後悔日誌
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2006年05月22日(月) 宿命


南十字星。
なんてロマンチックな響きなんだろう。

満天の星空でも一目で分かる存在感。
日本でいう北斗七星みたいな感じだと思うけど、私はこの星が大好きだ。


赤道に近付くにつれて海面も穏やかになり、久し振りに雲もない天気。
空には数え切れないくらい星が瞬いていた。
当直が終わったら、空の写真でも撮ってみようかなんて楽しみにしながら仕事に向かった。


4時間が過ぎて、外へ出ると真っ暗な空。
星たちは隠れ、あちこちで閃光が走っていた。

もう悲しくて、悔しくて、仕方ないので酒を飲んだ。



2006年05月21日(日) 無理


昨夜飲みすぎたせいか、頭の冴えない朝。

こんな日は、しっかり仕事していっぱい汗をかかなくちゃ。
なんて思って当直に入るやすぐに作業に取り掛かった。


気温65度の現場。
すぐに体中が悲鳴をあげ、びしょ濡れになる。
頭の中まで煮えそうになったところで水分補給と体の冷却。
こんなことを繰り返していたら、体調が維持できなくなってきた。

最初の異変は汗がしょっぱくなくなった事かもしれない。
その後は上から下から戻しまくりの悪寒付き。
食事は喉を通らないし、船酔いしていた後輩たちを笑う元気もなくなった。


はぁ。
ため息ばっかり。



2006年05月20日(土) うねり


ケアンズを発った。
グレートバリアリーフを抜けて容赦なく吹き付ける風と戦う。
木の葉のように舞う船体。
久し振りのピッチング(縦揺れ)に若干、戸惑いを隠せない。

揺れる当直は忙しい。
穏やかでも、時化ても給料は一緒なのに、揺れたら仕事は三倍だ。


昔、ヨット部に入りたての頃は何度も吐いた。
朝、沖に出て胃袋を空っぽにして、さらに黄色い液を吐き続けて。
それから昼ご飯を無理やり食べて、また午後沖に出て午前と同じように吐き続ける。
風がない日は最低で、うねりになされるがまま揺れに任せて嗚咽を響かせていたっけ。
あれからもう十年以上が経つ。


沖のうねりは大きい。
半端じゃない。
100m以上ある船体が、大きく上下動を繰り返す。
その度に部屋のカーテンは大きく揺れるし、本棚やら机は苦しげな音を立てる。
時折、バーンという大きい音とフライパンを揺するような振動にはさすがに参る。

具合悪そうな後輩を横目に、平気な素振りで振る舞う自分は結構嘘つきだと思う。
根性勝負。
負けられない世界がここにある。


時化を乗り越えて、少しづつ鍛えられていく。
気がつくにはまだちょっと早いかな。
涙目でトイレへ駆け込んでいく後輩を横目に遠い日を思い出した。



2006年05月17日(水) 入港


半月ぶりに港に着いた。
豪華客船も集うケアンズで二日間の停泊をする。

この頃は慣れてしまったせいか、外国に着いてもあまり感動がない。
グレートバリアリーフの珊瑚礁の海より、太平洋の紺碧の海のほうが綺麗だと思うし。
どこもかしこも日本人が多すぎて、がっかりすることが多い。

そんなネガティブ思考な夜。
仕方ないよね、当直だもん。

元気よく上陸に向かう同僚を横目に、日誌を書いた。

「巡検、異常なし」



2006年05月10日(水) 映画小話


「ターミナル」

旅行先で入国できず、また内戦のせいで故郷にも帰れないという事態に陥る主人公。
ちょっと設定に無理がある気もするが、哀愁感のあるちょっと切ないメロディが耳に残った。

狭い制限された空間の中で、自ら仕事を見つけて生活していく強さはなかなかのもの。
叶わぬ恋物語が現実的で、ほろ苦かった。


最後に少し暖かくなれる、そんな物語。
太平洋の真ん中で、ちょっと癒された。



2006年05月07日(日) 自然


水平線。
どこまで見回しても海と空しかない景色。

見渡す限りの海、オレンジに染まる夕焼けや、もくもくと沸き立つ雲、満天の星空。
その多様な表情に、背中を押されながら少しづつ赤道に向かう。

エンジンは正確に、時を刻むようにプロペラを回し続けている。
風もなく、うねりもなく、平和な日がいつまでも続けばいいのに。


波の音だけが聞こえる静かな夜に乾杯。



2006年05月05日(金) 柏餅


こどもの日。
男の子を持つ親として、何か特別の日に感じるこどもの日。
あちこちの家で鯉幟がいさましく泳いだりしてるんだろう。

もちろん我が家もそうかもしれない。
でも、知る由もない海の上。
なんか切ない。


夕飯に、柏餅が出た。
なんだか唯一、季節感を感じる瞬間で嬉しかった。



2006年05月04日(木) 救助


太平洋上で救難信号を出すヨットを発見、救助に向かった。

凪の海と青い空。
なんだか拍子抜けしてしまう位、天気は良い。
でも、見知らぬ船に近付いていくのはやはり緊張するものだ。
最初は遠くから、少しづつ近付いていくと漂流状態のヨットにちゃんと人が乗っていた。

救難信号の理由は、水と燃料がなくなってしまったこと。
人騒がせな船だナァと思ったけど、陸でもガス欠になっちゃう車もあるわけで。
こういう時は仕方ないだろうってことで水と燃料を援助した。


ちなみに乗っていたのは60代の船長に、20代の嫁さん、そして生後数ヶ月の子供。
年齢差40歳!?ってのが一番驚いた。


補給を終えたヨットは、大きな三角帆を3枚あげてまたまたゆっくり走り出した。
ヨットを見送って、こちらもまたエンジンをかけた。



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