれ正拳突きを俺が止めて言いと言うまでやっておけと言われ、正拳突きを教えてもらいました。鏡を見ると自分の顔が見た事もないほどボコボコになっていました。顔は目と鼻と口が腫れていました。頭痛が1週間は治りませんでした。おそらくこの時に眼底骨折していたと思います。何十年後に検査したら、以前眼底骨折していると言われたのですが、症状からすると思い当たるのはこの時だと思います。話は戻りますが鏡を見ながら正拳突きをしている時に自分のボコボコの顔を見て悔しくて涙が出ました。でもこれをやればもっともっと強くなれるんだ、菊地先生が自分を蹴りやパンチで一発で失神させたように自分もなれるんだと嬉しい気持ちになりました。あれが私の空手道の第一歩でした。家に帰宅すると、私の家に遊びに来ていた祖父母が驚いていました。父には「どうだった?」と聞かれたので、「スパーリングして負けた。強かった。」と答えました。母には「そんなのやらないほうが良いんじゃないの」と言われましたが、私は空手をやらせてくださいと言いました。母も私が退学になったあと馬鹿な事ばかりしていたので、空手をやれば少しは良くなるかもと言う事で、私が空手をやる事を承諾してくれました。あの時の菊地先生は私にとっては鬼のように強かったですし、その後は鬼のように怖い存在になりました。私が問題を起こすたびに菊地先生に道場に呼び出され、スパーリングでボコボコにされました。あの時、菊地先生と出会っていなければ私はもっと馬鹿な事をしていたと思いますし、あの時、菊地先生に出会っていなければ、今の自分はないと思っています。菊地先生には心から感謝しています。今でも菊地先生の事は尊敬しています。菊地先生のもとを離れた今も、心のなかでは先生と思っています。


2026年02月01日(日) 53回目の誕生日

53回目の誕生日でした。12時になった瞬間に次男の真白が「パパ、誕生日おめでとう!」と言ってくれました。とても嬉しかったです。この瞬間の事を一生忘れないと思いました。そのあと家族のみんなが「おめでとう!」と言ってくれました。その後に寝ました。朝は9時に起きて、朝ごはんを食べ、少しゆっくりしてから、妻の個人レッスンを大森道場でしました。妻は運動は大嫌いなですが、流石に健康の事を考えたのか、ウエイトトレーニングをするようになりました。メニューはバーベルスクワット、ダンベルレッグランジ、ベンチプレス、ダンベルフライ、ダンベルショルダープレス、サイドレイズ、ダンベルベントオーバーロウ、腹筋、背筋で、前半を3セット、後半を2セット、約60分行いました。その後、妻と次男は新大久保へ行き、私は鷲神社に参拝し、榊を買いに行き、道場の神棚の榊、米、塩、酒、水を替え、今までに感謝し、これからの発展を誓いました。家でゆっくり入浴して、家族みんなで夕食を摂りました。誕生日のお祝いにガレット・デ・ロワを食べました。妻が4等分に切って分けてくれました。当たりのアーモンドが入っているケーキを引いた人は1年を幸福に過ごせるそうですが、それは私が当てました。まあ誕生日ですし、私が幸福になれば、菅野家も幸福になるはずなので、良かったかなと思います。私は家族のおかげで本当に本当に幸せな日々を過ごせています。歳を取ったって誕生日は悪くないですね。その感謝の気持を両親にLINEで伝えました。53年生きてみて、本当に人生は面白い、歳を取るのも悪くないって思っています。


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