DiaryINDEX|過去の日記
今日の一般部の稽古は中山と廣田さんと3人で稽古をしました。基本稽古と型を行ったあと組手を2分で6ラウンド行いました。自分の思い描いた組手をする事が出来ました。相手の気を読んで相手が出す情報を感じ取り、自分の気を出したり消したりしなが、自分の動きで相手を撹乱し、自分の感覚と経験を信じ技を出す、そんな組手を目指して来ました。その答え合わせのつもりで組手をしました。組手が終わったあと自分が目指して来た方向は間違っていなかったと思いました。今年の始め頃に中山と組手をした時は自分の技が思うように入らず、じれて強引に技を出したのをカウンターを取られたり外されたり受けて返されてしまい、全く自分の組手が出来ませんでした。1年間、自分に厳しくしっかりと心と身体と技を作って来た事が報われた気がしました。でも自分に甘えた生活をしてしまえば私が今手にしているものはあっという間に私の手からこぼれ落ちて行きます。人生は死ぬまでが戦いです。この気持を忘れずに来年も稽古に励んで行きたいと思います。
私は普通よりストレスには強い人間だと思います。私が生きて来た世界はストレスだらけでした。自分の家、子供の頃、中学生高校生の頃、空手を始めてから、ずっと強いストレスの中で生きて来ました。もう一寸先は闇、お先真っ暗と言う毎日でした。そんな中で生きて来たので、ちょっとやそっとのストレスでは私はめげたりはしません。そんな強い人間になる事が出来ました。だから今までの自分の人生に感謝しています。イジメなんてたくさん受けたし、シゴキなんて言葉じゃ現せられないぐらいのシゴキにも耐えましたし、お金なんて常になかったし、住んでいた部屋にエアコンもトイレもプロもありませんでしたし、電気ガス水道なんてしょっちゅう止められていました。でもそんな不安やストレスを何のそのと生きて来ました。それが良いとは思いませんが、あまりにも守られた中で生きている人はストレスに弱いんだろうなと思います。
45歳の誕生日にジムに入会しウエイトトレーニングを再開したので、あと2ヶ月ほどでウエイトトレーニングを再開してから7年になります。45歳の自分にとても感謝しています。7年経ち自分の身体が変わったと思います。先ずは筋肉量が増えた事で体重が落としやすくなった事です。前のように炭水化物を抜いたり、有酸素運動をたくさんやらなくても体重が落ちるようになりました。そして前は90キロではくことが出来なかったスボンが95キロでも余裕を持って履けるようになりました。胸、背中、腕、肩、足などの筋肉量が増えた事で体重は前よりあったとしてもお腹の脂肪やお尻の脂肪が落ちているので、脂肪で太っていた90キロの時よりもウエストが細くなっているのだと思います。あとぎっくり腰にならなくなりました。そして何より筋肉がついたことで見た目が良くなったと自分では思っています。体調もとても良いです。あと3年後の55歳の時にどんな自分になっているか?とても楽しみです。
今年はほとんど日曜日も休まず個人レッスンの指導をし自分のトレーニングもして来ました。来年も日曜日も個人レッスンを入れて頑張ろうと思っています。私は月曜日から日曜日まで毎日トレーニングしているので、トレーニングの完全休は1ヶ月に1回ぐらいです。なので月曜日は何処をトレーニングすると言うスケジュールではありません。胸、肩、足、背中と言う順番をずっとくり返して行きます。例えば月曜日は胸、火曜日は肩、水曜日は足、木曜日は背中、金曜日は胸、土曜日は肩、日曜日は足、月曜日は背中、火曜日は胸、水曜日は肩、木曜日は足、金曜日は背中、土曜日は胸、日曜日は肩と言う感じで永遠にくり返して行きます。決めているのは火曜日と木曜日に腹筋と背筋と首筋をトレーニングします。そんな感じなのでトレーニングノートも3ヶ月ぐらいで1冊が終わってしまいます。今日は今まで使っていたトレーニングノートが終わりました。明日から新しいトレーニングノートを使います。元気なうちに筋肉の貯金をしておこうと思います。なのでダイエットをする時も筋肉を落とさないよう筋トレをしながらしっかりタンパク質などの栄養を摂ってゆっくりダイエットするように気を付けています。
2007年12月23日に妻と六本木ヒルズの屋上から夜景を見た事を昨日の日記に書きました。また妻とそこに行きたいと思い、六本木ヒルズのウェブサイトで屋上に登れるかを調べて見たら、もう屋上には入れなくなってしまっていました。とても残念です。いつか再開されたら行って見たいと思います。私が見た景色で思い出に残っている事を書きたいと思います。先ずは2007年に妻と見た六本木ヒルズの屋上からの景色、次は東京に来た次の日に東京タワーから見た景色、妻と父と母とで富士山の頂上から見た御来光の景色と8合目から夜に見た夜景と7合目で昼に見た雲に富士山の影が写っていた景色、夜に山小屋から出ると雲の下に花火大会をやっているのが見えました。天上人になった気分でした。次は妻と付き合う前に2人で見た霊山の紅葉の景色、次は妻と付き合った頃に見た猪苗代湖の景色、猪苗代湖がキラキラと光っていました。最後に私が高校を退学になり、友達も仕事を首になった時に土手に2人で寝転がって、これからの事を話し合った時に見た星空です。あの景色はたぶんあの時にしか見る事が出来なかった物だと思います。たぶん今、そこに行ってそれを見たとしても少し色褪せているような気がしています。
今日が終わり、あと12日で今年の活動も終わります。街でもクリスマスソングが流れています。私の好きなクリスマスソングはWHAMのラスト・クリスマス、マライヤ・キャリーのAll I Want For Christmas Is You、山下達郎のクリスマス・イブ、です。なかでもマライヤ・キャリーのAll I Want For Christmas Is Youを聴くとクリスマスに何かが起きそうでウキウキしてしまいます。クリスマスでの1番の思い出はクリスマス当日ではないのですが2007年の12月23日に妻と六本木のフライデーズで食事をし六本木ヒルズの屋上から東京の夜景を一緒に見た時に、妻に「この景色を一緒に見た事を一生忘れないでね」と言われた事が1番の思い出です。その次は2010年の12月24日のクリスマス・イブの朝に長男が生まれ、私は始発の新幹線で福島に向かいました。新幹線の中から見た朝日が長男の誕生を祝福してくれているように見えました。クリスマス・イブに長男を抱っこした事はやはり一生の思い出です。
私が運営する極真会館東京城南京浜支部の2024年冬季昇段昇級審査会および冬季極真ルール組手競技支部内交流支部が無事終了しました。2024年を締めくくる最後の昇段昇級審査会と支部内交流試合を無事故で無事終了した事、とても良い審査会と支部内交流試合を行う事が出来た事を神棚に礼をして帰って来ました。今日は6時に起きてご飯を食べ身支度をし7時に家を出て鷲神社に参拝し、今まで道場を無事に運営して来れた事にお礼を言って、今日の審査会と支部内交流試合を無事故で無事に終了出来る事と生徒達が自分の力を発揮出来るようにお願いしました。道場に7時30分に着いて神棚に二礼二拍手一礼をし手を合わせて、柔軟体操をしました。自分の心と身体を整えてから審査会に臨もうと思い柔軟体操をしました。スタッフをしてくれた中村、中山、廣田さん、深野さん、平澤、浜田さん、松村さんには本当に感謝しています。本当にありがとうございました。道場に協力してくれる皆さんのおかげで道場を運営する事が出来ている事を心から感謝しています。今日は一般部の組手を数年ぶりに行いました。深野さんは私が26歳の時に指導していた道場に入門し、私の先生が極真会館を脱退した時も、その道場を退会して私の道場に来てくれました。とても嬉しかったのを今でも覚えています。そしてこれない時期も10年以上あったのに道場を退会せずいてくれました。極真空手と私との繋がりを大切にしてくれたのだと思い本当に感謝しています。その感謝を伝えるために私も10人組手の相手をしました。私が生徒の10人組手の相手をするのはこれが最後です。深野さんと拳を交換しながらいろいろな思いがこみ上げて来ました。深野さんは57歳ですが本当に一生懸命に頑張って稽古して来ました。今日は本当に良い審査会と試合を行う事が出来ました。特に素晴らしいと思ったのは国際親善や極真祭で入賞する瞭と旭は途中で負けてとても悔しかったと思いますが、負けたあとも仲間を一生懸命に応援してあげていました。空手を通して正しい成長をしてくれたんだなと本当に頼もしく思いました。人の本性は負けた時に表れます。だからこそ瞭と旭は素晴らしいと思いました。これが伝統になって私がいつか居なくなった時も続いていて欲しいと心から思いました。
お酒を止めてから48日が経ちました。体重を計ったら体重がぐっと落ちて93.7キロになりました。今日は胸のトレーニングをしましたが、記録が上がっていたので、筋肉量はほぼ落ちていないと思います。と言う事はしっかりと脂肪が落ちていると言う事だと思います。48日で体重を6.3キロ落としました。筋肉を落とさないために稽古以外は有酸素運動をせずにウエイトトレーニングと食事制限でゆっくりゆっくりと体重を落としました。12月21日までダイエットを続けようと思っています。出来たらあと0.8キロ落として93キロを切りたいと思っています。
今日は13日の金曜日でした。帰り道にジェイソンが出るんじゃないか?とドキドキしていましたが、ジェイソンが出る事はありませんでしたし、悪い事も起こらないどころか、とても素晴らしい1日を過ごす事が出来ました。13日の金曜日が何故不吉な日と言われるのかを調べてみました。「キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことから、13は不吉な数とされた。ま た、キリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13日の金曜日が不吉であるとされるようになった」とありました。13日の金曜日と言う不吉な日を無事過ごせた事を感謝したいと思います。特にずっと稽古を休んでいた生徒が稽古に来た事我とても嬉しかったです。それと今日は背中のトレーニングの日だったのですが、記録が少し伸びたのでとても嬉しかったです。最後に妻が作ってくれたお弁当がとても美味しかったです。特に卵焼きが最高でした。と言う感じで私の今日は本当に素晴らしい1日でした。
あと1ヶ月と少しで私も52歳になります。歳を取ると自分の歳を忘れると言う言葉を聞いた事がありますが、私は自分が何歳かを忘れた事はないので、「自分の歳を忘れるなんて事あるのかい!」と思っていましたが、人から最近、歳を聞かれた時に「50歳です」と言ってしまいました。なんか自分が50歳なんだか?51歳なんだか?あやふやになってしまっていました。論語では「子の曰く、吾れ 十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順がう。 七十にして心の欲する所に従って、 矩を踰えず。」とありますが、私は孔子のような人間ではないので、かなり右葉曲折をしましたが、15歳で極真空手を始めました。29歳で道場を開設して独り立ちしました。40歳の時までに極真会館の分裂や先輩が脱退したりといろいろありましたが、自分の志が揺れる事はありませんでした。50歳の前には自分が何をするためにこの世にいるか?は悟っていましたので、孔子のような崇高な生き方では無いにしろ、私は孔子より先に先に進んでいると思います。六十にして耳順ごうは、六十歳に達すると、他の意見や考えを受け入れる余裕を持つようになりました。と言う事ですが、まだまだそこには行き着いていないかも?と思う事もあるので60歳までにはそうなっていたいものです。私は何歳まで生きるのか?は死ぬ時にならないと分かりません。60歳まで生きている保証はありません。だから毎日を大切に生き急いで生きたいと思っています。今まで生きて来た時間よりこれから生きる時間のほうが短い、その残された時間を大切に一生懸命に生きよう、そんな事を考えて、瞑想をしてから稽古に入っています。そう考え瞑想すると全てがありがたく感じます。稽古する事も、ご飯を食べる事も、妻といる時も、子供達といる時も、生徒達に指導している時も、全てがスペシャルな事になります。毎日がスペシャルになります。2024年の残りを一生懸命に生きて52歳なる日まで一気に駆け抜けて行きたいと思います。
私は最近、毎日楽しみな事があります。それは妻が作ってくれるお弁当です。とても美味しくて栄養のバランスもとても良いです。タンパク質も多く摂れるよう考えて作ってくれています。栄養バランスが良くて美味しい料理を作ってくれる妻には本当に感謝しています。妻の作ってくれたお弁当を食べる前には心を込めて「いただきます」と言うようにしています。毎日本当にありがとうございます!
今年も残すところ21日です。今年を少し振り返ってみたいと思います。2024年はいろんな事がありました。年の始めに左耳が聴こえなくなり病院に行ったら突発性難聴と言う事で3ヶ月薬を飲んで治療しましたが、大きな成果はありませんでした。耳鳴りと目眩が無くなったので左耳の聴こえが悪いのは今はあまり気にならなくなりました。今年は年始から小学生の頃にコンビを組んでいた友達の訃報があり、叔母が亡くなり、従兄弟が亡くなりと身近に不幸がありました。もうそんな事が増えて行く歳なのだと思います。人生の始めは得る物ばかりでしたが、40歳を過ぎたあたりからは失う物が増えて来ました。年を追う事に増えて行きます。それでも私は強く生きて生きたいと思っています。歳を取れば人との戦いが減って行きますが、そのぶん自分との戦いが増えて行きます。生きる事は戦いだと本当に感じさせられます。でも私は自分との戦いは得意です。私の道場のキャッチコピーは「己に克つ」この言葉は私の人生のテーマです。敵はいつも自分の中にいます。弱い自分、挫けそうになる自分、諦めそうになる自分、投げ出しそうになる自分、泣きたくなる自分、ズルしたくなる自分、悪い事をしたくなる自分、その全ての自分が私の敵です。自分の中の敵に勝てないようでは困難を乗り越える事も出来ません。そう思って辛い時も落ち込んだ時も忙しい時も頑張って来ました。そして私を支えてくれたのは妻の笑顔と長男と次男の元気な姿です。家族が居てくれるから私は強くいる事が出来ました。本当に感謝しています。今年もあと少しですが気を抜かないで頑張りたいと思います。年末に会う故郷の仲間達に「俺は頑張ったよ!」と報告出来るようにしたいです。
私は昨年、股関節を人工関節にする手術を受けました。その手術する前日の夜、病室で一人でボーッとしている時に、ふと明日はついに手術の日か?なんて考えていました。万が一と言う事も頭に浮かび自分の人生を少し振り返って見ました。人は切羽詰まった時には自分に嘘がつけず本当に純粋になるものです。その時に思った事は嘘も偽りもなく強がりや見栄でもなく、明日もし自分の人生が終わる事になろうと自分の今までの人生には1つも悔いは無いということでした。いやいや悔いぐらい1つや2つあるだろう?!嘘つくなよ!と言われそうですが、これは本当なんです。じゃあなんで今までの自分の人生に悔いがないと思ったかと言うと、それは自分の生き方や進む道を自分で決めて来たからと言う事と、自分が本当に好きな事や自分が本当にやりたい事を自分で決めて生きてきたからだと思います。もちろんたくさん失敗もしましたし、たくさん恥ずかしい事もありましたし、情けない事もありました。あの時にもう少し頑張っていればとか、あの時にああしていればと言う事だってあります。でもそれもこれも全部、誰にやらされた訳でもなく、自分が好きで自分で決めた事だから、それは誰のせいにも出来ないので、自分の生きて来た道には納得も満足もしていると言う事です。そして元々の自分の事を考えれば自分は良く頑張って生きて来たな!と思えました。何度も番狂わせを起こしましたし、何度も大金星を上げました。自分で言うのも何ですが、大出世したと言っても過言では無いと思っています。自分が大好きな人にも好きになってもらい結婚できたのだから、自分は奇跡を起こしたと思っています。そして可愛い子供も2人生まれてくれました。もう充分に生きた証は残せたな!と思ったのです。だから私は誰かにもし「人生で1番大切な事は何だと思いますか?」と聞かれたら、迷わず「自分の本当に好きな事をやる事、自分の行く道は自分で決めること」と答えます。私が行きたい道を行かせてくれた両親には本当に感謝しています。私がやりたい事を助けてくれた方々に本当に感謝しています。私の人生で出会ってくれた方々に本当に感謝しています。私がこの世から消える時にもそう言えるよう、また明日からしっかりと生きて行こうと思います。私に関わって頂いている方々、どうぞ明日からもよろしくお願い致します。
私は稽古中や普段に摂る水分はお茶でしたが、それを止めて水にしました。お茶とコーヒーは1日に1杯にしています。まだ始めて1週間なので身体に変化は感じていません。少しの間続けようと思います。
体重は95.0キロです。体重が落ちてもパワーは落ちていないので、ほぼ筋肉を落とさずに脂肪を落とせていると思います。51歳にして身体はどんどん若返っていると感じています。型をやっていても自分で言うのもですが、なかなか良い動きが出来ています。夜はしっかりとお風呂で身体を温めてしっかりと筋肉をほぐしました。あと2週間で最低でもあと1キロは落としたいと思います。
私達の世代では「BE-BOP-HIGHSCHOOL」が爆発的に流行っていました。それこそ不良でもツッパリでもない、真面目な人までBE-BOP-HIGHSCHOOLの影響で不良のカッコをしていました。不良のカッコがファッションになってしまった感じです。先ずはマンガで流行り次に映画が流行りました。映画で流行った辺りから、私が言ったような状況になりました。そして主演の仲間トオルを演じた中村トオル、加藤ヒロシを演じた清水宏次朗、泉京子を演じた中山美穂は大人気となりました。もうその頃の中学生はみんな中山美穂演じる泉京子が好きだったと思います。私ももちろん好きでした。始めは泉京子は小泉今日子がモチーフなんだから小泉今日子がやればもっと良かったのにと思っていましたが、映画を実際に観て、中山美穂が好きになりました。BE-BOP-HIGHSCHOOLの映画も中山美穂が出ていた1と2が最高だと思います。3から中山美穂が出なくなってしまい、どれほどガッカリしたか分かりません。「トオル君、ヒロシ君、ケンカしちゃだめよー!」そう言ってくれそうな女性が私は好きです。まちがいなく中山美穂演じる泉京子の影響だと思います。たぶん現在56〜47歳ぐらいの人はとてもガッカリしているのではないかと思います。BE-BOP-HIGHSCHOOLはDVDBOXを持っているので明日にでも観ようと思います。
妻とガストへ行き、長男の事を妻といろいろ話しました。私は空手の先生という職業柄もあり怖い父親だと思われていると思いますが、私は子供達に手をあげた事は一度もないと言っていいと思います。何があっても暴力は振るわない、それは長男が生まれた時に誓った事でした。私は父に暴力を振るわれましたし、子供の頃も暴力の中で生きて来ましたし、極真空手という暴力の頂点のような場所で生きてきたので、人より良くも悪くも暴力に慣れています。だからこそ子供達には暴力は絶対に使わないで教育して行きたいと思いました。それが正しかったのか?間違っていたのか?はまだ答えは出ていません。長男は身長も私と同じぐらいになり、口も達者になり、それなりの議論を私にぶつけても来るようになって来ました。それでも長男は私の圧倒的な体格と力と強さを空手の稽古で目にしているので、私を本気で怒らせたら自分は絶対に叶わないと知っているので、私の前では気を使っていると思います。そのぶん我慢もしているからストレスも大きいようです。長男とは血が繋がっている親子なので、生徒に接するように冷静にはなれない部分もあります。ここ最近、長男といろいろあって、自分の考えや長男の教育方針に少し疑問というか迷いを感じました。妻は私の考えをどう思っているのだろう?私と妻の考えや教育方針に大きな違いはないと思いつつも、2人の総意を持っていないと長男を導く事が出来ないと思い、2人で話す事にしました。妻は長男といろいろ話し、私と長男の妥協案と言うか折衷案を考えておいてくれました。長男の三者面談も今日だったので、長男の進路についても話し合いました。妻は冷静に長男を見ていて、その考えを私に話してくれました。今回の私と長男の事についても、長男の進路についても、妻の考えに何も言うことはなく、それに従おうと思います。長男は妻に反抗もするけど自分の考えも素直に話しているようなので安心しました。私には長男はもうあまり突っ込んだ話はしなくっていたので、私も長男とコミュニケーションが上手く取れず不安でしたが、どうやら妻には私の悪口や不満なんかも話すそうですし、学校であった事や自分の将来の事などもいろいろ話すようです。私がいろいろうるさく言っても仕方がないので、妻に任せたいと思います。妻もいろいろ大変なのに、良くやってくれていると尊敬します。つくづく母は強しだなと思いました。
私はアメリカンコミックやアメリカンコミックの映画も大好きです。「Vフォー・ヴェンデッタ」「ウォッチメン」「バットマン」「Xメン」「スパイダーマン」「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」「ワンダーウーマン」「SPWN」「スーパーマン」「アイアンマン」「ハルク」「マイティー・ソー」「キャプテンアメリカ」「ヴェノム」が特に好きです。バットマンは敵が好きです。ジョーカー、ペンギン、キャットウーマン、リドラー、トゥーフェイス、ポイズン・アイビー、ミスター・フリーズ、ベイン、ハーレイ・クインと個性のあるキャラクターが揃っています。Xメンも個性のあるキャラクターがたくさん出てくるので好きです。マグニートー、サイクロップス、ウルヴァリン、プロフェッサーX、ストーム、ミスティーク、ビーストが好きです。内容的にはダントツでVフォー・ヴェンデッタとウォッチメンが好きです。
「インターステラー」がIMAXで再上映されたので観に行きました。この作品は2014年に上映された作品です。その時も2回観に行きましたし、家にもDVDがあるので何度も何度も観た作品ですが、やはり映画は映画館で観るべきだと心底思いました。そして本当に良い作品は時が経っても色褪せることなく何度観ても感動するものだと思いました。本当にお勧めしたい作品ですが、IMAXなので映画料金が少し高いです。でも高いお金を払ってでも観た価値がある作品だと思います。子供達にも観せて上げたいのですが吹替がありません。
第56回全日本空手道選手権大会を観戦に来た道場生の写真を撮影するために、東京体育館の2階に久しぶりに行きました。「あ〜最初はお客さんとしてチケットを買ってこのあたりからこうして試合を観ていたな」と懐かしい気持になりました。第5回世界大会、第24回全日本大会はお客さんとして試合を観戦していました。第25回全日本大会は黒澤先生のセコンドをしていました。第26回全日本、第6回世界大会は先輩方の応援でセコンドに付かせて頂きました。第28回〜38回全日本大会までは選手として試合場に上がっていました。第40回全日本大会からは審判として試合場にいる事になりました。第48回全日本大会からは主審として試合場に立ち事になりました。そして今回は第56回全日本大会です。お客さん、応援、セコンド、選手、審判とその時々で立場は変わっていますが、この大会に33年関わらせて頂いています。自分の人生の6割以上はこの大会に関わって来た事になります。国際空手道連盟極真会館から分裂して行ってしまった方々や途中で空手を辞めてしまった人や極真会館から去って行ってしまった方々はこの気持にはなれないと思います。改めて国際空手道連盟極真会館と言う団体で頑張って来て良かったと心から思います。
第56回全日本空手道選手権大会最終日でした。昨年は極真会館創立60周年記念大会の第13回全日本空手道選手権大会でした。その大会の演武は全世界支部長全員での大山倍達総裁奉納演武でした。その演武をしている時に股関節の手術が無事に終わり、五体満足で演武出来出来る事を感謝していました。あれから1年が経つなんて本当に本当に時間が過ぎるのはあっという間です。私達の世代は極真空手ブームで支部長になった人も多いのですが、私達の世代ももう50歳オーバーです。昨日も主審を務めましたが、ベテランになって来た物の新しい技術や新しいルールに付いていくのがなかなか大変になって来た感じもしています。あと10年もしたら若い世代の支部長にバトンタッチになると思います。若い世代の支部長の審判技術や演武やルール説明などなどを見て素晴らしい物を感じました。あと10年もしたら私達の出る幕はなくなると感じました。それまであと一息頑張ろうと思います。今日は10名の道場生が第56回全日本空手道選手権大会の観戦に来ていました。その中から将来のチャンピオンが生まれて欲しい思っています。私の宝物は一生懸命に稽古している道場生です。身体が動くうちに道場生達にいろいろな事を伝えておかなければと思います。
kanno
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