後悔日誌
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2004年11月30日(火) 巣


不可抗力なんだから。
仕方ないよな。
未だ、心の中がうまく整理できぬまま帰路についた。
富山1630発、ANA888便。
思えば事故に遭って帰ってきたときもこの飛行機だったっけ。


あっという間に空高く飛び立つと窓の下に、あのクレーン船が見えた。
日本海が時化る前に、船籍港へ帰っていくのだろう。
造船所に残された船体がちっぽけに見えて、そして消えた。

空はみるみるうちに日が暮れていく。
水平線から白色、橙色、水色、青色、紺色と続くグラデーション。
暗黒の地表に光が輝いている。

輝く町の光。
そしてそれらを繋ぐ無数の線状の光。
なんだか蜘蛛の巣に似ていた。
やがて、一面光の海になって。
羽田空港に到着。


色々あったけど、家に帰って布団の上に転がったら。
帰ってきて良かったな、と思った。
嫁さんにキスを迫られて、した。



2004年11月29日(月) 傾斜


いよいよ作業も本格化か。
今まで水に浸かっていた、未知の領域に足を踏み込むその日。
造船所は騒然としていた。

排水作業の途中、いきなり船体が倒れたというのだ。
左舷側に10度傾いた状態で、バランスを保っている船体。
原因は調査中だが、これでは船内に入るどころか近づけさえしない。

見通しの立たない作業に、帰省を指示される同僚たち。
残念そうに、富山から発っていった。

見れば見るほど、酷く感じる。
これ以上倒れないためにワイヤーロープで固定がされて。
ダイバーたちが原因究明のために必死に潜っている。

冬の日本海が暴れる前に、修繕を終えなくちゃ。
そんな理想は、呆気なく散ったんだろう。

午後には自分にも帰省命令が。
やり切れてない仕事に、やり場のない虚しさを感じた。

でも、どうすることも出来なくて。
夜、ひとりの酒を飲んだ。



2004年11月24日(水) 離礁


日が昇る前から排水は始まった。
巨大なクレーン船の作業灯が光る中、次々に乗り込む作業員。
待ち遠しかったこの日。

排水とともに、清水やバラストタンクには圧縮空気が供給される。
タンクの下部には予め排水用に穴が開けられていて、ここでも浮力の確保を行う。

船の挙動は実にゆっくりだけど、傾いていたマストが直立した時は感動した。
今までの悲痛な姿が、どことなく元気に見えてきたのだ。
力強いアシストはあるけど、自分で再び浮き上がった姿。
これから先、ゆっくりリハビリをして、そしてまた走り出す日がきっと来るだろう。

心配していたマスコミの人たちは結構いい人。
女子アナに質問されたときはくらくらきた。


防波堤を振り返っても、もうあの姿はない。
もう一度、テトラポッドに登って凪の海を眺めた。

わずかに冬の匂いがした。



2004年11月23日(火) 椅子


宿泊しているホテルは結構良くて、大浴場にサウナ付き。
マッサージ椅子も使い放題。

という所なんだけど、筋肉痛がひどい。
やっぱり書類運びが効いたナァ。

風呂でストレッチをして、マッサージ椅子に座る。
背筋のあたりを押されるたびに
「う〜ん」とか「ふぅ」とか溜息が漏れる。

自分ながら、ジジ臭いと思った。
労働者はつらいね。



2004年11月22日(月) 書類


今日もまた、船内から荷物を引き出す。
かろうじて生き残った部屋にある、膨大な量の書類。

少しくらい水を吸っていても、うっすらカビが生えてしまっていても。
背表紙を見て大事そうなものは全てキープした。

磯の香りとカビの香りが入り混じった部屋で。
ブルーチーズみたいな匂いだな、なんて冗談を言ってみたりしたけど。
床はよく滑るし書類はやっぱり重いから、持ち運びは大変だった。


午後はマスト間のワイヤーが切断されていった。
クレーンで吊ったゴンドラに小さい炎が見えて数十秒。
切れたワイヤーは勢いよくデッキに振り落ちた。

今はただ黙って見ているしかないんだけども、つらいね。
でも、いよいよ離礁の準備が整ってきた。

まだまだ、これからです。



2004年11月21日(日) 壊滅


沈んだ船を浮かべるのは容易なことではない。
それは誰にだって分かる、簡単なこと。

では、どうやって浮かべるかといえば、やはり元に戻すしかない。
要するに開いてしまった穴は埋めて。
入ってしまった水は排出してやる。
これに尽きる。


いよいよ作業は大詰めに入ってきたようで穴という穴は木栓やセメントで目張りされ。
かつ、大型のポンプが設置されて排水のテストを始めた。
排水して、水が引いてくれればOK。
水が引いてくれない、とか増えてくるってなるとやはりまだ穴がある…ということになる。


船尾の区画の排水テストの際、水に浸かっていた区画に立ち入らせてもらった。
この惨状には閉口した。
積み上がった瓦礫の山。
台風の後の浜のような、そんな感じ。

水の力は強く、全てを壊していく。
水の中で木材などの軽いものは浮いて天井に溜まっていて。
服とか色々、重いものは沈んでいて。
これが一気に積み上がるのだ。

大事な私物の捜索には、膨大な量のゴミを出さなきゃいけない。
頭が痛くなった。



2004年11月19日(金) 倉庫


船内から回収されたものは倉庫に送られる。
区画ごとに分けられ並べられたコンテナには、色々な荷物が詰め込まれている。
手帳や写真からパソコンやカメラなどの電化製品まで、これはすごい数。

重油がべったりと付いて、隙間には砂がぎっしり詰まっている。
水洗いでは落ちない汚れには、さすがに落胆する。
中には程度のいい物もなくはない…、けどそれを整備してあげるには人手が足りない。
放っておけば駄目になるのは分かっている。
分かっているのに…。

割り切れない、無念な仕事。



2004年11月17日(水) 再会


空いた時間を見つけては、自分の部屋の周りを捜索していた。
全てが海水に洗われ、何もない空間。
驚くことに壁すらない。

失くした物は多すぎて、数え切れない。
そのほとんどが、どこかへ流れていってしまった…。

が。

なんと、結婚指輪が出てきた。

半ば諦めていた物なので見つけた自分が一番驚いた。
部屋の底に積もった砂を、水に浸かりながらさらった甲斐があった。

感覚を懐かしみながら、こっそり身につけて帰った。



2004年11月16日(火) 惨状


船内の状況は想像を絶するほどひどく、未だ大部分は浸かっていた。
破けた窓から未だ打ち込む海水。
書類はヘドロに姿を変えて、足を踏み込むたびに真っ黒い汚れが底から湧き上がる。

無造作に積み上げられたノートパソコンや、もうどうにもならない廃材の山。
私物を見つけてはやりきれない気持ちに浸った。

外からも内からも、損傷が激しい。
淡い期待よ、さようなら。



2004年11月15日(月) 復帰


分厚い雲。
離陸してすぐに霧の中に埋もれ、そのまま高度1万3千メートルまで。
いつものように機長の挨拶が始まった。

目指す地は富山。
快晴になった雲の上だけは快適なフライトだった。

富山を含めて日本海側は、東京からのアクセスが悪い。
山越えを余儀なくされるし、何より交通手段が格段に少ない。

複雑な心境での出張。
これから忙しくなる。



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