武ニュースDiary


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2021年10月11日(月) 金城武さん48歳のお誕生日に、つらつらと

今日は金城武さん48歳のお誕生日。

ゲームのCMに登場して以来、また消息のない日が続きます。
その間、他の人の映像やニュースに、金城さんとの微かな関わりを見つけては、
思いを馳せています。

月に公開された映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」は、
全国各地のミニシアターで次々と上映され話題になっており、
ごらんになった方もいらっしゃるでしょう。
スター歌手の地位と仕事を脅かされても、信念に従って
香港の自由を守るために活動するデニス・ホー(何韻詩)
この映画で初めて知った人がほとんどだと思います。
が、実は、あの「傷城(傷だらけの男たち)」の浜崎あゆみの主題歌の
広東語版を歌ったのが彼女なんです。
香港版の映画を見ると、最後にその歌が聞けます。

その彼女が憧れて歌手になろうとしたきっかけの人、それがアニタ・ムイ
ご存知ですよね。「LOVERS」の飛刀門の首領役として
チャン・イーモウが熱望したのに、撮影開始に間に合わず病死した、あの人です。
デニス・ホーはアニタの弟子になっています。

港の闘いの中で、デニスと同じように仕事をほされた芸能人の中に、
アンソニー・ウォンチャップマン・トーがいます。
金城ファンの皆さんなら、お馴染みの名前かと。
アンソニー・ウォンは武のデビュー作「ワンダーガールズ2」と
「炎の大捜査線2」で、怖い悪役をやっていました。
チャップマン・トーは「傷だらけの男たち」の刑事チョイです。

ニュースがより身近に感じ、心が痛みます。

た、華語芸能界で、伝説となっている香港のロックバンド、
ビヨンドとそのリーダー、ウォン・ガークイ
「太平輪」の宣伝曲「假如爱有天意」を中国の歌手、李健が歌ったことから、
中国の歌番組も見るようになり、ウォン・ガークイとその歌が
あちらでどんなに人気があるか知りました。

ビヨンドは、日本の歌のカバーばかりだった香港の歌謡界で、
自作の曲で気を吐いていたバンドでしたが、
当時の香港では思うような音楽活動ができないと、
その頃日本の芸能会社からの誘いもあって、1991年に日本に進出、
しかし、1993年、テレビ番組収録中の事故で、リーダーのガークイが死亡。

彼の死で、香港は日本に彼らを追いやったのは自分たちだという声が上がり、
楽曲が優れていたこともありますが、その後、人気は非常に高まり、
今でも涙と共にガークイのことを思い起こす人が多いようです。

私は当時、このニュースはちらっと聞いた覚えがありますが、
香港のことなど何も知らず、ただ気の毒にと思っただけでした。
近頃になって曲を聞いてみると、とてもいいんです。
(CDも何枚か買いました)
今頃になって惜しい人を失くしたものだと、強く思います。

らを認め、熱心に日本に呼んだのは、アミューズの創業者、大里洋吉
ガークイの死に衝撃を受け、責任を感じて引退しようとしたけれど、
残ったメンバーに引き留められ、
日本とアジアを芸能で結ぶ仕事を続けることにしたとか。
「アンナ・マデリーナ」もその延長にあるわけです。

ークイに触れて、金城武が「彼とは仲のいい友達だったので、
亡くなったときは本当に悲しかった」とインタビューで語っていたのを
雑誌で読んだ記憶があるのですが、探しても見つかりません。

金城さんのデビューは1992年、
ビヨンドが日本で仕事をするようになったのは1991年、
亡くなったのが1993年ですが、
ビヨンドが香港に時々戻って仕事をしていたときに知り合ったのでしょうか。
友達であったのは本当に短い期間ということになりますが、
ガークイのことを少しずつでも知ると、
仲良しだったというのは本当だろうなと感じます。
きっと、人間的に合う2人だったと思う。

20歳の誕生日のとき、師匠である陳昇(ボビー・チェン)が
武に贈った歌「20歳的眼涙」のことはこのDiaryでも触れましたが、
(2003年3月16日))、
「40歳になって再会したときに、また語り合おう」という陳昇の言葉の、
40はとっくに超えてしまいました。
(2人はこのとき、再会したのかな?)

極・潜心」のインタビューで、50歳になって、
有名な国際スターと言われて、お金もあって、
でも、それってどうなんだろう、と語っていましたね。
その遠かったはずの50歳も間近になってきて、
金城さんは、あのころ、疑問を抱いて、自分の生き方を考えて、
これで良かったと思える道を歩んでこられただろうか。

ご当人の今が全然わからないので、よしなしごとを書き連ねました。
おそらく、意に染まない生き方はしていないだろうと思います。
それが一番です。

お誕生日おめでとうございます

そして、ゲストルームに皆さんから温かいお祝いのメッセージが来てますよ!
(ありがとうございます!)
ファンサイトはご覧にならないかもしれないけれど、
みんなの気持ちはきっと届くと信じています。


   BBS   ネタバレDiary  22:30


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