■ 2014年10月15日に現像したもの。
カメラはMinolta XD、フィルムは多分Fujifilm FUJICOLOR C200。
公園の階段でだっこをせがむ2歳児。
飛びたいわけではありません。
その現在4歳の息子は自発的に話す言葉がほとんど無く、YouTubeのチャンネルを変えてほしいときに「ナイナイ...」と呟くくらいで、どんぴしゃりの発達障害であります。
先日はそれをどうするかをお勉強しに札幌まで出かけていたのですけど、いずれにしても発達障害ではない子に近づける作業を、今までも少しづつしていましたが、腹を括って取り組むことになりまし、た、というかするしかない状況になっていることを確かめました。わりと壮絶な作業になりそうなことも併せて。
育てにくさが無くて油断するのです。
ものをほしがることもなく、生意気なことも言わず、幼児なので力もなく、機嫌は概ね良くて、病気もあまりしないので。
このままでいいような気がする、という油断によりいたずらに年月を過ごすのですが、まあいいわけがない。
言葉ってゆうのがある、と知らないとしたら、それはそれは不憫でならないです。
このお話の、この文章の、この最後の、この一節にやられたり、この曲の、このサビの、この歌詞にやられたりが無いとしたら、それはもうただただ不憫です。世界にはこんなにたくさんあるのに。
丈夫であってくれればと思って名前をつけたら、たまに風邪をひくけど、たたたたよく走るし、なにかしら必死で見てるし、大体にこにこ笑ってくれているので、言葉は僕らがあげることにしました。