武ニュースDiary
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2011年08月30日(火)
ビオテルム・メイキング♪●ELLE MEN9月号
しあわせな気持になれるものが次々と。 元気を出して一日がんばろう。 ●ビオテルム・メイキング 日差しが明るいだけでなく、楽しさが伝わってきます♪金城武 Aquapower Ee ●ELLE MEN9月号 微博で読んでね、とあった9月号の表紙が出たと思ったら、 サイトでこんなに見られます。 気前がいいなあ。 これもいい感じの写真です。記事もありますね。金城武 有座大陸、貌似氷封 BBS ネタバレDiary 10:30
2011年08月26日(金)
上海のビオテルム・イベント●追記●更新
今日(25日)のビオテルム、チャリティイベント、ビオテルム公式微博で中継をしてくれたので、 仕事合間に、ちょこちょこ覗いて、リアルタイム感をちょっと味わえました。 最初の頃、写真を見たときは、なんとカジュアルな服装! と驚き、 ちょっとその髪型と服装、ダサ目ではないかな……などと思っていたのですが、 (いや、アルマーニでしょうけど) 素敵な写真があって、あ、こんな感じだったのかなとホッとしました。 これ、東方ICって、ロゴが入ってますよね、IMAGINE CHINA.。Dolphinさん のところで、ここが持っている写真のサイトを紹介してくださっていて、 行ってみたら、ま、どれも実によく撮れている。 この優しい感じもいい。 おまけに、CM撮影のときの写真らしきものもあったりして、それも新鮮だった。 しばし、心が浮き浮きしました。 例えばこれとかね。他にも。 プールのわきの写真は、あの、最新の写真と同じ時でしょ? 衣装が違う。ということは、まだこの後出る可能性ある? さて、微博に出た、マスコミや業界関係の人のコメントをいくつか拾って、 この日の雰囲気を想像することにします。 小龙是条虫 (フィガロ上海編集部) 金城さんはほんとに可愛い。 イメージキャラクターを7年やって、一番の収穫は、 スキンケア用品をただでたくさんもらったことだと言ったの。 道理で、あんなによくケアされているんですね。 本当に素敵で人柄のいい男性ですよ。 サインは、なんと名前だけで姓は書かないのね。きれいな武という字でした。张映莎莎莎 (成都商報ファッション事業部副編集長) イベントの席上、記者の質問に答えて。 「みなさんが言う商業公演とは、歌を歌ったりということですか?」 彼がその場で見せるたくらみの無さ、緊張、戸惑いが、 そのめったに商業的イベントに参加しないとの言葉を裏付けていた。 このような時代にあって、彼のように自己を律し、淡白な人間はとても少ない。 淡白であると同時に、かくもいきいきとした人生の細部が感じられる人は、 芸能界では哥哥(レスリー・チャン) の他には彼しか知らない。喻大宝 (揚子晩報編集者) 携帯があいにく壊れてしまったので、公式の写真をとりあえず張っておきます。 彼が登場した瞬間、数え切れないくらい人と会ってきた私とマスコミ人全員が討ち死にしてしまった―― 彼は写真撮影のためにポーズを変え、 微笑むと人を萌え死にさせるえくぼが現れ、 ビオテルムのキャラクターを務めて最大の収穫は、ただでスキンケア用品をを使えることと冗談を言い、 司会者が閉会を宣言すると、彼はわざわざみんなに向かって、 今日はあまり厳めしい顔つきじゃなかった? と聞くのだった。 中国人芸能界に、彼のように、金庸の小説の独狐求敗ほどに美しく、 なのにほとんど色めいた噂の無い人間が他にいるだろうか? 美しさはもちろん重要だが、誠実で穏やかな心こそが常に人の心を一番打つのだ。都市周报董董 下あごと首のラインがきれいで、笑うととても可愛い! ポスターのようにセクシーではないが、気質は同様に爽やかだ。Eikkij 05年に初めて金城武がビオテルム・オムのイメージキャラクターになったのを知った。 そのときからずっと、この目で彼を見たいと思ってきた。 この仕事をこんなに長いこと続けてきて、今日、やっと夢がかない、感動している。 今日は幸運な日としてずっと記憶に残るだろう! よかった、よかった。また1つ、心残りが減った!优酷时尚频道 金城武がビオテルム水動力10周年のチャリティイベントに登場した。 司会者もふくめ、マスコミ全員、はてはブランドの顧客まで、全員がファンとなって彼に眼を注いでいた。 本物のアイドルスターには、説明は不要だ。Amy Young (現代伝播集団上海社長) ブランドのイメージキャラクターとして金城武は確かに魅力に満ちている。 外見から声に至るまで、さらには質問への応答までもがその身分にふさわしい。 好きだ。ELLE小海 (ELLE美容部門責任者) 司会者も質問をする記者も、緊張してどもってしまった……金城武だから!しかし、なかにはこんなのも…… 毛迅 (「時尚健康」ファッション部門責任者) なんと、金城武の腹が出ている。Nicky-NOVO百貨 (Novo百貨市場支配人) 毛迅や莎莎たち、各ファッション誌の編集長たちが、金城武について、様々に写真とコメントを上げている。 誠実に総括すると、人はみな老いるものである、腹が出るものである。 一番輝いていた時の自分を大事にしよう!张映莎莎莎 会場では彼が既に若くないことに失望する記者もいた。 でも、私は彼のとらわれなさと自然さが嬉しかった。 こういう人こそめったにいない。もちろん、こういうのも多数。 张淼Rosemary (「WOMEN'S HEALTH 健康女性」ベテラン美用部門編集者) 金城武は4年前よりもっとかっこよかった。鑑定終わり!ELLE网站小f姐姐 (ELLE中国語サイト編集主管) SDカードが満杯になるまで金城武を撮りました。 彼は衰えてしまったなんて、誰が言ったの、完璧にものすごく素敵じゃないの。普拉斯 本物の金城武は、すごく皮膚に張りがある!興奮に包まれた現場だったことは確かのようです♪ なお、編集部が、「金城武の私生活については、今度出るELLE MEN9月号を読んでね」 と言っています。 ●追記 10:00 朝になったら、いい写真がまとめてニュースサイトにもアップされています。 (ちゃんと撮れば撮れるじゃないか)騰訊娯楽 粉糸網 イベントの本来の趣旨に全然触れていない……そのうち、いい記事があったら、そのときに…… 動画はDolphinさんとこで教えてもらいました。張っておきたい。 ちょっと痩せましたかね? 微博でも言われてたけど。 テレビニュースが流れて、「かっこいい!」と身入った人が複数と。 発言や報道の中身は後ほど。 VIDEO 動きが悪いのでYou Tubeに変更。 昨日、金城武が、某男性化粧品のイメージキャラクターとして上海に現れ、 このブランドが立ち上げる「水動力公益項目」の始動イベントのため, 舞台に立った。 ここ10年、金城武の映画出演は一貫して平均1年1本、 出演映画の記者会見や宣伝イベントの他は、 めったに公開イベントには出席することなく、神秘的な大スターの感がある。 まさにそれゆえ、彼がひとたび姿を現すや、 会場のゲストまでが、みな次々に手元のカメラや携帯を取り出し、 台上の彼に向かってひっきりなしにシャッターを押すのである。 ネットをはじめとする他のメディアの急速な発達によって、 スターたちも多くが「庶民化」してしまったが、 金城武は終始変わらずひっそりとし続けている。 だが、彼自身は、自分と関係のある仕事には必ず出席しており、 ただ、仕事量の面で、他のスターよりも多くないだけだと考えている。 優酷娯楽播報 (質問に答えた武の言葉) まず、自分が関心を持っていることから始めるのが確かだと思います。 これまで自分の関わった仕事の関係で、もしこういう活動をすることがあれば、 ぼくもずっと参加してきました。ただ、みなさんが思うほど多くないだけです。 この社会的な活動は、ぼくにとって仕事であり、できるだけ参加していきたいですが、 それ以外は、多分日常行なっていくことじゃないでしょうか。 例えば節電とか、できるだけポリ袋を使わないとか、 そういうこともとても大事だと思います。 小さなことが大切で、ゴミの分別をすれば物資はリサイクルできるし、 浪費を続けてはいけないと思います。 さらに。 14:15 激動網 新華網の写真 金城さんは今日日本に帰ってきたらしい。 菅さんは好きじゃないけど、浜岡原発を止めたこと、一国の首相として「脱原発」を言ったこと、 その一点で支持します。 BBS ネタバレDiary 2:15
2011年08月24日(水)
雑誌記事(周末画報②)
続き。 ピ ーター・チャンがロケ現場で、子役を替えなくてはならないと怒り狂ったとき、 声をかける勇気のある者はなかった。 最高の武術者であるドニー・イェンでさえ、遥か遠くに〝身を隠して〟しまったが、 ひとり金城武だけが、まじめな顔で監督の前に歩み寄って、こう言った。 「監督、思うんですが、もし、本当にふさわしい子役が見つからなかったら、 子役に青い頭巾を被せて、 後でCGでそこにはめこめませんか」 その瞬間、絶対ピーター・チャンはその場で固まってしまったに違いない。 また別の日にはこんなことがあった。 金城武がつり橋を疾走するシーンの撮影のときである。 その橋は長いこと使われておらず、板はかなり腐っていて、 大道具係が修繕したとはいえ、渡る勇気のある者は少なかった。 チャン監督が「ここは走った方がいいな」とつぶやいた。 安全対策ゼロの状況で、金城武は5回もこの橋を走って渡り、 5度目にはうっかり転んで、かなりの距離を滑ってしまった。 撮影が終わったとき、ピーター・チャンが「まったく、よく走れたなあ」 と金城武に言ったので、 金城武はびっくりして問い返した。「あなたが走れと言ったんじゃないの?」 これが、金城武である。 絵に描いたような容姿の持ち主なので、 人は往々にしてそれが完璧かどうかの方に注意が行ってしまい、 その外見の後ろに隠されたものを追求する必要を感じない。 だが、いつも無視されているのは、どんなに美しい子どもであろうと、 やはり他の子どもたちと同じように、人生の問題にぶつかって答案を書いていくのであり、 美しいからといって、普通の人が書かねばならない基本的な答案を、 別のものに変えることを選べるわけではない、という事実である。 撮影班付きの調理師は、ピーター・チャンの3本の映画撮影に同行したが、 「『如果・愛』の撮影のときは、みんな彼とは初めてて、彼のアシスタントも新人だったから、 私たちはそのアシスタントを〝騙して〟、彼に料理をつけてやらず、弁当だけ渡したんです。 彼は何も言わずに、渡されたものを食べてました。 あるとき、彼が車から降りてきて見つけて、 『ええ? こんなにおいしそうな魚香肉糸(四川料理です) を、 なんで食べに来なかったんだろう?』って。 みんなおなか抱えて笑っちゃった。 まじめな人を〝いじめ〟ちゃいけないから、それからはいつも魚香肉糸をあげましたよ」 調理師は、〝まじめな人〟が〝からかわれ〟たひとくさりをとうとうと語った。 「最初、彼にご飯を茶碗にすりきりいっぱいあげたんです。 食器が返ってきたら、空っぽになってました。 明日はもう少し増やしてあげなくちゃと思って、次の日、ご飯をひとすくい多く盛ったら、 やっぱり米一粒も残さないで戻ってきたの。 3日目、もうひとすくい増やしたのに、やっぱり空っぽ。 でも、彼のアシスタントがこらえきれずに言ったんですよ、 すみません、ご飯はほんとに、あんなに多くなくていいんです、 彼はすごく苦労して食べてるの」 これは多分天秤座だからで、冗談は苦手なのだ。 他人にからかわれても、いつもこのようにまじめに対してしまう。 5月、「武侠」は唯一ノミネートされた中国語映画として、 世界最高クラスのレッドカーペットを踏んだ。 ドニー・イェン、タン・ウェイ、金城武をネットユーザーたちは〝甄唯武〟トリオと呼んだ。 さらにピーター・チャンを加えると〝可甄唯武(実に威風堂々) 〟だ。 カンヌの海辺での記者会見、プレミア、パーティー、インタビュー―― 熱狂の3日間の予定が終わり、みんながやっとひと時の自由を得た。 サンドラ・ンがちょっと飲み会をしませんかと提案すると、人々は喜んで応じた ドニー・イェンは夫人の汪詩詩を伴い、〝ヒーロー〟の上着を脱いで 〝普通の人〟の服に着替え、ろうそくの光の下の晩餐を楽しみ、 タン・ウェイは断然〝おえらいさん〟のお気に入りで、 美術総監督のハイ・チョンマンから衣装指導の呉里璐までが まるで一家の末っ子の妹の面倒を見るように彼女を守って、肩かけをかけてやり 、 17年ぶりにカムバックしたジミー・ウォングの機嫌の良さはピーター・チャン以上で、 グラスを手にすると、乾杯を待たずに一気に飲み干してしまい、 「ピーター・チャン、今後誰の映画にも私は出ない。 出るのは君の映画だけだ、出演料はいらん!」 と言い終わらぬうちに、また一杯。 そして金城武は、ホテルの部屋に引っ込んでゲームをすることなく、 ちょうどよい感じで人の群れに融け込み、突出せず、距離も置かずにそこにいた。 この不思議な海辺には、フィルムの落とす光と影が敷き詰められ、 かなたでは時折花火が華やかに輝く。 彼は屋根のないバルコニーにものうげにもたれて、下を眺めている。 「ねえ、車、来た?」 (続く) 「ゴールデンボウル」、見よう。 マスター…… BBS ネタバレDiary 22:30
2011年08月22日(月)
雑誌記事(周末画報①)
もう1つご紹介しておきたいのは「周末画報」です。 雑誌も記事も、内容はそんなに変わらず、重複しているところも多いけれど、 ところどころ、他にはないことが入っていて、それが面白かったりするので、 外せないのです。 医学怪人金城武 SWORDSMEN私生活を芸能界から完全に切り離すという点で、金城武は、おそらく芸能界随一だろう。 撮影に入れば、己をライトのもとにさらし、ステージに上がれば、ブランド品のために魅力をふりまく。 それが終わると、彼は完全に自分の私生活に戻り、一般人のプライバシーのように守られている。 本誌は彼の属する「武侠」撮影班に深く入り込み、 読者のために俳優・金城武の真の一面をお目にかけよう。 徐 百九(「武侠」における金城武の役)は医学怪人であり、ならず者と言っても許されるくらいである。 なぜなら、彼のこだわりが、もう少しで人々の家庭を葬り去ってしまうところだったからだ。 「武侠」の撮影開始前、天秤座の「10万のなぜ」氏―― 金城武はこの作品に出演するか、ずっと迷っていた。 「如果・愛(ウィンター・ソング) 」、「投名状(ウォーロード) 」と、 ピーター・チャンとの2度の仕事を経ても、 金城武はやはり、あの、質問が一番多い人間であった。 ピーター・チャンはこう言っている。 「金城武は大人しく本分を守っている俳優じゃない。 こんなに何度も一緒に仕事をしていても、毎回会うたび、いつも聞いてくる―― どうしてこの映画を撮りたいんですか? どうしてこの映画にぼくが必要なの? どうして他の人が演っちゃいけないの? とかいろいろね」 「直感が、彼だ、と言うんだよ。だけど、ぼくもなぜ彼なのか説明できないんだ」 ピーター・チャンは、金城武の様々な、尽きることない「なぜ」に直面すると、 正確な答えは返してやれない。 とうとうどうしようもなくなって、無駄口をたたくのはやめ、 彼を飛行機に押し込んでから、また話すことにするのである。 撮影班が南騰衝に入ってクランクインしたその週、金城武はずっと疑問を抱き続けていた。 脚本を疑い、役を疑い、ピーター・チャンを疑い、さらには自分自身を疑っていた。 ある日のこと、彼は思いもよらぬことに、ピーター・チャンにこう尋ねてきた。 「四川方言を試してみませんか?」 この、全くチャウ・シンチーばりの非論理的な提案が、 不思議なことに生き生きしたドラマ性を引き出すことになった。 「心を決めると、すぐに四川方言で話し始めました。 正しい発音じゃなかったけれど。 現場にいた四川の人に頼んで、一言言ってもらい、ぼくがそれを繰り返すというように、 わけもわからずついて話すというのを2日間やりました。 3日目に、成都から特別に旅行ガイドの人を先生役に呼んでくれたんです。 そうしたら、なんと現場のスタッフの四川語とガイドさんの四川語の発音が違っていたんですよ。 それでぼくは混乱してしまって。一体どちらが正しいの? ってね」 彼はこうまとめた。 「ぼくの四川語は、ミックス版ですよ」 彼は努力した。 2日前に台本をもらい、先生にMP3に台詞を吹き込んでもらって、繰り返し聴き、 すらすらと暗唱できるようにした。 発音のことで、撮影チーム全体の仕事を遅らせたくなかったからだ。 ピーター・チャンは言う。 「彼の〝なぜ〟にはもう慣れた。 すべて、ぼくがそれまで考えたことのなかったことばかりなんだ。 しかし、ぼくはそういう難問をぶつけられるのが好きだ。 脚本家とぼくに刺激を与え、映画にもっとふくらみを持たせてくれるからね」 彼のようにうるさいと、俳優としては2度と使ってもらえないことがほとんどだ。 金城武を除いては。 ピーター・チャンは内地に進出してきてからの6年間に3本映画を撮っているが、 「金城武」の3文字だけが、ラストのスタッフロールから未だに消えていない。 外部の者にはこれは全くわけがわからないし、説明もできない、 監督と俳優との間の安全感なのである。 俳優の監督への信頼は理解しやすい。 自分の一番いい角度を知っていてくれる、自分の不完全な性格をわかっていてくれる。 ならば、監督の俳優への依存とは? (続く) (周末画報 2011年7月2日号) BBS ネタバレDiary 22:50
2011年08月19日(金)
ビオテルム新しい写真シリーズ
イベントも近づいて、次々出てくるらしい。 2枚目はすごくきれいだ。それに大きい! → ここ 1つ1つとにかく保存した方がいいみたい。 BBS ネタバレDiary 0:40
2011年08月15日(月)
雑誌記事(智族GQ7月号③)
これで終わり。 金 城武は中国語の読み書きを正式に学んだことがない。 自分で本を読み、少しずつじっくりと取り組んできたのだ。 今でも中国語の脚本を読むのは一苦労である。 彼は自分がどのくらい努力したかはめったに口にしない。 ハーフであり、いろいろな場所で暮らしてきたことから、人は往々にして、 彼がどんな言語を喋れても当然と錯覚してしまいがちだ。 実際は、だいぶ前、仕事で香港に行ったときは、広東語は一言もしゃべれなかった。 数ヵ月後、一緒に行ったスタッフはいまだに「聞いてわかるが話せない」状態だったが、 彼はもう広東語の台詞を話せるようになっていた。 今回、雲南で「武侠」を撮影したが、李小冉が思わず口にしなかったら、 一行が毒虫にやられたことなど、誰も知らないままだったろう。 四川方言で台詞を言うのは、言ってみれば遊びのようだが、 彼は何倍もの時間をかけて、発音がそれぞれ違うのを整理し、 1字1字暗記をしなければならなかった。 彼はいつも自分はみんなより良くしてもらっていると思っている。 ――宿泊条件まで他の人よりよいのに、 どうして、大変だなどと、平気で口に出せるだろう? 彼は自分の私生活を明らかにするのを好まない。 何年も前から取材はめったに受けない。 それは自分が何か他の人と違っているとは思わないからだ。 もちろん、外に出るのもちょっと厄介だ。 アメリカのある雑誌が以前、東京の街中で彼の写真を撮ろうとしたことがある。 2分も経たないうちに、怖ろしいほどの人だかりができてしまった。 彼はスポーツが好きで、少年時代は学校のあらゆる球技チームのメンバーだった。 面倒を避けるため、今はたまにダイビングをするぐらいである。 ときに、こっそりと渋谷にラーメンを食べに行ったり、 誰も彼のことを知らないところに旅行に行ったり、 のんびりと映画館で映画を見ることもある。 ほとんどは、家にいて、夜中に、ためこんだDVDをひっぱり出すのだ。 ――あれ、「風と共に去りぬ」はこんなに長かったのか、下巻もあるじゃないか。 友達の多くとは、中学時代から今も付き合いが続いている。 ニューヨークに行ったとき、17年前に別れたきりの同級生、正熙と再会した。 顔を合わせるや、しっかりと正熙を抱き締めたが、 その親しさに正熙は意外さと、温かさを感じた。 金城武は後で1冊のセルフ・ヘルプ関係の本を送ってきた。 彼は哲学と形而上学の本にとても興味を持っているのだと、正熙は言う。 空っぽの華やかな世界より、金城武は自分の内面の探求の方に熱心だ。 だから、彼は外の世界に対する欲求は低いが、 人と人の間の情は格別に大事にするのである。 彼も恐れや不安や矛盾を感じる。 いろんな事情がありすぎるから、訳は話さないが。 この世は人を落ち込ませることが多く、天災あり人災あり、絶えず移ろってやまない。 3月、金城武は仕事で上海にいた。 日本で地震があったと聞いたが、それほど重くは受け止めなかった。 地震が頻発する国では、すぐニュースにはならないのだ。 ホテルに戻ってテレビをつけ、呆然とした。 彼は、自分に超能力があって、自分が演じてきたヒーローたちのように、 民を助け、希望を与えられたらと思うことがある。 だが、またこうも思う。 地球は回転している。地球は呼吸が必要で、自身の周波数がある。 地震や水害はひょっとしたら、 地球がくしゃみをするのを抑えた結果にすぎないのではないか。 自然を恨んで何の意味があるだろう? できるだけのことをして、天命に安んじる方がいいのではないだろうか? 今、この世界と命そのものについて、 昔より理解は進んだのかどうか、彼も知らない。 だが、全ては循環往復しており、たとえ無常であっても、絶えず進化し、 くじけずに進んでいかねばならないということは、彼はよく知っている。 (完) BBS ネタバレDiary 23:45
2011年08月14日(日)
雑誌記事(智族GQ7月号②)
続きです。 進化の必要性 金城武が大好きな映画は、決まって人物の性格がはっきりした作品である。 「登場人物がもしあまりよくなかったら、物語は平板になってしまう」 彼はコーエン兄弟の「ビッグ・リボウスキ」がお気に入りで、 「あの悪漢たちは本当に味がある」と思っている。 だから、脚本を選ぶときは、いつも、「やってみたことのない人物」というのも基準の1つで、 ピーター・チャンはそれを餌に誘いをかけ、彼が断われなくしてしまうのである。 実に長いこと、彼がやる役にはどれも理想化された色彩があった時期がある。 多くは、こうと思ったら思いつめる人間で、絶えず変わり続ける世界に対して自分の速度を変えず、 あたかも、時間のカプセルの中で生きているかのようだ。 「投名状」から、単純さの中に、意味の深い、無力さと残忍さが表現されるようになり始め、 「武侠」の徐百九になると、頑固で憎たらしくさえある。 「監督に、本当にこんなにいやな感じにするのかと聞いたら、 そう、そんなふうにいやな感じにしたいんだというのが返事でした」 他の多くの人と比べて、金城武の人生は決してそれほど起伏に富んでいるわけではない。 彼自身、多くの役をつかめないと認めている。 「もし、自分が全然できないことをやらなくてはならないとなったら、きっと苦労するでしょうね。 それはちょうど、ぼくが丸で、無理して四角になろうと頑張るようなものです。 でも、もし、ぼくの丸が他の人には違う種類の四角に見えるとしたら、 もともときっちり決まっているのと違うのだったら、すごく面白いと思う」 このぎこちないたとえを言い終えると、彼は自分から笑いだした。 金城武が大悪人を演じるのを想像するのは難しい。 彼にはある種の自然な善意と素朴さが濃くあり、目を奪うのである。 彼を21年間世話してきたマネジャーのエヴァは、金城武との出会いを1つの幸運と受け止めている。 彼は旧交を忘れず、善良で礼儀正しい。 彼からの電話に出てまず耳にするのは、たいてい、「すみません」の一言である。 少しでも邪魔をするのを、いつも気にしているのだ。 また、友達の誕生日はいつも覚えていて、必ず何かをしてあげなければと思っている。 周りで誰かが病気になると、急いで医者を推薦し、 力を十分貸してやれないのではないかと心配する。 このかん、引き抜きの声がかかると、彼はエヴァに直接どうしようかと尋ねてくるのだった―― 縁があってめぐりあい、関係もよいなら、変わらないことも1つの幸福である。 2人はそのように共に何年かを過ごし、共に不惑に近づいて、 金城武はエヴァに、年齢を平然と受け入れるようアドバイスし始めた。 彼自身については、それはもともと問題でなかったようだ。 エヴァは、初めて金城武にあったときのことを今でも覚えている。 口数少なく、しかしその持つ雰囲気には他に抜きん出るものがあった。 そのとき、彼女は思った。 この少年は、きっとどんどん魅力を発揮してくるのではないか。 金城武は彼女を失望させなかった。 俳優になってから、金城武は少しずつ歌手であることを少なくしていった。 デビューしてすぐ「年度十大アイドル」に選ばれ、 90年代初めには台湾「四小天王」にも列せられた。 歌手の仕事は多少無理をしてしていたところがあったけれども、 それでもアルバムの売り上げは一気に10数万枚の記録を達成している。 彼はこのような結果には全く無関心で、自分はただ仕事をしているだけなのに、 どうしてこんなに多くの「してはいけない」があるのか、長い間わからないでいた。 この「芸能界」というところは、一体なんなのだろうと。 今でも、知らない人と会うのが苦手である。 だが、1人の俳優として、別の人間の人格を借り、 大スクリーンで世の中の全てを体験するのである。 (続く) BBS ネタバレDiary 22:45
2011年08月13日(土)
雑誌記事(智族GQ7月号①)
やっと「GQ」まで来た…… 出たときは、さらっと読み流したけど、今読みなおすとなかなかいい記事でした。 金城武 気ままに遊ぶ 私たちが金城武の近況を知るのは、ほとんど、彼が新しい映画に出たときだけだ。 彼は、自分自身を、今度はいかに打破するのか、みなが知りたがる。 昨 年のほとんどの時間をかけて、金城武は少しずつ、1人の探偵、 四川方言を話し、旧式の丸眼鏡をかけ、丈の長い中国服を着て礼帽をかぶり、 無精ひげをはやした、風変わりで薄汚れ、偏執的なまでに断固とした1人の男になっていった。 これは「武侠」における、彼の新しい実験だった――他の男優に比べ、 金城武には度外れた努力が要求される。 観客に、その群を抜く外見を思わず忘れさせ、 役に忠実に、しかしわざとらしくなく演じることの間のバランスは、決して容易ではない。 長いこと、彼は自信を持てないできた―― 幸運。彼は自分への注目を、そのおかげと考える。 一貫して謙虚な態度で、腰が低い。 1年に1本、作品に打ち込み、大スクリーンで自分の変化を検証し、少し安心する。 今回、彼は徐百九を演じたが、全く違った別人になりきれず、 絶えずしかめる眉頭には、相変わらず様々なクエスチョンマークがおどっていた。 こうなんだろうか? これでいいんだろうか? なぜ? ただし、これまでの若きウェルテル風の不安は、既に、成算ある自信へと変わっていたのである。 同じ男優を、ピーター・チャンは2回を超えて起用したことはない。 金城武はその前例を破らせた。 「武侠」は2人の3作目の仕事であり、金城武に2度目のカンヌ行きをもたらした。 ピーター・チャンは「武侠」によって、〝武侠〟の新しい定義付けを試みた。 これは確かにかなり大胆であった。 プレミア上映が終わったとき、スタッフロールの字幕がまだ終わらぬうちから、 満場はすでに起立して拍手を送っていた。 金城武は人々の中にあって、歓びを抑えられぬ表情で、思わず、その場でぐるりと一回りしたほどだ。 成功だ、と彼は知った。 コンペティション作品でないといえども、「武侠」は疑いなく、 今年のカンヌ映画祭で最も注目を集めた中国語映画だった。 栄誉を共にしたという他に、彼はほっとしてもいた。 自分が面白い実験と考えていたことを、みんなもいいと思ってくれたんだ……。 プレミアの翌日、私たちはアンティーブで彼に会った。 時計の針はまだ9時を指していなかったが、 金城武はもうカメラマンの求めにこたえ、はだしで岩の上にのぼっていた。 眼を細めて、興味深そうに対岸の大小の白い家の屋根と遊覧船を眺めていた。 日の光が細かい金の粒のように海面を漂っている。 まるでカンヌが海を越えて遥かに送ってくる秋波のようだ。 昨夜、レッドカーペットでまばゆく光っていたフラッシュと、 いたるところであがっていた歓声は、既に朝もやと共に消えていた。 彼はこんなふうに身を局外に置いて、気ままにタバコに火をつけ、肩の力を抜き、 全身リラックスできることを楽しんでいた。 金城武にとって、守らねばならないどんな規則もなく、自分の望む自由気ままさだけがある。 金は必要なだけあればよく、自分をアピールする必要は少しもない。 「面白い」のでありさえすれば、彼の心は自由にはばたく。 天才ではないと思っており、芸術に全てを捧げる一徹な愚か者を気取ることもない ――トニー・レオンはかつて、焦りと恐れのあまり夜中に目覚め、 自分の昔のビデオを繰り返し7回も見直して、どこが問題か探したことがあるという。 金城武から見ると、こんな貴重な時間は、ゲームをするのにあてれば、もっと本物になるのである。 打ち込むが、執着はしない。 しばしの時間を心行くまで楽しむために、彼は最高の境地からは少し距離を保つことを好む。 様々な可能性を試して総括することで、心から満足する。俳優の単純 23:50 徐百九を演じるまでに、金城武の芸能生活は既に21年になる。 この間、何か変化は? 彼は眉をひそめ、「前より年をとった」と、声をあげて笑った。 実は、彼の成熟感は、蓄え始めたひげによるところが大きい―― ふと思いつき、面白がってやった結果なのである。 彼に備わる子どもっぽさは決して消えることなく、 自由奔放に近い彼の表現の仕方がそれを傍証する。 デビュー以来、ずっと傍らに付き添うマネジャー、エヴァは、 こんなに知った間柄でも、ときに、彼の話の飛躍のスピードと転換の多さについていけず、 ぽかんとしてしまい、やっと彼がまた彼独特の冗談を言っているのに気づくことがある、 とため息をつく。 人生の新しい段階ごとに異なる言語を話してきた彼は、 今でも、「どの言葉も話せるが、どの言葉も完璧ではない」状態にある。 色々混じった言葉の使い方と語彙は、逆に彼に一種独特の視点を与えることになった。 彼はよく、変わった比喩を口にする。 例えば、「武侠」で徐百九に四川方言をしゃべらせたことを説明して、 「そうすることで、やっと人物の色を見つけることができた」からだと言う。 初めは標準的普通話で台詞を言っていたのだが、どうしても役との間に壁を感じてならなかった。 「中国はこんなに大きいから、省ごとにその特色がある。 どうして標準のじゃなくちゃいけないのか?」 彼はその場で、周りのスタッフに方言を話してもらい、それについて覚えた。 「自分では四川方言だと思って、めちゃくちゃにしゃべってた」 だが、監督も彼も、これでよい、と感じた。 頭だけで考えてやるよりも、金城武は現場で創り上げていく方が好きだ。 「家で台詞を考えて覚えていっても、現場に行ったら、わあ、セットはこんなだったのか! 雰囲気が全然違う、ということになる」 ウォン・カーウァイが彼を「恋する惑星」に自ら指名して起用したとき、 彼はまだ1本しか映画を経験していなかった。 周りが驚き羨むなか、ウォン・カーウァイ……一体だれなの? と彼は困惑した。 まさにそのウォン・カーウァイの空間の中で、彼は、今、そのときを楽しむことを学んだのだ。 あるいは、まさにウォン・カーウァイの予測不能性が、 彼に俳優の受動性をも理解させたのかもしれない。 「作品は、往々にして1つのレベルしか描き出せない。 ときには、何度も試したのに、最後には全部カットされることもあるし、 また全然何にもしなかったのに、すごくいい感じに仕上がっていることもある。 芸術において、100パーセント自分の考え方を表現するのは、非常に難しいと思います」 彼はいつかは監督になりたいと思っていた。 あまり具体的な計画ではなく、理由は1つ。 ある年齢になったら、あることをしなくてはならない、ということだ 「赤壁」出演後、彼はこの夢をすっぱりと断ち切った。 「ジョン・ウー監督を見て、わあ、監督って本当に大変だ……どうやってやってるんだろうと」 チャン・イーモウが「LOVERS」に出演を依頼してきたとき、彼は身に余る光栄に驚き、 それどころか、人違いではないかとさえ考えた。 ピーター・チャンのオファーのときも、また同じような思いだった。 彼は自分が俳優養成所出身でないことを自覚し、絶えず生徒の心でいる。 一緒に仕事をする監督は、ますます大物になり、 映画のテーマもますます壮大で華々しくなってきた。 時代の大きな流れの勢いはさらに激しく、 彼も両腕を開いて、増す不確実性を抱きとめようとする。 「ピーター・チャンの恋愛映画が好きです、『如果・愛(ウィンター・ソング) 』みたいな。 でも、彼の選ぶ題材はどんどん大きいものになり、そして今の『武侠』になった。 映画監督なら誰でも一度は武侠映画を撮りたい。一緒に一度は撮らなくちゃならない。 それは挑戦です。結果が良くても悪くても、一種の突破なんです。 ピーターと一緒に仕事をして、一緒に模索して、 彼がどんなやり方で、破片を集めて1つにするのかを見ると、 学べることはたくさんあります。 でも、どのくらい吸収できるか、それは自分自身にかかっている。 これはとてもはっきりしたことですよ――俳優はスターとは違うものであり、 そうした付加的なものは、全然重要じゃない」 (続く) (李氷清・文 智族GQ2011年7月号 ) BBS ネタバレDiary 0:40
静かな日々がまた戻ってきたのか!? しこしこと、「武侠」関係の記事を続けます。 これは大陸での公開直後の映画評です。 「武 侠」というタイトルは誤解されやすい。 予告編と8分間のショートフィルムが公開されるまで、 我々はずっとこの映画を、時代劇の衣裳をはおっているが、 ちょうど幾本かの、新時代の武侠とは何かを教えようとした過去の作品と同様の、 平凡に堕したいわゆるアクション大作であると思いこんでいた。 武侠映画は中国独特のジャンルとして、歴史が長いだけでなく、 観客の心に既に認められている。 我々は、チャン・チェ、ブルース・リー、ツイ・ハークを懐かしみつつ、 ここ10年来、武侠映画がどんどん王道から外れてきていることにも やりきれなさを感じてきた。 「武侠」の公開日として7月4日、すなわちアメリカの独立記念日が〝選ばれた〟のは、 意図的ではないかもしれないが、そのめぐり合わせのもとで、 映画はすみからすみまで力強い姿で立ち現われたのである。 あるいはアン・リーの「グリーン・デスティニー」の後、 ウォン・カーウァイの「一代宗師」の前にあって、 これは中国語映画界の文芸的持ち味が最も濃い武侠映画ではなかろうか。 アクションシーンがなくても、もう1回見たいと思わせる武侠映画は、 指折り数えても確かに多くはない。 ピーター・チャンは、この最新力作は「ミクロ世界の武侠」を描くのだと高らかに宣言したが、 実際、賢い選択だった。 表現手段の1つとして、映画は最も有力であり、その一番の魅力は、 一般的に言うと、クローズアップとスローモーションの2点にある。 簡単に言うと、ミクロの目である。 伝統的な武侠映画の最もすぐれていて、魅了される部分は、実はアクションに外ならないが、 厳密に言うと、アクションと「映画」は無関係だ。 簡潔できびきびしたスピード感ある編集を取りはらったとしても、 武術の使い手の戦いのシーンは、やはり同じように血を沸き立たせるのであり、 モンタージュは、ただそれをもっと賑やかにしているに過ぎない。 ピーター・チャンはそこに不満を覚え、観客に賑やかさの奥へ通じる道を示したいと思った。 そのために、彼はハイテクの助けを借り、大量の特殊撮影を使って、 新境地を開く人体解剖実験を行なった。 もし、「グリーン・デスティニー」が、視覚的特殊効果の力を借りて、 人は「なぜ殺されるのか」という高邁な命題を明らかに説いたのだとすれば、 「武侠」の態度はずっと謙虚でつつましいものだ。 人が「いかに殺されるのか」を説明したい、というだけなのである。 武侠世界では「どのように」の問題は触れるに値しない、 重要なところを避けて二次的なものを取り上げる嫌いがある、と考える人もいるに違いない。 だが、それが映画の本分に最も近いものであることは、認めざるを得まい。 もし、フィルムができることを、紙と筆、油絵や楽譜が代わりにできるなら、 江湖の恩讐についてもっと語っても、話はずれていくのである。 ポスターに書かれた「甄唯武」という表現が腑に落ちず、 何を言っているかわからないという人もいる。 出番の多くないタン・ウェイはさておいて、 ドニー・イェンと金城武(特に金城武)の演技は鮮烈で心に残る。 ドニー・イェンのここ何年かの努力はほとんど誰もが知っている。 しかし、彼が演じた文武に通じた様々な人物は、ある固定感を脱却することなく、 「浅薄」の一言で了解できると言ってよい。 だが、「武侠」の劉金喜は、秘密の身の上を隠しているので、 スーパー・ドニーは、何よりもまず正邪あわせ持つ人間を演じ出さねばならない。 深く内に秘めていなければならないが、やりすぎてもだめだ。 観客はあらすじだけで、もう真相を推測しているのだから。 森の中の別れのシーンで、劉金喜は心の読めない行動で、 金城武演じる徐百九を悩ませ、観客も悩ませる。 ドニー・イェンはとうとう、無数の喧嘩早い役を演じた末に、 自分の説得力ある目が、新しい潜在能力を宿していることを知ったのだ。 金城武は、さらに特別な賞賛に値する。 この、この世の者とは思われない美しさのアイドル派スターは、長年の研鑽と、 「如果・愛」「投名状」でのピーター・チャンの指導を経て、 「武侠」で、華麗な変身を遂げた。 丸眼鏡、四川方言、頑固者、強迫症の彼は、少しも無理矢理感がなく、 徐百九という役を、彼自身としか思えないように造形した。 この生き生きとした学問ある知恵者のイメージと比較すると、 彼が「赤壁」で作り上げた諸葛孔明は、 まるで、これ以上ないほど絵空事の人間である。 ジェット・リーの先例から考えて、 金城武が「武侠」によって金像奨で認められることは期待できそうだ。 (劉強・文 新浪娯楽 2011.7.8 ) BBS ネタバレDiary 1:30
2011年08月09日(火)
アルマーニ秋冬新作の撮影●雑誌記事(外灘画報④)
微博にちらほら、写真が登場し始めていましたが、記事が出ましたね♪ 金城武とスー・チー、秋冬新作のイメージ・キャラクターに 金城武とスー・チーは国際ブランドエンポリオ・アルマーニのイメージキャラクターを続投、 2人はニューヨークで、2011年秋冬広告の写真撮影を行なった。 先日、金城武が「武侠」撮影中、共演のドニー・イェンに演技が拙いと言われたと伝えられたが、 今回のニューヨークでの撮影では、カメラマンは、 彼が全撮影でNGを出さず、一流の演技であると絶賛している。 デザイナー、ジョルジョ・アルマーニは、アイドルスター金城武と セクシーな女神、スー・チーを大変気に入り、 2人をエンポリオ・アルマーニのイメージキャラクターとして起用し続けている。 今年の秋冬の新広告は、既にニューヨーク・ロケが行なわれて、 今をときめくファッション・カメラマン、マリオ・ソレンティが撮影を手がけた。 この写真広告は9月から、香港、中国、台湾、シンガポール、マレーシアなどの ファッション誌やライフスタイル誌上、および巨大看板として登場する予定。 先に、金城武の「武侠」での演技が共演のドニー・イェンの要求に応えられず、 ドニーに演技力がないとそしられたとの報道があった。 しかし、今回のエンポリオ・アルマーニの新広告撮影では、すべてワンテイクOKで、 一緒の仕事が続いているカメラマン、マリオは、彼の演技は一流だと絶賛した。 かつて、脱毛の危機を指摘された金城武だが、 今回は新しい広告写真のスタイリングに合わせて、 口さがない世間のプレッシャーを恐れることなく、今までにないオールバックの姿を見せている。 スー・チーの造型は数多いが、その中の1つでは、 やはり金城武と同様のオールバックの髪型である。(TVBFS 2011.8.9 ) 文中のドニーについての記事も信憑性は「?」ですが……。 レネ・リウは結婚したのか。おめでと! ●雑誌記事(外灘画報④) 22:50これでおしまい。 ――芸 能界に、あなたはスターとして、アイドルとして入りましたが、 その後、どんどん芸能界の正常なレールからはみ出して、 露出はきわめて低いし、映画出演には慎重です。 スターとしての危機感はありませんか? 例えば、長いこと露出していないと、人に忘れられるとか? 武 それもいいんじゃないかな(笑) 。 そういうことは考えたことがないんです。いい演技がしたい、それだけです。 ぼくとしては、現場でアイディアを思いついて、 それを実際にやることができた瞬間が一番楽しいですね。 その他の、いわゆるスターらしさとかは、付加的なものだと思う。 だから、それは自分がもともと求めていたものじゃなくて、 くっついてくるものなんじゃないでしょうか。――アイドルスターから役者への変身に、あなたは今まさに取り組んでいるのでしょうか? 自分では、それはもう成し遂げられたと思いますか? 武 ぼくにとっては、何も変わっていないですね。 ぼくはあんまりいろいろと考えなくて、 現場で演技して、アイディアを思いつく感覚が好きなんです。 人が自分のことをなんと言おうが、それはその人の事情で、 たとえ自分はやりとげたぞ、と思っていても、人はそう思わないかもしれない。 だから、人はそのときどきで、違うレッテルを貼るけれど、 それもその人たちがそう言っている、そう考えている、 あるいは映画の一部分を見ておまえはこうだと言っているということで、 それなら反論する必要はないと思います。 地方や地区が違えば、どう見られるかはみな違ってくるんですから。ーーもし、あなたが自転車を買うために芸能界に入っていなかったら、 もし俳優にならなかったら、どんな仕事で食べていけると思いますか? 武 バイクを買いたかったんです……でも、そういうことは考えたことありません。――あなたのためにとても残念に思うのは、こんなに長いこと、 そして多くの作品に出演してきて、なのに、どんな賞も受賞したことがない。 それはあなたも残念だと思っていますか? それとも自分のやる気を証明しなくちゃと思いますか? 武 賞をもらうことは、もちろん1つの励みになりますが、 そのことのために作品に出ようとは思いません。 さっき言ったように、こんなに多くの優秀な人たち、監督や制作チームと 一緒に仕事ができて、こんな作品を作れて、もう十分うれしいですよ。――以前、監督になりたいという夢を抱いていたそうですね。 その夢はいつ頃からですか? その夢をかなえるために、行動を始めていますか? 武 (笑) 前は確かにそう思ってました。「赤壁」撮影中のことですが、 ジョン・ウー監督がとってもとっても苦労しているのを見たんですよ。 わー、監督になるのはほんとに大変だ! と思った。多分無理ですね。 今は、やっぱり一俳優でいるのがいいと思っています。 (完) BBS ネタバレDiary 17:30
2011年08月08日(月)
雑誌記事(外灘画報③)
ここから、武の言い分です♪ 「ぼくのことを扱いにくいというのは、ジョークだよ」 ――ピーター・チャン監督と「武侠」でまた組むことを決めた原動力になったのはなんですか? 金城武 もちろん、監督です。 最初に出演以来を受けたとき、脚本はまだ完成していなくて、 出演すべきかどうか、ぼくもよくわかりませんでした。 でも……ピーター・チャンがOKと言ったらOKなんですよ。――徐百九はとてもやっかいな人間で、真相を突き止めるためには手段を選ばず、 度を超すほどつきまといます。 撮影に入ったばかりのときは、なかなか入り込めなかったのではないですか? 武 最初に脚本を読んだときは、性格がまだそんなにはっきりしていなかったので、 この人物を一体どう演じるべきかがつかめないと、ずっと感じていました。 監督と話し合いをして、方言と、他の人物との関係を加えることで、 ようやく今の徐百九の様子が決まったんです。 実はシンプルな方向で、あまり複雑にする必要もない。 彼の仕事はすなわち法の執行なんです。 だから、その過程は他人には確かにやっかいに映るけれど、わざとらしくはない。――俳優はたいてい受動的なものですが、あなたはなぜそんなにたくさん質問をして 脚本や監督に挑戦しようとするのですか? それがあなたの仕事のやり方なんでしょうか? ピーター・チャン監督は、あなたの挑戦のせいで、精神的に何倍も大変だと言っていますよ。 武 基本的には、ぼくも受動的だと思っています。 監督に自分の方から「こんなふうに撮りましょうよ、あんなふうにやりましょうよ」とは言いません。 わざと他の考え方をしようとしているのでもなく、 ただ、脚本を読むと、自然に考えがわいてきて、監督に話して伝えて、 この人物や、あるいは物語全体の色を付け加えられるかどうか、 一緒に考えられたらいいなと思うだけなんです。――言葉を換えると、あなたは監督に「こいつはやりにくい」と思われやすいということですね。 そういうレッテルは、あなたをほめてるんでしょうか、 それとも後になってしまったなと思ってるんでしょうか? 武 別にどうでもかまいません(笑) 。 ぼくのことをやりにくいと言ってるのは、ただのジョークだと思っていますよ。 みんな、それでも楽しくやっていますから。 監督がぼくをやりにくいというけど、実はぼくも同じことを思ってる、 監督はとても扱いにくいもの。 でも、ぼくは監督をやる人をすごいと思っていますから。 表現したい自分の考えを必ず持っていて、しかもとても強烈です。 だから、彼らと何かをわかちあいたいとぼくが思ったって、 そんなに簡単には説得されてくれないですよね?(笑) ただ、説得できた時は、とてもうれしい。 ぼくはね、人がA+B=Cと言うと、すぐ、どうしてA+BはDじゃないの? と考えてしまうんです。――おもしろいことに、ピーター・チャン監督の3本の映画では、 全部あなたがナレーションをしていますね。 それはたまたまですか? 武 わかりません、それは彼に聞かないと。――「如果・愛」のとき、あなたは30歳でした。 そのとき、チャン監督に会って、何を2人で話しましたか? そのころから今まで、彼は何か変わったと思いますか? 武 そのとき、何を話したか?……よく覚えてないなあ。 覚えているのは、撮影が終わったとき、監督に 「もう恋愛映画は撮らないで」と言ったことぐらいかな。 今ならこう言いますね、「大作はやめて! 小品を撮ろうよ!」 こんな言い方は礼儀に外れるかもしれないと思いますけど―― 所詮ぼくは後輩ですから――でも、監督は本当にどんどん成功しています。 最初に一緒に仕事をさせてもらってから、 彼はどんどん自信を持ってゆったりしてきているし、 ますます自分が何をしたいかをはっきりとつかんできている、 そして勇敢に実行しているのを目の当たりにしてきました。 もちろん、能力もますます成熟し、ますます完璧に近づいています。 こう言うべきでしょうね、ピーター・チャン監督は どんどん大監督になってきたのがわかると。――ピーター・チャンは、こう言っていますよ。 「如果・愛」の撮影中、あなたがなかなか他人を信用しない人だとはっきりわかったと。 どうしてそうなんですか? 武 もちろん、そんなに簡単に他人を信じたりはしませんよ。 この業界では、多分大勢の人に会わなきゃいけないけど、知らない人ばかりです。 例えば取材とか、映画撮影とか。 撮影現場で会うのは、実はその多くが全然知らない人なんです。 こう言うべきですね、あまり知らないから、 そんなにさっさと相手を信じるなんて、ちょっと難しい。 他にも理由はもちろんありますよ。 ぼくが金城武だから、すごく近づきにくいと思われるんです。 おおいでよろっていると感じるんですね……この業界ではない人と比べると、 ぼくらは、初めは多分、お互いにある距離感を感じてると思う。 時間が経つと、みんなわかってくる。 本当は、ぼくは人を信じることができるし、やっぱりそうしてますよ。――「投名状」で、ジェット・リー、アンディ・ラウという2人の先輩と共演しましたが、 あなたの役は、オフ・スクリーンでの情況とよく似ていて、 2人の兄貴は様々な技巧を駆使して積極的に芝居を競り合っていました。 ところが、あなたは傍らにいて焦らず、目立とうとせず、 ピーター・チャン監督さえ、あなたのためにじりじりするほどだった。 あなたのそういう目立ちたがらない性格は、 競争の熾烈な芸能界にはあまり合わないように思えますが。自分ではどう思っていますか? 武 ぼくもそう思ってます。――30歳でピーター・チャンと初めて仕事をしてから今日まで、 どんどん複雑な役を演じきれるようになってきましたね。 この7年間の成長と変化について話して下さいませんか? 武 ほんとですか? えーと……毎年1歳年をとってる(笑) 。――あなたは監督コンプレックスなのですか? 出演作のほとんどで、一番優秀で、一番風格のある監督と仕事をしていますよね。 例えばピーター・チャンとか、チャン・イーモウ、ジョン・ウー、ウォン・カーウァイとか。 武 監督の人たちはみんなとても統制力がありますよね。 俳優として、あなたは僕が主導的だと言うかもしれないけど、 それは、ほんとに様々な脚本が手元に来るのを読むことができるから。 でも、あるレベルで言うと、ぼくもとても受動的ですよ。 だって、永久に脚本が来るのを待っていなくちゃならないんですから。 こんなに長いこと、こんなに大勢の風格ある監督と仕事ができてきたのは、 とても幸運だったとしか言いようがありません。 ぼくにとっては、監督こそ、全てを最終的にコントロールする人であり責任者です。 ちょうどジミー・ウォングさんが言っていたように(注) 、 もし、ぼくはこのエンジンに責任がある、ということなら、 俳優として、できるだけのことはする。 でも、その人がどんなスタイルを作り出せるか判断するのは、 やはり監督が決めることなんです。 監督があれがほしい、これがほしい、それを集めて、初めてその役が出来上がる。 監督は本当に大変な仕事で、ぼくはやっぱり俳優でいますよ。 (続く) {注)ジミー・ウォング「『武侠』を車にたとえるなら、 監督とドニー・イェンはまさにエンジンだ。 そして私はちっぽけなボルトだよ。小さい、しかし品質は最高で、 我々の映画が最良の走りができるよう保証するんだ」 (鳳凰網娯楽2011.5.15 ) BBS ネタバレDiary 23:55
2011年08月07日(日)
雑誌記事(外灘画報②)
続きです。 神秘のイメージを「打ち破る」 アンディ・ラウが記者に言った。 「ぼくは生まれつき田野を駆け回っている人間で、神秘にはなれない」 彼の言っている神秘とは、金城武のことを指している。 アンディ・ラウが代表するのは、芸能界の大多数のスターだ。 彼らは高い露出率を保たねばならない。 絶えず、映画に出演し、コンサートを開き、様々な商業イベントに出席し、 社会的活動を行い、 それによって、自分の人気の高さを確かなものとするのである。 外部から見ると、金城武はトニー・レオンとおなじく、 主流とは別のマイノリティ・グループに属している ――神秘的で控えめで、全くの異星人なのだ。 「打倒」金城武は、実は特に困難なミッションである。 彼は演技上なら、最も積極的な一歩も踏み出すことができるだろうが、 個人生活における性格面では、変化は非常に困難である。 なぜなら、常に意識的に大衆や芸能界から安全な距離をとっているからだ。 この10年、彼の映画出演は平均して年に1本で、 映画のプレミアのときを除けば、ほとんど外に出ず、公の場に顔を出そうとしない。 トニー・レオンは早くに影帝の地位を確立し、功成り名遂げているが、 金城武はいまだに何の受賞歴もないにもかかわらず、 やはり、映画界での地位を保ち続けることができる。 ピーター・チャンは、金城武は実はとてもかわいそうだと思っている。 というのは、この種の男性は人々とは疎遠であると感じているからだ。 「誰にでも好かれるが、誰も彼と友達になろうとはしない」 金城武には強い自己防衛意識があり、 自分の生活やプライベートは決して明らかにしようとしない。 彼が契約している台湾の福隆経紀公司は、10数年の間、マネジャーを替えず、 マネジャーも彼を保護すること、なかなかに厳しい。 金城武の取材はひどく面倒で、まず、いくつもの審査をくぐりぬけねばならず、 かつ、写真撮影禁止、サイン禁止と、ルールが非常に多いのである。 撮影現場では、監督など以外で、金城武に近づきたいスタッフの多くが、 恐れを感じていた。 彼が現場に加わるとき、アシスタントは、彼は絶対誰にもサインはしませんと言明した。 映画の撮影が終了したとき、彼は撮影チームから去る前に、 30分以上かけてサインをほしがる現場の者たちのノートや写真に 1つ1つ、全部サインをしていったのである。 メイキング撮影担当の小杜は、初めは遠くから金城武を撮るしかなかったと明かした。 3、4日経って、小杜が彼の周囲でしていた仕事を見て、明らかに信頼したらしく、 それからは小杜はやっと近くで彼を撮影することができるようになったという。 ホテルでは、ルームサービスとネットさえあれば、外出せず、 何日も部屋で過ごすことができた。 「ホテルの料理はそんなにおいしいのか?」と聞かれると、 「まずいけど、他の人に面倒をかけたくないから。 ぼくが外に出ると、スタッフを悩ましてしまうんだ。いろんなことが起こってしまった」 と答えるのだった。 金城武が東京暮らしを好むのは、出入りが便利だからである。 だが、両親は台湾に住んでいるので、いつも2つの場所を行き来している。 この世界に入って10数年、金城武は青春アイドルから今日の37歳の成熟した男になるまで、 「家族を守ること、自分のプライバシーをきちんと持つこと、これは決して変わりません」。 「彼に人を信用させるようにするのは、なまなかなことではない」 とピーター・チャンは打ち明ける。 初めて金城武と仕事をしたとき、彼は武が周りの人間を少しも信用せず、 他人の言うことを、いつもすぐそのまま受けとめないのに気がついた。 「仕事を一緒にするなかで、彼に言いました。 周りの人は君を騙すんじゃなくて、みんな善意で、 みんな仕事に必要だからコミュニケーションを撮ろうとしているんだよとね。 そこでようやく彼も少しずつ自分を開き始め、あまり恐れなくなってきたんです」 10月11日は金城武の誕生日だった。 スタッフたちは彼にスペシャル映像を制作して、お祝いにあげようと考え、 ジョウ・シュンにバースデイ・ソングを歌ってもらい、 賄いの女性他そこで働く人々に、彼への祝辞を語ってもらった。 ピーター・チャンは初め、心配した。 「そういうものはやらないほうがいいんじゃないか。 彼の性格からすると、きっと嫌いだと思うよ」 当日、ピーター・チャンはもともと脚本にはないシーンをわざわざ金城武にやらせて、 日が落ちるまで仕事をぐずぐず引き延ばしてから、 また彼を呼んで、モニターの前に座らせた。 実は、モニターに流れたのは、あのスペシャルビデオだったのだ。 金城武は驚き、嬉しそうな顔で、「みんなぼくに言ってるの?」と尋ねた。 後になって、やっとみんなは、彼がとっくにこのことに気づいていたのに何もしらないふりをして、 みんなの芝居が終わるまで合わせていたのだと知った。 ピーター・チャンはため息をついて言った。 「ぼくらは映画を作っているチームなのに、こんなにみんな演技が下手くそで、 簡単に見破られるなんて」 金城武をよく知る人は、彼は相手を信頼しさえすれば、警戒心を解き、 非常に穏やかで優しく、面白い人に変わるのだと知っている。 サンドラ・ンの明かしたところによると、現場での金城武は、 ジェット・リーやアンディ・ラウのような人受けがよく、 いつも人々に取り巻かれて談笑しているようなタイプとは違い、1人で座っている。 しかし、何か問題が起こると――例えばあるスタッフの動作がのろくて、 ピーター・チャンが腹を立て叱りつけたりすると、彼はすぐに立ちあがり、 「大丈夫ですよ、もう1回やりましょう」と、とりなし役になるのだというのである。 北京のプレミアのとき、主なスタッフ・出演者が台上に上がり、 映画のための除幕を行なった。 ほとんどの者がカメラに向かい、幕を取り除いたが、 ひとり、監督の傍に立っていた金城武は気を働かせ、 除幕後に床に落ちた布を拾い上げて後方の椅子に置きに行った。 「ぼくの印象では、彼は非常に聡明な人で、そしてとても教養があり、礼儀正しいですね」 と小杜は言った。恵まれたパン・アジアの身分を「打ち破る」 23:00 金城武は15歳で台湾の芸能界に入った。 この業界に必要な優れた外形を備えていたが、それ以外は優れたところはなかった。 かつては小虎隊のスー・ヨウポンらやジミー・リンと共に、 レオン・ライ、アーロン・クォック、ジャッキー・チュン、アンディ・ラウの 「四大天王」の後継者としての「四小天王」に列せられたこともある。 しかし、結局、彼は香港で映画に出演して映画界に入り、 日本でドラマに出演して人気を博し、 その後ピーター・チャン、チャン・イーモウ、ジョン・ウーに従って内地のマーケットを切り開いた。 金城武の成功は、芸能界の異例の現象となった。 他の者とは全く異なる道を歩んだのである。 台湾ではマスコミに「あっというまだった」と言われている。 台湾の雑誌「大声志」は2006年に金城武論を掲載し、こう結論した。 「演技が平板で、歌も普通の金城武が人気者になった最大の要因は、 その符号としての意味をもっているところにある」 金城武は生まれながらにアジアに広がる身分を持ち合わせていた―― 父親が日本人で母親が中国系台湾人である。 また、外形にも恵まれている――179センチの長身に整った容姿。 そのイメージはある種のミスリアスな「過渡性」に満ちている。 台湾では日本の進んだ「現代性」のイメージを代表しながら、親近感を失わない。 日本では、その台湾出身という背景を生かして、1998年から続けて9年間、 日本アジア航空のイメージキャラクターを務めた。 「大声志」は、このように自在で、曖昧に身分を消し、転々としながら 人に嫌われないのは金城武だけのようだと書いている。 過去の成功は、今日の金城武にとって、諸刃の剣である。 上海の著名な映画評論家、孫孟晋は、はっきりとこう言う。 「人々のイメージにある金城武は、ピカピカに精緻に磨きあげられた顔を持ち、 歳月の痕跡がなく、青春を保ち続けて、ファンを魅了する、というものである。 まさにそれゆえ、人々は、彼には複雑な人生経験がなく、 厚みがあり、矛盾のある役には向かないと思いこんでしまうのだ」 「金城武を他のスターと比べて考えてみよう。 ジョニー・デップはティム・バートンとの第1作『シザー・ハンズ』で、優れた力量を示し、 ゴールデン・グローブ賞にノミネートされた。 金城武はデップより10歳は年下だが、 彼のように自分自身とかけ離れた役柄に出合う幸運には恵まれていない」 「彼の過去のほとんどの役は、『恋する惑星』『天使の涙』 『ターンレフト、ターンライト』も含め、 どれもが美貌で、人に憐憫の情を起こさせる柔弱な男のイメージだ。 ほとんどの監督は、彼のその外形上の特徴を利用してきた」 と孫孟晋は言っている。 ピーター・チャンの映画でも、彼は真の意味での主役をやったことがないのである。 2005年、2人は「如果・愛」を撮った。 この映画はチャン監督の、初めての内地での進出作品でもあった。 金城武の役は比較的薄弱で、過去の役柄と比べても大きな違いはない。 彼は容貌のすぐれた落ちぶれた男で、 恋人のジョウ・シュンに一度ならず振られるが、決して忘れられない。 もう1人の主演男優はジャッキー・チュン。 彼の役のほうが性格が複雑で多面的であり、 その上、得意の歌のシーンがあるので、場面を食ってしまう。 2008年の「投名状」では、ジェット・リー、アンディ・ラウという2人のベテラン俳優が躍り出る。 2人の兄貴は、撮影現場はもちろん、プロモーション時にあっても、 老練でそつがなく、それぞれに優れた腕前を見せた。 金城武だけが、その役のように、シンプルで頭の単純な末弟であった。 「金城武は演技を張り合わないし、人を食うことがない。 バンドなら、後ろでベースを弾いているが、とても魅力的な、そういう人だ。 ぼくがとてもなりたいけれど、なれない人間だよ」 ピーター・チャンは言う。 「ジェット・リーは『投名状』で香港金像奨の影帝(最優秀男優賞受賞) になったが、 金城武は今に至るまで、どんな賞も勝ち取っていないんだ」 「武侠」の徐百九は、初めは狂言回しに過ぎず、 ドニー・イェンの劉金喜こそ、絶対的な主役だった。 ところが金城武が役に対してずっと質問をし、掘り起こしていくのとともに、 ピーター・チャンは絶えずこの脇役に出番を増やし、最後には「武侠」を、 彼とドニー・イェンの2人のヒーローの対峙する物語に変えてしまったのである。 金城武は、今、37歳。 ひょっとしたら、彼は既に意識し始めているのかもしれない、 最も「打ち破る」ことの必要なのは、あの、彼がかつて成功を収めたもの ――例えば生まれつきの身分だとか、恵まれた容姿だとかだということを。 四川方言を話し、ヒゲをたくわえ、隅に引っ込んで……神経質な偏執侠になるのは、 金城武が自分自身を「打ち破る」ために踏み出した第一歩なのだ。 (続く) この孫孟晋氏の言もそうだけど、その特殊性は大きな要因かもしれないけれど、 「能書き」だけでは、決して人の心をつかむことはできません。 金城武が日本でブレイクしたのは、スクリーンやブラウン管でまのあたりにした、 その一挙手一投足、醸し出す独特の雰囲気、色気に日本の観客が驚き、 魅了されたからに他ならないんですがね。 ま、本文はこれで終わり、残りは本人へのインタビューとなります。 BBS ネタバレDiary 9:30
2011年08月05日(金)
雑誌記事(外灘画報①)
金城武インタビュー アジアの二枚目変身記 新作「武侠」で、金城武は四川方言をあやつり、 人を裁くためには手段を選ばぬ変人の捜査員を演じている。 彼と3本の映画で仕事をしている監督ピーター・チャンは、金城を、 アイドルスターから演技派男優に改造しようと試みた。 今年37歳の金城も、自分自身を進んで〝打ち倒〟そうとした ――スクリーンでは二枚目のイメージをひっくり返し、 オフスクリーンでは周囲の人々を信頼しようとしたのである。 この、全アジア化された出自にめぐまれ、人気を博した日中混血児は、 今、自身の演技における風変わりな資質を掘り起こし始めたのだ。 ひ げを蓄え、礼帽をかぶり、長い中国服をまとった下級捜査員、徐百九(金城武)が、 大慌てで門を押し開けて飛び込んでくると、県長に向かって大騒ぎする。 その最初の一言が、これである、「大変ですわ……」 その一瞬、観客の顔がぱっとほころび、ほとんどの者が笑いだす。 みんな間違っていない、金城武の口から出たのは、四川方言なのだ。 2、3秒前まで、彼は依然、変わらぬ優雅さを保持していたというのに。 白いハンカチを手に、鼻をおさえ、丸眼鏡を通して優雅に検死をしていたのだが。 監督のピーター・チャンの新作「武侠」で、金城武はようやく、今までで最も論議を呼ぶ、 最も大胆な、またおそらくは最も良い役柄――徐百九に出会ったのだ。 この人物は、時を得ない下級捜査員だが、精神分裂の偏執狂で、善悪にかかわらない。 裁きのためには手段を選ばない。 まさに彼の偏執のせいで、作中、善人になろうとしていた劉金喜(ドニー・イェン)は 死を招く災いを呼び寄せることになる。 事実は、金城武はアジアで最もバタ臭いアイドルスターの1人である。 アメリカの「ニューズウィーク」誌は、アジアには彼のようなスターはまれであると書いた。 英語、北京語、日本語、さらには広東語、台湾語に通じ、優れた容姿を持ち、演技力がある。 台湾に住み、日本、中国内地と香港台湾で映画を撮る。 地域、民族にいささかもとらわれることなく、どこでも認められている。 「タイム」誌は既に2003年に、「金城武はアジアのジョニー・デップだ」と予言した。 2人とも音楽活動を経験し、セクシーな容姿で、極めて変わり者の役を何度も演じている。 現在、「精神が普通じゃない」は既にジョニー・デップの代名詞になってしまった。 そして今年37歳の金城武の演技における風変わりな気質が、 ここ数年、ようやく本格的に発掘され、クローズアップされてきた。 ジョニー・デップの後ろ盾は奇才監督ティム・バートンだ。 そして金城武の背後にいるのが、すなわちピーター・チャンである。 彼は金城武をアイドルスターの位置から掴み上げて、対極へと向かわせた。 金城武は、彼が3作品で起用した、ただ1人の人間である。 「金城武は例外だ、なぜなら、彼は喜んで、ぼくの『金城武を打ち倒す』手伝いを受け入れるからだ」二枚目のイメージを「打ち破る」 23:30 「打倒」金城武のプロセスが終了するには、7日しかかからなかった。 徐百九という役は、本来金城武が演じるような役ではない。 日本の北野武や韓国のソン・ガンホの方がむしろふさわしい。 彼らが得意とする役には1つの共通点がある―― 見かけが冴えず、することが極端で、そのやり方が嫌悪を感じさせる。 後のことを考えず、さらに無頼の雰囲気がある。 「じゃあ、なんでぼくにやらせるの?」金城武は聞いた。 「他の人間に出てもらえなかったからだよ」ピーター・チャンが答えた。 クランクイン前から、金城武とピーター・チャンの力比べは始まっていた。 撮影に入っても、彼は自分がこの徐百九という役を演じることに納得できないでいた。 金城武は扱いにくい俳優である。 彼はピーター・チャンに山ほど質問を突きつけるが、 そのほとんどは、脚本への挑戦となり、脚本家や監督に難題を抱えさせる。 「彼は前から、いつも役の難度を30、40%あげるという腕前の持ち主なんだ―― ぼくは彼に苦しめられるのが好きさ」 こう言ったとき、ピーター・チャンは苦笑していた。 役の人物の身分や経歴や背景をつっこんだあと、 金城武は今度は役を深く掘り下げ始める。 「なぜ、彼はこんなに執着心が強いのか?」彼は毎日のようにたずねる。 ピーター・チャンはやむを得ず、2つのエピソードを付け加えた。 徐百九は昔、養父母から金を盗んだ少年を捕まえたが、 情に負けて放してやったことがある。 ところが少年は両親を毒殺してしまった。 また、徐百九は義父が偽薬を売ったのを知り、 人命には関わることはなかったが、彼はあくまで捕まえて牢に送り、 その結果義父は処罰を恐れて自殺してしまった。 このように、金城武に“責め立てられて”、 ピーター・チャンは徐百九の性格を、どんどん豊かに肉付けしていったのだ。 撮影開始後、数日経っても、金城武はまだ、 どうにも解決できないことに頭を悩ませ続けていた。 演技でわかりにくいことは、毎日ピーター・チャンに話しに行った。 「この人はおかしいと思うんです……とても演りにくい…… どうやってもうまく行かないような気がする……」 ピーター・チャンは面倒になって言った。 「なかなかいいよ、よくやれているよ、そういう感じでいいんだ」 どうにもならないことに思い悩むのは、彼の長所であり、 短所でもあると、ピーター・チャンは考えている。 時には、問題は明らかに解決しているのに、 彼がなお自分の論理から抜け出せないでいることもある。 実際は、映画には完璧な論理はない。 映画の論理とは感情の動きであり、 そのキーは、人物と感情が観客を感動させるかどうかにあるのだ。 だから、ピーター・チャンは常々金城武にこう話す。 「君が自信を持ちさえすれば、観客を十分動かせるし、感動させられる。 そんなにかっちりした論理なんか必要ないんだよ」 「これは主演男優や二枚目の共通の欠点で、 彼は自分が北野武になりうるとは信じられないんだ」ピーター・チャンは言った。 7日めになったとき、金城武が四川方言で台詞を言いたいと提案してきた。 ピーター・チャンはちょっと不思議に思った。 「なぜ、突然理解したのだろう」 金城武は四川出身のスタッフに頼み、台詞を1つずつ録音し、それを聞いて覚えていった。 実は、このアイディアは非常に冒険だった。 誰も結果がどうなるか、想像がつかなかった。 森の中のあるシーンで、金城武は子役と芝居をしたが、子役はストレートに彼に言った。 「何を言ってるの? 聞き取れないよ」 その場にいたスタッフの打ち明け話によると、このときは相当の気まずさが流れたが、 しかし、金城武は笑っただけで、辛抱強く演技を続けたという。 彼自身、この雰囲気でOKだと感じており、 演技するときの顔の表情まですっかり変わってしまった。 「俳優は成功すればするほど、他人から型にはめられていく。 金城武はかっこいい男のイメージを取り去ることが絶対に必要だった。 捨て身でやらねばならない。なまりはとても重要だった」 とピーター・チャンは話す。 「四川方言は道具に過ぎない。彼は一つのやり方を見つけ、 それまでの金城武を壊し、自分とは似つかない者に変身した」 映画の中の四川語の台詞はすべて、金城武が自分でアフレコを行なった。 四川語の先生が彼に付き添い、一句一句繰り返し練習したが、 その先生さえ、根気負けするほどだった。 こうして、金城武は徐百九に変身したのである。 プレミアのとき、彼の予想外の一挙一動は観客の心をしっかりとつかんだ。 ある記者は、ピーター・チャンに、「武侠2」を撮るべきだと提案した。 アクションはいいから、金城武の捜査が見たいのだと。 (続く)(外灘画報 第445期 ) BBS ネタバレDiary 1:00
2011年08月03日(水)
雑誌記事(時報週刊)●アルマーニ新作●新聞記事(中国時報)
少しずつ、雑誌や新聞記事を後追いしていきます。 ピーター・チャン、金城武を評する 超かっこいいが、極めて自信がない 名監督ピーター・チャンは、「如果・愛(ウィンター・ソング) 」「投名状(ウォーロード) 」「武侠」と、 金城武と続けて一緒に仕事をしている。 彼が見る金城武は、中国語芸能界で最も出演料が高く、 最もミステリアスな二枚目男性スターでありながら、 極めて自信がなく、自分自身に懐疑的になりたがる。 しかし、金城武は「武侠」で役を演じるために、少なからぬそのキャラクターを変化させ、 もうそんなに強情ではなくなった。 最近の彼の発言が変化し続けていることを裏付けるかのようだ。 ピーター・チャンが2005年に金城武を起用してミュージカル恋愛映画「如果・愛」を撮って以後、 彼の監督する映画には、必ず金城武の姿がある。 2人のコラボはもう6年、以心伝心であり、ハリウッドの名監督マーティン・スコセッシが レオナルド・ディカプリオをよく使うのに似ている。 ピーター・チャンは笑って言う。 「レオナルドは他の映画にも出ているでしょう。 金城武は『赤壁』の他は、ほとんど僕の映画ばかりだ。 『赤壁』は、あまり考えるな、脚本を読まなくてもやるべきだと彼に言ったんですよ」 金城武はその美しい顔立ちでたちまち人気を博し、 10数年にわたって中国人映画界で一定の地位を占めている。 その生活はひっそりとしてミステリアスであり、 ファンが長年最も好奇の目を注ぎ、最も憧れてきたスーパーアイドルだ。 彼はかつて、自信を持てないでいると告白したことがあるが、 ピーター・チャンの目に映る金城武は、確かに極度の自信欠乏症だ。 だが、この特質が彼をスーパースターにしてもいるのである。 「男は、ハンサムすぎる男は好きになれないものです。 攻撃性がありすぎると感じるのです。 金城武は、現在、最もハンサムな男性スターで、 女性に好かれますが、男からも嫌われません。 彼には一種、自信のなさが強く感じられ、かっこよさで自分をアピールしようということがなく、 逆にある種のもろさ、哀れさがあり、複雑さに満ちているからです」彼へのオファーは一仕事 ピーター・チャンは、金城武はハンサムであるだけでなく、 声が容貌よりもさらに魅力的だと考えており、 3作品で金城武の声でナレーションを入れることに決めた。 金城武の出演作は多くないが、なぜピーター・チャンの映画を選ぶのだろう? 答えは、ピーター・チャンが、金城武にオファーした他の誰よりも、辛抱強く待つことができるからである。 ピーター・チャンは、金城武が出演をOKするには、必ず疑問のプロセスがあり、 じっとそれに耐えることができて初めて、出演をかちとることができると明かした。 「まず、彼はぼくに、どうしてこの映画を撮るのかと聞いてきます。 もし、撮らないように言いくるめられれば、自動的に彼は出演しなくていいですからね。 それが不首尾に終わると、なぜ自分を使うのかとまた聞いてきます。 この点でもぼくを言い負かせないとなると、こう言うんですよ、 『誰かできる人がいないか考えてあげますね』」 金城武はピーター・チャンと3本の映画で一緒に仕事をしているが、 毎回、このような疲れるプロセスが繰り返される。 ピーター・チャンは、「頑として続けるという点ではぼくのほうが上手なんですよ。 他の人たちより、また金城武よりも、もっと辛抱強く、もっと耐えることができるからね」 彼が「投名状」の準備を進めていた当初、 もともとの計画では金城武が主役をやることになっていた。 ところが、歴史映画としての製作企画になるにつれ、主役はジェット・リーに変わった。 だが、彼はそれでも金城武を末弟役に強くオファーし、脚本を変更したばかりでなく、 金城武と話をするためにわざわざ日本に飛んで、誠意を示した。 「彼は、銀座で、ぼくが今まで食べた中で一番おいしい刺身をごちそうしてくれたけれど、 ぼくは、もうだめだ、と感じました。 ところが、思いがけないことに、香港に帰ったら、 彼のマネジャーからの出演OKの電話がかかってきたんですよ」 望外の喜びだった。飛躍をとげ、方言で演技 そして金城武は今回「武侠」の偏執的な刑事役を引き受けたのだが、 心の中では未だに不確かな気持ちでいっぱいだった。 ピーター・チャンはこう話す。 「クランクインした週は、彼は毎日ぼくと脚本について話をしていて、 もうやめたいなんて、言ったりもしていた」 劇中の役に彼は確信を持てず、どう解釈したらよいかわからなかったので、 自己懐疑の症状はさらに重くなっていた。 だが、この役には思いがけない魔力があったのか、金城武はそれまでのやり方を改め、 自分から台詞を方言に換えたいと言ってきた。 「彼はあんなに自己防衛心が強く、完璧を求める人で、 前はぼくが提案してもうなずかなかった。 うまくできないことを恐れていたんです。 それが発音が正確にならないことを恐れず、自分から方言を話そうとしたのは、 全く予想外のことでしたね。 この役は彼の芸能キャリアでの大きな飛躍と言っていい」 ピーター・チャンは、金城武の演技における最大の障害は、 とらわれすぎ閉じこもる性格だとはっきり言う。 ところが、「武侠」での役が、彼を大胆に演技させることになった。 あるシーンで、彼は捜査のため、ドニー・イェンとタン・ウェイの家に来て食事をごちそうになる。 ピーター・チャンは彼に、イメージを破り、 自分の論理だけで突っ走るチャウ・シンチーをモデルに演技するよう求めた。 他の人間のことはかまわずに、ドニー・イェンから片時も眼を放さず、 自分の世界に浸っているようにさせたのである。 また、もう1つ、狂ったように鎌を振り上げてドニー・イェンに斬りかかる演技は、 ピーター・チャンのパートナーである喜劇の女王サンンドラ・ンを大笑いさせた。 「金城武は、この刑事と同じようにこだわりの強い人ですが、しかしとても礼儀正しい。 彼にこんな演技をさせることで、本当に心を開いてもらえたらOKです」 これらの演技にピーター・チャンは、彼の非常に大きな変化を認めた。 「たくさんの表情や動きが、どれも以前にはなかったものなんです。 役は時に、人を真に変えてしまうことがある。 ぼくは運がよかったのかもしれない。 ちょうど彼自身も変わりたいと思っている時にぶつかったんです」噂に影響されず、少しも変わらない 普段の金城武にも変化は表れている。 カンヌ映画祭で、長年ささやかれてきた結婚の噂についてはっきりと説明し、 独身であると強調しただけではない。 最近、「ギフト女性」「日本女性」果ては「金城姓の女性」の噂が登場し、 従来のミステリアスな生活は、絶えずマスコミによって、 あれこれの手がかりからベールをはがされようとしている。 しかし、彼は全くそれに影響されることなく、ひたすら否定し、 いっそう軽やかに大陸でプロモーション活動を行なっている。 ピーター・チャンも、彼は全然噂に影響されていないと感じている。 ピーター・チャンは、金城武とは仕事の話をするのでなく、 友人でいるほうがずっと気楽だとj笑う。 だが、それには受け入れがたい欠点があるのだそうだ。 「彼と一緒にはどこにも行けない。ぼくの家か彼の家に行くかで、 外には出ないでいるしかない。大いにつまらない」 映画のプロモーション中に、暇を見つけて外においしいものを食べに行きたくても、 金城武が外に出たときの騒ぎに思い至ると、 ホテルで食べるしかなくなり、楽しみは大きく減ってしまうのである。 ピーター・チャンは、金城武をよく使う他、 今は台湾出身のイーサン・ルアンも重用している。 イーサン・ルアンの可能性を非常に大きく見ているが、 一緒の仕事になる「血滴子」はなかなか進まず、延期され1年になろうとする。 が、ようやく今年の8月末に撮影開始されることになった。 「イーサン・ルアンを長く待たせてしまっていることはわかっています。 もし、彼でなければ、ぼくは製作をやめていたでしょう。 特別にアンドリュー・ラウを監督にし、ぼくはプロデュースをします。 これは中国語映画界で今後ともほぼ二度とないチームであると思う。 その結果が、彼に、待っただけのことはあったと思えるようであればいいと願っています」(時報週刊1744期 2011.7.22~7.28) ●アルマーニ新作 18:50 これは新しいのですよね?「秋冬大中華地区代言人」です。 こちらの微博でアップされています。凱文_艾斯伯格 ●新聞記事(中国時報) 23:20台湾の記事です。中国時報の張士達さんですね。 ピ ーター・チャンと金城武は、「武侠」が3度めの一緒の仕事になる。 超オタクという男は、いったいどれくらいオタクなのだろうか? チャン監督は言う。 「ホテルにいてまで、3台のPCを使ってるくらいです。 彼に一緒に食事をしようと誘ったら断られたことがありましたが、 理由はオンラインでゲームをやる約束をしてあるからということでした。 それに、身なりにまったくかまわず、着る服はいつもきまった何着かだけ。 最近はエンポリオ・アルマーニばっかりで、それも提供されているからなんです」心に自信、プロモーションもより肩の力が抜ける 金城武は最近、「武侠」の宣伝でますますリラックスしてきている。 固い口を開いて四川方言を一言二言しゃべってみせたり、 また恋愛についておおらかに話したりしているのだ。 チャン監督は、「彼はあまり自分のことを話さないんですよ。 今回はきっと、前より自信が持てるようになったんでしょう」 3度仕事をしているとはいえ、毎回、金城武が出演するかどうかはつかみきれない。 今回のように、初めは脚本さえ完成しておらず、 俳優は非常に不安な環境に身を置かねばならない。 だが、出来栄えは驚くほどで、姜文(ジャン・ウェン) が以前、 「投名状」では金城武が一番良い、それはただ1人、心で演じていたからだ、 と言ったことがあるほどである。 「でも、ずっとぼくは役立たずですよ、彼に受賞させてやれないんだから」 とチャン監督は残念がる。 ピーター・チャンによると、 「スターはみんなエゴが強くて、自分の聞きたいことしか耳に入りません。 相手が自身の話をするや、もう耳を傾けたくないんですよ。 ところが金城武は自分のことは話さない。 彼は性格俳優で、内面に蓄積されたものが大変多いですよ」サンドラ・ンへの求婚は、不首尾続き 「武侠」で金城武は、周りは目に入らない変わり者というやり方を試みた。 チャン監督の分析によれば、「これはまさにチャウ・シンチーです。 この世界では完全に他の人間のことは頭になく、他人が何を考えているかなんかどうでもいい。 喜劇は実はすべて悲劇なんですよ、主役の欠点を描いてお話を作るわけですから。 子どもの頃から不細工な人間は人の注意を引き、笑いを誘う。 ぼくのそばにいますよ、喜劇役者(サンドラ・ン) が」 彼によると、サンドラ・ンとは既にすっかり夫婦の暮らしをしているにもかかわらず、 「今、結婚しようとしないのは、彼女の方なんです。 プロポーズだって何度もしましたけど、いつも断られてます。 彼女はMs.ンでありたくて、男の附属品にはなりたくないのです」 彼は金城武を重用し、今まさに、「投名状」より規模の大きな新作時代劇を準備中だ。 「100%金城武の映画です。台湾の要素がたくさんあります」 「グリーン・デスティニー」の脚本家、王蕙玲が執筆し、金城武はもう1人の男優と父子を演じる。 父親役はまだ決まっていない。 もう1本準備中の龍応台原作『大江大海1949』については「まだ楽観はできないが、 実現させたい」と率直に認めた。(中国時報 2011.7.23) *元記事は、なぜかリンクが張れないので、中国時報のサイトで検索してください。 BBS ネタバレDiary 更新