「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月30日(日) 「ちゅらさん語」の射程距離

題:108話 札幌官園農業現術生徒18
画:剃刀
話:六年を過ごしたここ北海道の方がよほど故郷らしく思える

「ちゅらさん」が終わりましたねー♪
平良とみさんの本が書店に並んでたので見てみたら「ちゅらさん語」という
言い方で“「ちゅらさん」風ウチナーやまと口”を表現されていました。
「ゴーヤーマン」も「ゴーヤー」そのものも「国仲涼子」もポピュラーに
なったけど、何をおいても最も浸透したのは「ちゅらさん語」だったかも。
沖縄ことば指導&ゆがふ店長の藤木勇人さん、お疲れさまでした〜!!
“沖縄で朝ドラを”というお題は、想像以上に難題だったと思います。
それに考え得る最上級の回答で応えた脚本の岡田さんもお疲れさまでした。
そして楽しい「ゆんたく」に浸らせてくれたキャストの皆さん、ありがとう。

切通理作さんのサイトの掲示板に「ちゅらさん論」がアップされています。
アドレス↓をご紹介しておきますので、お早めに(^^)
http://www82.tcup.com/8254/tirira.html

ちなみにここで最近よく話題にしている『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)、
最近読み終えたので先日、切通さん宛てにご挨拶のメールを出しました。
以下、その抜粋。

 『宮崎駿の<世界>』大変おもしろく拝読いたしました!
 新書というメジャーというか、ある種パブリックな場所でああいう
 アプローチを通してしまう切通さんのパワーに感服しました(^^;
 「コナン」の各話レビューなんて、普通のオトナは載せませんよ(笑)
 でもオンエアーで見て以来なのに、「ああ、覚えてる、このシーン!」
 みたいな感じで、下手にDVD見るよりエキサイティングでした。
 そうした細部から積み上げる所説も説得力あふれて頼もしく読みました。
 とかく“マス”を掴んでしまったが故に「好き嫌い」で云々されがちな
 宮崎氏の仕事としっかり対峙する姿勢を読者に問う、良いお仕事ですね。
 80年代はじめの『アニメージュ』などアニメ誌を耽読していた33歳の
 僕にとっては、膨大な映像とインタビューを読み解きながら思索を練る
 作業自体が、うらやましかったです。大変でしたでしょうけど。
 自分のウェブ日記でも何か書こうと思いつつ、多忙に紛れていますが、
 「読んでる」「面白い」とは何度か書いてるので、つられて読んでる人
 は発生しているようです(^^)

『宮崎駿の<世界>』を読んでない方にも、上の僕の駄文と切通さんの
「ちゅらさん論」をお読みいただければ“プロの批評”の迫力というもの
が伝わるのではないでしょうか。
切通さんとオキナワ、と言えば『怪獣使いと少年』(宝島社文庫)に所収の
ウルトラ・シリーズ草創期の脚本家・金城哲夫氏という存在が大きい。
日本人にとっての「南」は、西欧人にとっての「オリエンタリズム」に匹敵
する難問。そのへんまで拡大した話は、また日を改めてしませう。
中島敦、パラオ、ポナペ、椰子の実、ムー大陸幻想、モスラ…みたいな線。

ちなみに以前「ちくま日本文学全集」という文庫サイズの中途半端にソフト
な表紙の全集で中島敦の巻にエッセイを寄せたのは御大だったけれど、
最近でた中公文庫BIBLIO 20世紀なるシリーズで南島ものの短編と書簡を
あつめた『南洋通信』という本、解説は佐々木譲さんです(^^)
なんか、ちくま文庫の全集もってたはずなのに買ってしまいました♪
以上は今日のところは、余談。

沖縄と北海道、南と北。
ニッポンの「周縁」にはまだ物語の発生源が在る。
それは微妙な問題を含むけれども、そのジェネレーターを稼働させて初めて
見えてくるものだってある。「ちゅらさん」が作られたことは幸福だった。
池澤御大が北海道に「着手」したのが時期尚早ではなかったか、などと危惧
めいたことを書いたりしたこともあるけれど、走りながら考えることにも
良い面はある。正に文明を問うような「同時代」の事件が起こったことにも
どう反応しうるのか、シンドイこともあるかもしれないが完走してほしい。
今はメール配信の「新世紀へようこそ」も“ほぼ日刊”で書いてますし、ね。

明日からはじまる「ほんまもん」の次の「さくら」は、日系ハワイイ人社会
が舞台になるとか。ほんと、なんだか“スピリチュアル系”な場所選びに
なってきましたね、だんだん。そのうちアラスカまで行ったりして(爆)
では今夜は、10月1日に新しいステップを踏み出す貴方の前途に美しい虹が
架かることを念じつつ、おやすみなさい、そしてこれからもチバリヨ〜!!


2001年09月29日(土) 近現代史の見取り図がほしい

題:107話 札幌官園農業現術生徒17
画:髭剃り
話:頭では言葉を学び、手と足はわざを学ぶ

この日録、昨日の最後で急に北海道のことから満州に話が跳びました。
福田和也氏の新刊を買ったせいもあるんだけど、もう少し敷衍しておいた
ほうがよかったかな…と思ったり。
#よく考えたら福田氏って『作家の値打ち』書いた人だったりする(笑)
ぜんぜん忘れてた、っていうか別にそんなことは気にしちゃいられない。

で、昨日の補足。
『武揚伝』を大宣伝して煽ったのはいいけれど、とある読書好きの女性の
読後第一声は、

 下巻の裏表紙を閉じて「こんなの知らな〜いっ!」。

…だったそうで、学生時代にフツーに日本史の授業受けてたはずなのに、
こんな大きな出来事がまったく「初耳」だったことを痛く“不当”なこと
だと受け止められたようです。もっともな話でしょう。
ことほどさように、前提となるべき“幕末史”“榎本武揚像”そのものが
茫洋として曖昧な霧の中にあるのが、一部の歴史オタク以外の若い世代の
アベレージなのかも。ちなみに彼女は「ともかく、本として面白かった」
と言ってくれたので、薦め甲斐もあったというもの。未読の方、是非(^^)

総じて「近現代史に無知」な国民、というのは幸福なことかもしれなくて
インドシナ半島やバルカン半島や朝鮮半島では「無知」じゃいられない。
そのへんの感覚を田口ランディ氏がカンボジアへ行かれたあとだったかに
うまく言い当てていたと思います。「現代史に詳しい日本の男」にはイヤ
な奴が多かったとか…。冷戦期まではそうだったのでしょう。
でも90年代を越えて2001年9月11日に迎えた21世紀は、流石に
80年代とは違う歴史認識が必須アイテムになるでしょう、否応なく。

『英語できますか?』(新潮選書)の井上一馬氏が英語習得について上手
な状況説明をしているのが参考になるかもしれない。すなわちこれまでは
日本の人々が英語を習得するメリットがコストに見合わなかったがゆえに
「日本人は英語が苦手」と思われてきた、しかしここ最近の状況の変化は
英語をコストに見合うメリットを生み出す道具に変えた、従ってこれから
日本人は英語を本気で習得する(できる)ようになるだろう…なる趣旨。

近現代史の知識も同様であるのではないか、というのが僕の見方。
言ってみれば近現代史の知識というのは、会社の中の「申し送り」みたい
なもんで、「困りますよぉ、先輩!言っておいてくれないと。取引先で
恥かいたじゃないですかぁ。今回は私が恥かいたくらいで済みましたけど
下手したら取引先ひとつなくすとこでしたよ!(怒)」…みたいな感じか。

歴史教科書(と課程)に関する具体的な提案は、先日ここで書いた。
16世紀以降の「日本ーインドネシアーオランダ」三地域の関係史に集約
した叙述を骨組みとし、あとはそれを説明するための背景と割り切る。
歴史の複眼性と“アカウンタビリティ”を養うための「実用型」教科書を
実現する意味で、記述は英語を採用する。以上♪

さて下の「******」以下は、僕が1999年3月に書いたものです。
文中、オキナワのことに触れかけて未消化になってます、ちらちらとリンク
はしてるけれど。このあいだ掲載したアメリカ観光旅行メモでも寸止めで
オキナワそのものには触れていない、というか避けている感じもある。
ラストの一言がウルトラセブンなのはオキナワ・リンクだけど(笑)
ま、そのへんの話題はこれから9月30日づけ日録で書きますか(^^;

**********************************
日本の近現代史の見取り図がほしい、とずっと思っている。

琉球と満洲は、そのミッシングリンクだと思います。
樺太や台湾となると少しずれるし、朝鮮となると視点を上手くおけない。
在日のことか、サハリンスキーカレーエツ(サハリン残留朝鮮人)ならまだ
勉強すれば視点はとれそうだが・・・。北海道なんてのもある。

以前に福田和也「魂の昭和史」という黄色い表紙の本を読んだ。湾岸戦争後
の90年代も後半になった今だから、アメリカという補助線も相対化できて
わかりやすく見取り図が描けそう。沖縄もバブル経済も竜馬も含めて。

仕組みはこうです。
竜馬の時代、日本は・・・というより薩長はイギリスのゆるやかな統治下に
入ったのです。関税自主権などいろいろ国としての条件が不備で、明治が長
らく不平等条約のもとにあったことはご記憶でしょう。薩摩も長州も英国と
戦争して負けているのです。そして友好関係を得て、有り体に言えばテコ入
れしてもらって、幕府を倒したのです。グラバーの動きなど研究して見れば
面白いはず。

そして最近の仮説では竜馬を殺したのは、イギリスの意を受けた薩摩の手の
ものだと言われています。竜馬は英国と対等に張ろうとおもったし徳川慶喜
もそう思ったでしょう。フランス式の陸軍を作ったりして幕府はフランスに
頼ろうとしていた。その辺の機微は未だに明瞭な見取り図ができていないが、
明治維新の日本の若者たちをあまり英雄視するよりも国際情勢から解説して
もらった方がほんとっぽい。ことによると落合信彦になっちゃうけど。

で、明治から第一次世界大戦まではパックスブリタニカのもとでひたすら、
イギリスのような通商国家を理想のモデルとして頑張って、日清、日露戦争
を闘った。それはイギリスの覇権が自由貿易体制を保証してくれていたから
こそ可能であった。ゲームのルール。

それが世界帝国イギリスも斜陽になって、時勢はロシアに革命が起こるまで
至って、世界の運営の枠組みがむちゃくちゃになったわけだ。
1902に対ロシアの日英同盟を結んで、ベルサイユ会議後の1921だかに解約
されている。自由貿易体制を支えきれなくなったのだ。

そして時代は1920年代から30年代。シベリア出兵の泥沼と関東大震災など
ありながら経済恐慌の時代へ突入する。せっかく頑張って一等国の仲間入り
するために邁進してきたのに、気がついたらその体制の枠組みそのものが
なくなっていたという状態。

列強が既得権益を抱え込んで日本を閉め出すなら、日本は日本の権益を確保
するしかない・・・といって満洲に手をのばす。ズルズルと。
そして大陸に踏み込んでいって、挙げ句の果てに、東南アジアの英米仏蘭の
権益と衝突して太平洋戦争に至る。なんともどうしようもない話だ。

ヴィジョンの消え去った後にバブルに踊って戦線を広げすぎてどうしようも
なくなって破滅。バブルの前までは登り調子で、いよいよ頂上もみえようか
という気分だったのに・・・。結果的になにもかも無くなってしまった。
・・・おわかりのように、戦後50年と全く同じなのです。

もしかしたら違うのは、まだまだ崩壊がこれからかもしれないというところ。
冷戦集結から湾岸戦争あたりがまだ1920年頃で、日本はこれからジリ貧に
満洲進出していくのかもしれない。「アメリカの平和」の果実は今のところ
まだ私たちのところに届いている。
でもいつかは世界の経済システムが保たなくなって、今のように富が回って
こなくなるかも知れない。

米中関係とかがおかしくなって、日本が何か変な役回りをあてがわれるかも
しれない。今後も予断を許さない情勢。・・近代文明は魔物です。

ハワイ併合を果たしたアメリカがフィリピンを手中にして日本と対立し始め
たのは20世紀の初めのこと。沖縄の米軍基地の映像など見るにつけ、あれ
こそが日本のほんとうの姿だと思います。
日本国の現状。軍事占領されたまま50年を経た極東の島国。

パックスアメリカーナの優等生はアメリカを夢見て、やっとそれっぽい生活
ができるようになったころには、世界システムが変わろうとしている。
またしても「創業の奇跡」は神話に、そして桎梏になろうとしている。
経済成長神話は戦前の大艦巨砲主義なみに国を誤らせるものになりつつある
のかも。成功の要因に縛られて国は滅びる。法則である。

関東大震災くらいのフェイズは終わっているのだろうか、阪神大震災で。
すると今は昭和初年、いよいよマジで暗い時代が始まってしまうのかねえ。
芥川龍之介が不安の中で死んだりしたような。ヴィジョンがない。
でもつくろうと思ってもきっと満洲国なみにイケてない、姑息なグランド
デザインしかできないんだろう。
そのうちまた「チクショウ毛唐め」とか思うんだろうか?・・みんなで。

結局システムを構想したり作ったり支えたり、そういうある種あざといこと
に参画する特権と義務が「ビジネス」の精神を支えていたりしたのかもしれ
ない。そういう意味では夏目漱石「それから」の代助が何故働かないか、
その理由を日本の国際社会の中の位置に言及しながら小理屈をいう場面が
あるけどこうして考えればよくわかる気がする。代助の父や兄がやっている
のはビジネスではなく商売に過ぎないのだろう。

ビル・ゲイツとかはどうだろう。孫正義はどうだろう。そういう意味では坂本
龍馬がやっていたのは、あの時代のまちがいなく「ビジネス」であり、海援隊
の遺産を使って三菱財閥を起こした岩崎弥太郎がやったのは商売だったのだろう。

僕は・・・サマージャンボを当てて、家庭教師を雇ってヨーロッパを贅沢に
グランドツアーしようという程度の不届きなヴィジョンしかない。「和製」は
なぜ貧乏くさいか・・・を考える学問とかあってもいいと思う。
F1見て回りながら欧州文化を勉強したい。そして日本では鎌倉を散歩する。
一方でバリに入れ込んでみたりする。

まあこういうことに、さらにヒトと自然との関わりとかが入ってくるんだよな。
沖縄とかアラスカとか北海道とかだと割と見えやすいだろう、経済活動の醜さが。
でも「ワタシ感覚の小物たち」に入ると見えないんだよな。
「クロワッサン」誌のようなプチ生活資本主義。なにせクマとヒトは遠い。
クマちゃんのぬいぐるみと、獰猛な野生のヒグマくらい遠い。
沖縄やアラスカの方が豊かだ・・・と言うと、とたんに上条恒彦オトコが出現
してしまう。困る。別に上条さん本人に恨みはないが・・。

星野さんはニューヨークのような都会とアラスカの原野を同じように愛した。
ヒトにとっての「自然」があるからだろう。中途半端なイナカというパブリック
プレッシャー空間を「国家」と呼ぶならば、それは醜く危険な魔物だ。
巨大な無責任の体系。それを嫌う人間とそれを利用する人間・・・。

まだしも「もう戻れないから、システムのバッファーを作り続けながら加速し
つづけてこのまますすむしかない、それが偉大なる人類の実験だし、生きている
実感の拠り所なのサ」…とかなんとかサンタフェ研究所のそばのサンドイッチ屋
かなんかで、浦沢直樹マンガに出てくる白人のような顔の研究者に言われちゃっ
たりしたら「私あなたを支持します!」って感じでしょ?

満洲建国とか大東亜共栄圏には、ケチなレベルだけどそうしたヴィジョンめいた
ものの臭いはあったようだ。どっちかというと商売に近いけど。
F1に魅かれるのは、あれが最前線だからだ。アップルのMacもそうだけど。
零戦はきれいだったんだろうな。
結局何をどうしたらいいのかわからないまま、ポトラッチの狂熱に落ちていった
のかな?・・そんな気分まで掬いとらなきゃ歴史なんてなにも見えてこない。

「もののけ姫」も「エヴァンゲリオン」も、神経症的に深刻な話だった。
「インディペンデンスデイ」を日本人が作りうるとしたら・・・?
アメリカのヴィジョンを無理なまでに愚直にやるとああなるわけで、日本でやる
ときはこの国のヴィジョンを過剰に類型としてやらなきゃしょうがない。
なんだろう?
「ウルトラセブン」か?・・・わからん。宿題にしておこう。


2001年09月28日(金) 明治という国家、はじまりと周縁と終焉

題:106話 札幌官園農業現術生徒16
画:煙管
話:この明治の御代には人に生来の貴賤はない

NHKの「金曜時代劇 山田風太郎からくり事件帖ー警視庁草紙よりー」
のオンエアーがはじまった。職場の食堂で遅い夕食を摂りながら45分
見てしまった。近藤正臣さんが川路利良を演じていてとても魅力的だった。
近藤正臣さんが明治や大正の時代物に出ると、いつもながら秀逸なのだ(^^)
#それはそうと『お登勢』もこの枠だったし

この有名な原作は「維新負け組」を隠しテーマにしている。隠してないか。
明治初期は不平士族の叛乱や政争が続き、もはや「勝ち組」「負け組」
が混然となってわけがわからない状態になっている伏魔殿的な明治が舞台。
なんとなく先日書いた北海道開拓使とか薩摩「帝国」のテクノクラートとか
そういう連想をしつつ。一冊興味深い本を紹介しよう。いつも“副読本”を
無闇に紹介しているように見られるが、実際は文庫、新書、新刊をメインに
入手しやすくて読みやすいものを厳選しているつもり。その禁を破って、
今日ご紹介するのは、地方流通出版扱いかな?

*西村英樹『夢のサムライ』(北海道出版企画)

手抜きします(笑)↓詳しくは田原さんにおまかせ♪
『夢のサムライ』田原ひろあきさんの書評@「ポルケ?」
http://www.asahi-net.or.jp/~vl5h-thr/porque/review/t990304.htm

北海道出版企画
http://www.dokusho.co.jp/ad/kikakus/kikakus.htm#夢のサムライ

北海道や薩摩ローカルな悪い意味での「郷土史」本ではなくて、明治初年の
北海道という場でサツマのテクノクラートたちが蠢いていた、その様を活写
したノンフィクションとして面白い本です。リアルな手触りのある「歴史」。

僕が大宣伝している佐々木譲さんの『武揚伝』(中央公論新社)の難点は、
榎本武揚がバリバリの実在の人物であったこと、そしてそれにもかかわらず、
自伝を残していないこと、に発すると言っていいだろう。
 ※以下の段落、激しくネタバレ警報!!!!!

だから読者は“史料に基づく評伝の小説仕立て”として読みかねない。
そこで「榎本公の後半生の話も読みたいぞ」という欲求が起こってくる。
これは小説家としての佐々木譲さんにとっては気の毒な「贔屓の引き倒し」
という面もある。つまり作劇上のラストシーンのカタルシスに関して観客の
多くが納得しなかった、ということも意味するからだ。
僕自身は地球儀と船のロマネスクで押し切った終章を愛しているけれど…。
作者の“落ち度”の面もあると思う。下巻の内戦に入ってからの描写への
力の込め方に、どこか小説家のクールな眼を離れた、評伝作家の熱のような
ものがついつい、もしくは自覚的に(?)籠もっているように思われるのだ。
当然、読者の矛先は「過激な共和主義者」の属性を与えられているはずなのに
煮え切らない(かに見える)我らが主人公・榎本武揚へも向かうだろう。
中島三郎助の最期など迫真の描写なだけに、やり場のないモヤモヤしたものが
残る。シルンケのエピソードなどは、その“揺れ”の最たるものではないか?
踏み込めば、19世紀国際人である榎本公の思想は現在の人権思想とはズレる
だろうし、お得意の国際法だって旧いものだ。オランダ贔屓の彼がオランダ領
東インドの存在をどう見ていたか、それとアイヌとの関係は?…などなど。
そのモヤモヤは、読者が現代の日本や世界にでもぶつけてくれ、というのは
ひとまず禁じ手だとするならば、読者に“ガス抜き”の逃げ道を作ってあげる
べきだろう。『エトロフ発緊急電』のラストが奇跡的に成功していたように。
ある種、あの志、あの風を継ぐ者をフィクショナルなキャラクターでいいから
配置しておくとか、巧者の佐々木氏ならやりようはいくらもあっただろう。
今回はあえてそういう途を採らず、“熱”に委せたということだろうか?
それならば、それもよし。いずれ、僕が最高に面白く読んだ至福の読者である
ことには変わりはないのだから。

そういう「作劇上」の問題の他に、図式として『武揚伝』世界から捨象されて
いる存在がある。薩摩「帝国」と陰謀公家・岩倉と、そのお先棒担ぎの勝の顔
が前面に出ているが、長州についてはほとんど触れられない。
触れても図式がややこしくなるだけで、論点がボケるから、と言えばそれまで
なのだが、明治維新の一つの肝は英国公使館焼き討ちとかやってたヤンチャな
志士たちを抱えていた長州が、開国論に転換するところだったりする。
*犬塚孝明『密航留学生たちの明治維新』(NHKブックス)
という新刊が井上馨を中心にイギリス・コネクションの線から見た明治維新を
明快に描いてくれている。“ロマンティック”な回天神話ではなく、英国との
関係から説明されているので話がわかりやすい。密航のリスクを冒してでも事
を成す胆力、世界最強国にして帝国主義の卸問屋を選んだこと、こういう連中
が目前のサツマを中心とした新政府側に厚い層を成していたが故の敗北でも
あったのだろう。『武揚伝』後に、逆側からの視点の着実な研究は勉強になる。

「国家」「近代」「文明」、そうしたものへの問いが明治維新期に榎本武揚を
渦の中心として巻き起こったとするならば、それがどう現在の自分たちに
流れ込んでくるのか、その中間項としての昭和史というものに関心がある。

*芳地隆之『ハルビン学院と満州国』(新潮選書)
 ドイツでベルリンの壁崩壊に遭遇した若手研究者による新鮮な視点で描き出す、
 昭和・日本が直面した「文明の衝突」の実相。この人は新書書いて欲しい(笑)
 さもなくば早く新潮選書でもう一冊!(^^)

*福田和也『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』(文藝春秋)
 満州国とか石原莞爾が登場する骨太かつシャープな本を待っていた。
 雑誌に連載されているときから単行本化を心待ちにしていた分厚い新刊。
 原稿用紙1800枚って、いったいいつ読めるんだろう(^^;
 著者の『魂の昭和史』(PHP研究所)は簡潔にして要を得た好著です。
 日本の近代史について見取り図が欲しいなら、結構読みやすいかも。

さぁ、明日は「ちゅらさん」最終回とオキナワについて書こうかねぇ。
…疲れるからやめとこうかねぇ(^^;


2001年09月27日(木) 成層圏の宮澤賢治

題:105話 札幌官園農業現術生徒15
画:肥後の守
話:本当に座学の知識だけで充分であると思うか?

冷たくなった夜の空気に金木犀の香が混じりはじめたようだ。
深夜の短い自転車通勤が心地良い。
要領が悪いのか、雑事が際限なく続き徒労感に包まれる日々、
脳が夢みるヴァーチャルな理想と、身体の置かれた現場との
間の隔たりに今更ながらに途方に暮れる。

実践としての農、それが今日の『静かな大地』のテーマ。

表題の「成層圏の宮澤賢治」は、ずいぶん前に予告していた。
でも面倒になって書いてなかったネタ。
なにゆえ「成層圏」なのかという説明からしておこう。
僕はほとんどの宮澤賢治作品を、国際線の旅客機の上でしか
読んだことがない、というのがその理由。
そう言うともしかしたら格好つけに聞こえるかもしれない。
(いや、旅客機が飛んでるのは「成層圏」より下じゃないか、
とかそういうのはよく知らない。イメージとして、ね (^^;)
そうではなくて、滅多に乗らない国際線の帰りの映画上映が
終わってみんなが寝静まる頃、欧州線ならシベリア上空こそ、
唯一宮澤賢治の作品(ならざる遺稿なのだが)を読みうる
特殊な意識状態になる空間なのだ。

地上では、あんなエキセントリックで時に退屈な世迷い事に、
シンクロできるような時空間を持っていない。幸いにして。
ジェット機という現代文明の利器に下駄を履かしてもらって
ジェット・ラグ=時差と旅の疲労がもたらす変成意識状態で
ようやく20世紀前半の花巻に生きた一個の奇人の世迷い事
にチューニングできる、というわけだ。

僕は長らく“宮澤賢治読まず嫌い派”どころか無関心派だった。
実際マトモに読んだのは20歳を越えて、仕事をするように
なってからだ。きっかけは何だったか忘れたが、1992年
尾崎豊が死んだ直後に兄と東北を旅して、列車の中でずっと
『注文の多い料理店』の諸作品を読んでいた覚えがある。

95年に花巻とサハリンへ行った。
そのころには結構な宮澤賢治通になっていたと思う。
あいかわらず本人の作品はほとんど読んでいなかったのだが、
世に数多ある宮澤賢治本の中から、自分の嗜好に合うものを
見つけだして読んでいるうちに面白くなってきた。
NHKで「イーハトーブ幻想曲」という番組が放送されたのも
新鮮だった。難しい話一切抜きで、音楽との関わりだけから
イメージ的に宮澤賢治を描いていた。
生誕百年の騒ぎの時に角川文庫からマイナーな童話遺稿を含む
10冊が刊行された。その後これを少しずつ“成層圏”で読む
ようになって、このあいだのオランダからの帰りで読み終えた
というところ。

以下は、“宮澤賢治読まず嫌い派”に捧げる、大人のための
宮澤賢治アプローチ指南のブックガイド、G−Who版です。
いつものように(?笑)あくまで「入門」ではありません。
以前“SFに馴染みの少ない方に”G・イーガン『順列都市』
という本を薦めたことがありますが、“SFに”馴染みがない
方にも愉しみやすい、と思っただけで読解や思弁のスキルには
それなりに高度なものを前提としている、ということです。

*見田宗介『宮澤賢治 存在の祭りの中へ』(岩波現代文庫)
 感性の世界を理論を以て読み解くこと、その作業にこそ最良の
 詩的感性とでも言うべきもの、そして実践の心意気を要する、
 そのことが純度の高い美しい本の形に結実した希有な一冊。
 高校生に読んで欲しいという著者の願いは流石に無理か(笑)

*吉田司『宮澤賢治殺人事件』(大田出版)
 “宮澤賢治読まず嫌い派”の著者による変格社会派(?)の
 ルポルタージュ。書名は『宮澤賢治《神話》殺人事件』とでも
 補足解題すれば、その内容と見合うだろう。ここでは以前、
 「金子みすずのトポス」という話の時に少し触れたっけ。
 神話を解体し尽くして初めて僕たちは賢治本人と対峙できる。

*西成彦『森のゲリラ宮澤賢治』(岩波書店)
 御大が『本とコンピュータ』でクレオールに関心を持っている
 という話を書かれていた時、名前の挙がった研究者の西成彦氏。
 『子どもがみつけた本』で、小泉八雲などの着実な研究を熊本
 で長年されていた方だと知った。ポップかつワールドワイドな
 視点から見た宮澤賢治の読解は痛快に面白く、切れ味抜群だ。

*中沢新一『哲学の東北』(幻冬舎文庫)
 曲者の著者がほくそ笑む姿が目に浮かぶような起爆力あふれる
 小さな本。“東北”を日本の地方名ではなく、四次元空間的な
 抽象概念に変えてしまった。もはや宮澤賢治が「堅苦しい」
 などと見当違いなことは言っていられない、パンドラの箱を
 開けるような眩暈を伴うエロティックかつラディカルな一冊。

*演劇集団キャラメルボックス「ブリザード・ミュージック」
 91年初演の成井豊氏作の舞台作品。上の4冊を経てなお真摯で
 求道的な宮澤賢治像を身近なところに引きつけて感じたいのなら
 心をまっさらにして客席に着くのが良い。今年のクリスマス公演
 で再演される。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の
 幸福はありえない」という前提にしか真に生きる道はないのか、
 激しい風が吹く舞台上から聞こえる賢治の“声”に耳を済まそう。
 とびきりハートウォーミングなキャラメルボックスの会心作。

うーむ、
…それはいいけど、『言葉の流星群』って本にしないんですかね?(^^;


2001年09月26日(水) 「ほぼ日刊イケザワ新聞」

題:104話 札幌官園農業現術生徒14
画:弾丸
話:これが文明開化ということではあるまいか

「新世紀へようこそ」というメールを受け取られている方は多いだろうか?
言ってみれば「ほぼ日刊イケザワ新聞」というか、メールによる時事コラム
の配信である。きっかけはもちろん、アメリカの事件。
いまお持ちの連載の『月刊現代』に書くのでは、もはや即応性に欠けるので
メール配信の形をとられた由。

今日までに、
001 「しかし」について
002 作戦名
003 憲法前文
…という表題の文章が送られてきている。「転送は自由」だということだが、
発信元のインパラさんがやっている「オキナワ・オンライン」には馴染まない
せいか、オープンなHPへの掲載は今のところない。
僕のようなネット隠遁者はともかく、ネット上では議論の材料として著名人に
限らずいろんな人の発言を引く人も多いので、早期の一般公開が待たれる。
じゃないと出典も示せないし、掲示板や自分のサイトへの引用もやっていい
ものやら、御法度なのやらわからない、…ということになってしまっている。
“プロの売文業”の方の文章となると「転送は自由」でも、たとえばここに
そのまんま貼り付けちゃえ、というわけにはいかないわけです。

内容について、個人的に期待すること。
今のところ禁欲的なのか、守勢に入っているのか、作家さんとして「言葉」に
こだわったテーマから足固めをしていらっしゃるようにお見受けしますが、
なにせ『楽しい終末』の著者にして、沖縄県知事選を戦った闘士なわけですし、
もっと大上段に構えた文明論的アプローチや考察を展開してほしいと思います。
無闇に多くの人が浮薄に語る様は、はしゃいでいるようにしか見えませんが、
その点、語り口もアプローチも信頼のおける見識も相変わらずで頼もしい、
しかしまだまだ食い足りない感じがしてしまいます。
それともうひとつ、矛盾するようでもありますが、「創作」に力を注いで
いただきたい、という想いもあります。「小説家の仕事」。

なおインパラさんでは「意見」のメールも受け付けていらっしゃるようです。
僕自身は、ここの日録でお判りの通りのヘニョロモなスタンス(?)ですが、
真摯な議論をお望みの向きは反応されるのもよろしかろうかと存じます。


2001年09月25日(火) 牛馬の王国

題:103話 札幌官園農業現術生徒13
画:毛抜き
話:牛と馬にはそれほどの力があるのだ

開拓というと、この物語の明治初期を思い浮かべられるかもしれないが、
実際は戦後にも入植した人たちは沢山いる。

十勝の鹿追町という町に神田日勝記念館というミュージアムがある、
神田日勝という画家なども終戦のころに東京から北海道に入植している。
農業を営みながら絵をかいていた方で、昭和12年生まれ。
32歳で亡くなるまでに、特徴のある筆致で馬や風景などの絵を描いた。
数年前「日曜美術館」でも特集した(真野響子さんが司会のころ)が、
そのときゲスト出演したのは作家の古井由吉さんだったりする。

馬事公苑のそばにお住まいだという馬好きの古井さんも言われたとおり、
なんともいえない目をしているのが馬という生き物の魅力のひとつだ。
日勝の絶筆となった馬の絵(半身だけが描かれた未完の作品)でも、
目は不可思議にして尋常ならざる色合いを湛えて描かれている。
農耕馬が生活圏から消えて久しい現在でも、日高には競走馬たちが沢山
いるし、北海道が馬の国であることに間違いはない。

さらに牛の国でもある。
「ちゅらさん」の牛好きキャラ柴田さんの故郷は、北海道の別海町という
設定になっている。そういう台詞があった。
別海というのは酪農のパイロット・ファームが作られたところで有名。
乳価は安いし、雪印は傾くし、で酪農には逆風が吹いているようだが、
新鮮な生クリームの味を生かしたケーキなどを北海道で食べる幸福は、
なにものにも代え難い、個人的には。

タイトルで損しているが、開拓使のお雇い外国人エドウィン・ダンを描いた
赤木駿介『日本競馬を創った男 ーエドウィン・ダンの生涯』は、好著。
明治政権、とりわけ黒田清隆を筆頭とする薩摩閥は膨大な資金と人材を
北海道に投じた。しかし財政難と教科書でお馴染みの「官有物払い下げ事件」
の結果、開拓事業そのものが潰えていってしまう。あとは資源収奪型の産業
しか育ってこなかった、というと北海道史をあまりに冷たく矮小化しすぎか。
明治の最初の10年で注ぎ込んだ投資を、みすみす無駄にして事業を中断
してしまったのは事実だろう。かつて榎本武揚が夢みたように、オランダ
のような北国でも多くの人口を養えているのだから、エドウィン・ダンらの
事業が成就していれば、欧州の北国ひとつくらいの豊かな国が出来たはずだ。
アイヌ民族の静かな大地を簒奪しておきながら、そうした「成果」の一つも
残せなかったのは“犯罪の上塗り”ではありますまいか?

薩摩という江戸期からの「帝国」が、明治初期の北海道でどう振る舞ったか、
植民地支配に慣れたテクノクラートが存在したのではないか、というあたり
を、琉球支配と絡めて研究している学者さんとかいないものかしら?(^^;
彼らの「失敗」とその「責任」を、つまびらかに知りたい。
それは近代日本の行程そのものであろうから。
そして地球上のそこここで起こり、今も起ころうとしている事態だろうから。


2001年09月24日(月) ボストンから出撃せよ!(補)

題:102話 札幌官園農業現術生徒12
画:ボタン
話:「私はかくして野心を得た」

一挙掲載の「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」、
この日録を読む方の身になってくれ、と言われそうな感じ(^^;
注釈をつけはじめるときりがない。
文中に登場する書誌的おさえをすることで、代えたい。

*津本陽『椿と花水木』上下巻(新潮文庫)
ジョン万次郎の物語。旅の軸となった本。
作者の他の作品はいざ知らず、ことこの本に関してはとても魅力ある物語
になっていると思う。日本もアメリカも文明も若かった、のだろう。

*巽孝之『アメリカ文学史のキーワード』(講談社現代新書)
コロニアリズム、ピューリタニズム、リパブリカリズム、ロマンティシズム、
ダーウィニズム、コスモポリタニズム、ポストアメリカニズム。
特に白眉の前半は、新書の鑑である。アメリカの無意識まるわかり(^^)

*掘武昭『反面教師アメリカ』(新潮選書)
時節柄、読まれて欲しい名著だと思う。ある意味でストレートな続編である
『東欧の解体 中欧の再生』(同)とぜひ併せ読んでほしい。
「世界の中のアメリカ」が逆照射されて視えてくる。出色の国家論。

*久保尚之『満州の誕生 日米摩擦のはじまり』(丸善ライブラリー)
明治・北海道という事象の延長上の彼方に、昭和・満州が在った。
<近代国家>という産業と軍事の巨大機械のようなもの、
その生態のケーススタディ。現在と明治の中間点に満州を置いてみたら…。

*リン・マーギュリス『共生生命体の30億年』(草思社)
「サイエンス・マスターズ」シリーズの14。生命について語るとき、
そして「共生」という言葉を使うとき、ガイアという概念に疑念を持つとき、
ハンディな本書は頼れる。そしてエキサイティングだ。


出来たら、このどれか一冊を読んで面白いとか面白くないとかじゃなくて
同時に並べて混ぜ合わせるように読むと、僕が何を思ってマサチューセッツ
を旅したか、わかりやすいかもしれない。
その上で御大の『未来圏からの風』をもう一度手にしてみて欲しい。

きっと少しは2001秋の世界に対して、精神的余裕を持って対峙できるはず。
そのうえで我々は、これからの世界でどんな「野心」を持てるのか?
…それを考えること。たとえば、オランダへ行くとかして(ニヤリ)


2001年09月23日(日) ボストンから出撃せよ!(6)

題:101話 札幌官園農業現術生徒11
画:こはげ
話:「クラーク先生がおっしゃたのは、開拓は崇高な事業であるということだ」

「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」

 2000年10月13日

 DCでもシャツにアイロンをかけて、翌朝それを着て出かける。
 NORAに入る時にフリースでもあるまい、とジャケット・コートも持参して
 スミソニアン博物館群をにらむ。
 朝、地下鉄でチャイナタウンの写真「取材」。
 昨夜撮れなかったのでスターバックスの漢字の看板を撮っておく。まじめ。
 ついでに朝食。『満州の誕生』を少し読む。

 National gallerlyも見逃せない絵が沢山ある。印象派好きな日本人趣味を
 充たしつつ、今回トクしたのはラファエロとフェルメール。
 あと別棟でやっていたアールヌーヴォー展がおトクだった。満腹。
 それにしてもFine artってどうしてどのように存在するものなのだろう、と
 Bostonからまた思っていたことが復活する。Parisなんかだと必要不可欠な
 ものとして受容されていることだけはわかるけど。
 同じくScienceというやつもわからない。
 面白い、と結構広範な人々が思って触れるのは妙なことのはず。
 一部の錬金術師や異端の魔術師や王宮のお抱えの研究者が血道をあげるなら
 ともかく。そんな感慨を自然史博物館が裏打ちする。
 なんであそこまで…といいつつ、展示がちゃんとしているので編集の行き届いた
 TV programのように、カキワリの裏が見えない感じ。Harvardの赤レンガの中
 の方が、生々しく基礎科学の欲望が視えた気がする。
 世界の支配者、アメリカの首都らしい。
 つづいて隣のアメリカ史のMuseumも入ってしまう。
 だいたい朝イチでNationalArchivesに行ってるんだからマニアックな喜び方だ。
 アメリカ文明と文化とテクノロジー。
 スチーム・パンク・アメリカとかつぶやきつつ、
 Edisonの“メンローパークの魔術師”な伝記を読みたいと思う。
 なにせ子供のころ唯一読んでいた偉人伝はEdisonだったりしたのだ。
 昨日の航空宇宙博物館でもJFKの演説が流れていたけど、本当に彼の残像は
 どこでも濃厚だ。
 そして日本と交戦国だった歴史。日系人の歴史。黒人の歴史。フム。
 万次郎は琉球に帰着したりしている。
 いつもフロント・ラインになるオキナワ。
 イロクォイの展示だのアラスカの展示だのポリネシアの展示だの、
 アイヌの展示だのいろいろ想いがとぶ。

 ワシントン記念塔からホワイトハウスへ。
 そこからデュポン・サークル。
 暗くなって待ち合わせ。NORAへ向かう。内装も素敵で、すべてオーガニック。
 ワインも美味しい。一緒に食べる相手もいい。
 南米某国の高速道路が不良債権化しているのをどうリストラクチャリングするか、
 みたいなプロジェクトで今日プレゼンを終えて一息ついたところだという。
 未消化な旅の感慨をワインにまかせて話す。
 一応本気で考えている自分の仕事についても話す。
 僕は今ここにいる、という座標になる。これくらいバックグラウンドが異なりつつ
 話が出来る友人がいるというのは楽しい。御三家の本のセットをプレゼントして
 彼女の人生観、世界観に少しだけ微妙な影響を与えてみようというイタズラをした。
 ペッピーノごっこ。もしかして将来僕の人生のBest jobになる可能性だってある。
 全地球的おせっかい。
 


2001年09月22日(土) ボストンから出撃せよ!(5)

題:100話 札幌官園農業現術生徒10
画:安全ピン
話:「私らは馬について考えを改めなければならない」

「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」

 2000年10月12日

 Bostonラストの朝も透明な空。陽光に充ちている。最初の冷たい雨模様が嘘の
 ように心地いい天気が続く。昼にはローガン空港へ行ってなきゃいけない。
 地下鉄ですぐだし、ホテルのcheck out timeまで散歩しようと、街が動き出す
 のを待って外へ。地下鉄の最寄り駅の向こうの川を渡る。
 景観が開ける。BostonのLong shotが目に入る。
 水辺は晴れたり曇ったり、季節によっても様相を変えるので美しい。
 マラソン人が行き過ぎる。気持ちよさそう。
 翌週にはレガッタ大会も行われるらしい。

 橋を渡って少し行くとMITのキャンパス。
 ミーハー極まれり。大学のそばのパンの店でサンドイッチとコーヒーの朝食を
 とりつつ、また“Symbiosis Planet”を読む。
 マイノリティもかなり多く受け入れているという大学だけあって、アジア系の顔
 もチラホラ以上に見える。
 このサンドイッチ屋、近所の欲しい。ルヴァンより、これのがいい。
 ニセ留学生ごっこでキャンパス内の建物を歩き回る。
 川に面したところにギリシア風の列柱の巨大な白い建物もある。まだ早い時間
 なのでさらに気分を盛り上げて、T一本で行けるマサチューセッツ大学へ。
 JFKライブラリーも同じ駅にあるらしい。中心街を通り抜けてU.MASS駅から
 シャトルバスに乗る。明るい陽光。学生達の流れに乗ってキャンパス内へ。

 僕の誤解じゃなければここはDr.リン・マーギュリスその人がいる大学だ。
 彼女の本にマサチューセッツ大学(旧マサチューセッツ農科大学)と書いてあった
 ので、これも記憶違いでなければ札幌に来たクラーク博士の関係した大学では
 なかったか?
 新渡戸稲造はクラークとはすれ違いだけど黒田清隆とケプロンと榎本武揚と
 エドウィン・ダンと並べつつ、北海道ーアメリカ・ラインというのを辿る。
 わがジョン・マンの活躍はこれから読むわけだが、維新期に米国が南北戦争中
 だったということが日本の歴史に結果的にどう作用したのか、とか知りたい。
 龍馬にしてもワシントンを英雄とした、“アメリカの子”である。面白い。
 Nantucket以来、広い芝生と白い家を見ると、話が出来過ぎだけど普天間で
 みたアメリカ軍人の住宅を思い出す。一気に日米の150年史に想いがとぶ。
 そしてポーツマスを転機にした視点でハリマンのこと、満州のこと、西海岸の
 移民のことに及ぶ。

 キャンパスの端の海を臨む木陰の芝生に陣取って“Symbiosis Planet”の
 ラストを読む。肩越しにDr.リン・マーギュリスがのぞきこんでもおかしくない
 ?場所で読むのは楽しい。Gaiaについての記述など含めて、難易度はこのままに
 さらに詳しい記述の著書が読みたいものだ。
 生物学が18cの博物学を、そして聖書と進化論の相克を今なお平気で引きずって
 いるのも面白い。かつこわい。
 “自然と人間との関係”という誰もが持ちうる関心に、僕は今回New Englandへ
 来ることで応えようとしている。HarvardのMuseumで、Fairheavenの海辺や
 Nantucketで、そしてBostonの街で、Aquariumを振り出しにして。
 『アメリカ文学史のキーワード』の読み残しをfinishしつつ、ホテルから空港、
 そして機内へとWashingtonD.C.への途をたどる。

 国内線でWashingtonD.C.へ行くコースはなんとなくよそよそしく心細い。
 日本人はおろか、あのNew Englandを席巻していた老夫婦系ツーリストたちも
 いない。
 DCの遠い方のAirportに着く。途中チラチラ本を読みつつも晴れてかすむ
 眼下のアメリカを見ていた。Long Islandが見えて、
 遠くてもわかるマンハッタンが大俯瞰で見える。
 そこを素通りしてWashingtonD.C.へ。なかなか面白いコースである。
 Airportではいよいよ心細い。あのボストンのヒューマンスケールの感じは、
 空港からして、無い。ちゃんとした格好のOn dutyの人々。
 観光地で浮くくらいのコートを着ていてよかった。
 市街までバスとメトロを乗り継ぐ。
 千歳空港から大谷地で地下鉄に乗り継ぐようなもん?
 ボストンでなまじMetroに通じていたもんだからといって、いい気になってたら
 街のスケールが異常にデカくて難儀する。大汗をかきつつホテルへ。

 すぐそばの航空宇宙博物館へ駆け込む。無料。飛行機と宇宙船だらけ。
 子供みたいにワクワクする。すぐに閉館時間。
 Bostonのドサクサで昼食をとっていなかったので空腹がこたえてきた。
 巨人の国みたいなスケールの街なので知らずに歩いているとRestaurantなんて
 永遠にないんじゃないかという気がしてくる。
 当てずっぽうで少しでもヒューマンスケールの界隈へ。なんとなく大ざっぱな
 知識で当てにしていたチャイナ・タウンにぶつかり大ラッキー!
 明日はNORAというOrganicの店でデート?なので実質上今夜が儀式のための
 ラストチャンスなのである。アテネでもダブリンでももちろんパリでもネタに
 してきた、謎の東洋人ごっこ。DuckとTsingtao beerという定番を得て、
 Chinese-Japanese popsがかかる中、春巻を食べる。
 お茶まで飲んでそこそこの値段で満腹。
 世界のチャイナタウン、四方田犬彦氏『越境のレッスン』入ってるが、
 今後も続けよう。『満州の誕生』を読もうとしたのはやりすぎ?
 『アジア系アメリカ人』中公新書は必読か。
 スターバックスは中国語で何て書く?ネタの取材にも余念がない。


2001年09月21日(金) ボストンから出撃せよ!(4)

題:99話 札幌官園農業現術生徒9
画:鉤ホック
話:「今、私の頭は馬のことで一杯だ」

「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」

 2000年10月11日

 快晴の朝。アンティーク調の屋根裏部屋が愛しい。
 島で迎える朝というのは妙に楽しい。
 ようやく時差を越えて目いっぱい朝まで眠れた。
 IrelandのB&Bが懐かしくなるような「合理的」な朝食を階下ですませる。
 泊まり客はアメリカ人のご老体ばかりのようだ。
 TVの天気予報は良い方向。
 今朝はそんなに冷えていない。

 チェックアウトタイムまで近所を散歩しようと宿を出る。
 土産品屋などは10時まで開かない。“遺跡を目指して10?往復”とか
 するわけでなし、『アメリカンホームの文化史』ごっこで島の様式の灰色の
 木の壁を持つ建物を徹底的に見物することにする。
 夏の家なのか、年金生活者で一年中いる人もいるのか、結構住宅が沢山ある。
 Oldest houseというのは1600年代。
 家の模型作ったりTVみてスケッチしたりしたことのある子供だっただけに、
 住宅建築を見て顔がゆるむほど面白い。風車を見て街の外れの大きな病院や
 High schoolも似たような材質とスタイルで作られているのも見てテクテク歩く。

 いい加減まともな距離ではなくなっている上に手持ちの地図のゾーンを外れて
 しまって、戻るのに難儀する。結局宿に戻ったのはcheck out time ギリギリ。
 部屋に鞄を忘れて行ったのと勘違いされてしまった。
 重い荷物を抱えてウロウロしつつAirportへのTaxiを求めるうちにFerri portへ。
 観光地然としたサンドイッチで昼を済ませてTaxiをつかまえてAirportへ行く。
 まぁ一週間単位で誰かと滞在する夏のリゾートなのだろう。浜辺で遊んだり、
 シーカヤックに乗ったり、サイクリングしたり。街の様子からしてピーク時には
 相当の人出になるようだ。サントリーニの時もそう思ったけどピーク時だと
 サイパンのような観光地なのだろう。きっとシンドイ。サントリーニはいろいろ
 見物もできるし、街と海と猫と遺跡と岩山で保つけどね。
 あそこままた行かなきゃね。

 さて、短期すぎる滞在のもとをとる作戦としてのAirportである。
 氷河の名残りの地形だというNantucket、そしてCape codさらにBostonあたり
 のShoreと街を遊覧するのが大目的。
 空港にはいくつかのカウンターがあって数社が乗り入れている。
 過去、函館ーユジノサハリンスク便のアントーノフに乗ったりオホーツク紋別空港
 から千歳へ行ったりいろいろしたけれど、そうそうもちろんサントリーニや石垣島
 へも行ったけど、規模は最も小さいだろう。それでいて田舎の生活路線空港という
 風情じゃないのは、お金持ちが遊びに来る場所ゆえか。なんとNY便まである。
 Newbedford,Hyannis,Boston、隣のマーサスビニヤード島、どこからでも
 アプローチ出来る。自分の乗る機体を見てワクワク。Passengerは8人!
 今まで乗った中で最少人数だろう。小松空港ー広島空港というわけわからん便にも
 乗ったことがあるけど、飛行機はもう一寸大きかったはず。
 ゼロ戦とかと変わらないんじゃないかという双発プロペラ!
 例によって御大なら機種名とかわかるんだろうな。
 琉球エアコミュータで粟国島とか行けばこんな感じなのだろうか。
 そうこうしつつ離陸。Airplaneに乗るととブッシュパイロット空撮「ガイア3」の
 映像やシリアとジニーが脳裏に浮かびつつ眼下の青い海と島はThe WINDS OF GOD
 の太平洋など思わせて、しまいにゃサンテックスに連想がつながったりする。
 War gameの盤面のように区画が整理されつつ緑被率の高い、意外と大きな島を
 見るのは楽しい。高度を下げるとほとんどCape codと離れていないのがわかる。
 船がみえる。晴れた空。
 「これが見たかった!」Cape codの俯瞰映像を楽しみつつ、左手に前日旅した
 Fairheaven方面、眼下にプリマスあたりの海岸。
 行き損ねたポーツマス@ニューハンプシャーの海岸にも似た氷河地形(らしい)
 「ポーツマスの旗」のOpening風のエアショットを味わう。45分でBostonへ。
 後半少しBampyになりつつ、海岸の土地利用の美しさを味わう。
 そして懐かしいビル群。ローガン空港にLanding。近い近い。陸路海路で島へ入って
 飛行機で帰るというサントリーニ・メソッドはおすすめである。
 
 さわやかに晴れたBostonへ。慣れた気分で地下鉄でホテルへ荷物を置きに行く。
 実はメッチャ便利なpositionのある。でも最初はわかんないよね。
 福岡出張だった街の概要はつかめないんだから。
 “わが街”Boston。
 にしても今回はWashingtonD.C.があるので持ち時間が少ない。
 BostonもNantucketも一泊ずつ足りない感じ。
 移動ばかりでサボって本読む余裕がない。
 ダブリンってなんであんなに暇してたんだろう?
Bewleysで本ばかり読んでた。
 行きのFerriあたりから読み始めたLin Margulis“Symbiosis Planet”を
 チビチビ移動や食事で読む。Boston在住の著者の本。
 今回の隠しテーマはモロに文明と自然の関係で、
 『アメリカ文学史のキーワード』を『恐竜のアメリカ』の延長上の、
 進化史と社会史を軸に読みつつ、New England Aquariumへ行ってCape codを
 見てきたあとだけになかなかうまくハマる。

 秋空の気持ちいいBostonから欲張ってConcordへ電車に乗る。ちょっとした郊外。
 アメリカ独立史上に残る旧跡、そして文学の聖地だという。アメリカ・ルネサンス
 の震源地。目的は紅葉のWalden pond。ソローの『森の生活』は読みかけのまま
 置いてきたけど、『白鯨』とともに必読。
 駅からまた歩く歩く歩く。小屋の跡と湖は「ここから入るな」って書いてある径から
 実はすぐ近くだと帰るときにわかったのだが律儀に湖の周囲をかなり歩いたおかげで
 森林浴を堪能。ポロト湖みたいなもんだけど…ね。
 しまいにゃ帰りにアメリカ人に道案内までしながらConcord駅へ。

 アメリカの古き良き田舎町を垣間見つつ、アーリー・アメリカンはもうたっぷり
 味わったかな、という感じ。「見物客」としてならルーマニアのマラムレシュに
 行くとか、そういうエクゾティシズムがよくも悪くももっと欲しい。
 同じように国際線に閉じこめられて同じように足を駆使して回るなら、この日程で
 フィレンツェとヴェネツィアでも歩けばかなり観光できるだろう。
 イタリア観光はなかなかの難題ではある。アツコちゃんちだからなぁ。
 ミラノ、ローマ、ペルージャ、ヴェネツィア、トリエステとかね。大変そう。
 なんだかんだで英語を強化してAlaskaへ行く方が簡単そう。
 すでに同じ国の対蹠地を旅している。

 夕暮れの冷たい空気の中、Concord駅へ戻るとTime tableがわかりづらいとこに
 貼ってあって、それが信頼できるものかどうかもあやふや。逆向きの列車の時刻を
 確かめて信用したはいいけどInboundがなんと1h20minくらいあと。
 近くのStarbacksで本を読んで過ごす。ダンキン・ドーナツもスターバックスも
 微妙に日本と異なる感じがする。雰囲気もいい。
 背景が豊かか、いっぱいいっぱいか、というのによるのか?課題である。
 空間の快適さは何によって作られるのか。奥出直人氏的お題。楽園は可能、か否か。
 ともあれ“Symbiosis Planet”を読む。
 このジャンル、もっと学んでおいたほうがいい。
 19c以前からの社会思想との絡みにおいて極めて重要だ。
 『はるかな記憶』でも読もうか。あと『ワンダフルライフ』系の中身もお手軽に
 Nスペ以上に知りたい。

 “わが街”Bostonへは19:30に到着。よくばりな今夜のお題は月齢がフルに
 近い空の下、North endというイタリア人街で食事すること。
 今月のナショジオに出ていた“Bostonの中華街”である。
 この説明、わかりやすい! 以下略してもOK。
 地図でだいたいの目安をつけていくが、まさか関帝さまがいたり派手な門が
 あったりするわけじゃないので迷いつつウロウロ。観光客の群れと店の明かりが
 見えてきてSalem StやHanover Stという通りに行きつく。
 リストランテや食材屋さん、それにExpressパニーニ屋などが連なっていて、
 横道にも店があったりしつつ、大勢人が並んでいるところもあれば閑散としている
 店もある、まさにここは横浜中華街! 80年代以降、移民街が“トレンディ”
 扱いされるようになったり、移民3世のIdentityが問われたり。
 にしても『ナショジオ』みてNorth endへ行き『シンラ』見てNoraへ行こうと
 しているミーハーさ。
 一人で食卓に着く気合いを鍛えつつも、今回の旅にはまだピークがあることを
 心に抱いて暖める。WashingtonD.C.の夜、月は何歳だろうか、と思いながら
 ワイン一杯の酔いで秋風の立つBostonの夜を散歩して宿へ帰る。
 なぜか佐野元春の初期の歌を口ずさみつつ。


2001年09月20日(木) ボストンから出撃せよ!(3)

題:98話 札幌官園農業現術生徒8
画:スナップ
話:「諸君はまことに長い腕を持たねばならぬ」

「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」

 2000年10月10日

 早朝チェックアウトを済ませる。翌日の夜の予約をしておく。
 確認をTELでするように言われて苦笑。
 サウスステーションのバスターミナルへ。ドーナツなど食べつつタイムテーブル
 をにらむ。Hyannisへ行ってNuntucketへ直行するか、欲張ってFairheavenを
 めざすか。しばらく待って冒険する方を選んでFairheaven行きのバスに乗る。

 Newbedfordという、万次郎storyにも出てくる捕鯨基地の隣町で降車すれば
 よかったのだけど、バス会社の車庫みたいな終点で降りてしまって難儀する。
 周囲は海辺の静かな住宅街。人影もまばら。
 アーリー・アメリカンの簡素な家とはこういうものか、というような手入れの
 行き届いた家と庭が並ぶ。ハロウィンの飾り付けが、どの家でも感心するほど
 細かく可愛らしく施されている。重い鞄を持ったまま歩き回る。
 辻のサンドイッチ屋で買い物をして、善良そうな家族にタクシーを呼んでもらう。
 “お困りの外国人”として扱われる。

 Fairheavenの町は結構立派な建物が集まった大きな村という感じ。
 Newbedfordとは橋で繋がっている。その海のひらけかたが何ともいい。
 名前の響きとともに記憶に残る街だ。こういう街に一日滞在するのも手ではある
 と思いつつNewbedfordへ。バスターミナルに戻るも策に困る。
 Hyannis行き直行という便があるのかどうかのアナウンスも貼り出されていない
 待合室。ウロウロしつつ先を考える。とても晴れてHighwayを走ると紅葉した
 樹間を滑って行くのが心地よい、そんな日をムダにボストンまで帰るのか?
 まだ時間も浅い。Concordにでも行こうか。なんにせよBostonで別のホテルに
 泊まるのは無しだ。Concordも宿の情報持ってないしなぁ、などと思い始めた
 ところへHyannis行きのBus! 慌ててTicketを買って乗り込む。
 Cape codへgo! 快適なドライブ。にしても何で観光地に人多いの?
 わりと早く氷河地形だというCape codに入ってHyannisに到着。辛くも大成功。
 
 HyannisはJFKの別荘もあったとかいう避暑地。東部の伊豆か。にしても季節
 外れのリゾート。北海道並みの寒さなのに海のリゾートは成立するのだろうか?
 広々とした別荘で犬とか飼いつつ暮らすのは快適だろうが。
 Y々木の小屋のような自宅を思う。あれとて周囲の公園などの空間スケールを
 日常的に持てれば、下手な住宅街の2DKに住むより心にゆとりはある。
 
 いよいよ海へ、Nuntucket島行きのフェリーボート。2h15min。
 すこぶる穏やかな海。さすがに甲板に居続けるには風が冷たい。ハーフコートに
 マフラーまでしても。海と空、入り江の家、ヨット。
 かつて捕鯨基地だった島へ。ガイドブックによると今は風致保存地区みたいに
 なっているそうだが、訪れる人などいるのだろうか、という疑問をよそに、
 船には高齢者層を中心にずいぶんと観光客たちが乗っている。
 
 Linn Margulis“Symbiosis Planet”の邦訳をチビチビ読む。
 彼女、Bostonの在住なのだ。カール・セーガンとのロマンスなど若い頃の
 エピソードも盛り込まれた啓蒙書の好企画。ま、「この惑星を旅する」ごっこ
 なんだけどね。にしてもNew Englandがここまでイケザワァな土地だとは
 みんな思うまい。ネパールやアラスカやブリティッシュ・コロンビアや
 オキナワや…そういう場所に行くより断然いまイケザワァな旅である。
 Hokkaidoへの補助線も引ける。そう、僕の思考の源基はそこにある。
 文明と自然、開拓、植民、人の暮らしの集合体の街、国が生成するということ。

 鯨はまたハワイイや土佐とも結びつつ室蘭を想起させる。『菜の花の沖』と
 『椿と花水木』を並べて『竜馬が行く』へ。そこにミーハーに『NY小町』
 みたいな世界を入れつつ榎本武揚や新渡戸稲造に思考がとぶ。
 そうすると北海道のみならず近代日本の植民地、占領地や日系移民との関わりの
 “手触り”が知りたくなる。一体なんなのだろう。
 カルチュアラル・スタディーズの本を読みかけてきたけど、世界史にもそれは
 言えて、結局ディレッタントになるしかないのか?
 巽孝之と奥出直人と高山宏をとりあえず読み直そうか。

 意味と視線の複合体めいたNuntucket島へと船は近づく。
 この旅の手法は明らかに僕の過去の自己模倣で、アラン島とダブリン、
 サントリーニ島とアテネを模している。かなり自覚的に。
 島は物理的に離れているがゆえに心身にもたらす効果がわかりやすい。
 夕方船で桟橋について宿を求める。旅の経験値が上がったというのか、
 アメリカという国が異郷感が少ないのか、どうもまだま遠くへ行きたくて…。
 
 宿を決める。60$の素敵なB&Bの部屋。やはりベッドは悪くないなぁ。
 家具もアンティーク系。ちょい屋根裏で天井が変則的。あーあ、北海道で
 ペンション経営してオーバーオール着て森のキノコ風ハンバーグでも自慢
 しようかなぁ。ウソ。
 サントリーニ島もかくや、という感じで夏のハイシーズンにはリゾート滞在客
 でにぎわうと思しき街路。グレーの壁の統一規格の古い街並みに、
 服飾、貴金属、アンティークなど物欲系の店が建ち並んでいるが、
 軒並みほとんどが17時で閉まる。Tシャツは欠かせないので買っておく。
 ほとんど旅先が劇場で買う青いTシャツ以外着ないという…。
 できたらバリ島みたいなデザインもののシャツも欲しいんだけど。
 あと家にアイロンとアイロン台を買おう、とかよくわかんないことを考えつつ。

 夕食はクラム・チャウダーとサラダとVielのMarsara風とカルベネのワイン。
 満腹。隣席のアメリカ人老夫婦の奥さんのほうが話しかけてくる。
 一人もんの東洋人の図。


2001年09月19日(水) ボストンから出撃せよ!(2)

題:97話 札幌官園農業現術生徒7
画:ヘアピン
話:札幌は北緯四十三度に当たるのだが、
  これはアメリカで言えばボストンという都と同じ

「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」

 2000年10月9日

 曇り空から冷たい雨の港町。フリースでは寒い朝になった。
 明け方から起き出して長い睡眠でも保ちきれない時間を洗濯で潰す。
 …っていうかツブす必要はなくて本読むなりガイドブックみて思案するなり
 いろいろやりようはあるのだが、ホテルの部屋に入るなり「アイロン!」と
 思ったくらいだからしょうがない。以前フランクフルトでバリ島に備えて
 アイロン三昧したことがあって、殊の外楽しかったりしたのだ。
 かくして記念すべきアメリカ最初の朝はアイロンと格闘しているうちに明けた。
 ダンキン・ドーナツでオニオン・ベーグルとブルーベリー・マフィン。
 9:00OpenのNew England Aquariumという「バイカルアザラシに会うまで」
 風のチョイス。

 横浜にも似た港町、大西洋に開けている。
 あのアイルランド西岸の、どんよりした空と海の“つづき”のように、ここに来た。
 流れはいい。巨大水槽のウミガメなど見ているとジョン・マンのことを想う。
 ホエールウォッチ船が出ていたり捕鯨の歴史があることは港町・室蘭を思わせる。
 天気の悪さ、寒さ、疲れを考慮して、それとBostonをわが手中のものとする?ために
 今日は遠出を避けることにする。
 懸案はホテルがもう一泊分しか確保出来ていないことくらいか。

 夕方眠ってしまって、つい夜明け前に目覚めてしまう。
 日本時間の早朝から午後という最もだらしない時間帯。
 昨日はMuseum dayだった。Aquariumのあとボストン美術館mfaへ。
 ここはフェノロサゆかりの、ジャポニズムの拠点となったところで、
 オリエントからモダンアートまで置きつつも、白眉は印象派だろう。
 オルセーでさんざn見た身にとってもミレーやモネの数には圧倒される。
 ずいぶん多くの日本人観光客がいることにも気づく。あと西洋人のツーリストも。
 ギリシアみたいにツアー・バスに乗ろうとまでは思わないが、白人のおじさん、
 おばさんの観光客ぶりには安心させられる。休日の鎌倉のようだ。

 体調が思わしくないのか、地震などあるべくはずもなく、微妙な目眩にフラついている
 ということか。たどりついたゴーギャンの大作の前のソファを占拠する。
 「われわれはどこから来たか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」。
 絵画として云々という以前に是非見てみたい大作であり、強いこだわりを喚起する作品。
 これがBostonにあることには直前まで気づかなかった。「日本娘」なども見て楽しかった
 けれど、いつかタヒチへ行こう、とか『ゴーギャンの世界』再読しなきゃ…とか含めて、
 やはりこの巨大ゴーギャンこそ得がたい体験である。

 街で寒さ対策として上着を物色する。
 アクアスキュータムの服屋さんでハーフコート・ジャケットのネイビー・ブルーを購入。
 ウールとカシミア。これでトウキョウの冬もOK。
 持ってる水色のダッフルは毛玉も出てるし、時に大げさ。かといって長年来ていた
 ダウン系も処分してしまったし、冬物がなかったのだ。
 そこそこ活動的で良いテイスト感もある。
 Y々木の新居を整えるのとパラレルに、都市に住む楽しみを見出そうとしている秋。
 そのスプリング・ボードとして今回の旅行を使いたい。
 自分の中にストイックさと欲望と美意識。その総体と正体。
 
 サウスステーションで明日からの戦略を練りつつ、ナンタケット島をどう攻めるか、
 フェアヘイブンへは行くのか、思案する。10.9は市内、10.10、10.11を
 使い切ると次はもう10.12の移動日だ。ナンタケット島へとにかく行って飛行機で
 でもボストンへ戻るという手はある。ホテルくらいはあるだろう。アイルランドで
 あれだけ行き当たりばったりにアラン島へ行った人間だ。
 そういえば今回の脳内BGMは、なぜかアイルランドの曲。アルタンのインスト曲が
 頭の中で回りつつ、時に「歩いていこう」に化ける。
 
 小雨の中、まだ日が落ちるまで楽しめる場所…と思って地下鉄でHarvardへ。
 キャンパスを当てずっぽうに歩きつつ、自然科学のセクションと思しきゾーンへ。
 ガイドブックで見た自然史博物館=ナチュラル・ヒストリー・ミュージアムを見つけて
 中へ入る。キャンパスといい建物の雰囲気といい、まさに北大!と一人ボケをかましつつ
 マサチューセッツ直輸入の北大の歴史を思う。
 だいたい旅の最終日にワシントンDCのスノッブなオーガニック・レストランでデートの
 約束をしている人間が、捕鯨の歴史と日米交渉史の関係の深さを思いつつ、
 ニューイングランドの主知主義、世界獲得の意志を見物している図、というのは面白い。

 実際“文明の配電盤”(司馬遼太郎)たる本郷の東大とか上野の博物館をこれくらいの
 気合いを込めて「観光」すれば、ちゃんと同じような図式は見えるのだろうけど、
 そこはもう少し原型としてのアメリカという“意志”を見切ることにする。
 英国なり大英博物館へ行ってしまうとまた世界史上に拡散してしまうので、
 「原住民」との接触という問題を含みつつ、文明の「移植」という自覚性と実験性を
 持ち合わせたアメリカ北東部を源基とする。
 20Cとなると問題はアメリカに集約されるのだ。

 にしても博物学的欲望の肥大という19c、一方で奴隷を使い、一方で49’sの
 金鉱掘りがあり、ナンタケット島を拠点にクジラ(の油)を捕りまくり、
 後に「自然保護」のスタンスをとる「知」の軌跡とは一体なんなのか?
 わずか150年。ウォールデンも150年。
 鉱物標本、太平洋諸地域を中心として南米、アフリカをカヴァーした民具の数々、
 ディノサウルスや原初の馬などの骨の化石、哺乳類の膨大な剥製群…。
 荒俣宏御大の本の世界。19c感覚のコレクション。レンガ造りの建物の中で膨大な
 標本と向き合う。ここは小ぢんまりとしているが、博物学的欲望というものが、
 小さくともトータルとしてヒューマン・スケールでまとまっている分、
 なおさらにそうした欲望とは一体なんだったのか、という想いにとらわれる。
 19cにはまだこうした具体物のカタチと格闘しながら、神の意志の忖度から派生して
 世界と時空の中の我々の居場所をデッチ上げようという与太話に執心していた。
 それがノスタルジックにも見えて、現在の目から見ればわずか150年にして
 「捕鯨王国アメリカ」くらいにアナクロニズムに映るのは、隣のモダンな建物が
 ケミカル・バイオロジーの研究棟であったりもするからなのだ。
 イノセントな大学街の基礎研究の持つ、計り知れない大きな巨きな力。
 スウィフト『ガリヴァー旅行記』の科学者カリカチュアなど、遠く及ばないほどに。
 そこでようやく今回の旅のカゲの目的とクロスする。
 ダートマスには行けないものの、紅葉の大学街で意味なくトートバッグを肩から提げて
 形而上めいたことを考えてみたいのだ。
 リン・マーギュリスさんの啓蒙書もちゃ〜んと持ってきてある。
 
 アラスカともネパールとも通底しつつ、カウンター・バランスとして選ばれた
 ニューイングランドという旅先。ここはアイルランドの「彼方」にして、
 20cの首都ニューヨークを間に挟みつつワシントンDCを睨む、世界軸の導線。
 ジョン万次郎ー坂本龍馬にとって間違いなく“味方”であった、古き良きアメリカの物語。
 ベンジャミン・フランクリンからトーマス・エジソンへ。そしてJFK@上杉鷹山ファン。
 一貫して流れる日本への視線。ボストンと日本の接触点。
 1905ポーツマス条約@ニューハンプシャーあたりを分水嶺にして離反していく日米の
 歴史を、帰途の飛行機で『満州の誕生』をテキストにして考えることにしよう。
 なにはともあれ御大あこがれ?のナンタケットである。アラン島に相当する旅の極点、
 島に行かなきゃはじまらない、Bostonも“わが街”にならない。宿泊して翌10月11日
 の早めに飛行機でBostonへ戻ってこよう。その日にFairheavenに行ければそれもいい。
 


2001年09月18日(火) ボストンから出撃せよ!(1)

題:96話 札幌官園農業現術生徒6
画:へら
話:札幌はすごいぞ。新しいものがたくさんある。

三郎君が札幌へ行ってから、あまりにもハマりすぎのネタが多いので、
かえって僕が書くべきことがないという話もあります(^^;
明治の札幌とアメリカ、…直球すぎて打ち返せない。

もともと、あんまり関係ないようなネタを無理繰り連載と結びつける、
G−Who“一人ごっつ”みたいな日録なので(笑)

御大が、2001年は北海道を舞台に新聞連載をやる、と聞いた時点で
「もう、それやっちゃうの?」と思いつつも、その最も“濃い”読者は
すでに自分だろうと思っていた。

2000年秋、僕がその後、半年以上“ネット隠者”になった、
ある意味でのきっかけとなったかもしれないアメリカ観光旅行のことを
ツボを押さえて説明するのは未だに難しい。
先日、以前の掲示板へのカキコミを再編集して採録した日のところを
読んでいただければ概要はわかるのだが、昨今いろいろアメリカに
ついての話題も喧しいので、自分の中のアメリカを再確認したいと思う。

僕が、アメリカ文化に憧れたことが一度もないまま大人になった、
稀な(<と思う)戦後日本人だということを前提に置きたい。
そして観光旅行嫌いだったのに30歳過ぎてあちこち出かけるように
なっても、新大陸には行ったことがなかった。

で、「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」掲載。

「ギリシアの誘惑1999」を想像されると困る。
っていうか全然違うもの。あれ風にリライトするのは、もう無理だ。
従って不親切でも原テクストそのままを、自分のための記録として残す。
肝心の部分、感じたこと、考えたことが淡泊なのは、ほんとに自分用の
メモだから。G−Whoマニアには、研究上の価値はあるでしょう(^^;

「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」

 2000年10月8日

 Bostonにて。
 今回も公開を前提とした「旅日記」はつけない。
 ミレニアム年越しのアイルランド旅行の時は何を思っていたのか、
 ひどく孤独だったことと、それを楽しんでいたことは記憶にあるが、
 “歩いていこう”という意志のようなものと純化した形で向かい合えた
 気がした。今回もその延長上にある。
 まずはボストンの残り二日の宿を押さえよう。それ以外はフェアヘイブン
 に行くこととナンタケット島に行くこと、あわよくば。
 明日はひとまずこの街を探ろう。
 ジャケットを買ったりシャツにアイロンをかけたり。
 美術館と水族館とノースエンド地区。やるべきことがいっぱいある。

 今、日本時間は朝8時、昨夜寝たのが3時間足らずだったことを考えると
 機内で多少眠ったとはいえ夕食をパスしても怠け者観光客の誹りは免れるだろう。
 Bostonの印象は…横浜!
 歩きがいのありそうな街である。
 ジョン万次郎の物語『椿と花水木』を上巻まで読んで到着。
 機上から見た紅葉といい、北海道を感じるマサチューセッツの秋。


2001年09月17日(月) 美味そうなユートピア

題:95話 札幌官園農業現術生徒5
画:指ぬき
話:珍しいものを食ったぞ。

三郎君、ジャガイモに出会うの巻。今日はずっと“食う”話ばかり。
おまけに新聞連載小説らしく、下の欄の広告は『オレンジページ』誌で、
特集は「秋の具だくさんご飯 下ごしらえラクラク」だったりする(笑)
馬鈴薯のうまさに驚く様、それを弟に書き送る初々しさが微笑ましい。
この男が夢想するユートピアならば信頼できる、という気になる。

そういえば、いま気づいたけど今日は、一食もしていない(^^;
「ウイダーENERGY in」と「ウイダーPROTEIN in」と
野菜ジュースと饅頭を摂取して一日走り回り、今「Fran森いちご」を
食べているという状態。やはりムース・ポッキーより優れものだと評価♪
こんな食生活じゃ、アガリクスもプロポリスもウコンも効くまいて。
柴田さんが身重の恵里と那覇の古波蔵家を訪れて、おばぁが出してくれた
朝食を見て「いいなぁ、本物のオキナワ家庭料理…」と呟くシーンを夢に
見そうな気がする夜、…明日は食事するぞー、おぉー!
そーか、帰宅する自転車に乗ってるときから妙にハイな自分に気づいたけど
これは「絶食ハイ」だったのかもしれない(^^;

普段は段取りとしての栄養摂取って感じだけど、僕は城ノ内真理亜なみに
食べることへの関心の高い人間なのです、本来。
でもこの週末は、誰とも会食も出来ず。日曜の夕方になって、一回くらい
誰かと食事したいと思って携帯メールで連絡とった相手にも先約あり、
しかも自分ちで料理して楽しいディナーのご予定だとか。一際ブルーなり。
メニューは、「パスタ・アマトリチャーナと海老のグリルとシチリア風豆の
サラダ」だそうな。…わざわざ教えてくれて、どうもありがとう!(;_;)
#でも、そのうち僕にも手料理食べさせて下さいね〜♪

切通理作さんの『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)を読んでいて幸福なのは
コナンやルパンの世界の食い物が美味そうなこと。そしてそのへんを喚起する
ディティールへのこだわり方をした切通さんの宮崎論は、実に説得力に富む。
「ちゅらさん」も食べ物にはこだわったドラマだった。
つまるところ、良い作品、魅力的な作品は、食べ物の描写が優れているのだ。
星野道夫も須賀敦子も、きっと食べることの好きな人だったに違いない、
と断じてみる。ほんとうに美味しいものを知っている人。
美味しいものを幸福そうに食べる人は好きだ。

というわけで今夜は満腹の夢を見つつ、睡眠不足のまま明朝を迎える(笑)
昨日の「不謹慎」な爆笑問題ネタ、みなさまいかがでしたでしょうか?(^^;
不愉快な思いをされた方もいらっしゃるでしょう。
“もしも松本人志だったら”篇というのも書こうかと思いましたけど、
夜中に真剣にネタ考えてる構成作家みたいになってしまうのでやめます。
ほんと、世界経済と狂牛病と東京直下型地震のほうが大問題だよ、きっと。
そういえば村上龍氏のJMMも明日緊急発刊で「同時多発テロ」をテーマ
にするらしいけど。世界のサカモトin NYからのメールとかも載るかな?



2001年09月16日(日) リアルな現実、不謹慎な現実

題:94話 札幌官園農業現術生徒4
画:待ち針
話:札幌は空っぽだった

人工都市・札幌について語り出せばそれなりにいろいろ出てくる、
けど昨日付けのアフガニスタン人の話に続けて書いているので
もう疲れたなぁ(笑)
今日は余裕ないはずなんだけど、期末試験とかの前になると妙に
関係ない本を読み出す学生みたいなもんで、夜になってから
普段しない靴の手入れをしたり、難しい本を引っ張り出したり(^^;

異様な雰囲気の中で開催されたF1イタリアGPの中継も終了、
夜も更けてきてしまった、明日早いんだけど(^^;
フェラーリがスポンサー・ロゴを無くし、黒いフロントノーズを
装着して出走したのが、まず禍々しい。レースはコロンビア人の
ルーキー、ファンパブロ・モントーヤという格好いい名前の選手
がついに初優勝を遂げた。でもシャンパン・ファイトもなし。
95年の5月1日のイモラ以来、すなわちアイルトン・セナが
事故死した、あの日以来の奇妙なグランプリだった。
次はなんと開催日程の悪戯で、アメリカGPだ。
うーむ、その間に「開戦」したらどうするんだろう?(^^;

認知地図の話など持ち出して、マンハッタンもカブールも同じだ
などと嘯いてみたけど、それはディベート的“ブラフ”みたいな
もんで、実際僕はここにも書いたとおり一年ほど前に米国東海岸
へ観光旅行に行った。NYには行かなかったが、ワシントンDC
には滞在した。人工都市ぶりでは札幌などは足下にも及ばない、
おそろしく巨大な街割りと建築物。

ペンタゴンにこそ行かなかったが、僕がDCを訪れた動機の一つ
として「オキナワの対蹠地」だという意識があったことは前に
書いたくらいで、ナショナル・アーカイブス=国立公文書館を
見に行って盛り上がる、というマニアックな人間である。
太平洋戦争についても、この世代にしては深い関心を持っている
つもりなので、DCというの「観光」は格別の感慨があった。
かてて加えて、その街並み。ギリシア以来のイデアの支配を
連想させるべく白く古典調にデザインされた建物や、モールと
呼ばれる巨大な「大通り公園」状の(笑)空間とオベリスク。

『風水都市ワシントンDC』とかいう奇書も邦訳されていたな
などと思いつつ、奥出直人先生の論考を読んで、合衆国の精神
を再構築させた都市デザインのパワーに圧倒されていた。
とりあえずワシントンDCをヴァーチャル体験してみるには、
鷺沢恵『大統領のクリスマスツリー』(講談社文庫)。
もう少しハードに政治都市を体感するなら、佐々木譲先生の
『ワシントン封印工作』(新潮文庫)。まさに真珠湾ネタ。

今野勉『ルーズベルトは知っていたか』(PHP文庫)を
オランダ旅行中に読んでいた。蘭印を抱えていた日本の敵国
としてのオランダが、史料収集の盲点になっていた…ってな
ところから興味を持って読んだ。どうせならこの二冊に加えて
吉村昭『大本営が震えた日』(新潮文庫)、再び佐々木譲氏の
『エトロフ発緊急電』(新潮文庫)を並べて読むと、
半世紀以上前に日本が起こした「世界震撼」の大事件を体感
できるだろう。「パールハーバー」を記号にしないために。

う〜む、こんな深刻めいた話をしていてはいけない。
グリコの新製品「ムース・ポッキー・ストロベリー」と、
明治製菓の先行商品「Fran 森イチゴ」とどっちが美味いか、
とかそういう話をしてたほうがいいんだけどなぁ(笑)

それにしても、

田中「大変なことになってるね、アメリカ同時多発テロ事件」
太田「おれは石原S太郎都知事が怪しいとニラんでるけどね」
田中「そんなわけないだろ、危なく被害に遭うとこだったんだから」
太田「いやいや、『NOと言えるニッポン』っていうくらいだし」
田中「意味わかんねーよ。どうやって起こすんだよ?!」
太田「おれはN本航空のK機長が実行犯だと思うね」
田中「何でだよ?!」
太田「“機長やめて下さい!”つってね」
田中「辞めてるだろ、とっくに!」
太田「でもハイジャックは怖いね、これからは飛行機にも乗れないね」
田中「セキュリティの強化とか、いろいろ問題になるだろうね」
太田「航空会社もいろいろ考えてくるだろうね。
   逆に“武器持ち込みOK”の便を作って格安で売るとかね」
田中「誰が乗るんだよ?!」
太田「世界のハイジャック犯が一同に会したりしてね」
田中「しねーよ!」
太田「どっちに向かって飛ぶか争って、中で戦闘がはじまったりして」
田中「危ないだろ!」
太田「一番勝ち抜いたヤツがニューヨークで決戦できるという…」
田中「ウルトラクイズかよ?!」
太田「福留さんが敗者を慰めたりしてね」
田中「死んでるだろ!」
太田「これで世界のハイジャッカーは全滅だね」

…ってな感じに構成作家が書いたような爆笑問題の雑誌コラムも今回は
載らないんだろうな。オウムの時だって松本&地下鉄サリン事件では
被害者の方が出て「不謹慎」ということでは多いに不謹慎だったけど、
この手のネタは出まくっていたけど。(もちろん↑は僕の創作です。)
地下鉄サリンの凶悪さを考えれば、今回に引けをとらないんですけどね。

一時だけ深刻がるのはやめて、自分と自分の愛する人の暮らしの延長上
にある世界を真摯かつお気楽に生きよう。
マンハッタンにボランティアにでも行くならともかく、際限なくテレビ
受像器の前で惨劇を「見物」しているなら、街に出たほうが良い。
リアルな現実、シリアスな現実なら、いくらでも出会えるはずだ。
ほんとうにマンハッタンやカブールが、ここから“地続き”だと思える
ようになるには、まずメディアのゴーグルを外すことだと思う。

たとえばアフガニスタン人を“尾行”するとかして…。(<ウソ 笑)
#あ、昨日のこのページ読んで↑意味読みとってね、誤解なきようお願い(^^;

関係ないけど切通理作さんの『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)、
面白いです、マニア目線が効いてて(^^)


2001年09月15日(土) 時には敵、時には味方

題:93話 札幌官園農業現術生徒3
画:握り鋏
話:静内、門別、鵡川、沼ノ端、千歳、輪厚、…三郎の道中

明治十年一月七日という日付。西南戦争という動乱の年の初春。
ついに彼、物語のキーパーソンの「肉声」を聞くことができた。
仮初めのユートピアを創らんとすることになるのだろうか、
この 三郎という男、眩しい若さが危うさと隣り合わせの印象。
どういうわけか、早くも胸に動悸を感じる。
物語のある定型ともいうべき「挫折する幻想のユートピア」。
そこにどこまで説得力、魅力を込められるのかが、作家の力。

静内、門別、鵡川、沼ノ端、ウトナイ、支笏、千歳、輪厚…、
例によってすべて僕には馴染みの地名、どこにも何度も足を
運んだことがある。道中の風景も目に浮かぶ。距離感もわかる。
三郎の天地、三郎のユートピアの地図。
青年は未来と大儀に生きることができる、と信じられた時代が
あったし、国によっては、あるいは人によっては、今だって
それは可能だろう。そしてなかなかに快感でもあるのだろう。

テロルの魅力、というものは在る。
組織的暴力の快感、というものも在る。
僕がそれを好むかどうか、求めるかどうかという問題ではなく
いわばヒトを対象とした動物行動学みたいな乾いた目でみるとき
「自然現象」として観察しうる、という意味で“存在する”のだ、
どうやら。そこに複雑な歴史的経緯、人種、民族、宗教に纏わる
メンタリティーが絡んで、形而下の「事情」が許すなら、発動は
自然のなりゆきというものだ。

だから対処のしようがない、ということを意味するわけではない。

“千の千年王国”の集合体のような国家が「敵」を欲するのは、
その成り立ちからして自然なことだろう。
まったく別の意味での「第二のパールハーバー」という説さえ、
あながち栗本師の暴論とは思えない、背景的「根拠」がある。
彼らに反発したり揶揄したりするのではなく「友人」として助言
できるとしたら何だろうか?…そう考えを進めるべきだろう。

「認知地図」というものがある。
日本の多くの人の、他国に対する心理的な親和度と実際の距離とを
掛け合わせた地図を作製したとしたら、太平洋は池みたいに狭い。
バグダードやエルサレムよりもマンハッタンの方が認知地図上の
距離が圧倒的に近いからこそ、人々は驚愕し震撼し悲嘆に暮れる。
僕にはマンハッタンもカブールも本質的な違いはない、と思う。

湾岸戦争の最中に欧州へ観光旅行へ行ってもイイじゃん♪という
ような人間である。同世代のアメリカ兵が戦地にいるというのに
不謹慎だ、というようなことを言うヤツがいたけど、そいつは
どうかな、と思った。すなわち、良く言われるように第二次大戦
以後、戦火が止んだことは片時たりともないのだし、たまたま
日本と安全保障条約を結んでいる友好国アメリカと西側の多くの
国が参戦する戦争が起こって、メディアを通じて「目に見える」
からといって、突然“非常時”だと大騒ぎするほうが外れている。

僕にそう言った女性(<だった)には、具体的な米兵の友人が
いたのかもしれない。多分いなかったと思うが。いたとしても
彼は“僕の友人”ではない。
“砂漠の嵐作戦”の進展はウィーンで見守っていた。
ザンクト・シュテファン大聖堂で、戦闘のことを考えていた。
きっと“卒業旅行を自粛”して国内旅行に変えた他の大学生より
真摯に世界を見つめていたつもりだ。
もっとも「軍事オタクなのでサウジまで行きました」みたいな人
も正直かつ突き抜けてて嫌いじゃないんだけどね(笑)

それはそうと、わが友の話。
米兵の友人はいなかったけど、アフガニスタン人の知人ならいた。
一度部屋を訪ねただけで名前も知らないので「知人」でもないか。
1990年頃のトウキョウは、御大の『バビロンに行きて歌え』
ではないが、外国人労働者の姿が散見される都市だった。
バングラディッシュ人、パキスタン人、イラン人が多かったか。

当時、社会学のゼミで外国人労働者について社会調査をしようと
いう話になって、その一環で板橋あたりにフィールドワークに
出かけたのだ。外国人と接触する、といっても手がかりもない。
上板橋の駅前で“張り込み”をして見つけた外国人を“尾行”し、
住居を突き止めて“踏み込み”、という酷くワイルドな方法で
僕たちは彼らの部屋に入った。

話を聞いてみると、彼らはアフガニスタン人だという。
ソ連を退けた国の男たち…、ステレオタイプは役にも立たない。
何を話したのか、もはやあまり記憶にもないが、部屋にはビデオ
もあったりして、不法入国者の出稼ぎ者がタコ部屋のような狭い
ところに密集して本国に送金するための肉体労働に従事している、
という風ではなかったのは覚えている。

「日本の若い人たちに会えてうれしい」と言ってアーモンドを
食べるように、と勧められた。会話の手段は英語だった。
“ジャパニーズ・ヤング・ピーパル”と彼らは発音した。
アーモンドは“アルモンド”という感じだった。
彼らの顔は朧気にすら覚えていない。
が、その発音だけは妙に耳の底に残っている。

時事ネタ雀たちは、慌ててアフガニスタンのお勉強を始めている。
「タリバン政権」「ラディン氏」「カイバル峠」「バーミアン」。
フォトジャーナリストの長倉洋海氏が追っていたマスードが謀殺
されたらしい。大英帝国とソ連を撃退した誇りを持つ戦士の国。

湾岸危機の時に時事用語として流行った「リンケージ問題」は、
今回まったく問題にされないようだ。そのくせ米国はイラクを
叩こうとしているとも報じられる。イスラエルにシャロン政権が
出来てアラブ諸国との対立が深刻化したことが、今回の事件の
大前提となる背景ではないのか?…とは野次馬の素人目な疑問。

10年前、上板橋で会った男たちは、今どうしているだろうか。


2001年09月14日(金) 誰かがどこかで本当のシナリオ影に隠してる♪

題:92話 札幌官園農業現術生徒2 
画:糸
話:現術生徒よ小志を抱け

名高いクラーク博士は8ヶ月しか札幌農学校に在任しなかったとか。
でも名コピーのおかげで、今も人々がその名を知る人物となった。
彼よりもずっと深く日本、とりわけ北海道と関わり、日本を愛した
アメリカ人がいる。エドウィン・ダンという男。
そろそろ彼の人生の物語と『静かな大地』が交錯しはじめたので、
また副読本のご紹介といきますか(笑) 赤木駿介氏の評伝小説、
『日本競馬を創った男 エドウィン・ダンの生涯』(集英社文庫)。

競馬に興味はなくていい、『静かな大地』と北海道に少しでも関心
を持てる人なら、これは正真正銘、マストの副読本と言えるだろう、
それに安いし読みやすいし。以下は、裏表紙の惹句。

 明治初期、原生林の生い茂る北海道を開拓し、牧場を創っ
 たアメリカ人青年がいた。その名はエドウィン・ダン…。
 北海道開拓使のお雇い外国人として来日し、近代日本の牧
 畜と競走馬育成に尽力、やがては駐日米国公使にまでのぼ
 りつめた男。その彼のかたわらにはいつも一人の日本人女
 性がいた…。日本と日本人を愛しつづけ、そして忘れられ
 た異邦人の成功と挫折の生涯を描く力作評伝小説。

『静かな大地』のバックグラウンドは、ほとんどこの小説で網羅する
ことができるのではないか、と思えるほどのリンクぶりである。
静内や稲田家も出てくれば、今日の話題の「官園」さえも出てくる。
強力オススメの常として、ネタバレを避けるため詳しくは触れないが
佐々木譲『武揚伝』(中央公論新社)と『静かな大地』という、
語り口もテーマも大きく異なる二つの作品の間をつなぐ「補助線」と
して最適だ。近代文明国家・日本の「周縁」であった北海道でこそ
見て取ることの出来た、わかりやすすぎるまでの「近代」や「国家」
の像がクッキリと結ばれるだろう。

ちなみに三郎伯父様が居たという札幌の官園の前身、東京は青山に
あったという官園には「開拓使仮学校」という施設も設けられた。
明治5年にその初代校長になったのが旧幕臣荒井郁之助だというの
だから、びっくりする。『武揚伝』読者には、おなじみの名前だ。
榎本の同志として箱館の蝦夷共和国政権樹立に参加し、海軍奉行に
選出された人物。『武揚伝』リンクは他にも沢山あるので是非(^^)

エドウィン・ダンが日高で手がけた牧場づくりが、馬の住む緑の国
北海道を育んでゆく、そうした流れの中に、これから『静かな大地』
の登場人物たちは入ってゆく。ダンが夢みたもの、榎本がかつて
描いたヴィジョン…、そうしたものと裏腹に「官有物払い下げ」の
一大疑獄の奈落へと落ちてゆく「利権」の王国・北海道という図式。
しっかりと見ていけば、現在の日本の“すべて”が、あからさまな
形で見えてくる位相空間、それが明治の北海道である。

どうも出口がないな、とも感じる。
歴史のある時点で可能性を閉ざされてしまった、ありえたはずの
もうひとつの選択肢…、という話題も、気をしっかり持たないと
後ろ向きな話に落ち着きかねない。もうひとつ元気が出ない。
われらが榎本武揚公は、時空連続帯に無数の歴史が並んでいると
しても、百千百敗なのではないか、と思うとシニカルな無気力感
に襲われる。きっとそんなことはない。もっと分はあるはず…。

「気分」の問題に、根拠はいらない。
“なんとなく”という「空気」が体勢に力を持つことがある。
根拠のない楽観論は、容易に根拠のない悲観論に転化するもの、
そう、今の日本の多くの人々を直撃している気分のように、だ。
「今の世界の」と書かなかった。情緒で反応することと、理知
で把捉しうることとの間に、ねばりづよく、エレガントな解を
探しつづけることができる気力、それこそが生命線なのだから。

それにしても北海道とニューヨークを結んで、痛快な気分になる
手近な方法をひとつ教えよう。
大和和紀『NY小町』(講談社漫画文庫)を「耽読」すること♪
この作品、エドウィン・ダンとその妻を、ハイパー少女漫画装置
にかけて転生させたようなキャラが明治初年の北海道とアメリカ
を股にかけて荒唐無稽に大活躍するという痛快篇で、とにかく
なにをおいても楽しいのがいい。な〜んにも考えずに今の現実を
離脱して、まだ「新鮮」な「周縁」に遊びたい人にもってこい。
個人的には、出てくる馬とかが『動物のお医者さん』風に、よく
喋る、というか“吹き出し”の外にコトバが書いてあるというか
その様が可愛らしくて最高に好きだったり。もちろんヒロインの
破天荒ぶりも笑える。最近一際ブルーな方にオススメします(^^)

〜憂鬱な気分にかきたてられても上手にシェイク・ダウン♪
                     (by佐野元春 inNY)


2001年09月13日(木) 彼岸を視し者

題:91話 札幌官園農業現術生徒1
画:縫い針
話:三郎伯父様が札幌で勉強していたころの手紙発見

さて、章が替わりました。そろそろ三郎の主観eyeが入らないかな、
と思っていたところだったので、いよいよ、という感じのタイトル。
そして次なる舞台は、僕の“わが街”札幌であります♪
三郎伯父様こそ、この物語におけるカリスマの担い手であり、
“彼岸”を視てしまう男だろうから、ようやく話のギアが入る感じ。

『マリコ/マリキータ』所収の「梯子の森と滑空する兄」をはじめ、
あの短編集のほとんどに見られるモチーフの、行動する人/見届ける人
という構造がここでも見られる。志郎さんは兄・三郎を 通してのみ彼方
なる存在を見届ける役に徹した人生を送り、それを由良に語り残した。
三郎伯父様の軌跡を辿る新婚の由良さんが、今回の「探偵役」か。
由良が身ごもっている子供の、そのまた子供の世代は、もう池澤御大
その人の年代なのだ。自在に行き来する時制の仕掛け方が愉しい。

それにしてもサブタイトル、興味深いですねぇ。
昨夜ちょっと触れた札幌農学校とか、宮澤賢治の花巻農学校なんかも
連想させます。「自然」に人間が能動的に働きかけて、なにものかの
財を取り出そうという行為、農業。狩猟民であり交易民であったアイヌ
の暮らす天地の中で、至福の季節を知ってしまった三郎少年にとって、
札幌や農業というのは、どういう意味と手触りを持つものなのだろう?

“彼岸まで見通してしまった者”の悲劇を背負うことになるらしい兄、
そして兄の運命を見届ける弟。
それに重ね合わせるように、次の世代の姉が身重の妹を気遣う手紙。
優しい姉ぇ姉ぇ、そして優しい作者だねぇ、世界がどうあっても子供
を産み育てる行為は「救済」である、という強い信念を感じる(笑)

しっかり絶望しきることから始めよう。
世界は常態から逸脱しているわけではない。こんな事態は今に始まった
ことではない。世界で初めての原爆攻撃を受けた国、地下鉄サリン事件
を経験した非常事態の超先進国、関東直下型地震でカタストロフィーを
予告されて久しい都市の住民、テポドンの射程距離圏内で何食わぬ顔を
して暮らしている国民の誇りに賭けて、「この程度の事態」でオタオタ
してはならない。南北の経済格差も、覇権国家と原理主義者の相克も、
現代を生きてきた者にとっては、はるか以前からの前提でしかない。
世の中にはものの見方が透徹しすぎてトンデモに近い域にまで行く人も
いたりするわけだが、この人のキワドイ線への迫り方には脱帽する。
脳梗塞からの生還を経られて、なおネットで健筆を奮うあの方だ。
http://www.homopants.com/column/index.html

流石です(^^;
この事態が滅びへの序曲になるのか、禍転じて僥倖とさえなるのかは、
アメリカ文明、すなわち現代文明の「体力」次第だろう。
「理ではなく没義道」だと訴えても、魂の次元では勝利するだろうが、
確信犯でやっている者には痛くも痒くもない。歯痒い。
ヒトには時々、そういうフェイズが派手に顕れうる、特に近現代とは、
そういう特徴が顕著に肥大化した世界である、ということ。
理由は今すぐにはわからない、少なくとも僕には説明できないけれど、
これは冷徹な事実だし、きっと何らかのシステムに基づく冷たい理由
が存在する。それなのに/それだから「愛」などというものも在るのか?
人類よ、手近な仮想敵から目を逸らせ!
…そこに、おそらく「神」がいる。(うーん、往年の山田正紀風 笑)


2001年09月12日(水) 沖縄、アメリカ、林檎の樹

題:90話 鮭が来る川30
画:ドクダミ
話:「由良さんや、子供を産みなさい」と五郎が言った

「世界が明日滅びるとしても、君は林檎の樹を植えるか?」、
池澤御大&ミチオ系読者には、おなじみの命題。
五郎さんが「まこと、これが最後かもしれぬ。」と遺言のように
由良に“アイヌの愚痴”を託したあとの、第一声が今日の引用部分。
「子供を産みなさい」という、親友の娘(姪)への切実な呼びかけ。
自分たちが生きた証、夢見た楽土のヴィジョンは、その子供たちに
語り継がれることで、生命を繋ぐことができる…という儚げな希い。

一年前の秋、僕は“生命の島”オキナワと対峙しかねていた。
むしろ逃げ回ろうとしていた。
そして地球上でオキナワの「対蹠地」と呼べる場所はどこだろう?
と考えた上で、自然地理的な見方からは別の解答もあるだろう、
しかし文化的、あるいはいっそ地政学的には、ここしかない!
と思える解答を自分の中で得て、秋の休暇の旅先をそこにした。

そこ。アメリカ東海岸。ニューイングランド、そしてワシントンDC。
わざとニューヨークを無視するのもなかなか痛快なロケーション選びだ
などと嘯きつつ、人生で初めての新大陸へのアプローチを楽しんだ。
今夜は、その観光旅行からの帰国後に自分ちの掲示板に書いたカキコミ
を再編集してお送りします。去年の10月16日ごろ書いたものです。
わすか一年、遥か一年…。この間のオランダ旅行へとつながっていく
流れが、このアメリカ旅行にはありました。

*********************************
 ハーバードに留学したくなった。MITでもU.MASSでもいい(^^;
 ようするに留学生という立場でBostonにしばらくいたいだけ(笑)
 New Englandから律儀に「観光」するのが、こんにち最も
 世界超大国アメリカをオチョクリつつ、真摯につきあう近道なのだ、
 …とかいつものように屁理屈をこねながら。

 ボストンって、ちょうど横浜みたいな街で建築とか都市再開発の
 仕方とか見ながら歩くと、とてもいいスケールの街なのです。
 当地在住のリン・マーギュリス博士の邦訳本をわざわざ持参して、
 ミーハーにもU.MASSのキャンパスで読んだり(笑)、
 『白鯨』なんかに出てくるNantucket島へCape codから船で渡って
 帰りは目論み通り(!)乗客8人のエアプレーンでBoston
 までひとっとびしつつ、氷河の名残の地形だというCape codを
 じっくり眺めたり、ジョン万次郎の故地に行ったり(感激!)、

 ボストンのミュージアム・オブ・ファインアートには、
 なんとゴーギャンの世紀の大作、
 「我々は何処から来たか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」があるし、
 ニューイングランド・アクアリウムで巨大水槽も見たし、
 ソローの『ウォールデン/森の生活』のWalden pondを訪ねたり、
 といあえず紅葉のNew Englamdで意味なくトート・バッグを
 肩から下げて大学街のサンドイッチ屋で本を読んだり(笑)
 「ナショ・ジオ」に出ていたノースエンド地区のイタリア人街
 (ボストンの“中華街”みたいなもん?)で食事したり、
 MITやハーバードへ行ってニセ学生ごっこをしてみたり、
 だいたいが「ボストン茶会事件」「レキシントン・コンコードの戦い」
 などで盛り上がれる世界史オタクだったりするので、下手な欧州の国へ
 行くよりよっぽど観光できるのです。

 歴史あり、自然あり、のニューイングランドは、日本で言えば
 紅葉の季節に京都・嵐山とかに出かけるようなもんで(?)、
 欧米からの中年以上夫婦観光客がウヨウヨいるメジャーな観光地。
 おまけにコロンブス・デイまで重なる日程だったし。 

 もともと僕はここ10年でハリウッド映画を10数本しか観てない
 という類稀なる現代人なんだけど(<商売上ええんか?(^^;)
 巽孝之氏や奥出直人氏をはじめ、贔屓の物書き・研究者の方々には
 アメリカ通が多いのです。以外とJFKとか現代史も好きだったり。
 おまけに実は、子供のころ偉人伝とか苦手だったわりに
 T・A・エディソンだけは心の師としていたりで(学校嫌いだから 笑)
 アメリカ文化や文明そのものに関心がなかったわけじゃない。

 NYは、ボストンからワシントンDCへの飛行機から遠く見ただけ、
 西海岸はいまだにこの世にあるのかどうかさえわからない、
 という対米観も、ビギナー的には面白いわけです。

 ワシントンDCは短い滞在だったけど、奥出直人先生の都市論の
 論文を持っていったので、とても面白く観光できた。巨大人工都市。
 あと『シンラ』の「オーガニック・フード特集」に出てたスノッブな感じの
 レストランに行ってみたくって、あちらの知人にブッキングも頼んで、
 ディナーをつきあってもらったり♪
 ワインも食事も水もすこぶる美味で、内装や接客や雰囲気もよかった。
 あの店へ行くために、またDCへ行きたいくらい(^^)
 もちろんナショナル・ギャラリーは一巡。フェルメールもチェック、
 その他、さすがのコレクションに加えて、アール・ヌーヴォーの特別展も♪
 スミソニアン博物館は、まずは航空宇宙博物館に飛び込んだし、
 自然誌博物館も「恐れ入りました」って感じ展示だった。
 
 以下、副読本コーナー。
*巽孝之『アメリカ文学史のキーワード』(講談社現代新書)
*巽孝之『恐竜のアメリカ』(ちくま新書)
*奥出直人『トランスナショナル・アメリカ』(岩波書店)
*落合信彦『ケネディからの伝言』(集英社文庫)
*津本陽『椿と花水木』(新潮文庫)
*久保尚之『満州の誕生 日米摩擦のはじまり』(丸善ライブラリー)
*吉村昭『ポーツマスの旗』(新潮文庫)
*村上春樹『やがて哀しき外国語』(新潮文庫)
*中井貴恵『ニューイングランド物語』(角川書店)
*####『未来圏からの風』(PARCO出版)

 他に荒俣宏、高山宏の両氏の物事の読み解き方が参考になる。
 もちろん、ボストンやニューイングランドを舞台にした
 あちらの文芸・娯楽作品は、枚挙にいとまがないでしょう。
 志向性によってロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズでも
 ラブクラフト全集でも、19世紀にコンコードに花開いた
 アメリカン・ルネサンスの作家達でも手に取ればよろしいでしょう。

 一番印象に残った場所は・・・島もよかったけど、ハーバード大の
 赤煉瓦の建物の中の、地味なナチュラル・ヒストリー・ミュージアム。
 なんというか、北大のキャンパスみたいな感じなんだけど、
 “イノセント”な大学キャンパスの奥底に潜む「世界を統べる遺志」
 の原初的な形態が見えた気がした。

 あとゴーギャン&印象派と浮世絵、フェノロサ、岡倉天心とつづく、
 エキゾティシズムとしてのジャポニズムの拠点としてのボストン美術館。
 そして19世紀前半まで世界最大の捕鯨大国の拠点だった
 マサチューセッツの海と対峙して、ジョン万次郎の目線で太平洋の彼方の
 日本を見るというのも、なかなか得難い経験だった。

 科学技術文明の勃興期と国家の隆盛がそのまま重なっている場所、
 基礎科学と産業を繋ぐ本家の底力、現代の世界を創っている震源地。
 それを歴史的なスパンで見られたと思う、大袈裟にいえば。
 ナンタケット島でアーリーアメリカン調の別荘らしき家をみて
 目を楽しませつつ、なんとなく普天間あたりで昔、フェンス越しに
 見た住宅の芝生の庭を想い出したりして…(^^;
 自然と場所と人の世の歴史の関わりとは面妖なものである。

 北海道&New England、という視角。“Boys be anbitious!”の
 クラーク博士が、マサチューセッツの人だったりするのには
 黒田清隆が維新後の蝦夷地開拓をアメリカ式で推進しようという、
 国家的威信をかけた事業としてケプロンを招聘した結果だったりもします。
 紅葉のニューイングランド、なんて洒落たことを言ってますが、
 第一印象は予想通り「あ、北海道だ」(笑)
 ハーヴァード大学のキャンパスの赤煉瓦の建物と近代的な
 研究棟とを見たときも「北大みたい」って思いました。
 なにより寒さ加減と植生が似てる。
 人と自然の関わり方のアルケオロジーとしても関心の持てる視点です。
 ぜひ北海道在住の在野の研究者、著述家の方に、それ系の本を
 書いて欲しいです。で、副読本の追加。
*星新一『明治・父・アメリカ』(新潮文庫)
*星新一『明治の人物誌』(新潮文庫)
*童門冬二『人生を二度生きる 榎本武揚伝』(祥伝社文庫)
*鷺沢恵『大統領のクリスマスツリー』(講談社文庫)
*杉森久英『新渡戸稲造』(学陽社人物文庫)

 あと、下の↓NORAみたいな店が、札幌にあるといいのになぁ(^^)
  http://www.noras.com/restnora/index.shtm
 ティパサは結構、すでに近いノリですけど。
 今度『シンラ』のオーガニック特集をおKさんに見せようかな♪

 …というわけで、北海道という場所を捉え直す意味でも面白かったです、
 きっとアラスカへ行くよりね(にやり)。
 そういえばディナ・スタベノウのケイト・シュガック連作の未邦訳の
 原初も買ってきたけど、読めるかなぁ(^^;
 副読本っていうのは、今回旅程の最中に読んだってことじゃなくって
 過去に読んだものも含みます。

 で、村上春樹『やがて哀しき外国語』って書いたけど、間違いです。
 『うずまき猫のさがし方』のほうが、ケンブリッジ時代のエッセイ集。
 当然ボストンマラソンの話とか、ヴァーモントの田舎へ出かけた話とか、
 猫の話とか、いろいろ。楽しい本です。
 彼は、ボストン美術館はあまり面白くなかった、って言ってます。
 なんか、彼がそう言うのは、わかる気がする(^^;

 ファイン・アートっていうものが、何故こんにちも存在していて、
 世にそこそこ広く受容されているのか、さっぱりわからない、
 という前提があるのでしょう。基本的には同意見の部分もある。
 “そのさまを「見物」にいく”というアルケオロジカルなアプローチが
 僕の観光旅行だったとするならば、村上春樹氏はケンブリッジで
 走ったり、スカッシュをしたり、猫と戯れたり、つまり「生活」することで、
 すべてに「抵抗」しつつ小説を書いてみたりしているわけか。ふむ。

 で、冒頭の僕の発言は「僕もそうしてみたい」という言明か?(笑)
 それにしても、イラクリオン@クレタのクノッソス宮殿も見向きも
 しなかったし(『遠い太鼓』)、あの人ってとことん村上春樹よのぉ(^^;
 そういえば僕って、村上龍氏が好きで村上春樹氏は苦手だと思ってる方が
 いらっしゃるかもしれませんね、ここだけ見てると。
 決してそんなことはありません。つまんなかったっていう人が多い
 『ねじまき鳥クロニクル』も2回通読しました。
 信頼できる同時代の大事な作家として敬愛しています。
***********************************

…中途半端ですね、やっぱり(^^;
実は「ギリシアの誘惑1999」↓みたいに“よくできた”旅日記じゃないけど、
 http://gwho.bird.to/fy010.htm
未公開のメモはアメリカでも書いてたんだよね♪
その手帳の中身をリライトすれば、この旅をもう少し鮮やかに再現できるかも。
でも大変なので、やめときます。

きょうの“インチキ更新”は、Good jobだと思ってます、自己満足で(^^;
「どんな時でも学問は厳然としてやらなければならない」って栗本師の言葉、
『MASTERキートン』のユーリ・スコット先生みたいでカッコよかった?(笑)
キートンさんの最終巻のエピソード、好きです。
世界と対峙してそれを愉しむ「眼力」と、どこへでも歩いてゆける「意志」、
それを持ちたいと願いつつ、あとは「林檎の樹」ですかね…(?)
林檎の樹と言えば、札幌のティパサの↓“禁断の果実”、食べたいなぁ♪
 http://www.lares.dti.ne.jp/~fuente/tipasa/entree.html


2001年09月11日(火) 「帝国」の南進論者・榎本武揚

題:89話 鮭が来る川29
画:ハチ
話:「日本という国が強くなったのだからいいのかな」

五郎さん、ストレート・トークつづく。
『武揚伝』を読んだ方のための応用編、みたいな話になるか。
榎本武揚という人が明治国家の中にいることの“異彩”ぶり。
箱館戦争の「首謀者」であるにもかかわらず、後に赦免されて
明治政府の高官として重用されていったが、つまるところ明治
という国家は榎本に、どこまでもその矛盾を背負わせる役回り
を演じさせたのだ、という解釈を聞いて、目から鱗が落ちた。
さまざまな勢力が離合集散する政治空間で、国際関係を含めて
難問山積の明治国家、焦げ付いた難儀な問題が起こると榎本に
お鉢が回ってきたというわけだ。それを粛々とこなしつづけて
日露戦争さえも見届けた明治末に没。

箱館の熱い日々、それとそのあとの長い長いスイーパー人生。
小説の登場人物ではなく、われわれが生きているこの現実と
まったく地続きの「歴史」の中にしっかりと足跡を残した人物。
そういう榎本の実在の“手触り”を確かめるのに良い本がある。
僕が今まで読んだすべての本の中で屈指におもしろかった本に
挙げる、鈴木明『追跡 一枚の幕末写真』(集英社)だ。
とにかく著者が函館図書館で見た、日本人とフランス人の兵士
たちが共に映っている写真を執拗に追跡しながら「敗者」たる
彼らの足跡と、正史の影に埋もれたその明治期の生きざまを、
まざまざと甦らせた名著だ。絶版のはずだが、絶対のオススメ。
榎本だけでなく、『武揚伝』の主要登場人物たちの肖像写真や
小説では描かれることのなかった後半生を知ることができる。

この本に出てくる多くの忘れられた人々の生きざまに、最近の
著作で、新たなる意味づけを付与して、オモテの近代日本を
撃ってくれたのが、文化人類学の泰斗にしてニッポンの周縁
北海道が生んだ稀代のフィールドワーカー山口昌男氏である。
佐々木譲さんの『武揚伝』を読まれて感銘を受けられた方は、
鈴木氏の『追跡』、そして山口昌男氏の著作へと進まれると、
ストーリーとファクトと理論的な視角とがそれぞれに相補う
読書体験ができることだろう。綱淵謙錠『乱』(中公文庫)
を加えれば、さらに興味深い。

明治国家のメインストリームから少しズレた流れの明治人たち
の生きざまを快く読むならば、小説家の星新一氏が実父の星一
のことを書いた諸著作が断然面白い、それに元気が出る。
維新の「負け組」東北の福島からアメリカ経由で一代のうちに
“ベンチャー”星製薬を築きあげながら、理不尽な政府の妨害
にあって、ほとんど憤死に近い運命を辿ったというところなど、
いま考えてみれば、榎本武揚公と近いマインドもあるかも。

『明治・父・アメリカ』『官吏は強し、人民は弱し』そして
星一と関わった有名無名人の評伝を集めた『明治の人物誌』
(すべて新潮文庫)。さらに『祖父小金井良精の記』がある。
このお祖父さんと北海道との縁もまた、『静かな大地』の読者
には知ってほしい話である。なお、医師であり自然人類学者的
な研究者だった良精の人生と歴史の綾を考えるならば、格好の
併せ読むべきテクストは手塚治虫『陽だまりの樹』だろう。

では、鈴木明氏の『追跡』から少し引用をして話を展開しよう。

 榎本武揚に関する記録を眺めてゆくと、意外な発言にぶつかる。
 簡単にいえば「南方の島を注目せよ」ということである。
 (中略 南の島領有の利を説く榎本の論がまとまられている)
 いまこのような話をきけば、榎本は途方もない侵略主義者の
 ようにみえるが、あの広大なアラスカをアメリカがロシアから
 七百二十万ドルで買いとったのは、榎本がこう発言したときの
 わずか十年ほど前である。

欧州文明の人、榎本武揚の“ガヴァン”(<ガヴァメントの)
することへの意志。実際、蝦夷共和国で「負け組」の居場所を
創ることに挫折した榎本が、その多忙なる宮仕えの余生で情熱を
傾けたのは、南の島や南米への移民事業だった。
「南進論」の巨魁・榎本武揚!
オランダに、身分の差のない自由で活発な社会の魅力を見た青年
は同時に留学の途上で、当時のオランダ領インドシナのバタビア
を見ている。17世紀、世界の海に覇を唱えたオランダが領有
していた紛れもない植民地の存在を、榎本釜次郎青年は一体どう
見たのだろうか?その目で、蝦夷のアイヌの人々を実際のところ
どう捉えていたのだろうか?
知恵と力と人材の限りに軍事力をオーガナイズしつつけなければ
存在すら保証されてこなかった「国家」とは、「帝国」とは?

明治期のさまざまなフェイズ、さまざまな階層の「負け組」の
人々の埋もれた声に、いま「負け組」になりつつある日本の人々
の多くが、もっと耳を傾けてみるなら、和製のオールタナティブ
な人生のダンディズムのようなものが見えてくるかもしれない。
負けてもなお、人生はつづくのだから、いつか終わるまでは。

「どんなときでもガクモンは厳然としてやらなければならない」
昭和が終わった翌日の明治大学の教室で言った栗本慎一郎師の
言葉を思いだして、今夜はまた少し小難しい話を書いてみた。
別に学問じゃないけど。明大には“潜り”で聞きに行ったのだ。
あれからずいぶん時間が経った。が、世の中は変わっていない。
いま、「文明」への問いが突きつけられている。

少し経ったら、去年僕がはじめて訪れた異貌のアメリカについて
書くかもしれない。ワシントンDCの友人への報告として。


2001年09月09日(日) 何はともあれ『武揚伝』

題:88話 鮭が来る川28
画:イトトンボ
話:「山やら川やらに持ち主がいるか?あの広い空に持ち主がいるか?」
  「これは理(ことわり)か、没義道(もぎどう)か?」

朝日の書評欄に、佐々木譲さんの『武揚伝』(中央公論新社)が出てた。
評者は木田元さん、哲学の。メルロ=ポンティとか訳した方ですね。
なにゆえ木田氏が『武揚伝』?…と思いつつ読むと、
「なぜかむかしからこの榎本武揚に強く興味を惹かれてきた」との由。
結構インテリ層に人気あるじゃん、釜次郎さん♪

ただ気になるのは「小説仕立ての伝記である。」と紹介していること。
ま、違いはしないんだけど、調べられる限りの史料に当たった上で、
それを素材にして創作された「ロマン」としての評価をしてくれないと、
書評としては、ちょっとズレた印象になってしまうのではないかな、と。
たまたま榎本ファンだった木田氏が取り上げたくなった気持ちもわかるし、
いきいきとした叙述から、大いに感興を得たことも伝わってくるのだが、
佐々木さんの作品は優れた評伝に留まるのではなく、骨太な史論でもあり、
なおかつ瑞々しい青春群像劇でもあり、何よりひとつの「小説」なのだ。
とりわけ僕が大好きな、冒頭の地球儀と星座をめぐるロマネスクの部分や、
長崎で出会う混血少女“おたえ”というキャラクター、そして蝦夷地視察
のくだりで登場するアイヌのシルンケのエピソードなどは、史料を繙いて
紡ぎ出したストーリーを読者に“読ませる”ための「小説的修飾」の範疇
などでは決してない、逆に一人の小説家が「物語」の神様を降臨させる際
に“時代”のディテールを「素材」として使った、というのが事の順番。

そうしたとき“武揚伝(ぶようでん)”という、骨太を絵にかいたような
渾身のタイトルが仇にならないか、と杞憂にとらわれる。
佐々木譲さんの作品はいつもタイトルのつけ方が洒落ていて、翻訳物の
冒険小説の邦題を模した感じで、かつ内容を上手に反映したタイトルを
つけられるのだが、今回はあえて骨太にしたのだろう。
しかし、多くの読者に届かせる、という意味では、このタイトルは損を
してしまっているような気がしてならない。
その上、どうも「読者層」が想定しにくいというか(多くの人に読んで
もらいたいのだが)佐々木譲さんのコアな読者層を除いたとき、榎本武揚
に関心のある好事家にしか届かないのではないか、と思うと結構くやしい。
大丈夫だろうか、佐々木さんの過去作とかと比較して売れてるのかな?(^^;

「榎本および“蝦夷共和国”の再評価」などという狭いところではなく、
現在、経済と社会の危機に瀕しながら遅ればせの「改革」の掛け声が響く
日本国が、かつて通ってきた「近代」の立ち上がりの時代の見方自体を
根本から変えてしまう視角を提示している、骨太かつ斬新な小説なのだ。
それも薩長に対置する東北、とかの“お国贔屓意識”から、
「正史」に対する怨恨を込めた、だけれどマイナーな注釈を付けようと
した玄人好みの本、なんてことでも全然なく、これこそオーソドクスだ
と思わせる説得力と魅力を備えている。
むしろ予備知識や時代小説を読む趣味さえ必要ないような作品だと思う。
素直に頁を繰って登場人物の動きを追っていけば、エンターテイメント
としてちゃんと楽しめて、作者の描こうとしたテーマも腑に落ちる。
「北海道独立論」めいたものには、それなりに思うところもあるけれど
まず「近代」日本の始まりに、オールタナティブなモデルが存在したこと
が広く深く認知されることの意義は大きいはず。
司馬遼太郎氏のいくつかの幕末ものなどを、まったく読んだことのない方
で『武揚伝』を読まれた方の話も聞いてみたいものだ。
あと、やはり池澤夏樹御大の書評も、ぜひ読んでみたい(^^)

『静かな大地』を遠く離れて、五郎さんの問いかけに、『武揚伝』という
補助線を引きながら迫ろうかと思ったけど、シルンケという登場人物の
描き方などについて書くと、「ネタばれ」が過ぎるので避けます。
最近さらに“副読本”が増殖しすぎ、という苦情、ないし喜びの声を頂戴
していますが、『武揚伝』は第一級副読本。『静かな大地』を読んで
なくてもいいから、ぜひ『武揚伝』は読んで下さい!(爆)

あ、切通理作さんの『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)読み中ですが、
昨日アドレス書いた切通さんのサイトで様子はわかっていたものの、
実際手に取るとなかなか凄まじい枚数の新書、読み応え抜群です(^^;
…っていうか、「宮崎駿論を新書で」ってオーダーに応えるのに、
「コナン」の各話へのコメントから、ぜんぶ律儀に書いていくスタイル、
オトナの著述家のすることじゃありませんね(笑)大好きですけど♪(^^)


2001年09月08日(土) フィクション、劇画、動画

題:87話 鮭が来る川27
画:シロツメグサ
話:学校より鮭漁を選んだ三郎

歴史上にままある 「文化的二重生活者」の幸福と悲劇。
三郎は幼いままに、その隘路に入り込んでしまった人だろう。

異文化との間を行き来する資質と経験を得てしまったものは、
両文化圏の間の状況次第では人生に大きなアドバンテージを
持つケースもある。
史上、多くの留学生は、己の栄達や自文化への貢献の大望を
胸に抱いて国境を越えた。
一方で、ひとたび風向きが変化して両文化圏の間の友好関係が
決裂すると、その谷間に落ち込んでしまう運命を強いられる。
第二次大戦時に、日系アメリカ人の方々の辿られた道を思うと
その念を強くせざるをえない。

アイヌと和人の歴史を描いたフィクションで、以前にも触れた
船戸与一『蝦夷地別件』(新潮文庫)や北方謙三『林蔵の貌』
(集英社文庫)、また佐々木譲『五稜郭残党伝』(集英社文庫)
にも、それぞれに、そうした一瞬の幸福と引き替えの苛酷な運命
に翻弄される人物たちが造形されている。
この分野で忘れてはイケナイのが、山口昌男先生もご執心の劇画、
手塚治虫御大の野心的傑作『シュマリ』だろう。
(数年前に角川文庫で再刊されたけど、最近書店で見かけない。
けど手塚作品は講談社の手塚治虫全集に入ってるので、是非♪)
以下、文庫版の惹句を引用。

 明治初頭、北海道の原野を流浪う一人の男が
 いた。シュマリと名のるこの男は、箱館で藩
 士を殺め追われていた。妻と別れ自暴自棄に
 なり囚われの身となった彼は、榎本武揚が隠
 匿した莫大な軍用金の探索を命じられる。
 一方、エゾ共和国建設を夢みる太財一族は埋
 蔵金目あてに娘お峯を接近させるが、彼女は
 いつしかシュマリに心ひかれていった。
 別れた妻、女たち、土地人・・・厳しい北の
 自然の中で展開する壮大な愛のドラマ!!

山口昌男先生は劇画通で、同郷の安彦良和氏とも“盟友”の
ようです。満州国を舞台にした『虹色のトロツキー』の時は
解説文を書いたりしてましたし、札幌で文化的オルガナイザー
活動を始められてからは、安彦さんを講演に呼んだりもして
いるようです。
僕の世代はファースト・ガンダムの作画で名を知る安彦良和
さんですが、最近は劇画の仕事をされていて、そのものズバリ
北海道の明治期を舞台にした『王道の狗』↓が刊行中です。

http://www.kodansha.co.jp/mismaga/oudouno_inu.htm

僕は何を隠そう、アニメに関しては相当に詳しいのです(笑)
ただし80年代前半のことですが。数年間に渡ってアニメ誌
全誌(と主要作品のムック類)に隈なく目を通してました(^^;
なのでキャスト(声優さん)、スタッフとも、当時から活躍
していた人に関しては、結構マイナーな人でもわかります。
当時の“教祖”的存在は、安彦さんのパートナー、ガンダム
を創った男・富野喜幸氏(<当時の表記はこうだったっけ)。
彼の思想、世界観の作り方、もの言い(富野ゼリフね 笑)、
すべてに渡って影響を受けていたと思います。

その後、アニメ界からは一旦完全に遠ざかってしまいました。
思えば“動画”としての「アニメーション」に関心があった
のではなく、“SFファン亜種”的な思想系アニメ・ファン
だったのでしょう。数ある雑誌でも、『アニメック』が好き
でしたし(笑)
『風の谷のナウシカ』、『劇場用マクロス』あたりを最後に
現役を引退して、ミーハーにも現代思想、ニュー・アカ系に
走りました(^^;

僕が現役の頃“思想系”富野氏に対比して言えば“動画職人”
という感じだった宮崎駿氏が今「こんなこと」になっている
とは思いもしませんでした。
『千と千尋の神隠し』の公開に伴って、バスに乗り遅れるな、
とばかりに各雑誌がムックを刊行し、しかもインテリ総参戦
という感じが、妙に居心地が悪かったり(笑)

ああいう仕事は、切通理作さんみたいになかなか日の目を見る
ことのない地道な論客が(<失礼! 大いに敬意を込めてです)
コツコツとやればいい仕事。なんて言ってたら、ここでも話題
にしていた『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)、売れてる
みたいですね。よかったですね、切通さん!(^^)
次は『ちゅらさん』研究本でも書いて欲しいです(笑)
『怪獣使いと少年』(宝島社文庫)や『日本風景論』(春秋社)
なんかもスゴクおもしろくて生真面目な本ですから、未読の方
は是非お読み下さい。切通さんのサイトは↓ここ。

http://www.gont.net/risaku/hitokoto_index.htm

で、きょう仕事が進まないのと、ちょっと気鬱なこともあって
遅い午後からサボりモードに入って映画館に行きました。
一応やっと夏休みも終わったけど、『千と千尋の神隠し』を
上映中の週末の映画館へ行くという、勇敢な試み。
昔『おもひでぽろぽろ』に行って、お子さま方のあまりの
ウルサさに閉口して以来、ジブリ作品はタイミングを
間違うと危険だ、と悟っていたにもかかわらず。

幸い『もののけ姫』の時より、さらに予備知識なしで見たので
妙に作り手の目線に入らずに作品として面白がれてよかった。
動画の魅力も実に『未来少年コナン』以来、という感じの爆発
の仕方だし、背景の建物のディティールなんかもフェチ心を
そそる出来映え。何より「説教より身体を動かす」って感じが
悪くない。いや、宮崎さんの説教したいことはちゃんと透けて
見えるんだけど、そのことと本芸のアニメーション職人ぶりが
一応の調和を見ている、ということで言えば、実は久しぶりの
ことではないか、と思ったりする。

ま、『未来少年コナン』や『カリオストロの城』を見てた時
みたいに夢中になりたい、というのは自分の側の年齢的なもの
とか、ものの見方の変化を考えると、“ないものねだり”に
なってしまうので、それは望んでも詮無きことだろう(^^;
あれだけ客席の一体感を作れる「演出家&作家」も、いまの
日本にそう何人もはいないわけで、大したものだと思う。

これでやっと切通さんの新書が読めるぞ!…と思ったんだけど、
さてさて問題がひとつ。
著しく偏った“超アニメ通”の私、実は『となりのトトロ』を
一回も見たことがないのです、人生のタイミングの問題で(^^;
当時「ナウシカとラピュタの次が、これかよ?」的な、反感を
かの庵野秀明氏も抱かれたやに、どこかで読んだ気がしますが
僕も人生で最も頭デッカチだったころ、『トトロ』を見そこねて
現在に至っています。
うむ、本が先か、DVDが先か…っていうか仕事しなきゃ、
とりあえず今夜は寝よ(^^;
#また切通さんの本をはじめ、論考を読んで何か書きたくなったら
頭デッカチな宮崎駿論めいたものを書くかもしれません。

共感、激励、疑問、苦情、叱責…などなどメールお待ちしています♪


2001年09月07日(金) 叙事詩の射程距離

題:86話 鮭が来る川26
画:ペンペン草
話:「これは本当にここだけの話だぞ」

「利権」としての静かな大地
「利権」としてのアイヌ(!)
「利権」の体系としての世界

 強制収容所にもバランスシートがあり
 小役人が退屈な日常業務を勤勉にこなし
 そうして「歴史」が積み上がっていく

 「システム」の奴隷
 人の弱さ 脆さ そして儚さ

 あるいは生の禍々しいまでの力

 叙事詩の射程距離

 ことばといのち ことばのいのち いのちのことば

 静かな大地に 響き残る 地霊たちの声

 「これは本当にここだけの話だぞ」


2001年09月06日(木) 陰陽道、アムステルダム、札幌の店

題:85話 鮭が来る川25
画:カブトムシ 雌
話:いろいろなからくりが縺れたおかしな夏だった

「歴史というやつ」が、今日の話題といっていい。
文字による記録も歴史も、すべての共同体に必要なのではない。
無文字文化に高い精神性が備わっていることは、むしろ当たり前で
成文法や、税収の記録、そして書かれた歴史が“必要”な社会は
共同体が折り重なった「支配ー被支配」関係で構成されている、
世知辛い世の中なのだ。

かといって、共同体の成員の共有する物語と、生理と、自然界の
リズムがリンクした、“幸福な”世の中なんてものも現代には
望み難い。っていうか、僕なんかは、そういう共同体のタブーの
体系に、まかり間違って一瞬あこがれたりしたとしても、すぐに
息苦しくなるに違いない。それはもう、生理的レベルの問題だ。

この辺が「先住民族の精神世界」みたいな話題になると裸足で逃げる
理由だろう。個人としては、言語的に割り切れない領域の世界を、
生理的な気分に預けることを良しとし、案外トラディショナルな意匠
を偏愛しながら身体を処したりするのが好きなのにもかかわらず…。

具体的に言うと、僕はジャパニーズ・シントーイストかどうかは
わからないけれど、やたらと神社に行く人間だ。多くの日本在住者が
“初詣で”を一年間の最初で最後の神社訪問の機会としているであろう
のと大きく隔たっている。たとえば今年になってからだって、100回
は行ってないかもしれないけれど、きっと50回は行っているだろう。

80年代から鎌田東二氏の著作や、中沢新一氏の著作を読み、あるいは
荒俣宏御大の『帝都物語』を、かなり入れ込んで読んでいたくらいだ。
90年代の若い世代は、いきなり京極夏彦から入るから情報量が多い
ようでいて、過不足なくエンターテインされることに充足してしまって
結構“憑き物”は憑かないのではないかと思う、一般的傾向としては。
むしろ『帝都物語』の、あのスカスカ加減のほうが“祝詞”としての
効果は強力だったのではないかと、個人的体験からは、思ったりする。
あ、っていうか、その前にすでに小松和彦氏とか読んでたからかな。
しかし80年代の前半から「陰陽道」とか知ってちゃダメです(^^;
…というわけで、ぜんぶ悪いのは栗本慎一郎師です(?笑)

余談だが、『ファンシィダンス』は読んでたのに『陰陽師』は未読の
岡野玲子さん、そろそろ読んでみようかな、などと思いつつ。
平安時代もさることながら、陰陽道が隆盛をみたのは、戦国乱世のこと
なのだそうです。“軍師”と呼ばれた人たちは、すなわち陰陽師だった
とか…。そういう中から出てきた信長って、特異だったみたいです。
昨日の話と絡めると、信長ってなんか地球儀が似合うイメージだし。
日本の中世から近世の立ち上がりにも「異貌」の歴史がありそう。
最近どちらかというと幕末ばかり関心持ってたけど、あのへんの時代の
イジり方も、角度を出したいところ。中沢新一『悪党的思考』参照。

戻ろう(^^;
言いたかったのは、オカルトも「個人」の責任の範囲で嗜むぶんには、
飲酒とか“なんとか健康法”とかと大差ない、“Tips”に過ぎない。
そしてトコトン「個」で生を引き受けてゆくスタイルは、
昨日の文脈だと“アムステルダム”的で、悪くないと思う。
ドラッグも安楽死もゲイも「許容」する、聖書的世界観から見れば
“悪徳の都”なアムステルダムの風情を、なかなかに愛しく感じる。

昨日は、シカツメラシく、難しい歴史のことばかり考えながら休暇を
過ごしていたかのように書いたかもしれないが、実際は実にダラダラと
“悪徳の都”を楽しんでいたのだ。ま、ドラッグとかとは無関係に(^^;
ゴッホもお腹いっぱい見たし。ゴッホはベンチャーズではなかった、
すなわち日本人だけに殊にウケているのではないことが確認できた、
っていうかゴッホ美術館、混みすぎ(^^;
フェルメールは僕は結構あちこちで見ていて、ワシントンDCの
ナショナル・ギャラリーでも見てるし、もちろんオルセーも行ってるし
去年大阪に来た展覧会も出張のついでに見た。なので今回はその補完、
デルフトの街にも行って来ました(^^)
あとはなんといっても行きたかったライデンの街と国立民族学博物館。

…って書くと、やっぱり精力的にお勉強して歩いてる感じがするけど
基本的には散歩してカフェでダラダラしてゴハン食べて…の繰り返し。
以前のダブリンの時のビューリーズ・オリエンタル・カフェみたいな
場所は、今回で言えばライツェ広場のホテル・アメリカンの中にある
アール・ヌーヴォーの内装のカフェ・アメリカン。名前だけ聞くと
想像できないくらいにイイ感じ、かつ観光客にも敷居低いカフェ(^^)
私はここで雨の日に『武揚伝』のクライマックスの五稜郭防衛戦の
くだりを読んで涙しました。シブイねー♪(笑)

毎度ヨーロッパの街で(去年はアメリカでも)恒例の“中華料理店の
国籍不明の東洋人ごっこ”という持ちネタ、今回はやらなかった。
っていうか、あまりにもコスモポリタンで、中華屋なんて東京並み
は大げさにしても、やたらに沢山あるんだもの、アムステルダム。
で、代わりに不届きコロニアルな嗜好を満たしてくれたのは、
旧蘭印すなわちインドネシア料理店で食べるライス・ターフェル。
10数種の料理がちょっとずつ皿で出てきて、自分でライスと
混ぜて食べるというスタイル。言わば「卓上のセルフ混ぜご飯」と
考えていいですね(<往年の古館伊知郎風)
これがなんとなく、むやみに日照時間が長くて困る一人旅の夕べに
そこはかとなくコロニアルな気分をそそって悪くないのだ。

あと驚嘆したのが、ある日、我がアムステルダムの街を占領した緑の
服を着た人々。アイルランドのクラブチームの遠征にくっついて来た
いわゆるフーリガンさんたち。これが、いかにもケルトの民な感じの
イカツイ兄さんたちばっかりで、徒党をなしてハイネケンを鯨飲し、
街角で大小の旗を拡げて気勢を上げ、歌い出す始末。
そもそもが張り巡らされた運河のおかげで迷路のようなアムスの街で
曲がる角、出会う広場、すべてを占拠する、腕っ節の強そうな集団の
酔っぱらい@含むスキンヘッド、サッカー場で使う鳴り物付き(笑)
彼らが一人歩きの東洋人に悪意を持ったとしたら…どうしよう?
真剣に身の危険を感じましたわ。だってダム広場なんか、革命でも
起こったのか、と思うような騒ぎだったもの。
実際オランダの機動隊みたいなのが装甲車両並べて待機してたし(^^;
「こ…これが、フーリガン…、これが、ヨーロッパ…」って、
アムロ・レイ風(声・古谷徹さん)に呟いて絶句してしまいました。

彼らの応援するチームは、勢いを駆ってか、アヤックスを撃破した。
戻ってホテルのテレビで見たところによると。
で、因縁深いことに(?)先日W杯予選でオレンジ軍団がダブリン
でアイルランド・ナショナルチームに負けて本戦出場絶望になった。
ふむ。オランダがいないW杯、どこを応援すればいいんだろ?

そんなこんなで『武揚伝』を読むためのオランダ・ツアーだったけど
航空チケットの有効活用で、懐かしのアテネにも2泊3日で出かけた。
これがアムステルダムとは、札幌と那覇くらいの気候の差。
灼熱のアテネだったけど、2年前の記憶を頼りに地図なしで過ごせた。
やはり2年前に服を買った店のマダムが、僕のことを覚えていて、
今回も何着か買ったので、「また来る」って言っちゃったり(笑)

サントリーニ島までは足を伸ばさなかったけど、アテネの店で買った
サントリーニ産の赤ワインをリュックに入れて札幌まで持ち帰って
馴染みの店・ティパサで開けて飲んだ。北海道の知人の皆さまには
不義理をしましたが、急であやふやで短い滞在だったのでお伝えも
せず失礼いたしました。またそのうち行きますので(^^;
ちなみにティパサというのは、↓こんなお店です。
http://www.lares.dti.ne.jp/~fuente/tipasa/entree.html

なんか今日の話の展開、普段にも増してアチコチ跳んでるなぁ(^^;
いつも素面なんだけど、きょうは酩酊してるような感じ。
「いろいろなからくりが縺れたおかしな夏だった」のは、
僕の夏休みか(笑)


2001年09月05日(水) 異貌のオランダ、異貌の<近代>、そして日本

題:84話 鮭が来る川24
画:カブトムシ 雄
話:“アイヌ勘定”解説と子供たちの労働報酬

あいかわらず、いつまでもつづくピクチャレスク博物誌的な視線の
山本容子さんによる版画さし絵ですが、今日は甲虫。
和人進出のコロニアル状況が描かれる本文と並べられると、
豊かなアイヌモシリの物産も、いつしか支配者の目録めいてくる(^^;

このへんは僕のオランダ観光旅行の影の主題と言ってもいいところ。
解説は難儀なので、あえて挑戦しないが、参考文献を挙げるならば、
高山宏『終末のオルガノン』(作品社)の中の「豚のロケーション」
という論考が17世紀オランダ文化の“ツボ”を刺している。
先日の僕の、中途半端なオランダ旅行報告の補足をするために、
ちょいと引用。
 
 そもそも<近代>全体が、実存的「豚たち(マラーノ)」による
 <定位>の試みの総体ではないか〜(中略)〜豪華絢爛たる<近代>
 の表象文化そのものが「豚たち」の絶対的な疎外感の所産である

「豚」とは、かつてイベリア半島で弾圧されたユダヤ人たちへの蔑称。
近世初頭の欧州史の軸となる、カトリックの守護者スペイン帝国での
迫害がもたらした彼らの歴史については、小岸昭氏の諸著作を参照。
で、16世紀はスペインから独立しようとするネーデルラントの死闘
が繰り広げられる。この辺は岡崎久彦『繁栄と衰退と』(文春文庫)。
このスペインからの独立戦争こそ、フランス革命、アメリカ独立革命
に大幅に先駆ける、<近代>の共和主義の最初の華。

オランダが果たした役割、その見方を大転換しなければ歴史は見えない。
のみならず、我々が現在“どこ”にいるのか、の見取り図も書けない。
その力説は、再び高山御大の編著『江戸の切り口』(丸善ブックス)で
聞くことができる。スピノザやフェルメールを生んだ異貌のオランダ。

 ヨーロッパ自身が当時のオランダをどういうものだと考えていたか、
 そこがかなり変わりつつあるわけです。(中略)イギリスに制海権を
 奪われる前の、光学的というか、レンズ的とさえいってもいいぐらい、
 世界を視覚的に切ってきて、それを所有することが快楽だということ
 を覚えた文化圏です。顕微鏡とか絵とか地図とかの表象装置に狂った、
 史上稀に見る不思議な文化がオランダにあって、その頃のオランダが
 一世紀遅れて入ってきた。

オランダが江戸政権と貿易の特約を勝ち得たのは、当時のオランダが
世界の海上の覇権を持つスーパー・パワーだったからに他ならない。
そのオランダ的文化の江戸への「浸入」の様を、つぶさに追う仕事を
しているのが、英国の俊英タイモン・スクリーチ氏である。
既に何冊も大著を出しているが、『大江戸異人往来』(丸善ブックス)
が値段も安く手に取りやすい。ダイジェスト的な新書も出して!(笑)

江戸時代が始まったときに、リーフデ号の漂着という偶発事件があった
とはいえ、当時までの覇権国であったスペインやポルトガルではなく
新教国・英国のウィリアム・アダムズやオランダのヤン・ヨーステンを
召し抱えた、徳川家康の慧眼を誉めなければならない。
その辺は白石一郎『航海者』(幻冬舎文庫)。隆慶一郎『見知らぬ海へ』
が、他の晩年の作品と同じように未完で残されているが、もし完成して
いれば“いくさ人”家康の眼で見た、当時の国際情勢が語られただろう。
よく勘違いされるが、家康は対外交流に非常に積極的な人物だったのだ。

そのオランダが生き馬の目を抜く欧州の近代史の中で衰退し、国家の旗
さえ降ろさなければならなかった時にも、世界中で長崎のオランダ商館
にだけはオランダの旗がはためいていたとか…。
それほどの日本とオランダとの「縁」を背景にして、日本の幕末の激動
を描く佐々木譲さんの巨編『武揚伝』を耽読すると、国家と国家の間、
そして個人と個人の間の“友誼”というものへの想いが沁み渡ってくる。

ここで少し余談。
上で高山宏御大に導かれて覗いた異貌のオランダの姿を考えるならば、
『武揚伝』の冒頭が、地球儀と星座に関するロマネスクから始まるのは
あまりにも正しい。そして“世界商品”コーヒーを偏愛するところも、
オランダ仕込みで微笑ましい。アムステルダムの海洋博物館の売店で
買ったクリスタルの小さな地球儀は、その文脈を押さえた土産物なのだ♪

榎本武揚は言ってみれば<近代>の老舗中の老舗、あまりに先鋭的に
<近代>を体現していたがゆえに、大英帝国にとって代わられたのかも
しれないオランダに学んだ。そして薩英戦争後は親英勢力となっていた
薩摩や、密航英国留学生の伊藤俊輔や井上馨を擁する長州の武力革命に
よって前途を塞がれることとなった。
榎本武揚が演じた日蘭友好の物語は、オランダでも知られてほしい。
なぜなら日本とオランダは江戸以来続けてきた永年の友誼にも関わらず、
20世紀に痛恨の、そして最大の「逆縁」を抱えてしまったからだ。

すなわち、第二次世界大戦における、オランダ領インドネシア進出…。
あの戦争の忌まわしい記憶にオランダ人は今でも強くこだわっている。
日本の若い人の中では、戦争の相手はアメリカ、かろうじてイギリス、
あとは中国、よくわからないけどソ連…くらいの認識が一般的だろう。
オランダ人の対日感情が悪い、そこまで恨まれているとは思いもしない。

ルディ・カウスブルック『西欧の植民地喪失と日本 オランダ領東インド
の消滅と日本軍収容所』(草思社)の説く論旨を充分に飲み込んだ上で、
今の日本人の良識としては、倉沢愛子『女が学者になるとき』(草思社)
などの著書で“大日本帝国”がインドネシアにもたらした負の側面も
知っておくべきだろう。「ムルデカ」だけ鵜呑みではマズイのは確かだ。

オランダ、日本、インドネシアの3地域のトライアングルを16世紀以降
追ってみると、なんとなく、今の世界で日本人が知っておくべき枠組みが
すっきりと押さえられそうな気がする。歴史の複眼的な見方も養える。
3地域に絞り込んで、あとはそれを叙述するための背景ということに
徹すれば、不要な煩雑さからも逃れられる。その分、それぞれの「言い分」
を盛り込んだ、ディベート的な叙述をしても、大枠は揺らがない。
そして日本による戦後補償とスカルノ政権とか、そういうトピックにも
触れることができる、“いまに届く”歴史になりうると思う。

『日本権力構造の謎』や『人間を幸福にしない日本というシステム』で
知られる論客、カレル・ウォルフレン氏がアムステルダムと日本の茨城を
往復するオランダ人だと知ったのは最近のことだ。
まさに現在の日本の<非近代>な要素を指摘し、改革の掛け声を高める
仕事をした学者さんだ。この人に、オランダのことも教えてもらいたい。
それも中学生高校生に語るレベルで、個人的な日本への関心の動機なども
織り交ぜた講演集かインタビューに加筆するスタイルでもいいかも。
平凡社が橋爪大三郎とエズラ・ヴォーゲルで作った新書みたいな(笑)

オランダ、日本、インドネシアの3地域関係史を軸にした<近代>史を
高等学校の教育課程に入れて、教科書もそれに準ずるべし!
もう「カノッサの屈辱」とか、私大文系受験生の業界人風ギャグ・ネタ
を生産したような「世界史」も、20世紀のことがちっともわからない
「日本史」も要らない。そして、ある意味、「アカウンタビリティー」
のために学ぶような「歴史」であるのだから、その教科書そのものを
英語で記述してしまう、というのはどうだろう?(笑)
現行の科目よりも“役に立つ”ことは間違いないと思うのだけれど(^^;

あ〜あ、久しぶりにやってしまった…、
今夜は早く寝るつもりだったんだけどなぁ (;_:)
これ読んで「おもしろかった」という方、いらしたら激励メール下さい♪
あと、某所にアップあれているサントリーニ島での僕の写真の感想も(爆)


2001年09月04日(火) 成吉思汗&貴老路

題:83話 鮭が来る川23
画:バッタ
話:最初の秋の、最初の鮭漁の話

きょうの感想。美味そう。以上(^^;

北海道の味覚の一つに“ジンギスカン”鍋があります。
オキナワのビーチパーティーか、北海道のジンギスカンか
という感じ。“観楓会”なる秋の習慣もあります。
先日のまとめ書きの中の「義経=ジンギスカン」ネタに
西東始さんから反応メールを頂戴しました(^^)


**************************
件名:義経ジンギスカン

出張ご苦労さまです。

8月28日の「義経=ジンギスカン」ネタ、興味深く読ませて
いただきました。これについては金田一京助が文章を書い
ていたと思いますが(「義経入夷説考」1914位?チョット
アヤシイです)、小谷部全一郎については「ああ、そんな
人がいたか」、高木彬光と長山靖生の本については全く知
りませんでした。早速本を読んで勉強します。

ところで、観光客にも有名な「義経ジンギスカン」は明ら
かに<義経=ジンギスカン>伝説が元ネタなんでしょう
が、そもそもジンギスカンなる羊肉料理の名前もこの伝説
とは無関係ではないのでしょうね。実は「ジンギスカンと
いう料理の名前の由来」についての研究は読んだ事があり
ませんが・・・。小谷部全一郎からジンギスカン料理まで
つながっていれば面白いですね。来週くらいに札幌に出る
ので、「義経」でジンギスカンを食べつつ、ちょっと調べ
てみます。

さらに余談ですが、私の住む街帯広市から一時間半ほどの
距離に本別町というところがあります。ここは三セク鉄道
の「銀河線」と義経伝説で町おこしをやろうとしている町
です。この町は、義経が当地のアイヌに「文化」を伝えた
のがアイヌ文化の発祥なのだと、これはウタリ協会が聞け
ば怒りそうな話を喧伝しているようです。とはいえ、この
町には「義経伝説」では覆い隠せない?ほどアイヌ語の地
名がたくさんあり、一番有名なのは「キロロ」。これが二
箇所あって、一箇所は「嫌呂」、もう一箇所は(実はちょ
っとした山を越えた向こう、行政的には浦幌町になるので
すが)「貴老路」。この表記の違いはあまりに凄く、私は
「ネタ帳」にメモしてしまいました。(ついでに言えば、
これと赤井川村のキロロ・リゾートに歌手のKiroro、キロ
ロリゾートを運営するヤマハリゾートとKiroro側の商標登
録をめぐる争いを絡めると、学生さんにも興味深い話がで
きないか、いやいくらなんでもちょっとマニアックすぎる
かとしばし考え込んでしまいます。)

小谷部全一郎の妄想のおかげで私も妄想を膨らませてしま
ました。失礼しました。

「日記」、期待しています。それでは。
**************************
…「義経伝説」的なるものについては、ネタが増えたら
また書くつもり。しかし“余談”の本別町の話もなかなか
ごっつい話ですなぁ(^^;
あと、キロロ。「嫌呂」に「貴老路」ね。
台湾とか香港の雑誌なんかでは、歌手の「キロロ」って、
どう表記されてるんだろう?(誰か調べて頂戴ませ 笑)

キロロ・リゾートの名前は知っていたし、歌手のキロロは、
98年の初めにオキナワへ遊びに行った時から知っていた。
長野冬季オリンピックとかSMAP「夜空のムコウ」とか
モーニング娘。「モーニング・コーヒー」を脳内リプレイ
していただけると「長い間」の全国ヒットには、やや早い
時期だったと実感していただける…かな、歌謡曲通には(^^;
さて「Best Friend」で紅白、ありかな?(^^)

それはともかく、北海道の地名。山口昌男先生もどこかで
言ってらしたと思うけど、アイヌ語の音と漢字の当て字は
“ボタンの掛け違い”と言おうか、あんまり幸福な形では
なかったということです。でも既に100年以上の歴史と
それに馴染んできてしまった住民もいる。
なかなかに奥深い問題を孕んでいるので、西東さんの考察
をまた伺ってみたいところです。
まぁ内地の地名にもヤマト言葉じゃ意味不明なのって結構
あったりしますしね。アイヌ系じゃなくて半島系も含めて。
そのへんになると『人麻呂の暗号』のトラカレさんなんか
の研究の世界。近所なのでよくビルの前を通りますけど、
最近も研究発表は続けてるんでしょうかね?

というわけで、今日は西東さんにお任せの日録でした(笑)


2001年09月03日(月) 北海道経由オランダ

題:82話 鮭が来る川22
画:オオバコ
話:鮭鱒孵化場の顛末

北海道=蝦夷地は物産の豊かな土地でああった。
充分に独立国家が営めるほどに…。
それを夢想したのが、鮭の孵化事業なんかも大好きそうな、
技術と殖産好きの政治下手(?)、“我等が”榎本武揚公である。
なかなか書けないでいる僕の夏休み報告、北海道経由オランダ行き、
まず、さわりだけでも某友人へのメールの文面から。

 今回は前回のニューイングランドとワシントンDCよりもっと説明が難しい、
 アムステルダム暮らしの日々でした。
 今、地球を取り巻いている「近代」の「孵化器」、それがあの低地地方だった、
 そういう認識の元に、アメリカ東海岸の次に訪れるならあそこしかない、
 と思っていました。

 レンズ職人哲学者スピノザ、視覚革命の担い手フェルメール、国際法の父
 グロチウス、そういう先鋭的な人を輩出した奇怪な時代を持った国。
 加えて日本との歴史の綾。蘭印の旧宗主国であり、第二次大戦の敵対国。
 そして現在、アメリカ型に対するオルタナティブな社会や環境への取り組みを
 現実のものとしている、インダストリアル風車と自転車の国。

 とにかくもう歴史も現在もネーデルランドを見れば、すべてが見えてきます。
 大英帝国が歴史を捏造したせいで隠蔽されて、「チーズと木靴と風車小屋と
 チューリップの小国」みたいに見えますが、あの国の本性は魔物であります。

 幕末においてオランダ留学組リーグから、国際法に精通したラディカルな
 共和主義者の一群が北海道独立を試みた歴史を、日本の人は軽視しすぎです。
 そのへんを書いたのが、佐々木譲さんの新刊『武揚伝』です。
 上下巻1350グラムのハードカバー本を持って、ゆかりの地を訪ねながら
 じっくりサボり倒してきました。贅沢とはこういうことを言うのです♪

…つづいて帰国後わりとすぐに、作者の佐々木譲さんご本人のHPの掲示板に
僕が書き込んだ文面。

 ご報告 G−Who  2001/08/19 (日) 10:50

『武揚伝』上巻を新千歳空港発スキポール行き機上で読了。
下巻のクライマックスは、雨のアムステルダムのカフェで
涙をこらえながら読みました。
アムステルダムの海洋博物館、
オランダ留学組の多くが住んだデン・ハーグ、
開陽丸の故郷ドルドレヒトのオーデマース川、
ゆかりの地も巡りました。
自慢ついでをお許しいただければ、
冒頭近くの樺太の描写の中のクシュンコタンの
ロシアが陣地を築いた丘も、過去に訪れたことがあります。
『ワシントン封印工作』ゆかりの旅としては、
ワシントンDCのデュポンサークルで友人と待ち合わせて
マサチューセッツ・アベニューで食事したこともあります。
僕っていったい何者?…って感じですね(^^;
決してスパイとか殺し屋じゃありませんよ(笑)
>譲さま
 私信でお伝えしたとおり、自分のHPでネタバレ有りの
 コメントを書くつもりですが、なかなかまとまった時間が
 とれずにいます。書けたらまたここでお知らせします。
 ひとまず「自慢」がしたくなって、
 ご報告だけカキコみました。すみません(^^;

…で、書きたいことはいっぱいあるんだけど、現在に至る、
というわけです(;_:)
オランダ留学組の榎本武揚、何かというとすぐにコーヒーを
飲みたくなるとこなんかも、好きです♪
16世紀以降のオランダ史と日本史とインドネシア史を
リンクさせた「歴史」の教科書を作れば、日本史も世界史も
必要ない、というのが最近の僕の持論。
だいたい歴史の細目なんてどうせ研究者間でも評価が定まらない
のだから、特に遺跡の発掘ひとつでコロコロ変わる憶測の古代史
なんて授業でやらなくてもいい、と思うわけです。
欲しいのは歴史のベーシックなリテラシー能力、
とりわけ、私たちは今どこにいるのか、どういう経緯でそうなったのか
という最低限の“申し送り”だけはしておこう、ということ。
何故オランダ、日本、インドネシアなのかは、わかる方には自明だと
思いますけど、そのうち参考書誌なども交えて、そのメリットを
説明しましょう。

というわけで、『武揚伝』関係についても書きたいのですが、
それもまた、次の機会に(^^;

…それにしても、オランダ・ナショナルチーム、
アイルランドに負けてしまいましたねぇ…、
あのオレンジが来るならスタジアムに観に行きたい、
と思っていたのですが。そんな話も含めて、また。


2001年09月02日(日) たのしい鮭漁

題:81話 鮭が来る川21
画:テントウムシ
話:アイヌ式・川の鮭漁の方法

先日触れたカムイチェプの燻製の話、なんだかあれだけ書くとアイヌ式の
鮭漁が昔からずっと続いてきて現在の北海道でも行われているかのように
聞こえてしまったかもしれない。
そこは、とんでもなく北海道近現代史の肝要な部分。

萱野茂氏がずっと言い続けているところによると、
アイヌは主食を奪われた、世界でも特異な民族だ。
すなわち、川で鮭を自由に捕ることは近代以降一切できなかったのだ。
今でも儀式のため、年に数尾の鮭を伝統的手法で捕るのに、
道庁だか知事だかの許可を申請しているという。

実は北海道に6年住んでいたと言いながら、僕はそのへんに疎い。
生ハムのような味わいの燻製を食べさせてもらったのは、とある博物館。
そこでも古来のやり方ではなくて、近海で捕れたものを市場で買ってきて
加工している、と聞いた。そのためまだ鮭の脂肪分が多く、加工する過程
で悪くならないようにするのに手をかけている、というようなことも
聞いたような気がする。

ふむ。資源収奪型の統治というやつは、地球の隅々まで手を伸ばしたのだ。
結局たいした近代国家も運営できなかったというのに。


2001年09月01日(土) あらすじ、『キリンヤガ』、神の魚

題:80話 鮭が来る川20
画:虻
話:カムイチャプ(神の魚)の記憶

豊饒なるアルカディアの甘美な記憶。
ジェームズ・A・ミッチェナー『センテニアル遙かなる西部』
(河出書房新社)の序盤は、コロラドの大地が形成される、
地質学的年代の記述からはじまり、恐竜や哺乳類の時代を経て
ようやくヒトが登場する。そのあたりの、自然の恵みで飢えと
無縁な暮らしの叙述の甘美なこと。

池澤御大が「年代記=クロニクル」をやるのならば、思い切り
構図を地質学的あるいは天文学的時間にまで引き絵で見せたり
近景に戻ったりしてみても、魅力的なのではないか、と思う。
連続的時系列の構成だと、まだ決まったわけではないのだし、
むしろ不連続的で視点も移り変わるのだから、これからでも
そういう視点は持ち込みうるだろう。
なにしろ主役は「静かな大地」なのだろうから!

さて、あらすじ引用。

  ≪あらすじ≫大正9年夏、由良は夫の長吉
 と静内を訪れた。亡くなった伯父三郎や父親
 志郎の少年時代を、アイヌの少年オシアンク
 ルいまは秋山五郎に聞くためだ。馬の名人だ
 ったために日露戦争に徴用され足をけがした
 五郎は、牧場の賄いとして働いている。和人
 が差別するアイヌと仲よくしたことが宗形兄
 弟の苦労の始まりだったと五郎は語る。

ひきつづき話題は五郎さんの「キツネのチャランケ」系な述懐。
「神のくださる食べ物」という、「物語」的自然観が描かれる。
で、8月31日「物語をやっつけろ!」の甚だ消化不良な内容に、
突っ込みメールを頂戴しました(笑)

 「今日の日記・・・『キリンヤガ』?」

…なるほど、それ、読んだ人にはなかなかわかりやすいかも。
マイク・レズニック『キリンヤガ』(ハヤカワ文庫SF)ですな。
『キリンヤガ』の内容、というか文明論ディベート大会的強度は
置いておいて、面白かったのは見取り図をわかりやすく示す手際。
「物語」としてモデルを提示することが芸になっている。
未読の方は、ぜひ♪

あと前回書きながら想定していたのは、インカ帝国末期の神官たち
の情報操作ミス。スペインの侵略者たちを「神」にしてしまった、
あの彼らの致命的な誤謬。
「神話」は結構容易に変わりうる。よく言えばダイナミックなもの。
そして何百年の単位の時を超えて、平気で甦る。「日本人」という
まとまりを実体視できる向きにとっての対アジア妄想と同じように。
“エクゾチシズム”は美学的趣味としてはまったく嫌いじゃないが、
それと知った上で、他者との交通空間に出てきてほしいものだ。

問題は、ある種そうした文化相対主義的な紳士協定ともいうべき
状況の中に、天然のバーバリアンが侵入して来たらどうするか
という、歴史の中で幾度となく繰り返された問題だろう。
『静かな大地』にも、その“現場”のひとつが描かれていく。

それにしても…。
鮭、うまいんだよねー、粗塩して天日干しして燻製にしたやつ、
切るとサーモン・ピンクで(<そりゃそうか 笑)、生ハム
みたいな味がして…。スモーク・サーモンとも違う味♪
御大もどこかで言ってたけど、冷蔵保存技術が発達して食材が
いつでも入手できるようになっても、ものによっては旧来の保存
技術によって加工されたもののほうが、美味いということがある。
ホタテの冷凍ものの刺身も少しならいいけど、干し貝柱を使った
中華メニューのほうが偉大だ、みたいな感じ。寿司でサーモンの
トロ食べるよりアイヌ式カムイチェプのほうが美味かったし。

さてさて、味覚の秋はまだかなぁ♪


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