FayeBlue
目次過去未来


2003年02月28日(金) 大切な人 3


ともかく奴は思った事を何のためらいもなく口にする人だった。

人を傷つけるような事を口にしてバシバシ言ってるわけではないので

だから決してそれは悪い意味ではなく、

いい意味で自分の気持ちとか、感情とかを口にする人だった。


私にはそれがとってもうらやましく、

また新鮮で

きっとそこに惹かれてたんだと思う。


いつアメリカに帰るか分からない私によく奴は

“会おう”


暇な時間があれば会ってくれてた。

“っつうか、そんなに自分の時間を私に当てなくてもいいのに・・・”


と言った私に奴は



『限られた時間しかいないんだから、

会える時にいっぱい会っておきたいじゃん』


と軽く答えてた。



失礼だったかもしれないけど、それを聞くまでは

“たかがメル友に・・・”
って気持ちが私にはあったから

正直、そんな返答をした奴のストレートさに私はビックリしたし、

何とも直球型の性格がすごく気持ち良かった。



私は奴と会った最初に

『今が楽しければ、先の事はどうでもいい』
とよく口にしてた。

“どうでもいい”
ってのは

ちょっと投げやりになってる気持ちと

先の事は気にしてないっていう気持ちの両方。

これは私が自分によく言い聞かせてた事でもあり

誰かに話したりした事ではなく、自分の中に留めていて、

ちょっとかっこつけてるかもしれないけど

それは私の素直な気持ちだったりもする。

奴が素直にズバズバ言ってるから

私は一緒にいてホント気持ちが良かったんだと思う。

何か肩はらず、疑う事とかそういうので気を使うことなく

そのままんの自分でいていい雰囲気に自然となってしまう。


そう、今思えば全く気を使わなくて良かったんだ。

何故か奴の田舎に一緒に行く事になって

両親に会った時くらいだ、私が唯一気をつかったのは。



26歳と25歳の男女が何度も会って

夜とか一緒に遊んだりしてれば、そりゃ

“単なる友達”
の関係で終わるわけなく。





それを後悔したか?
って聞かれても







私は後悔してない。







別にギクシャクした関係になったわけでも

だからって“彼氏彼女として・・・”って感じでもなく。

全くもって淋しくないってわけではなかった。

それも事実。




“前に奴が何度があった女の子と映画に行って

それ以来会わなかったら、

その子からメールがいっぱい着て、超大変だった。”


って話をしてて、見に行った映画が

『Sweet November』
だったから

“11月の女”
って命名されちゃってて。

その子と奴の間に何があって、何したかとか知らないけど

きっと誰もが想像できる展開だったのでしょう。

もしかしたら私もそんなオンナの中の1人なのかもしれないけど、

ただ、何となく私の中で奴は大切な人になってて。



奴の気持ち良いくらいのストレートさと

ポジティブさと、

頑張りには、何か憎めなくて

逆にこっちが元気もらえちゃうもので。

すっと友達でいたいって思える人。


アメリカとか他の国にとっても興味があって

色々な人と出会って、色々な考えや視野をもてるようになりたい

と言ってた奴を応援したいし、その手助けが何らかの形でできるなら

いつでもなるよ!と軽く、そして心から言える。


私がこう思えるのはきっと限られた時間しか会ってなくて

私もアメリカに帰るってことが常に頭にあって

最初からきっとどこかで割り切ってたからってもあるし

奴の憎めないストレートさと素直さなのかな。



いつかLAに遊びに来て欲しい。

そう思う。


私がアメリカに帰る日

J○の普通電車の運転手をしてる奴は

その時間なら出勤してるから見送りに行くよと言ってくれた。

『制服着てきてね!ついでにちゃんと帽子かぶってよ!』と私。

ホントに来てくれるとは思ってなかったけど

奴は律義にも来てくれた。


しかもちゃんと制服を着てた。

さすがに帽子は恥ずかしいといってかぶってなかったけど・・・。


オカンにHugをして

奴にもHugして

涙目のオカンを背に新幹線に乗り込み

3分もしないうちに新幹線は動き出して

切なくなった。

新幹線は動き出し、私はまだ後ろを向いて見ていたら

オカン達からは見えなくなったのか

二人は『お世話になりました』って感じで

お互い頭下げてたのが見えた。


何だかおかしくなった。


思わず1人で吹き出してしまった。

と同時にちょっと泣けた。



2003年02月27日(木) 大切な人 2





初めて会った日仙台駅で待ち合わせをして近くのスタバで話した。

お互い写真交換はしてたけど私的には見えない分、

メールでは濃い内容から、浅い内容まで色々話してた。

そのせいか、初めて会ったにも関わらず、

さほど違和感なく打ち解けてしまった。






奴の私にたいする興味はやっぱり“アメリカに住んでる子“という感じで、

とにかく今の彼はいろんな人と会って話を聞いたり、

自分の考えや価値観やそういうのを広げたいらしい。

私もアメリカなり、他の国に興味がありその話を聞きたいっていうなら

色々私の知ってる限りで話してあげたいって気があったし、

それより私の彼に対する興味は、彼のポジティブな所と

何とも言えない彼の雰囲気だった。

初めて会ったのに何か自分の芯をつく内容を話してたり、

仲のいい友達に相談する時と何ら変わらず

自分の気持ちとか、考えとか、価値観とか話してた気がする。







全く緊張もせず、打ち解けたわけではなく

それなりに私は落ち着かないところもあったのだけど

奴は終始笑ってた気がする。






『何がそんなにおかしいの?
(失礼な!!)って本気で思った。




その奴の調子に私は狂わされてしまったのでしょう。








『ギャップがあるのがおもしろい。』








そう言い切った奴。






『キョロキョロさっきから周りばっかり見てるから

全然人の話聞いてないのかなぁって思えば、

しっかり返答してるし、内容にあった事言ってくるし。

それによく顔の表情がコロコロ変わるよね。』









と説明を加えた奴。





私が何気なくしてる事が、何気なく話してる事が

(キョロキョロ見る癖はWVで身についた)


他の人にはちょっと新鮮に感じてたり、おかしかったり、

何か不思議な気分になったのを私は覚えてる。





奴も私の行動や言動に新鮮さを感じ

私も奴の感受性とかに新鮮さを感じてたんだと思う。

アメリカにいる人には普通で通る事だったりするから

アメリカの友達からは感じなかった事を奴からは感じたのでしょう。





自分の考えをちゃんと持ってて

結構それをズバズバ言ってくる人で

『俺って口キツイってよく言われる』



って気にしてたけど

アメリカの逆境で揉まれた私には

かえってそっちの方が気持ちがよかった。






To Be Continued.....




2003年02月26日(水) 大切な人 1





ボビーと別れてから

誰かと会っても特にトキメクわけでも、

ドキドキするでもなく

唯一久しぶりに惚れそうーって気持ちだでたのが

ゲイの友達だったりして・・・・。




1人でいるのに慣れ過ぎたのか、

1人でいるのに心地よさを感じてるのか、

または恋してる暇さえもないくらい今は仕事とか

自分の生活でいっぱいいっぱいで心に余裕がないのか、

恋の感覚を忘れちゃったのか、

何が理由か分からないけど

『別にいいやぁー』って感じで

ホント恐ろしいくらい自分の感情に何もなかった。







それが日本に帰って少し心に余裕ができたのか

はたまた冬という、イベント事が多い季節に酔ってしまったのか

体を切るような寒さが、心の寂しさを刺激したのか、

1ヶ月なんて時間は短くて、あっという間のものだけど

この1ヶ月の間に私はトキメキ、そしてドキドキしたりした。







地元で出会った人だったり、







メル友だったり、







母親の通うフィットネスクラブの人だったり。







何気に私はLAにいる時はまた別の意味で忙しかった。









その中でも・・・・・











『きっとこのまま日本にいたら好きになってしまっただろうなぁ』










という存在だったのが、2年以上も続いてるメル友だ。

日記の最初の方に彼は一度登場してる。

気がつけば初めてメールをしてから2年もたっていて、

日本に帰ったら地元で会おうね!なんて約束をしてたのも2年前。







実際日本に帰っても会えるか、

会う気に自分がなるのか、

それまで連絡が続いているのか、

約束をしたようで、ないような感じだったけど

冬休みに帰るって決まった事を連絡したら





『会おうぜ!』





と携帯番号を教えてきた。





彼とのメールはよく続いた気がする。

沢山のメル友がいたけど、今でも続いてるのは彼を含め2人。

続いてるメル友とは、しばらくメールのやり取りをしてなくても

気にせずメールを送ったり、送られてきたり、そういう関係。

それが私には心地よかった。





彼はとっても前向きで、何にでも意欲的で

今一生懸命生きてるって感じの人で

そしていい意味で変わり者。

ちなみにサッカーFREAKだったりする。




To Be Continued...


2003年02月25日(火) おめでた





昨日電話で『元気にしてる?』って話したばかりの母親から

今日の夜また電話があった。


11時半になろうとしてたくらいだったかなぁ。

ソファーで横になりウトウトしてた私は

“ったく、昨日も話したのに、何なの?”っていう気持ちで

正直不機嫌そうに電話にでた。


『あら、寝てたの?』

さすがに母親、わかってらっしゃる。




『そんな事より、何?』

(─┬─_─┬─)と私。



『そうそう、さっきねぇ・・・・お兄ちゃんから電話あって。』( ̄ー+ ̄)




『アヤさん妊娠したって!』




『きゃー!!!ホントに?!』





(^。^*))>
((^O^)v


一気に目が覚めた。






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そう結婚満4年になるアニキ夫婦。

去年あたりから赤ちゃんがそろそろ欲しいって事で

頑張っていたみたいなんだけど、なかなかできなくて悩んでいた。

奥さんはアニキの一つ年上でなので

30歳前に1人は産んでおきたかったらしい。


ちょっと他人事と言えば、他人事なので

『こういのはねぇ、早いうちに病院いって

検査してもらった方がいいんだよ!』って

スバスバ母親に言っていた私とは裏腹に

周りからのプレッシャーが一番よくないのよ!と

うちの母親は極力その話題を避け

まぁ、いつかできるでしょうぉー的な態度を取っていたらしいが

心の中じゃぁ、そりゃぁ心配だったみたい。



アニキ夫婦は年明け大好きなディズニーランドに

“子供を作り”に泊りで行ってきた。



『今日辺り子供作ってのかねぇー』(^O^)/C□☆□D\(^_^ )


と仙台に残った母親、義理父、私の酔っ払い3人は

ビール片手にちゃかしてたっけ。



それがまさか、ホントにそのディズニー願掛けがかなうとは・・・。


妊娠4週目に入ってるらしい。

ディズニーでできた子ではないけど

年明けにできた子なのは確かだなぁ・・なんて考えてる小姑は

9ヶ月後に生まれる甥・姪に会えるのが楽しみでたまりません。

ベイビザラスで哺乳便とか買って送ってあげようって

ちょっと気が早いのかな?!

アニキ夫婦がどれだけ赤ちゃんが欲しかったか知ってるし

アニキが3年前ストレスで激ヤセしたのとかも知ってるし

きっと色々不安な要素とかあっただろうし

病院に行って検査とかしても『異常なし』って結果をもらってるのに

妊娠してないよぉって、焦りとかもあっただろうなぁって

そういうの考えると何かホント“良かったぁー”って感じる。




おめでとう!アニキ&アヤさん!




これきっかけにディズニーに行くと子供ができるらしい

っていうちょっとした噂が流れたらそれもまた何だかステキ。





2003年02月20日(木) どこか変だよ日本国


前回の日記で日本で不自由さを感じたと書きましたが

日本について1週間は自分が外国人になった気分をしっかり味わった。

友達といて友達と行動してたり

家族といて家族の運転する車に乗ってる分には

さほど感じない不自由さや違和感も

1人で歩いてみるとヒシヒシと感じた。







まず日本の郵便局と銀行が週末閉まってる不便さ




私の記憶が正しければ昔は郵便局も銀行も

土曜日の午前中は開いてました



それがいつから閉まってしまったのでしょうか?



日本にいる友達さえも知らなかったのも事実。


そう日本にいたら最近街にボツボツ浸出し始めたATMがあるから

銀行なんて開いてなくても気にならないのだ。

銀行か郵便局のカードがあれば銀行の現金引き出し機会と同様

振り込みも支払いも引き落としもコンビニでできてしまう




んじゃぁ、それさえも持ってない人達は?



そう、そこは民主主義

多数決により持ってない人は




1)さぁ、早く銀行のATMカードくらいは持ちましょう!



2)週日中に金おろしておくんだな!


という判決になるのです。



せっかく土曜日だってのに、前の日は朝方まで友達と語ったっつうのに

朝早く起きて、しかも雨がサラサラ降る中

銀行に行ったら閉まってる、

でも自分を信じて疑わなかった私は

あー、友達の住む街はちょっと小さいから閉まってるんだ!

隣町の大きな街の銀行なら、都市銀とかなら開いてるはず!

と電車に乗りわざわざ隣町まで行った。



どこに行こうが開いてないのに、

薬局のおばさんに


『銀行って土曜日閉まってるんですか?』


と聞いて

『銀行は週末は閉まってますよね?!(プスッ)』


って言われるまで

気がつかなかった、私。






日本の銀行は使えん!それなら郵便局だぁ!と

斜め前にあった郵便局に入ると機会のみ作動。

隣には東南系の二人組みがカードを入れては英語の説明通りにしてるのに

キャンセル音とともにカードと紙が出てきて

『おい、これどーなってるんだよぉ!』って

半泣き状態で話してるのを横目に

私も機会に向き合う。


『・・・・・・・』






説明ボタンを押してみる






『・・・・・・・』






隣からの視線を感じる







『・・・・・・・』






キャンセルボタンを押す。





『・・・
・・・・』




何事もなかったかのように立ち去る






日本語の説明で書いてあったのにも関わらず

全くもって使い方が分からなかった。

こりゃ、隣にいた外人も苦労するわぁ・・・って感じた。

振り込みってそんなに難しかったっけ?



何でその銀行なり、郵便局のカードを持ってないと使えないのかしら?

こっちってATMならVISAとかついてれば

どこの銀行のATMを使っても手数料は取られるものの

何でもできますよね?!



もうびっくりでした。





そして公衆電話が消えつつある街


に2度目の不便さを感じた


こっちもだいぶ携帯はは主流になってきたけど

持ってなくても対して不便ではない。

でも日本はホント携帯がないと大変で。

最近は皆が持ってるものと勝手に思い込んでる

市や国の方々が次々と公衆電話を取り外してる



日本に帰った時は母親の携帯を持たせてもらってるけど

母親が出かける日と私が出かける日が重なった日とかに限って

電話をかけなくちゃいけないとか

そういうのが重なった寒い冬の夜。



相変わらず英語の標識とか英語を話せる車掌さんとか

少なくて成田エクスプレス乗った時も

訳してあげる場面に遭遇した。


あー、きっとこういう時不安を感じるんだろうなぁって。

日本語が分かって、読める私でも不安に近いものを感じたくらいだし。



あともう少しって所でしょうか。

国際派ニッポンが訪れるようになるのは・・・。


2003年02月18日(火) Mother Country




今回日本に帰ってやっぱり良かったのは

友達や家族に会えた事

自分で選んだ道や

仕方なく選んだ道を

皆しっかり歩き始めていて



不景気の中仕事を見つけるのは大変でやっと見つけた仕事も

給料と仕事内容が反比例な中でも

必死で頑張ってる皆の姿に感銘を受けた

明るく頑張ってる皆の姿が

やっぱりFairmont出身の奴等は一味違うね!

って誇りに思った



アメリカで奢り高ぶりつつあった私が自分自身で見えて

何だか情けなさと恥ずかしさを覚えた

初心に戻って頑張らなくちゃって思った


2年ぶりで会う友達は皆変わってるようで変わってなくて

居心地の良さを必ず感じる事ができて

『あー帰って来て良かった』と感じさせてくれる

そんな友達の存在が、家族の存在がとってもありがたい




やっぱりアメリカにいる時は無意識のうちに虚勢を張ってしまい

それが顔に出たり、ストレスに感じ始めたり

どこか心から安心する事ができないでいるんだなぁっていうのがあり、

日本から帰って来る度、私は表情が柔らんで戻ってくるらしい

それはきっと友達との何気ない時間のおかげであり

友達との会話であり家族との会話であり

母親の作り手料理だったりするのでしょう



最初は2年ぶりの日本に不自由ささえも感じたけど

1ヶ月後LAに帰ると決まった時は

帰りたくないって初めて思った

やっぱり日本、最高です。

私の母国です。





2003年02月15日(土) 坊ちゃん思考にはついてけない






仕事中に電話を何回もかけてきて

その度に留守電を残して、電話を掛け直さなかった事に

腹を立ててもいいし、怒ってもいい

一緒に飲んで、酔っ払って

その勢いでスキンシップが増えてきても気にしない


でもね友達とはこうあるべきだとか

お前はどうだとか

散々熱く人に説教して


お酒の飲み過ぎで気持ち悪くなってダウンしてる私のベットに

いつの間にか入ってきて

犯そうとなんて考えが

私には許せない




優しさのかけらも、いたわりの気持ちさえもなく

並べられるのはキレイな言葉と偽善のみ

いいかげん同情を買おうとするのはやめてくれ





最低だ










2003年02月14日(金) St. V−Day


今日はバレンタイン。

きっと日本の女の子、男の子達は朝からドキドキしてるのでしょう。

その点アメリカのバレンタインは気楽でいい。

女の子から男の子へとか

義理たるものがないので

気を使う必要もないし、

上司に必ずあげなくちゃいけない

なんて事もない。







うちの会社は逆に上司が女の人にバラを買ってくれる。

なんでもそれがしきたりになりつつあるみたいで

女の私はちょっと、いえ、かなり気分がいい。

今年も去年同様、朝会社にいくと私のデスクにバラが置いてあった。


今年はどんなのだろう・・・と

もらえる事を知りつつ会社に向かうわけだけど

やっぱり実際目にするとわかってても

嬉しいもんです。






Fayeからはメールをもらった友達にはメールでお返しを。

ルームメイトにはチューリップの花を。

ミッキーとミニーちゃんがKISSしてるぬいぐるみを

ちゃっかりルームメイトからもらってしまった、私。








今年は一体何人の方々が結ばれ、または振られた日を送ったんでしょう。








この夜私とルームメイトはお酒に溺れ、

年甲斐にもなく夜中に酔っ払い二人はカラオケへGO

二人しかいない部屋は異様な盛り上がりを見せ

店員さんさえも近ずかせないものがあったみたいです。









こんなバレンタインもいいかがでしょうか?





2003年02月12日(水) 私は北国っ子


お久しぶりです。(^o^)/

まだ誰か覗きに来てくれてる方がいるのでしょうか。

少しずつ日記書いていく予定です。

これからもよろしく。







ってことで、だいぶ遅いですが、
あけましておめおめ!v(=∩_∩=)





年が明けたと思ったらもうすでに2月で

2月に入ったなぁって思ったら

2月も中旬にさしかかり・・・・・。

2003になってから何だから一段と時間が過ぎるのが早く感じる。








そう12月19日、私は日本に一時帰国した。

ビザにスタンプを押してきてもらうついでに冬休みだ。

2週間でLAに帰れればいいなぁと思っていたが

予定は未定。

結局日本に1ヶ月もいた。

日本の休日、祝日とアメリカ大使館の休日等が

ものの見事にズレてて、郵便局が開いてると大使館が休みとか

そんなんで結局年末休みに突入。

大使館に書類が届いたのは12月26日で

私のビザが降りたのが1月8日。

私の手元に届いたのが1月10日。

帰りの飛行機の予約が取れたのが1月16日。









その1ヶ月間私はプーの生活をかなり満喫した。







2年ぶりの日本は私が想像してたより変わってなくて

安心したような、懐かしかったような。

でもそれは地元だけの話で東京の若者は怖かったぁ。







今年の冬は関東でもとっても寒いくらい極寒でしたね、日本は。

あーやっぱり私は北国育ちと感じたのは

“寒いー!死ぬぅー!何なのこの寒さぁ!”(>_<。)と文句放れつつも





喜んでしまってる自分 (●゜ー゜●)
がいて・・・・。







私が仙台にいる間はあんまり積もらなかったけど

雪がチラついてて、ロングコート着てても寒くて

道路は雪が解けてできた水で凍ってて

昔はそんな道もチャリでスイスイこぐこともできたけど






年のせいか、






雪の上での歩き方を忘れたのか、






ブーツで何度コケタものか・・・・・。









LAの冬は全くもって冬ではないのでクリスマスだぁとか

どんなに街を冬のイメージにしてても何だかしっくりこなくて。

どこは季節ボケを隠せずにいた私・・・・・。

でも日本での体を切るような寒さで見る街の光とか星とか

コートにマフラーに手袋姿の人とか

WVや地元にいた時には気がつかなかったけど

冬はやっぱりこうなんだってホント思った。






日本の寒さで1ヶ月慣れ親しんだ私の肌

日本に帰る前の私は布団2枚かぶり、

トレーナーT―シャツにその下にキャミ

プラス長ズボン姿でいるにも関わらず、

1人で“寒いー! サムイー!”\(>_<)/と言っていたのに





日本からLAに帰ってきた私は、





1人で“暑いー!暑いー!何?!もう夏?”―γ( ̄ο ̄)

1ヶ月前とは180℃違う言葉を放ていたのは言うまでもない。





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