(仮)耽奇館主人の日記
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2005年11月30日(水) |
大人物の条件のこと。 |
会社で同僚と世間話をした。 ネタは、国会で子供みたいに騒ぎまくった小嶋社長の人間性だったのだが、いくら叩き上げの苦労人であろうと、中身があれでは、せっかく頑張った自分自身をも裏切る結果になるという結論に終わった。 で。 そこから発展して、大人らしい大人、即ち「大人物」とはどういう人かを話し合った。 「犬神は今までそんな人に会ったことがあるのかい?」と同僚。 「あるとも」と私。「オレが通ってた中学校の校長がそれだったよ」 「へえー、どんな人だったんだね?」 私はおやつのシュークリームを一口で飲み込んでしまうと、お茶をすすりながら語り出した。
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オレね、中坊の頃ぁ、エンブレムを集めるのに熱中してたんだ。高級外車のエンブレムな、ベンツだとかジャガーだとか。ボンネットの先っちょについてるあれをもぎ取っちゃあ、本棚に並べてな。悦に入ってたもんよ。バレなかったかって?そこはおめえ、ちゃんとうまくやりおおせたさ。うん。 それで、校長が珍しく車で出勤してきてな、見るとジャガーなんだよ、七十年代の型のカッコいいやつでね。すっかりコレクター熱が沸騰しちまって、もぎ取ったさ、給食の時間にトイレに行くふりをしてな。ところが、次の日、廊下を掃除してたら、いつの間にか後ろに立っていた校長に肩を叩かれてさ、全くあの瞬間ほど心臓が飛び跳ねたことはなかったぜ、で、こう囁いてきたんだ。「大事にしてくれよ、あれはレアものだからね」とね。一緒に聞いてたクラスメートは何のことだかわからねえ、でも、オレは見る見るうちに真っ青になったに違いないやね、中学を退学になる覚悟を固めたくらいだよ。どこかで校長はもぎ取るのを見てたんだな。でも、それっきりだった。 後はなんにも言わなかったんだ。 で、オレは本当に申し訳なくなって、エンブレムを戻そうと思ったんだけど、一度取ったものを戻すんじゃあ、割が合わねえと思って、その時一番大事にしてたレア中のレアものを校長の車の先っちょにハンダでつけたんだ。夜中に、校長の自宅まで行って、ガレージに忍び込んでさ。 何をつけたのかって? うん、「がんばれ、ロボコン!」てえ番組の中に出てきたガンツ先生の超合金をエンブレム代わりにつけたのさ。ほんとうに一番大事にしてたやつだったからな、心からのお詫びとしてつけたんだ。 今思うと、とんでもないことをしたんだけどさ。 でも、校長はつけたまま、ずっと乗ってたんだ。 オレが卒業して、就職して、ずーっと、ガンツ先生をつけたまま乗ってたんだよ。 亡くなるまで、ほんとに、何にも言わなかったんだよな・・・。
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「すげえ人だなあー、会ってみたかったぜ、マジ」と同僚。 「うん、全く大人物だったよ。そんなわけで、校長のジャガーのエンブレムは今でもお守り代わりとして、大事にしてるんだ」と私。 「ガンツ先生のジャガーはどうなったんだい?」 「さあな、息子さんが乗ってるって話は聞いたけど、もういい加減外したんじゃないかな」 「それにしても、とんでもないやつだったんだな、犬神・・・でも、そんないい人に恵まれて、幸せ者だよ、マジで」 「うん、だから、オレもああいう大人になりたいと思ってるし、そう思えることがオレにとって幸せのひとつだね」
今、そういう大人物は、国会などの大舞台ではなかなか見ることは出来ないが、気をつけて周囲を見回しさえすれば、一生に一度は必ずそういう人とめぐり会うことがある。これを機縁、もしくは起縁という。いずれも、人生の転機となるきっかけの出会いという意味だ。 私は、この校長と出会ったおかげで、心の広さを得られた。 読者諸兄にもいい出会いがあらんことを。 今日はここまで。
2005年11月29日(火) |
サカキの誕生日プレゼントのこと。 |
本日、娘のサカキが十八歳になりました。 はっきり言って、もう十八かよ!って気持ち。 しかも、高校卒業と同時に、地元の自衛隊に入隊するとか。 自衛隊の話はずっと以前から聞いてたので、驚きはしなかったけど。 それにしても、十八歳。 その年頃の私は何をしていたか。 青森に現地妻を二人もこさえて、週末にせっせと深夜バスで通ってたなあ。 弘前と八戸の両方だったんだけど、八戸の方の女の子がこれまた、北欧の女が恥ずかしがるくらい、まっちろけな、きれいな肌をしててねえ。その上、弟さんまでが素晴らしい美少年で、こっちが本命でしたな、実を言うと。 とにかく、やることやって、せっせと人生経験積みながら、地道に本を読んでたわけだけど、サカキも正直言ってヤリたい盛り。極端な男嫌いで、まだ紅蜘蛛お嬢様や剣道部の後輩たちとしか経験ないそうだけど、レズでもいい、どんどんヤルのが重要なんだ。 人間を知るには、その心を知るために本を読むことも大事だけど、肌を重ねるのも大事だね、その体温を知るために。 言葉では言い表せないものを共有するためにも、肌の匂い、味わい、手触りを知ることはとても大事なのだよ。 気取ったり、スカしたり、見栄をはったりするより、何よりも、衝動に忠実であれ。 それこそが、自分自身の人間性に深みを出す秘訣だし、何か・・・人間的な魅力とも言える何かが出てくる元でもある。
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以下は、夕方、電話でやりとりした会話。 「よお、もう十八かよ、この野郎。おめでとうよ」と私。 「ありがとうー、もう十八だよっ。あ、ねえねえ、今日あたし、ミクシィ入ったから」とサカキ。 「あに?ああ、お嬢様に招待されて?」 「そうそう。そしたらさ、まだプロフィールも何も書いてないのに、どっかの男から十四通もメール来たよ」 「ほう、何だって?」 「僕も格闘技大好きです、よかったらマイミク追加よろしくとか、そんなのばっかり」 「せわしい野郎ばっかりだなー、おい」 「そうそうっ。新潟在住ってだけで、よくメール寄越す気になれるよねー。ブスかもしんないのにねー」 「ブスより始末悪いや、キンタマ蹴り潰す女だからな」 「そのへんもアピールしとくよー」 「ま、気をつけろよ。でも大体、ミクシィで何しようってんだよ?」 「決まってんじゃん。あっちこっちの女の子を食おうと思ってさっ」 「ああー、なるほどねぇー。ま、しっかりやんなよ。ところで、食いモン送ったからな、スペアリブを二キロと、ローストビーフ二キロ」 「やったー、バウムクーヘンもついてる?」 「うんうん、ついてるよ、もちろん。一本はオマエ、もう一本はアツコ(従姉。サカキの母親)の分だからな。こないだみてーに、二本とも食うんじゃねーぞ」 「うん、多分」
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十八歳のサカキ。今の普段着は、プレイボーイの黒っぽいジャージに、素足でナイキのジョギングシューズ。 髪型は、映画「あずみ」の上戸彩が気に入ってるので、あれっぽい髪型にしてるつもり。 高校の制服、剣道着、拳法着を除けば、いつもこんな格好で、上越、高田を闊歩している。 色気も何もあったもんじゃないが、自衛隊に入れば、もっと色気のない世界へ行くだろう。 しかし、本人が望む世界なら、好きなようにやらせたい。 マイホームパパのような父親をやれない代わり、ただ、ひたすらに、優しく見守ること。 それこそが、私なりの最愛の表現なのだ。 とりあえず、今回のプレゼントはかねてよりのご所望であった、斬馬刀を贈った。 永井豪のマンガ「バイオレンス・ジャック」をご存知なら話が早いが、あの中に登場する悪役のスラム・キングが愛用しているドデカイ、長い、日本刀である。 それを浅草の仲見世で買って、コレクションしていたのを、この夏休みに猛烈に欲しがっていたのだ。
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新潟在住のコスプレのご趣味をお持ちの女性の方々、よければサカキにコスプレを教えてやって下さい。家の中で鏡を見ながら、刀を構えてニヤニヤしてるなんて、映画「タクシー・ドライバー」のロバート・デ・ニーロみたいで、不健康なので。ひとつ、よろしくお頼み申します。
今日はここまで。
2005年11月26日(土) |
生まれる前の音と、死んだ後の音のこと。 |
私が面倒を見ている、重度聴覚障害者四人組によるインダストリアル・ノイズ・ミュージックのユニットのリーダー格のM君が、練習の成果をMDに録音して持ってきた(詳しくは、『2005年09月04日(日) Ich bin ein Gebrüll des Stahles.』を参照のこと)。 最近の練習方法は、先人の作品をコピーするというものなのだが、この四人組は全く耳が聴こえなく、皮膚感覚からなる音感で演奏するので、例えば、ベートーベンの「運命」をコピーするとしたら、それは震動としての「運命」なのだ。 ベートーベンを愛する者なら、きっと聴くに耐えないと叫ぶだろう。 しかし、音楽の可能性、広がりを信じている者なら、四人組のベートーベンを彼らなりの解釈として受け止めるだろう。 私は一通り聴いて、うん、なかなか面白いが、鉄琴の叩き方をもっと矯正しなきゃダメだぜと、M君の目の前で鉛筆をばち代わりに持って、水平に持って弾ませるように叩くんだと説明した。 私は音楽に関しては、下手くそ、音痴もいいとこなのだが、幼少時、会話訓練を積んだ際、音感を磨くために、それこそ手の皮がむけるくらいに楽器を鳴らす練習をさせられた。 補聴器をつけて、スピーカーから浴びせられる震動に身体を委ねつつ、太鼓を叩いたり、木琴、鉄琴を弾いたり(しかもトレモロ奏法までこなした)、トライアングル、シンバル、ウッドブロック、果ては拍子木まで響かせたものだ。 思えば、みんな打楽器だったのだが、これはしょうがない。打楽器こそが、身体で感じるにはもってこいだったからだ。 そんなわけで、私は打楽器だけはそれなりに教えられるのである。 で。 デビューの際は、当然、オリジナル曲を編まなければならないが、テーマは決まってるのかねと聞いたら、今までにみんなが感じたことのない音をやりたいんで、生まれる前の音と、死んだ後の音をやりたいんですと手話で言ってきた。 その瞬間。 最近知り合ったPICOさんというミュージシャンの言葉を思い出した。
「音楽は、誰でも出来る唯一の表現なのです」
そう、誰でも。ということは、誰でも聞いたことのない音楽を演奏出来るということでもあるのだ。その気になれば。
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「なるほど、生まれる前ねえ、パッと連想するとしたら、子宮の中の音だろうなぁ。どんな音だったか覚えてるかい?」と私。 「覚えてるわけないでしょ!」とM君。 「うん、覚えてないんだけれども、みんなが知ってる音があるだろ。それは・・・」 「心臓の鼓動ですね?」 「それをどうやって演奏するかだね」 「ええ。後ですね、死んだ後の音というのは・・・」 「俺なら、魂が抜け出る音なんだけどな」 「聞いたことあるんすか、それ」 「あるよ」 と、私は口で、その音を出してみせた。 M君は聴こえないのだが、彼の指先が私の唇に触れて、魂が抜け出る音を感じ取った。 「ううーん、ビブラフォーンで出来そうですね」 「おお、そうかい?楽しみにしてるぜ」 それにしても。 文面で、魂が抜け出る音を表現するのは、至難の業だ。 ため息をつく。 それも果てしなく、長く。 そんな音なのだが、音色がまたとてつもなく、冷たく寂しいのだ。 しかし。 どうかすると、その音は、急に熱を帯びたように聴こえる時がある。 生への最後の執着というか・・・ あがきというか・・・ 私は、そんな音を、様々な臨終の場で聞いたことがある。 引導を渡すために、呼ばれた際に・・・ 今でもはっきりと浮かび上がる、死に顔の真ん中にぽっかりあいた、黒々とした口内の中の穴。 そこから・・・ 地獄まで吹き抜けるかと思うような、呼吸音が響くのだ。 甘く切ない呻き声、喘ぎ声とともに。 それが、私の知っている「死んだ後の音」である。
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四人組の健闘を祈る! 今日はここまで。
2005年11月16日(水) |
絶望に効く特効薬のこと。 |
色々なことがあったが、はしょって、この度、お寺で人生相談を受け持つことになった。今までは檀家限定だったのだが、今度からは老若男女、誰でもオーケーである。 相談員は、三人。即ち、私、住職の従弟ケンタ、副住職のミスラ君である。 ミスラ君には、浅草界隈の外国人たちが口コミで相談しに来るので、なかなかの盛況だ。 お寺に様々な外国人がやってくるのを見て、他のお寺はあまりいい顔をしないが、私は常に知らんぷりを決め込むことにしている。 そもそも、お寺は、人々の絶望や苦悩を受け止める場所なのだ。 お布施をもらって、墓石を死体の頭に乗せるだけなら、最近のニュースに登場するエロ坊主、生臭坊主にも出来る。 で。 お寺での人生相談はあくまでも、正門の横に掲げている掲示板で告知しているだけなので、ここで私に相談したい方はエンピツフォームからメールを送って下さい。メールで相談に乗ります。一発即答。 さて、前回、リストカット少女が来て、日本刀をちらつかせた上、精神注入棒で叩きのめした私だが、今回はそのリストカット少女が親友の女の子を連れて来て、相談に乗ってやってくれと言って来た。 「あたしと違って、マジで死にたいんだって、○○○ちゃん。親は離婚調停でケンカばかりしてるし・・・何とか面倒見てよ、危なっかしくて見てらんないから」とリストカット少女。 「やっぱ、テメー、死ぬふりして腕に溝掘ってただけかよ。このタワケが。んで、○○○ちゃんとやら、一体全体なんでそんなに死にてえんだい?」と私。 話を聞くと、単純も単純、一人で生きるのが怖い、絶望的だとのこと。 それで、ネットで集団自殺の仲間を探して、連絡を取り合って、待ち合わせの場所に行ったら、すっぽかしを食らって、リストカット少女に電話をかけて、一緒に飛び降りようと言って、いつの間にかここへ連れて来られたと。 「おまえさん、一人で死ぬのもこええのか?え?」 ○○○ちゃんはうつむいたまま、黙っているだけである。 「バカ言ってんじゃねえよ。死にたきゃあ、一人ぼっちで死ねって。その方が確実に死ねるぜ、そうすりゃ、こいつにここまで連れてこられやしねえからな。どっちにしたって、おまえさんは、結局甘えんぼさんなんだよ。絶望だなんてカッコいい言葉を使ってんじゃねえ。いいか、甘えんぼってことはな、結局人間が好きってことでな、誰かが側にいないと不安で不安でしょうがねえんだ。そんなのは絶望って言わねえよ、こいつもよ、腕刻みまくるのが好きなバカだが、一応、おまえさんのマブダチだ。マブダチがいるのは、救いがあるぜ。お互い大事にして、レズるくれえに大事につきあってだ、しっかりやんなよ、なあ」 以上、相談終了。
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本当の絶望とは。 決して、生きる望み、気力を失ったことではないのだ。 一人ぼっちでいても、一人ぼっちで想像力を働かせても、生の感覚、死の感覚、すべての感覚を全く味わえなくなることである。 なんにも感じられなくなるなんて、これ以上の絶望があるだろうか? しかし、絶望から生き延びる方法はある。 それは、肉体的にエロに走ることだ。 オナニーであれ、セックスであれ、何でもいいから、チンコがおったつ、マンコがびしょ濡れになることを肉体的に具現化することだ。 そうやって、自己を内側から、文字通り盛り上げること。 自家発熱こそが、失った感覚を取り戻す唯一の方法なのだ。 私は、人類にとって、動物的な性欲と様々な欲望から成る禁忌がエロたりえるのは、バタイユが定義しているように、まさしく自己を乗り越えることが出来るものだからだと確信している。 とりあえず。 凹んで、落ちて、八方ふさがりになったなら。 オナニーしたまえ。 若いうちはそれが絶望に効く特効薬である。 今日はここまで。
2005年11月02日(水) |
我が孫、白娘(パイニャン)へ。 |
はとこの透と先生の間に生まれた女の子の赤ん坊を、お寺で預かることになった。 戸籍上は、先生の娘なのだが、私にとっては孫娘のようなものだ。 まず。 名付け親として、孫娘に美和(みわ)と名づけた。 奈良の三輪山、即ち、蛇神美和にあやかって名づけたのだ。 当日記の古い読者ならご存知の通り、母方の本家は白蛇を祭ってるくらい、蛇と縁の深い家柄である。 それで、蛇がらみの名前というわけだが、二人とも気に入ってくれた。 最も、本人が自分の名前を気に入るかどうかは先の話だが。 で。 私はお寺で美和を育てる間、「みわ」とは呼ばない。 「白娘(パイニャン)」と呼ぶつもりだ。 この名前を聞いて、すぐ分かった人はよほどのマニアか、かなりの年配である。 そう、中国の伝説、「白蛇伝」のヒロインの名前だ。 我が国においては、約五十年前に製作されたアニメ作品でもある(下に引用した画像がそれ)。 私は小学生の時、体育館で映画上映をしていた機会に、アニメ作品を観たのだが、意味もなく妖怪を憎む坊主が凄く憎たらしくてしょうがなかった。 例え、魔性のものでもいい、好きになったなら、心をまっとうすればいいじゃないか。 確か、感想文に、小学生の分際でそんな一文を書いて、先生たちに妙な顔をされたことを覚えている。 ともかく、「白蛇伝」を知ってる方々なら、なにゆえに私が好き好んで孫娘を「白娘(パイニャン)」と呼びたがるのか察しがつくであろう。 ましてや、私自身が世間体や道徳といった類いより、本能や感覚といった原始的なものを最優先させるキャラである。 ここまでくればもうお分かりだろう、孫娘に、あのヒロインのように、恋愛に全てを注ぎ込める生き方をして欲しいと願うからなのだ。 もう一度繰り返そう。
例え、魔性のものでもいい、好きになったなら、心をまっとうすればいいじゃないか・・・
我が孫よ、それこそが女の幸せなのだ。 女に生まれたからには、女であることを受け入れ、愉しみつつ、まっとうせよ。
今日はここまで。
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