隠喩と暗喩の対話
日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。
やんややんやの油売りたちがボンテージするレースのひらひらからみえるちらちらなリズムは当然のことながらトキメキのリズムなのであります。すなわち、2.5フタクタル次元の知恵の輪を解きほぐそうとするような、教科書どうりのsign。
ただ分かってくれればそれでよくて、ただそれ以上なにも言うつもりはない。「約束を」とか「失った」とかいうメタファーで語られる具合の悪いテンションをくしゃっとまるめてキャンプファイヤーに投げ入れようその業火に焼かれる魔女と火に油をと投げ込まれる肉男を櫓に見立てて盆踊りを踊ろう。 「猫の通り」は今夜も猫だらけで、今夜は久々に印象的な風景を見かける。ちょんと座って向き合う白猫と黒猫。何も語らず身動きせずじっと向かい合っている。何も語らない瞳の奥に暗喩を探して言葉が足りないとぼやくことはそもそも筋違いなのだ。だからしばし見守ったのち、ずかずかと歩いてふたりを蹴散らした。 アレをアレな感じで頂きたい。ただし、手渡しで。
いぬねこちくしょうより未知なる生き物の名を、人の心の内を探り意に逆らう態度で語ったのなら、潔しも悪しきもなく卑怯そのものだと諭されるよう。まるで元来備わっている情緒を抑えて理屈と不尽に生きる体を取るのは、無感情の不感症を隠蔽し論理の世界でしか呼吸ができない現実から眼中をGANTZする邪気。本当は、隠喩にまみれて生きたい。本当は、隠喩に埋もれて息絶えたい。
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