「有事立法」問題は、78年7月19日、統幕議長・栗栖弘臣が記者会見で
「緊急時の法律のないわが国では、有事の際、自衛隊が超法規的に行動する
こともありえる」と述べたことで起きた。
防衛庁長官・金丸信は、文民統制を破るものとして栗栖を解任したが、福田は
有事立法についての研究を防衛庁に指示した。
(石川真澄『戦後政治史』岩波新書p143〜144)
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1978年といえば、今の福田官房長官の父親の、福田赳夫首相の時代である。
ちなみに「自衛隊の超法規的行動」を唱えた栗栖を野党や朝日新聞の圧力で解任した
福田内閣は、この1年前には日航機が日本赤軍にハイジャックされた事件で自から
が「超法規的」にテロリストを釈放し、しかも100万ドルもの持参金(人質の身代金)
までつけて犯人側に引き渡した事で、国際世論の大顰蹙を買っている。
また、栗栖元統幕議長はその後、参議院選挙に東京から立候補して、落選している。
この時、当選したのは宇都宮徳馬という、自民党最左派・ハト派で知られた元代議士
だった(当時は離党して無所属)。
しかもこの時の宇都宮の選挙公約は、「世界平和の実現」という、まるで宗教団体の
如きものだった。
「有事法制がないと有事に自衛隊が勝手に行動することになり逆に危険だ」という、
ごくまっとうな事を訴えた者が落選して、「世界平和」という空疎なカラ文句を
並べただけの無責任な政治家が当選したのである。
まことに奇っ怪な話だが、、、、それから四半世紀経った、今の日本はどうだろうか。
今日から通常国会が始まり、有事三法案が焦点のひとつである。
社民党、共産党は例によって反対、民主党は対案を出すと言っているが、
旧社会党系の議員が慎重論を唱えているので、まとまるかどうか、あやしい。
反対論者の主張は、有事などはありえないし、また、有事に備えるそのことが逆に有
事をもたらす、という事で、土井たか子らが繰り広げている。
たとえば社民党は、有事法制不要の理由として、次のように述べている。
「かつての仮想敵国ソ連のように多数の正規軍をもって直接侵略してくる恐れのある
国は事実上存在しない。」
(l社民党HP「有事法制問題に関する論点」))
でもソ連が存在していた時には社会党は何と言っていたか、と言えば
「ソ連は平和勢力だ」などと寝ぼけた世迷い言で、まっこうから仮想敵国の存在を否
定していたのだから、今になってぬけぬけと、実に白々しい言い草である。
また、当時の社会党委員長・石橋政嗣はこのような理屈で防備の要らざる事を
唱えていたものだ。
「地方に行けば、いまでも、戸締りなどしないで外出している家が山ほどある」
「これは隣近所の信頼関係が衰えていないなによりの証拠であり、これにまさる平和
と安全はない」
(石橋政嗣『非武装中立論』)
しかし、社会党がこの幼稚な「戸締り不要論」を振りまわして有事立法に反対してい
たちょうど同じ頃、その「隣近所」の北朝鮮は何をしていたのかといえば、
工作船を侵入させ、日本人を次々拉致していたのであり、
その北朝鮮に社会党は代表団を派遣しては、「首領金日成主席の賢明な指導」などと
称賛していたのである。
いったい、非武装だの無抵抗だの、そもそも社会主義とも左翼とも何の関係もない御
伽話が日本でまことしやかに信じられているのはなぜなのか。
世界でこんな珍妙な説を唱えている社会主義・社民主義政党は、少なくとも資本主義国の国会で多
数の議席を得ているものでは、日本の旧社会党、社民党、そして民主党内の社会党系
議員ぐらいのものだろう。
マルクスやエンゲルスですらも、「国防」ということを否定したことは一度もないのだし、
また、日本の社会主義運動の先達である荒畑寒村も、次のように述べている。
「誰だって戦争は厭で、平和が望ましいに違いありませんが、
独立を失い自由を奪われても抵抗しないのが、私たちの望む平和なのかどうか。
(中略)
こういう平和論者の目から見たら、ナチスの侵略と戦ったヨーロッパのレジスタン
ト、日本の侵略に抵抗した中国の人民は大馬鹿者と云わなければならないでしょう」
(荒畑寒村「侵略されても戦わないのか」)
ちなみに、社会党以来社民党が常に一貫して、「護憲・平和・福祉」の党だったとい
うのは、真っ赤な大嘘である。
1986年までの社会党綱領では現行憲法を社会主義が「国家権力の最終的掌握」するま
での過渡的なものと位置付けていた。
従って、社会党が政権をとったら「改憲」するのである。
また、福祉国家をも「資本の延命策」と頭から否定していたのである
(『戦後史のなかの日本社会党』p196)。
土井は自分が委員長になる前の話だから関係ないと思っているかもしれないが、
しかし土井は1969年から社会党の国会議員なのである。つまり1986年まで17年もの間、
土井は「反憲法・反福祉の党」でのうのうと要職を占めてきたということであり、
この事実は重い。
有事法制反対の社民党の理屈を、もう少し見てみよう。
「有事法制は軍事組織の暴走を助長することにはなっても、制約することにはなりえ
ないのである。」
(社民党HP「有事法制問題に関する論点」)
「軍事組織の暴走」をチェックするのが民主主義であり政党政治であり、そして「文
民統制」の役割であるはずのに、この社民党の言い草では、まるで他人事である。
全く無責任としか言い様がない。
「軍事力を強化することが平和につながらず、逆に果てしなき軍拡競争に巻き込まれ
市民の安全が脅かされてきた冷戦時代の経験を忘れるべきではない」
(同上)
これは社会党時代に前出・石橋らが「ひとたび軍備を持てば、以後必ず軍拡の道を走
り」、その結果、「必ず軍国主義化する」と唱えた理屈とまるで同じである。
しかし50年も前に、荒畑寒村はこう言っている。
「軍備のある方がいいか、ない方いいかという問題は、抽象的に言えばない方がいい
に決まっています。
だから、ない方がいいというなら、何ぞ独り軍備に限らんやです。
警察もない方いい、裁判所もない方がいい、税務署なんか最もない方がいい。
憚りながら向坂君に大学教授の俸給を払っている国家も、無いに越した事はないし、
何よりも資本主義制度のない事が一番望ましい」
(荒畑寒村「山川・向坂君の誨えを請う」
注 「山川」は山川均、「向坂」は向坂逸郎、
いずれも社会党最左派だった社会主義協会の理論的指導者)
これを言い替えると、軍備の全くない世の中というのは、
資本主義も国家も、日本のみならず世界中から死滅した「人類の理想社会」
(つまり社会主義)が実現した暁でなければ、あり得ないのである。
社民党は、村山政権時代の経験を経て、「必要最小限の自衛力整備」は
肯定したはずなのだが、土井社民党の実態は、社民党と名前は変っていても本質は
「マルクス・レーニン主義礼賛」の社会党時代と、何ら変っていない事は、明かである。