「静かな大地」を遠く離れて
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2008年03月30日(日) リンゴの木を植える

昨日の流れで『アジアの感情』をパラパラ見ていたら、下記の記述に行き当たった。

■新井敏記『池澤夏樹 アジアの感情』(スイッチ・バブリッシング)より
 『楽しい終末』の帯の文句を引けば「もしも明日世界が滅びるとしたら、今日君は
 リンゴの木を植えるだろうか?」というマルチン・ルターの言葉の通りに、世界が終わる
 ことの方はとりあえずカッコに入れておいてその上で日々の生活をきちっとやる。
 各論を積み上げる姿勢の延長上で多分『未来圏からの風』という仕事をした。

あのフレーズってルターの言葉だったのか、と思ってネット検索すると、異説もあるようだが
とりあえずWikiquoteには出ていた。

■http://ja.wikiquote.org/wiki/マルティン・ルターより
 もしも明日世界が終わるなら、私は今日リンゴの木を植えるだろう。
 "Wenn morgen die Welt unterginge, würde ich heute ein Apfelbäumchen pflanzen."

なんでルターに引っかかったかというと、佐藤優氏が講演会で神学の話をされた時に
「ドイツがおかしくなるときはルターが出てくる」みたいなことをおっしゃっていたのが
強く記憶に残っていたからだ。池澤夏樹氏の佐藤優ファンぶりは、以下の通り。

■池澤夏樹『虹の彼方に』(講談社)「羊飼いと羊」より
 佐藤優が今の日本で最も魅力ある論客であることは誰もが認めるだろう。なにしろ朝日と
 産経がこぞって話を聞きに行くのだ。
 まず明晰。そして該博。外交を入口にこれだけ筋の通った国家論を展開できる者は他にいない。
 快刀乱麻とはこのことだ。

さて、その佐藤優氏の講演会で質疑応答の時間に訊いておけばよかった、と後悔した質問がある。
「ドイツのナショナリズムがヘンになるときはルターが引っぱり出されてくる、というお話が
ありましたが、日本がおかしくなる時は? ナニが出てきたら要注意なのでしょう?」という質問。
きっと一筋縄ではいかない回答が得られたはずだと思う。なにしろ『神皇正統記』を持ち出して
国体を安んじようと企図する「現代の南朝イデオローグ」としての側面も持つ人なのだから。
そのへんに絞って全面展開した単行本はまだないが、これからおいおい出てくることだろう。

昨日のモーリーさんの『よくひとりぼっちだった』と同時期、僕が愛読していた小室直樹氏に
『日本の「一九八四年」G・オーウェルの予言した世界がいま日本に出現した』という本がある。
ジョージ・オーウェル『1984年』や山本七平『空気の研究』を援用しながら、超管理社会と
化した日本を諷刺した読み物だ。池澤夏樹氏と佐藤優氏とモーリー・ロバートソン氏の間に
小室直樹氏を置くと、妙に奥行きが出る。それぞれの生真面目さで日本社会との違和感に
こだわりつづけているという意味では共通点があるのだが一同に並べると妙におかしみがある。

この『日本の「一九八四年」』、まだソ連が存在した時代に書かれた本なのだが、いま繙いてみると
『国家の罠』に描かれた今の日本の狂気を予言しているように読めて面白い。シャレにならないか。
ルターと同時代のカルヴァンのことがいっぱい出てくる。如何に欧州が「異端」を焼き殺して来たのかも。
国家も世界も重苦しいが「とりあえずカッコに入れておいてその上で日々の生活をきちっと」やるべし。
それがなかなかに難しいのだが。佐藤優『獄中記』でも再読して気合いを入れ直すのもいいかもしれない。


2008年03月29日(土) 「そんなに事態は深刻なのかい?」

■池澤夏樹『すばらしい新世界』(「わが友ブチュン」の章)より
 「そんなに事態は深刻なのかい?」
 「ああ、ひどいものらしい。ラサなんか、もう漢人の方がチベット人よりも多くて、
  町の雰囲気もすっかり変わったと聞いている」
 「そうなのか」
 「リンタロ、間もなく何か大きなことが起こりそうな気がする。チベットを変える
  ような大きなことが近く起きる。その時にもしもきみの力がいることになったら、
  手を貸してくれるか?」

『すばらしい新世界』のクライマックスで主人公はダライ・ラマ14世その人と面会することに
なるが、会見の内容は描かれない。だが作家自身の対談の記録がある。

■ダライ・ラマの発言 池澤夏樹『未来圏からの風』(PARCO出版)より
 私はまことに楽観的です。世界のさまざまな場所で、特に若い人たちの間で、普遍的責任感
 とでも呼ぶべき感覚が強まる傾向が見られます。「私の国」とか「私の大陸」ではなく
 人類全体について考える姿勢があります。これは実によい兆候です。だから、私たちは
 普遍的責任感をもって、自分から始めて、全体を変える、向上させる努力を積まなければならない。
 それによって私たちはよりよい世界、よりよい人類の実現に力が貸せるわけです。
 これが私の根本的な信念です。
 
この対談は、深くはあるものの短い応答で終わっていて、文字で読む限り今ひとつ踏み込めない
感じがしていた。ダライ・ラマ猊下の「肉声」と言うにふさわしい本を最近手にして読んでみた。

■上田紀行『目覚めよ仏教! ダライ・ラマとの対話』(NHKブックス)
 
上田氏の愚直といっても良いような真摯さが、ダライ・ラマ猊下の存在に迫るライブ感が溢れていて
一気に読める。宗教家というよりも、まるでピーター・ドラッカーの話でも聞いているような感じで
現代世界の見取り図が描かれていくのが面白い。仏教はすべてを「つながり」の中で見ていく知恵
なのだから、社会生態学者であるドラッカーを連想するのも、あながち外れてはいないのかもしれない。

「チベット」「つながり」「自分から始めて全体を変える」「ライブ感」とキーワードにして並べると
モーリー・ロバートソンさんのポッドキャスト、i-morleyに直結しないわけに行かない。
懐かしい『すば新』の一節を引っぱり出してめくってみれば、世紀の変わり目に大新聞の連載で
グローバリズムに否を突きつけていたエキサイティングな読み物だったのだ、と感慨深い。
当時インターネットがようやく一般に使われる道具になりつつあった。

■i-morley公式ブログ
http://i-morley.com/blog/

■チベトロニカ公式サイト
http://www.tibetronica.com/

i-morleyのノリなら、『すばらしい新世界』の登場人物たちは世界の数カ所をネットや携帯でつないで
お互いの動静を報告し合っているだろう。ネパールやムスタンから生でつないでいるかもしれない。
想像すると楽しい気分になる。林太郎さんたちはラサのニュースをどう聞いているだろうか。

(ちなみにモーリーさんが80年代に出版した『よくひとりぼっちだった』というエッセイは
僕の“青春の書”の一冊なのだ。)

さて『未来圏からの風』の対談での池澤氏の最後の質問、「孤独と利他主義」についての問いに、
仏教は、あるいは今後の人類は、どう応え得るのか。

■鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)
 確かにジョバンニの心の中に修羅の涙は流れ落ちている。しかしその修羅の涙は、「みんなの
 ほんたうのさいはひをさがしに行く」という菩薩道的誓願によって闇の中に輝く光源となる。

修羅の道、菩薩の道。
分断されて連帯できないでいる沢山の衆生に、笑顔と勇気!


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