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2021年01月31日(日) ゼルダの伝説のエンディング

朝起きたら、長男が早起きして「ゼルダの伝説」をやっていて、エンディングまでクリアーしたそうです。9月に買ってからだから、なかなか頑張ったなと思います。長男も次男も「ゼルダの伝説」のエンディングを見だと言って大興奮していました。長男はお友達と遊びに行ったので、私も次男は次男の誕生日プレゼントを川崎のラゾーナに買いに行きました。次男は任天堂スイッチの「ゼルダ無双」を買いました。夕食のあと家族に48歳の誕生日を祝ってもらいケーキを食べました。ケーキは妻が働いているお店のマスカットのケーキでした。誕生日プレゼントは広島名物のせんじ肉でした。


2021年01月30日(土) 好きな空手家 沖縄編

好きな空手家は誰ですか?そう生徒に聞かれた事があります。これはたくさんいて書ききれないのですが、今日は沖縄の空手家で好きな空手家を書きたいと思います。1位松村宗棍、2位本部朝基、3位松茂良興作、4位喜屋武朝徳、5位糸洲安恒となります。


2021年01月29日(金) また好きな作品を見つける

「呪術廻戦」にはまっています。最初はアニメで15話まで見て、その後コミックで0巻を読み、また6巻から読んで行きました。この作品もキャラクターにとても強い個性があり、とても好きになりました。ちなみに私の好きなキャラクターは1位狗巻棘、呪言師で言葉に呪いがこもるので、不用意に人を呪わないために、呪いのこもらない、おにぎりの具で話をします。ちなみに狗巻のセリフの「しゃけ」が肯定で「おかか」が否定でそれ以外は不明との事です。また強い呪いの言葉を使えば使うほど自分にもダメージが帰って来てしまうという能力に制約がある所も良いです。2位乙骨憂太、3位五条悟、4位禪院真希、5位東堂葵で、主人公の虎杖悠仁は6位です。主人公も好きなのですが、主人公が6位になってしまうぐらい他の主要キャラクターの個性が強いのです。この作品もとてもお勧めです。


2021年01月28日(木) 人生を青春に

私は15歳の時に、自分の生き甲斐となる物を見つけて、それを始め今まで続けて来ました。そのおかげで私は空手を始めてから32年間、毎日が充実していますし、毎日が幸せですし、毎日が青春です。そんな私が思うのですが、私は誰にでも何歳になったって生き甲斐を見つける事は出来ると思っています。生き甲斐を見つければ毎日が楽しくなり、自分の人生は輝いて行くと思います。人生はたった1回ですから楽しまなければ勿体無いです。これはある時に私が思った事なのですが、私は生まれる前は永遠に近い時間を死んでいました。そして偶然か運命か分かりませんが、幸運にもこの世に人間として生まれて来る事が出来ました。そして死んだら今度こそは本当に永遠に死んでいなければいけません。だから一生懸命に生きて、この命と身体を燃やし尽くしたい、そう思ったのです。それを思ったのは私の母方の先祖のお墓の前でした。何でそんな事を思ったのか?は私にも分かりません。でもあの時から私は自分の好きな事で生きようと思い、自分の人生を一生懸命に生きるようになりました。これから何年、何十年生きるのかは分かりませんが、これからの人生も青春して行きたいと思います。


2021年01月27日(水) 環境

私は家でDVDで映画を見る事はありますが、あまり集中出来ません。初めて見る映画は映画館で見る事にしています。なので家で見る映画は一度見た事がある映画をダラーっとリラックして見るという感じです。なぜ家では集中して映画を見る事が出来ないかと言うと自分の周りにいろんな物があるからです。携帯を見てしまったり、時計を気にしてしまったり、何かを食べたくなってしまったり、トイレに行ったりしてします。映画館でなら我慢する事も家では気軽に出来てしまう事で集中出来なくなってしまうのだと思います。これは稽古も筋トレも音楽を聴くのも読書なんかもそうだと思います。なので私は、稽古は道場、筋トレはジム、読書は電車やお風呂という具合にそこでしかできない事をそこでやるようにしています。図書館やスターバックスに勉強や読書をしに行く人も同じ理由なのではと思います。環境と言うのはとても大切です。人間は自分が物や環境を上手く利用していると思いきや意外に自分が物や環境に支配されている場合が多々あります。なので本当にやりたい事があるのならば、必要な物を自分の周りに置き不必要な物は出来るだけ自分の周りから排除した方が良いと思います。私は26歳から34歳まで空手の稽古に集中するためにお酒を止め、携帯電話も持っていませんでした。現役最後の1年間は自分の生活の全てを稽古にかけるため道場に住み込みで稽古に励みました。自分の思い描いた目標を達成する事は出来ませんでしたが、その何年間は私の誇りですし、今でも私の宝物として心の支えになっています。


2021年01月26日(火) 幸せ

長男がギターを習い始めました。土曜日に空手の稽古を3回稽古した後にギターを習いに行くのだからよほど好きなのだと思います。初めて練習した曲はマリーゴールドだったそうです。この前の練習で合格し次の曲はレモンを練習するそうです。ギターの先生に「頑張ったね!とても上手になったよ!」と褒められたそうです。長男もとても喜んでいました。勉強や空手では見せない長男の姿でした。頑張って好きな事をやって欲しいと思います。この世の中で1番の幸せは、自分の好きな事や自分が本気でやりたい事や生き甲斐を見つけて、それを一生懸命にやって行く事だと私は思っています。それを生業に出来るか?は分かりません。好きな事を生業に出来たらそれは素晴らしい事だと思います。でもそれを生業にしてお金持ちになりたいとか思ったら、それは諦めた方が良いかもしれません。好きな事を生業にして他で我慢して仕事をしている人よりお金を儲ける事はなかなか出来ません。お金持ちになれなくても好きな事をやって生きて行きたいと思う気概があるのならば、やって見たら良いと思います。これは私個人の意見ですが、アルバイトをしながらでも好きな事は生業に出来ます。今の日本なら何をしようと贅沢さえしなければ人間一人ご飯を食べていく事は出来ます。でもやはり裕福に暮らしたいと思うなら、好きな事を生業にするのは一旦諦めて、あくまでそれを趣味と割り切って、他の事でお金持ちになる方が良いです。おそらく40歳後半ぐらには経済的にも安定し、仕事の時間も自分で調節する事が出来ると思うので、その時にはまた趣味に没頭する時間を作れるのではないか?と思います。私は好きな事を生業として生きる事に決めて、今まで生きて来ました。そのせいでいつもギリギリの生活をしていました。23歳から内弟子となり給料は25歳まで5万円、27歳まで7万円、29歳まで18万円、29歳で自分で道場を出し始めの2年は家賃を払うので手一杯で午前中はバイトをしていました。やっと安心して暮らせるようになったのは34歳ぐらいからです。でも正直お金の心配は今でもあります。好きな事をやって生きているこんな僕と結婚してくれた妻には本当に感謝しています。子供達には申し訳ない気持ちもあります。でも私は好きな事で生きて行けて本当に幸せです。空手を始めてから32年間ずっと幸せです。お金がなくてもずっと幸せです。


2021年01月25日(月) 極真空手をやっていなければ

おかまで右膝の状態も日に日に良くなっています。道場生の皆さん、ご父兄の皆様には、あたたかい声をかけて頂いたり、お守りやお手紙や体に良い物や私の好きな物などたくさん頂きました。本当に本当に感謝しています。また極真会館に、そして極真会館を創立された大山倍達総裁に、松井章奎館長に、私を導いて下さった師範、先生、先輩に本当に感謝しております。私は人生の前半は、この社会の中で落ちこぼれでした。小さい頃は体が弱く虐められ、身体が強くなったら一を虐めるようになり、小学校では学校の馬鹿の代表で、中学に入ると何度も母が学校に呼び出されるような事をし、高校に入学し1カ月にも満たない時に退学になり、それまで人生で唯一真摯に頑張っていた水泳もやめる事になり、私の人生はある意味あの時にリセットされました。自分が生きている意味なんて一つも見つける事が出来なくなってしまいました。その後、仕事をしても何度も首にもなりました。私が学校を退学になった時に校長先生に言われた言葉が印象に残っています。「君は海の魚だから川では生きられないんだよ。学校は川という狭い世界だからね。君はそのその狭い世界の枠では生きられない人間なんだね。海という大きな広い世界で生きた方が良いよ。」たぶんおそらくこれは私の事を本当に思って言った言葉ではないと私は思います。学校の規律を守れない、学校では手に余る、学校には居られない間違いを起こした私を社会にほっぽり出す言葉だったと思います。でも今では感謝しています。そのおかげで極真空手と出会えました。そして学校や仕事では落ちこぼれだった私が何故か道場では、師範や先生や先輩に目をかけて頂き可愛がられ重宝される人間になりました。自分のやりたい事を見つければ人生は変わるし、自分の生きる世界で自分の価値だって変えられるのではないかと私は思います。極真空手をやっていなければ、私がこんなに人生が楽しくなる事はなかったと思います。


2021年01月24日(日) 休日

次男と2人で床屋に行き髪を切りました。次男も私と同じツーブロックにしたいと言い、私と同じツーブロックにしました。帰りにインド料理屋でカレーとナンを買って帰り、みんなで昼食にカレーとナンを食べました。そのあとはテレビを見たりとダラダラと1日を過ごしました。


2021年01月23日(土) 読書

中村文則作品の「最後の命」を読みました。中村文則の作品はどれを読んでも良いのですが、この作品もとても好きになりました。人間というものについて、人間の命について、生きるという事について、罪と罰について、などいろいろと考えさせられる作品でした。私は好きな作品は何度も読むのですが、その読んだ時々で感じ方が変わるので面白いものです。この作品もいつかまた読みたいと思います。読書の良い所は、読むスピードと言うか、進む時間を自分で決める事が出来るところだと思います。映画だと2時間30分なら、2時間30分のスピードで映画が進んで行くので、物語の進むスピードを自分で決める事が出来ません。そしてその一場面にいろんな情報が入っていて、主人公の顔の表情などでいろんな事を理解しなければいけなかったりもします。そしてもう一つ読書の良い所は自分で情景などを想像してストーリーを進める事が出来る所です。読書は好きな時に好きな場所でゆっくりと自分のスピードで読無事ができ、休みたい時には休む事が出来ます。理解出来なければ少し前に戻って読み返す事だって出来ます。自分のスピードで理解していく事が出来るので読書は本当にお勧めです。


2021年01月22日(金) 肉体改造上手くいかず

1月4日からお酒を止めて肉体改造をしています。手術をした事でなかなか身体が動かせないので、体重も上手く落ちていきません。昨日からやっと入浴ができるようになり、入浴後に体重を計ったら94キロでした。目標は80キロなので、まだまだ道程は遠いですが、頑張りたいと思います。4月1日には80キロになっていたいと思います。


2021年01月21日(木) 環境

私の人生が劇的に変わったのは、20歳で東京に来た時でした。もちろん17歳で極真空手を始めた時も、それまでの自分とは大きく変わった時だったのですが、どうしても地元にいると夜は友達と遊んでしまったりお酒を飲みに行ってしまったりという事がたくさんありました。そのために稽古をサボってしまう事もたくさんありました。でも東京に来てからは「自分は空手をしに東京へ来たんだ」という思いから、空手の稽古なりトレーニングをしなかった日は意味の無い1日と思い頑張れるようになりました。また道場にも自分と同じように空手をするために上京して来た仲間がたくさんいたので、その仲間と一緒に頑張れた事も良かったと思います。そう考えると環境と言うものは大事だなと思います。


2021年01月20日(水) 私は空手家

私が今まで得た知識と言うものは、空手家として成長するために得たもので、別に物知りになりたくてでも、ましてやその知識をひけらかして自分を賢く見せるためでもありません。では何故、もともと勉強が嫌いな私がたくさん本を読んだりして知識を身に付けたのか?私の生きるベクトルの方向は空手家として成長する事に向いています。若い頃は私のそばにいつも先生がいて私を指導して導いてくれました。私はその指導を信じて付いて行くだけでした。ですが29歳で先生の元を離れて1人になってからは自分で考えて稽古をするようになりました。その中で無駄な事もしましたし、間違った方法で稽古していた事もありました。その時に学んだ1番の事は努力も仕方によっては無駄になってしまうという事でした。それは言ってみれば、東京から大阪に行きたいのに北に向かって一生懸命に走っているという事です。また大阪に向かったとしても飛行機や新幹線があるのにひたすらに走っている、または時刻表を調べずに家を出たため時間を大幅にロスしたり、迷って目的地に着けない、でももし知識があり正しい情報があれば、最小の努力で最短でそこに着く事が出来ます。そのために知識が必要なのだと思ったのです。ですが知識があるからなんだと言う事もあります。知識があってもその知識を実践の中で試し活かして自分が成長して行かなければ、その知識も無駄なものとなってしまいます。それこそただ空手の知識やウンチクが多いだけの頭デッカチの物知りの空手オタクになってしまい、人からウザがられてしまうでしょう。だから知識は自分の成長のために使い、また出来たらその知識を人のために活かせれば良いと思います。私は空手オタクになるつもりも、空手を教えてお金を稼ぐだけの空手屋さんになるつもりもありません。あくまで空手家です。自分が人間としても空手家としても成長したいから空手をしています。空手の稽古をする時間を作りたいし、せっかく自分が学びを得たのだから、それを人に教えて人の役に立てて社会に貢献出来たら良いなと思い、空手の道場を経営して空手の指導をしているわけです。だから私は空手オタクでも空手屋でもなく空手家なのです。


2021年01月19日(火) 空手をやって自分の身体を理解する

先週の14日木曜日に手術が終わって昨日で4日後の昨日から松葉杖がなくても歩行出来るようになりました。道場や病院などに外出する時は何があるか分からないので松葉杖歩行で行きますが、家の中や道場の中や少しその辺に買い物に行く時は普通に歩いて行っています。そして昨日から出来る範囲でのストレッチとリハビリの筋トレと型の稽古を始めました。今日から上半身のウエイトトレーニングを始めました。本当は明後日に抜糸をして2週間は松葉杖での歩行と言われていたのですが、32年空手で鍛えて来た私の強靭な気と心と身体は4日で歩けるようになってしまいました。医師の診断を受けてからにした方が良いよとか、また無理をして悪化するのではと思われるかもしれませんが、私も自分の身体と47年付き合って来ましたし、空手を始めてから32年はあらゆる怪我をし、あらゆる痛みや苦しみを経験して来たので、今の自分の身体の状態は誰よりも理解しているつもりですし、どこまでが可能でどこからが無理かも今までの経験から誰よりも正しく判断出来ると思っています。もちろん自分では治せない病気や怪我もありますし、医師の診断を受けなければいけない事もありますし、今回の私のように手術を受けなければいけない事もありますし、鍼治療やマッサージなど人の手を借りなくてはいけない事もたくさんあります。ですが、自分の身体は自分が操るものですし、出来る出来ないが本当に分かるのは自分しかいないと私は思っています。その証拠に病気に行き、嘘でも自分が痛いと言えば医師は必ず診断してくれますし、薬や湿布や何かの処置をしてくれます。自分の痛みの具合や出来る出来ないの本当の所は自分にしか分からないものだと思います。これは私は子供の時にはもう分かっていました。でも逆もあると思います。医師に大丈夫だと診断されても自分が無理だと思うのならば、また病院を変えて医師の診断を受ける必要があると思いますし、自分で休む事を決める必要があると思います。今回の私の手術はまさにそうでした。初め何軒か整形外科に行きましたが、別にそんなに問題はないと言われ、今すぐたくさんの検査を受けて処置をする必要はないと言われました。ですが私はこれは絶対に何かがおかしい、今しっかりとした診断を受け処置をしないといけないと思い、大きい病院を紹介してもらい、MRIとCTの検査をし医師の診断を受けました。そうしたところやはり早い段階での手術を受ける必要があると診断されました。自分の身体をここまで理解出来るようになったのはやはり空手のおかげだと思います。空手がここまで自分の人生に役に立つとは空手を始める前の自分には分かりませんでした。本当に空手をやって良かったと思っています。


2021年01月18日(月) 型について

私は2014年8月に初めて型競技の試合に出場しました。2016年5月から2年間、全日本空手道連盟の型競技講習会に参加し四代流派と言われる流派の型を学びました。その型は全日本空手道連盟の第一指定型八つ、剛柔流のセーパイ、サイファ、松濤館のカンクウダイ、ジオン、糸東流のバッサイダイ、セイエンチン、和道流のセイシャン、チントウでした。そして2018年3月から、さらに独自で松濤館の型や沖縄空手の型や歴史を調べたり稽古したりするようになりました。そうして調べていると今行われている型は、ほぼ全て沖縄から伝わって来たのですが、大体の型は歴史が古く伝承が不明であったり何時、誰が創作したのか?など正確には分からない物ばかりです。しかし平安(ヘイアン、ピンアン)の型は何時、誰が何を目的として型を創作したのか?がハッキリしています。平安の型は創作者は糸洲安恒先生で、1905年(明治38年)に完成させたと言われています。型を作った目的は、沖縄の中学生の体育授業に空手が採用された事がもととなっています。はじめはナイファンチ(極真会館の鉄騎その一)だけを2〜3年練習させていましたが、より生徒達が空手に親しみやすく、基本技を修得させようという事で平安の型を考案し創作したそうです。この型は公相君(コウソウクン)いわゆるクーシャンクー、カンクウと言われる型をもとに創案されたと言う説があります。ですが良く型を研究して見ると平安五段(極真会館の前ピンアンその5)はバッサイダイの部分が多く含まれています。なので平安の型では高度な技術の部分部分を分割して学ぶことが出来ます。そしてもう一つ大きな特徴があります。大体の型と言う物は闘争術、殺人術の秘伝的な技を学ぶために作られているので、いわゆる禁じ手と言うか反則技ばかりで型が作られています。ですがこの平安の型は護身術や体育的な事を目的に作られているため、目潰しや金的への攻撃などの技は入っていません。またこの型の全てが受けから始まっています。この受けから始まるという事で、先ずは相手の技を受けて戦いを避けようとする謙虚な気持を表す意味で平安と名付けたとも言われています。またこの型の技術を修得しておけば平安な心でいられると言うことから名付けられたのだと言う説もあります。そして平安の型は、昔は平安二段(極真会館のピンアンその二)が平安初段だったそうです。そして平安初段が平安二段だったそうです。何故それを逆にしたかと言うとそれはただ単に難易度からだそうです。では何故、糸洲先生は現在の二段から始めさせたのかと言うと、それは先ず難しい型を学んでから、安易な型を反復するのが良いと考えられてそうしたそうです。私の師匠である広重師範は、型は平安の型が出来れば、実戦で使う動きや技はほぼ事足りている、逆に平安の型が出来ずにたくさんの型を出来ていても、それはただ型をたくさん知っている物知りで終わってしまい、型の動きは実戦では使えないと言っていました。私もたくさん型を学びましたが、全くその通りだと思います。そのように思うので私は、身体の内面を作るために鉄騎その一と三戦をやり、身体の動きと技を作るために抜塞大と観空大を毎日稽古するようにしています。


2021年01月17日(日) 私の心と身体は頑丈です

私の心と身体は頑丈です。今日は右足に体重を60パーセントは乗せる事が出来るようになり、膝の可動範囲は0〜90度まで行くようになりました。と言うのも退院の日から家にいる時はずっとアイシングしリハビリもしていました。普段の生活では当たり前の事ですが、靴下も下着も自分で履けるようになりました。軽いストレッチなんかも出来るようになりました。運動をしないと太ってしまうので、次男と買い物がてら松葉杖で散歩に行きました。右足に体重を乗せる事が出来るようなったのもありますが、松葉杖歩行が上手くなり楽に歩けるようになりました。これも全部、空手をやって心と身体を鍛えてきたからだと思いました。心と身体はお互いにお互いを補いながら強くなって行きます。なので心だけが強くなる、身体だけが強くなると言うことはありません。だから自分にピンチが訪れ身体が悪くなってもそれを強い心が補ってくれ、心が弱くなっても強い身体がそれを補ってくれます。それを今回の事ですごく感じました。明日から元気に指導したいと思います。空手の素晴らしさを道場生に伝えていきたいと思います。


2021年01月16日(土) 病院へ行く

朝は4時に起きて「TENET」のDVDを見て、朝食を摂って薬を飲んで、7時30分に家を出て病院に行きました。病院は9時からなのですが、松葉杖での歩行はなかなか大変で病院まで時間がかかりそうなので早く家を出ました。松葉杖のため両手がふさがっての歩行なので、途中買い物などは出来ないので、ペットボトルのコーヒーをポケットに入れて家を出たら、ペットボトルのフタが松葉杖にぶつかっていたらしく、上手い具合にフタが開いてしまい、パンツにしみるほどズボンにコーヒーがこぼれていました。でも家に戻って着替える時間はないので、そのままタクシーに乗り蒲田駅まで行きました。ズボンはコーヒーで濡れて冷たいしコーヒー臭いし、身体はうまく動かないし、背中や肩や上腕三頭筋が筋肉痛でパンパンで掌は痛いしで、もう心が折れそうになりました。もう病院に着いた時点で疲れてしまいました。病院では手術後のレントゲンを見ながら、手術で何処が改善されたかを見て、膝の傷口の状態を見てもらいました。その後リハビリを行いました。昨日ずっとアイシングしていたので、だいぶ腫れは引いて、リハビリもしっかり出来ました。帰りは松葉杖の歩行のコツを掴んできたのとリハビリで足の状態が良くなり、痛い方の足に少し体重を乗せる事が出来るようになったので、だいぶ楽に松葉杖の歩行が出来るようになりました。それでも家に帰ったらもう疲れでグッタリでした。家では長男と次男がいろいろと私に協力してくれるので本当に助かります。家族には迷惑をかけて申し訳ないと思いますが、みんなが私に優しくしてくれるので、たまには身体を悪くするのも良いものだと思ってしまいました。でもやはり早く身体を治して稽古したいと思います。


2021年01月15日(金) 無事に退院する

夜中には麻酔が完全に切れて手術をした箇所の痛みもあり、昨日の手術のあと寝ていた事もありで、夜は1時間程度しか眠れませんでした。長い長い夜でした。朝は起きて、松葉杖で歩いてトイレにも行けて、朝ごはんもしっかり食べる事が出来ました。執刀医に傷の具合を見て頂いた後にリハビリに行き、レントゲンを撮り、退院しました。本当にいろんな方にお世話になりました。自分は日本という国に生まれ、この社会に守られて、そしていろんな人のお陰で生きているんだと言う事を実感し感謝しています。退院し松葉杖で歩き電車とバスで家に帰ったのですが、もう家に着いた時にはヘトヘトでした。松葉杖で歩くというのは本当に大変でした。電車の中でも、席を譲ってくれた方がいたり、「手を貸しますか?」と声をかけてくれる方がいたり、優しい人がたくさんいました。身体を悪くすると人の優しさが心にしみます。自分ももっと優しい人間にならなくてはと思いました。家に帰宅しても妻や子供達がいろいろと私に協力してくれました。特に妻はいろいろと気を使ってくれました。本当に感謝しています。松葉杖で帰ってくる時に掌の皮が剥けてしまいました。体重が全部掌の厚いとこらに乗るので皮が剥けてしまったのだと思います。財布は右のポケットに入れないと改札でスッととってスイカをタッチ出来ないなど身体が健康ならあまり気にしない事にも気づく事が出来ました。身体が悪くなると生活がトレーニングのようにシンドイですね。たまには身体を悪くする事も大切だと思いました。


2021年01月14日(木) 手術無事終わる。たくさんの感謝

本日、無事手術が終わりました。朝は6時に起きました。昨日の19時から絶食だったので空腹でしたが、朝食はもちろん抜きで、朝の7時には水分を摂れなくなりました。手術の前に家族の写真を見て、道場生に頂いたお守りを膝に当て、自分の右膝に「今までありがとう!でももう少し一緒に頑張ろうね!」と声をかけ12時30分に手術室に入りました。膝の中の映像を執刀医の先生に説明を受けながら手術をして頂きました。膝の内側の半月板がだいぶ削れていました。その遊離体や脂肪などを取り除き、半月板と前十字靭帯の補強をして頂きました。手術は14時過ぎに無事終わりました。手術のあと麻酔のため少し気分が悪くなったのと、麻酔が効いているので動けないので、ずっと寝ていました。18時ぐらいにやっと落ち着き妻に連絡をしました。またたくさんの方からあたたかい声をかけて頂いたので、お礼のメッセージをさせて頂きました。明日には退院します。自分の膝の状態がしっかり分かったのでこれからは自分の身体を労わりながら、でも自分がこの世から居なくなるまでには、しっかりと身体を使い切りたいと思います。何はともあれ、こんなに好きな事をやって来てもこうやって健康でいられる身体に産んで育ててくれた、両親には本当に感謝しています。またこうやって幸せに生きている自分まで命を繋げてくれた先祖の皆さんに感謝しています。しっかりとこの命を燃やし尽くし社会に貢献して行きたいと思います。


2021年01月13日(水) 入院と右膝への想い

明日の右膝の手術のため本日から3日間の入院となりました。今回の手術は右膝の中にある遊離体の除去と半月板と前十字靭帯の補強です。今の状態をこれ以上悪くしないための手術なので、劇的には良くはならないと思います。手術後どのぐらい動けるのかもまだ分かりませんが、手術が終わったらダイエットとトレーニングと稽古をしっかりして良い状態に持って行こうと思います。本当にこの右膝には苦労をかけているなと申し訳なく思います。私が17歳の時に自分の馬鹿な行動で怪我をし手術する事となり、30年経った今も膝の中に金具が入っています。その時の担当の医師の指示を無視し空手を続けて、利き脚なのに満足に蹴る事が出来ず、いつも事あるごとに右膝を痛め、この右膝には本当に可哀想ことをしました。でも手術した時には、空手は出来ないと言われたのにもかかわらず、そこから30年間激しい空手の稽古に耐え、13年間で130戦も戦ってくれ、ほぼ毎日100キロもある化け物のような人達に蹴られても頑張ってくれ、スクワットで270キロを持ち上げ、スクワット2000回、ジャンピングスクワット1000回にも耐え、総本部の合宿では20キロマラソンでは3位になりました。47年間、私の我儘に付き合ってくれた右膝です。本当に感謝しています。手術の前には「今までご苦労さん!また良くなったらよろしく!」と感謝の気持を込め摩ってあげたいと思います。そしてこれからは少し労わってあげたいと思いますが、この膝が治ったらまた頑張って稽古に励みたいと思います。この手術を決めたのは、残りの人生しっかりと自分の身体を使い切るためです。身体を使い切って命を燃やし尽くすためです。道場生、ご父兄様にはご迷惑をおかけします。また「頑張って下さい」と暖かい言葉を頂いたり、お守りや身体に良い蜂蜜などを頂きました。来週からまた指導を頑張ります。身体が動かなくても良い指導が出来る事を見せたいです。空手の知識なら誰にも負けないので、その知識をフルに生かして、細かい心配りと目を配り1人1人に声をかけ指導したいと思います。


2021年01月12日(火) 今日

朝一で病院へ明日からの入院のためのPCR検査の提出と胸のCTの検査とリハビリを行いに行きました。昼過ぎに帰宅したら、何故か疲れがどっと出て昼寝をしてしまいました。夕方からジムへ行きストレッチとウエイトトレーニングを2時間行いました。明日から入院で明後日は手術で明々後日は退院とバタバタと毎日が過ぎそうです。もともとは自分の馬鹿で17歳の時に右膝を怪我し手術する事になり、空手は止めた方が良いと言う医師の言葉を聴かず、空手を続けて来て、30年好き勝手やって来て痛めた怪我なので、誰にも迷惑はかけたくないので、1人で病院に行き1人で帰って来ようと思っています。


2021年01月11日(月) 2021年通い合宿2日目

私の運営する極真会館東京城南京浜支部の2021年通い合宿が終わりました。今日は5時30分に起きてブログを更新し、7時30分に長男と次男と家を出ました。3人でこうして道場に行ける事をとても幸せに思います。8時30分には、全員が揃ったので8時45分から稽古を始めました。みんな頑張ったので昨日よりも稽古が早く進みました。稽古が終わる10分前に、ふと道場の入口のドアの外を見ると、女性が立っていました。「あれっ!とても綺麗な方だな!誰のお母さんかな?」と思ってよく見ると私の妻でした。私は妻とお弁当を取りに行き、稽古の締めを道場生にお願いしました。食事の後は休憩時間を利用し、空手の起源の勉強会や質問コーナーを行いました。最後の稽古でも道場生全員が試し割りに成功しました。道場生みんな頑張りました。いろいろと手伝いをしてくれた黒帯茶帯の道場生には本当に感謝しています。また子供達を参加させていただきましたご父兄様にも本当に感謝しております。


2021年01月10日(日) 2021年通い合宿初日

今日は私の運営する極真会館東京城南京浜支部の2021年通い合宿でした。参加者25名で行いました。この大変ななか参加してくれた道場生、また子供達を参加させて下さったご父兄様の期待に応えたいと思い、頑張って指導しました。帰宅して夕食を食べてから、ご父兄様に稽古風景を早く見て頂きたいので、ブログを更新しようとしたのですが、疲れたのか?眠くて眠くてどうしようもなく、明日、5時30分に起きてブログを更新しようと決めて、8時には寝てしまいました。10時に一度目が覚めてトイレに行く時に、妻に「やばい、へんな時間に起きてしまった」と言ったそうですが、布団に入ると10秒でイビキをかいていたそうです。本当に眠ければ寝れるものだと思いました。


2021年01月09日(土) ギター少年

長男は今日から本格的にギター教室にギターを習いに行きました。とても楽しいようです。ギターを背負って自転車に乗ってる長男を見て、少しカッコイイなと思いました。長男は自衛隊になれなかったら、ギターでご飯を食べて行くと言っているそうです。たった一度の人生ですから好きなように生きてくれればそれで良いと思います。そしてたった一度の人生なのだから、一度くらい大きな夢に向かって勝負しても良いと思います。一生懸命夢を追いかければ失敗したとしても得るものはあるはずです。たとえ失敗したって、やれる仕事をなんてたくさんあるし、どんな事をしたって一生懸命働けば、ご飯を食べて行く事は出来ます。人生は何とかなると私は思っています。


2021年01月08日(金) 空手の起源を調べることで

空手の起源を調べるために沖縄で生まれた手と呼ばれた拳法の事を調べています。どのようにして生まれ、どのようにして伝えられて来たのか?を調べることで、沖縄がどのような状況の中で歴史を作って来たのか?が分かって来ました。だから手と言う拳法が生まれたのだなと思いました。空手に先手なしの教えも分かりました。


2021年01月07日(木) 言う権利

長男がゲーム「ゼルダの伝説」をやっていました。私も少しやってみたのですが、なかなか難しいのとハマってしまうと空手に支障をきたすと思い、2回やって止めました。もちろん長男より下手です。長男が何回か失敗しているのを見て、私がアドバイスと言うか口出しをすると、長男は不快な顔で「俺より下手なくせに言うなよ!じゅあパパがやって見てよ!」と言いました。私はそれもそうだなと思い「ゴメン」と謝り、もう口出しせずに見ていました。本当は誰の意見でもそこにヒントがあるかもしれないので、どんな意見も素直に聴いたほうが良いとは思いますが、意見を言う側にも言う権利があるだけの事をしていなければ、相手に素直には聴いてもらえず、相手の心に響かないのだと思います。もちろんそこで、ヨシッじゃあ長男よりゲームが上手くなってやろう!とは思いませんが、自分が子供達や生徒に本当に教えたい事や伝えたい事や分かって欲しい事は、自分がそれなりの努力をして自分が前にいる事を見せ、尊敬と信頼を得て、相手の心に響くようなアドバイスを出来なければならないのだなと思いました。


2021年01月06日(水) 空手道の起源


最近私がハマっている事は、空手道が日本の本土に入ってくる前、言って見れば空手道となる前の沖縄が沖縄ではなく琉球と言われた頃、空手ではなく手と言われた頃の事を調べる事です。
言って見れば空手道の起源を調べると言っても良いかもしれません。
これは本当に楽しいです。
私が調べた結果、琉球で手と呼ばれた拳法は、大きく分けて、首里手、那覇手、泊手、上地流、があり、首里手は佐久川寛賀、松村宗混、その系譜を継ぐ知花朝信が作った小林流、喜屋武朝徳の系譜を継ぐ島袋善良の作った少林流、喜屋武朝徳の系譜を注ぐ長嶺将真が松村宗混と泊手の松茂良興作の松の字を取り作った松林流、
首里手には糸洲安恒、安里安恒、本部朝基、船越義珍など優れた武術家がたくさんいます。
日本の本土に初めて空手を伝えたのは船越義珍でその雅号の松濤から松濤館となりました。

那覇手は東恩納寛量から宮城長順に継ぎ宮城長順が剛柔流としました。

糸東流は首里手の糸洲安恒と那覇手の東恩納完量に学んだ摩文仁賢和が二人の師の名を取り糸東流としました。

泊手は松茂良興作から仲宗根正侑から渡嘉敷唯賢と継がれました。
上地流は、中国人の周子和から学んだ上地完文が上地流としました。
と言うのが主な流派なようです。
ただ琉球では手の稽古はいろいろな事情があり隠れるようにして夜中に行われた事や人前で手の技を見せる事を禁じていた事や、あまり誰がどのようにして手を伝えたか?などの文献が残っていない為、諸説たくさんあるので何が正確かは分かりません。
そして、まだまだ私も知らない事がたくさんあります。

いつになるかは分かりませんが、いつか必ず沖縄に行き、いろいろな先生を訪ね歩いて見たいと思います。


2021年01月05日(火) 極真空手の黒帯とは

私は極真空手に人生を変えてもらいました。多くの師範、先生、先輩、仲間達に自分の人生を変えて頂きました。私も、私の道場に入門した道場生には、極真空手を始めた事がキッカケでその人の人生が輝いて、その人の人生が幸せになり、極真空手をやった事が社会で役に立ち人から重宝され、自分の周りにいる人も幸せにし、社会に貢献する人間になって欲しいと言う気持ちで指導をしています。そしてそれが出来る可能性のある人に黒帯を締めてもらい、後から来る後輩達の模範となり、後から来る後輩達の憧れとなって、自分の後ろ姿で後輩達を良い方向に導いて欲しいと思っています。


2021年01月04日(月) 道場の中で一番偉い人は

私が今まで空手を続けてくるなかでいつも私を支えてくれた言葉があります。その言葉は私の師匠である廣重毅師範が仰っられていた言葉でした。それは「道場に入れば、道場の外での地位などは何の上下の関係にはならず、道場の中では一生懸命に稽古に励んでいる人が1番偉いんだ」と言う言葉でした。私はその言葉を信じて稽古に励んで来ました。今でもそう信じています。道場に入れば外での地位は関係なく、道場に先に入った人が先輩となる訳です。道場での上下関係や礼節は大切ですが、私は先生だ先輩だ何十年空手をやっている、今日空手を始めた、そんな事も関係がないと思っています。今現在、空手に情熱を持って1番一生懸命に稽古している人が道場の中では1番尊いんだと思っています。私はいつもその時々の今を情熱を持って一生懸命に稽古して道場の中では1番尊い人間でいたいと思っています。


2021年01月03日(日) 夢を半分叶えた私の思い

私は夢を半分叶え、夢を半分叶えられませんでした。なのであまり大きな事は言えないのですが、夢を半分叶えた先輩として、どうして夢を半分叶え、今こうして好きな事を生業として生活が出来ているか?を書きたいと思います。私は本当に運が良かったと思います。15歳の時に、友達から電話をもらい「テレビを見てみろ!お前が好きそうなテレビがやっているよ!」と言われテレビを付けたら、極真空手の第4回世界大会がやっていました。その時の決勝戦が松井章奎館長とアンディ・フグ選手の試合でした。そして松井章奎館長が勝利し世界チャンピオンになりました。日本武道館を包む歓声や日本選手団や松井館長の仲間達が涙しながら胴上げをしているのを見て、私の魂は衝撃を受け、私の心は感動し私の中で何かが爆発し自分の中で革命が起きました。
あの試合を偶然見れた私は本当にラッキーでした!
これがやりたい!そうハッキリと思い私の中で情熱が生まれました。
その時の衝撃と感動と爆発と革命は今でも私の中に変わらずにあります。
今まで苦しい事も辛い事も悲しい事もあり何度も挫折しそうになりましたが、それでもその時の衝撃と感動と爆発と革命は私の中から消える事なく情熱を持ち続けてくる事が出来ました。
最大の夢である世界チャンピオンにはなれませんでしたが、気が付いたら道場を出して、大好きな空手を生業として生活が出来るようになっていました。そして今まで極真空手を修行するなかで師範、先生、先輩、仲間達とのたくさんの出会いがあり、それが財産となりました。そして今までの空手人生を振り返ると素晴らしい思い出がたくさん出来ていました。
大切なのは初めてそれをやりたいと思った時の衝撃と感動と爆発と革命と情熱を失わずに毎日を頑張る事なのだなと改めて思います。
私は人生のなかでそんな物に出会えたのだから本当に本当にラッキーだったと思います。


2021年01月02日(土) 2021年、今年の目標

今年の目標を書きたいと思います。今年の目標は先ずは膝の手術をし、膝の改善に体重を減らすため体重が80キロになるまでお酒を止めてダイエットする事、身体が動かないぶん空手の研究や型の研究をする事、身体が動かないからこそ今まで以上に心と目を配って一人一人に声をかけながらきめの細かい指導して行きたいと思います。膝が治ったら、またこの情熱を爆発させるよう稽古に励む事、そして来年は昇段審査に挑戦したいと思います。来年の目標まで書いてしまいましたが、この目標をしっかり達成し来年に繋げたいと思います。


2021年01月01日(金) 2020年から2021年の年越し

今年の年越しは、例年行っていた年越し稽古をしませんでした。長男も次男も年越しまで起きていると頑張っていたので、では初めて家族全員で年越しのカウントダウンをしようという事で、家族全員で年越しのカウントダウンをし、みんなで「明けましておめでとうございます」と言って年越しをしました。昼からは家族みんなで土手に行きました。空は晴れて暖かく富士山が見えて、年の初めには最高の景色でした。子供達はお友達と遊び、私達はビールを飲んだりしながら過ごしました。こんなのどかなお正月を過ごすのも、新型コロナウィルスが生んだ副産物のおかげかもしれません。どんな世の中になろうとその状況の中で楽しみを見つけて行けると思いました。


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