水野英子の『白いトロイカ』に新谷が寄稿したイラストはカッコいい! ハローハローみなさんこんにちは。 新谷かおると少女漫画 第5回(ん?6回だっけ 忘れた)は水野英子です。 水野英子といえば、トキワ荘の住人で、かの手塚治虫に天才少女と呼ばれ、少女漫画の基礎を築いた人といわれている人です。少女漫画史を語る上でモニュメント的存在で、なんでもはずせない重要な人だそうです。だそう、とここで伝聞調なのは、私も知識として知っているだけで、原体験として知らないためです。なにしろ、はじめてこの人漫画を読んだのはほんの数年前なので。 水野英子というと、私より2世代も3世代も前の人で、名前だけは聞いたことあるけれど、古すぎて本屋でも本が置いてなくて、それまで読む機会がなかったのです。名前だけはよくきくのだけれど、古くてすでに本がない。読んでみたいとは思っても、本がないことにはしょうがありません。そのため私はずっとこの人の作品を知らず、数年前に文庫として復刊してくれて、ようやく簡単に手に入り読むことが出来たのです。少女漫画好きを自称するわりに、水野英子を読んだことがないなんて、ちょっとなさけなさすぎですね。新しい読者を開拓してくれる名作漫画の文庫に感謝したいと思います。 私がはじめて読んだ水野作品は『ファイヤー!』です。少女漫画黎明期を語る上でかなり有名な作品ですが、この高名な古典の、はじまって数十ページ目で、主人公の男が、いきなり男に愛の告白をするのにはビビリました。 「生まれてはじめて母さんより、好きな人ができた、ファイヤー ウルフ」 水野英子、お前もか! 私はジュリアスリーザーの気分ですよ! 少女漫画の母といわれる水野英子もホモ漫画ですか? 少女漫画って、24年組の登場をまたずして、誕生したときから、ホモ漫画だったのか・・・。 少女漫画の記念碑的作品がホモ漫画という事実に、私は 『ファイヤー!』は主人公の男がさまざまな女性遍歴を重ね、最後は発狂して、初恋の男のもとにつっぱしっていくというなかなか豪快な漫画でした。こんな内容だって知っていたら、もっと早く読んでいたのにな。ちぃおしいことをした。なんでもっと漫画解説書はこのことをアピールしないんだ。駄目じゃん、夏目某の助。 なお、この読み方は私の拡大解釈が入っていますので、真実は各自でたしかめるように。 さて、今日お話する『白いトロイカ』は、そんな水野英子先生の『ファイヤー!』と並ぶ代表作です。 現在一番手に入りやすいのが講談社文庫なんですが(といってもすでに品切れ重版未定)、このあとがきに新谷かおるが文庫化を祝して、イラストを寄稿しているのですよ。 こんな正当古典少女漫画に、新谷かおるの名前をみるなんて、意外なところに意外な名前を見るものですね。 そしてその寄稿されたイラストなんですけど、まさに古典少女漫画風コスチュームプレイって感じの絵で、とってもキレイなのです。ああ、新谷先生ってこんな絵も描くのですね。このタッチなんかなかなかいいですぞ。 新谷先生のお姫様絵を見たい人は、要チェックです。 このシリーズの文庫には、新谷先生以外にも、巻末に水野英子先生の大ファンという漫画家からの多数の寄稿イラストやファンレターがよせられています。そのメンバーがちょっと他に例をみないぐらい凄いのでここで紹介。 どのくらいすごいメンバーかというと、 いがらしゆみこ、原ちえこ、青池保子、名香智子、ささやななえこ、森川久美、羽津彬子、中山星香、佐伯かよの、木原敏江、里中真智子 今の少女漫画界を代表するようなそうそうたる、顔ぶれ。 なんと寡作でしられる高野文子もいました。高野文子ファンなら絶対買いだ。 こうしたベテラン先生方が、水野先生にあてて、イラストやらファンレターやら、1ページつづあたれられたフリースペースの中に熱烈に書いているのですが、その描き方が、よくある漫画文庫の解説のエール交換みたいな事務的ないものと違って、一読者である少女が、憧れのまんが家の先生に、ファンレターを出す勢いで、熱烈なパッションでつづってくれているのです。 日本の少女漫画界を代表するような巨艦クラスの先生が、子どものようにはしゃいでいて、読んでいて頬がゆるみますね。きっとみんな水野先生が原体験だったんでしょうね。 (一番爆笑だったのが、名香智子。日ペン美子ちゃんもびっくりな水際立った縦書きの達筆で、礼儀正しくファンレターをしたためていた。そして元祖日ペン美子ちゃんの作者・中山星香嬢は、得意のヘタウマ技法で、メルヘン全開のお姫様絵と、日ペンで字を習ったほうがいいんじゃないか?という下手クソな字を書いていた。) これをみると、水野英子という漫画家がいかに巨星であり、いかに後年の漫画家に影響を与えたか、よくわりますね。私的にはホモ漫画家の称号第1号を贈りたいと思うのですが。 それにしても新谷せんせいは、青年誌で書いているわりに、少女漫画家と名をよく連ねる人ですな。まあもともと少女漫画家だったらしいんで、その関係もあるかもしれませんが。一条ゆかりのアシスタントもしていたぐらいだし。 しかし、この『白いトロイカ』は、原ちえこの『フォスティーヌ』の思いっきりパクリですな。 ストーリーからキャラから、エピソードまでおもいっきりパクッちゃっているじゃん。 今だったら、即効で「水野英子 そこまでパクッちゃっていいの?」スレが立ちそうです。 いや、もちろん、言い方が逆なのはわかっていますよ。 原ちえこが『白いトロイカ』をモチーフにして、『フォスティーヌ』を作ったって。 でも、私の感覚からすると、『フォスティーヌ』が先で、『トロイカ』のほうが後なんだよね。 私の原体験は『フォスティーヌ』だったんで。
私の好きな少女漫画家に、高階良子という先生がいるのですが、この人は、昔なかよしで、江戸川乱歩や横溝正史の原作や、怖い漫画を描いていた人で、私ぐらいの世代に、高階良子といったら、読んだことがない人がいないぐらい大変メジャーな先生でした。 私がなかよしを購読していたころには、すでに他紙に移籍していたのですが、コミックは子どもの間で、みんなで奪い合ってまわし読みをされるぐらいの人気のある漫画家さんでした。 この先生は、指名借りをする子が多かったのです。 怖い少女漫画を書く第一人者として有名だったので。 子どもはみんな怖い話が好きですからね。 高階良子はデビューは24年組より早く、キャリアは40年以上の大ベテランです。 少女漫画界のミステリーのパイオニアにあたる人で、一ジャンルを築いたという点では、風木の惠子たんに負けないぐらいの功績がある人なのですが、そのわりに評論で取り上げられることがあまりない人です。 ヒット作もあって、大衆知名度はメジャーマイナーの覇者・上原きみ子ととともに高いハズですが、名前のわりに作家論には登場しません。 おそらく漫画読みさん向けというより、大衆派向けの漫画家さんなのでしょう。 萩尾は漫画読みの人ぐらいにしか知られていませんが、高階は漫画を読まない人も、結構知っていたりするのですけれどね!(と、あいかわらず萩尾を敵視。) と、高階良子は大御所クラスと名前を並べてもおかしくない人なんですが、心理劇に強い24年組みに比べて、大衆ミステリーは1ランク落ちるのか、それとも秋田に移ってからは、同じ話の焼き直しばかりでつまんなくなっちゃったためか、(本当にツマラナイ)いつもいつもワンパターンで進歩がないためか、(本当に一緒、おかげで同じ本を間違えて買いそうになる)ベテラン少女漫画執筆人をよりあつめて創刊された少女漫画専門誌に呼ばれることもなく、(創刊号のASKAは凄かった)日本の少女漫画の10傑に名前を連ねることもなく、評論家に論じられることもなく、過去の人になってしまった人です。 キャリアでいったら、青池、大和、木原、一条、に劣らないはずなんですけどね。 もう一つ落として、名香、くらもち、坂田あたりでもいいですが。 なんかこのへんは、乱歩が初期に傑作短編を多数生み、人気作家となってからは、通俗長編ものをだらだらと書き、だんだんどれも似たような話ばかりになっちゃって、つまらなくなって、時代は松本清張ら社会派に移っていくのと似ているような気がするのは、気のせい? でもね。乱歩の初期作品が面白いように、この先生のなかよし時代の話って、本当に面白いんですよ。 乱歩の少年物とか通俗物しか知らない人に、初期の短編を見せると、傑作ばかりで感嘆するように、ボニータ時代の高階しか知らん人には、びっくりするぐらい面白いものを書いているんですよ。 この人のなかよし時代の話って、どれも乱歩ちっくor横溝チックな雰囲気が漂っていて、 乱歩がそうであるように、語りかけるような平易でやさしい言葉で、ヌラヌラした甘美な妖しい世界を描いているんだよ。 そして乱歩がやはりそうであるように、あぶない雰囲気を湛えた天才美青年とアポロンのような美少年が登場するだよ。 さらに乱歩がそうであるように、同じモチーフを偏執的に繰り返し描くんだよ。 高階漫画で一般に評価が高く、代表作にあげられるのは「地獄でメスがひかる」なんだけど、これ以外にも、読者人気が高い「赤い沼」とか、カルト支持が高い「はるかなるレムリアより」とか、いろんな意味で有名の「ドクターGの島」とか、ミステリーの先駆「交換日記殺人事件」など、本当傑作が目白押しなんだ。 (私の一押しは、「血とばらの悪魔」(原作は乱歩のパノラマ島奇談)と「死神の歌がきこえる」 天才芸術家・人見広介と天才音楽家・小島秀幸の悪の美貌にクラクラだ。天才外科医巌といい、天才医学生諸戸道雄といい、この人の書く美貌の天才狂人は妖しく哀しく美しいぜ。) こういった古い作品も、現在では文庫化によって読めるようになっており、たいていの有名な話が手にとれ、ありがたい限りなんですが、続々と文庫化される高階作品の中で、一つだけ一向に文庫化されない作品があり、私はずっと気にかかっているものがありました。 その作品というのが、今日お話しする 「ドクターGの島」(原作は江戸川乱歩のあの「孤島の鬼」!) 昔の漫画が再販されるとき、しばしば表現上の理由で、差別用語が削除されたり、別の言葉におきかえたり、補足がはいったりするのですが、この「ドクターGの島」原作の「孤島の鬼」は、ご存知の通りフリークスの話です。 ですから、作中「かたわ」「めくら」「おし」「低脳」「不具者」「きちがい」だのと差別用語がオンパレードです。 さらにそれにつけくわえると、原作では同性愛とか、カニバリズムとかとんでもないことになっています。 文庫化されず、再販もされないのは、そのせいじゃないかと思うのですが、そんな問題作が先日ようやく文庫化されたのです。 ウイリアム・モリスの表紙という高階漫画とおそろしくマッチしてない文庫が書店に平積みにされているのをみつけ、私もこの表現がどう処理されているか気になり、ミスマッチ感最高潮の装丁の文庫を手にとるが早いか、足早にレジに向かって、購入してまいりました。 そうしたところ、やはりというか、当然というか、手直しされていました。 「低脳」が削除れている。 「かたわ」「不具者」が削除され、別の言葉に置き換えられいる。 うわー、ずごい嫌。予想はしていたけど、実際字面になってみるとすごい嫌。 解かっていたけど、解かっていたけど、でも、かたわのない「ドクターGの島」なんて、かたわのない「ドクターGの島」なんて・・・そんなのドクターGの島じゃないやい。 かたわと不具者と低脳っつったら、この話の肝ですよ。もう作品世界が台無し。 だってさ、かたわのない「孤島の鬼」なんて、そんなもん「孤島の鬼」といえないじゃん。 かたわのない 「孤島の鬼」なんて、きちがいのいない「獄門島」みたいなものですよ。 でも、「めくらめっぽう歩く」という表現はそのままでした。 新谷の漫画で「めくらうち」の「めくら」ががひっかかって新しい版では修正されていると、聞いていたので、ここも修正されると思っていたのに、そのままでした。 「かたわ」は駄目で「めくら」はいいのか?どういう基準でやっているんだろ。 まあ、こういう語の言い換えというのは、作品そのものを台無しにする場合があるので、差別撤廃の錦の旗のもと、なんでもかんでもやるというのではなく、極力原文のままでいってもらいたいと思うものです。 ところでこの話は、乱歩の原作は男同士の同性愛になっているのですが、流石に昭和49年当時のなかよしで男同士は受け入れ素養がなかったのか、性別が入れ替わっていて、普通に男女の恋愛になっておりました。 でもせっかくだったら、原作どおり美青年と美少年の同性愛の話にしてもらいたかったな。 この時期の高階センセでホモ漫画みたかった。 今だったら、間違いなく男同士で描かれるでしょうが、時代がまだ早かったのでしょうか、普通に男女の恋愛でした。 商業誌で最初に男同士の恋愛を書いたのは、山岸凉子といわれていますが、もし、これがそう書かれていたら、かなり早い段階のやおい漫画になったかもしれず、高階センセの名前ももうちょっと有名になったかもしれないのに、とちょっぴり残念です。 ちょうど時期的には萩尾のトーマと同じ年になるわけで、24年組に負けない、っていうか萩尾に負けない少年愛漫画(正しくは青年ですが)として、少女漫画史上に残ったかもしれないと思うと、今突然書いているうちに、悔しさがこみ上げてきました。 そしてもしかしたら、オスカー・ライザーと並ぶ好きキャラトークの常連さんとして、 諸戸道雄の名前も残り、JUNE漫画の古典として若い人にも読み継がれ、エドガー、アラン、ポーに負けない人気が出たかもしれん、萩尾と名前を並べられて解説されていたか思うと、 なんかおい、悔しくなってきたぞ。 あーそれにしても、オスカーはイイですね。オスカー大好き。(結局それか)
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