Memorandum


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− メモランダム −
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2003年09月27日(土) 原珍監督、タツ! あなたの泣きべそをかいた顔、忘れません! 

今年4月から讀賣新聞をとっている。ちなみにそれまでは朝日をとっていたのだが、
あまりの電波ゆんゆん振りに頭が痛くなったので切り替えたのだ。
長年、朝日の粘着的論調に慣れ切っていたので、讀賣の記事はあっさりしていて
初めは物足りなかったが今は慣れた。ただ気に入らないのは野球記事。
当然だが、巨人、讀賣に都合の悪いことは書かれない。
今回の原辰徳監督「辞任」などまさにその典型である。
原監督が讀賣上層部と対立していたことは明かだが、それには全く触れず、
あくまで「不振の責任を取っての辞任」という論調で押し通している。
しかも「堀内さんV奪還誓う」「原さんもエール」などと、「爽やかな交替劇」
に見せようとしているのは滑稽ですらある。
讀賣グループ内の「人事異動」に過ぎないのだったら
たかが傍系販売促進事業社の部長クラス程度の交替は、
新聞の片隅に小さく載せたらどうか。
まして、麗々しい記者会見なぞ全く不要である。
建て前と実態がまるで違うのである。
特に腹立たしいのは、ボロ雑巾のように捨てられた原と、
前任の長嶋終身恥知らず不名誉監督との扱いの落差が激しすぎることだ。
無能の極地を極め、ただの老害でしかない長嶋の「欲しい欲しい病」には
散々付き合い、9年も無駄飯を食わせ続けていたのだから、
昨年の日本一監督はたった2年でクビに追いんでいいはずがない。
長嶋はバカでも団塊世代のヒーローだったから珍重していたと言うのなら、
原も20代、30代の野球ファンにとってはかけがいのない同時代のスターではないか。
ナベツネは野球ファンを舐めている。


2003年09月25日(木) 小泉純一郎は吉田茂以来の名宰相になれるか

自民党総裁選挙に圧勝した小泉純一郎首相は党・内閣の人事で「小泉流」を貫き
思い通りにことをやってのけた。
かつて、これほど強い力を持った首相は、ワンマン吉田茂以来ではないだろうか。
7年8ヶ月の最長不倒政権を築いた佐藤栄作首相などもかなりの力を持っていたが、
「角福」というポスト佐藤を窺う実力者を内部に抱え、外には三木・前尾のような
批判勢力も健在だった。
また、中曽根康弘首相の場合も「安竹宮」のバランスの上に乗っかり、
影の実力者・金丸の力も無視できなかった。
これに対して小泉には、その地位を脅かす有力者は誰もいないし、そして
森・青木の影響力も、今回の人事に見られるように天才的な政局技術で封じこめる
ことが可能である。
しかも配下に「吉田学校」の門下生たちを従えていた吉田茂と違って小泉は、
手勢も子分も持たずたった一人、己れの才覚だけで切り回しているのだから凄まじい。
「バルカン政治家」と言われた寝業師・三木武夫も凌ぐ政局操縦術である。
せめてその才能の10分の1でも政策面で発揮してくれれば、
文字通り吉田茂を越える大宰相になれるのに、と思う。
というのも、景気の悪い時に長期政権を築いた首相は誰もいないからだ。
吉田茂は戦後の復興期に政権を担当し、朝鮮特需などもあって政権を安定させた。
佐藤栄作も、「佐藤無策」「何もやらない栄ちゃん」などと悪口を叩かれていたが、
時はまだ経済が右肩上がりしていた高度成長期であり、国民の不満は
自民党政権には向わなかった
(それもわからずいつまでも社会主義の寝言を唱えていたので社会党は衰退した)。
また、中曽根康弘も、バブル景気に支えられていたものだ。
当り前の話だが、いつまでも不景気が続けば、国民の政治への不満は蓄積される。
今いかに小泉には党内に敵がなかろうと、或いは野党が弱くてだらしなかろうと、
失政を続ければいずれ倒閣に追い込まれるだろう。
逆に構造改革を成功させデフレ不況も克服して景気を好転させられれば
小泉は歴史に名宰相としてその名を刻まれるのはまちがいないのだが・・・、
果して、如何?


2003年09月18日(木) 亀井静香が公約「天皇を茨城に移す」??

亀井氏、「天皇は江戸城から移っていただく」

>自民党総裁選に立候補している亀井静香氏は17日午前、
>党青年局主催の討論会で首都機能の移転について
>「首相になったら(天皇には)茨城でも京都にでもお移りいただく」と述べた。
>理由に関しては「天皇は文化的存在で文化の一部そのものだ。
>そういう方に権力の象徴である江戸城に入っていただいたことは間違いだ」
>と説明した。

総裁選の公約で、よりにもよって「天皇を江戸城から移す」っていったい、
何を突然言い出したんだろう。
しかも、京都はまだしも茨城って、何の脈絡があるのか??
茨城といえば水戸・・・まさか天皇と水戸黄門を混同しているんじゃあるまいな。

個人的には、文化論として天皇を京都に置くべきだというのは、
ひとつの見識だとは思う。
だが、皇室の存立にも関わるこのような重大で微妙な問題を
これから首相になろうと思っている政治家が唐突に持ち出すセンスを疑う。
それにそもそも「茨城でも京都にでも」と、どこでもいいかのような話なのだから、
理屈にも何にもなっていないのである。
亀井はかねて「小泉再選は500%ない」だの「70歳以上に一律400万配る」だの、
殆ど誇大妄想としか思えない気味の大言壮語を吐いていただけに
これはやはり、惨敗が確実になったことで、とうとう本格的にアタマがイカレた
のではなかろうか。
総裁選が終ったら、直ちに強制入院させたほうがよさそうである。


道頓堀川ダイブで男性死亡 欄干上った際に押される?

第三者が背中を押したのが事実ならばこれは列記とした犯罪であり、
それ自体は許しがたい。
ただ、この被害者にはあまり同情する気がしない。
もしただの通りががりの酔っ払いが突き落されたのなら気の毒だが、
この被害者はその前にも複数回飛び込んでいたとのことである。
自分で飛び込むのと突き落されるのでは危険度が違うのは言うまでもないが、
そのように飛び込むこと、そして、そもそも「橋の欄干に上がる」ことが
危険なのは、いいトシした大人ならば承知しているはずである。
やはりこれは自業自得と言うほかはない。


2003年09月17日(水) 「阪神優勝」で星野監督に学ぶものなどは何もない

阪神優勝のお祭り騒ぎで、リオのカーニバル並みに何人か死者が出るのかと思ったら、
たかが大腸菌ウヨウヨの道頓堀川に5300人飛び込んだだけで終った。
18年振り優勝、そして不況をぶっ飛ばす熱狂といっても所詮、この程度のことか。
日本はまだまだ平和で穏和だと、安心した。
もし名古屋の立て篭もり爆発犯が阪神ファンだったら、焦るけれども、ね。

平和といえば、
阪神優勝にかこつけて、またぞろおバカなマスコミや評論家たちが
「星野監督に学ぶ経営・管理術」などとヨタ話を飛ばしている。
経営者でも何でもない私がいうのは僭越だが、
この手の、野球を企業になぞらえた話は、バカバカしいとしかいつも思えない。
こんなもの、マジメに読んでる経営者や管理職はホントにいるのだろうか。

考えても、みるがいい、
企業経営は、たかが6球団だけの相対的関係の中で競っているに過ぎないプロ野球が
参考になるほど、単純なものだろうか。
或いは、FAで阪神が金本や伊良部を取って優勝したように簡単に、
企業経営は好転するものだろうか。
・・・いまどき、経営学科の学生だってこんなたわけたレポートは、書かないだろう。

また、この手のヨタ話はしばしば、経営者と管理職を混同しているが、
プロ野球の監督を経営者にたとえること自体、そもそも不見識である。
プロ野球の監督は文字通りただの「現場監督」であって、
その上には球団フロントもあれば、親会社もある。
つまり普通の会社だったらせえぜえ部長クラスが関の山だ。
大した権限もないのに、経営者になぞらえても、しかたがないのである。

かといって、プロ野球の監督は中間管理職でもない。
日本のプロ野球の監督は、たいてい元スターでネムバリューがあり、
そして、注目されているからだ。
従ってかつての長嶋のように、ときにはその地位以上の役割も果す。
でも、一般の会社にそんな恵まれた中間管理職は、どこにいるのだろうか。

そもそも、野球は所詮「1年草」だ。
つまり、今年成績良くても来年どうなるかはわからない。
現に18年前の阪神は日本一の2年後は最下位に沈んだ。
だが一般の企業で、業績最高の年の2年後には倒産って事は
いくら何でも、ありえないのだから、野球と比較する事は
アテにならないのである。

もっとも、星野監督に「人心掌握術」は学ぶものがあると思う人がいるかもしれない。
だが、それもナンセンスである。
何故なら星野監督は「鉄拳制裁」による「暴力主義」の抑制でナインを掌握してきた人だ。
いくら日本の会社が前近代的だといっても今時、その真似をしたら、
傷害罪と人権侵害で告訴されるのがオチである。

断わっておくが、私は星野監督を誹るものではない。
ただ、阪神と星野監督の偉業はあくまでプロ野球の世界でのみ称賛されるべきものであって、
それを安易に一般社会に当てはめてはならない、ということだ。
その事を最もよく理解しているのは、他ならぬ賢明な星野監督自身である。


2003年09月12日(金) 石原慎太郎テロでコミカル・カメ爆死か

石原慎太郎東京都知事がまたしても障子紙破り、いや横紙破りなテロ容認発言で物議
をかもしている。
その陰で、これが自民党総裁選での亀井静香応援演説の中の一コマだったことはさっ
ぱり忘れられている。
マスコミも含めた反小泉陣営の目論みでは、人気の高い石原知事の力を借りて亀井
ムードを盛り上げる胆だったのだろうが、石原発言に話題をさらわれて、
肝心の亀井の影は薄くなってしまった。
そればかりか、亀井は言わなくてもいい石原発言の擁護までさせられる始末。
さすがはコミカル・カメだけのことはあって、全て裏目、裏目である。
でも、もしかしてこれは、カメ爆死を狙った石原知事の深慮遠謀だったのではないか。
日経によれば、「亀井氏が意向、敗れたら石原新党」だそうである。
よく見ると、どこにも「石原新党」などとは一言も言っていないのだが、ただ、カメが慎太郎に義理以上の
多大な期待をしていることはわかる。
だが、もう石原ブランドも賞味期限切れではないか。
銀行税訴訟は和解するとはいうものの、これから2344億円ものカネを都は銀行側に返還しなければならないのだから、大失政といっていい。
これを放り出して「石原新党」などというのは、「食の祭典」の大赤字で自殺者まで出しながらトンズラした北海道の横路の再来である。
第一、小泉が再選後即衆議院解散に踏み切れば、新党を立ち上げているような余裕はないし、
そもそも慎太郎が亀井や野中と組んで新党ということ自体おかしい。
結局、慎太郎は亀井応援の名目であれ何であれ、ただ機会をとらえて持論を披瀝できればよかっただけで・・・
それに踊らされた哀れなコミカル・カメという図式ではないのか。


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