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ついに「ひよっこ」が終わってしまいました。みんな幸せになって良かったです!私がこのドラマを好きになったのには二つ理由があります。一つ目は、みね子と時子と三男が奥茨城の田舎から上京するお話だった事があると思います。私が福島から上京したのは1993年なので30年ぐらいの差はありますが、上京して苦労する事あるあるや楽しかった事あるあるなどを、その頃の自分と重ねたり、思い出したりしながら楽しんでいました。そしてこのドラマを好きになった理由の二つ目は、時代背景が1963年の東京オリンピックの頃の東京という事です。ちょうどその頃、私の母は東京で生活していました。私の父もその頃に上京しています。私の父と母もこんな時代を生きていたんだなと思い見ていました。私が聞いた母の子供の頃の話や青春時代の話や、父から聞いた上京した話や、仕事をしていた頃の話など、いろいろな話が少し映像として話にリンクしました。私は、みね子や三男を自分の両親と重ねて見ていました。私はこのドラマに出てくる人みんなを好きになりました。1番好きなのは宗男さんです。感情が豊かで優しいところが大好きです!みね子の事を思って泣いて叫んでしまう宗男さんが大好きです!このドラマを見ていた半年間本当に楽しかったです!だから終わってしまうのは本当に寂しいです。
朝は身体の治療に行きました。そのあとどうしても我慢が出来ずラーメンを食べてしまいました。10月から3ヶ月間は自分に厳しくしようと思っているので、食べ納めしておきたいと思います。
長男と次男が妻に甘えているのを見ると、やはり母親っていうのは特別な存在なんだなと思います。母親はこの世で唯一、自分の全てを委ねて任せて甘えられる存在なのだと思います。長男や次男が妻に抱っこしてるのを見ると一心同体とはこの事かと思います。うちには女の子がいないのでわかりませんが、けっこう男の子のほうが甘えん坊だったりするのかな?と思います。
私は、約9年間禁酒していました。試合に出ていた最後の4年間は携帯電話も持たず、道場で寝起きして稽古に励みました。結局、全日本チャンピオンになって世界大会で戦うと言う夢は叶いませんでしたが、やはりその4年間は私にとって大切な宝物です。この最後の4年間は、常に自分と戦うために、自分に克ために試合場に上がっていました。弱い自分と戦い抜いた4年間でした。4年間の戦いの中で神様からたくさんのプレゼントを頂きました。私に関わるたくさんの方からもいろいろなものを頂きました。
私は同じ本を何度も読むのが好きです。何度も読んでいる作品は遠藤周作の「沈黙」「深い河」「海と毒薬」。司馬遼太郎の「関ヶ原」「城塞」「世に棲む日々」「新選組血風録」「燃えよ剣」。スティーヴン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」「スタンド・バイ・ミー」「幸運の25セント硬貨」「メイプルストリートの家」「第四解剖室」「夜がはじまるとき」「夕暮れをすぎて」。村上春樹の「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」「スプートニクの恋人」「海辺のカフカ」。などです
今年も東京マラソンの抽選に落選してしまいました。もう4年連続エントリーしていますが全部落選です。来年は45歳という節目の年なので記念に残る事をしたかったのですが、何か別の事を考えようと思います。とにかく来年は何かをやりたいです。
久しぶりに中野に行きました。私が東京に来て初めて住んだ街は中野でした。東京にきて2年間住んだのでかなり思い入れのある街です。自分がよく行っていた場所や自分が住んでいたアパートなどを見て歩きました。20年も経つとやはりだいぶ街は変わっていました。その場所その場所を見ながらいろんな事を思い出しながら歩くのもなかなか楽しい時間でした。
長男と次男はよく2人で遊んでいます。よくやってるのは猫ごっこ、戦車ごっこ、ウルトラマンごっこです。猫ごっこは2人で「ニャーニャー」ないて、なであっています。戦車ごっこは大きな段ボール2人ですっぽい被り、段ボールの前にある穴からライフルを出し「行くぞ!」と長男が言うと「ハイ!隊長!」と次男が言って2人で家の中を歩いています。ウルトラマンごっこは2人で戦っています。いつまでこうやって仲良く遊んでいるのかなと思います。
長男と次男は、松本人志さんのMHKでのコントが好きです。なかでも「オンリー」での松ちゃんと浜ちゃんの掛け合いが好きで、夜寝る時に真っ暗ななかで2人で「カレー味も出た!」「カレー味のミニも出た!粒タイプでね!」「カレー抱きゴリラが当たる!」「ハァーイ!」などと2人で掛け合いをしてゲラゲラ笑っているそうです。兄弟で笑のツボまで一緒なんですね!
「ダンケルク」を観に行きました。気をぬく事が出来ない106分間でした。凄いど迫力で展開がとてもスピーディーでスリリングな作品でした。凄く心に残った作品なので、いつか感想を書きたいと思いますが、今はネタバレになると嫌なので書きません。凄くお勧めな作品ですし、何の予備知識もない方が絶対に楽しめると思うので感想を書くのは我慢します。
私は、大きな声で自分の子供の応援をするお母さんの姿を見ると感動します。私の母は、私が子供の頃に水泳をしていた時も、私が空手の試合に出場していた時も、とても大きな声で応援する人でした。当時は、母が大きな声で応援しているのは、やはり恥ずかしいのもあり嬉しくはありませんでした。嬉しくはありませんでしたというより嫌だったと言った方が良いかもしれません。でも好き嫌いは別にして、母が一生懸命応援してくれる事に対しては、子供ながらにもしっかりと愛情は感じていました。そして私は22歳から34歳まで全日本などの試合に出場するようになりました。ある時に自分の試合のビデオを見ていると、母と父が一生懸命大きな声で応援してくれている声が入っていました。特に父は私を褒めた事もあまりない人でしたし、私の試合の感想もダメ出しの多い人だったので、そのビデオの中に入っている母と父の一生懸命に応援している声を聞きながら、私は母と父の愛情を感じて涙を流しました。今すぐにではないかも知れませんが、お母さんが一生懸命に「頑張れ!」応援している声は必ず心に響きます。その声は一生心の中で響き続けると思います。
極真祭の全日本型競技試合が終わり、私が今年目標にしていた試合が全て終わりました。その事もあり目の前の目標を失ってしまい、それから1ヶ月気を抜いてしまいました。そのせいで心も体もすっかりダラついてしまいました。今日からランニングを開始し食事にも気を付けるようにしました。昨日は93キロだったのですが、今日の食事制限とランニングと稽古で90キロになりました。とりあえず10月中に80キロまで落としたいと思います。
朝は身体の治療に行き、昼は家族で坂内にラーメンを食べに行きました。私は東京に来て初めてとんこつラーメンを食べた時に衝撃を受け、以来とんこつラーメンが大好きなのですが、この喜多方ラーメンも定期的に食べたくなる好きな物です。
今日は家族で、方南町にある聖心館に黒澤浩樹先生に手を合わせに行きました。黒澤先生の奥様と水島先生のリクエストで生徒さんに型最破を演武しました。黒澤先生の前で型を演武する事が出来ました。黒澤浩樹先生がいなければ、私はここまで空手にのめり込むことはなかったと思います。自分の足が折れても無表情で相手を蹴り続けるあの先生の姿があったから、自分もあんな男になりたいと極真空手にのめり込みました。本当に感謝しています。帰りに東中野の大盛軒で鉄板麺を食べて帰りました。
私は15歳の時に魏桜流拳法菊地道場に知人に連れて行かれ、菊地信宏先生と組手というか、立会いというか、をしました。もちろん敵うわけもなく、半殺しの目にあいました。菊地先生に「悔しかったら、空手を始めてみるか?」と言われ、その場で入門し基本稽古を教えて頂きました。17歳の時に、やはり極真空手をやりたくて菊地先生の道場を退会し極真会館福島県北支部に入門しました。福島県北支部では三瓶啓二師範をはじめ滝島先輩、梶川先輩、堀江先輩にご指導頂きました。20歳の時に東京に上京し極真会館城西支部阿佐ヶ谷道場に移籍しました。阿佐ヶ谷道場では黒澤浩樹先生をはじめ根本先輩、上原先輩、杉山先輩、西村先輩、佐藤先輩、河野先輩、島端先輩、水島先輩にご指導頂きました。そして21歳で東京城南川崎支部に移籍をし廣重毅師範に29歳までご指導頂きました。そして29歳で今の城南京浜支部を開設しました。その城南京浜支部も今年で15年になります。来年で空手を始めて30年になるのだなと思うと本当に時が経つのは早いと思います。武の道は、千日を持って初心とし、万日の稽古を持って極めとする。と言いますが、まだまだ極めるには程遠いです。まだまだまだまだ修行です。でも一念発起し志を立て今まで頑張ってきた自分を褒めてあげたいです。
私は、今年の4月に試合に出場しました。試合に出場する事で、自分がどれほどの男なのかを知りたかったし、自分の本質を知りたかっし、自分の本性を知りたかったのです。その事で私は自分の本性を見ました。そして一つだけ自信を持った事があります。どんな事があろうと、どんなに追い込まれようと、どんなに困難な事であろうと、最終的には、弱い自分に打ち克ち、腹を括って物事に臨む事が出来るという事です。最終試験は人生の最後の最後にあるので、それまでしっかり男を磨いて行きたいと思います。
川崎の109シネマズに「関ヶ原」を観に行きました。この作品は司馬遼太郎の「関ヶ原」が原作なので、もう何度も熟読した作品です。最近も読んだばかりです。私はこの関ヶ原の戦いからいろんな事を感じました。わたしはこの戦いの正義はやはり石田三成にあったと思います。しかし時代は徳川家康を望んでいたのだと思います。また人民も徳川家康の新しい世の中を望んでいたのだと思います。武将も徳川家康が治める、これ以上戦いの起こらない統治された世の中を望んだのだと思います。そしてやはり大切なのは人の心、人心なのだと思います。この世の中を作っているのは人の心なのだと思います。政治も仕事も戦いも恋愛も、結局は人と人との心で決まるのだと思います。人の心を大切にしなければ、大事は敵わないのだと感じました。正義が勝つ世の中であって欲しいと心から思いますが、正義を貫ける人は信念のある強い人だけです。正義を重んじる余りに、正義を行わない弱い人を正義で責めてはいけないと思います。弱い人達や間違いや失敗やずるい事をした人を許してあげる事も大切なのだと思います。その人の気持ちになって、心と心で接して行く事が大切なのだと思います。でもやはり私は石田三成が好きです。たとえ敗れようと正義を信じその道を貫いた石田三成が好きです。私もそんな選択が迫れる時があるならそうありたいと思います。
長男は本当に私に似ています。夜に帰宅し食事をしながら、妻から1日の出来事の話を聞きます。最近はやはり長男がこんな事をしたと、長男が言う事を聞かなかったり悪い事をした話を聞きます。そんな時に聞く長男の悪い所は、私が自分の1番嫌いな自分の悪い部分だったりします。おそらくその部分は私の本質なのだと思います。でも私はそんな自分の嫌いな所を直してきました。だから今の自分があります。長男も沢山人に揉まれて成長していくのだろうと思います。
次男はとても褒め上手らしいです。「〜ちゃんの靴可愛いね!」と褒めたりするので、次男は女の子に好かれるそうです。それを聞いて自分が思っている事を相手に伝える事はとても大切だと思いました。あと次男は人の事を良く見ています。私が唇を噛む癖などを「パパの真似」と言ってやったりします。
長男がアサガオを学校に持って行きました。家族がお盆で帰っている間、私が水をあげていたのでなんか寂しいです。
私が運営する極真会館城南京浜支部の昇級審査会と組手支部内交流試合が終わりました。たくさんの生徒達の成長を目にする事が出来て嬉しかったです。いつも運営を手伝ってくれる道場生の皆さんにも本当に感謝しています。子供達に成長する場へ送り出して頂いたご父兄様にも感謝しています。今年も残り3ヶ月と少しです。最後の3ヶ月をしっかり頑張ろうと思います。
初めて長男と次男を自転車に乗せて三人で稽古に行きました。なので家の前で初めて三人で稽古に行く記念撮影をしました。次男は念願の初の大森道場の稽古なのでテンションが上がり、正拳突きで写真を撮りました。蒲田駅の駐輪場に自転車を止めて蒲田駅から大森駅まで電車で行ったのですが、長男と次男を乗せるため、自分の自転車ではなく妻の自転車だったためか鍵を自転車に付けたまま道場に来てしまいました。そんなアクシデントがありましたが、なんとか時間通りに稽古を始める事が出来ました。次男は初級の部で終わり妻と時間を潰すためイトーヨーカドーに行くまでの道中稽古の興奮が冷めず、ずっと前屈立ち追い突きで行ったそうです。なかなか面白い子です。
最近、自分の写真を見て「歳を取ったな〜」としみじみ思いました。こんなにしみじみと、自分の顔の変化を感じたのは人生で初めてです。そう思うという事はやはり歳を取ったのだと思います。
私は子供の頃、父の小さい頃の話や青春時代の話を聞くのが好きでした。とんでもなく貧しい環境の中で強く生きた父の話は本当に面白いし、本当に泣けてきます。私は父が中学校しか卒業をしていないと知った時、あらためて父を尊敬しましたし、本当に凄い人だなと思いました。私は父の話を聞くと、自分はもっともっと苦労するべきだったと反省させられます。
「LA LA LAND」のDVDを買いました。たぶん何度も見るだろうし、おそらく40代、50代、60代で見る度に感想も変わるのだろうと思います。今後、そのぐらい見るだろうと思います。オープニングからラストシーンまで全てが大好きです。私にとってはパーフェクトな作品です。
私の母の子供の育て方で、共感し私も受け継いでいるものがあります。それは、子供に絶対負けない事、子供に対して1度決めた事は絶対に曲げない事、子供に対しては自分の事は棚に上げて叱る事、子供を叱った事や叩いた事で後悔する事があっても子供には絶対謝らない事、叱る時は徹底的に叱る事です。私は子供の立場の時には、母に対して理不尽に感じた事もありましたが、今は母のこの教育方があったから、本当に曲がった道に行かずに済んだと思います。でも母はこの教育方を通すさいに、私達子供の寝顔を見て何度も泣いた事があったそうです。その気持ちが親となった今、よく分かります。
極真会館城南京浜支部の15周年パーティでこの「菅野日記」を1冊の本としてプレゼントして頂きました。本当に嬉しかったです。この菅野日記をどれぐらいの人が見ていてくれているのかは分かりませんが、読んだ人が元気になる日記を書いていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
次男は自分のことを「マシロくん」と言います。私は次男を「マシロ」と呼びます。妻は「マシくん」と呼ぶ事が多いようです。幼稚園に次男を好きだと言ってくれる子がいて、次男もその子と仲良くしています。その女の子が次男にアダ名を付けたそうです。その子が付けたアダ名は「マシロン」だそうです。その女の子のお母さんが「マシくん」で良いんじゃないと言ったら、その女の子は「マシくん」はマシロくんのママが読んでいるから「マシロン」にすると言ったそうです。なんとも嬉しい話です。
8月は土曜日はいろいろと予定が入っていたため全空連講習会に参加する事が出来ませんでした。なので今日は久しぶりの全空連講習会参加でした。まだ身体の故障が治っていなかったのですが、今日から形の部が和道流になると言う事で頑張って参加しました。和道流の形セイシャンを本日含め5週間で稽古します。形の動作は初めから最後まで覚える事が出来ました。あとは和道流の独特なセイシャン立ち、横蹴り、三日月蹴りなどの動作を次までにしっかり自分で稽古したいと思います。極真会館が全空連と友好団体になった事で、剛柔流、松濤館、糸東流、和道流という伝統派の四大流派の稽古方法や形を学べる事はとても幸せです。新しい事を学び、自分の空手道を作って行きたいと思います。
今日から9月です。今年も残り4ヶ月です。その今年の残り4ヶ月の最初の日に一般部に体験者が来たので、幸先の良いスタートを切る事が出来ました。ここ最近、気も心も身体もちょっと緩んでいたので、9月はビシッと自分に喝を入れて頑張ります。
kanno
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