『意識はどこに?』
久しぶりの劇表現。何をするか、ドキドキしながらの授業開始。
◎しっぽ鬼 タオルをズボンの後ろに挟み込んで、しっぽに。 それを取られたら負け、という非常に単純明快なゲーム。 しかし、これが燃える燃える。 一回目は、2本くらい奪取したものの、気を抜いた瞬間取られていた。 いつ、どんな状態で取られたかを反省し、2戦目。 背後に意識を向けて、と思った瞬間、取られていた。あっという間に終了。 3戦目は二手に分かれて、対抗戦。 作戦を練り、3人一組で立ち向かうことに。 が、敵も同じ手を考えてきており、笑った。結局、うちのチームの勝利。
→背後というのが、一番意識が薄くなりやすい。 そこをいかにして意識するか。
◎タオルパス 大きな輪を作り、ボール状にしたタオル等を「1,2,3」のリズムで右の人へ投げ渡す。 相手をよく見て投げないとあらぬ方へ飛んでいってしまう。 初めはひたすら右へ右へと渡していく。なかなか上手くいかない。 そのうち「チェンジ」で反対方向へ。ますます上手くいかない…。 が、段々要領を覚えてきた。確かに、投げる方向をきちんと見ていないと相手に迷惑。 ちゃんと見て投げれば、ちゃんと届く。 みんなが相手を思って投げれば、受けとめる方は非常に楽。 慣れ来たところで、今度は落としたら「アウト」と叫んで抜けることに。 両隣の人はそれを聞いたら、流れを止めないように気を付けて受け渡す。 抜ける人が増えれば、輪を縮める。 流れを見て、復帰出来ると判断したら、すかさず「イン」と叫んで復活。 動き自体はそんなに激しくないのに、やたらと汗をかいた…
→何を意識するか。 自分が受けとめることだけを考えていては上手くいかない。 大きな輪の中に自分がいることを忘れては行けない。 特に、後半は自分が落としてしまったときに、自分のことだけ考えて、落としてしまったことに言い訳やらなんやらでぐずぐずしていると、流れを止めてしまう。 インで入る時も、入ろうかどうしようか迷ってウロウロしていると、やっている人の迷惑。 やっている方も、インで入ってくる人、アウトで抜ける人を意識していないと、いない人のところに投げてしまったり… あれこれ意識しないといけないのは難しいが、逆に、いかに自分が自分しか意識していないかということを改めて認識した。
◎チッチッチッチッバリチッチ(?) 一班8人くらいの4つのグループに分かれ、表題のかけ声に合わせて手を左右に振り、踊る(?)。 言い終わったところで、リーダー(先生)が「3」とか「5」とかと数字を言う。 メンバーはかけ声が終わった瞬間、その声を聞きつつ、座るか立ったままかを判断。 その時、立っていた人数が言われた数字と同じならアウト。 親指を立ててやる「いっせっせのせ、4」ってやつと同じ要領。
→これは言い終わったときの集中力、かな。 「後出し」のような、数字を聞いてから考えて座るのはあかんけど、瞬間的に声を聞いて判断して座る。 結局、最後の方はギャンブルのようになってきたけど。
◎椅子取り 人数分より10数台多めの椅子を内向けに大きな輪にして並べる。 鬼は二人。(そのうち3人に)。 膝の間にもの(バレエシューズ。タオル)を挟み、落とさないようにジャンプしながら移動。 輪の真ん中から出発し、空いている椅子に座ろうとする。 他の人は、鬼を座らせないように、横移動をして阻止。 座られたら、それを阻止できなかった者が次の鬼。
→鬼は動きがスムーズに行けないので、一見阻止するのは簡単そう。 でも、二人、三人いるので、一カ所に意識を集中して阻止している内に、反対の方で簡単に座られてしまったり。 やっぱりこれも、全体をみて動くとか、そういうことにつながるのかな。 後半、鬼が増えたのもあるが、結構穴が多くなってきた…
◎足周りのストレッチ いつもと同じような感じで。 ちょっと新しかったのが、股関節を開いてストレッチした後、前の足を伸ばし、後ろの足は正座の状態で、その上に腰を落とす。 で、息を細く吐きながら、視線は前方の一点に集中して、息と視線で穴を開けるような感覚で集中集中。それに合わせて上体を倒していく。 一点を集中して見つめる練習でもある。
◎柔軟 股関節をほぐした後、大きなボールを抱えるイメージ。 そのボールの回転を利用するようにして身体を左右にひねる。 ゆっくり、ゆっくり声を出しながら。 今度はそれが、前に転がるような感じで前方にころころころ… 最後はボールを遠くへ投げる勢いを借りて、前方へ脱力。
海草になったつもりで、海草の笑い声や鳴き声、怒った声を出しつつ、上半身ゆらゆら…
◎腹筋 「しりとり腹筋」みんなで輪になり、しりとりをしながら、一つ言う度に身体をVの字に(膝は曲げ、足先は前方に。)起こす。 それだけのことだが、四〇人位の輪。一周するだけでも大変なことに。 おまけに、同じ事を言ってしまったり、詰まったりしたらペナルティで全員で五回腹筋。 …わたしも同じ事を言ってしまった。つまり。腹筋だけに集中していてはだめ。 周りを意識しつつ、腹筋も手を抜かない。 そのうち、首から上しか動かなくなって、腹筋というより、首の運動になってしまい、反省。
◎背筋 まず、ブリッヂ。これが、やはり出来ない。二〇数年、できた試しがないので、今さら無理かなと諦めつつ、でも挑戦。 何となくあと一歩、という気もするが、よく分からない…。 他の人は、それで歩いたりもしている。
「バッタ」 うつぶせになり、両腕は身体の下に入れる。足は膝の裏を伸ばし、足首は直角につま先を床に付ける。 すると、膝が床から浮くはず。 おでこを床に付ける。 その状態で息を吸うと、お腹が脹らみ、その勢いで身体が上に持ち上がる。 おでこは付けたままなので、下半身が浮き上がる。 そのまま反り返り、両脚は伸ばしたまま、足首は直角のまま、ちょうどカマキリの鎌のような形に。 出来る人は、本当にまっすぐ上ぐらいまで伸び上がっていたみたい…すごい…
最後に手を使わずに立ち上がる。素早く、スムーズに。
→四月当初はほぼ毎晩ストレッチとかやっていたこともあったが、最近は正直なところそんな余裕もなく… 気が向いたときに、ちょっと申し訳程度にするくらいだった。 さすがに前日は久しぶりだし…と一通りやってみたが。 しかし、今までが本当にほったらかしだったせいか、ちょっとやっただけでも、効果を感じる。 四月、一番初めは何をするにもついて行かれず、あちこち痛くてたまらなかったのに、少し楽になってきた。 すこしやっただけでこれだけ変わるなら、やはりもっとしっかり家でもやらなくては。
◎小品発表について 打ち合わせと、出来ている班の稽古(披露)。 どうしても全員集まれ無いというのが物理的にも精神的もネック。 本当はそれも乗り越えなくてはいけないのだが。 各班の報告もあったが、どこも台本が出来る出来ないにこだわっている部分もあり、まず動いてみることも大事だと、先生からのお言葉。
◎バレーボール もちろん、ボールはなし。ボールの行方を六人で集中すると同時に、レシーブやアタックの際には「ものの名づくし」 サーバーが「テーマ、色」と言い、サーブを打つときに「赤」、すると相手のレシーバーが「黒」「黄色」「みどり」で相手に打ち返す。 詰まったり、同じ言葉を言ったり、時間かかりすぎたら、アウト。 全員は出来なかったが、見ていても面白かった。 単純に、みんな良く知ってるなあと感心… 唄のタイトルとか、映画とか、…
◎宿題 今までに見た一番面白い人についての作文。 200〜300字、だったかな。
※今回は、一見遊んでばかりだった。が、こんなに必死になって遊んだのは本当に久しぶり。 大学のバレーボール以来かなあ。 近くまで一緒に帰ってきた同僚に、仕事のこと忘れて楽しんでおいで!って見送られたけど、本当にその通りの授業だった。 が、遊んでばかりといっても、それぞれに何らかの意味もある。 言い方を変えれば、どんなことにも芝居の練習とか演じる上で大事なことの要素って含まれていることを実感した。
『ラストダンス』
今回で、舞踊の授業は終わり。 たった3回の授業、私にとってはつらくて楽しい授業でした。
今回も前回同様、プリエ等少しずつ復習しながら始まりました。 が。 くるっと回るのがなかなか出来ず、中断。 毎回時間をかけてもらうのに、毎回同じように出来なくて、同じように復習… 一回ずつ止まってやればなんとか分かるのに、続けてやると、途端にヨレヨレ。 ★確認★ 1,左脚前、右脚後ろの場合→手は足と逆。 2,後ろの足(この場合は右脚)を前の足(左脚)に引きつける。(つまり、前に出していた足で立つ) 3,手は胸の前に引きつける。 4,手を引きつけるときに、前に出していた腕(右腕)を後方へ思いっきり引きつける。 5,と、その勢いで右周りに回転する。 ※その時、前に出していた足=左足で回ってる?後ろへ下がっていない? ※続けて反対周りをするときは、焦らずに足を踏み変えれば大丈夫。
私の悪い癖で、動く前に考えてしまうのだが、さすがに3回目になると考える時間が減ってきた。 何となく動いているうちに…あれ?ちょっといい感じ?
次に、今日も振りをつけていただきました。 例によってなかなか理解できない私たち。(私だけ?) 先生も困って、全体を4班に分け、班別練習。 ゆっくりゆっくりやれば、振り自体は何となく覚えられるのに、音楽がついて早くなると、やっぱり…。 それでも、みんなの前で発表する頃には、それらしい動きになってきてるじゃないですか! 自己満足かもしれないけど、それでも満足。(こんなので満足してたらだめだけどね) 雰囲気も和んできた。 自分の番を待つ間に、誰ともなく手拍子?が始まる。 そんな楽しい雰囲気でやっているうちに、どんどん踊ることが楽しくなってきた。 下手くそでも、ちょっとかっこいいかも!って思える瞬間が増えてきた。 雰囲気とか、笑顔とかの持つ力を改めて実感した。
本当は、もっと早くにこんな風に楽しめたら良かったのかな。 でも、今日の授業はホントウに楽しかった。 身体を動かすことをこんなに楽しく思えるなんて…。 卒業公演でもダンスを入れるなら(入れるので?)、また振り付けをしていただき、それを覚えなくてはならない。 その時には、最初からビシッとついていけるように、復習も頑張らなくては。
…なのですが、今回もお休み。 今日は遅刻してでも行くつもりで、テキストも持って、今日提出の鑑賞授業の感想文を仕事の合間に清書して行く気満々だったのにぃ。 会議は何とか5時過ぎに終わり、こりゃ間に合うかも、と思いきや、職員室に戻ると演劇部員I君が情けない顔でやってきて、部活でもめていると…。 演劇部改造計画が早くも頓挫した模様。 とりあえず次回の部会で巻き返す事を決意しI君帰宅。 ため息ばかりが出てくる。 すっかり意気消沈…
そうこうしているうちに、文化祭で生じた諸問題、これから進めていく修学旅行関係での諸問題に関して同僚と愚痴りはじめ、止まらなくなったところに、諸問題の元凶が登場、予定外の話し合いが始まり、その後も元凶抜きで話し合いが続き、気付けば8時過ぎ。 …もう間に合わない。 どっと疲れの増した身体を引きずり帰宅いたしました。
はぅ、稽古日記じゃない…。(ま、いっか) さて、次の授業は来週。久しぶりに劇表現もある。楽しみ楽しみ。
…なのですが、残念ながら、文化祭前日のためお休み。
2001年06月13日(水) |
「狂言の発声(1)」 |
<まずは、狂言について。> 室町から江戸時代にかけて完成した。なので、使われている言葉は、その頃の言葉。 元々、能舞台は屋外にあるもの。 今は屋内でやることも多いが、基本は野外。 なので、普通以上に大きな声を出す必要がある。
<能舞台> 舞台自体は、約9m四方。 舞台の後方には「後座(あとざ)」…能の場合は、お囃子とかが控えている。 舞台の下手に「橋がかり」…廊下のように伸びている。その脇には、松が3本。 客席=見所(けんじょ)
<発声練習> 伸ばす音。ア、イ、ウ、エ、オをお腹から、大きな声で。 最後に力を入れる。なので、“アーーーーーーーーーーアアッ”って感じ。
短い音。同じく、ア、イ、ウ、エ、オ。 今度は、一押しする感じ。“アアアッ”って感じ?
<今回の教材『以呂波』とは> 180ある狂言の演目のうち、一番初めにやるもの。 先生も、6才の時に初めてされたのが、この作品だとか。
シテ(仕手:主役)弟/アド(挨答:脇役)兄 ※ただし、演者の年齢によっては、“子と親”の設定で演じることも。
内容;兄が弟に読み書きを教えようとするが、なかなか上手くいかない…
<いよいよ『以呂波』> まずは、全てを、先生の後について読んでいく。 独特のイントネーションであったり、テンポがあったりで、ついていくのに必死。
次に、全体を二つに分け、兄と弟に分ける。私は、弟。 全体が向き合って、まずは練習。 掛け合いながら行くので、段々雰囲気が出てきて、面白くなってくる。
ちょっと休憩をはさんで、動きをつける。 …説明は省略。とにかく、ややこしい。動き自体は少ないのだが… とにかく「お約束事」的な動きが多い。
※歩くときは、すり足。足の動きは、左右交互になるように。 向きを変えたときでも、どっちの足を動かしたかによって、次の歩き出しの足が決まる。
※掛け合いであっても、特に長いのとかは途中両者とも正面を向いて、最初と最後は向き合うとか。
※最後は、幕に入ってしまうまで「勝ったぞ勝ったぞ」「やるまいぞやるまいぞ」を言い続ける。
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本来は、当然一対一、二人で行うものだが、今回はそういうわけには行かず、40名ほどが、一斉に演じる。 不思議な光景。 特に、後半、兄が弟に腹を立てて突き倒す・弟が仕返しをする、というこの演目一番のアクションシーンでは、ものすごいことに。 まず、20対20の言い合い、ちょっぴりウエストサイドストーリーみたい? ついで、兄が弟につかみかかるのだが、その間弟は身構えて兄を待つ。 が、セットになってくれる兄が来るのを待つのは、ちょっとドキドキ。…誰か来てって感じで。 そして、引き回され、突き倒されるのだが、くどいようだが、20組の兄弟喧嘩。固まって動くから、何が何だか分からずグルグルしている。 最後、弟も兄に同じ事を仕返し、「勝ったぞ勝ったぞ」と去っていくのだが、後から兄たちが「やるまいぞやるまいぞ」と追ってくる。 幕の中から見ていると、むちゃくちゃおかしい。 変な迫力がある。 今日は、なんだか狂言の面白さなのか、集団演技の面白さなのか、よく分からなかったが、でも楽しかった。
最終的には、全3回の授業で、この作品を完成させる。 最後は、テキストを見ずに、演じる。…出来るかな?
久しぶりに大きな声を出して、「演じる」ということをして、ものすごく楽しかった。
2001年06月07日(木) |
鑑賞授業〜兵庫県立ピッコロ劇団第14回公演「雨かしら」 |
開演前。 舞台前面、ビニールシートが舞台と客席を仕切っている。 わずかな風圧気圧の変化によってゆらゆらと不思議な動きを見せるビニールの幕。 タイトルからして、ああ雨のイメージだなということはすぐ分かったが、そのあと、あのような使われ方をするとは。 客席の光を受けて、微妙に光を反射する様子が、何とも不思議な感じで面白い。
開演。 ビニールシートを雨に見立てる、というのはある意味予測通りだった。 が、降り込められた人々を表すには、本当にぴったりの雰囲気。 閉塞感、というのが伝わってくる。
一見二つの物語が同時に進行していく。。 一つは、「奇跡の人」上演を間近に控え、ぴりぴりした雰囲気で練習に励む、とある劇団の楽屋。 一つは、ある、普通の家庭。ただし、郊外に家を建て、父親は2時間半かけて通勤、家族の会話はない。 物語が進むにつれ、二つの場面が次第にリンクしてくる。
それぞれの場面で、役者の方々の手加減のない、エネルギー溢れる演技に思わず見入ってしまう。 特に、ヘレン(役の女優)とサリバン先生(役の女優)。 スプーンで食事をすることを教える場面で、抵抗するヘレンが次々とスプーンを投げ、逃げ回るシーンは、最前列ということもあって、迫力があった。
“父親不在”の家庭の会話も、面白い。 本来、舞台で会話をするときには、とにかく相手の言葉をきちんと聞いて受けとめ、返さなくてはならない。 これをいい加減にすると、会話の不自然さが生じる。 が、この場面はそれを逆手に取ったかのよう。 なにしろ、父親が一生懸命しゃべっても、家族には一切聞こえていない。 父親は会話に参加して、タイミング良く口を挟むのに、家族は一切反応しない。 これは、これで難しいことではないかと思う。
見ようとしないから見えない。 聞こうとしないから聞こえない。 しゃべろうとしないからしゃべらない。 そんな関係から、脱却したいと思っている人々。 あからさまにではなく、さりげなくそんなキーワードが見え隠れする。
が、正直、最後の方は、かなり混乱してしまった。 何となく、分かるような気はするのだが…整理がつかない。 もう一度見れば、分かったのかもしれないという気もする。 (実際、二度観た人のいたようで…いいなあ)
今回、最前列ということで、また、都合で本来本科生が観るべき日には観ることが出来ず、研究科の方々に混じって観ていたので、 そんなこともあって、ちょっとばかり緊張した観劇だった。 しかし、最前列のおかげで、舞台美術(幕の使い方、装置が移動する様子…)や、迫力ある演技を目の当たりにすることが出来たのは、勉強になった。
個人的には、職場でお世話になっている(といっても、まだゆっくりお話しさせていただいてはいないのですが…)“先生”がこんな演技をされる方だということを知ることが出来たのが何よりの収穫?でした。
『ダンスダンスダンス』
ダンスの授業は、言葉に出来ません。すみません…。 決してさぼっているわけではありません。 何しろ、言われたとおりに動くのに精一杯なのです。 一体自分がどんな動きをしていたのか、論理的に説明することが出来ません…。
結局、ダンス用語?を勉強しようという意欲は、意欲のままで終わってしまいました。 おかげで今日も、よく分からない単語が飛び交っていました。 次回までには必ず…
ただ、踊るのが嫌いかと聞かれたら、いいえ、と答えるでしょう。 理由は特にはないですけどね。 しいていえば、身体が大きいから。 かっこよく踊れるようになったら、見栄えするだろうなあというのを励みに頑張ります。
(11:00〜16:00)
今日はトライやるウィークの中学生二人を交えて、まずは「ういらう売り」から。 ある程度の一区切りずつを、順番にやっていく。 私は、最初にあたったのは、それほど難しいところではなかったのだが、二度目の周りで当たりそうになったのが「繻子 緋繻子 繻子 繻珍」。 サ行の苦手な私は、これが言えない。 嫌だなあと思いながら、待っていたら、微妙にずれて「親も嘉兵衛 子も嘉兵衛」。 良かったあと思ったのが失敗で、アクセントがぐちゃぐちゃになってしまった。 恥ずかしい…。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− “メモ2”より
◎声を前へ飛ばす。 目線を向けるとか、前を向くとかはあまり関係ない。 意識を前方へ向ける。 前方に声を作るイメージ。
◎モゴモゴ… はっきりしゃべるためには、口先を一生懸命動かすのではなく、口の中を柔らかく使うことを意識する。
◎言葉の意味・雰囲気 言葉の、文章の、意味を無視して音の上げ下げをしたり、切ったり、つなげたり…ということをしないこと。 言葉の持つ雰囲気に合わせた音の流れを作ることによって、言葉の色合いができ、多彩な表現になる。 (例:番合羽か…武士風の厳しさ、強さ。/のら如来…柔らかさ、ゆるさ)
◎強調の仕方 強く発する。/ゆっくり発する。/音程をあげる。
◎音を押す。(とくに助詞) 意図的に行うのは良いが、意味もなく押すのは禁物。 ※例:腹内“へ”納めますると…他のところへ入れることもできるが「腹内に」納めたいのだ、というのであれば、“へ”を納めるのも可。 ※一つの文や、近いところで敢えて音を押すのは好ましくない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今回、詩の教材が追加された。 長田弘の「深呼吸の必要」(晶文社)から数編。 高校時代、ある先生が紹介してくださった詩集だ。 懐かしかった。 印象的だったのが「隠れんぼう」という詩。 これを使って授業をするのかなと思っていたら、中学生二人のための教材だった。 二人が、この中から好きな詩を選んで朗読する。 素直な読み方で、好感が持てる。が、いかんせん、「自分の世界」を広げることが出来ない。 それぞれに、自分のイメージや世界観は持っているのだが、それを聞き手に伝えることが難しい。 それは、私たちとて同じこと。 自分の思いが人に伝わるように話すことは難しい。
結局これらの詩を私たちが読む機会はなかったが、私も読みたかった…
◎「わたし」はどう思うのか。 ◎聞き手にどのように伝えたいのか。
=================================== “メモ3”より
『海の雪』(安房直子・作)の冒頭文。
(略)海沿いの道にバスが一台止まり、少年が一人降りました。 少年は来る途中で雪にあったらしく帽子もかぶらず、傘ももっていませんでした。(略)
※意味が通じるように読むためには、どこに気をつけなくてはならないか? →少年は、家を出るときには雪が降っていなかった。 →が、バスに乗っているときに雪が降り始めた。 →なので、帽子も傘も持っていなかった。
※読むときには“途中で”の音を立てなくてはならない。
◎アクセント
◎イントネーション…疑問文=語尾が上がる/命令文=語尾が強くなる(下がる) 等。 文章のニュアンス。
◎プロミネンス…(卓立=目立つこと、優れていること) 文章の中で目立たせたいところ。どこにポイントがあるのか。=文章の論理。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 午後、いよいよ 谷川俊太郎「生きる」の朗読。
◎その感覚を思い浮かべる。説明するのではなく、その情景に聞き手を引き込む。
◎スピード。…そのスピードで、聞き手に届くか?早すぎる読みは、投げ込まれる感じ。
◎音で届ける。
◎母音の効果「はばたく」=「アアアウ」/「とどろく」=「オオオウ」
◎朗読…完全なる自由を求められるのが一番
◎無声音と有声音に注意。
=================================== 最後に、何人もで一節ずつ読んでいった。 私も思いきって手を挙げて読んだが、読むまでは私なりに読みたい気持ちや、工夫もあったつもりだったのに、情けないことに立った瞬間、全て吹っ飛んだ。 どこがポイントかよく分からないまま、終わってしまった。 残念。
とっても素敵な声の先生のおかげか、「ああ、私ももっと上手く読めるようになりたい、もっとたくさん声に出して読みたい。」そう思った二日間だった。 元来、人前で話をすることに抵抗のある私だが(…いや、ほんとに…)、今日は違った。 抵抗がないわけではないが、読みたいという気持ちの方が強かった。
ちなみに、伊●先生は、テレビなどでもご活躍…とのこと。 日曜日の深夜、三谷幸喜の「みんなのいえ」メイキング番組のナレーション(吹き替え?)で、早速そのお声を聞くことが出来た。 んー、やっぱり素敵な声でした。
『開眼。』
教材:「ういらう売りせりふ」「詩・生きる(谷川俊太郎)」
今回の二日続きの授業の教材は「うりらう売りせりふ」。 おそらく、芝居をする人間なら、一度は出会う教材だろう。 私自身高校時代にであい、以来なにかとお世話になっている。
まず最初の授業は、大半を教材の説明に使われた。 短く切って、それを私たちが反復し、注釈を受ける。 私がやってきたものとは少し違っている部分もあり、アクセントなども違っていたりして微妙にやりにくい。 はじめは、ちょっとうっとおしかった。
が、だんだん面白くなってくる。 今まで、足かけ10年くらいつきあってきた「ういらう売り」がいかにいい加減だったかを思い知る。 とにかく「カツゼツ」のために練習として与えられたので、意味を考えたことはほとんどなかった。 たしかに、今まで自分がやってきた「ういらう売り」は意味も分からずやっていた。味も素っ気もなかった。 それに色が付いていく。それによって、読む上で気をつけなくてはいけないこともはっきりしてくる。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− “メモ1より”
◎「拙者 親方」は切らない。…拙者の親方は、という一続きの語。 ◎「お江戸を」「青物町を」など“-O+O”と母音が続く場合、音が消えないように。(「第一」、なども) ◎「取り出す」(トリンニダス)…“tori+n+idasu”→“n+i”=“n+ni”という変化を連声(れんじょう)という。 そのほか「ごしゃめんあって」(ゴシャメンナッテ)とか。 ◎「頂 透く」…頭がスッキリすると言う意味。となると、アクセントも違ってくる。 ◎「正真の胡椒の丸飲み」…なんの意味もないこと。 ◎「銭独楽が裸足で逃げる」…“玄人はだし”とは、“玄人がはだしで逃げ出す”の略。 ◎「ハマの二つは唇の軽重」…昔は、“ハ”の音は“ファ”って感じの音だった。F音ほど唇を噛むわけではないが、軽く唇が触れる感じ。なので、“ハ”と“マ”の違いは、唇を軽く合わせただすか、しっかり合わせてから出すかのちがいだったので、このような言い回しになった。但し、今は根本的に音が違ってしまっているので、現代に合わせた形で「パバマ唇開け閉めて」に変えた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 一日目の最後に、先生がお手本で読んで下さった。 その時に気付いたこと。
◎鼻濁音と普通の濁音の「ガ」。 自分で言うときはものすごく曖昧で、違いが分からない。生徒さんの発音したものも分かりにくい。が、先生のは、明らかに違う。何がどうちがうのか説明できないが、タシカに違うことが分かる。 特に、気になっていたのが「盆米」の“ゴ”は鼻濁音のマークなのに、「盆牛蒡」の“ゴ”は普通の濁点であること。注意して聞いていたが、やはり区別されていた。ああ、違う音なんだ、ってのがよく分かった。
◎口の動き カツゼツの練習に使う位なのだから、一音一音明確に、メリハリをつけて、口をしっかり動かして読まなくては…と思っていたが、先生の読み方を見ているとあくまでも自然体。寧ろ、口の動きは小さい。大きく開くと言うことはほとんどなかったように思う。 でも一言一言がはっきり聞こえる。一音一音が明確。 (これについては、翌日の授業で言及。口の外側を動かすことより、内側を柔らかく使うことの方が大切。)
◎言葉の意味 単なる言葉遊びの、意味のない言葉の羅列、と思っていた「ういらう売り」がちゃんと意味を持った台詞として伝わる。声を出すのが、言葉を発するのが楽しいという感じ。初めは一生懸命教材を目で確認しながら聞いていたが、だんだん先生自身から目を離せなくなり、気付くと凝視していた。
※なぜ「盆米」「盆牛蒡」の「ゴ」は、同じような条件でありながら“鼻濁音”と普通の“濁音”の違いがあるのか。 言葉の結びつく力の問題。 例えば、「学校」と言う言葉の“ガ”も、「中学校」「小学校」の時は鼻濁音だが、「高等学校」「音楽学校」などの時は、鼻濁音にならない。 それに似ている。 「米」は「〜米」と言う言い方が結構あるので結びつきやすく、鼻濁音になりやすい。「牛蒡」はあまりないので…というような問題かな。
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