後悔日誌
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2003年04月30日(水) 欲


大きな整備作業が終わって、簡単に打ち上げをした。
それなりに充実。


そういえば、先輩が面白いことを言っていた。

「欲しい物は買ってはいけない。必要なものは買わなくてはいけない。」

先輩を見ていると、とても実行しているようには見えないけど。
なんでも買っちゃいたくなる自分には痛い言葉だった。


どっちかといえば、オレの場合は見つけたら買っちゃえって感じだもんな。
躊躇して後悔するよりは潔いと思うけど。
確かにお金は残らないね。



2003年04月28日(月) アクシデント


エンジン整備の二日目。
上半が開放されて、大きなピストンが抜き出された。
機関室は油と煤(すす)の汚れで真っ黒け。
そんなことを誰も気にすることなく作業は進む。


チェックは厳しい。
細かいところは0.01ミリまで計測をする。
金属の表面に、内部に発生した傷も見逃さない。

発見されたクラック(傷)に様々な意見が交わされた。
シリンダカバーにあるその傷は、一平方センチあたり100kgの荷重がかかる場所。
結局、手間を惜しんではいられないという結論になった。


トラブルこそ飯のタネ。
またひとつ、経験が増えた。



2003年04月27日(日) 沈着


「北上南下は船の常」
鹿児島から函館へ、そして今度は隠岐にいる。
季節は再び春に変わり、遠くの山々の新緑が眩しい。

ここへやってきたのはエンジンの整備をするため。
三階建てにもなるエンジンを開放して、各部の点検をするのだ。


昨年は分からない事だらけでドキドキしたのに、今年はなんだろう。
なんか、気持ちが乗っからない。

そんな気持ちと裏腹に順調に進んでいく作業。
なんだか寂しいと思った。


私は船のお医者さん。
長生きできるように毎日、毎日、機械の調子を見ています。



2003年04月24日(木) 夜景


また、函館山に登った。
今度は自転車で登ってみた。

登山道は結構しっかりしてるので、マウンテンバイクなら問題ない。
あっという間に頂上に着いた。


薄暗い頃に来たのは初めてだった。
蒼い空の下でオレンジ色の電気があちこちで灯りだす。
それはもう幻想的で、夢中になってシャッターを押した。


眼下の景色に、この停泊中の自分の足取りを重ねて楽しんだ。
五稜郭、陣川温泉、いか清、焼き鳥弁当、谷地頭温泉そして函館山か。

良い休みだった。



2003年04月23日(水) 咳


今の流行は喉(のど)らしい。
本当に、寝ても起きても咳ばかり。

買い物に行っても、喉の薬探したり、飴探したり。
とてもじゃないが酒のつまみまで目がいかない。

飲み屋に行っても生ビールは喉に優しくないし。
何よりおかしな位に咳き込むのではっきりいって飲んでも苦しいのだ。

この状態は体に良いのか、悪いのか。
肝臓にゃ優しそうなんだがナァ。


人によっては治るまで一ヶ月もかかるそうで。
それって新種の肺炎じゃないだろうな、なんて心配になったりする。


肺が痛いけど大丈夫かナァ・・・。



2003年04月22日(火) 挑戦


結論から言うと、負けた。
体の中から崩壊して、無気力になった。


事件はラッキーピエロ(函館のハンバーガーチェーンの店)で起こった。
後輩がカレーライス激辛を頼んでるのを見て、負けじと大辛を頼んだのがまずかった。
口当たりは良かったけど、すごい辛さに意識が遠のいた。
いきなりの刺激に胃は悲鳴をあげるし、体は脱力感で動かない。
汗は全身から出る。

水を飲めば飲むほど動けなくなり、五稜郭の前で行き倒れになった。


函館まで来て何やってんだろうな・・・オレ。



2003年04月21日(月) 函館山


温泉に浸かり、宴会をした帰り道のこと。
ふと、登山道を見つけた。

空は満天の星空、綺麗な夜景が私を呼んでいた。

4月だというのに雪が降っただけあって、さすがに気温は低い。
まだ車両通行止めということもあって、車も通らない。


歩き始めて10分、後悔したことは登山靴と、懐中電灯がないこと。
真っ暗闇の階段を、携帯電話の灯りを頼りに登っていった。

函館山も怖い。
要塞の残骸があったり、自殺もあとを絶たないという話だし。
暗闇で、口笛を吹いたらカラスが大合唱を始めた。


30分も登ると景色は完全な雪景色になった。
ぎゅ、ぎゅと踏みしめながら登っていくとあっという間に頂上。

宝石箱からこぼしたような夜景は相変わらずの美しさ。
久し振りに缶コーヒー飲みながら休憩をした。

高校生の頃って、こんな感じだったな。
お酒飲まなくても、いろんなとこ出掛けて、いろんなもの見て。
それで、カップラーメンとか缶コーヒーで暖をとって。
あとは友と語ってれば時間がいくらあっても足りなかった。

なんか懐かしくて、いろいろ思い出してしまう。
そういや、ここへ初めて来たのは修学旅行だったっけ。


夜景の写真を数点収めて山を後にした。
少し、輝きが薄れたなと思ったのは見慣れたせいなのか。

もう少し、元気な街になってほしいな。
函館。



2003年04月20日(日) 再発


声が出ない。
喉の中全部、ドライヤーで乾かしたみたいな感じだ。
緊急のノド飴も空しい。
いったい、いつまで続くんだろう。
咳き込みすぎて、胸の辺りに筋肉痛のような痛みもある。

周りを見渡せば、あちこちで咳き込む人がいる。
船内に風邪が蔓延しているんだ。


船は函館の沖に着いた。
遠くに見える山々は、まだ冬化粧をしている。
函館の造船所と、どっしり構える函館山がよく見える。
気温は8度、海水温度も8度、とても四月末の気温じゃない。
テレビをつければ桜がもう少しで咲きそうだと言っている。


蝦夷で花見。
北の幸で乾杯。

果敢無い夢なのか。



2003年04月19日(土) 夢話2


何故か、学生時代だった。
学校の中で桜の花をバックに写真を撮ろうとして、ああでもない、こうでもないと悩んでいた。

着物姿の彼女は、背もすっと高くて学校の中で一際輝いていた。
携帯電話のメールであっちがいい、こっちがいいと引っ張りまわされて。
ところが、ようやく写真を撮ろうとしてその場に行くと彼女はいなかった。

不安な気持ちに、いつもより早く目が覚めた。
直りかけの喉がまた痛み出していて、なんだか災難だ。



2003年04月18日(金) 夢話


お客さんに、空調の調子が良くないと言われて物語は始まった。

まったく忙しいのに、仕方ないなと空調機のあるべき部屋に下りていくとまず部屋が見当たらない。

おかしいな、部屋はどこだろう。
一生懸命探したが見つからなかった。


途方にくれていると、畑で空調機が見つかった。
大きな畑の、真ん中にぽつんと空調機。

そこで機械と四苦八苦するのだが、お客さんには文句を言われ、機械は直らず。

苦しい夢だよな。
希望も何もない。



2003年04月16日(水) 後日談


高熱に襲われた。
寒いな、と感じてからたった3時間の出来事。

鹿児島で山登りに温泉に、体を酷使した当然の報いだろう。
冬山の下着を身につけ天井を見つめた。


しばらくすると、温泉にいた。
指宿の、あの砂蒸し風呂だ。
裸に浴衣だけを着せられて、温泉の本館から砂浜まで男の子も女の子も歩いていく。
浴衣がはだけそうな緊張感と、いいもの見れたらいいなって願望が入り混じりながら。
ただただ、防波堤の横を砂浜へ歩いた。


雨が降ってきて目が覚めた。
やはり、変わらず天井を見ていた。
少し薬が効いてきたようで、よく汗をかいていた。
安心して目をつぶった。

熱の原因はやはりあの温泉に違いない。
意地を張って先輩より長く砂に潜ろうなんて思わなきゃ、平気だったのかもしれない。

後の祭りだ。



2003年04月14日(月) 揚げ


鹿児島で、すこぶるお世話になった飲み屋がある。
気さくなマスターとおかみさんで、きっと今後も足を向けることだろう。

そんな飲み屋さんで、ブリの白子を食べた。
最初は豆腐かと思った位、しっかりした形をしていた。
餅のような歯ごたえと、濃厚な味でたまらない。

もっとびっくりしたのはさつま揚げ。
注文をしたら、時間頂けるなら作りますと言われた。
当日分の揚げは完売していたようで、刺身のケースから鯛と を出すとすり身を作り出した。
ハンバーグのように手でこねて、揚げる。

これは絶品で、初めての味だった。


幸せな気分に浸りながら天文館を後にした。
夜風が心地よかった。



2003年04月13日(日) 開聞岳


薩摩富士と呼ばれる開聞岳に登ってきた。
久し振りの山行で楽しかった。


鹿児島からのローカル線は喜入のオイル基地を横目で眺めたり、なかなかのもの。
沖についてるタンカーに同級生は乗っているのかな?
一ヶ月ごとにペルシャ湾と喜入を往復しているといってた友達を思い出した。

汽車は終点の山川駅に着き、そこからバスで登山口を目指す。
ようやく現れた山の姿は、海の中から立ち上がる独立峰、確かに立派だ。
螺旋階段のように続く登山道は時計回りに山を巻いていて、折り返しの道はない。
とにかく前へ、上へという感じで強引に登っていくのだ。

新芽が綺麗な頃合。
あちこちの枝から薄緑の葉っぱが覗いていて、新芽の写真を撮るのに夢中になった。

山頂(922m)までは2時間とちょっと。
手ごろな山で、老若男女問わず楽しめる山だと思う。


帰りは開聞駅からまたまた汽車に揺られて指宿へ。
砂蒸温泉で体を癒したのでありました。


おしまい。



2003年04月05日(土) ドンタコス


湖池屋のドンタコス。
あの赤い袋にめっぽう弱い。

軽いつまみのつもりで買ったあのお菓子は開けたが最後、食べ尽くすまで止まれない。
そして空になった袋に書いてある70gで352キロカロリーという数字に失神するのである。

揺れてるから、お腹減ったのかな。
たまには大丈夫だよね。

自問自答で冷や汗たらり。
10代の頃の体に戻りたい・・・(涙)



2003年04月03日(木) 名前


イスラム圏の外国人が船に乗ってきた。
彼の名前はウサマ・ビン・ラディン。(もちろん仮名だけど)

やたらと長い名前で呼びにくいので”ビン”と呼んでいたが。
ある時面白くなさそうな顔でこう言った。

「ビンってのは男という意味です。名前ではありません。」


「ではラディンが名前?」と聞くと

「ラディンはお父さんの名前です。私の事はウサマと呼んで下さい。」


なるほど、あっちの国の人は名字とか名前って概念がないみたい。
ようするにラディンさんちの男の子のウサマ君って訳だ。


ウサマ君が父親になって、子供にハビって名前を付けると ハビ・ビン・ウサマとなるらしい。
家族の名前はしりとりのようにずっとつながっていくんだね。


ちなみに女の子の場合はビンじゃなくてビンティをつければOKとのこと。

男と女で名前が違う日本の文化じゃ考えられないでしょ。
せっかくなんで、ちょっと物知りぶってみました。



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