喰いえるコトなど

グルメ?何それ?ウマイはウレシ、マズイはタノシ。
いわゆるひとつの食い意地日記

2001年09月22日(土) ピーマンを油で炒めて醤油で味付けしたの

人の食の好みはいったいどのようにして、変化を遂げるのか?
大人になってみると子供の頃に大嫌いだったものだって、
いつの間にか当然のように食べられるようになっていたりする。

子供の頃、大嫌いな食べ物があった。
「とてもとても嫌いなモノは、無理に食べんでヨロシイ」
という教育方針の母であったので、
とてもとても嫌いなモノは必ず避けた。
母も子の親であるので、とりあえずは
「色の濃い野菜は身体にイイのだ」とかなんとか、
食べさせるように仕向けてはいたと思う。
それでも、無理強いはしなかった。

我々の世代が子供だった頃、大多数が嫌いである野菜を
私も嫌っていたし、食べられなかった。
濃い濃い緑の野菜、ピーマンだ。
ソレがある日を境に、大好きになった。

私の場合、ある日突然ピーマンに対する味覚が変わった。

小学生の低学年ぐらいだったように思う。夏の始まりの頃。
何故かは知らない。急に思い付いたのだ。フッと。確信をもって。
「ピーマンを油で炒めて醤油で味付けしたのは、美味しい」と。

今の私には「当たり前の事を何言うてんねん?」である。
しかし、昨日の昨日まで大嫌いだったピーマンだ。
8年だか、9年だか、10年だか、日々積み上げてきた味覚で、
いつのまにか「ピーマン嫌いだ。食べにゃい」と決め、
子供特有の強情さでもって、頑にその信念を守っていたのだ。
食べて、そう思ったのでなく、料理番組を見ていた訳でもない。
一晩寝て学校から帰ってくるまで、ピーマンのピの字も考えていなかった。
ただ思い付いたのだ。突然に。ある日の夕方。

思い付いた途端、速攻で冷蔵庫の中のピーマンを取り出した。
縦半分に切って、種を取り出す。そして細切り。
そうしている間も、ピーマンの油炒め醤油味が
出来上がるのが待ち遠しくて、待ち遠しくて、仕方がなかった。
自分の思い付きを確かめたかったし、
確かめる以前に何故だか確信があって、
口に入れたくて入れたくて、仕方がなかった。
そしてそう思っている自分が不思議で不思議で、楽しくもあった。

フライパンに胡麻油を引き、ピーマンを炒める。
しなっとしてきたら、フライパンに醤油を落とす。
今なら、鍋肌に円を書くように醤油を垂らしてちょっと焦がす。
    ↑フライパンにでも鍋肌でイイんですか?
しかし、当時はそんな知恵もなかったし、
とにかく「ピーマンを油で炒めて醤油で味付けしたの」を
一刻も早く食べたかった。

小皿に「ピーマンを油で炒めて醤油で味付けしたの」
をのっけて、台所で一口。
「ほらぁーーーーーーーーー!!やっぱりな!!」

イソイソと小皿とお箸を持って、居間へ移った。
昨日までの自分がウソのようにぱくぱくと平らげた。
自分の確信が間違ってなかった事への喜びと、
もちろん「おいしい」が嬉しかった。

私のあの日の思い付き、ぜひ点取り占いに入れて欲しい。


      お つ し で ピ
      い け ょ い |
      し た う た マ
  ◎   い の ゆ め ン
  10      で て を
  点     は 味   油



・・・・・・・その、まんまやん!




2001年09月20日(木) どこに売ってんの?チロルチョコレートコーヒーヌガー味。

朝早く出かける時のお楽しみがある。
御飯を食べるほど、時間はない。
しかし、血糖値をあげて、すっきりシャッキリしたい。
そんな時、出がけに買うセットがそのお楽しみだ。
コーヒーとチロルチョコレートコーヒーヌガー味。

コーヒーは無糖ブラックか、もしくはカフェオレ。
カフェオレは無糖の時とそうでない時と気分によって選ぶ。
この夏はドトールのアーモンドキャラメル
カフェ・ラテが時に、登板する事があった。
結構、気に入っていたのだが、家から駅までの道中にある
コンビニでは見かけなくなった。ちょっと残念だ。

砂糖を焦がして作るキャラメルというか、
カラメルは私の大好物だ。
あの苦甘い味覚が大好きで、大好きでたまらん。
ひとつ気になる事といえば、白砂糖時のカロリーと
焦がした後のカロリーは違うのだろうか、という事。
ネットで調べてみたが、
私の素朴な質問にヒットするページはなかった。
たぶん、焦がしたくらいでカロリーは変わらないのだろう。

そしてドトールのアーモンドキャラメル
カフェ・ラテよりさらに残念なのは、
チロルチョコレートコーヒーヌガー味を
全然見かけなくなってしまった事。

な、な、なんでや?
チロルイチゴチョコとか、チロルミルクはイヤという程見かける。
せやのに、なんでチロルチョコレートコーヒーヌガー味だけ?

ヌガーだけだと全然好きじゃない、つーか嫌いです。
あんな砂糖甘い、ネタベタするものを
それだけで食べようなんて全然思わない。
ところがチョコレートとマッチングしたらば、
とたんに私の中で評価が上がる。
「大好きなチョコレートさんがペアを組まれたのでしたら、
好意的に受け取らせていただきますよ」てなところ。
正直いって少し不満は残るのだが、
チョコレートとのマッチングの妙ゆえに
贔屓目で見てしまう、といったところか。

三角パッケージがより心をくすぐる
Tobler社のTOBLERONEしかり。
♪お腹がすいたら〜♪で、お馴染みのスニッカーズしかり。
 どちらも私には若干甘さが強い。

TOBLERONEは子供時代の大好物で、
とりあえず旨いというくくりで落ち着いている。
スニッカーズのほうはさらに甘甘な上に、
たまにピーナッツが湿気ているような時がある。

そうなると
「君ねぇ〜、いくら偉いさんの縁故入社だといえ、
こっちとしても目がつぶれる事と、そうでない事があるよ」
とかなんとか
『縁故で入社したダメ社員をエラソーに叱ってはいるものの、
自分だって本当は一生会社に忠心を誓って、
せいぜいが部長どまりのおっさんの役』
を頭の中で演じるごっこをして無理矢理楽しむ。
とまあ、そこまでしてポイントを高めに持っていく。
贔屓の引き倒しもいいとこだ。
それもこれもヌガーがチョコレートに包まれているからだ。

その点、チロルチョココーヒーヌガー味はどうだ。
はじめはチョコを歯で砕いて、それとヌガーのコーヒー味が
渾然一体となったバランスの妙を楽しむ。
そのうち、必然的にヌガーだけが口に残るのであるが、
コーヒーで味付けられたヌガーは、砂糖甘さが気にならない。
カラメルと同じく、その苦甘い味覚は本当に旨い。
でかしたチロル。しかも10円。

たまたま在庫が切れて、近所のコンビニでは
見かけられないだけだと思う。
どうか、私の早朝のお楽しみがまた復活しますように。




2001年09月16日(日) 玄米にぎりを買った日


朝早くから出かけ、1時ごろ帰路についた。
電車にのる前に、おにぎり屋さんが目についた。
玄米の梅にぎり一個だけオーダー。
早く家に帰りたかったので、持ち帰りで。
レジの前でしばらく待っていると店員に見つめられている。

「なんか、見つめられてる?オレに惚れんナよ。
同性愛は肯定するが、私の嗜好ではないのだよ。ふふふ」
と声には出さず、ソッと目で語ろうとしたその矢先、
可愛いおねーちゃんはハッとした表情に。
「あの、お持ち帰りですか?」
どうやら、持ち帰りでという意志が上手く伝わらなかったらしい。

レジから見える奥のカウンター。
トレイの上に、ポツンと置かれた玄米にぎりが見える。
あれよあれよと言ううちに、ちんまりとした玄米にぎりは、
プラスティックパックにほおりこまれた。
店のロゴマークが印字された細長い紙切れを、
クルリンと回し、さらに輪ゴムをパッチンな。
全てのプラスティックパックに対応するサイズにしているのだろう、
一個用のプラスティックパックにはその紙切れは存分に長い。
プラスティックパックが厳かに、奥底深く鎮座ましました
ビニール袋を手渡された。

えっらい大層なコトですな。
ちょいと減ったコ腹を満たすため、人目をさけて駅のホームででも
パクつくつもりで買ったのだが、気が変わった。

だってねぇ。
玄米の梅にぎり一個に、プラスティックパック、
ロゴマーク入り紙切れ、輪ゴム、ビニール袋。

包装が中身に対して、あまりにも大層な気がして。
せめて包装されている時間を少しでも長くする事で、
その役割により意味を持たせないと、勿体無い気がして。

たったおにぎり一個、竹の皮で包んでくれるだけでいいのに。
今や、それが贅沢なんでしょうか?それなら贅沢は言いません。
ビニールシートでクルリンと包んで終わりでイイのに。
なんでしょね?過剰包装?

勿体無い、勿体無い。
ババくさいのぅ、自分。貧乏性やなぁ、自分。
でもね、性に合わない。
今度その店で買う時は、はじめに包装を減らしてもらうよう伝る。

家に辿り着き、おかずを作る。
茄子とキャベツのお味噌汁と、出し巻き卵。
おいしかったよ。ごちそうさまでした。




2001年09月13日(木) 柿の実を踏み付けず歩くのに苦労する頃


2階にある部屋を出て、階段を降りたアパートの中庭。
そこでは最近、柿の実を蹴らずに歩くのに苦労する。

部屋の窓から手をのばせば届く距離にあるその柿の木は、
夏の終わり頃から、緑の実をつけはじめた。

いまだ熟す時期ではないけれど、図体だけはいっちょ前に育ち、
姿形を整えていく。

柿の木は随分と折れやすいと聞く。
まずはその体裁を整えるべく、育った柿の実は充分に重い。
枝がその重みに耐えきれないのだろう。
どんどんゴロゴロがんがんゴンゴン、その実は枝から落ちてゆく。
うかつに歩いて、落ちた実を蹴ってしまうと、
まだまだ固くて、けっこう痛い。

緑のまま落ちて行くモノ。
ほんのり柿色に染まりはじめたというのに
熟すのを待てず落ちて行くモノ。

まだまだ固い柿の実は、充分に重いそのずっしりを、
地面に落ちる度に、しっかりとアピールする。

柿は秋。

そういう思い込みから、暑い暑いこの夏の終わりに、
「どさり」「ごろり」と聞こえても、何の音だかわからなかった。
緑のままとはいえ、中庭に丸い物体を見つけた時には
違和感があった。

庭に転がる緑の物体にもそろそろ違和感はなくなってきた。
2階の部屋にいてさえ、「どさり」「ごろり」で、
柿の実が落ちた時にはよくわかる。

もういくらか待てば「どさり」「ごろり」が「ぺしゃり」に変わる。
枝についたまま「ぺしゃり」まで熟した赤い実は鳥の取り分。
我々の取り分は「ぺしゃり」に変わる前の、
ほどほどに熟しただいだい色の実。

この木がなんと呼ぶべき種類の柿かは知らないけれど、
だいだい色に熟した程度では、
たっぷりのゴマがあっても少し渋が残る。

「ぺしゃり」に変わる前に、太めの枝の先に実った幸運な実をもぐ。
そうして焼酎を振りかけ、さらし柿を作る。
柿の渋の元であるタンニンが抜け、なんとも甘くなる。
ぐずぐずに柔らかくなったさらし柿は私の大好物だ。

幸運な実をもいで、1〜2週間もすると中庭から聞こえてくるのは「ぺしゃり」だけ。
「ぺしゃり」と落ちた柿の実をうかつに踏み付けると、
滑るわ、匂うわの大惨事である。
その頃には、焼酎を振り掛けられた、
ほどほどに熟した実も食べごろになる。




2001年09月01日(土) ニガウリ、苦いカ、ニガないか。

昨日の続き。
頂きものニガウリは、調理前の下準備をした。
切ってみると、夏野菜の証しである濃い緑を残した部分やら、
目にも優しいふわふわクリーム色やら、なかなか楽しませてくれた。

もうひとつのニガウリ、御近所さんニガウリも縦半分に切る。

すると!!!な、な、なんと!!!
思いかけない光景が、ニガウリの内部に展開されていた。

ふわふわクリーム色であるはずの内壁はところどころ、赤色に変色。
その激しい赤色のふわふわに横たわっている、
やはり、クリーム色であるはずの種はパンキッシュな黄色に。
外側の緑に、内壁の赤、そうして種の黄色。
それぞれが鮮やかに濃く、見事に色の三原色が揃っている。
あ、間違えた。色の三原色は「赤、黄、青」ですな。信号色でした。

どっちにしても、綺麗やなぁ〜〜〜〜。ぼーーーー。
          ↑しばし、見とれる。

もしもし?何感心してるんですか、自分?
本来の目的を忘れたか、自分?
なんで綺麗になっているか、解ってる?
それはね、腐っているのよ、腐敗しているの。フ・ハ・イ!!
苦味検証をするのが、目的でしょうが。ふふふ、はぁ〜い。なーんちて。                

と、いう事は………………
食べられへんのんじゃぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
ええい!!!まったく、ニガニガしい!!
この腐れニガウリめ!根性がない。
どうせ、ニガニガしい思いをさせるなら、
食わせて「ニガニガ」させてみんかぁーーーーい!!

ハイ。八つ当たり終わり。

そんな感じにね、腐ってました。ニガウリ。あーーーもったいな。
それにしてもね、美しかったですわ。見てみたいですか?
ニガウリをね、部屋の前の廊下にぶら下げた、
プラスチックの紐で編んだ野菜用篭に入れときゃ大丈夫です。
後、森が近所にあって、木造の古いアパートだとサイコ〜〜〜〜!!
ものの5日もあったら、ニガウリの内部では神秘的な活動が行われ、
そのうち、色鮮やかな世界を見せてくれる事を保証いたします。

言い訳する訳じゃないですけどぉ〜、
都会に程近いコーポに住んでいた頃より、
絶対的にココのが食べもン腐りやすいんですわ。
まじ、まじ、ホンマ、ホンマ。
細胞が活動的になる条件が整っているんでしょうかね?

さて、そんなこんなで、有機農法で作ったという、
頂きモノニガウリで作りました、ゴーヤチャンプルー。
美味しかったです。苦かったです。
こないだ食べたレンコンとニガウリのピーナツバター炒めとは
比べ物にならんくらい苦くて、美味しかった。

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ニガウリの実体、苦味の実力検証結果
予想した1〜3の範疇内には結果はなかった。

頂きモノニガウリは「ニガ」、
御近所さんニガウリは「ニガ」か「いまいちニガ」か
判明しないママであった。
しかし、御近所さんニガウリはニガウリとして、
私に「ニガウリのクセに、ニガないんちゃぁ〜ぅ?」などと、
疑われたママでは済まさなかった。
一見、そうとは悟られないままに内部では鮮やかな変貌をとげる。
それは無言の抵抗である。口に運び入れる事を拒否されたのである。
こっちは、食べる気マンマンであったのに、
まったく期待を裏切られ、苦々しい思いをした。
なおかつ、その変貌の美しさにうっとりと見とれもした。
ニガウリのプライドを見せつけられたかのような気がする。

やはり、ニガウリはニガい。
天晴れ!!ニガウリ!!なのであった。



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