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10月は菅野家にはいろんな事が起り大変でした。まだ全ての心配がなくなったわけではないのですが、家族に難があるたびに家族の絆が強くなっている気がします。今は私が頑張らなくてはいけません。「自分の好きな事ばかりやっていないで自分を犠牲にして家族を支えなさい。」そう神様が言っているのでしょう。まあ神様はその人が乗り越えられない試練は与えないと言いますから大丈夫だと思っています。今回もこの先もどんな事があっても最後まで絶対諦めないで戦います!
息子が生まれて10ヶ月が過ぎました。もうすぐ1歳です!毎日めまぐるしい成長を見せ親を喜ばせたり困らせたりします。もう言葉は理解出来るようになったらしく、息子がやってはいけない事をした時に私が「ダメッ!」と言うとやめるようになりました。また止めた時に褒めるとそれもわかるようでニコッとします。まあ私の一番の役目は息子が曲がった道を行こうとした時に息子の前に立ちはだかる最後の砦だと思っていますので、やはりコワイお父さんになるんでしょうね。理想は私が直接叱らずに妻の「お父さんに言うよ!」の呪文が最終兵器になれば良いと思います。私はあまり口を出さずにいたいと思います。基本的にはいつも働いていて、少し遠くで背中を見せていたいと思います。そしてたまに振り向いて「こっちにおいで!」ってニコッと笑って息子が来たら思いっきり褒めて、また先にみたいが良いのかなと思います。息子の側で褒めたり叱ったり励ましたりして一緒に歩くのは妻の役目かなと思います。私もだいぶ歳をとっていますが息子と遊ぶ時は一緒に泥んこになって遊んであげたいと思います。
最近の楽しみは息子が寝静まってから録画してあるドラマを妻と2人で見る事です。本当に長い間ドラマを見ていませんでした。夜は稽古がありますし、予約録画機能のあるテレビやビデオデッキを持っていた事もなかったので、毎週リアルタイムで見たドラマは「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」「あすなろ白書」が最後ぐらいです。妻と2人でああだこうだ話しながらドラマを見ている時間は本当に幸せを感じます。2人になれる短い時間なので大切にしたいと思います。
書店では来年のカレンダーや日記帳などを頻繁に目にするようになりました。もう今年も終わりだぞ!と急かされる感じがします。私も年末年始に行事があるので、もう来年の2月の事まで頭の中にはあります。気持ちが先に先に行っている感じです。「来年の事をいえば鬼が笑う」というので、今頃鬼は笑まくっているかもしれません。
月曜の深夜から息子が熱を出し月曜と火曜と水曜はほとんど睡眠をとる事が出来ませんでした。私の妹は男の子三人の子供がいるので、今回の事ではいろいろと私の相談を聴いてくれたりアドバイスをしてくれました。私も父親一年生で白帯です。いろいろと心配したり気疲れしました。でも妻は私以上にもっともっと大変だったと思います。子供がなぜお母さんが大好きか分かった気がします。お母さんの役目は私には出来ないなと思いました。妻にはかなわないなと思いました。
息子を抱きタクシーに乗り病院へ病院からタクシーに乗り家へ、それをもう一度くり返し家へついた時は朝の6時過ぎでした。私も妻も息子が心配で眠れず朝の9時に私は仕事へ妻は息子を連れかかりつけの病院へ行きました。昼過ぎに私が帰宅すると息子の熱は40・2度になりました。私はなるべく動揺を抑え妻がかかりつけの病院へ電話しているのを聞いていました。まあ大丈夫だろうという事なので家で安静にする事になりました。3時過ぎにまた仕事に行き家に帰宅したのは夜11時でした。本当に妻に感謝です。一睡もせずに息子の看病をしてくれる妻がいるから私は自分の好きな仕事に全力で集中する事が出来ました。まだまだ心配は尽きませんが、息子がはじめて病気になり私は小さい時の事を思い出しました。まだ私が幼稚園児ぐらいの頃に夜中具合が悪くなり母に抱かれて夜間診療に行った事でした。私は何度も嘔吐して母の上着を汚しました。母は優しい顔で優しい言葉をずっとかけ私を励ましてくれました。あと私が幼稚園児のころ病気で入院した時に父が仕事の現場から日帰りで来てくれて私の手を握り「お父さんの力をお前にあげるからがんばれ!お父さんの力をあげたからもう大丈夫!」と言われ父が買って来てくれたリンゴジュースを飲むと不思議な事に数時間後は少し楽になりました。フラシーボ効果なのでしょうね!私は父を強い人だと思っていました。だから効果があったのだと思います。そんなこんながあった事も忘れて、自分は自分の努力で少し強くなったなどど思っていたのは大間違いでした。子供が出来なかったらこんな事考えもしなかったのかもしれません。だから妻と息子に感謝です。もっともっと逞しく頼もしく楽しく優しい父親と夫になりたいです。まだまだ修行です!
夜中に息子がグズグズしていたので抱いていると息子が私の胸に嘔吐したので、すぐ熱を計り嘔吐物を妻に確認してもらい夕方ぐらいからの息子の様子を妻と話し合い病院に行った方が良いと判断したので、妻に病院の受入先の確保と病院に行く用意を頼み私は息子を着替えさせ家を出ました。大きな通りまで歩きタクシーをつかまえ病院に行きました。幸い息子は大きな病気などではありませんでしたが帰りのタクシーの中でこれからもこんな事が日常茶飯事なのだろうと思いました。私は自分は素早くベストな対処をする事が出来ただろうか?自分は強い父親だっただろうか?自分は心配で焦る妻を思いやり支えてあげる事が出来ただろうか?この出来事でいろいろ考えさせられました。
息子が膝だけで立ちました。もうすぐ立ちそうです!息子の今のブームは妻が首をふると首をふり、妻がネーと言いながら首を横にすると同じように首を横にするです。それを見ると顔がほころんでしまいます!息子を見ていると自分は本当にいろんな人にお世話になって生きていた事を感じます。感謝感謝感謝です。何度言っても足りないほど感謝です。
いろんな事が終わり一段落というわけにはいきません。11月は国際親善試合12月関東大会・審査・支部内交流試合があります。ここまでは突っ走りたいと思います。今は休んでいる暇は無いなと思います。来年1月4日からは三峰で行われる総本部の冬合宿に参加します。マラソンで3位以内を目指すので三ヶ月毎日走って体を絞りたいと思います。2月は東京城南京浜支部の合宿を予定しています。んーやっぱり休んでいる暇はありません。
今日は蒲田道場時代の後輩と懐かしい蒲田で2人で飲みました。私が21歳〜23歳まで同じ時代に稽古をした後輩です。歳も同じぐらいだったので組手ではお互い鬼のような顔で殴り合い蹴り合いました。お互い上京人だったので一緒にご飯を食べたり風呂に入りに行ったりしました。良く朝まで飲み明かしたりもしました。兄弟のような付き合いをした後輩でした。お互い夢を語り合った仲間です。今日もお互いの夢を語り合いました。その後輩は2年後にアメリカに行くそうです。私は「この歳になって仕事も家庭も安定しているのに、何故?」と聴くと「自分はまだ人生一度も勝負した事がないんです。まわりの人は褒めてくれていても、自分で自分には嘘つけないので、今のままでは死ぬ時に後悔します。だから決めたんです。」と後輩は答えました。私もまだまだ大きな夢があります!お互いに頑張ろうと誓い別れました。久しぶりにぐでんぐでんに酔っぱらうほどお酒を飲んでしまいました。たぶんその後輩と飲んだから昔の自分に戻って20代の気持ちで飲んだのだと思います。
妻と息子は最近、児童館に行っています。毎週一回行っているのですが、二回目に行った時に息子は誰かに顔を引っ掻かれて帰ってきました。人とかかわって人に揉まれて成長していくので、これからもいろんな事が楽しみです!
kanno
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