Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2006年03月03日(金) 憧れと本義

機ι埒兇暴わったトリノ五輪を受け、練習場の確保などに充てる選手強化費を国が出すべきだ、との声が飛び交っている。一方、それに対して「五輪は参加する事に意義があるのだ」という意見も盛んだ。テレビではこの二つの考えを対立させて興味をあおっているようだが、どうにも話の立脚点がズレている感がある。思うに、日本においては、オリンピックがスポーツの祭典であるという大前提が、無意識・意識の双方から大きく忘れられてしまっているような気がしてならない。本来的に、類まれなる運動神経とか、非常に優れた技術に支えられた美技を称えるべき場を、成績という点にその意義を集約させてしまうのは発想の貧困を極めるし、かと言って、出場すればそれでヨシなんて考えも妙ではないかと思う。要は個々人が持てる力を存分に発揮してくれればいいのであって、順位にこだわるのはそもそも二の次であるべきなのだ。ベストを尽くす、という言葉が全てである。
だからこそ、優れた才能を持つスルツカヤやコーエンが実力を出し切れなかったのは残念であるし、それだけ今回の女子フィギュアはレベルが低かったと言わざるを得ない(しかし、荒川選手はよく頑張ったと思う)。
日本人選手の不振で、思ったような視聴率がとれないというマスコミの嘆きはもっともかも知れないが、(例えば)プルシェンコの素晴らしい4回転ジャンプを見られれば、それで満足すべきではないか。メダル云々に血眼の人を見ると、一流の才能を目にする事の出来る喜びを、もう少し素直に感じたほうがいいのになあ、と思う。

供α瓦の幸運から、ある女優にお目にかかる機会を得た。その人は少しばかり口下手なようで、話を聞いているこちらの方が幾分ハラハラしたが、人柄の良さは充分に伝わってきたので安心した。考えてみると、この魑魅魍魎たる情報化社会の中では、俳優・タレントといった職種でさえ、マズイ面を少しでもさらけだしてしまえば、すぐに悪い印象を持たれてしまってもおかしくないのではなかろうか。私的な立場でのあり様も、悪意ある人間にかかればインターネットであらゆる地域に簡単に伝播してしまうのだ。まして<公的なイメージ>を大事にせざるをえない芸能人は、うかつに隙を見させられないという点で、本当の意味でのプライベートなど、もはや存在しないのかもしれない。終始、笑顔を絶やさなかった彼女を見て、常に衆目の好奇心にさらされる稼業は、つくづくシンドイだろうなあと思った。


橋本繁久

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