(仮)耽奇館主人の日記
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2005年04月27日(水) |
内なるミシマ、あるいはディープ・パッションのこと。 |
ここのところ、東宝制作の「春の雪」(行定勲監督)の公開に向けて、何かと三島由紀夫の話題が周囲にぽつぽつと沸き出してきている。 会社は映像が本業だから、当然、三島由紀夫の世界をどれだけ映像化出来るのか熱っぽく予想しあっているというあんばいだ。 新刊に、「三島由紀夫が死んだ日」(実業之日本社)という本があって、私は早速買って読んだが、各々の、内なる三島由紀夫の姿がありありと目に浮かぶようで、思わずほろっとした。 私にとっての三島由紀夫。 初めて読んだのは、確か、小学校六年生の春で、テレビでやってた三浦友和と山口百恵の映画「潮騒」がきっかけで、新潮文庫の「潮騒」をぱらぱらとめくったのが最初の出会いだった。 その時は、ほんとうにぱらぱらとめくっただけで、じっくり読んだわけではなかったが、直感的に、映画のような、清々しい恋愛ドラマとは違うなと感じた。 例の、有名な、火を飛び越えて来て!というシーンにしても、何というか、泥臭いどころではない、原始的なものへの回帰を感じさせる「何か」があった。 あまりにも、恋愛的なものに生きる二人は、もはや神のようにしか生きられないのである。 後に、三島が古代ギリシャにこだわっていたのを知って、私なりに「潮騒」は、単なる恋愛ものではなく、神話的な、原始的なものへの回帰を目指した作品だと認識するようになった。 「仮面の告白」、「金閣寺」、「憂国」、四部作にわたる「豊饒の海」と読んでいって、少年時代の私を最も魅了したのは、「太陽と鉄」の、次に引用する一文であった。
・・・私はかくして、永いこと私に恵みを授けたあの太陽とはちがったもう一つの太陽、暗い激情の炎に充ちたもう一つの太陽、決して人の肌を灼かぬ代りに、さらに異様な輝きを持つ、死の太陽を垣間見ることがあった。 そして知性にとっては、第一の太陽が危険であるよりもずっと、第二の太陽が本質的に危険なのであった。何よりもその危険が私を喜ばせた。
私は幼少時から、山に対して、わけもなく興奮するのだが、山そのものの自然の雄大さがそうさせるのではなく、私自身のなかにもう一つの山が隆起するからだと、私の内なる三島が説明してくれた。 そうやって理解した以上は、いかにして、自分自身の危険性をコントロールして生きていくかである。 アメリカの某評論家は、三島の第二の太陽を、ディープ・パッションと表現していたが、人間自体の「深淵」を指している点では、なかなか穿った英訳だ。 性欲や食欲を満たす上での、本能へのパッションなら、最初から満たされることを約束されているので、ほんとうのパッションたりえない。 「深淵」は最初から絶望を約束されているがゆえに、決して満たされることがないのだ。 だからこそ、果てしなく深いし、暗く、渇ききっている。 普通なら、自暴自棄になって、本能を満たすことへ逃避するだろうが、三島には美学という武器があった。 まず、小説という形で、ディープ・パッションを昇華する。 そうして、「形」となった、おのれの精神そのものに、おのれ自身の肉体そのものを捧げる。 肉体そのものも、また「形」として昇華しなければならないのだ。 それが、三島が精神的な形骸化としての、小説家としての死を選ばなかった最大の理由だと、私は思っている。 心だけではなく、身体も使って、「環」を描かなくてはならない。 おのれの内側から溢れかえってくる「深淵」そのものを呑み込み続けることで、我が身に輪廻を成り立たせなくてはいけない。 そういう美学に殉死した三島由紀夫。 そんな彼がただの恋愛ドラマを描くはずがないのである。 三島が男女の恋愛を語るのは、絶望について語るためなのだ。 絶望こそ、人生において戦うにふさわしい、輝けるパッションだからである。
映画「春の雪」は、やはり、悪い予感通り、ただの悲恋ドラマとして制作されるようだ。
上っ面しか見ない、また、見ることしか出来ない、満たされることを前提とした本能だけで生きる日本人たちの中で、自分自身の第二の太陽、「隆起する山」を抱える私は、苛々を抑えるため、ますます鍛錬に精を出すだろう。 ディープ・パッションと喜んで向き合って、生き続けるために。
今日はここまで。
2005年04月25日(月) |
近況報告其の四、ヴェータラのこと。 |
十八日の月曜に、うちのお寺の副住職となるインド人青年、マティラム・ミスラ君が来日した。 その夜は、私もお寺に泊まり、住職の従弟一家、父方の親戚とともにミスラ君を歓待した。 従弟の嫁は、無理して英語を使うなと言ったにもかかわらず、私のことをハウスメイド(お手伝いさん)と紹介して、私たちをずっこけさせた。 ハウスホールド・ヘッド(家長)と言うべきなのだが、とりあえずノリツッコミをして、ミスラ君を笑わせることに成功した。
二十日の水曜に、正式に副住職に就任ということで、周囲へ挨拶回りをした。住職の従弟はまだ坐骨神経痛で寝たきりだから、私が住職代理として、ミスラ君を連れて浅草中を歩き回った。 その際、仲見世の喫茶店で二人してカレーライスを食べたのだが、ミスラ君にはあまり美味しいものではなかったようだ。 後で聞いたら、やたら甘ったるいカレーだったという。さもありなん、私も日比谷のマハラジャで初めて食べた、本格インドカレーは、殺人的に辛かった覚えがあるので、いわゆるカルチャーショックというやつだろう。 私と色々話しているうちに、ミスラ君は私のある一面に、ものすごく拒否反応を示した。 その一面とは。即ち、怪奇嗜好である。 オックスフォード時代のミスラ君のあだ名は、「Sadducee」、即ち、「サドカイ教徒」で、霊魂の存在を信じない懐疑主義者であると同時に、ものすごい怖がりであることをからかう呼び方だ。 幽霊とか悪魔の存在を本気で信じているんですか、と聞かれたので、ノーと答えた。 だが、それらが怖く感じられることは確かなのだから、そういう「怖さ」を愛し、愉しんでいるんだよと説明した。 ミスラ君は、分かったような、分からないような顔をするだけだったが、私に無理やり、「絶対に」、お化けのふりをして驚かすことだけはしないことを約束させた。特に、死人の真似はしつこいほどタブーですと繰り返された。 約束する代わり、なぜそれほどまでに、サドカイ教徒なのかを聞いた。 じっくり時間をかけて、こんこんと説明されて、私は思わず二ヤッと笑った。 ミスラ君は、幼少時、ヴェータラに出くわすという恐怖体験をしているので、そのトラウマを覆い隠すために、幽霊や悪魔を信じないことにしたのだそうである。 ヴェータラ。 インドの魔物で、死人を操り、くしゃみをさせたり、笑い声をあげさせたりするというやつだ。 恐怖体験については、なかなか面白かったので、後日詳しく書いてみるつもりである。 お寺に帰った後、私が「絶対に」ミスラ君を怖がらせないことを約束したというのを聞いて、従弟と嫁は異口同音に、「無理に決まってる」と言った。
二十四日の日曜に、ミスラ君の歓迎会をお寺でやった。こちらは、以前、ここで募集した女性たちのうち、私が厳選した大和撫子十名を招いて、近所のお寺仲間たちとともに気楽に盛り上がった。 坊さんのくせに、カラオケでモー娘とか歌う、果てしないギャップに、ミスラ君は苦笑しっぱなしだった。 女性たちの中に、上智大一年生がいて、その子がミスラ君に一生懸命英語で会話を仕掛けていたが、あまりスムーズな意思疎通にならなかったようだ。 むしろ、日本国どころか、東京を一歩も出たことのない、東京原住民であるプー娘の、インド大好きっ子二十五歳の方が、割かし意思疎通をはかれたようだ。 そう、アナタのことです。ニヤッ。 ミスラ君は、あの後で、アナタのボディコミュニケーションぶりに、すごく感心していましたよ。 他にも、なかなか感じのいい子はいたのだが、私から見て、即戦力になりそうな子は今日だけでは分からないなという印象だった。 最年少の、高校三年生の子は、私のことをしげしげと眺めて、「もっと暗そうな人かと思ってました」などと感想を述べていた。 「どんな感じだと思ってたの?」と聞くと、神経質そうな、ガリガリの、メイクを落としたヴィジュアル系バンドの人と答えたので、一緒に聞いていた、禅宗の満太郎坊とともに大口をあけて笑った。 けっこう夜遅くまで飲み食いしていて、プライド観戦もみんなで盛り上がって、お気に入りの選手に声援を送った。 吉田選手とシウバ選手の死闘にエキサイトして、私と満太郎坊は、お互い膠着状態からはこうやって脱出するんだと、実際に組み合って、畳の上で絡み合った二匹の蛇のようにジタバタしていた。 バカみたいだが、ミスラ君はほんとうに楽しい人ばかりで嬉しいと言ってくれた。
もうすぐGWである。 この大型連休は、私には全然関係なく、仕事なのだが、連休を利用して参拝しにいらっしゃる檀家さんたちがいるので、檀家さんたちがミスラ君に慣れるまで、出来る限りお寺にいなくてはならない。 何だか、前よりもっと大変になったようだけど、それもしばらくの我慢だ。
最後に。 この度の脱線事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。 南無阿弥陀仏。合掌。
今日はここまで。
2005年04月17日(日) |
リアル・ゴシックのこと。 |
今日は、久しぶりにゆっくり出来たので、花粉症チェックも兼ねて、自宅から徒歩で市川駅まで散歩をした。 途中に真間という閑静な町があって、「(仮)」が取れた、新生「耽奇館主人の日記」のホームページの扉画像として、本格的な撮影をねらっている、「魔王の門(幼少時の、私の中の呼び名)」の前を通った。 上にアップしたのがそれである。 当時、二つか三つの私を国府台の福祉施設に送り迎えしていたおふくろが、ここを通る度に、「ドラキュラでも住んでそうだわ」と呟いていたことは今でも鮮やかに蘇ってくる。 ほんとうに、昔から私の心をとらえて離さなかった、「魔王の門」。 現在は、現代風の建物に再建されているが、当時はものすごく妖しい、豪華な、ゴシック建築だったのだ。 長崎で出会った知人は、幼少時からグラバー庭園の近くで育ったことを誇りに思うと言っていたが、私にとって、グラバー庭園以上のものがこれだった。 世間では、ゴシックが色々な意味でもてはやされているが、たいていは、本や資料で得るものばかりだ。 後、ビジュアル系の服とか、ガイコツなどのオブジェとか。 しかし、私にとって、ゴシックとは、近所の「そこ」に日常的な風景として存在していた。 こんな威嚇的かつ幻想的な門扉をこさえるだけあって、当然、館の主人は三代に渡って変人扱いされてきたという。 私は先代、当代のご主人をすれ違い様に見かけたことがあるが、二人とも、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」の館主、降矢木算哲博士のイメージにピッタリの妖しい風貌だった。 言わば、「生けるゴシック」そのものだ。 そして。 恐らく、このへんで、幼少時よりこの門扉を心のなかの風景に常設するくらい、愛でていたのは、私以外にはいまい。 私もまた、ゴシックを愛する耽奇館の主人である。 ほんとうは、将来建築予定の、新築の我が家の門扉に、これそのものを手に入れて、威嚇的かつ幻想的なものを受け継ぎたいのだが、今のところは、精神的なもので我慢するしかない。 新しいホームページのなかで、「魔王の門」は、「耽奇館」の精神的なシンボルとして、電脳世界の隅々まで妖しい光芒を放ち続けるだろう。 ・・・・・・ 面白いことに、こんな逸話がある。 「魔王の門」がある西洋館の隣に、普通の家屋があったのだが、ここに泥棒くんが侵入して逮捕されたことがあった。 警察の、「西洋館の方が金目のものがありそうなのに、なんでそっちへ行かなかったんだ?」という質問に、泥棒くんはこう答えたそうである。 「怖くて入れなかった」
門扉以上に。 館のご主人たちがそうであったように、私自身も、もっともっと、妖しさを極めよう。 館のありとあらゆる装飾は、まさしく住人の精神風景そのものだからだ。 そして、ゴシックの真の意味は、装飾されるに値する、人間自体の、暗黒面にあるということを、何度でも思い返そう。
最後に。 中学時代に、季刊「幻想文学」(当時、澁澤龍彦と中井英夫が選考委員を務めていた)に投稿した、下手くそな幻想小説の一文を引用する。サドの「食人国旅行記」の私なりの続編であった。
・・・われわれは、心のなかで、絶対的に結びついているんですよ。想像してみて下さい、われわれの共有する庭園があるとしたら、そこに飾られている、あるいは生きて歩いている怪物たちの顔は、みな、同じ顔をしているはずです。
今日はここまで。
本日の後半は、半年前から一人暮らしをしている同期の同僚のマンションに出向いて、メシを作ったり、惣菜作りをしていた。 先週、健康診断を人間ドックでやって、かなりヤバイことになっているというので、理由を聞いたら、とにかく食生活がメチャクチャなので、私が改善をアドバイスすることにしたわけである。 「ほお、いいところに住んでんな。オートロックときたもんだ。家賃いくらだい?」 「十二万だよ」 「何ィ、十二万?バカじゃねえの。いくら、家賃が給料の三分の一が基本だからって、きっちり三分の一にしなくたっていいだろ」 「犬神んとこはいくらだっけ」 「五万。ボロだけど、屋根裏部屋つきの、3DKだぜ。一人で住むには贅沢な広さだよ」 「おまえ、オレよりもらってんだろ。今月でまた昇進したんだから、余計もらうくせに、なんでまたそうケチなんだ?」 「お金を貯めるからだよ。買いたい本がいっぱいあるんでね」 「まだ本を読むのかよ。もう十分だろ。女に使えよ、女に」 「あいにく、オレの女性関係はお金で成り立ってるんじゃないんでね。オマエ、奥さんに逃げられたからって、ヤケになってこんな高いとこに引っ越さなくたっていいのに。こんなんじゃあ、寄ってくる女、オマエじゃなくて、マンションの清潔感そのものが目当てだぜ」 「なあ、はっきり言って、犬神が女にもてる理由ってなんなんだ?どうしてもわからねぇ、オレよりオシャレじゃねえし、ブサイクだし、耳が悪いし、オタク以上の危険なマニアのくせに」 「それだよ、それ。まさしく、危険なマニアだからさ。マニアだからこそ、何でも知ってるし、またたいていのことは出来るんだ。料理もね。その料理でオマエを助けてやろうってんだから、おとなしくしてろよ」 一応、近くのスーパーで食材を買ってきたが、冷蔵庫を開けると、ドッグフードのビタワンが袋ごと入ってるだけなので、私はおやおやと声をあげた。 「何、オマエ、犬飼ってんの?自分のエサより愛犬のエサか。優しいこったな」 「飼ってねえよ。オレのエサだよ、それ」 「ドッグフード食ってるってか、オマエな・・・うめぇのか?」 「不味い」 「なんでそんなんなっても、自炊しねんだよ」 「料理は女のやることだから」 「バカこいてんじゃねえ。じゃ、オレ帰るわ。野郎の作ったものなんか食いたくねえだろ?」 「わー、悪かった、悪かった。すいません。作って下さい。お願いします」 そんなこんなで、腕によりをかけて、香ばしいチキンライスを、半熟のとろっとしたオムレツに包んで、本気度百パーセントのオムライスを作った。 スプーンと皿すらないので、急遽、同僚をパシらせて、百円ショップで買ってこさせた。 で、二人で食べながら。 「どうだ、お味は?」 「うめぇなー。さすが、犬神さん」 「うまいものは、毎日食いたいだろ」 「そうだねぇ。結婚してよ」 「バカ、オマエが自分で作るんだよ。作り方教えてやるから」 「ええー」 「えーじゃねえ。これ以上不健康になったら、オレの肩にオマエの分までズシッとくるんだ。そのためには、ドッグフード生活とすっぱり縁を切ってもらわねえとな」 「カロリーメイト生活とかダメかい」 「それ、一年間それのみで生活してたのを知ってるけどな、そいつ、胃潰瘍で入院したぜ」 こういう人種は、コンビニ弁当とか、ほかほか弁当で生活すればいいのだが、こいつの住んでる高層マンションの周囲には、びっくりするくらい、コンビニもなければ、ほか弁もない。 あるのは、スーパーだけである。 じゃあ、スーパーの惣菜、弁当があるじゃないかと思うのだが、この男はなんやかやと難癖をつけて、買わない。好みじゃない、冷めてるとかなんとか。 それでドッグフードを食べるようになるなんて、最低だ。 「一番最低の食生活って何だか知ってるか」 「ホームレスかい」 「そう、ホームレスなんだが、都会のホームレスは食うものがたくさんあるからな。最高の方さ。『失踪日記』(イースト・プレス発行)の吾妻ひでおだって、なかなかの食事をしてたからね。『戦争の犬たち』(角川文庫)という映画にもなった小説に出てたんだけど、食うものがなくって、ダンボールを千切って食べていたっていうんだ。そこまでいったら、もう最後だぜ」 「うまいのかな、ダンボールって」 「そういうことを言ってるんじゃねえ!」 お金はあるが、気持ちとして、食べることに執着しない者を、食貧乏という。 理由は様々だが、本能のひとつである食欲をここまでおとしめられるんだから、もはや心の病気ではないだろうか。 いかに美味しく食べることより、いかに死なないように食べるか。 いくらケチな私でも、食費を削るような真似はしない。 安くても、可能な限り、いい食材で、それを蓄えた知識と腕でさらに美味しい料理にする。 そういう手間に時間をかけない、またはかけられないのだろう。 全く病んでいる。 私の最も尊敬する小説家、開高健はその著書「最後の晩餐」(文春文庫)にて、サミュエル・ジョンソン博士の言葉として、次に掲げる一文を紹介している。
「腹のことを考えない人は頭のことも考えない」
よくよく噛みしめるべき金言である。 今日はここまで。
2005年04月15日(金) |
官能的右翼の熱弁、あるいは歓迎、新人のこと。 |
この日は、予定していなかったのだが、勢いで新入社員の歓迎会をやった。 カレンダーの上では来週になっているのに、早めにやったというわけである。 その理由は。 我が社の新入社員に、中国人がいるからだ。 しかも二名。 編集オペレーターの男性社員、二十二歳、ホウ君。 事務員の女性社員、二十二歳、リン君。 同じ土地(四川省)の生まれで、同じ大学の出身者の男女の組み合わせ。 それなりに日本語は勉強したらしく、流暢に喋るが、やはり来日したての異国は不安いっぱいで、昔からの恋人どうしのように、いつもべったりくっついている。 そこへもってきて、今回の反日デモ騒ぎである。 二人の不安感は一気に沸騰した形で、見るも哀れなくらいにビクビクしてしまっていた。 同僚のひとりが、私のことを「右翼」と紹介したばっかりに、上司である私の目をまともに見られないという有様なので、独断で歓迎会を早めにやったというわけであった。 不安はこの際、きれいさっぱり払拭するに限る。 でないと仕事に支障が出る。 渋谷のちょっとした本格的、高級の中華料理店にて。 「満漢全席というわけにはいかないけど、みんな腹いっぱいやってくれ。当然、酒もドンドン飲んでいいぞ」 私の乾杯の音頭で、歓迎会は一通り、楽しく過ぎた。 私のねらいは二次会からである。 ホウ君とリン君の二人を含めた、新入社員たちを市ヶ谷のバーに連れて行って、私なりの「日中関係」についての考えをぶったのである。 そこのバーは、知る人ぞ知る、自衛隊関係者や愛国主義者の類いが集まる店で、話題の内容次第では、なかなかキケンな空気が漂うところだ。 「昔、オレ、高校時代に千葉県の港湾で船荷の荷下ろしのバイトしてたんだよ。コーヒー豆とか、米とか、冷凍マグロとか。仕事仲間に五人くらいの中国人グループがいてね、そのなかの、陳さんという読書家と仲良しだったんだ」と、ボックス席にて私は自分の経験談を語り始めた。 「すごい愛国家でもあってね、しきりにニッポンは中国から色々学んでここまで大きくなった、もっと頭を下げるべきです、なんて口癖のように言うわけ。で、オレは悔しいから、そうですねぇ、何もかもニッポンに流しちゃったから、やせ細っちゃって、共産国になっちゃうもんね、なんて言い返してたのさ」 「うわっ」と苦笑いするホウ君。 「お互い感情ムキ出しで殴り合いをしたこともあったよ。それが今思うとつまんない理由でね、『西遊記』と『南総里見八犬伝』のどちらが面白いかを言い争ったのが原因だったんだ」 「それでどうなったんです?」とだんだん乗り気になってきたリン君。 「どうもしないよ。今まで以上に仲良くなったね。その理由は・・・」 と、ここで、周囲を見回すと、カウンターの客たちも背中を丸めてはいるが、しきりに耳を立てているのが分かった。 「陳さんも、オレも、自分の国を愛してることが分かって、お互いを尊敬しあうようになったからさ。愛国という、確固としたアイデンティティ。これも豊かな人間性、魅力のひとつだからね」 そこでホウ君も、リン君も、にこりと微笑した。 「ここで、今回の反日デモについて。オレは中世からの、ダンス・マカブルと同じだと思う。つまり、集団発狂さ。個人個人の感情、感覚、感触が一切塗りつぶされて、みんなでヘッドバンキングしてるんだ。実際、みんながどれだけ『反日』という言葉をどれだけ理解しているか、疑わしいね。ただ、その二文字の響きがカッコイイととらえている印象があるな」 「ああ、なるほどねえ・・・」と日本人の新入社員。 「ただ、興奮するのはかまわないんだ。実際、不満の爆発がデモにつながったんだから。暴徒化したってかまわない。しかし、集団でやる以上は、集団以上の巨大な存在に向けられるべきであって、個人にむけられるべきじゃないんだ。サイバーテロで官庁のホームページを攻撃するというのが、実は正しい行為だと思う。たまたまそこにいた学生が日本人だからって、殺意をもって殴りつけるというのは、もう『反日』じゃないのさ。ただの弱いものいじめだ。恥ずべきことだね」 ここで私はわざと周囲に響くような大声で続けた。 「そして、我が国も、どこかのバカ者が銃弾の薬きょうだの、なんだのを封筒に入れて送りつけるというのも、全く恥ずべき行為だね。陰湿極まりない。オレは、確かに右翼の方だけど、バカ者が目の前にいたら言ってやりたいよ。『貴様、それでも皇国の一員か』とね。堂々と抗議すりゃいいじゃないか。テロを起こすにしたって、ちゃんと中国本土まで行って、重要な政府高官に狙いを定めるべきだね、暴徒による破壊行為を暗黙したとかいうやつをさ。要するに、ベクトルが違うんだよな、みんな。弱いものに吠えたって意味ないのに、わざわざいじめられる相手を選んでる。最低だよ」 言いたいことをすべて言ってしまって、私はようやく、二人の中国人の、私に対する「ある種の緊張感」が霧散するのを感じた。 「犬神さん、ただの右翼じゃないんですね・・・」とホウ君。 「いい人で、安心しました。仕事、今まで以上に頑張れます」とリン君。 私もにっこり笑って、バーを後にしたが、客の中の一人が険しい目で私を見つめているのを、横目でとらえた。 私は右翼ではあるが、そこらへんの一般的な右翼には敵意を持たれる。 特攻服を着て、街宣車で飽きもせずに同じことを喚きたて、政治結社のステッカーをマイカーに貼って自己満足しているような連中には、とにかく敵意をこれでもかと持たれる。 恨まれることには慣れているが、今まで彼らと深刻なトラブルを起こしたことはない。 彼らもまた、私が別の意味で過激な右翼だと知っているからだ。 つまり、私は「官能的右翼」なのである。 政治的なものではなく、感覚そのものなのだ。 そして、だからこそ、個人の本性丸出しで、感情ムキ出しで、愛国心を叫ぶ者ほど、人間性をすべて披露することになり、お互いを理解する一歩となるのである。 我が国も、中国も、韓国も、そして北朝鮮も、いつまでものらりくらりと仮面を被った外交をしていないで、台湾の国会みたいに本気で殴り合いをすればいいのだ。 少なくとも、やる方、見ている方は、清々しいくらいにスッキリする。 今日はここまで。
2005年04月14日(木) |
アダルトコミックについて考える。 |
後輩がエロ漫画家としてデビューして、三冊目の単行本が発売されたから、もうかなり経つ。 エロ漫画については、オヤジの代からの熱心なコレクターで、オヤジのコレクションには、平凡パンチは勿論、マニアックな劇画ピラニアなんていう雑誌まであって、私のコレクションは、その影響を色濃く受け継いでいて、かなりコアなものが多い。 もはやエロ漫画家とは呼べない作家の中には、丸尾末広がまずダントツにあげられるが、個人的には早見純のパラノイアックな描写が肌に合う。 生まれて初めて、エロ漫画を読んだのはいつのことだったか。 はっきりとは覚えていないが、お寺の土蔵の中だったことだけは確かだ。 かび臭い柳行李の中にすし詰めになっていた雑誌の束から、太めの濃い化粧の熟女がスケスケのピンクのスキャンティをおおっぴらに広げて、もわもわした黒っぽいものをのぞかせていた、綴じ込みグラビアがはみ出た本を引っ張り出して、熱心に読み耽っていたのだが、その中で印象的なシーンがあった。 メガネをかけたサラリーマン風の男が、幼な妻という感じのショートの女性を一生懸命突き続けていくと、女性の顔がぐにゃっと歪んで、目玉がくるっと白目になり、唇をギュッと噛んで、ピクピク痙攣するのだ。 そして、次の大きなコマで、女性の股間、影になった膣の部分から、ビュッビュッと白い粘液が迸るのである。 男性のペニスからも同じものが迸っていたから、「興奮」すると、男も女も白いものを噴出するんだなと学習した。 それは、間違っていなかったが、女性の「射精」の瞬間を目の当たりにするのは、非常に精緻を極めたテクニックが必要だった。 ここで強調したいのは、私のいう女性の「射精」とは、いわゆる潮吹きのことではない。ドロッとした本気汁を男のように噴出させるやつだ。 潮吹きは誰でも努力すればお目にかかることが出来るが、「射精」は努力中の努力、そしてそれなりの幸運がなければ、なかなかお目にかかれない。 そのシーンがいつまでも頭に残っていたので、後輩にその旨のことを話して聞かせたら、妙な顔をして笑うだけであった。 生ではもちろん、劇画でも見たことがないから、私の冗談だと思い込んだのだろう。 確かに。 オヤジのコレクションだったから、昭和四十年代の雑誌ではそういう描写があったのだろうが、それ以降では私の知る限り、ほとんど皆無である。 後輩の尊敬する作家は、ロリコンの代名詞にもなった内山亜紀なのだが、思えば、彼の登場以来、濃いセックス表現は次第に自然淘汰されていった。 暗いイメージがつきまとう、汗臭いセックスが忌避されたわけだ。 私にとって。内山亜紀以降の、現在までのアダルトコミックの中で肌に合う作家は、最近だとビッグコミックスピリッツで「つゆダク」を連載していた朔ユキ蔵が一番にあげられる。 「つゆダク」はエロ漫画ではないが、それ以前に「快楽天」で連載していた「少女ギターを弾く」(ワニマガジン発行)は突き抜けたエロ漫画である。 私の頭につきまとう、女性の「射精」にほぼ近い、イッた描写が素晴らしい。 そして、しかも、純粋なロックンロール漫画でもある。 「昔のエロ漫画ってさ、まず生活感があって、その中にセックスがあってってやつだったんだよな。つまり、外側から内側へイクってやつさ。ところが今のは逆だよな。内側から外側へってやつだ」と私。 「精液をドバドバ出すってやつでしょ?」と後輩。 「それもあるなあ。出しすぎって感じだけどね。だけど、昔より下品な表情が萌えるという点に俺は注目するね。昔は生でもほんとに、唇を噛むとかそういうのばかりだったんだ」 「ええ、今のはほんとに・・・壊れてますもんね。そういえば、先輩、ドグマの拘束椅子トランスもの、ほんと、大好きっすよね・・・納得、納得」 「こないだ、俺の彼女、森下みるくのやつ観てて、壊れていく様が怖いって言ってたけど、俺はロックを聴くのと同じくらい気持ちよかったよ」 そう、私にとって、ロックと絶頂の描写は表裏一体なのだ。 従って、猫耳だの、メイドなどのコスプレだの、胸ぺったんこのロリータだの、そういったオタク向けの萌え要素には、一切興味がない。 いかに壊れるか。 それのみが重要なのだ。 唇を噛むだけでもいい。しかし、その後、体内からびっくりするほど熱いものを迸らせなければならない。 ギターを弾きながら放尿してもいい。しかし、その後、ちゃんと快感に震える表情を見せなければならない。 そうした私の好みを熱っぽく語ったところ、後輩は見るも哀れなくらい、壊れ、かつ、快感に嬉々として絶叫する様を描くようになった。 最近ありがちの、どこかのグラビアから切り取ったようなポーズを乱発するのではなく、キャラにひとり立ちさせて、キャラそのものが勝手に動き出しているかのような表現は、なかなか興奮させてくれた。 単行本の売れ行きはなかなかのものだそうだから、やはり、私の好みは特殊なものではなく、誰もが心のどこかに秘めているものだといえるだろう。 簡単なことである。 エロ漫画の本質とは、満足するかしないか。 で、満足するためには、いかに興奮するか。 興奮するためには、いかにその気になるか。 つまり、ちゃんと「追体験」させてくれる何かがなければ、エロ漫画ではないのだ。 何を着せたら萌えるのか、そういうことばかり熱心になっているオタクは、結局、セックスそのものを知らない、性欲を忘れたアブノーマルなのだろう。 そんな世の中、ほんとうに、私は動物的なまでにノーマルでいたい。 今日はここまで。
おまえの生まれた 見知らぬ国へ おまえの生まれた 遠い国へ かえろう 二人で・・・ 低く飛んでゆく
高い山の尾根を 低く飛んでゆく 青い街の屋根を 低く飛んでゆく かえろう 二人で 低く飛んでゆく
「低く飛んでゆく/LIBIDO」
私と高知県を結びつける歌といえば、今は亡き成田弥宇氏が率いていたロックバンド、リビドーの「低く飛んでゆく」だ。この歌をウォークマンで聴きながら、高知市を歩き回り、また、物部村へ向かってひたすら車を走らせていた。 当時。私は民俗学、民間信仰にドップリ浸かっていて、特に犬神憑きに異常なほど執着していた。 それで、二十代の、実に三分の一を高知県で過ごした。 高知市。中央公園。帯屋町ロード。はりまや橋。丸の内高校。金光教高知支部。丸の内警察署。高知市民病院。御堂筋。高知城。鏡川。闘犬センター。桂浜。 物部村。若宮温泉。物部村役場。奥物部。祈祷師N氏の邸宅。 それらを、常宿としていたワシントンホテルから、どれだけ歩いたことか。 そして、どれだけの濃い面々と出会ったことか。 本や資料で得る知識以上に、現地で、生身の感触でじかに得た経験で、私の中の高知県は、ゆるやかに流れるが、その水温は沸き立つように熱い、人間のエネルギッシュな生命力の奔流という印象になっていた。 それは現在でも変わらない。 そして、一番重要なのは。 犬神は存在しなかったということだ。 憑き物としての犬神が存在するとしたら、それは人間の心の中だ。 恐ろしいことだが、実際に、犬を飢えさせてその首を切り落とした時、この呪術的行為は、ただの気休めでしかないことがよく分かった。 儀式の作法を教えた祈祷師も、それがよく分かっていたことを、私は悟った。 そこに横たわる、人間自体の恐ろしさと悲しさ、そしてパワフルな生命力。 それをテーマに、私は高知県での体験をもとに一本の映画脚本を書いた。 コピーも考えた。 「日本人は神である」。 母方の遠縁の家族写真を荒くコピーしたものの上に、映画のタイトルを重ね、コピーを太いゴシック体で横たわらせたのを表紙にして、ほんとうに全身全霊を賭けて、部落差別で物部村を出奔した犬神筋の男が高知市で新興宗教の教祖となって破滅していく物語を一気呵成に書き上げた。 部落差別というデリケートな社会問題を扱っている上に、しかも新興宗教ときているから、現実的に映画制作は難しいとして、それらがデリケートでなくなる日まで、企画と脚本は眠り続けている。 とにかく、犬神と高知県は、私の青春そのものだ。 思い出すだけで、何かがざわめいてくる。 高知県の友人たちからは定期的にメールで連絡が来るが、今日、久しぶりに、手書きの手紙という今時珍しい連絡手段で、高知市の女性から連絡を頂いた。 最初、名前を見て、ほんとうに驚いた。 当時、恋愛関係にあった祈祷師の娘さんと同姓同名だったので、すわ、仇討ちにきたのかと思ってしまった。 よくよく手紙を読んだら、全くの新顔さんだったので、脱力してしまった。 名前の漢字も一文字違いだった。 でも、おかげで、当時のざわめきを一気に思い出して、少なからず、ほろっとしてしまった。 今は、絵金祭りに合わせて、ただの観光客として高知を訪れる程度だが、そのうちまた、正真正銘の「犬神博士」として凱旋するかもしれない。 その時は、久しぶりに、ほんとうに久しぶりに物部村を訪れて、世話になった祈祷師の墓にお参りをしようと思う。 今日はここまで。
肉体の目を閉じよ、まず精神の目で汝の像を見るために。 それから汝が闇の中で見たものを明るみに出すのだ、 その像が外から内へと他の人に働きかけるように。
カスパール・ダヴィッド・フリードリヒ
教え子の一人、秘密の名前を持つ一匹の蝶々へ。 元気そうで安心したよ、早速お友達が出来たのはいいことだ。 大学一年目の君にアドバイスすることは、たった一つ。 自分自身の感覚に最も忠実であれ。 見たまま、感じたままを栄養にすればいいんだ。 上記のフリードリヒのいう、肉体の目だ。 精神の目で物事を見る前に、まず、貪欲に色々なもの、様々なものを見たまえ。 若いうちは、ほんとうに貪欲に吸収するべきなんだよ。 美しいものだけでなく、醜いものもひっくるめて幅広く受け入れなければ、ほんとうに美しいものが分かるはずがないからね。 大学にはそのための情報が目一杯詰まっている。 思いっきり利用しつくすことだよ。 身体に気をつけて頑張りたまえ。
追伸、今度、本マグロが入荷する。「マグロ地獄」の饗宴の際は、是非食べるのを手伝っておくれ。
今日はここまで。
2005年04月11日(月) |
近況報告其の参、魔女の大鍋のこと。 |
土曜の夕方は、里見公園で花見をした。 メンバーは、別サイトでコラムを書いてる縁で、新に募った新顔さんたちと、おなじみ犬神一家と、国府台の関係者たちである。 コラムの読者さんたちは、この日記も読んでいて、初めて見る犬神博士こと私、せむしの社長ことK田氏、途中から参加した娘のサカキ、紅蜘蛛お嬢様、二口さん姉妹といった面々に、感嘆の声をあげていた。 他の花見客たちは、定番のカラオケなどで盛り上がっていたが、私たちは、関東でも有数の心霊スポットである国府台を逆手に、「チャネリングごっこ」をして盛り上がった。 死んだ人を呼んで、自分の身体に乗り移らせるというやつだ。 「こんばんわ、森進一です」 「まだ生きとるわー!」 という風に、ベタな物真似ごっこでもあるのだが。 後、誰かがトイレに立つ度に、フタつきの陶器製ジョッキ(花見は風が強く、ほこりが舞いがちなので、うちはいつもこれである)の中身を、混合物にしてしまうイタズラでも盛り上がった。 「魔女の大鍋」というもので、例えば、ビールと日本酒、ウイスキーをちゃんぽんにして、あまつさえ醤油を加えるという恐怖ドリンクだ。 私が盛られたのは、ジャックダニエルとブルガリア飲むヨーグルトを半々に混ぜたもので、恐ろしく不味かった。しかも帰宅した後、すごい下痢をした。 逆に、こっちが盛ったのは、日本酒に濃い牛乳と生玉子を混ぜたものに、桜の花びらを乗せたもの。味の方は不明だが、飲んだ新顔さんは、二ヤッと笑うと煙のようにどこかへ消えてしまった。 酒飲みの常識として、色んなものをちゃんぽんにして飲むと、悪酔いするというのを、まさしく身体を張って証明したわけである。 でもバカみたいになってて、ほんとうに楽しかった。 こういう無礼講、思いっきり弾けるというのは、ほんとに必要だ。 帰る頃に、少しぱらっと小雨が降ったので、意識がはっきりしてきて、夜桜の妖しい佇まいをあらためて目に焼きつけた。
お寺のニューフェイス、副住職ミスラ君に興味を持ってくれた方々から非常にたくさんのメールを頂きました。ありがとうございました。その数、百七通。後一通で煩悩の数に達したのですが、まあ置いといて。 その中で、真剣な方、または面白い方に、ミスラ君歓迎会の日取りと場所をお教えします。お楽しみに。
うちのお寺の副住職として招く人物が正式に決まった。 インド人青年で、祖父の代からのインド仏教徒である。 三男、独身、恋人なし。 裕福ではあるが、自分で稼いだお金で苦学し、奨学金を得てイギリスのオックスフォード大学へ留学したというインテリでもある。 母国語以外に、英語、フランス語を流暢に喋れるが、肝心の日本語がダメ。 趣味は読書とチェス。性格は生真面目で温厚。 現在はロンドン在住だが、今月中にそこを引き払って、うちへ向かってまっすぐ来日する。 写真を見たが、なかなか実直そうな顔つきだった。 私は、からかいがいがあると、思わずニヤリと笑った。 名前は、ここでは、芥川龍之介の「魔術」に登場するインド人魔術師の名前を拝借して、マティラム・ミスラと呼ぶことにしよう。 「ガンジー制度とか大丈夫なの?」と住職を務める従弟の嫁。 「は?」と私。 「ほら、金持ちと貧乏人の身分の差が激しいじゃない、インドって」 「ああ、カースト制度な。そのへんは心配ねえよ。家が仏教徒だもの」 「はー。日本語がダメだっていうけど、どうやってやりとりするの?」 「最初は英語さ。ああ、英語がダメなの、あんただけだよな」 「えっ、うちのダンナ、英語喋れるの?」 「夫の資格くらい把握しとけよ。あいつ、英検一級だぞ」 「どうしよう。アタシ、なんてやりとりしたらいいのかしら・・・」 「実は、英語がダメなあんたの方が、日本語のいい先生になるんだよ。それだけ、向こうは一生懸命あんたとやりとりするだろうからね」 「うーん。ところで、肝心のお部屋は?」 「オレがガキの頃使ってた部屋にしよう。本の山は来るまでにかたしとくよ」 「お願いします」 こんな具合で、現在、お寺はけっこう大騒ぎである。 嫁は、とにかく、先入観というか、思い込みが激しいので、オックスフォード大学という名前だけでも、オロオロしてしまっている。 そんなインテリとどうやって話題を合わせたらいいのかというのだが。 とりあえず、食べるもので何が好物か聞いとけとアドバイスしておいた。 ちなみに、ミスラ君を招くことになった経緯は、ロンドン在住の怪奇小説がらみの同好の士の紹介がきっかけである。 卒業論文で、仏教も含めた全世界の宗教を幻想とやっつけている、君そっくりの面白い男がいると聞いたので、興味を持ったのだ。 それで、トントン拍子でここまで話が進んだというわけだ。 ミスラ君にとって、宗教とは。 既存の、死後の世界などを持ち出して、あれやこれやと半ば恫喝して強制するようなものではなく。 あくまでも、徹底的に個人的なものだという。 即ち、自分自身の心の問題だ。 他人なんて関係ない。 そこが、私と全く同じなので、ものすごく気に入ったのである。 これから、色々と大変だろうけれども、その分、楽しくなりそうなので、実に嬉しい限りだ。 念のために。 お寺の宗派は浄土真宗である。南無阿弥陀仏を素早く「なまんだぶ」と唱える方だ。 同じ宗派で、インド人青年でも結婚相手として問わない、そして、この私との家族づきあいが大丈夫という、十八歳から二十七歳(ミスラ君の年齢)までの女性は、簡単なプロフィールつきでメールを下さい。 早いとこミスラ君に所帯を持たせて、お寺をますます盛り上げたいという私の政治的策略に是非ご協力を。 今日はここまで。
ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世が逝去した。 そのニュースを眺めているうちに、私は高校時代に教会経由で文通をしていた、北海道のトラピスト修道院のGを思い出していた。 彼とは同い年で、お互い、幽霊話が好きだったから、お互いの母国の怪談を交換して親交を深め合ったものだ。 まだ雪の残る春休みに、父方の家族が戦争中に疎開していた青森は弘前を訪れる機会があって、そこでGと会う約束をした。 待ち合わせ場所は昇天教会。 Gとは実に多岐にわたって、色々な話をしたものだ。 その中で、「聖書は誰が書いたのか?」ということを論じ合ったのだが、創世記の部分は、「神」の言葉、啓示そのものであると、Gが断言したのに対して、私は「言葉」で書かれてある以上、「人間」が書いたに決まってるだろと譲らなかった。 完全に、観念の相違である。 埒があかないから、お互い、旧約聖書と新約聖書の間に横たわる、四、五百年にわたる空白について語り合った。 その空白を埋める材料は、聖書外典とされるもので、「アポクリファ」というタイトルで知られているものだ。 ギリシャ語で、「隠れたるもの」という意味で、まさしく空白の間に書かれたものにふさわしいタイトルの書物だ。
神は存在するのか、しないのか?
私もGも存在を肯定する方だが、ニュアンスは上の相違のように、違う。 それ自体が「実際に触れられるもの」として、その「実在」を信じて疑わないG。 人間が想像するものとして、産み出された「精神的な第三者」として、人生の指標のシンボルとして設定する私。 この相違が、色々な宗派を生み出したことは、歴史が証明するとおりだが、聖書にせよ、アポクリファにせよ、もうひとつの外典、パウロの黙示録にせよ、作者の無名氏(アノニムス)が何のために書いたのかを、さかのぼって考えると、信仰以上に情熱を注いだものがあることに気づくだろう。 我々人間の、普遍的な精神のかたちを、そっくりそのままレポートしているのだ。 善、悪、無限の想像力について語りつくす。 従って、人間そのものの本として、聖書はいにしえより読み継がれるにふさわしい内容なのだ。 作家の開高健は、無神論者ではあるが、旅先の孤独を癒すために、聖書を愛読していた。 彼は言葉を愛する人間として、無名氏(アノニムス)の情熱を和漢洋のニュアンスを活かしつつ、見事に翻訳した、これまた無名の日本人翻訳家を尊敬していると書いている。 その愛読、尊敬ぶりは、私にキリスト教に興味を持たせる大きな影響を与えた。 結局、Gとは、エキュメニズム(教会再一致)の問題、つまり、宗教戦争にまで発展しそうなので、お互い尊敬している、映画監督のアンドレイ・タルコフスキーの美しい言葉をあげて、お互いの論戦を無理やり、静かに終了させた。
「実際人類は芸術的イメージ以外にはなにひとつとして私欲なしに発見することはなかったし、人間の活動の意味は、おそらく、芸術作品の創造のなかに、無意味で無欲な創造行為のなかにあるのではないだろうか、と。おそらく、ここにわれわれが神の似姿に似せて作られている、つまり、われわれに創造する力があるということが表明されているのである」
Gよ、私は法王が天国に召されたところまでは想像出来ないが、ポーランド人、生身の人間としての彼が生きているあいだ、常に頭にあっただろう一篇は想像出来る。 アポクリファの「ベン=シラの知恵」の十八の七と八だ。 即ち。
人の終わりたるときは始めに過ぎず。 彼のやむるときは惑いのうちにあらん。 人は何なるか、何の用か彼にある、 その善は何なるか、またその悪は何なるか。
今日はここまで。
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