DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
朝の6時前に長男を起こしに友達が家に来て、土手に走りに行ったり、土手のゴミ拾いをしに行ったりしています。どうやらお友達はみんなもう少し早い時間に何処かで待ち合わせて、長男をみんなで迎えに来ているようです。勉強が出来る人と友達から好かれる人のどっちになって欲しいか?と言ったら、それは当然、友達に好かれる人になって欲しいと思っているので、親の期待通りに育ってくれているのかな?と思います。
私は木造建築の三畳一間の風呂なしトイレ共同のアパートに住んでいた時代もあり、32歳〜34歳までの2年間は道場に寝泊まりしていました。その時は辛かったし、情けなかったし、自分の不甲斐なさに腹が立った事もあったし、こんなはずじゃなかったと自分の上手く行かない状況から人を妬んだりした事もありました。でも今となっては武勇伝だなと思います。これから来る若い人達にそこまでしてもお前は夢や目標を追いかける覚悟はあるか?俺はやったぜ!と自慢したいぐらいです。まあ過ぎ去れば全て良い思い出になります。たまに妻と自分の思い出し話を話していて、話していたのと違う記憶がよみがえり、自分が都合の良いように記憶を改ざんしていた事に気付いたりする事もあります。過ぎてしまえば全て良い様に思い出すのだと思います。
自分が覚えていた。61個目の型の動きや運足は完璧に頭に入りました。これから細かい身体の使い方や細かい運足や細かい技の使い方を稽古して行き、自分の動きの中から相手を想定できるぐらいまで稽古して行きたいと思います。
幸運にもすごく才能があれば、その世界でご飯を食べて行く事は難しくはないのかもしれません。でもそんなに才能がない人が、その世界で飯が食えるようになるためには、美味しい汁だけをすすろうとする人ではなく、泥水をすすってでも頑張ってその世界で生きて行く事を続けて行ける人だと思っています。
私は本当に幸せな仕事をしていると思います。普段の稽古で生徒達が頑張っている姿を見る事が出来て、審査や試合で生徒達が3ヶ月の頑張りを形にする瞬間を1番近くで見る事ができます。言ってみれば自分を変える瞬間や努力が実る瞬間や最高の感動の瞬間をライブで1番近くで見る事が出来る事にとても幸せを感じます。生徒達がもっともっと大きな感動を作れるように頑張りたいと思います。そしてその感動で私も感動させて頂こうと思います。だからこの仕事は最高だし、頑張る事が出来ます。
子供達と一緒にお風呂に入って、家族全員で夜ごはんが食べることが出来る、この週末が1番の幸せです。10代や20代の頃は週末と言えば友達と遊んだり飲みに行ったりするのが楽しみだったのに34歳で妻と一緒に暮らすようになってからは、家族でいる時間が大切になりました。人間というものは変われば変わるものだなと思います。
私は今まで60個の型を覚えてきました。ついに61個目の型の修得に励んでいます。生きているうちに何個型を修得出来るか楽しみです。
私が今こうして空手でご飯を食べることが出来ているのは、1番単純に言えば、それは諦めなかったからです。人が諦めてこの道から去って行っても、私は諦めずに続けてきたからです。別にそれを仕事にしなくても良いから、自分がどんな状況になろうと続けて行けるものを1つ見つけたら、人生楽しくなるのでは?と思います。
誰もいない道場で1人でストレッチをしたり型をやったりしている時間が私は好きです。いろんな事を考えたり、いろんな事を感じたり、いろんな事を思いながら、1人で稽古している時間が私はとても好きです。
新型コロナウィルスの第1回目のワクチンを産業プラザで 摂取しました。幸い副反応もなく熱も出ませんでした。ただ体調を崩したら嫌なので夜の9時には寝てゆっくりと休みました。
湊かなえさんの「Nのために」を読み終えました。誰かが誰かを想い、誰かが誰かのために、だったんだと読み終えて分かり、また読み返しています。
長男と次男のリクエストで西武園ゆうえんちに行きました。なかなか遠いところにあるので電車で2時間近くかかりました。朝ごはんを食べずに家を出て、西武園ゆうえんちに着いたら凄く混んでいて、なかなか遊園地の中に入れなかった事でお昼ご飯を食べるのも30分ぐらい並んだ事で、私も妻もかなり疲れていました。みんなとてもお腹が減っていたので爆食いしてしまいました。私はカレーうどんた焼きそばパンとチューリップ唐揚げ、妻は炒麺、長男はラーメンと揚げパンとチューリップ唐揚げ、次男はラーメンと揚げパンとチューリップ唐揚げとポテトフライ、みんなお腹いっぱいになったら余裕が出て楽しく遊びました。1番面白かったのはゴジラザライドでした。思った以上に凄かったです。長男も次男もとても喜んでいました。大観覧車から多摩湖や西武ドームが見え、遠くにはスカイツリーまで見る事が出来てとても良い景色でした。私は高所恐怖症なので下が見える高さのところが凄く苦手です。長男も次男もそれが面白いらしくワザと揺らしたり、「ここで止まったら怖いかもよー」とか「落ちたら死ぬかもよー」なんて言って私を怖がらせて来ました。タコの乗物は長男と次男と1回ずつ乗り、バイキングと回転空中ブランコは長男と一緒に乗りました。次男とは電車の乗り物に一緒に乗り、次男が運転をしました。メリーゴーランドは家族全員で乗りました。長男と2人で乗り物を待っている間にしりとりやじゃんけんや指スマをして遊びました。長男も次男もとても楽しかったようでまた来たいと言っていました。
長男も次男も握力や腕の力が凄く弱いので、鉄棒のある公園に連れて行き斜め懸垂をやらせたり鉄棒にぶら下がらせたりしています。何故こんなに力が無いのだろうというぐらい力がないので、時間のあるときには公園に一緒に行って鉄棒をやらせたいと思います。
次男が本を作っていました。タヌキのお話でした。本の表紙に書いてあるタヌキの絵が次男に似ていたので「このタヌキはマシロみたいだね!」と言いました。次男は小学2年生です。私は2年生〜4年生は学校一の馬鹿として有名でした。次男は少なくとも私よりは頭が良いように思います。友達もたくさんいるみたいなので、友達とたくさん遊んで、空手に水泳に算盤に頑張って欲しいと思います。
長男がクラスの代表委員になったと聞き、私が長男に「代表委員になったんだって?!凄いね!立候補?推薦?」と聞くと、長男は「他に立候補してた人がいたんだけど、やっぱりやりたくないと言ったから、俺がやるって言ったんだ」と言いました。私が「何でやろうと思ったの?ちゃんと出来るの?大丈夫?代表委員が宿題やっていかなかったらダメなんじゃない?」と言うと、長男は「1番バカな俺が代表委員になったら学校の歴史が変わると思って、やろうと思ったんだ。」と言いました。私が「コハクが代表委員に決まった時、みんな何て言ってた?」と聞くと、長男は「みんな驚いてたよ。でもみんな喜んでたよ。」と言いました。私も小中高校と目立ちたがり屋で常に目立つ事をやっていました。やっぱり私の子だと思いました。長男は、いつも私を驚かせてくれます。なかなか面白い奴だと思います。
マルティン・ルターの言葉に「たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える」という言葉があります。古代ローマの詩人ホラティウスの詩にある言葉で「カルペ・ディエム(一日の花を詰め)」と言う言葉があります。「今日という日の花を詰め」今この瞬間を楽しめと言う意味です。この二つの言葉が私は好きです。そしてその言葉は、自分が自分の人生を生きるテーマだと言えます。たとえ明日、世界が滅びても今日、僕は明日のために何をするだろう?そして今この瞬間を楽しむために僕は何をするだろう?私の頭の中に浮かぶものは、極真空手と妻と長男と次男の事でした。
久しぶりに中学生からの友達と電話で話をしました。子供の頃からの友達なので、気心が知れているので気を許して話をする事が出来ます。福島と東京で離れて暮らしてはいますが、何かがあった時はすぐに駆けつけてくれる友達です。その友達とは何度も喧嘩もしたし、お互い助け合ったし、夢を語りあったりもしました。だからどちかが死ぬまで友達でいると思います。コロナになってから福島の友達とは会えていないので、コロナが終わったら、またみんなでお酒を飲んで楽しい時間を過ごしたいなと思います。その日を楽しみに頑張ろうと思います。
長男は「ギターで飯を食って行きたい!」と言っています。どんな形になるにしても、今から頑張って行けば、その夢は叶うと思います。ただその夢でお金持になりたいとか、その夢で有名になりたいとか言うのであれば、おそらくそれは何処かで挫折してしまうと思います。貧乏でも良いから、どんなに辛い思いをしてもいいからギターで飯を食って行きたいと思っているのであれば、その夢は絶対に叶うと思います。だから私は長男の夢は叶うと思っています。大切なのは命をかけてでも、何を犠牲にしてでも、その夢を叶えたいかどうかだと思います。
長男と次男が銭湯でふざけてシャワーでお湯をかけあっていました。私は少し離れた所で身体を洗っていて、一度注意しに行き、一度は止めたのですが、少しして私が髪を洗い始めるとまた始まりました。その瞬間、隣のおじさんが、大人でもビビってしまうような、なかなか迫力のある声で「バカヤロー!」と怒りました。長男と次男を見るとかなりビビった顔をしていました。そしてそれ以降はピタッと静かにしていました。私が叱ってもなかなか止めない長男と次男が知らないおじさんに怒られると一瞬にして静かになっていました。息子達を叱って頂いたおじさんには本当に感謝していますし、そのおじさんが大きな声で怒らなくてはならない状況を作ってしまった事をとても申し訳なく思います。本当なら親の私がいち早く叱って止めさせなくてはならなかったと反省しています。でもやはり子供と言う物は他人に怒られると本当に効果があります。親にはどうしても甘えがあるので、大きくなってくるとなかなか言う事を聞かなくなってきます。それが外だったりして、他人の目があるとさらに親をなめて来たりします。もちろんその場で大きな声を出したり、叩いたりしてしまえば言う事を聞かせられるのですが、それをやると必ず周りの人がざわついて、時には警備員や警察を呼ばれてしまいます。そんな世の中で他人の子を叱ってくれた、そのおじさんを勇気とケジメのある人だなと尊敬します。私達が小さい頃は悪い事をしている子供を叱ってくれるおじさんはけっこういました。今はなかなか見かけなくなってしまいました。自分の子を叱っても、うるさく言われる世の中ですし、自分の子が悪い事をして叱られたのを不快に思う人がいるのですから、仕方ないのかもしれませんが、本当におかしな世の中になったと思います。でも考えてみると人を叱る事は勇気がいる事だと思います。長男と次男を叱ったおじさんはたぶん喧嘩をした事がある人だと思います。そういう気迫と迫力と本気があるから長男と次男もそれを肌で感じて一発で静かになったんだと思います。凄い人がいるものです。それを見てまだまだ世の中捨てたものではないなと思いました。
何か好きな事を見つけて、それに打ち込む事が出来て、それを人に教える事を仕事に出来ると言う事は、とても楽しい事です。私の仕事は空手の先生と言う事になると思いますが、いい意味で私は空手の先生と言う物を仕事と思った事はありません。もちろん空手の先生になれなかったとしても空手を続けていると思います。自分が好きで好きでたまらなかった物を今でも続けていると言う感じです。趣味を突き詰めて、趣味の向う側に行ったと言う感じです。だから稽古に行くのが楽しみですし、指導をするのもとても楽しいです。極真空手のおかげでとても楽しい毎日を過ごせています。
毎日の稽古の中で、自分の駄目な所に気付いたり、自分の弱い所を再確認したり、自分の弱さに直面したりします。それと同時に毎日の稽古の中で、自分の変化や進化や成長を見る事が出来ます。何歳になっても出来ない事が出来るようになる達成感を味わう事が出来ます。目標を持って打ち込めば目標を達成する喜びを感じる事が出来ます。私はまだまだ夢も目標もたくさんあります。私の青春はまだまだ終わっていません。これからの自分に何が出来るだろう?とその可能性を考えるだけでワクワクしてしまうぐらいです。たぶん私の青春は一生終わらないと思います。
何かを会得しようと言う時に「慣れ」と言う事はとても大切な事です。会得する為には何千回も何万回も慣れるまで稽古をしなければいけません。何かを習い始めた時は知らない事や出来ない事を習い稽古をするので、同じ動きを反復しながら自分の姿を見たり、考えたり工夫したりしながら稽古をするのですが、ある程度それが出来た時に、慣れてきた時に、その慣れが自分の成長を妨げてしまいます。出来る事でも自分の姿を見たり、考えたり工夫したりして、出来ない所や悪い所を探しながら稽古して行けば、必ず成長して行きます。ですがけっこうこの慣れに陥ってしまう人が多いのではと思います。私もそうならないよう常に心がけて稽古するようにしています。
今は本部朝基先生の書かれた本を読んで空手道の研究をしています。本部朝基先生の本は何冊か読んでいるのですが、今読んでいる本からもたくさんの事が学べています。1番感銘を受けた言葉は、突く手が八の力で突くとしたら、引く手は十の力で引きなさい。と言う言葉でした。
これは1973年生まれ、48歳の私の小中高生時代の話なので、今とは全然違いますし、今ならどんでもない問題になってしまうだろうと言う話ですが、私たちの時代は男なら1度ぐらい喧嘩をした事があるのが当たり前でした。私達の時代は1対1で決着が着くまで喧嘩をする事をタイマンと言うのですが、それをした事がないと「お前、タイマン張った事もねーの?」と馬鹿にされたものでした。多分、私達の時代に生まれた男なら、それをした事がない人は、それをコンプレックスにしている人も多いのではないか?と思います。実際それが極真空手を始めた理由だと言う生徒はたくさんいました。そして極真空手を始めて試合を経験した生徒はそのコンプレックスを解消する事が出来たと思います。何故なら極真空手の試合は怖いし痛いし苦しいからです。そこから逃げ出したい自分の弱い心に立ち向かって試合場に上がる事は過酷な事です。要は男として1番怖い事を避けて生きてきた、1番怖い事から逃げて生きてきたと言う事がコンプレックスになるのだと思います。どんな怖い事でも痛い事でも苦しい事でも、ゴチャゴチャ考えないで勇気を出して飛び込んでしまえば良いのです。あとは野となれ山となれです。何も考えずに飛び込んでしまえばあとは必死にもがくだけです。結果なんてあとからついて来るだけの物です。後先考えず勇気を出して飛び込む事が出来るかどうかです。
自分と言う人間はインプットとアウトプットを繰り返し、そこの中で起こる体験や経験から自分の中に何かが積み重ねられ作られ行くのものだと思います。自分が自分の中に何を積み重ねる事が出来るかで、その人の運命も人生も変わって行くと思います。だから、どんなに仕事が忙しかろうと新しい物や新しい事を学んだりするインプット時間を大切にし、常にそれを怠らないようにしたいと思います。
長男と次男が6時30分になっても家に帰って来ないので、タイヤ公園に私が迎えに行くと、まだ2人で遊んでいました。15分ほど2人が何をして遊んでいるのか?を少し離れた所に隠れて見ていると、次男が長男に「もう暗くなっし、ご飯の時間だから帰ろうよ」と言いました。長男は次男に待ってろと言い、大山滑り台の所にある柵に座って、大山滑り台で遊んでいる子をジッと見ていました。その間、私は少し次男に接近し幽霊が出てくる時の音を口笛で「ひゅ〜」と吹きました。何度か繰り返しましたが、次男はあまり反応はしませんでした。そのうち長男も「そろそろ帰ろうか」と言って歩いてきたので、私が後ろから「ウワッー!」と叫んで長男を脅かすと、長男は持っているしゃべるを振り回して踊るように飛び回って驚いていました。その驚きように私は笑ってしまいました。次男は「幽霊が出てくる時の音を口笛で吹いてたのパパでしょう」と聞いてきたので「そうだよ」と答えると、次男は「やっぱりおかしいなーと思ったんだよなー!」と言っていました。帰り道、長男と次男に何をして遊んでいたのかを聞いたら、次男の持っていたしゃべるを取って意地悪をした子がいたので、長男が「俺の弟のしゃべるだから返せ」と言いに行き、言い合いになり、ブランコで勝負をしたそうです。その後もその子達と何度か小競り合いをしていたそうです。話を聞いていると本気で喧嘩をしたのではなく、それも遊びのうちでお互いに楽しんでやっていたような感じでした。男の子だからそんな小競り合いも遊びのうちです。そうやって何度か顔を合わしているうちに友達になる事もあるのだろうと思います。何はともあれ、そんな遅くまで一緒に遊んでくれた、その子達には感謝しています。
久しぶりに次男を自転車の後ろに乗せて家に帰りました。次男は小学2年生ですが、体重ら小学5年生の長男と同じ41キロあるので、なかなか重いです。長男が小学2年生の時は全然普通に乗せる事が出来ましたし、長男だったら今でも自転者の後ろに乗せる事が出来ます。次男はこのまま行くと来年ぐらいには自転車の後ろに乗せてあげる事は出来なくなりそうです。そうなるともう自転車の後部座席はいらなくなります。それはそれで寂しいです。あと1年たくさん次男を自転車の後ろに乗せて走ろうかなと思います。
久しぶりに村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいます。ほぼほぼストーリーを忘れているので、読んでいてとても新鮮です。もしかしたら「ねじまき鳥クロニクル」を読んだ事をこの日記にも書いているかもしれません。少し探してみようか?と思います。
少し前に長男と次男とエヴァンゲリオンを観に行ったのですが、私はほとんど理解できませんでした。でも長男はけっこう理解していて、映画が終わってから、あれはああだった、これはこうだったと教えてもらいました。自分の理解力が小学5年生の理解力に負ける事に少し驚きましたが、まあ自分が理解力が人より劣る事は子供の頃から分かってはいたことなので、いたしかたなしです。理解力がないから何度も何度も見る事が出来るのだと思うし、そこから深い理解を得る事もあるので、それはそれで良しとしたいと思います。
今日から9月ですなんて日記は今日は書きません。何故なら今日は絶対に書いておきたい事があるからです。それを書きたいと思います。パラリンピックを見ていて、本当に凄いなと感動した事がありました。それは障害者だから凄いとか、障害を乗り越えて頑張っているから感動したとか、そういう事ではありません。同じ人間として尊敬していますし、同じ人間として、人間の持っている可能性の素晴らしさや、人間の持っている生命力の逞しさを見せて頂き、凄いと思わされ、感動させられ、尊敬させられた感じでした。特に「最年少記録は一度しか出せないけど、最年長記録は何度でも出せますよね」という言葉に感動しました。その記録は、別に世界記録でなくても良いし、日本記録でなくても良いと思うのです。自分が何歳になっても自分を高めようと言う意志があれば、自分の可能性を伸ばして行けると思いますし、自分の心と身体を高めて行く事が出来るのでは?と思うのです。誰かと比べなくても良いと思うのです。しっかりと目的を意志を持って一つの事を諦めずに続けて行けば良いのではないかと思うのです。私も自分の身体がどうなろうと、しっかりと目的と意志を持って、空手道の道を突き進みたいと強く思いました。
kanno
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