武ニュースDiary


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2020年05月24日(日) 「智族GQ」2016年12月号「トニー・レオンと金城武」・4(完)

ぼくは本当に単純

ンタビューは、晩秋の北京には珍しい晴天の日に行なわれた。
ホテルの部屋のブラインドは半ば開かれており、
金城武は足取り軽く部屋に入ってきた。
逆光になる位置に座ると、
クリーム色のフード付きジャケットのファスナーをきっちり引いた
彼の周りを、筋状の光が囲み、大柄なシルエットを浮かび上がらせた。

話し始めると、実に楽しそうで、「ピザを愛する者が勝つ」の話のときは、
ボディ・ランゲージも活発になった。
この日、彼は機嫌が大変良かった。

「1つのことを長い間ひたすらやってきて、
その間、どうしたらずっと好奇心を持ち続けることができますか?
それで悩んだことはないですか?」

実は、彼も悩むことがある。
この問題への彼の答えは「それなら、やる数をできるだけ少なくする」だった。
しかし、今は、どんな面白い場合でも、すべて楽しくできるわけではないことも、
彼はよくわかっている。
「それでも、少なくとも一部分でも面白いと思えるなら、
それを大事にしてやるだけです」

物事をやるときは、楽しくやりたいと彼は思っている。
例えば、撮影のときは、架空の存在を立体的なものにしていく過程を
大いに楽しむ。

「それ以外のことはぼくには関係ないし、したいとも思わない。
大事なことはこの楽しんでやれることで、
他のことは、何とか折りあえる方法があるなら、やるということです。
1本の映画は1人でやっているわけではなく、他の出演者もいるし、
他にいいシーンもあるのだから、それで不満ある? ということですよね?
時には満足できないこともあるけれど、だからってどうすることもできない、
自分の仕事をきちんとやるしかない」

ここ数年、彼も俳優として映画環境の変化について感じることはある。
脚本がすごく変わったし、映画人たちと話しているとき、
彼らが大きく変わってきたのに気づく。

「ウォン・カーウァイは監督であり、映像編集者であり、
会社のボスでもある、多元的です。
彼は、ぼくらが持っている概念に対し、現在の市場はどんなふうであり、
映画の内容が目指す方向は以前とどのように変わってきたのか、
人々は今、どんな方面のことを多く考慮に入れるようになり始めたのか、
などを話してくれます。
映画人はこうした変化を知る必要がある。
この市場に沿ってみんなが変わり始めたということがわかります」

「擺渡人」という作品から、ウォン・カーウァイ自身の変化も、彼は感じ取った。
初めは映画自体には全く関わらない、
若い人――張嘉佳に、あるいは新世代の俳優たちに、
このチャンスをあげたいという態度をとっていたことだ。
後になると、彼自身も我慢できなくなって、制作に参与し始めたのだが。
喜びはそこにあるからである。

「これは市場の変化のせいだろうか? ぼくもわからない。
でも、カーウァイは、彼のあのやり方だけではだめだと感じたんだと思う」

金城武は自分はものぐさだと言う。
映画業界全体の変化や流行に対し、それに関わっているという感覚はない。

「過去の自分も、未来の自分もない。
ぼくはすごく簡単で、オファーがあり、興味を持てば出演するだけ。
ぼくの唯一の任務は、その登場人物を生きたものにすることだけです」
コメディでも、悲劇でも。
(完)

    



   BBS   ネタバレDiary   23:00


2020年05月23日(土) 「智族GQ」2016年12月号「トニー・レオンと金城武」・3

現場で思いついたことの方が生き生きする

つからそうなのだろう、どんなものにも期限がある。
サンマ、ミートソース、サランラップでさえも。
この世で期限のないものはないのか」

いったん共感があれば、名作映画の名セリフは、観客の脳裏に
あの有名な金城武の様子をたやすく思い起こさせる。

1994年、金城武はウォン・カ−ウァイ自らの指名で
「恋する枠絵師」に出演した。
フーロンと契約して4年目になったときである。
これ以前は、曲を書いてはCDを出すのに忙しかった。
映画はまだ1本しか出たことがなく、映画界には足を踏み入れたばかりだった。

「恋する惑星」出演は、彼に新しい世界の扉を開く転機となった――
毎日1枚の紙をにらんで台詞を考える、予測不可能な中で作られた作品こそ、
初めて演技を楽しいと思えた作品だったのである。

また「恋する惑星」に続いて出演したカーウァイ作品「天使の涙」は、
後日、日本での知名度を確立する出世作となる。
今日でもなお、金城武といえば、観客は、パイナップルの缶詰を食べる
何志武(モウ)を、すぐ思い浮かべる。

「恋する惑星」から始まり、「傷城(傷だらけの男たち)
「レッドクリフ」を経て「擺渡人」がクランクインし、
警官223号と663号はまもなく4度目の再会を果たす。
ただ、223と663は、2人のコンビができた映画では共演場面がない。
それで金城武はトニー・レオンとの共演についての話になったとき、
深い印象を持ったのは、まず「レッドクリフ」のときだと言う。

この映画ではひげをつけなくてはならなかったので、
顔の表情をあまり大きく動かしてはいけなかった。
ところがトニー・レオンは、金城武がひげを付け終わった頃にやってきては、
笑い話をするのである。
「それでぼくは笑ってしまい、『あっ、笑い話はやめてください!』。
わざと笑わせるんですよね、ひげが落ちてしまうように」

それ以来、金城武には、トニ・レオンの笑い話は
いつもとてもおかしいという印象がある――
自分の笑いのハードルが高いのか低いのかわからないが、
しかし毎回、こらえきれず笑ってしまうのだ。

今度の再会では、幸い2人の共演が多かったので、
撮影班でのカーウァイ式予測不能な創造性は今回も保たれた。

現場では突然の閃きのために、3時間もかけて、
「ピザを愛する者が勝つ」の一章を書くようなことが、今回もあった。

初めの設定では、ピザを買った客におまけをあげるというシーンだったが、
何カットか撮ってみても、みな、どうもピンと来なかった。
現場で討論の後、ここはバックダンサーと鳴り物付きのシーンに変更することになり、
ちょうど待機していた金城武が、命懸けの愛こそ勝つ、と歌うことになった――
これでこそ、いい感じになる。

さらに、命懸けの愛こそ勝つ、は「ピザを愛する者こそ勝つ」へと発展する。
(注・「ピザを愛する」と「命懸けで愛する」の中国語はbとpの違いだけで音がほぼ同じ)
幸い撮影班の大きな特色が、道具班が非常に優秀だということだった。
金城武が、ドラえもんがいるのではないかと疑ったほどだから、何でもできた。
例えばこのようなとき、道具版の出番になると、
すぐに新しいアイディアに沿って大道具を作り、
俳優たちは火鍋を食べて待っている。
出来上がったら撮影再開だ。

このようなやり方は大変時間を食う。
しかし、たくさんの創造的アイディアが得られる。
大変なんじゃないかって? 確かに困難だ。だが、
「往々にして現場で考えついたことの方が、生き生きとして命がある」。
(続く)





文中には「恋する惑星」の前に出た映画は1本、とありますが、
「ワンダーガールズ2」と、「香港犯罪ファイル」の2本ではないかと思います。
次回で終わりです。



   BBS   ネタバレDiary  23:20


2020年05月22日(金) 「智族GQ」2016年12月号「トニー・レオンと金城武」・2

怖がらないで、真剣なだけだから

城武が前回、喜劇に登場したのは、20年前の朱延平の映画まで遡る。
「チャイナ・ドラゴン」では、車を運転しながら美女に見とれて木に衝突、
タイヤは外れ、カメラは彼が鼻血を出して
へらへら笑っている顔をクローズアップする。
「危険な天使たち」では学生に化けた潜入捜査官を演じ、
教室で,絵に描いた眼を貼り付けて居眠りをし、
当時の観客たちを笑わせていた。

それから時間があまりに経ったので、観客はスクリーンの中の、
愁いに満ちた情の深い彼に慣れてしまい、
あの喜劇俳優金城武を思い出す人はほとんどいないというだけだ。

「どうしてこういうのに出て、ああいうのはやらないのかと、よく聞かれます。
そうじゃなく、人が、これをやりませんか、と言ってくるだけなんだと
答えるんですけど」
本当は、ずっとコメディが大好きなのだと言う。

個人的に映画界の風潮を推測してみると、
「最近手にする脚本はこういうタイプのものだが、
10年前、15年前から見てくると、
数年に1度の割で変化があるようだ」と、
大体こういうことではないだろうか。

彼も、冗談だが、道具や衣装を1回しか使わないのはもったいないので、
ある時期同じようなタイプの脚本を繰り返し書くんじゃないかと、
ひそかに考えたことがあると言う。

俳優がどんな役とめぐりあえるかは、業界の環境による。
幸いここ数年、コメディが再び歓迎されるようになった。

もちろん、金城武が「擺渡人」への出演を決めた第一の理由は、
やはりウォン・カーウァイである。
「恋する惑星」で、映画が好きになった。
香港で、夜、撮影機器をかついぎ街中を無許可撮影して回ったあの日々、
ウォン・カーウァイが映画の面白さを見せてくれた。
さらに、張嘉佳の小説にも心を動かされた。
「この2人がいて、断る理由はないでしょう?」

しかし実は、ぐずぐずためらっていることもあった。
「また同じことの繰り返しになるのだろうか?」
ウォン・カーウァイは、彼のこのような心配なんか気にしなかった。
絶対、同じになどならないと思っていたからである。

確かに、今回は以前とは違っていた。
カーウァイの世界に脚本はない。
当時21歳になったばかりの金城武は、しかし、こう考えることができた。
「何でもやるよ、簡単さ。やればいい。
どうせあの人が何をしているかなんてわからないんだもの」

一方「擺渡人」はある小説を原作としている――
役の理解に影響しないよう、撮影開始前から、
小説はあまり読まないようにとわざわざ言い含められてはいたとはいえ。
金城武はそれでも前もって酒場に足を運んでは、
管春の感じを探ろうとし、脚本を読みたいと言った。

「でも、そんなこと言っても無駄な話なんだよね、
読んでも読まなくても役に立たないんだもの。
あの人のやり方は知っているのだし、
自分もそのやり方が実は好きなんだから、
現場に行って、撮影に入り、やってみるしかないわけだ」

しかし、今回は脚本は存在するので、現場で新しいアイディアが出ると、
カーウァイと張嘉佳はよく意見を交換していた。
次のシーンを考え着くと、涙を流して笑いながら、金城武を呼んで、
聞かせることもあった。
そうしてやっと、
「どんな具合か、ちょっとやってみてもらおう」ということになる。
特別真面目な俳優として、金城武も思いついたことがあると、
まずは2人の意見を求めた。
「管春はこういうふうでいいですか?」

俳優というこの道を長いこと歩んできた金城武は、
かつての何もわからぬ状態を繰り返すことはない。
今は、演技に入る前、役の人物の1つ1つの行動が成立すると、
必ず納得ししなくてはならない。

この真面目さのせいで、張嘉佳が制作発表会の席上、
まだ恐怖冷めやらぬ風情でこう話したほどだ。
「出演者は大勢いますが、一番怖いのは彼ですよ。
毎日、大きな目でこちらを見つめて、なぜこうなんですか、と聞いてくるんです。
後になって、ある日、ぼくのところに駆けてきて、言いましたよ、
『怖がらないで下さい、ぼくはただ一生懸命やってるだけですから』と」
(続く)





   BBS   ネタバレDiary 21:20


2020年05月21日(木) 「智族GQ」2016年12月号「トニー・レオンと金城武」・1

金城武は、雑誌「GQ」には中国版にも台湾版にも、何度も登場しています。
(もちろん映画が公開されるときだけですが)
2017年の「智族GQ」は、載ったとご紹介しただけで、
内容については触れていませんでした。

このときは「擺渡人」のプロモーションとしてですから、
自然、ウォン・カーウァイの話になるので、
今度はこれをご紹介してみることにしました。
ちなみに、「GQ」のインタビュアーは毎回違います。





トニー・レオンと金城武:擺渡人、再び世間に舞い戻る
時代の記憶を担う2人の男たちが
コメディを通し、おのれの別の一面を世に知らしめる


それぞれ人生の新しい段階に足を踏み入れたトニー・レオンと金城武が、
再度肩を並べ、世間に復帰した。
「恋する惑星」から「擺渡人(バイドゥレン=(渡し守り)」まで、
2人は4回共演をしている。
始まりはウォン・カーウァイであった。
20余年の後、再びウォン・カーウァイへと回帰した。

変わらないと言えるが、変化もある。
文芸映画から商業コメディへ、得意満面から淡々とした態度へ、
時代が若いイケメン俳優たちの巻き起こす怒涛に席巻される中、
時代の記憶を担った2人の男たちは、軽やかな姿態で、
“コメディ”によって、自分たちの別の側面を
世界に向け高らかに打ち出す。


トニー・レオン 心楽しい人
(すみません、割愛して、後半の金城武の部分だけ)

金城武 シンプルな人

い待機が始まる前から、金城武には予感があった。
それは当たっていた。

「擺渡人」の撮影のため、2015年7月に現場に向かったが、
「着いたら、すぐ始まるよと言われた。けれど、また延期になった」
彼は現場への往復を何度も繰り返し、
3月過ぎになって映画はようやくクランクインした。
「3月過ぎに開始しますよ、と最初から言うのでなく、
多分来週には始まるから来て、と言われる。
ところが、そのときになると、やっぱり始まらない。
また引き返すことになる」

金城武の身に降りかかったこの情況は、過去の再現である。

25年前、彼は初めてのテレビドラマ「草地状元」に出演した。
長い年月の後、そのときの経験を振り返って話してくれたとき、
あの撮影開始を待った日のことは、
彼の記憶に今なおありありと留められていた。

40〜50人乗りの大型バスで約4時間の道を、
車中睡眠をとりつつはるばるやってきて、
台南の農村の撮影現場にまさに着いたときだ。
「撮影開始の通知をもらっていたんですよ、
それで台北からバスで嘉義まで来て、まだ農村でしたよ、4時間かかった。
現場に行ったら、何しに来たんだと言われました。
『撮影があるんじゃないんですか?』と言ったら、
『ああ、日が変わったんだ、連絡行かなかったか?』って」

この2つの情況はかなり似ていましたか?――
金城武は、あの頃は、また違う大変さだったと答えた。
通信が発達していなかったし、また初めての撮影でもあったので、
何も考えていなかった、と。

しかし、今回の待機は、予想していたものだった。
43歳の俳優・金城武は完全に理解できる。
なぜなら、この映画のプロデューサーは、ウォン・カーウァイだからだ。
撮っては休みで、1本の映画を制作するのに8年かけた、
あのウォン・カーウァイなのだから。

「だから、彼がこうでなくちゃいけないと言えば、ぼくは理解します。
いいですよ、合わせられるなら、できるだけ合わせます」

そして何もできないまま3カ月が過ぎた。
ずっと待っていたのである。

本来、7月から9月までの撮影予定であったため、
撮影班が用意した衣装は、全て半袖だった。
後に俳優たちは摂氏2度の上海で、
半袖姿でアクションシーンを演じることになる。
しかも、それは突然決定され、誰もが大変な思いをしたアクションシーンだった。

これは、実にウォン・カーウァイらしい。
ひらめき、不確実性、それに厳しい基準によって、
自身の映像世界を構築するのが彼のやり方だ。
金城武にとって、苦労もしたが、忘れがたい経験でもある。

まだ若かった頃に、このようなやり方の中で、
初めて演技することの歓びを味わい、
そこから俳優になろうという思いを固めていくことになったが、
その後、長いこと、彼を困惑させる原因にもなる。
「監督とはとても仕事をしたかったのだけれど、
また同じことを繰り返すのか、という心配もあったんです」
(続く)





原文はこちらで読めます。写真もあります。



   BBS   ネタバレDiary   10:00


2020年05月17日(日) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武インタビュー」・2

――長い俳優人生で、大きく成長したのと感じたのはいつのときですか?

金城武 成長はやはり年月によるものですね。
年齢が上がるだけでなく、物事の考え方も大きく変わります。
また、たくさんのことを経験します。
ぼくの年齢だと、おじさんやおばさんとかが亡くなったりということも
起きてくる。
経験は、きちんと経験することで、本当に感じ取ることができると思います。

でも、映画に関しては、ウォン・カーウァイのおかげで
ものすごく興味を持つことができました。
監督の映画に参加したときは、「なんでこんなに面白いんだ!」って感じでした。
脚本が無いですって?
(注・カーウァイの映画は完成した脚本が用意されることがほとんどない)
ありますよ、毎日1枚くれる。
で、「明日は同じシーンをもう1度撮る。
昨日撮ったのは使わないからね」と言うんです。
当時はぼくも若かったけど、もし今そうすると言われたら、
我慢できないんじゃないかなあ、
「また撮り直し? 先にちゃんと脚本書けないの?」って言うでしょうね。

でも、こういう監督に出会ったことで、チャンスがもらえた。
同じ動作を20回繰り返していい。
20種類のやり方をやってみせてもいい。
あのとき、ぼくは映画って、創作するって面白いなあと感じました。
文字に書かれたものを立体的なものに変える。
あの頃は、違う風格の監督、映画をなんでも試してみたい、という気持ちでした。
朱延平監督の映画で、コメディ・アクションをやったのもそうです。

――年月が成長させるといいましたが、
人は挫折から成長するということがしばしばあります。
あなたの場合、何か大きな挫折がありましたか?


金城 挫折はもちろんありましたよ。
でも、自分でも何だったか言えないんです。
多分、映画が出来てみたら、全然満足がいかなかったとか、
あるいは誤解がどんどん大きくなってしまって、
あいつはあんな人間なんだと思われたりとか、かな。

みんなが「君は男神だ」というのもそうですかね。
ぼくはこれも誤解だと思っている。
だからといって大して考えないけれど、
ただ、そんなものにはなりたくないだけです。

「どうしてそんなにミステリアスなんですか」とよく聞かれるけれど、
ぼくはこう思うんです、あなた方が知りたがるだけじゃないですかって。
あなた方が好奇心が強すぎるので、
ぼくがミステリアスというわけじゃないんですよ。
もちろん、ぼくの性格は割に控えめな方だけれど、
それも、ただ他の人が意気盛んなだけで、ぼくが大人しすぎるわけじゃない。
相対的な話に過ぎません。

ぼくにも失敗はある、
みんなが覚えていないだけ


金城 確かに挫折を経験してこそ成長があるし、
失敗を経験してこそ成功があって、
そういう成功はより確かなものだと思います。

ぼくもやはり失敗したことはありますよ。
でも、みんなあまり覚えていないだけなんです。
だから、成功もない。
本当は人生には成功、不成功なんてものはなくて、
成功は1つの過程に過ぎない。
誰でも何でもずうっと順調に行くっていうことはないでしょう?

――さっき、役の人物には特色がなければならないといいましたが、
ではあなたの特色は何ですか?


金城 ぼくの特色は何か、ぼくの特色……? うーん……答えがない。
ぼくの特色は何か? ものぐさかな?(爆笑)
もちろん自然や縁を大事に思っているとか、
多くのことは手に入れようと思って手に入れられるものではないと
考えているということもあります。

ほら、最高の監督と、最高の脚本家と、最高の俳優を集めて作った映画は、
必ず最高の映画になりますか?
たいていのことは無理やりやるものではなく、縁に任せるしかない。
けれども、それに出合ったら大切にする。
出合えなくても、「なんだ、だめだったじゃないか」とは考えないこと。
まだまだこれから物事を学んでいくんですから。
そして大切にする、一瞬一瞬を大切にする。

ぼくの特色ね? すごく答えてあげたいんだけれど、
自分はまだ成長の途中だと思うんです。
ぼくが何かを言うと、人はそれでぼくのことを定義する。
でも、ぼくは変化している、また変わらないこともある。
本当に答えが出ないときは、無理に言って、
誤解を作らない方がいいと思うんです。

――あなたの生活は比較的単純で、自分に忠実な状態でいると感じますが、そうですか?

金城 今おっしゃったことは、そうかもしれません。

――今の社会は野心が重要視されていますが、
あなたはどちらかというと自然に任せるという感じがします。
こういう社会に馴染めないと感じていますか?


金城 そうではないです。社会は今おっしゃったのとは違うと思います。
例えば台湾がそういう社会だとは言えない。
地方によっても違うでしょう、それぞれの文化がありますから。
ぼくは多分、ある地域には馴染めないかもしれないけれど、
別のところでは快適だと感じるかもしれない。

意識してピュアであろうとか何であろうとかしているのではありません。
やったことないこと、関わったことが無いことはたくさんあって、
それで当然あまり影響を受けたり、
こだわったりということがないということでしょうね。
(完)


これでおしまいです。
ウェブに原文があったので、後でURLを追加しておきます。



   BBS   ネタバレDiary 22:30


2020年05月16日(土) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武インタビュー」・1

金城武インタビュー
男神と言われるのは誤解だよ



金城武が3年ぶりに台湾でプロモーションに参加した。
本誌は紙媒体では唯一彼にインタビューを行なった。
記者と顔を合わせるや、彼は、
「わあ、ぼくも『天下』に取材してもらえる年になったんだ」と冗談を言った。
対すること30分、その謙虚さを、ユーモアを、
さらにはスクリーンやフラッシュのもとで見るのとは、
まったく異なる金城武を目の当たりにすることになった。


画のプレミアのときであれ、記者会見のときであれ、
ステージ上の金城武は常にピシッと立っている。
フラッシュがどんなに光ろうと、金切り声がどんなに高かろうと、
その優雅さはいささかも乱れることはない。

しかし、ライトとカメラのない、台北のシャングリ・ラ・ホテル20階の一室では、
大スターの様子はこれとは全く違った。
「わあ、この年になると、『天下』が取材してくれるんですね、
ありがとうございます、ありがとう」
金城武が記者の名刺を見ながら、挨拶すると、
かたわらのマネジャーと映画の広報担当者は声を上げて笑った。

肌が非常にきれいで、眼はCMで見るのと同じようにきらきら光っている。
驚いたのは、非常に活発で、よく話すことだった。
表情も豊かで、眉をひそめたと思うと、高らかに笑い、身振り手振りも多い。
かつてウォン・カーウァイ監督の映画に出たときの話になると、
テーブルのミネラルウォーターのボトルを手に取り、
水を飲む仕草を20通りやってみせもした。
朱延平監督が、彼にはコメディの才能があると言ったのは、本当だった。

彼はいったい何を考えているのだろう? 
成長と挫折についてどのように受け止めているのだろうか? 
なぜ、自分は成功などしていないと考えるのか? 
以下、インタビューの概要である。


――映画の話題から始めて、次に人生についての話をしたいと思いますが。

金城武 映画のことを話しましょう、最初だけでなくて。

――「太平輪(ザ・クロッシング)」で一番チャレンジだったことは何でしたか?

金城 実は映画はどれもチャレンジです。
ぼくにとって一番は、その人物を生きたものにできるかということ。
今回の「太平輪」は割と悩まなかった方ですね。
言葉の面で問題がなかったですから。
中国語も台湾語も日本語もできるので。

言葉は演技する上で非常に重要なものの1つだと思います。
ソン・ヘギョは、とても努力して中国語を話していました。
口の形と発音が正しく合うように心を砕いていて、とても感心しましたね。
ぼくは、感情の表し方に専念すればよかったのですが、
その分、主人公のザークンをちゃんと演じられるのか、
非常に心配になりました。
時代の中で、2つの文化に挟まれ、家の事情に迫られ、
恋愛が引き裂かれるというのをきちんと演じ出せるだろうかと。

――泣くシーンは本当に泣いているのだと聞きましたが?

金城 はい、演技ができないから、経験に頼るだけなので。
演劇の授業を受けたことがないから違うんです。
ぼくはとても運が良かったと思いますよ。
早い時期に映画製作に関われて、大勢の大監督や俳優さんと出会えたし。
でも、やっぱり他の人がどう演じるかを見て、
それから自分はどういうやり方でやればいいかと考えるしかない。
この作品で一番プレッシャーだったのは、つい泣きすぎてしまうことですね。
すぐ涙を誘われるお話ですから。

――ピーター・チャン監督の「武侠(捜査官X)」のとき、
四川語で台詞を言いましたね。
撮影中は自分に挑戦しようというタイプなんですか?


金城 あのときは、監督に、ぼくは百九の特徴がどうしてもわからない、
とまで、言ったんですよ。
役には必ずその存在意義がなくちゃいけない、
しかし、特色がないと、存在意義は生まれない。
雲南でクランクインして1,2日経った頃、
四川語なまりで話すスタッフのがすごく印象的だなと気が付いたんです。
それで監督に、徐百九は四川語を話したらいいんじゃないかと言いました。
監督は、「自分でやるのかい?」と言いました。
ぼくが全然しゃべれないことを知っていたので。
(続く)


あと(多分)1回でおしまいです。



   BBS   ネタバレDiary  14:00


2020年05月15日(金) 「天下雑誌」2014年12月号「彭文淳監督インタビュー」

金城武が彭文淳と撮ったテレビCMは、ここで言及されている
エバー航空や中華電信のほか、エリクソン・シリーズや白蘭氏もそうですね。
本当に印象深い、ストーリー性のある素敵なCMばかりです。
私も大好きです。
メイキングでは時々お顔も見える、その彭文淳監督へのインタビューが、
特集2本目の記事です。



彼のやりとりは、いつも3回で終了
――20年以上、金城武のCMを制作してきた監督・彭文淳に聞く


50
歳になる台湾の監督、彭文淳が、最初にCMを撮影したのは24歳のときだった。
彼はストーリー性のある脚本と、
画面の美しさを重視することで知られている。
台北故宮博物院やシンガポール空軍のイメージ広告を撮ったことがあるだけでなく、
記録映画「歌舞中国」で金馬奨の3部門にノミネートされてもいる。
イ・ヨンエ、ペ・ヨンジュン、アンディ・ラウ、
ステファニー・スン(孫燕姿)他の大スター達も、
かつて彼のレンズのもとで魅力を発揮し、
また、業界では金城武御用達CM監督とも称される。

20年余りにわたって、彭文淳は金城武と16本のCMを撮ってきた。
1993年の維他露・雪露雨乳酸飲料から、昨年のエバー航空「I See You」、
今年の中華電信「極速4G」まで、いずれも彼の手になるものだ。
金城武の20年の変化は、彭文淳のエスプリの効いた言葉によって、
生き生きと表現される。
以下はそのインタビューの要点である。

――21年前の「雪露」のCMは今でも覚えていますよ。
そのときの印象はどうでしたか?
この長い年月に、金城武の変わったところと変わらないところを教えてください。


彭文淳 実は、「雪露」の前に彼のことは知っていました。
あちらは私を知らなかっただけで。
1991年の夏、私の制作会社の応接室に、芸能事務所がカメラテストに寄越した
一重瞼の少年が1人、来たんですよ。
黒松沙士のCMでしたよ。

その子が私の椅子を占領して、私の電話を使って
楽しそうに日本語でおしゃべりしていたので、
その前に行き、退散してほしいと、丁重に言ったところ、
黙って立ち上がり、頭を下げて謝り出ていったんです。
ずいぶん時間が経ちましたが、彼は今でも相変わらず礼儀正しく、
謙虚で、内向的で、誠実で、嘘やでたらめを言わないという、
数々の特長を持ち続けていますよ。

変わったのは、事務所のトップスターになったこと、
変わらないのは、CM撮影現場で、私たちの言葉のやり取りは
3回以上続かないってことですかね。
 金城 またお会いしましたね。
  また会ったね。
 金城 いつ映画を撮るんですか。
  わからない。
 金城 今日は何時に終わるでしょうかね。
  8時かな、もっと早いかもしれない。私がワインを飲み始めたら、そろそろだよ。  
こんな具合です。

――金城武はどんな俳優ですか? 面白い人ですか? 
コミュニケーションは取りやすいですか? 
好きなもの、嫌いなものはあるのでしょうか?


 口数が少ない、すごく賢い。
本番になると、いつもまず、暫しじっとして、考えている目をして、
それから演技を始めます。

随分長い年月経っても、だいたい、この公式だね。
つまり、第1テイクでは、監督が欲しいものはやってくれない、
第2テイクになると、何でも要求通りやってくれる。
2テイクを超えることはめったにありません。

もし、そういかず、何回も撮り直しをしていると、
マネジャーが影のように音もなく私の傍にふっと現われて、
クールに聞くんですよ、「監督、OKですよね?」
で、私は「脅迫ですか?」と返す。

――金城武は、なぜ年齢を重なるほど、人気が出るのだと思いますか?

 年を重ねるほど、人気が出る、その通りですね。
日本の高倉健と似ています。
2人とも、控えめで謙虚な性格で、多数に流されることなく、
低俗に媚びないタイプの人間ですからね。
同世代の芸能人と比べて、年取ればとるほど抜きんでてくる。

しかし、CMのことを言えば、この長い期間に彼が中国、香港、台湾、
それに日本で宣伝した商品の種類は実に多い。
あらゆるタイプのCMを撮っている。
それでも私は決してすべてが合格だったとは思わない。

そのことについて、以前、彼のマネジャーに話したことがありますが、
先方は決して否定せず、ただ、
「ああ、監督、そんなに厳しく言わないで下さいよ。
誰でも生活があるんですから」と、職業的にね、多くを語りませんでしたよ。

21年経っても、ツーショットを撮ったことが無い

――あなたには「歌舞中国」という映画作品がありますが、
映画の金城武とCMの金城武は、どこが違うかお話しいただけますか?


 映画で役を演じるときは、
1人の人間の人格全体を表現しなければならないので、難度は高いです。
私は、彼は日本映画での演技の方が自在な感じがして、出来が良いと思っています。
中国語映画の代表作は、まだないと思う。

CMは、脚本も短く、内容が簡潔で、まあ細々とやるもので、
ある1つの瞬間をとらえさえすればいい。
この点では、彼は実に天分があります。

――金城武とその事務所と一緒に仕事をするというのは、
どんな感じなんですか? 彼らが追求しているのは何なんでしょう?


 フーロンはね、私の感じでは、まあ、お殿様かな。
実に細かく、うるさくチェックしてくる。
一緒に仕事をすると、必ず大喧嘩から始まって、
しかし、だからこそ、最後には良い友人になれる。
他にないくらいプロフェッショナルで、
芸能人に関する事務には非常に責任を持っています。
台湾唯一の、世界的水準の芸能事務所と言ってもいいほどだと思いますね。

――金城武との仕事で、何か強く印象に残ったことは?

 そうだ、彼とツーショットを撮ったことが無いことだな。
(完)


   BBS   ネタバレDiary 23:30


2020年05月14日(木) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・6

[金城武の譲れぬ最低ライン]
ポイと捨てられるようなものはダメ


の過程で、クライアントと芸能事務所の間には綱引きがあった。
なぜなら、金城武が登場する画面は、広告物や制作物も含め、
すべて事務所の同意を得なければならなかったからである。

エバー航空の支払ったギャラは3000万台湾元と伝えられるが、
エバー航空が制作を希望した「金城武カレンダー」も、
フーロンは同意しなかった。
まして大量に配るポスターなど問題外である。

台湾企業はこれまで、金を出すものが一番強いという考え方だったが、
フーロンが固く守る筋道は実は非常にシンプルなのである、
すなわち、金城武の写真は、いつでも「ポイと捨てられる物」の上にあってはならない、
ということなのだ。

このような経緯があったが、クライアントとしてのエバーは、
非常にプロを尊重し、イメージキャラクターの稀少なイメージを守ることは、
すなわち自分のブランドのイメージを守ることであると認めたのだった。

「I See You」には中国語、英語、日本語の3つのバージョンがある。
金城武は自ら日本語の台詞に5回以上手を入れ、
日本人の生活の角度から、台詞をできるだけ心に響くものにした。
CM中、金城武と飛行機や機内客室乗務員などが直接関連する場面はなく、
奈良公園で鹿に餌をやったり、パリのカフェで読書をしたり、
台東で爽やかに自転車を走らせたりしている。

3分間のCMの最後の、わずか7秒間、
「エバー航空はスター・アライアンスに加盟しました」という字幕が出るのみだ。
商業的な節度が、最終的にはより大きな商業効果をもたらしたのである。

「I See You」の成功を見て、金城武が主演した映画
「太平輪(ザ・クロッシング)」の制作会社、小馬奔騰の方から、
映画のシーンを使用した第二波CMを作ることをエバー航空に提案してきた。
そこで、エバーはCM制作会社に依頼し、新しい編集と解釈で、
「想いが見える、平和(太平)が見える、答えが見える」を新しい軸に据えた。
さらに、映画公開の1カ月前に放映し、映画の宣伝と混同されることを避けた。

[金城武の効果]
手の届かないという渇望から生まれる


かたや中華電信の「極速4G」CMの方も、やはり、こんな具合であった。
3Gから4Gへという世代交代の商品展開のために、
過去6年間イメージキャラクターを用いなかった中華電信は、
ビッグデータを使用して25歳から歳までの、生活の質への要求が高く、
冒険心もあるターゲット層が共感するイメージキャラクターを導き出した。

「我々はHTCコーポレーションがロバート・ダウニーJr.を起用したのを参考に、
外国人のスターも検討していました。
要は話題性があり、中華電信の保守的なイメージを
一気に打ち破る人間でなければならなかった」と、
中華電信モバイル支社社長の林国豊は語る。

宜蘭でのCM撮影中に、中華電信董事長の蔡力行はわざわざ陣中見舞いに訪れたが、
35度の猛暑の中、ぴしっとスーツを着込んだ金城武が
静かに落ち着いて撮影をしているのを目にして、深い印象を持った。
蔡力行は初めて金城武を見たとき、思わずこうつぶやいた。
「なんてかっこいいんだ。なんて細い腰だ、私の20歳の頃と同じくらいだ」

実は、中華電信も、マグカップのような関連商品を作らせてほしいと
提案しているのだ。
が、最終的には、やはり金城武のブランドイメージを守ることに協力し、
日常生活に使う品に金城武を使うことはなかった。
シンプルで、節度を守ることで、
かえって、手が届かないという渇望の対象となる。
金城武効果は複雑だろうか? 実は非常に簡単なのである。
(完)


「太平輪」のシーンを組み込んだエバー航空のCMって、ありましたねえ。
ポスターもポストカードも制作されたけど、手に入りにくい限定品でした。
どうも記録していないみたいなので、いつ、どこでがわからなくなっていますが、
旅行博のような会場で、エバーのブースで先着順で配っていたことがありました
(行きました)。
色々なことを思い出します。

しかし、こうしてみると、金城武の「神秘性」は、
本人の性格とか超美男であることとか、露出のなさとか、
といったことから来ている部分もあるでしょうが、
やはり、(初めからではないでしょうが)戦略の一環としての結果でもあるわけですね。
強められた、という感じかもしれませんが。

HTCは、台湾を拠点とするスマートフォン・携帯端末のメーカーです。

この項はこれで終わり、
次は文中に出てきたCMの彭文淳監督へのインタビューになります。


   BBS   ネタバレDiary 21:00


2020年05月13日(水) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・5

[ピータ・チャンいわく]
彼の自信の無さが、男にも愛される


が、金城武をアジア一線のスターに押し上げたのは、ピータ・チャンであろう。
「如果・愛(ウィンターソング)」でも「投名状(ウォーロード)」「武侠(捜査官X)」でも、
彼が共演したのはジャッキー・チュン、ジョウ・シュン、ジェット・リー、
アンディ・ラウなど、一流の俳優たちだった。

後にピーター・チャンは、ジョン・ウー監督の「レッドクリフ」のオファーを受け、
トニー・レオンと共演するよう、彼を励ました。
公開されたばかりの「太平輪(ザ・クロッシング)」で共演したのは、
チャン・ツーイー、ホアン・シャオミンの他、韓国のソン・ヘギョ、
日本の長澤まさみ、黒木瞳らである。

チャン監督はかつて、このように語っている。
「金城武と会って話をするたび、彼はいつも自信がないと言うんだ。
本当の話だよ。
彼は非常に顔がいい。
顔のいい男は、人に内心(この野郎)と思われることが多々あるが、
金城武の場合、そういう嫌な感じを与えたり、嫌われたりすることがない。
その原因こそが、彼の自信の無さなんだよ。
それが男にも好かれる理由であり、ぼくが最初に彼に惹かれたところでもある」

スターは映画産業の最もキーとなる要素である。
監督の蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)は、以前、
1980年代に台湾映画が衰退したのは、ホウ・シャオシエンからではなく、
ブリジット・リンの引退から始まった、と論じたことがある。

「今の男性スターでは、台湾が質の面でリードしているだろう?
金城武以後、超又廷(マーク・チャオ)、周渝民(ヴィック・チョウ)、彭于晏(エディ・ポン)
張孝全(ジョセフ・チャン)、阮経天(イーサン。ルアン)など、
若手スターは台湾の天下で、彼らは将来大物になるだろう」
朱延平は楽観的だ。

プロデューサーの焦雄屏(しょうゆうへい)は、台湾の男性スターには国際的な要素があり、
中国市場で大きな競争力を持っていると言う。
「エディ・ポンやマーク・チャオのような人たちは外国育ちで、
英語を流暢に話す。
中国にはまだこのような男性スターはいない」
台湾男性スターの国際的優勢の中で最たるものが金城武である。

中国影視のCEOで華誼兄弟総裁の王中磊(おうちゅうらい)は、
台湾はスター製造機であると考えており、
中国市場と台湾スターのドッキングを期待している。
スターを作るのは容易ではない
顔のいい人間はあまたいるが、金城武は1人だけだ。

「フーロンがタレントを養成するやり方は、ちょっと変わっていて、
急いで売ろうとはしない。
芸能界では速く有名になることもあるが、その後の誘惑が大きく、
若い子はすぐ抵抗できなくなってしまう」
ある映画プロデューサーは、特に今は中国市場が大きく、
名を知られたスターは簡単に稼げると見る。

芸能事務所がいかに厳しくチェックし、
目の前の成功に走ってセンセーショナルに煽ったりせず、
誘惑に耐えられるかは、タレントにとっても事務所にとっても試練なのである。

かつて金城武と16本のCMを制作した彭文淳監督は、
フーロンは、「わずかなこともゆるがせにせず、重箱の隅をつつくようだ」と指摘する。
しかし、だからこそ並ぶ者のないほどプロフェッショナルで、
作品の質をこの上なく重視する。
実際、フーロンは長いこと彭文淳に仕事を依頼し続けている。
それは彼が、脚本のストーリー性と、
画面の美しさを重要と考える監督であるからだ。

スターの商業価値は、映画の興行成績の他、ブランド広告出演に表れる。
企業とスターの魅力の相乗効果をいかに上げるかという点で、
エバー航空と中華電信は過去2年間のCMによる売り上げ競争で大勝した。
エバー航空がスター・アライアンス加盟を宣伝するために、
1億元余りを投じて世界レベルのCMを制作することを決定したとき、
董事長の張国煒(ちょうこくい)は、「世界の旅人」というエバー航空のイメージに一致するよう、
中国語・英語・日本語の堪能な金城武をイメージキャラクターとして、
自ら選んだのだった。

CM「I See You」の制作には1年を費やした。
実際の撮影は37日間に及び、
金城武が「この日数があれば、1本映画を撮れるよね」と笑ったほどである。
企画統合の責任者であったエバー航空広報室長の聶国維(しょうこくい)は、
このような巨額の予算をかけながら、張国煒はほとんど口を出さなかった、
だが、「必ずや世界の一流に引けを取らないものにするように」というのが
その要求だったと語っている。
(続く)


   BBS   ネタバレDiary 23:30


2020年05月12日(火) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・4

[チュー・イエンピンいわく]
大人の男が流行りの時代には、彼は有利だ


CDを出した金城武は、呉奇隆(ウー・チーロン)、蘇有朋(スー・ヨウポン)
林志穎(ジミー・リン)と並んで、四小天王と称されるようになる。
「四小天王の内で、人気が一番なかったのが金城武だった」と、
監督の朱延平(チュー・イエンピン)は当時を振り返る。

金城武は一番年下だったが、顔つきは一番大人びていた。
ジミー・リンは年は上だがベビー・フェイス、
一番年上の呉奇隆も、とんぼ返りが得意で年若に見えた。
「少年が受ける時代には金城武は損をするが、
大人の男がもてはやされる時代になると、有利になる」
真の大スターというのは、みな大人の男性だよと、朱延平は笑いながら言った。
「トニー・レオン、ショーン・コネリー、ロバート・デ・ニーロとかね」。

金城武は、若いとき、朱延平が6本の映画に出演させてくれたことを
有難く思っていて、今でも会うと、ステーキ屋に誘い、
昔話に花を咲かせる。

20年前、ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」に出演したことは、
彼の映画人生における重要な一歩となった。
「あのとき、お前大丈夫か、彼のあだ名は丸太ン棒だぞ、とよく言われたものだ。
奴は野心てものを持っていない、ぼうっとしてる、と言うんだ」

カーウァイはかつて、金城武とフェイ・ウォンは
どちらも新しいタイプの俳優だと言ったことがある。
俳優の訓練を受けていないが、優れたボディランゲージを持っている。
「本当は、彼は色んな演技ができるんだよ」
「恋する惑星」によって、金城武は映画の分野に集中したいと考えるようになった。
ウォン・カーウァイは彼に演技の面白さを教えただけでなく、
俳優としての彼に評価を与えたのだった。
(続く)


時間がとれず、今日はここまで。
文中、四小天王の内、金城武が最年少とありますが、これは誤りで、
武は1973年生まれ、ジミー・リンが1974年ですから彼が最年少です。



   BBS   ネタバレDiary  24:00


2020年05月11日(月) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・3

は神秘的であるかもしれない、だが、世間と遊離しているわけではない。
自分の行ったアイスバケツ・チャレンジを、彼はごく普通のことだと思っている。
したいと思ったことをしただけなのに、人々が何にそんなに驚嘆し、
シェアしまくるのかがわからない。

彼の反応は、今年の金馬奨で、最優秀主演男優賞、最優秀助演男優賞、最優秀新人監督賞の
3賞をさらった中国の俳優、陳建斌(ちんけんひん)を思い出させる。
陳建斌の外見は、老成感があり、マスコミはよく、彼と同い年で、
同じく雍正帝を演じた呉奇隆(ウー・チーロン)と比べたがるが、
彼は理解できない。
「アーティストであれば、独自の様子、考え方、気質があるべきだ。
自分自身であればあるほど、世界にとって大事な存在になるのだ」

金城武はこのような文学性あふれる話は絶対にしない。
自分を弁解しようという気持ちもなければ、
世間にどう見られているかはどうでもいいとも思っている。
人に定義されることも、他人が思っている金城武を演じることも好まない。
真に「自分自身でいる」のである。

25年前のデビュー以来、マネジャーを務めてきた姚宜君(ヤオ・イージュン)は、
次のように語る。
「彼はシンプルで、何事も自然に任せる人です。
有名になろうとか、金持ちになろうとか、考えたことがありません。
家庭や家族を重視する方で、人生で追及するのは、楽しさなのです」

2009年、映画「レッド・クリフ(赤壁)」の宣伝期間に、
金城武は日本のマスコミ取材で、次のように質問されたことがある。
「もし三国時代に生まれていたら、あなたはどの人物だったと思いますか」
誰もが趙雲や関羽、諸葛亮を思い浮かべていた時、彼はこう答えたのだ。
「きっと普通の農民だったでしょうね。
ぼくは戦いは下手だから武将にはなれないと思います」

外形が良いだけでなく、かようにシンプルであることに安んじている人間が、
どうしてめまぐるしくふるい分けの行われる芸能界で、
現在の地位に留まり続けることができるのであろうか。
なぜ、顔色一つ変えず落ち着いているのに、
怒涛の如く強力な影響力を持つのであろうか。

商業効果という点で、もし、台湾の2014年度・時の人投票があったとしたら、
選ばれるのは、いずれかの企業のCEOなどではなく、
映画スターの金城武であろう。
金城武はブランドの価値を伝えるのみで、商品の効能を説くことなしに、
高品質ブランドのユーザーに対し、余人には不可能な商業効果を起こすのだ。
国際クラスの航空会社のレベルの高さを語り、
中華電信の保守的イメージを打ち破る。
エバー航空から中華電信、シチズンに至るまで、
いずれも売り上げを伸ばすのに成功した。

彼は一体どのようにしてこのような境地にたどりついたのか。
それには、25年前、所属事務所であるフーロンの董事長、葛福鴻が
彼と契約をした当時から話を始めるべきかもしれない。
葛福鴻は台湾「バラエティの母」と呼ばれ、
「週末派」「連環泡」「超級星期天」など、広く親しまれた番組を制作した。
当時、台湾には芸能人のマネジメントという概念は、まだあまり無かったが、
彼女の炯眼は、テレビCMの中の「飛び出して来て、ぐるりと回って、
ボケッとする」1人の高校生を認めた。

葛福鴻は、当時台北アメリカンスクール在学中だった金城武をf自ら訪ね、
彼がバイクを買いたがっているのを知ると、アルバイトになると説得し、
芸能界へ足を踏み入れることを承知させた。
こうして18歳の金城武は、初めてのテレビドラマ「草地状元」に出演し、
CDを出し始める。
最初のCDは台湾語の歌であった。

「それは台湾語が彼の母語だったからなんです」とヤオ・イージュンは語る。
台湾と日本のハーフである金城武は、台湾語と日本語は中国語より上手だった。
2人が知り合ったばかりの時、彼は中国語が全然わからなかったのである。
「あの頃いつも変だなあと思っていたのですが、彼と話していると、
よく返事をしないことがあったんです。
若者特有の、粋がってわざとそうしているのかと思ったのですが」
後になって、全然意味が分かっていなかったからなのだと知った。

それは、なぜマスコミが昔から、
金城武のことを口数が少ないと思っていたかの理由でもある。
本当は、頭の中で一生懸命単語をかき集めていたのだ。
「読書が好きで、中国語を読むのも、頑張って習得しました。
彼がよく哲学書を読むのにちょっとびっくりして、
いつだったか、読んでわかるの、と聞いたことがあります。
すると彼は、どっちみち見てはいるから(中国語の読む=看は見る、という意味もある)
と答えたんですよ」
(続く)


まだまだ続きます。



   BBS   ネタバレDiary  22:00


2020年05月10日(日) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・2

特集本文に入ります。


金城武効果

重もの堡塁(ほうるい)、深く立ち込める霧――
金城武に対面する前のイメージはこれであった。
もう1つ付け加えるなら、全ての人々が公明正大に口にできる片思いの相手、
これである。

今の時代は、俳優と観客との関係の緊密さが売りになる。
数多くの映画に出演し、頻繁に露出し、記者会見を開き、
フェイスブックで直接ファンと交流する。
ところが、金城武は絶滅危惧種のスターである。
映画出演の間隔は開く一方、
参加するプロモーション活動の時間はどんどん短くなっている。
フェイスブックも微信も使わず、Whats App メッセンジャーを削除し、
パパラッチでさえ、写真1枚撮ることができない。

その一方で、彼は昨年エバー航空のためにイメージ広告「I See You」に出演、
今年は中華電信の「極速4G」のイメージキャラクターを務め、
どちらも非常に大きな効果を生み出した。
CMが放映されると、エバー航空の旅客輸送営業収入は9%上昇し、
旅客数の成長率は11%に達した。
中華電信の4G契約者数となると、わずか5カ月で100万を突破、
同業者間のトップに立ち、それも予定より1カ月早く目標を達したのだ。

台東の池上には、CMで有名になった、伯朗大道と「金城武の樹」がある。
今年7月、強い風雨を伴った台風が来襲した日、最も注目を集めたニュースは、
金城武の樹が倒れ、その後、植え直されたというものだった。
池上郷役場の統計によると、金城武の樹が誕生する前の年間の観光客数は
延べ約15万人だったが、誕生以降は60万人となった。
一年間で7億台湾ドルの観光収入を生み出したことになる。

ネットでは、「金城武の樹制作ツール」が考え出された。
人々が自分の写真をそこにアップすると、
あの有名な金城武の腰かけた姿そっくりの画面ができあがるのだ。
果ては、選挙期間中、ある候補者が「彰化の金城武」と自称し、
金城武をまねた選挙用動画を2本撮るということまであった。

しかし、金城武の価値を、真に台湾人の心中で一番の高みに押し上げたのは、
今年8月、彼が、ブームのようになっていたALS支援の
アイスバケツ運動に応じた事件であろう。

[その魅力]
誠実で自然、ブランドの高級感をさらに高める


月天(メイデイ:台湾の人気バンド)の瑪莎、エバー航空董事長の張国煒、
政治評論家の趙少康の3人が、同じ日に同時に金城武を指名したとき、
金城武から何か反応があるとは、世の人は誰も思っていなかった。

ところが何と24時間経たないうちに、動画がアップされたのである。
彼は普段着で庭に下りると、除湿器の貯水タンクを取り出し、
氷の塊を入れて、頭からかぶった。
初めから一言も発せず、また次の人物の指名もしなかったが、
ALS患者についての説明を字幕で流し、同じく文字で、
社会のためにできることを自発的にするよう、人々に呼びかけたのだった。

「どうしてアイスバケツ・チャレンジに応えたのですか?」
インタビューのとき、記者は我慢できず、尋ねた。
「助けを必要とする機関や団体には関心を持つべきだと思っています。
ぼくもずっと関心を寄せてきたし、できることをしようと思います。
アイスバケツ・チャレンジは、もし、初めの頃聞かれたら、
おそらくやりませんと答えていたでしょう。
なぜかというと、やれと言われてやるのは、チャリティじゃないと思うから。
流行になってしまってもいけない。
でも、この活動が、より多くの人にこの問題のことを知らせることになったのも事実です。
それで、手伝いたい気持ちになって参加したんです」

比較的真面目な話題になると、いつも知らず知らず眉間にしわを寄せる。
ALS患者だけでなく、台湾には関心を寄せなければならない人や団体が
まだまだあるのだと、彼は言った。
(続く)


池上の伯朗(ボーラン)大道は、「I See You」よりずっと以前に、
ブラウン(伯朗)珈琲の宣伝で使われて有名になっていました。
金城武の走ったのはここではなく、天堂路という道だそうです。



   BBS   ネタバレDiary  20:45


2020年05月09日(土) 「天下雑誌」2014年12月号「金城武効果」・1

「ELLE MEN 叡士」(2017年4月号)の記事よりも、さらに3年さかのぼってしまうのですが、
「ELLE MEN」の中で言及していた台湾の「天下雑誌」の特集記事をご紹介することにしました。
「太平輪(ザ・クロッシング)」第一部の公開の頃ですから、第二部があったとはいえ、
「恋するシェフ」の前作に当たるんですよね。一気に3年前になりますが。

この雑誌は誌名からもわかるように、芸能誌でもファッション誌でもなく、
政治・経済・社会を扱った雑誌なので、その切り口も今まで見てきた雑誌とは少し違うと思います。
特集は3つの記事から成っていますが、今日ご紹介するのは、
雑誌巻頭の「編集者の言葉」からのものです。
ですので、これも、ゆっくりゆっくり……。


              


金城武の商業効果

し、台湾の商業分野における、2014年の時の人投票を行なったとしたら、
選ばれるのは、どこかの企業のCEOなどではなく、金城武だろう。
本誌主筆、馬岳琳は、独占インタビューを行ない、
初めて金城武効果の解明に切り込んだ。
商業主義への反感、金持ち嫌い、社会の不平等感が広がる昨今だが、
金城武がイメージキャラクターを務めた商品は、逆に大きい伸びを示している。
商品の効能については一言も述べず、ただ感動的なストーリーを語ることで、
抵抗し難い商業的効果を引き起こす。
なぜだろうか?
スターの魅力、それはやはり第一の要因だ。

稀有であるから、心が動く

華電信董事長の蔡力行が宜蘭の金城武を訪ねたときも、
あるいは本誌取材チームが初めて彼に会ったときも、
思わず「なんというかっこよさだ」という言葉が口から洩れた。
これは生まれつきの彼の資本である。

だがハンサムなスターは数多い。
なぜエバー航空董事長の張国煒の選んだ第一候補が金城武だったのか? 
中華電信がビッグデータを分析の結果、
これしかないと言ったイメージキャラクターが金城武だったのか?

プロデューサーの焦雄屏は、台湾の男性スターの持つ国際的要素は、
中国市場で大きな競争力となっていると指摘する。
「例えば趙又廷や彭于晏は幼い頃海外で過ごしているので、
少し違った気質がある。
中国にはまだこういう男性スターはいない」
台湾の男性スターの国際的という優位性という点で、
金城武はもっとも際立った存在だ。

エバー航空は長年の努力の後、ようやくスター・アライアンス加盟に成功し、
国際レベルの航空会社となった。
金城武の、中、日、英、台湾語、広東語を流暢に操る世界の旅人のイメージは、
その企業経営の成果を、顧客に訴えかける感動的なストーリーへと
変換することに成功したのである。

過去6年間、イメージキャラクターを使用しなかった中華電信が目指したのは、
金城武の起用によって、従来の保守的なイメージを一新し、
激烈な4G商戦において、特異な価値を創造することだった。
金城武の後ろに控える芸能事務所、フーロン(福隆)と、制作チームが
功を急がず、誘惑に堪えたことが最大の成功要因であった。
フーロンがいかに企業と渉りあい、
いかに金城武のブランドの稀少価値を守り抜いたかは、本文をご一読あれ。
(続く)


   BBS   ネタバレDiary  22:00


2020年05月06日(水) 「ELLE MEN 叡士」2017年4月号・4(完)

人間は複雑だから素晴らしい、また残念でもある

細に見ると、金城武の顔には避けられぬ歳月の痕跡が認められる。
が、彼は少しも避けようと思っていない。
撮影の時も素顔のままで、現在の真実をさらしている。

2000年に日本のテレビ局が制作した「金城武 南極潜心」という
ドキュメンタリーの中でも、同じように真実な彼が見られる。
寒い、雪に覆われた南極で、彼は地面に腹ばいになり、
匍匐前進しながらアザラシを観察する、
雪を口に含み、アザラシの気持ちをわかろうとする。
澄んだ、氷のように冷たい南極の海に潜り、氷山に頭突きをして
氷のかけらを手に入れ、ウィスキーに入れる。

アザラシの死体を見た彼は長い沈黙の後、呟いた。
「自分の身近で生きているものが急に死んじゃったときは、
何かメッセージがあるなと思う。
死ぬんだよ、そのうち。
そのうちというか、いつでも死んじゃうよ、命は、って」

南極を去る前、彼は一羽のペンギンを見て感慨を洩らした。
「あのペンギン、ひとりぼっちだ。
ぼくと似てるね、ぼくもいつもひとりだから」

「あの頃は共感するものがあったんでしょうね」
17年後、南極行きは気持ちの楽な旅だったと金城武は振り返る。
「番組をやってるのときの気持ちじゃなく、あの年齢の一瞬の真実だった。
スクリーンの中の役とは違う」

大自然に対する興味、動物好きをこのドキュメンタリーで、
彼は余すところなく見せている。
だが、深い反省もあり、思いつくまま口に出すことに用心深くなる。
「ぼくは動物が好きだけど、肉も食べる、矛盾している」

2014年に台湾で取材を受けた「天下雑誌」で、
彼は自身の成長と歳月について、こう語っている。
「歳月を重ねるほど、たくさんのことに出合います。
ぼくの年齢になると、おじさんやおばさんといった人たちが
亡くなるということも出てくる。
人生の様々なことは、しっかりと経験していかなくちゃ。
それで初めて本当に感じ取ることができると思う」

人生の究極のテーマに話が及ぶと、彼は、ずっと考えてきたと言った。
「ただ、若いときほど積極的には考えませんね。
ぼくらは老子のような聖人、あるいは宗教の言っていることに触れるしかない。
でも、今でも答えは見つからない。
ぼくの人生経験では、まだ『人生とはこうだ』と言えないんでしょう。
今、人々の生活はとても忙しい。
考えなきゃならないことがいっぱいあって、みんな考える機会がない。
それでも、いつか、なぜもっと早く考えておかなかったんだろうと
思うときが来るんでしょうね」

彼は哲学書を読む。
「たくさんじゃないですよ、軽いものばかりです。マンガから入ったのかな」
彼は宗教に興味があるが、より惹かれるのは宗教の背景となっている学問だ。
「人間を見ると、複雑だなあと思うかもしれませんね。
でも人が素晴らしいのは複雑だから、選ぶから、考えるから、
過去と未来があるからなんだと思います。
そこが人の素晴らしいところだけど、同時に困ったところでもある」
こういう話をしているときの金城武は、軽く腕を組み、
ゆっくりと話し、温かい笑みを浮かべている。

北京の混沌とした冬の午後、撮影は3時間に及んだ。
合間の時間、彼は広々とした居間の中央をぶらぶらと歩いていたが、
不意にグランドピアノのところへ行くと、腰を下ろし、探るように鍵盤に触れた。
指は、初めは慎重に、だんだんと活発に動き出し、ピアノの音が居間中に響き渡る。
スタッフは相変わらず忙しく行ったり来たりし、あちこちで雑音がし始めた。
彼のピアノは、この忙しい風景の中にあって、落ち着いて、軽快で、
周りを邪魔しないものだった。

以前、ある番組で、彼はこう言ったことがある。
あまり外出はしない、でも変装もしないと。
「隠れているわけじゃなくて、ぼくがいることを気付かれたくないんです」
(完)





これでおしまいです。
少しお休みして、また他の記事を探してみます。


   BBS   ネタバレDiary   23:30


2020年05月05日(火) 「ELLE MEN 叡士」2017年4月号・3

彼は本当に覚えていないのだ

は金城武についてあれこれ取りざたするが、
一番多いのは、おそらくその謎めいたところについてだろう。
神秘的とラベルを貼られる者は、芸能界でいくらもいない。
もしも超然としつつ、それでもなおスターの輝きと人々の関心を維持し、
さらには姿を現すたび注目を集めようとするなら、それは一種の賭けだ。
これは図ってできることではないし、真似できるものでもない。

長いこと、金城武に関するニュースは極めて少なく、あっても映画関連のものだけだ。
初期に台湾のバラエティ番組に出演していた以外は、その種の番組には一切出ていない。
スターの動向やエピソードの逐一が、SNSを通じて天下に知れ渡る時代に、
彼は世界の外に独立する真空のような存在である。

知らない人と話すのは嫌いですか、と尋ねてみた。
彼は即座にはっきりと頭を振った。
「他の人はぼくを見て、知ってると思うけれど、ぼくの方は相手が全然誰だか知らない。
ぼくは多分常にスターでいることができないのだと思う」
そして、スターであることは疲れると言う。

「そのスターは、実はぼくではない。誰であるかはぼくも知らない。
“彼”は人々が作り出した人物なんです」
彼はいつもこう思っている、
自分がミステリアスなのではなく、人が好奇心がありすぎるだけなのだと。

以前、こんな記事があった。
金城武が日本進出を決めたとき、マネジャーが彼に言った。
「もし、今大通りの真ん中に屈託なく寝転がってみたいと思うなら、
時間を無駄にしないように。
すぐにそういう自由なチャンスはなくなるでしょうから」
この忠告を彼は覚えていなかったが、生活は確かに「一変しましたね」。

「覚えていません」「知りません」は、彼がインタビューを受けるとき良く口にする言葉だ。
「10年前にぼくが話したということを言われると、
いつも、それ、ぼくが言ったのか、と思うんですよ」
昔出演したバラエティ番組や、受けたインタビューを見ると、
こいつは誰、どうしてこんな話をしているんだ、
なんでこんな顔つきをしているのか、と不思議に感じる。
友人のスターたちとその感覚について話したとき、1人が言った。
「それは全然別の人間なんだよ」。

「本当にそうだと思いましたね、”彼”は自分では全然ないんだ。
昔はただ仕事として、知名度を上げるためにレコードの宣伝に行った。
あの頃はとにかくどんどん番組に出なくちゃという風潮だったので、
できるだけそれに沿って頑張った。取り上げてもらえますからね。
そういう環境の中ではみんながそうだったから、
そうじゃなくちゃだめだと思い込まされていた」

後になって、彼はずっと自分自身を分析し、周りの環境を理解しようとした。
「人がたくさん話をし、たくさん説明すれば、誤解する人は本当にいなくなるのだろうか? 
露出が多ければ、やっぱり誤解はある」
彼は少しずつわかってきた。
「それで、そういうことにあまり積極的でなくなりました」

取材当日の午後、彼は「喜歓你(恋するシェフの最強レシピ)」の記者発表会に出席した。
周冬雨とステージに上がり、大いに語り、リラックスしているように見えた。
映画会社のスタッフは「金城武もこんなにたくさん話すことができるのか」と驚いた。
彼はやや困惑した笑みを浮かべると、言った。
「マイクを持ってて、話をしないとまずいでしょ」
「もし訊いてくれたら、取材なしでもいいですか、と言いますよ。
ぼくは得意じゃないから」

「いわゆる有名になることは、全然楽しくないんです。
でも、それであるから、大勢の仕事相手と知り合うチャンスがもらえる。
ピーター・チャン監督とかね。映像制作はもともと好きなことですし」

蔡康永が10年前に出版した本、
『那些男孩教我的事(あの男の子たちが私に教えてくれたこと)』に登場する第97番の若者は、
ファンたちの一方的願望によって金城武だと推測されている。
「彼の美しさは、息が詰まるほどで、地球人の美しさではない」
本の中で、祭康永は「絶世の美貌」という言葉で、その神秘的な男性スターを形容する。
「一種自由な存在の仕方をしている。
自分の美しさに対しては全く無関心だ。
大木がおのれの陰を気にかけたりしないように」

金城武自身はこの推測を否定している。
ただ、この物語は金城武だと考えるとあまりにぴったりなので、
ファンを責めることはできない。
しかも、彼が容貌や年齢による変化に無頓着なことは
「97番の男の子」とよく似ているし、確かに彼も若い頃、監督志望だった。

「本当は、何にでも興味があるんです。
撮影だけでなく、ライティングや、美術、それに監督や脚本にも。
ただ。あの頃は若かったから、監督が一番力があるなと思って」
だが、この10数年、彼は俳優の本分をひたすら守り続けてきた。
「まず俳優としてちゃんとやる、それと同時に吸収できる新しい知識は吸収する。
将来そのことがどうなるかは、ぼくもわかりません」
(続く)





   BBS   ネタバレDiary 23:30


2020年05月04日(月) 「ELLE MEN 叡士」2017年4月号・2

昨日の続きです。


役の人物が生きることにこそ意味がある

2005年のピータ・チャンとの第1作「如果・愛(ウィンターソング)」からの12年間に、
金城武は10本しか映画に出ていない。
そのうちの7本が、ピータ・チャン、ジョン・ウー、ウォン・カーウァイという
3人の大監督の作品だ。

「よく聞かれるんです、どうしてこの人たちの映画にしか出ないのかと。
ぼくは縁だと考えてるんです、
彼らがくれた脚本がちょうどぼくの欲しいものだったんだと。
他の人からもオファーを頂きますけれど、ぴんと来ない、
あるいは自分にはできないと感じてしまうんですね」
意識的に出演本数を調整しているわけではないと言う。

情報が速いスピードで消費されていく時代にあっては、
作品の数や、話題や露出度、ゴシップに至るまで、
すべて芸能人が輝きを失わないようにするための手段となる。
金城武だけが、作品が少なく、表に出なくても、映画界での第一線の地位は不動のままだ。

12年間に中国映画の興行収入は20億元から450億元へと跳ね上がった。
こうしたことも彼には何の関係もないらしい。
長年日本の小都市に暮らし、昔ながらのおっとりした方法で脚本を選んでいる。
「チャン監督が脚本を送ってくれるたび、ぼくはお断りするんです。
ところが監督は諦めない。申し訳なくてそれ以上断れませんよ」

「如果・愛」の後、2人は"仲良し"になったという。
友情と習慣が彼がオファーをうけるか決める理由の一つだ。
「チャン監督はぼくを理解してくれているし、ぼくも監督のことはわかっている。
ある種の信頼があるんです」

今日の映画界が20年前とは雰囲気もスピードも変わってしまっていることを
彼はもちろん知っている。
芸能人は映画を掛け持ちしながら、バラエティーに出たり、モデルをしたり、
CMに出たりするのが普通になっている。
「多分ぼくはそんなに積極的じゃないんですね」
彼はちょっと笑った。
「掛け持ちは好きじゃない。映画に出るなら、その映画に集中し、
持っている時間は全てその作品に使いたい」

また、自分はチャンスに恵まれていると言う。
もっと多くの可能性を試してみたいという気持ちも自然にある。
しかし、ある映画に出演することが決まっても、
あちこちの現場でそれぞれ仕事をしている俳優やカメラマン、照明技師たちが
一堂に会するまで、便々と待たなくてはならないことが多い。
これで普通数カ月から半年かかってしまう。
「その間、他のことをしようにも間に合わないし。
出演本数が少ないのは、そのせいじゃないかな」

昨年ウォン・カーウァイがプロデュースした「摆渡人」は、
トニー・レオンと金城武がそろって再び姿を現すというので注目を集めた。
「ウォン監督から受けた影響は大きいですよ」
カーウァイのオファーを受けたときは、
長いこと監督とは仕事をしてなかったので、とても嬉しく、
カーウァイの世界に”遊びに“行こうと思ったのだと言う。

そもそも彼が初めて俳優の面白さを知ったのは「恋する惑星」撮影の時だった。
「あのときのチームはすごく刺激的だった」
毎日酔っぱらっていたカメラマンのクリストファー・ドイルを、彼は懐かしむ。
何をしたらいいかわからない俳優たちは心のままにアドリブをし、
不確かさを楽しんでいた。
「大勢で面白がって1つの物を作りだしたんです」

どの映画に出るときも、プレシャーはあると金城武は言う。
「自分に要求することはただ1つ、役を生きたものにすること、
それこそ、僕の唯一、かつ最も大事な仕事です」
彼はよく自分を「演技はできない」と言っている。
演劇学校卒でなく、演技を学んだことがない。
泣けと言われれば泣き、すぐまた元に戻れる俳優たちを羨ましがる。

「太平輪(クロッシング)」に出演したときは、
澤坤(ザークン)役の境遇が、日中混血である自分と似ていたので、
どう感情をコントロールし、泣き過ぎないようにするかがプレッシャーとなった。
「人の感情は喜怒哀楽、この4つしかないけれど、違う表情が出せるか?
ぼくは、その人物を演じて生きた人間にできたら、
自分の表情はすなわちその人物の表情となって、
金城武が泣いたり笑ったりするのではない、と思うようになりました」

「傷城(傷だらけの男たち)」のトニー・レオンとの初めてのシーンで、
彼はプレッシャーのあまり、トニーの目を見ることができず、
その演技をひそかに推察するばかりだったという。
その手堅く、しなやかで、難しいことも何でもないように見せる演技法から学び、
自分の演技に磨きをかけた。

ファンはいつだって映画の金城武から素顔の彼を探ろうとするものだ。
1990年代、彼はスクリーンの中の、清潔で濁りのない、気ままな青春的存在だった。
「恋する惑星」と「天使の涙」の、純粋で、くどくど話し続ける、繊細なモウだ。
「ラベンダー」の人間界に落ちてきた天使であり、
「アンナ・マデリーナ」の寂しい調律師であり、
「君のいた永遠」の一人屋上に横たわる浩君でもある。
これらの役と彼はどのくらい共通点があるのだろう。

彼はそれには直接答えず、
「普通、人がオファーをくれるときは、もうすでにある状態を設定されている。
役の人物はこう、と決まっていて、先方はそれが先に頭にあって、
それに合わせてやってほしいと思っている」と言った。
彼にはあまり大きく変えることはできないが、
「力を尽くして、できるだけ特別なものにします」
「役の人物が命を持って初めて、スクリーンに存在する意味があるんです」
(続く)





   BBS   ネタバレDiary   22:40


2020年05月03日(日) 「ELLE MEN 叡士」2017年4月号・1

長いこと、雑誌の記事の紹介をしませんでした。
ある時期からは、考え方とか大きな変化はなく、よほど手練れのインタビュアーでないと、面白い記事は作れず、
またそういうのはごく少数なので、ざっと眺めるにとどまっていました。
が、まったく何の音沙汰もない今日この頃、時間もあることですし、少し振り返って見てみようかと思い、
中では一番最近になる「恋するシェフの最強レシピ」時の記事を選びました。
ブランクがあったので根気が続かず、数回に分けてご紹介します。

中国の雑誌「ELLE MEN 叡士」2017年4月号です。
原文はここで読めます。



ぼくはミステリアスなんかじゃない、
みんなの好奇心が強いだけ


  
 

一日、びっしりだった仕事も終わりに近づいた。
金城武はホテルのスイートルームの中でも比較的静かで
プライベートな一室を選び、腰を下ろして我々のインタビューを受ける。
低い、ややハスキーな声だ。
「今日は疲れましたか」
「そうですね……」
「もう慣れました?」
「慣れませんね」
彼は無意識に軽く咳払いしたが、姿勢は崩さず、申し訳なさそうに笑う。
「記者会見やマスコミの取材や撮影は体力を消耗させる気がするんですよ。
なぜだかわからないけど」

金城武、43歳。
1990年に台湾の福隆(フーロン)と契約して以来、27年もこの業界にいることになる。
だが、今なお、実に率直に触れ回るのだ、今でもスターの暮らしには慣れないのだと。
この日、彼は朝から晩までホテルを離れることがなかった。
インタビュー、記者発表会、雑誌の撮影など全てがこのホテルで
次々に行なわれたからだ。

撮影助手が準備をしている合間、彼はホテル最上階の全面ガラスの窓の前に立ち、
白いレースのカーテンを持ち上げて、日本語で独り言ちる。
「あそこはスモッグだな」
窓の外は広々した薄暗い空である。
東直門の外の大通りの喧騒は厚いガラスに遮られ、
部屋の中はスピーカーからのEDMが微かに聞こえてくるだけだ。

彼は振り返ると、やはり日本語でカメラマンのクマダと、
天気の悪さをおしゃべりする。「夕日もはっきり見えやしない」
ガラス窓が彼と外界を遮断し、日本語は面識のない中国人スタッフと隔絶させる。
本誌の撮影のためにわざわざ日本からやってきたカメラマンのクマダは、
金城武と仕事をして5、6年になる。
2人は互いをよく知っていて呼吸が合う。撮影のときも言葉数は少ない。

金城武の顔にはちょっと気付きにくいが、一種の遊離した感じがある。
細身の青い色のスーツを着て籐の椅子にすわり、足を組むと、
淡いオレンジ色の夕日が逆光となり、
その彫刻のような輪郭をくっきり浮かび上がらせた。
バルコニーは春の冷え込みで誰もが首を縮めていたが、
彼だけは何でもないかのように寒さに耐えていた。

彼は、カメラに向かいどのように雰囲気を伝えればよいかを知っていた。
平然とリラックスしているように見えるが、
眼からは凝縮が、深みが、ときに温かさが正確に届いてくる。
「彼は撮影効果を出すのがうまいんですよ、瞬間的な集中力が凄い。
一瞬の情感の表現が特別うまいですね」

41歳のクマダは、日本のファッション界で大勢の女性スターを撮ってきた。
普段は女性しか撮らない彼だが、金城武とは何年も仕事をしている。
「彼はね、外見にこだわらなくて、どう撮れたかも見ないんですよ。
かえってマネジャーの方が写真の出来を気にするぐらいです」
クマダは金城武にはある種の神秘性があると言う。
「この感じは説明が難しい、不思議な人なんです」
撮影の合間に、年の近い2人は、任天堂の昔のゲームについて話したりもする。

ピーター・チャンのような古くからの友人でなければ、
寡黙な金城武を、食事中楽しく話に花を咲かせる人間に変えることはできない。
何度も映画に出演させられるのも、ピーター・チャンだけだ。
4月28日、「喜歓你(恋するシェフの最強レシピ)」が公開される。
ピーター・チャン、金城武、4作目の映画である。

映画の中の金城武は、華麗な独身貴族の特徴を全て備えている。
ハンサムで、辛辣で、警戒心が強く、尊大。
だが、美味しいものには目が無い。
彼の警戒心を解いたのは、周冬雨演ずる料理の天才、1990年代生まれの、
チビでやせっぽちで小汚くて賢くて自由奔放な娘。
いわゆるトレンディドラマがそうだが、
身分と性格が大きく違うとぶつかりあって火花を散らし、ドラマティックな効果がある。
予告編を見た映画ファンは小躍りして喜んだ。
「武のいい男ぶりが、ついに元に戻った」
プロデューサーの許月珍はこう言った。
「久しぶりで、私の心をときめかす、愛情深い、美しい金城武に会えました。
私の男神が帰って来たのよ」
(続く)


   BBS   ネタバレDiary 23:00


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