後悔日誌
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2001年06月30日(土) アウトドア


登山用に靴を1足新調した。
ゴアテックスの内張りでなかなか履き心地もよろしい。
富士山に向けて、といった所か。

キャンプ用品を見るのは久し振りだった。
高校生の頃にはバックのなかにコンロやシュラフなんかを詰めこんでバイクに乗ったもんだ。
小遣いをみんなガソリン代にしていた頃だ。なかなかアウトドアグッズなんて買えなかった。

そんな思い出からついつい衝動買いをしてしまった。
チタンで出来た鍋。ちょうどガスカードリッジが収まる大きさで手頃だ。
久し振りに外で飯でも作ってみたくなった。

早く梅雨明けしないかな。



2001年06月29日(金) アルカトラズ島


ちょっと前の映画だけど、ザ・ロックを久し振りにビデオで見た。
今、頭の中にエンドクレジットの音楽が鳴り響いている。

とにかくショーン・コネリーが渋い。
そしてニコラス・ケイジがまたいつもの困った顔?で大活躍していた。
この二人の組み合わせはなかなか名コンビだな、と思う。
別の映画でこのコンビがあるなら見てみたい。

アルカトラズ島は昔は本当に牢獄として使っていたそうだが、まさに島流し状態。
海流が早くて脱走の難所らしい。
網走刑務所みたいだ。

映画を見ると旅心がくすぐられる。
サンフランシスコに行ってみたい。



2001年06月28日(木) 採油


船は一度にたくさんの油を取る。
1000キロリットルなんてのも珍しくない。

給油は油槽船から行う。
油の量を測って、問題なければ船から船へと採油が行われる。
ポンプの圧力や流出油の有無には特に気を使うし、各所に人が必要となり結構大変だ。
搭載開始から終了まで、平均で何時間くらいだろうか。
軽く半日作業になる。

油槽船の甲板にぺたんと座り込んだら甲板が熱かった。
夏の日差し、とまではいかないけど良い天気。
少し不透明な空を見上げた。

飛行機は優雅だな。
ゆるい放物線を描きながら下降していく飛行機。
視界から消えることなく続いて降りてくる。
どうやら空も渋滞しているみたいだ。

油槽船のおやじと話をしていたら面白かった。
油槽船の燃料ってのは、やっぱり油槽船から補給を受けるのだそうだ。
じゃ、その油槽船はというと、これまた他の油槽船から受けるそうだ。
これは持ちつ持たれつなんだな、なんて思ったけれど。
卵が先か、鶏が先か。みたいな気になった。

風邪の方は良くなってきた。
喉が少し痛いけど、熱も下がり食欲も出てきた。
さて、新橋あたりに燃料補給しに行こうかな。



2001年06月27日(水) 東京湾


東京湾は汚い。
泥水のような色をした海の上にいる。

海の色ってのは本当はこうじゃない。
なんといっても青色に尽きる。
暗くて、どっちかというと黒に近い青色から透き通るような水色まで。
色々な海の色があるし、天候によっても変化を見せる。
あの太平洋上の深い青色なんて絶対に忘れられない。

…この海は死んでいる。
昔、東京湾といえば遠浅の、それこそ素晴らしい湾だったそうだ。
魚はたくさんいたし、鯨だって泳いでいたという。
今でいう有明海のような所だったが、埋め立てや掘り下げで海流が変わり
結局、こんな状況になってしまった。

それでも、少しばかしはマシになったようだ。
一昔前、まだ環境汚染なんかが騒がれる前は東京に入港すれば船底についた
貝が全部死ぬから綺麗になって良いなんて言っていたそうだ。
その頃の海の色はどうだったのだろう。
海底のヘドロからガスが吹き上げる東京湾を想像するだけで恐ろしい。

壊した自然はすぐには戻らないだろうけど。
青い東京湾を見てみたい。



2001年06月26日(火) 38.6度


具合が悪くなった。
胃がもたれているのはカレーライスを2杯食べたせいだろうと思っていたのに。

お腹が一杯の感じがして、ちょっとでも口にすると戻したくなる。
熱は徐々に上がってきて38.6度を記録した。
不思議なことに喉も頭も痛くもなく、寒気も感じないけど、体はだるい。

休みが近づくと決まって風邪を引く。
この前は4月。その前は12月。
たまにしか会えない彼女は会うたびに熱を出している私のことを体が弱い、なんていう。
でも、船の中じゃ丈夫な体で通っている。もちろん弱いなんて感じたこともない。

今回は船内で風邪が大流行だ。
同じ症状の人が何人かいるので少し安心した。
つらい所だけど、仕事はなくならないし。
休むわけにはいかないから体に鞭打って仕事だな。

早く復活したいもんだ。



2001年06月25日(月) 風速25m


館山に仮泊した。
凪の海面に今夜は鯵が釣り放題、なんて夢を見ながら昼食をとった。

とにかく暑い1日だったが、何より風がすごかった。
午後になって上がってきた風は最高25m近くまで吹き荒れた。
白波が海面を覆い尽くして湾内なのにうねりは1m以上あった。
久し振りに時化た海を見た気がする。

前日の食べ過ぎが祟ってか胃の調子がいまいち良くない。
困ったものだ。



2001年06月23日(土) 当直


久し振りの航海が始まった。
航海中は3交代制の当直勤務になる。

4時から8時までが当直の時間。
朝は3時に起きて4時から8時まで仕事をする。
朝食をとり眠り、昼食を食べ日誌などなどのデスクワーク。
そして16時から20時はまた当直の時間だ。
短い夜を駆け足で眠り、そして次の日もまた同じように過ごす。
…結構大変なものである。

今回の航海は和歌山県の潮岬に向かい、ここから東京都の青ヶ島まで東へ一本で行く。
友ヶ島水道を抜けて市江埼へ向かっている所だが、うねりが少し入ってきたようだ。
揺れが心地よい。

さあ、明日の為にもう休もう。
9時台に寝ちゃうなんて子供みたいだね。



2001年06月22日(金) 冴えない天気


雨がないので空梅雨かと思っていたけどそんなことはなかった。
毎日毎日、曇りやら小雨が続いてはっきりしない。

一回、猛烈に雨が降った。
デッキ上に傘を持ってゴミ捨てに行った。
上陸の時くらいしか使わない傘を船の上で使ったことに何か優越感みたいのを感じた。

雨の日の甲板上は綺麗だ。
デッキ上に空を映しこみ、反射で見せる光が見事。
こんなにも見た目が変わるのか、と思う。

旅行をしていてもそうだが、晴ればっかりが良いわけではない。
雨には雨の良さがあるものだ。

沖から津名港の写真でも撮ろうかと思ったが無理そうだ。
明日は抜錨、太平洋経由で館山に向かう。



2001年06月21日(木) 父の日、その後…


父の為に買った酒を飲んだ。
周りにいる上司達のプレッシャーに屈して開けざるを得なかった。

芋焼酎の良い香りだ。お湯割りにするとなんともまろやかで美味しかった。
「五代」
鹿児島県川内(せんだい)市五代町というところで作られている。

川内港に入港した時は駅までの遠さに参った。
バスはほとんどないしタクシーで行くと片道3000円もする。
川内川を15kmくらい上る感じだ。

途中、新田神社という立派な神社がある。釣りバカ日誌にも出てきた大きな神社だ。
で、その近所に酒蔵がある。
本当にのどかな所で、こんな所でお酒が造られるのかと感心した覚えがある。

思い入れの強い酒だから本当は持って帰りたかったけどね。
御免よ、父ちゃん。



2001年06月20日(水) 癒し系


ちょこっと飲んでいる時に上司が言った。
「おい、冷蔵庫から癒し系のつまみ取ってこい。」

私は何がいいかな、と迷った。
豆腐が無難かな、なんて考えていた。

「早くしろよ、蒲鉾入ってないか?」
また催促の声がかかる。

ふと目の前を見るといわし蒲鉾ってのが入ってた。
はっとした。

おやじギャグ、恐るべし。



2001年06月19日(火) 津名


津名沖にいる。
防波堤の向こうに街が見える。
街から少し離れた所には観覧車もある。
海沿いに長い街だ。

上陸した時のことを思い出す。
同僚が結婚する時で、大慌てで日本酒と祝儀袋を買いに行った。
いわゆる出来ちゃった結婚だ。
バタバタとした中にも幸せな雰囲気があった。
ちょっと羨ましかった。

結婚式の頃、流産したと連絡を受けてやりきれない気持ちになった。
誰もが落ち込んだ。何もこんな時に…、と。
時間が解決してくれるのを待つしかなかった。

そして半年が過ぎた。
今では奥さんは元気になったそうだし、同僚も仕事に燃えている。
ロンドンへ向かう船の中で相変わらず酒を飲んでるに違いない。

懐かしさに乾杯だ。



2001年06月18日(月) 5時59分


いつも目が覚める時間は決まっている。
5時59分。

6時に目覚まし(携帯のアラーム)をセットしているのだが使った試しがない。
目が覚めて時計を見るといつもこの時間だ。
寝転がったままアラームが鳴るのを待って、アラームを消したらコーヒーを入れる。
ドリップしてる間にゴミ捨てを済ませ、続けて洗顔と歯磨き、そして着替え。
6時30分には仕事が始まる。
日課だから、と思えばそれまでだがとても不思議なものだ。

今日は珍しくアラームで起きた。
疲れていたのだろうか、すがすがしくない朝だ。
天気も下り坂らしい。

ま、こんな日もあるさ。



2001年06月17日(日) さよなら神戸


しばらく居座った神戸も今夜でお別れだ。
次に行く所は津名。大阪の沖の方…というより淡路島かな。
今度は仮泊(錨を入れて泊まること)になるので完全に沖の世界。
今のようにPHSは使えないだろうな、と思う。

面白いことをした。
梅干作りに塩ラッキョウ作りだ。
先輩達がそれぞれ材料と道具を買ってきた。

梅は袋から出すと果物のような香りがした。梅の実を丁寧に洗ってへたを取る。
紀州の梅はさすがに立派な形をしている。
瓶に粗塩と梅の実を交互に積んでいく。健康的にするため塩の量は少なめだ。
重しを乗せて今日の所は完成した。

次はラッキョウ。
漬け汁を作るのは簡単だった。水と粗塩とお酢だけ。
しかし、これからが大変。
ラッキョウの皮むき、皮むき、皮むき…。
最初は和やかに話しながら…、途中は皆無口、最後の辺りで笑みが見え始め、
やっと終わった頃には勝利のビールだった。
さあ、漬けこんだ。10日くらい漬けてから頂く。うまいだろうなぁ。

梅干は苦し紛れにどんどん水が出てきている。
まだシソを干したりと作業はいっぱいあるけれど、それはまたいつか。
どんな感じかとちょくちょく瓶を覗きこむ先輩の姿もかわいいもんだ。
完全に食べれるようになるのは8月頃らしい。

枕元に梅の実がひとつ転がっている。
よく眠れそうな匂いがした。



2001年06月16日(土) ギフト


我が携帯電話はNTT DoCoMoだ。
iモードで迷惑メールが社会問題化しているが、ここまで多いと嫌気がさす。
とうとうメールアドレスの変更をした。

なるべく簡単なアドレスが良かったけど、既に使用中ばかりでうまくいかない。
頭に来て、アホとかバイキンとか入力したけど使用中だ。(いったい誰なんだろう)
とにかく嫌な気持ちになっていくだけ。電話相手にバカバカしい。

本当に変えれるのか?という疑問から長い文を入れたら変更が出来た。
アドレスは変わった。でも、気に入らないから電話番号に戻そうとした。
…もう戻らなかった。

困ったぞ、こんなアドレスは嫌だ。もう一度、挑戦しよう。
しかし何度やっても既に使用中の文字ばかり。
こんな状態では友人に新アドレスの連絡も出来ない。
とうとう迷惑メールどころか大事なメールも来なくなってしまった。
あまりにあっけない最期だ。

さて、感心したことがある。
また酒を買いに行ったのだが若者がいた。
25歳くらいの男の子(失礼)が日本酒の小瓶をもってレジの前にいた。
なんだ、そんな酒じゃなくてもっとでかいの買えよ。なーんて心の中で思っていたら
父の日用に包装して下さい。の一声が聞こえた。
そっか、お父さんの為にね…。ナルホド…。

荷物が重くなって帰りは一苦労した。
でも親父、喜ぶだろうな…。



2001年06月15日(金) ハーゲンダッツ


気持ち良く寝ていたらたたき起こされた。
時間は午前1時30分というところか。
酔ったお兄さん達は冷凍庫に入らないくらいアイスを買ってきていた。
食うぞ−、おりゃー。といった叫びが事務室にこだました。

ハーゲンダッツは美味しい。
なんていうのかな、甘さがまろやかだ。
今さっき、いただいたのはチェリーバニラ。
これは初めて食べたけど、美味しい。

ヨーロッパからコンテナを運ぶ船に乗っている友人がいる。
ハーゲンダッツのコンテナは温度管理がうるさいらしく、苦労するそうだ。
大きい船は何千個というコンテナを積む。
船の全長は200m以上あるし、冷凍コンテナについては毎日チェックが欠かせない。
コンテナを見てまわるだけでも大変である。

そうしてようやく日本に着くが、港の中から冷凍倉庫に運ぶまで、というか口に入るまで
一時たりとも温度は上げられない。当たり前だけど大変な旅をしてきている。
あの値段もうなずける。

先輩達に、朝5時に起こすよう頼まれた。
お安い御用、と思って自室に帰ったら先輩の一人が寝ていた。

ソファーに寝っ転がって天井を眺めてみた。
…無理だ。

おいっ、いびきがうるさいぞ(怒)。



2001年06月14日(木) 紫陽花


久し振りにまとまった雨が降った。
そういえば、ここの所は梅雨というのに晴ればっかりだった。
きっと今ごろ、鎌倉とか下田とか紫陽花の有名な所は賑わっているのだろう。
そうそう意外に八景島も紫陽花が綺麗なんだよね。

さて、ここの所はめっきりカタツムリも見なくなった。
よく目にするのはゴキちゃんとかハエとか強い奴らばかり。
たまにはてんとう虫とかトンボとか愛嬌ある奴も見たいものだ。
綺麗な小川のほとり、なんかで1日中寝ていたい。
で、彼女がカレーを作ってて呼びに来てくれる。
なんてないだろうな。絶対…。

今年こそは富士山に登りたい。そう思って数年過ぎた。
山登りは船に乗っていても忘れられない。
あの一歩一歩の感覚…頂上についたときの達成感。素晴らしい眺め。
あとから思い出しても楽しくなってしまう。

今年の夏休みは7月1日から7日まで。
富士山の山開きが7月1日。
今年こそは…。



2001年06月13日(水) エンドレス


本当、お酒の事ばっかり書いてる。
他に何か目標見つけなきゃなぁ…。

久し振りに宝塚市に住む消防士と会ったので意気投合した。
まずは軽く餃子とビール。続く飲み屋でふぐの皮やら穴子の天ぷら。
さらに続いて寿司屋で一杯。そういや肉まんも食べた。
それからJAZZの生演奏をバックにボトル1本。
で、あとは惰性でずるずるずるずる…。
両手でぎりぎり収まるくらいのはしごをした。

で、ちゃんと次の日にこちらは仕事があるもんでちゃんと帰ってきた。
消防士の彼は神戸サウナに置いてきた。(どうなってるかな?)

なかなか懐かしさもあるけど、不思議なもんだ。
お互い東京人なのに、関西弁もどきで話が出来るようになっている。
異様な光景かも。

ところで、関西人の歩くスピードは日本一ばかりか、世界の中でもかなり速いらしい。
私はそんな関西人達より歩くスピードが速い。(ような気がする)
ということは世界最速かも、なんてうぬぼれ過ぎか。

しかし肝臓ちゃんを大切にしなくちゃね。
ほんま、あかん。



2001年06月12日(火) プロジェクトX


火曜日になるとこの番組を見る。
NHK21:15〜22:00。プロジェクトXである。
毎週毎週、たった45分間でよくぞここまでまとめてくれる。
不屈のエンジニア魂がここにある。
今日はH2ロケットの話。
絶対にあきらめないその心が国産ロケットを完成させた。
いつもながら思うが、自分の仕事の支えになる。
やはり機械は色々な角度から見ないといけないし、常に勉強も必要だ。
ただ操作ができるだけではなく、理論から応用まで対応できるエンジニアに私はなりたい。



2001年06月11日(月) 水漏れ退治


やれやれ、やっと1日が終わった。
ここのところトラブルもなく快調な日々だったのに…。

事は最下段のデッキのダクトから水が垂れていたのを
見つけたことから始まった。
調査の結果、パイプがいっぱい入っている空間(パイプスペース)が
完全に水没?というかお風呂のようになっていた。
さらなる調査で温水ラインから水漏れを発見!
この漏洩個所がなんとか手が入るくらいの狭い場所なので大変だ。
加えて熱くてたまらない。温水加熱器を停止して冷たくなるまで待つ。
ブラシで汚れを落として、とりあえずタイヤチューブを巻いた。
漏れはまだあるものの、とりあえずこれで良しとした。
ちょっと難しいところなので後日、上司に相談というところか。

で、良かった良かった。温水ラインが復活したからお風呂に入った。
しかしここでまたトラブルが…。
なんと立ちあがったときに蛇口に引っかかった。
痛さもすごいけど、蛇口のちょっと上の所で塩ビ管が折れた。
勢い良く噴き出す海水。
はっきりいって目眩がした。
あわてて中間弁を閉めに行ってまた修理。
疲れた。

時計は19時をまわっていた。
でも、外を眺めると明るいのでびっくりした。
だんだん、夏の雰囲気になってきたな。
少し気が紛れた。



2001年06月10日(日) 梅田


梅田に来たのは初めてだ。
何も考えず灘波の方まで出ていったが約束の店に連絡すると
大阪駅に来るように言われた。
おかしいな、梅田駅なんてないぞ。

…本当にないのである。
いわゆる大阪駅の周りが梅田という街である。

新宿のようなビルが立ち並び、道路網がしっかりしている。
地上ではホームレスのおじさん達が照りつける太陽の下でダンボールを
差し出してお金を求めていたりするが、地下は素晴らしい世界だった。
どこまでも地下道は広がりまるで裏の世界。
そうか、これが大阪か。なんて納得してしまった。
もうひとつ、ホームの軽食屋でもたこ焼きが焼かれていたことにも驚いた。

さて、何をしに行ったかというと友人の結婚式の2次会である。
こじんまりとしたイタイアンレストランに60人ほど詰め掛けた。
よくぞこんなに集まったもんだなと感心してしまった。
なかなか趣向を凝らしていて席もランダム、ゲームもたくさんと
楽しめる内容だった。

となりに座ってた子が若かった。(と、思う。)
薄化粧で肌すべすべ。
あのほっぺたはかわいかったなぁ。
つんつんしてみたい衝動に駆られつもここは我慢、我慢。

たまにはこんな日も良かったな。
新郎新婦の二人へ、おめでとう。
いつまでも幸せに…。



2001年06月09日(土) 二日酔い


今、欲しい物は胃薬。
もう他に何もいりません。(涙)



2001年06月08日(金) 野宿


また飲みすぎた。
大学時代の仲間はよく酒を飲む。
こちらも負けじと飲む。
1日でボトルを空けるなんて日常茶飯事。
昨日も一人一本は飲んだのではなかろうか。

酒を飲んで何が面白いの?と聞かれたことがある。
困った。しかしこれは飲む連中としかわからない感覚だろう。
とにかく飲めばわかる、だ。
これが人生なんだ。(よくわかんないね。)

で、終電もなくなった三宮で飲み続けた。
明け方になるとタクシーの運転手も仮眠してる位、人がいない。
千鳥足で港へ向かった。
ふと、緑の絨毯が見えた。とっても気持ち良さそうでゴロンと横になった。

…あ。
7時だ。
慌てて船に帰った。
走ったら昨日飲んだのが全部出てきそうな気分になった。
やっぱり酒飲んでなんにも面白くない。

そう思ったけど今夜も同じ事をするだろうなぁ。



2001年06月07日(木) 折り紙への道


今日の神戸は雲に覆われつつも時々日が差し、暖かい日だった。

別れは寂しいものだけど、再会は楽しい。
懐かしい訪問者もあって、新鮮な1日となった。
半年ぶり、なかには3年ぶりってのも珍しくない。会う場所も様々。
この前は横浜、今回は神戸とか…。
だから、そんな中お互いにちょっと無理してでも会う。
そうでもしないとなかなか再会なんて出来るもんじゃないこの職場。
行くのは大変。来てもらうのは楽チン。
だけども会った時は一瞬で昔に戻っちゃう。
そんな感覚が再会の魅力かな。
大切にしていきたいこの感覚。

さて、去年は船内で朝顔を育てたけど今年は断念することに決めた。
何故?手間がかかりすぎるから。
毎日、日光浴のため船内外を往復し、風が吹けば気になる。
船内でもいつのまにか乾燥するため水やりも頻繁。
花ひとつがとても大変ということを身にしみて感じた。

そしてもうひとつ。
実は上司に折り紙の師範がいる。この方、自分で何でも折ってしまう
方で、この前は本も出版した実力派。
そして、作品の朝顔の見事さ。
あまりの素晴らしさに感激するばかり。

決めた。今年は折り紙で朝顔を育てよう。
かくして挑戦は始まった。

今日はまず鉢を準備。土はコーヒーにて代用。
そして竹串でつるを巻かせる棒をこしらえた。
小さな作業。手が震えた。
折り紙にはまだたどりつけない。

じっくりと作っていこう。
花が咲いている、あの夏の日を夢見て…。



2001年06月06日(水) 七里ガ浜


七里ガ浜って書いたけど、実際行ったわけではない。
今日はそこの街出身の彼と付き合ってた子があっけなく散ったので
ちょっと感傷的な気になって書いてみた。

お互いのことをちょこっと知ってる私は、ちょこっと痛い。
でも、お互いが好きになって、お付き合いを始めたんだろうから、
その時の気持ちは大切にして欲しい。後になれば色々、良かった事
も悪かったことも思い出すだろうから。

歳の差が大きかったからかな。趣味が合わなかったのかな。
とにかく目の前の障害が大きかったね。
さあ、再出発しよう。
別れは出会いの始まりだよ。



2001年06月05日(火) 神戸港


さて、着いた先は神戸港だ。
何年の付き合いになるだろう。
何度も来るこの街には当然馴染みの店も多い。

雨の中、三宮駅の側で明石焼きをつまみながら一杯やった。
職場の先輩からの誘いだった。
いかにも関西風というダシにちょこんと付けて食べる明石焼き。
やらかい卵の生地とダシが微妙に絡んでうまい。
実はヤキソバをたくさん食べておなかは悲鳴をあげていたのだが
すんなりと2人前食べてしまった。

船に戻ると、これまたたくさんの先輩から誘いがかかった。
結局、床についたのは午前3時。
懐かしさに抱かれて3時間半の睡眠を頂いた。
朝6時30分起床。

あ、二日酔いだ。



2001年06月04日(月) 羽田空港


飛行機に乗る時ドキドキする。
何故か特別な乗り物に感じてしまうのだ。
あの離陸する時の緊張感、加速感もあるし。
あっという間に上空に上がっていく時の窓の外の景色が好きだ。

18時をまわり夕日が差し込む中、離陸した。
眼下には横浜の街が広がっている。
海の部分は夕陽で真っ赤になっていてコントラストが綺麗。
ただ絶景もここまで。
飛行機はなお上昇し、もやの中へ入っていった。
一面の雲、まるで海の上のよう。
雲海っていう言葉がまさにぴったり当てはまる。
今日はもう一つプレゼントがあった。
富士山が見えた事だ。
雲海の中から頭をちょこんと出していた。
写真を撮りたかったけど荷物の中にカメラが入っていて
出すに出せず、遠くから見ていた。

日没後の地上から飛び立ち、空の上でもう一度太陽を見る。
というのがやってみたかったけど、空は結構明るいもので
そうはいかないもんだ、というのがわかった。

新しい街が近づいてきた。
住宅街の上を堂々と通過して伊丹空港に着いた。
45分のちょっと贅沢な旅。



2001年06月03日(日) 越中島


越中島。
あまり馴染みのない地名かもしれない。
ここには東京商船大学がある。
この学校、秋には学生が船で航海訓練をするため学園祭が異例の6月の
第1土曜、日曜になっている。で、学生数も少ないので当然呼ぶ芸能人も
限られてしまう。でも、少ない予算で頑張っている。

昨日はトマトキューブが来ていた。
まだまだ売りだし始めなんだろうね。
なんといっても見に来る人もいないし、反応も寂しい限り。
ファンにはたまらないだろうけどね。帰りもその辺歩いてたし。
ま、ちょっと紹介するとアニメ”ワンピース”のエンディングテーマを
歌ってるグループというところか。なかなか声はいい。
ちなみに昨日は緑のタンクトップ姿で出てました。

で、続いてだけどニューハーフのジェニーちゃんが出てきた。
こっちのほうが下品な学生たちは喜んだみたい。
確かに替え歌などなど楽しかったです。
昔は学生が女装したもんだけどね。ここ何年かで変わっちゃった。

商船大学には寮がある。今でこそ横割りだが当時は完全無欠な縦社会。
部屋は1年生から4年生まで各学年一人づつで構成され4年生が神様
1年生は奴隷ときたものだ。当然1年生は部屋の規則を守ることになる。
上級生が寝るまで寝るな。朝は上級生より早く起き掃除をしろ。
挨拶は100m先に人影が見えただけでも励行しろ。
門限は22時。
その他、ここでは書ききれないので今後ちょこちょこ書いていこうと
思うが何しろきつい時代だった。
そして、学園祭といえば1年生たちは女装コンテストに強制参加。
高校時代の同級生に制服を借りちゃったりして楽しんでた奴もいたけど
見れたもんじゃない。しらふで宴会芸をやっているようなものである。
素人だし。でもそこに味があった気もする。

ここの所、各大学もそうだが警察、自衛隊など色々なところで飲酒も関わる新人教育(いびり?)が問題になっている。どこにでもある問題だけど、どんどん規制を作ってしまうようで寂しい。このままいくとどうなってしまうのだろう。心配である。

さて、明日はいよいよ神戸に行くことになった。飛行機で伊丹へ飛ぶ。
これから忙しくなる。

焼酎が空になった。もう寝よう。






2001年06月02日(土) 京王線


また物件を見に行った。
今日は橋本。何故か携帯に連絡があり、せっかくだから見てきた。
新築、4LDK、駅から徒歩5分、3400万円。
車庫があって、日当たりについては申し分なく、内装も文句なし。
これまたお買い得である。
都心から離れている事をのぞけば100点だった。
こんなのが川崎にあればいいのに。
そう思いながら、京王線で新宿へ向かった。

京王線は本当に静かな電車である。
私鉄に乗る機会は少ないが、JRとは明らかに質が違う。
今日は少し電車の話でも書いてみようか…。

同じJRでも恐ろしく独創的な地域がある。
九州である。
何しろ隣の町までといっても30Km位あったりして嫌でも特急に
お世話になる。しかし、東京で走ってるような料金とはまた感覚が違う。
何しろ東京じゃ、立川〜八王子だって800円位するけれど、向こうは
割り引きはあるし、安いし、気軽に乗れる。
乗らなきゃ電車の本数がないってのもあるかもしれないが、この感覚で
関東でも乗ってみたいものだ。
そして特筆すべきは電車の個性。
全車両、本皮シートってのも珍しくない。
食堂車みたいなテーブル(80cm×60cm)付の対面4人掛けシート
(しかも個室風)なんてのもあるし。
乗ってみると感動の連続。
ちなみに何度か乗ってみたけど利用客は少なく快適です。
JR九州は赤字らしいから考えものだけどね。
頑張って欲しいな。(ちなみに鹿児島まで新幹線ひいてどうするんだろ。)


さて、今日も1日が終わってしまった。
1日の半分を寝て過ごす生活も明日1日で終わってしまう。
寂しいけれど、財布の中身も寂しくなってきたから丁度いいのだろう。
さあ、寝る間を惜しんで片付けをしよう。



2001年06月01日(金) 多摩川


今日は多摩川を下り川崎へ行った。
河川敷は相変わらず渋滞もなく快適だ。
途中、窓を閉め切って走っていたのに草の匂いがした。
道端の草刈りの匂い。
雑草、いらない草?負けずに生える草。どうでもいい草。
自分みたい。
でも、雑草のほうが精一杯生きてるんだろう。
とにもかくにも懐かしい匂いと久し振りの暖かい日に満足げに
車は川崎へ進んだ。
今日は家を視察に行ったのだ。

1630万円。
遠いような近いような、とにかく見ておきたい。そんな物件。
川崎大師へ始めて行った。
赤塗りの雰囲気ある駅舎。これまたらしい表参道。
この街の雰囲気に一発ではまってしまった。
物件は小さな建物で築30年。とはいえ非常に状態が良い。
水周りは平成9年に全てリフォーム済み。周りの環境も悪くない。
駅から徒歩4分。近くにある大師公園は見事な運動公園。
電車に乗れば横浜も東京も射程距離。
欠点は土地面積の狭さ、日照の不足、そして駐車場が作れないこと。
これを差し引きしてもお買い得ではなかろうか。
私はすぐ彼女を呼んだ。しかし渋い顔だった。
無理もない、この狭さには驚くだろう。
何軒も見ている私に比べ、彼女はまだ理想が高いのだ。

誰だって大きな家は欲しいし、車だって欲しいだろう。
しかし、妥協しない人がどこにいるのだろう。
小さくたって自分の家を持ってみたい。妥協点ギリギリの欲求。
たくさんの事を考えながら中央高速を西へ走る。
今日は珍しく首都高もガラガラだった。

思ったより早く家へ着きビールを開けた。
一瞬、あの渋い顔が浮かんで消えた。
あいつ、頑固だろうな。
ビールが苦かった。



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