Memorandum


Memorandum
− メモランダム −
目次過去未来

2003年01月20日(月) 「有事法制反対」の社民党の本質

「有事立法」問題は、78年7月19日、統幕議長・栗栖弘臣が記者会見で
「緊急時の法律のないわが国では、有事の際、自衛隊が超法規的に行動する
こともありえる」と述べたことで起きた。
防衛庁長官・金丸信は、文民統制を破るものとして栗栖を解任したが、福田は
有事立法についての研究を防衛庁に指示した。
(石川真澄『戦後政治史』岩波新書p143〜144)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1978年といえば、今の福田官房長官の父親の、福田赳夫首相の時代である。
ちなみに「自衛隊の超法規的行動」を唱えた栗栖を野党や朝日新聞の圧力で解任した
福田内閣は、この1年前には日航機が日本赤軍にハイジャックされた事件で自から
が「超法規的」にテロリストを釈放し、しかも100万ドルもの持参金(人質の身代金)
までつけて犯人側に引き渡した事で、国際世論の大顰蹙を買っている。
また、栗栖元統幕議長はその後、参議院選挙に東京から立候補して、落選している。
この時、当選したのは宇都宮徳馬という、自民党最左派・ハト派で知られた元代議士
だった(当時は離党して無所属)。
しかもこの時の宇都宮の選挙公約は、「世界平和の実現」という、まるで宗教団体の
如きものだった。
「有事法制がないと有事に自衛隊が勝手に行動することになり逆に危険だ」という、
ごくまっとうな事を訴えた者が落選して、「世界平和」という空疎なカラ文句を
並べただけの無責任な政治家が当選したのである。
まことに奇っ怪な話だが、、、、それから四半世紀経った、今の日本はどうだろうか。

今日から通常国会が始まり、有事三法案が焦点のひとつである。
社民党、共産党は例によって反対、民主党は対案を出すと言っているが、
旧社会党系の議員が慎重論を唱えているので、まとまるかどうか、あやしい。
反対論者の主張は、有事などはありえないし、また、有事に備えるそのことが逆に有
事をもたらす、という事で、土井たか子らが繰り広げている。
たとえば社民党は、有事法制不要の理由として、次のように述べている。
「かつての仮想敵国ソ連のように多数の正規軍をもって直接侵略してくる恐れのある
国は事実上存在しない。」
(l社民党HP「有事法制問題に関する論点」))
でもソ連が存在していた時には社会党は何と言っていたか、と言えば
「ソ連は平和勢力だ」などと寝ぼけた世迷い言で、まっこうから仮想敵国の存在を否
定していたのだから、今になってぬけぬけと、実に白々しい言い草である。
また、当時の社会党委員長・石橋政嗣はこのような理屈で防備の要らざる事を
唱えていたものだ。

「地方に行けば、いまでも、戸締りなどしないで外出している家が山ほどある」
「これは隣近所の信頼関係が衰えていないなによりの証拠であり、これにまさる平和
と安全はない」
(石橋政嗣『非武装中立論』)

しかし、社会党がこの幼稚な「戸締り不要論」を振りまわして有事立法に反対してい
たちょうど同じ頃、その「隣近所」の北朝鮮は何をしていたのかといえば、
工作船を侵入させ、日本人を次々拉致していたのであり、
その北朝鮮に社会党は代表団を派遣しては、「首領金日成主席の賢明な指導」などと
称賛していたのである。
いったい、非武装だの無抵抗だの、そもそも社会主義とも左翼とも何の関係もない御
伽話が日本でまことしやかに信じられているのはなぜなのか。
世界でこんな珍妙な説を唱えている社会主義・社民主義政党は、少なくとも資本主義国の国会で多
数の議席を得ているものでは、日本の旧社会党、社民党、そして民主党内の社会党系
議員ぐらいのものだろう。
マルクスやエンゲルスですらも、「国防」ということを否定したことは一度もないのだし、
また、日本の社会主義運動の先達である荒畑寒村も、次のように述べている。

「誰だって戦争は厭で、平和が望ましいに違いありませんが、
独立を失い自由を奪われても抵抗しないのが、私たちの望む平和なのかどうか。
(中略)
こういう平和論者の目から見たら、ナチスの侵略と戦ったヨーロッパのレジスタン
ト、日本の侵略に抵抗した中国の人民は大馬鹿者と云わなければならないでしょう」
(荒畑寒村「侵略されても戦わないのか」)

ちなみに、社会党以来社民党が常に一貫して、「護憲・平和・福祉」の党だったとい
うのは、真っ赤な大嘘である。
1986年までの社会党綱領では現行憲法を社会主義が「国家権力の最終的掌握」するま
での過渡的なものと位置付けていた。
従って、社会党が政権をとったら「改憲」するのである。
また、福祉国家をも「資本の延命策」と頭から否定していたのである
(『戦後史のなかの日本社会党』p196)。
土井は自分が委員長になる前の話だから関係ないと思っているかもしれないが、
しかし土井は1969年から社会党の国会議員なのである。つまり1986年まで17年もの間、
土井は「反憲法・反福祉の党」でのうのうと要職を占めてきたということであり、
この事実は重い。
有事法制反対の社民党の理屈を、もう少し見てみよう。

「有事法制は軍事組織の暴走を助長することにはなっても、制約することにはなりえ
ないのである。」
(社民党HP「有事法制問題に関する論点」)

「軍事組織の暴走」をチェックするのが民主主義であり政党政治であり、そして「文
民統制」の役割であるはずのに、この社民党の言い草では、まるで他人事である。
全く無責任としか言い様がない。

「軍事力を強化することが平和につながらず、逆に果てしなき軍拡競争に巻き込まれ
市民の安全が脅かされてきた冷戦時代の経験を忘れるべきではない」
(同上)

これは社会党時代に前出・石橋らが「ひとたび軍備を持てば、以後必ず軍拡の道を走
り」、その結果、「必ず軍国主義化する」と唱えた理屈とまるで同じである。
しかし50年も前に、荒畑寒村はこう言っている。

「軍備のある方がいいか、ない方いいかという問題は、抽象的に言えばない方がいい
に決まっています。
だから、ない方がいいというなら、何ぞ独り軍備に限らんやです。
警察もない方いい、裁判所もない方がいい、税務署なんか最もない方がいい。
憚りながら向坂君に大学教授の俸給を払っている国家も、無いに越した事はないし、
何よりも資本主義制度のない事が一番望ましい」
(荒畑寒村「山川・向坂君の誨えを請う」
注 「山川」は山川均、「向坂」は向坂逸郎、
いずれも社会党最左派だった社会主義協会の理論的指導者)

これを言い替えると、軍備の全くない世の中というのは、
資本主義も国家も、日本のみならず世界中から死滅した「人類の理想社会」
(つまり社会主義)が実現した暁でなければ、あり得ないのである。
社民党は、村山政権時代の経験を経て、「必要最小限の自衛力整備」は
肯定したはずなのだが、土井社民党の実態は、社民党と名前は変っていても本質は
「マルクス・レーニン主義礼賛」の社会党時代と、何ら変っていない事は、明かである。


2003年01月19日(日) 村山富市という男

去る17日は阪神大震災から8周年ということで、新聞、テレビで特集が組まれていた。
またネット上でも日記や掲示板等で数多くの回想が見られた。
その中でいくつか気になる記述を目にした。
それは当時の首相・村山富市への非難というか、罵倒である。
私は少し評価が違うのだ。
たしかに当時、日本国民の生命と安全を守るべき最高責任者の地位にあった者
として、村山の無能と無責任への誹りは免れない。
しかし、村山個人を非難して事が足りるわけではない。

そもそも、村山を首相に選んでいたのは国民なのである。
もちろん直接、社会党政権を選んだわけではないが、
93年総選挙で大敗を喫したものの社会党は依然として自民党に次ぐ
第2党だったし、また、その無能な村山を首相に担いでいたのは、
第1党の自民党である。
自社さ連立当時、野合だの民意を反映していないのと批判があったが、
第1党と第2党という、大多数国民が支持した政党が大連立を組んでいたのだから、
これ以上に民意に添った政権の組み合わせはあるまい。
(ちなみに、93年総選挙で自民党が「敗北」して政権を失った、と思っている人が
いるかもしれないが、当時、自民党は、小沢一派らの離党で選挙前に既に
過半数割れしていた。選挙で自民党は、解散前230議席から228議席と、
ほぼ現状維持だったのである)

また、社会党という狭い枠の中で見れば、村山自身はよくやった方だと思う。
逆に言えば、村山ですらまともに思えるほど、社会党そのものがいかに無能で無責任
で、腐り切っていたかという事である.その責めを一切、村山に負わせるのは不公平で
あろう.

こんな話がある。
村山政権に先立つ、社会党も参加していた細川・非自民政権時代、
北朝鮮の「核攻撃」危機があった(1993〜94)。
その対応に苦慮した社会党出身の伊藤茂運輸相は、このように呟いたという。
「一体、この国はなぜ、こんなことになっているんだ」
「やっぱり、強力な万年野党の社会党がいて、憲法論議で何もできなかったからか」
(船橋洋一『同盟漂流』)
つまり、日本の至近距離で有事が発生した場合、日本にはそれに対応する
「法的な手当」が一切ないことを知って茫然とした、というのである。
社会党が政権の一端を担い、責任者の地位についてみると、
それまで「非武装中立」だの「有事法制反対」だのと政権を執らない事を前提に
脳天気な絵空事を並べていたツケが重くのしかかってきたのである。

だから村山は、政権に就くやいなや、それまでの社会党の基本政策だった
「日米安保反対」「自衛隊否定」「非武装中立」等を大転換した.
突如何の説明もなく大転換した事で村山は批判されたが、しかし政権担当の責任者
として現実を直視したら、ごく当り前の結論であろう。
むしろそれまでの社会党がいかにデタラメだったか、
そのデタラメ社会党を万年野党第1党に国民は選んできたか、
そちらの方が大問題である.
村山が社会党委員長であり、また村山社会党首班の政権だった事は
事実だが、しかし村山個人をもって社会党的人物の右代表とは言えない.
阪神大震災の時、村山は別に、確固たる左翼的イデオロギーの信念に基いて
自衛隊出動を拒否したわけではない。
これがもし指導力のない自民党首相、例えば宮澤や海部だったとしても、
同じようにしていただろう事が想像される.
つまり、実は、単にグズでオタオタしていただけである
そもそも村山はただの組合運動上がりの社労族・国対族の政治家であって、
イデオロギーとか何とかを理解している男ではない。
イデオロギーという事では、むしろそれまでに散々に妄想を振りまいて
社会党を絵空事の空中楼閣で塗り固めて来た歴代の指導者たち、
成田や飛鳥田、石橋、そして土井たか子らの方が悪質である.

なお、細川〜村山政権時代、土井たか子は衆議院議長に棚上げされていたので、
政権に参加していない.
従って現実に直面した経験がなく、だから、「社会党〜社民党が衰退したのは
日米安保廃棄や非武装中立の旗を降ろしたせいだ」と滑稽な勘違いをして、
相変わらずいまだに脳内お花畑の電波を飛ばしているわけである.
政権を降り、民主党との分裂を経て土井が舞い戻って来てからの社民党では村山は
政権時代の政策転換を自己批判させられる始末だった.
当時、小さくなったとはいえ社民党は政権担当の経験によって
少しはましな党になるかと思ったら、逆に社会党の亡霊・土井が帰って来て
ますます妄想の度を強めた.
(余談だが、民主党結成の時に鳩山が、村山や武村正義を除け者にした
「排除の論理」は大失敗だったと思う.
あの時に社民党解党させてしまえば、土井には戻るべき古巣がなくなって
孤立したし、従って辻元だの何だの、おかしな連中が入りこんで来る余地も
なかったのである)

村山は震災の被災者を見殺しにした首相というばかりでなく、社会党を滅亡に導いた男、
あまつさえ、自民党政権復活に手を貸した張本人として、歴史に汚名を残す事になった.
しかしこれは村山一人の問題ではない。
55年体制という、究極の無責任体制そのものを問うべきだろうし、
それに代る政治のシステムを持ち得てない、今日の問題でもあるだろう


2003年01月12日(日) 「戦後史の中の日本社会党」

 「非武装中立」政策の根幹に流れる国際認識は、何よりもまず「他国からの
 侵略はない」という思いこみである。「他国からの侵略はない」という認識は、
 「他国は日本を侵略しない」という表現に置き換えてもよい。しかし、問題は
 ここから始まる。
  他国が「侵略するかしないか」は、「他国」すなわち当該国の意志にかかって
 いることであり、当該国以外のたとえば日本が決めるべき代物ではない。
他国の 意志をみずからの「意思」にすり替えてしまうのは、主観主義以外の
何物でもない。地球は社会党を中心に回っているのではない(中略)
 かつて山本満は社会党の「一九七五年度運動方針」が折りからの中ソ対立に目を
 閉じていることを批判して、「見たいものだけを見、見たくないものは見ないと
 いう「子供の気まま」と述べたが、まさにこの「子供の気まま」は同党が陥る
 「主観主義」と同義である。
 (原 彬久『戦後史の中の日本社会党』中公新書 p330〜331)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「10年ひと昔」と言うが、こんな現実と妄想の区別もつかない政党が10年前まで日本の野党第1党、
つまり議会政治の常識からすれば"次の政権を担う党"に位置していたのだから、
滑稽といえば滑稽だが、恐ろしいといえば恐ろしい。
今の野党第1党・民主党のていたらくを情けないと思う人が多いだろうが、
しかしかつての社会党と重ね合わせれば、まだましに思えてくる。
私は20代の頃は一度も選挙の投票に行った事がなかったので、
今の若者の政治無関心や投票棄権を批判できる立場にないのだが、
しかしこんな頓珍漢な政党が万年野党第1党にあぐらをかいている政治状況では、
馬鹿馬鹿しくてわざわざ投票に行く気が起きなかったのも事実である。
しかも民主党と違って社会党は、政権を取る気など全くなく、
議会政治すら実は否定して社会主義革命の妄想に耽っていたのだから、驚くというか、呆れる。
社会党がマルクス・レーニン主義的綱領を漸く降ろしたのは、1980年代も末になってからである。
少し前に、何かの番組で鳥越俊太郎が民主党を批判して、「昔の社会党の方が役に立った」
と言ったのを記憶しているが、この男は頭がおかしいに違いない(今更言うまでもないか)。
1950年代か、百歩譲って60年代までぐらいなら社会党もそれなりに存在意義はあっかもしれない。
しかし70年代以降の20年間は全く愚かしくも有害なピエロだったというほかはない。
日本の政治の阻害にとって、政権党である自民党に以上に罪深いのは浮世離れした万年野党第1党・
社会党だったと言っても過言ではない。

北朝鮮と社会党の関わりについても付言しよう。
朝鮮戦争当時、社会党の公式見解は「北の侵略」説だった。
ところが、1974年、社会党訪朝団が初めて金日成主席との会談を許されるや、
何の説明もなく突如転換し、「アメリ帝国主義の侵略」説に変じた。
実にいい加減である。
金日成主席との会食の席上、社会党代表団のある者(米田東吾衆議院議員)は、
まるで部下さながらに箸を置いてすっと立ち上がって、金日成の「ご下問」に答えた。
これが「他国の『偉大な指導者』に畏服する(日本の)公党代表の姿」(『戦後史のなかの日本社会党』p268)である。
社会党〜社民党の本質を象徴している。


2003年01月09日(木) NHKが「坂の上の雲」をドラマ化!

冗談かと思ったら本当だった。
NHKが司馬遼太郎の「坂の上の雲」をドラマ化し、2006年に「大河ドラマスペシャル版」
として放送されることが決まった。
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20030110k0000m040048000c.html


「映像化は不可」との司馬遼太郎の"遺言"があるとされ、絶対ありえないと思われていた
いわく付きの作品が、まさかのドラマ化実現である。
原作のファンとしては驚くやら嬉しいやら不安やら、何とも複雑な心境である。
正直に言って、見たい事は見たいが、もろもろの失敗要因を想像すると見たくない。

そもそもにおいて、日露戦争というテーマの扱い方が難しい。
だから司馬も生前ドラマ化を許可しなかったわけだが、加えて昨今のNHKのドラマ製作能力に
甚だ不安がある。
話の大半は日露戦争なのだから、まさか「利まつ」のように女が出しゃばって来て
「私におまかせ下さりませ」などと言い出す場面はあるまいが、妙な平和主義思想の
入れ事をして話を滅茶苦茶にする可能性はありえる。一昨年の「北条時宗」のように。

また、学芸会化した近年の大河ドラマの例を見ても、この重厚な物語を演じるに耐えうる
役者をキャスティングできるかどうか疑問だ。
原作通りならば秋山兄弟、正岡子規が主人公なわけだが、
もしジャニタレを起用して安易な視聴率稼ぎに走られた日には、目もあてられない。
さらに乃木、児玉、東郷など、きら星の如き明治の要人が登場する。
戦国時代と違って写真も残っていれば人物像も明確なこれらを妥当な配役できちんと
描けるのだろうか。主役よりもむしろある意味では周辺群像が大事だが、今のNHKで
そのへんまで行き届いたドラマができるのか、実に心配である。

ちなみに映画「二〇三高地」が「坂の上の雲」の影響受けているが、
ここでは乃木希典=仲代達矢、児玉源太郎=丹波哲郎だった。
丹波の児玉は軽快な知将振りで好演だった。でも今更丹波と言う訳にも行かないだろう。
好きな原作のドラマ化はあれこれ脳内キャスティングする段階が
一番楽しいものだが、どうも、ピンと来る顔ぶれが今のところ浮かばない。


who |MAIL


My追加