2008年10月13日(月) |
生成と消滅あるいは還元 |
そこから全ては生じ、全てはそこに還って行く。
神々も如来も菩薩も、例外ではないのだ。
体も心も言葉も、やはり同じなのだ。
また、悪霊や悪人も、このことに関する限りちがいはないのだ。
宇宙の全てが0から始まり、
宇宙の全てが0へと還っていく。
君や僕の番が来るのも、そんなに遠い話とはいえないかもね。
特にバッグにこだわりがあるわけじゃないけど、 良いバッグが店頭にあったりすると気になってしまう。 バッグとは、ただ物を入れて運ぶためだけにあるのではない、 ような気がする。ハンズに行ってもバッグから見てしまう。
バッグというのはバッグの中身以上に持ち主を語ることすら あるのではないか。そう言う私は鞄メーカーに勤務するサラリーマン、 ではない。もちろん鞄職人でもないし、個人商店でバッグを扱ってる というわけでもない。
あくまで、一人のユーザーとして、バッグが気になるのだ。 機能性も気になるけど、デザインのバランスとか、 その背景にある思想とか、一目みた時のインパクトとか。
当たり前だけど、他にはない魅力を持ってるバッグは魅力的だ。 フライターグとか、カルトバッグとか、Timbuk2のブロガーとか。 ブログのためにノートPCのみならずメッセンジャーバッグまで買うような、 そんな人のためだけに作られたかのような、不思議な商品名。
もしかしたら、バッグは中身を限定しないからこそ、そこに未知の可能性を 見て、魅力を持つのかもしれない。当たり前だけど中に何を入れても自由。 だってただのいれものだから。バッグを手に入れる。 後は何が入るかわからない。何が起こるかわからない。 そのようにして未来に開かれていることにより、限定することのできない広がり、 それがこれからバッグを買おうとする人に示されるのである。
中身も、シチュエーションも、意志次第。全てのカバンは、 アレイスター・クローリーのように語りだすのだ。
「汝の欲することをなせ!それが法のすべてとならん!」
そう思うと、バッグとは極めて魔術的な何かである。
そんなことを、さっきからヤフオクでバッグを見てることの言い訳にしてみる(笑)
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