坐骨神経痛&腰痛(BeBe)
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2004年11月29日(月) 運転の適正


土曜日に子どもと小ドライブに出かけた。バイクで頻繁に出かけたルート。
鯖街道から、琵琶湖の湖北に出て湖岸沿いに走り、家に戻る道。紅葉がどんな風になっているか、車の運転も少し出来るようになったので出かけた。
今年は暖冬のためか、山の上も紅葉はダメみたい。紅葉せずに、冬になり枯れてしまいそうな気配だった。
鯖街道はすいていて、走りには快適だった。時折、前を遅い車が走っていて、ついつい追い抜いてしまい、少々暴走気味になった。きっと運転の適正は、注意マークが付きそうな走り方になっていた。遅い車がいても、ガマンして走ることが事故防止になるのだ、そんな事を考えて走っていた。
車やバイクで走る事が楽な状態になると、ついつい走りたくなってしまう。





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怪我も3週間で、かなり良くなってきている。まだ、腫れも痛みも残っているけれど、1週間前に比べると、随分と楽になってきた。油断は禁物、でも心配しすぎないようにしなくては・・・・。

長男からの電話。身体の調子は良いらしい、病院でも検査をしても、この調子では何も分からない可能性があるからと言って、見送りになったらしい。
長女は来月には、入籍するつもりと言っている。こんな事でも、嫁さんに言って、私には直接言いにくいみたい。分からないでもないけれど・・・・。
これで次男の高校がなんとかなれば、一安心なんだが。


2004年11月26日(金) 良くなってきていると、考える事にしよう!!


眠剤はどうやら手放しても、大丈夫な気持ちになってきた。
寝相が悪いので、夜中に何度も寒くて目が覚めてしまう。その都度、ギブスで右が使えないので、布団が直ぐに戻せないからおきてしまう。
今日はギブスを外して様子を見る事にした。初めの頃に比べれば、外していても痛みが楽になっている様におもう。まだ、肩も足も身体の中に、異物感があり痛みもあるけれど、よくなって来ているんだ、キッと。
約3週間、まだ1週間かもう少しかかるかも知れない。

「坐骨神経痛」が落ち着いて来ているので、これが精神的に助かっている。気休めに仙骨ブロックは、1ヶ月に1度受けている。症状から判断すると、無くても大丈夫な気もしている。次のステップかな?





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「休日がこわい」から「休日が楽しい」に変わるのは、いつのことだろうか?
いろいろと期待をすると、外れた時がこわくなる。だから、期待するのを止めてしまっている。でも、心の片隅では捨てきれないものがあるのだろう!!
だから辛くなっているのだと思う。


2004年11月25日(木) 何度も経験してわかっているはずなのに・・・・


医師との会話。1週間前に診察を受けて、その時は「直ぐには良くならないから、来週、診ましょう」と言われた。
だから、診察をしてくれると期待をしていた。

1時間の待ち時間が過ぎて、診察の順番がきて、中に入った。
「今日はどっち?」、覚えていない様子だった。こんなものかと、出鼻をくじかれた。「両方です」とつぶやき、打撲傷の状況を伝えた。
そんなに早くは治らないよと、断定された。患部を診ることもなく、他の患者の事を看護婦さんと話しながら・・・・・。
がっかりです。

医師にとっては、転倒の打撲傷など大した事じゃないのだろう。坐骨神経痛も面倒くさいみたいな扱い。なんだか、ひどく惨めな気持ちで診察室を出た。
約数分間の出来事だった。
こんなに腫れてるのに、動かして大丈夫なんだろうか?とか、じっとしてたほうがとか、あれこれ考えては、心配になってしまう。ギプスもいつ頃外す事が出来るだろうか?聞かないと返事をして貰えない。





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なるようになれと、開き直って好き勝手にしていた方が良いのだろうか?
悔しい!!


2004年11月23日(火) 一人はさみしい・・・・ものだ


今日はひとりの休日、することもなく、時間のたつのをぼんやりと待っている。
怪我で何も出来る事が無く、いいや、出来ない事をやりたくなっているんだろう。天気が良いから車で出かけようとしても、左手だけでは危険だから、思いとどまるしかない。足はまだ痛いけれど、なんとか動かす事ができるので、子供とお昼の買い出しに出かけた。
食べると直ぐに、子供は遊びに出かけて、一人でTVを見ていた。

長男から久しぶりに電話があった。電話口に出た息子は、何か言いたいのに遠慮して、なかなか用件を言い出さず、照れ笑いをしばらくしていた。
ようやく言い出したのは、就職先がホンダのディーラーなので、車をホンダに買い替えたいという。ローンの保証人になって欲しいと言うのが、電話の用件だった。
こんな事でも遠慮気味に言うのが、長男らしい。次男だったら何のためらいもなく、直ぐに言って来たのだろうと思った。
お金がかかるから、止めた方が良いと、1週間前に言った事を気にしているようだ。






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次年度の予算がほぼ決まりかかってきた。数ヶ月の間、努力して申請した案件は、ほとんどが却下されている事がわかった。その上、経費削減の要請で、活動も抑制されて気落ちしている。
私のいる事務所を移転対象として、経営者が模索している事もショックだった。

昨夜は久しぶりに、苛立ちで悪夢と夜中に目が覚め、一瞬ドキリとした。


2004年11月22日(月) 脱・眠剤が定着!?


打撲傷の回復と、眠剤からの脱出が同じ日数。最近は眠剤を飲まない事が、定着しつつある。朝までぐっすりって事はない、けれども、そんなには苦痛にならずにいる。朝方は冷え込むので、目覚めが辛く感じるけれども、眠剤を飲もうとは思わない。
不安があるので精神科からの、処方箋は貰っている。もう、要らないかも・・・・。今月は祭日も多いし、土曜日も休んでいるので、随分と仕事から離れている気がする。この事が良い結果に繋がっているかも、坐骨神経痛もおとなしくしている。
痺れはあるものの、痛みはほとんど出ていない。

仕事人間ではない。そう思っている。
でも、仕事から離れる事で「坐骨神経痛」がなりを潜める、これは気づかない内に仕事人間になってしまっている。かもしれない。





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怪我のため、鞄が持ちにくくて仕事を持ち帰らなくなったし、通勤中でも本も読めない。ひたすら待っているだけ。慣れてしまえば、さほど苦痛にも感じない。
苦痛に感じても仕方がない、そんな諦め境地になっている。
仕事には出ているが、あまりにもはかどらないので、これも諦め半分で、早めに切り上げて帰る事にしている。利き腕なので字も書けない。
パソコンも、左手だけだと、これが結構不便である。マウスなんかも思う様には動かせない。ようやく少しだけ、慣れてきたか。



2004年11月20日(土) バイクの修理


バイクの修理を頼む為に、店まで車で出かけた。運転中だけ肩のギプスを外して、どうにか運転が出来た。ゆっくり直線をメインにすると、大丈夫だった。
傷ついたバイクは、予想以上の深手だった。店の人から前回よりは、ダメージは少ないと聞いていてので、少しショックだった。

右側だけだけれど。マフラーが外れて、ステップの破損、ウインカー破損。
カウルは上から下まで相当なキズがついていた。それも、今までの様な表面だけではなくて、下地までむき出しになっていた。前回の事故で、上のカウルを交換した所なのでガッカリ。修理代がないので、カウルの上下はそのままで、ペンキを塗る事にした。






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店にはたくさんのお客さんが、それぞれ好みのバイクを見たり、商談をしていた。

車の運転でも振動で肩に響くのに、果たして、後何日で復活出来るのだろうか?
乗るだけじゃなくて、押すときに肩が痛いように思う。
バイクに乗るようになって、道行くバイクがやたらと多く感じる。目線や意識が今までと違っているのだろう。


2004年11月19日(金) くるぶしが無くなった。


一段と足の腫れが大きくなった。もう、くるぶしのこぶが消えてしまう程、腫れが大きくなってしまった。くるぶしの下はむらさき色になって、靴を履くと痛くて歩けない。膝の腫れが少しましになったと思ったのに、・・・・・。
肩は相変わらず。
いったい、この先、どうなってしまうのだろう。

打撲傷、調べていたら「うちみ」とも言う、とあった。別のものだと思っていた。






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「座骨神経痛」を回復させるため、これが二輪免許への挑戦になった。そして、ようやく6月に、免許をとりバイクを手にした。5ヶ月も経たない間に、事故2回、軽い転倒2回、立ちゴケ数回、バイクは惨めな程キズだらけになった。
自分でも信じられない位、教習所やバイクの運転に頑張ってきたのに、こんな事で挫けたくない。
でも、今は怪我の痛みに負けてしまいそう。



2004年11月18日(木) 打撲傷・記憶の不思議


段々と足の痛みが強くなっている気がして、不安になってきたので、今日は病院へ出かけた。肩の痛みが引いてゆかない。膝の痛みと腫れも大して変化がない、それに加えて、足首に内出血や腫れが出てきた。もう、触るだけでも痛い。
最初の1週間、青あざみたいになっていたけど、痛みはほとんど無かった。ところが、次第に青あざの部分が広がって行き、痛みが出てきた。

医師は何も出来る事がない、と言う、だからほったらかしできた。悪化しているのを黙って見ているだけ。何か手遅れになるような不安で一杯になった。





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事故の状況は、正確に覚えていない、「急ブレーキ」をかけたその次は、もう転倒して息苦しくて動けなかった。どんな風に転倒したのか、右からか左側からか、何も記憶にない。グローブの擦りあと、ヘルメットのシールドが傷だらけ、パンツの裾がボロボロになっていた、ジャケットの肩が破れていた、などなどから推測するだけ。何秒間か分からないけど、完全に記憶がなくなっている。

前回は軽傷だったためか、こんな事はなかった。

「怪我ばっかりして、バイクはやめたら」なんて、医師から言われてしまった。


2004年11月16日(火) 記録更新中


今回の事故以来、眠剤ナシで寝ている。最初は何も考えていなかったけれど、途中から意識して飲んでいない。
2〜3日目位までは、痛みで忘れていた事も手伝って、眠剤の事は関係なく「眠れるときに寝る」と言う生活だった。その後は徐々に落ち着きが出て、眠剤ナシで過ごしている事に気がつき、意識して飲まずにいる。
寝返りの都度、痛みで目が覚める事もあるが、普通の状態に近づいている気がする。脚の方は、痛みが引いていて痺れが残っている、と言う状態でいる。

自律神経のアンバランスが、打撲傷の強烈な痛みで、少しずれて、正常な方へ移動したのかも。などと勝手な推測をしている。





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長男は、派遣社員から正社員への誘いがあったけれど、受けるとシフト勤務になり病気との兼ね合いで避けた方が良い。自分の事を真剣に考えて行動している様子。別の働き口を探して、面接までしてから連絡をしてきた。それも病気の事を話した上で、採用が決まったらしい。今週から働いている。体調も良いらしい。
長女の相手とは夕食を一緒にして、一応の区切りがついた。いざとなると、複雑な気持ち。

怪我が完治するのは、まだ先になりそうだけれど、警察も保険も物損で処理をする事にしたし。今週には修理の方も店に行こうと思う。肩はギブスを付けている、でも、足は何とか歩ける状態になった。

少しでも良くなるように、願うだけ・・・・・。


2004年11月14日(日) ガマン休日


痛みで目が覚めたり、布団がずれて寒くて目が覚める。左手だけでなかなか元に戻す事ができなくて、起きあがり時間をかけて元に戻して、また寝る事にする。
何度か同じ事を繰り返して、最後は諦めて起きる事にする。
服に着替える時にギプスを外す。やはり痛い。
朝食を済ませてもすることはなく、横になっていても痛いので、TVの前でぼんやりと画面を眺めている。
ガレージを見ると車が止めてある。怪我が右側でなければ運転もできるから・・・。でも、この調子ではどうしてもムリみたい。バイクの修理工場から電話があって、修理の箇所を確認に一度来て欲しいと。事情を説明して待って貰う事にした。






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寝ていても、座っても、どんな姿勢でも「痛み」のない姿勢がない。TVもかかっている画面を何となく眺めている。時折、時計をみるけれど時間は、のんびりと進んでいる。
昨夜は娘の結婚相手と夕食、痛みで途中から座っているのが辛くなっていた。でも会った以上は、途中で席を外しては、気の毒って感じがして長居をした。

今日も長い一日に感じた。


2004年11月13日(土) 「痛み」のピーク?


気のせいか、日ごとに「痛み」が強くなって来ている。今日は出勤しても仕事にならないから休んだ。
家の中で横になっているだけ、それでも痛みが強くてとても辛い。右肩もギプスをしているけれど、痛みは無くなった訳じゃない。1週間ぐらい様子をみる。こんな診断だったから、少しづつ楽になって行くのかと思っていた。
ところが、今週の初めよりも痛みが辛い。打撲も脱臼もこんなものなんだろうか?
楽に出来る姿勢が無い事がつらい。






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警察から問い合わせが来た。物損か人身かどうするか?
人身事故にするのなら、もう一度、事故現場に来て貰う必要があるという。保険の事が絡んでいるけれど、行くのが辛いので物損にしようと思ってる。



2004年11月12日(金) 肩鎖骨脱臼


事故直後の診察から「脱臼」は、レントゲンの結果から診断を出されていた。軽度のものだから、様子を見ると言うだけで、治療は何もなかった。
今日まで待ったけれど、痛みは緩和されずガマン出来ないので、再度、病院へ出かけた。
「医者の手では何も出来ない」
「打撲なんだから仕方がない、そんなに早くは痛みは無くならない」
いろいろ言われたけれど痛みが我慢出来ないので、何とかして欲しいと訴えた。
すると、肩のギプスをする事になった。





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診察の終わりに同じ先生の方が良いでしょう。。。。。なんとなく、他の医師が治療中の患者は治療を避けたいって感じた。
ギプスも最初から聞いて欲しかった。膝の事も訴えたが、全然取り合って貰えなかった。
利き腕がギプスで使えなくなってしまった。

いよいよ明日は、娘の結婚相手と会う約束をしている。この姿では惨めか!?


2004年11月10日(水) 眠り・・・少し変化あり


土曜日の事故以来、眠剤を飲まずに眠りについている。当日も翌日も「痛み」の中で、ほとんど終日に近い状態で寝ていた。
昼も夜も・・・・。
膝の痛みが少し楽になったものの、肩と胸の痛みで寝返りもまだ辛い状態。でも、眠剤も飲まず10時頃に横になると、寝てしまう。

「健康な眠り」と「病気の眠り」があるような気がした。

今、身体が「痛み」を訴えているから、正常な状態じゃない。だから眠る事を身体が要求しているんだ、きっと。





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このまま正常な睡眠に戻れたら・・・・、良いのにと思う。


2004年11月08日(月) 「痛い」言葉に出すと涙が・・・・


事故の痛み・・・自分のした事だからしかたがない。
痛みに耐えきれず「痛い」と口に出した途端に、なにやら情けなくて、涙が止まらない。病院ではじめて右足の腫れ上がった膝を見た。左と比べると倍ぐらいの違いがあった。

医師「随分と腫れが引きましたね」「後は時間を待つしかない」
わたし「何とか痛みを楽に、注射はムリですか?」

膝は腫れが引くのを待つしかない、肩は少しずれているけれど、関節の中じゃ無いから注射が出来ない。仕方なく引き下がるしかない。左もまだ完治はしていない、坐骨神経痛も混じって奇妙な痛み。右足・右腰・右肩、もう全身が痛みで包まれてしまった。
前回の事故、このときは何とか動けるようになるまでに、約1ヶ月。今度の方が痛みが強いから、今から憂鬱になって来ている。何よりも自分が情けない。






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自分の為に生きる目標をみつけたい。自分の時間を持とうとして始めたバイク。
2度の事故で少し心が揺らぎ始めている。
痛みに耐えて横になっていると、あれこれと考えが混じって、わからなくなってきている。
何はともあれ人身事故にならなくて良かった。


2004年11月07日(日) 2度目の事故


昨日のこと、バイクの運転に少しづつ慣れてきて、もう少し遠くへ行って新しいものを見つけたかった。
丹後半島の経ヶ岬を目標にした。出来る事なら朝から出発をしたかった。
子供のお昼を買いだして、家を出たのが12:30になったけれど、とにかく出発する事にした。毎週走っている鯖街道から小浜へ、そしてようやく天の橋立に着いたときは、4時近くになってしまった。これ以上はムリと判断して戻る事にした。
27号線に戻るのに道に迷って、5:30には陽も落ちてくらくなっていた。
7時までには嫁さんをパート先に向かえに行く事になっていた。何とか鯖街道に戻れば、ギリギリ間に合うと思った。
そんな矢先、小浜で一台の車を追い越して速度を上げた、その瞬間、前方の車のブレーキランプが目に入った。”しまった!!”と思って急ブレーキをかけてしまった。気がついた時は転倒、息苦しくて起きあがれない状態。2〜3人の人が様子を伺っていて、救急車を呼んでくれた。自分では何も出来ない状態だった。
前回は速度も出ていなっかたので、バイクの後始末など電話をする余裕もあった。






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救急車の中でも何も出来ず、病院に着いてどうにか家に連絡をする事ができた。
検査結果は骨折はなく打撲だけとのこと。でも、肩から胸にかけて痛みで息が出来ない。どうにか家に着いたのは、12時近くになっていた。
何とか歩けたので部屋で寝ようとした。突然、膝が痛み出して声も出ない状態。
再び、救急車で病院へ。今度は通院している病院へ搬送して貰った。
膝の部分の血管が破れて、内出血で皿の下に血がたまっているとのこと。血を抜く事になった。痛みで涙が止まらなかった。
看護婦さん「腫れも引いて、骨の形になりましたよ」

痛みで横になっていると、坐骨神経痛で脚の先が痺れて、動こうとすると肩と胸が痛い。何をしてもうまく行かない。どんどんと、弱気になってくる。
自分が情けなくなってきた。


2004年11月04日(木) 気掛かりな事を1つずつ減らす


バイクに乗りたい事も理由の1つ。でも、なかなか思い切りがつかないと、出かける事がイヤになる。面倒だとか、体がだるいなど「うつチェックリスト」には出てくる内容だ。
この日も、朝食を済ませてボンヤリしていると、症状が重くなるので洗車を始めた。水洗いと掃除機だけだから、30〜40分くらいで終わる。
それから、嫁さんをパート先まで送って行って、ついでに子どもの頼みで買い物の運転手になる。
面倒でも昼抜きはいけないと思い、マクドへ昼食を買いに出かける。
気が付けば、既に1時頃になっていた。





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墓参り、川西にある親戚の家と長い間、行っていないところへ行った。
この日は、大阪にいる姉の家に行く事にした。自分の生まれ育った所。どんな風に変わっているのかも気になっていた。
バイクに乗りたい気持ちは、初めの頃と変わっていないのに「さっさとしたくして出かける」事が出来ない。ジャケット、ヘルメット、防寒用意、プロテクターなどの準備でグズグズしてしまう。時間切れで仕方なく出て行くって感じで、玄関に鍵をする。

道を何度も間違い、街中の渋滞で時間がかかった。郊外や峠と違い運転技術より、法規運転を要求される。何よりも信号停止で、無意識に脚をかばった足つきになってしまい、危険度が大きくなる。時間と共に腰や脚の負担も増えて行く。

それでも、生まれた場所に着いたときは、感無量だった。子どもの頃の田舎風景ではなくて、都会そのものだったけれど。ここはああだったとか、まだ残っているとかいろいろ思い出す事が出てきた。誰も尋ねる相手はいなかったけれど、来てみて良かったと思った。


2004年11月02日(火) 背中がだるい・・・・・。


いつから始まったのかはわからない、背中がとてもだるくて、おなかがあつい。肝臓の調子が悪くなると、背中がだるくなっていた時期があった。
そういえば、日記を書き始めてからも、何度か経験があるけれど不安は外れていて、原因不明。今回も同じなのだろうか?

「うつ」と診断されてから、体調の悪い理由はこれが原因なんだと、自己判断をする癖がついてしまった気がする。「睡眠」「坐骨神経痛」「うつ」、みんな共通点は、自律神経の狂い。交感神経と副交感神経とアンバランス。





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生きるために働いている。働いているから、生きて行ける。似ていても気持ちの持ちようが全然違う。生きている事、毎日に喜びが感じられない。
生活費の苦労が無いのであれば、今の職場から逃げ出したい。もう、やり直しが出来る年齢じゃないし、ガマンして生きて行くしか道は残されていないのだろう。

子どもは子どもで、自分の道を探しながら生きて行っているのだろう。親に頼らず、自分の事は自分でって考えているのだろう。「坐骨神経痛」になって、治療の目処が無くなって「うつ」と診断されてから、こんな風にマイナス思考にばかりなってしまった。


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