ミリセントと薔薇の約束*グレン×ミリセント - 2009年02月22日(日) 「あの男、やっぱり生きていたんだな」 マーブルホールを後にしてグレンの馬車で珍奇迷宮へ帰る道すがら、ぽつりと呟くようにこぼれた声にミリセントは顔を上げた。 正面に座っているグレンの、澄んだ青と緑の混じる神秘的な琥珀色の瞳が真っ直ぐにこちらを見ていて一瞬、たじろぐ。しかしすぐに彼の言葉が頭の中を反芻してミリセントはきゅっと眉をしかめた。 「そうみたいね」 「何かされていなかったか?」 「何か、って言われるとされすぎてどれだか思いつかないわね…」 ため息をついて肩をすくめる。あの男のせいで死体に囲まれ、引っ張られたり押さえつけられたりと、およそうら若い女性の身に振りかかるにはあまりにも過酷過ぎる体験をさせられたのだ。ミリセントは今更ながら恐ろしさにぶるりと体を震わせた。 「悪い、思いださせようとしたわけじゃないんだが」 さすがにグレンも慌てて気遣うように身を乗り出した。 「いいのよ。気にしないで。ヨナスがどうかしたの?」 「いや…何か、やたらとあの男が君に近づいていたようだったから」 「母さんのことを話していたの。あのひと、母さんのこと知っているみたいだったから。賭けがどうのとか言っていたけど…。結局よく分からなかったわ」 ふう、とため息して首を振るミリセントをじっと見つめていたグレンだったが、おもむろに彼はさらに体を彼女のほうへと傾けてすっと手を持ち上げた。 「え、なに?!」 左耳にいきなり触れられてミリセントは驚きのあまり体を引く。しかしなにせ狭い馬車の中なので、すぐに背中が椅子の背について身動きが取れなくなってしまう。 「…グレン?」 「擦れて赤くなっている。あの男にされたのか?」 ああ、とミリセントは合点した。 そこはヨナスが戯れにつけたイヤリングのあった場所だ。グレンの銃のおかげで拘束が緩んだ瞬間にむしりとってしまったから、こすれてしまったのだろう。 「たいしたことないわ。ヨナスにイヤリングをつけられて、それが嫌で強引に取っちゃったの」 「イヤリング?」 「記念とか、贈り物とか言ってたわ。投げ捨ててやろうと思ったけど…。もしかしたら母さんの手がかりになるかもしれないと思って、今はしまってあるの」 本当は手元にあるのも嫌だけれど、ヨナスは母のことを、少なくともミリセントよりはよく知っている風だった。悔しいけれど、手放すわけにはいかない。 ミリセントの話を聞いていたグレンは片眉を上げて彼女の耳たぶを親指と人差し指の腹でわずかに撫でる。が、すぐに手を放して再び正面から彼女と向き合った。 「あの男は、また君の前に現れるんだろうな」 「そうね、私なら母さんを探し出せると思ってるみたい」 「果たしてそれだけが理由か?」 「どういうこと?」 含んだ言い方に首を傾げるミリセントを、グレンは目を眇めて見つめると、どかりと彼にしては随分と乱暴な仕草で背もたれに体を預けた。 「だから君はうかつだというんだ」 「えぇ?!何でそうなるのよ?!」 「何もない相手に、普通イヤリングなんてものを贈ったりはしない。いいか、絶対にそれは身につけないほうが良い」 「言われなくてもしないわよ!」 「ならいいが…。ミリセント、次からはあの男を見かけたら俺にすぐ報告してくれ。何も言わずにいなくなられたらこちらとしても迷惑だ」 厳しい口調のグレンの表情には、けれどミリセントを案じている様子が伺えるので、真っ向から言い返すことが出来なかった。 「……ごめんなさい」 「分かってもらえればいい」 素直に謝るミリセントに尊大に答えるグレンだけれど、その顔にほっとしたような風情が浮かんでいるのを見て取ってしまったらやはり何も言えなくなってしまう。 グレンの気遣いが嬉しくて、そして少し気恥ずかしくもあって、ありがとう、と小さな声で呟いたお礼はきちんと彼に届いたらしく、グレンの端整な面差しにふっと常にはない笑みが浮かんで。 「!」 今更ながら先程彼に触られた左耳が妙に熱い気がして思わず同じところを触ってしまった自分をミリセントは、髪をくしけずる仕草で誤魔化したのだった。 ...
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