Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2004年03月23日(火) いかりや長介とザ・ドリフターズの栄光

死去の報を聞いてから丸二日経ったが、「いかりやさんショック」はまだ続いている。ある程度の予想はついたものの、それでもここまで応えるとは思っても見なかった。私にとってドリフの存在がどれだけ大きかったか、今さらながら痛切に感じている。

いかりやさんが亡くなった今、インターネットのそこかしこでドリフターズを懐かしむ声があがっている。多くは自分の思い入れを絡めて情感たっぷりに「私にとってのドリフ」を語る、という形式だ。そのおびただしい分量の文章を読んでいると、ドリフがいかに多くの人々に支持されていたのかが良くわかり非常に感慨深い。私も当然、支持層のひとりであるから一連の追悼文を読んでいると大変触発される。そこで今回は私なりの「ドリフ論」を勿体つけて披露しようと思っている。ただし、自分の主観を入れるのは極力やめたいと思う。他の日記と同じ趣向ではありきたりに過ぎるからだ。感傷的な文章よりもドリフの功績を分析したほうが読んでいる人も面白いだろう。主観の目から完全に逃げることは出来ないだろうが、できるだけドライな目で、ザ・ドリフターズが日本のコメディアン史に遺したものを検証してみたい。

さて、話は前回の私の日記にさかのぼる。私はあの時、「いろんな意味を含めてドリフこそがテレビの能力を100%活かすことのできたグループだったのだ」と書いたはずである。この意味を具体的に説明することから始めよう。テレビ草創期以降、クレイジー・キャッツやコント55号、渥美清や森繁久弥、あきれたぼういず、のらくらコンビ、てんぷくトリオなどといった大スターが次々と現れた。ドリフはこの系統(特にクレイジー・キャッツ)の後輩にあたるのだが、正直言って欽ちゃんや渥美清、あるいは植木等などに比べれば、ドリフターズの面々が才能的にやや劣っていたことは認めざるをえないだろう。唯一、その点において突出していたのが志村けんで、彼はその他の4人とは「笑い」に対する志向性が明らかに違う部分が散見される(志村は基本的に楽器が弾けない)。その意味では志村はドリフ以前の日本のお笑いと、それ以降の「漫才ブーム」から来たお笑いの架け橋を努めたと言える。話は戻るが欽ちゃんたちは本当に才能の塊で、1981年生まれの私はもちろん全盛期を知らないが、時々放送される「懐かしコメディアン特集」などでその非凡さを充分すぎるほど理解している。対するドリフは、欽ちゃんのような動きのキレはなく、植木等のような音楽的センスと都会的なシャレた雰囲気は感じられず、渥美清のような居ずまいの可笑しさも乏しく、森繁久弥のような飄々としたノリも足りなく、ビートたけしのような狂気じみた才能にも欠けていた。しかし、だからと言って「ドリフターズはつまらない」という単純な図式にはならないのである。彼らはテレビというメディアを最大限有効に使うことができる、何物にも代えがたい素晴らしい能力を持っていたのだ。これぞ彼らを長い間頂点に君臨せしめた、天賦の技能なのである。

ではテレビを有効に使う能力とは一体何なのか。その前に、テレビの構造的根源的な性質において述べておこう。元々テレビは視聴者に伝染的な特性を与える機械である。例えば、ある男Aが今、料理番組を見ているとする。Aはテレビに映るビーフシチューを見て、「おいしそうだなあ」と口にする。それを横にいた男Bが聞いて、思わず顔を上げて画面を見る。そして同じく「美味そうだ」と感想をもらす。すると男AはBのセリフを聞いて腹を空かす。その様子を見てBも腹が減ってくる。それを見たAが・・・という様に、連鎖的に視聴者を感化させる作用が働くのがテレビなのである。上記の状況下では一人で見るよりも二人、二人よりも三人と、人数が多ければ多いほどより各自の腹が空く仕組みになっている。料理番組はいかに美味しそうな料理を作って視聴者の腹を減らせるのが目的であるから(つまり、スポンサーの商品を買って番組のような美味しい料理を作りましょう、とたきつけるのがアチラの作戦なのである)視聴率とは別に、一台のテレビの前に何人の人間を座らせるかが重要になってくるのだ。無論、この方式はお笑い番組にも当てはまる。一人で部屋にこもって見るよりも、多人数でわいわい見たほうが確実に面白いのである。

では冒頭の命題に戻ってみよう。ドリフが抜群に優れていた能力とは、他でもなく、この「みんなで見ることによって面白さを増幅させる」ことだったのである。彼らはテレビの特性をよく理解していた。この世界で長く覇を唱えるにはテレビを自分に合わさせるのではなく、テレビに自分をあわす必要がある。そこで彼らは一人でも多くの人間を同じテレビ受信機に釘付けにするような作戦を取った。つまり万人に受けるように番組を作ったのである。具体的に言えばそれは徹底的に子供の目線に立った番組作りをひたすら遂行することだった。(いかりやさんは「子供向けに作ったことは一度もなかった」と言っていたが、これはおそらくいかりやさん特有の照れ隠しではないかと思う)。これはコロンブスの卵的な盲点を突いた、いかにも上手い考えである。子供を味方につければその子供の両親が見始めるはずである。両親が面白がれば、ママさん達は近所の公園で「『全員集合』って下品でや〜よねぇ」などと言いつつおしゃべりに花を咲かし、父親は会社の上司に「うちの愚息はあんな番組が好きでホントに困っちゃうんですよ」と無意識のうちに番組PRをする。上司は部下の気持ちを知りたいと常々思っている生き物だから、試しに土曜八時にチャンネルをTBSにあわせて見てやろうとする、その結果見事にドリフの術中にはまる。その上司が社長に呼び出され、「近頃の若いもんの考えることはよう解らん。何か共有できるような話題はないかね」と面倒くさそうな表情で言うと、上司はもみ手で「それなら『全員集合』というテレビ番組をご覧になったらいかがでしょうか」と提案し、社長もドリフの餌食となる。その社長が何かの記念パーティーでライバル会社の社長と同席し、「ほう、貴方は『全員集合』をご覧になってないのですか、それじゃあ我が社を追い抜くことは出来ませんなあ」と嫌味たっぷりに言う。ライバル社長は躍起になって番組を見て、それを・・・と言うように、子供を第一視聴者にすると、ねずみ算的に視聴者は増えてゆくのである。そして、両親と子供、学校の友達と先生、職場の部下と上司、それぞれが楽しさを共有することによって、ドリフの笑いはより輝いたのだ。よくよく考えてみれば、テレビのバラエティー番組は仕事に忙しくて子供に構っていられない大人が子守唄代わりに見させたものであるから、子供主眼のバラエティー戦略は、高度経済成長期の家族形態の深部まで滑り込むまさにグッドアイデアであったのだ。よく「全員集合」は「俗悪番組」と常に叩かれ続けてきたと聞くが、これはウソあるいは誇張が激しいのではないか、と私は思っている。そんなことを言うのは、朝の紅茶にバルバドス島の角砂糖を淹れて飲み、三日に一度の割で晩酌のお供にキャビアをたしなみ、座ると溺れそうなぐらい深いソファに腰を下ろし、屏風ぐらいの大きさのテレビで番組鑑賞なさるような上流階級の人たちだけで、一般大衆の大人は低俗だと思いながらも密かに面白がって見ていた公算が高い。実際今見てみても、それほど俗悪だとは思えないのだ。ドリフが我々に提供した笑いは基本的には下ネタに依拠していたが、これにも.Ε鵐灰優燭鉢▲┘蹈優燭瞭鷦鑪爐あって、ドリフは,鬚笋襪海箸呂△辰討皚△鮗茲蠑紊欧襪海箸呂覆った(志村をのぞく)。△鬚笋襪伐搬欧澆鵑覆埜ることが出来なくなるからである。最近のお笑い芸人を貶すつもりはないが、たけしや・さんま・タモリや、ダウンタウン、とんねるず、ナイナイ、爆笑問題といった最近の人はすぐに△冒る傾向があり、故にみんなでみて面白さを倍化させることは出来ない。ドリフより後の芸人達が使ったこの深夜番組的な制作姿勢は、容易にコアなファンを獲得することが可能であり、「孤独の時代」と言われる今の風潮にあった供給形態とも言えるが、代償として失ったものも大きい。また、欽ちゃんや植木等などの昔の芸人は△鯊人僂靴覆ったものの、ドリフのようなテレビを完璧に生かす番組作りをしていたとは言えないだろう(欽ちゃんは「視聴者いじり」という新境地を開いて悪戦苦闘していたのが印象深いが)。「テレビで家族と共有する笑い」という芸当を成し遂げたコメディアンは本当にドリフ以外には見当たらないのだ。彼らは笑いを押し付けるようなことはせず、ただひたすら視聴者を楽しませることに徹した。その結果として王者の地位に長く留まり続けたのである。存在自体が稀有としか言いようがなく、いずれまた同じようなグループが出てきたとしてもテレビを巡る家族形態が変化してしまった昨今では新たな旋風を巻き起こすのは至難の業と考えるに易しい。テレビの効力を全て引き出したザ・ドリフターズはやっぱり偉大だったのである。

※明日テレビ朝日で放送される「ドリフと光子の爆笑劇場」では加藤と志村の歌舞伎牛乳コントが収録されているようである。このコントは加藤&志村の作品の中でも1、2を争うほどの面白さと記憶している。まあ、あんまり期待をかけると逆効果なので、暇でもあれば是非見てみてくださいとだけ言っておこう。本当に面白いですよ。


2004年03月21日(日) 時間だよ 仕方がない

いかりや長介さんが亡くなってしまった。まだまだやるべきことがいっぱいあったのに、病魔に侵されて密やかに旅立ってしまった。なんと悲しく、悔しいことだろう。私はいま、とてつもない虚脱感にみまわれている。こんな気持ちは渥美清が亡くなって以来のことである。

私がドリフを見始めたのは物心つくよりはるか前、掛け値なしに考えても生まれた瞬間から既に体験的に知っていたはずである。何しろ父親がドリフの大ファンで、「8時だよ全員集合」も「ドリフの大爆笑」も「ドリフと女優の爆笑劇場」も全て欠かさず見るほどの熱烈なフリークだったのだ。私は毎週「全員集合」のオープニングテーマを子守唄にして、さながらインプリンティング的にドリフに好意を寄せていった。3歳ぐらいになると、もう完全に「教育テレビは探検ぼくの町、ヒーローはシャイダー、コントはドリフ」という方程式ができあがっていた。父親と同じ頭脳構造を持っている私がドリフを面白がらないわけがないのだ。「全員集合」の末期から本格的に見始め、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」や「だいじょぶだあ」を挟んで、去年12月に放映された「40周年だよ ドリフ大爆笑」までほぼ欠かすことなくドリフの番組を追ってきた。感覚的なところでは、5人のメンバー全員が自分の身内のような存在であった。それだけに、この訃報は信じられない。信じたくない。

私がいかりやさんに対して抱いていたイメージは「15年にも及ぶ激戦を見事勝ち抜いた指揮官」というものである。「全員集合(ごきげんテレビも含む)」というお化け番組は、途中「欽ドコ」や「ひょうきん族」といったライバルに何度も立場を脅かされながらも、最終的には勝ち越しを決めた稀有な存在である。「笑い」のポイントゲッターは加藤や志村がその役を一向に引き受けてきたが、それも、いかりやさんがメンバーをしっかりと引っ張っていたからこそ成り立っていたものであり、85年以降、各個人でのテレビ出演が増えるようになってからも、「根元のところでいかりや長介がいる」という安定感がなかったらこれほどまでに支持はされなかっただろう。いかりやさんこそドリフの最重要メンバーであり、いかりやさんがいないドリフなど考えられない。と言うことは、いかりやさんの死は「ザ・ドリフターズ」の歴史が残念ながら終焉を迎えてしまったことを意味する。 今さら「ひとつの時代が終わった」などというありきたりな表現を使いたくはないが、ドリフの完全終結は戦後のコミック・バンドを基調としたコメディアン・グループの最後の砦が完璧に崩れてしまったことと同義である。「漫才ブーム」以降、こういった趣向のお笑いグループが出てこなかっただけに、お笑いの中のひとつのジャンルが絶滅してしまったことを遺憾ながら認めざるを得ない。いろんな意味を含めてドリフこそがテレビの能力を100%活かすことのできたグループだったのだ、と私は今ながら感じている。欽ちゃんやビートたけしは本来演芸的な才能を持っているため、テレビで全ての力を出し切ることは不可能である。もちろん、今のお笑い界を見渡してみても、ドリフのようなグループは全く存在しない。

「全員集合」をやっていた頃は毎日が戦争のような忙しさで、休むヒマなど全くなかったという。お笑いはしょせん日銭商売、流行り廃りが激しいこの世の中で、しかし20年以上もトップの地位に君臨し続けるには想像を絶するような努力が隠されていたに違いない。一意専心というか、ひとつのものに情熱を捧げた人間の心意気がしみじみと伝わってくる。さようなら、いかりやさん。本当にお疲れ様でした。


2004年03月18日(木) 声に出して読みたい男はつらいよ第1作

2年半前から、ひっそりと、しかし着実に予定を消化していた「寅さん全作大放送」が来週の今日、すなわち3月25日に最終回を迎える。途中から本編カットが入ったりするなどなかなか不満も多かったが、奇麗な画質で放送してた点など評価するところも多い。何より、この一連の放送で寅さんファンになった人が結構いるらしく、古参のファンとしてはその点においてテレビ東京を最大限に誉めそやしたいと思う。しかし、新規ファンの中にはシリーズの中途から見始めたため、最初の方の作品を見逃している、というケースも多いようだ。これは由々しき事態である。「男はつらいよ」の初期作品を見ずして寅さんを語るのは、カレーライスをルーをかけないで食べるのと同じぐらい馬鹿げた行為なのだ。何とか第1作のスジだけでもつかんでおいて欲しい。そうすればカレーの代わりに福神漬けをたっぷり乗せたカレーライスを食べているぐらいの価値があるはずである。そこではたと思いついた。この日記で第1作の粗筋を書けばよいのだ。それも巷にいる批評家っぽく解説を加えつつ書くのだ。さすればこの日記に目を通した人は第1作を見たくなること請け合い、例えば会社の上司に寅さんファンがいても上手く立ち回れること間違いなしである。お暇のある方、是非お読み下さい。

※※※※

この映画は主人公・車寅次郎(渥美清)のモノローグから始まる。柴又を出奔した理由と、流浪の生活を続けてきた経緯を語り上げるのだが、のっけからとても聞き応えのある名調子である。渥美清が美声の持ち主であることを早々と観客に印象付けることに成功していると言えるだろう。独白が終わると、この第1作以来27年48作変わることなく繰り返されたオープニングが流れ、次いで草を食んで粋がっている寅次郎の姿が映し出される。寅次郎は題経寺でつね(三崎千恵子)に会い、とらやに舞い戻り、ついに妹・さくら(倍賞千恵子)との涙の再会となる。ところが、感動がピークに達したところで寅次郎が「しょんべんしてくらあ」と言い放つ。この落し方が非常に上手い。「笑って泣いて」を標榜する人情喜劇の面目躍如である。

翌日、さくらは見合いを控えており、昨夜の深酒で泥酔している竜造(森川信)の代わりに寅次郎が同席することになる。行きのタクシーの中で寅はさくらに偉そうに講釈をたれるが、実際の席では失態に失態を重ね、ついには悪酔いしてお見合いをぶち壊しにしてしまう。見合いのシーンはエスカレーター式に笑いが高まり、同時に寅次郎のダメっぷりがしみじみと伝わってくる仕掛けになっている。さらに翌日、さくらは縁談を断られ、憤慨した竜造とつねは寅次郎を叱りつける。ところが寅次郎は悪態をつき、止めに入ったさくらや裏の朝日印刷の工員・博(前田吟)を巻き込んでの大喧嘩が展開される。ここでの森川信と渥美清の対決は、二人がまぎれもなく一流コメディアンであることを証明する格好の場である。竜造が寅を殴り、「これはおめえの親父のゲンコツだぞ!」と説教すると、寅はすかさず「笑わせるな、親父のゲンコツはもっと痛かったい!」と返す、このセリフの流れが素晴らしい。結局、寅次郎は反省し、”けじめ”として「とらや」を出てゆく。江戸川の土手で舎弟の登(秋野太作)とさくらが止めようと必死に叫ぶが、寅次郎は「そこが渡世人のつれえところよ」と呟き、去っていく。このシーンは古くからある仁侠映画のパロディーである。

ひと月後、「とらや」に御前様(笠智衆)の娘・冬子(光本幸子)から手紙がくる。奈良で病気療養をしていた折に寅次郎に会ったと言う。冬子は柴又に帰ってくるが、冬子に一目惚れした寅もシレっとした顔で帰ってくる。一方、工員の博はさくらを好いていて、さくらの方もまんざらではないが、まだはっきりとした関係にはなっていない。ところが寅次郎がその間に割って入り、「俺の妹は大学教授の嫁にするんだ、お前らみたいな卑しいやつにはやらない」 と自分のことをすっかり棚に上げてものを言い、怒った博と対決することになる。博が寅次郎に「もし、あなたが今の僕と同じ気持ちだったら、僕と同じ行動をするはずだ」とインテリ的発言をすると、寅次郎は「お前と俺は別な人間だぞ。俺が芋食ったらおまえの尻からプッーと屁が出るとでも思っているのか」と妙に理屈っぽいことをいう。寅次郎のこういうところが実に面白い。愚かで憎めない反面、神経質で変なところを気にするという心性は、はるか昔に存在した日本人の縮図のようでもある。

さて、お互い腹を割って話しあった後は、一転して寅が博の応援役を仕る。「一度だってもてたことのない」寅次郎が、博に恋の手ほどきをするのである。これだけでも馬鹿みたいに可笑しい話だが、さらに畳み掛けるような展開が待っている。さくらの気持ちを聞いてきてやると、寅はわざわざさくらの会社まで出向き、ちっとも本題に入らぬまま、さくらの適当な受け答えを「ダメだ」という意味に曲解して、博に「あきらめろ」と伝えてしまうのである。寅次郎の無茶苦茶さが炸裂した場面として特筆に価するだろう。玉砕したと思い込んだ博は、「とらや」に駆け込み、これまでの自分の思いを告げて工場を出る。事情を飲み込めないさくらは寅を問いただし、事の顛末をようやく理解して博を追いかける。「とらや」の面々は、またもさくらの恋心が踏みにじられたと寅次郎を罵倒する。タコ社長(太宰久雄)の「お前なんかに中小企業の経営者の苦労がわかってたまるか」、竜造の「出て行ってくれ!」、寅次郎の「それを言っちゃあおしまいよ」など、後々まで繰り返し使用される珍セリフはここで粗方出揃う。みんなからさんざ責められて腐っている寅次郎の元にさくらが帰ってきて、博と結婚することを告げ、その了解を寅次郎から得ようとする。このシーンは実にしんみりとする。今まで二人の恋を邪魔してきた寅に結婚の許しをもらおうとしているのである。流石の寅も自分の愚かさを悟る。さくらの無私のやさしさは逆説的に寅への批判となっているのである。

そして場面は一気に川甚での披露宴へと飛ぶ。博は父親(志村喬)と反目しており、結婚式には来たものの、双方とも口を利こうとしない。これには義を重んじる(と自分では思っている)寅次郎の怒りが爆発するが、父親はスピーチの壇に立つと、さくらに対して涙ながらに感謝の礼を言う。博と父親は和解し、寅次郎も心の底から祝福する。この場面もペーソスが効いていて、本当に見るのが心地よい。さくら夫婦は新婚旅行へと飛び立つ。

かねてからの懸案事項がなくなると、いよいよ寅の中の恋の虫が騒ぎ出す。朝な夕な冬子のもとに出向き、一声二声言葉を交わし、有頂天で帰ってくるのである。噂はすぐさま町内に浸透、そのことを知らないのは寅次郎ただひとり。こんな調子の片道切符だから、一方的な破局の日も当然やってくる。いつもの様に冬子のもとにやってきた寅次郎は、彼女がまじめで頭の良さそうな青年と親しげに語り合っているのを目撃する。すごすごと引き下がり、御前様に訳を聞くと「これから結婚する予定だ・・・・」。これに続く寅の間抜け顔のショットは痛切である。しかし、これ以上に悲惨な現実が待ち受けていた。実はここからが本作品最大の見どころである。「とらや」でひとり酒を煽っていると、新婚旅行から帰ってきたさくら達と竜造・つね・タコが店に入ってくる。当面の話題は、なんと寅の馬鹿な恋愛沙汰についてである。とっさに寅次郎は押入れのふすまに隠れる。そうとは知らない面々は、徹底的に寅次郎の馬鹿さ加減を槍玉にあげる。いや、さくらだけはこの期に及んでも未だ兄を擁護していることを特筆しておこう。さんざん悪口を言って疲れた竜造は、さくらに押入れから枕を出すよう頼む。そしてさくらが押入れを開けると、そこには四角い顔をした男が真っ赤になってビールを飲んでいる・・・これを見た一同は逆に顔面蒼白。竜造は心臓までおかしくなってくる。寅次郎は怒りを必死に噛んで、妹が止めるのを聞かずに旅に出る。その後を登が追いかける。上野駅のラーメン屋で寅次郎は登に故郷に帰るように促す。しかし登は言うことを聞かない。兄貴みたいになりたいと言う。ここで我慢していた怒りが爆発する。「俺みたいな馬鹿になりたいと言うやつなんか邪魔だ、出てけ!」半ばやつあたりのような叱責である。登はラーメン屋を出てから泣く。何事かとラーメン屋の客が寅次郎を見つめる。寅は周りに人間に悪態をつきながら、ラーメンをすする。が、涙が出てきてまともに食べられない。それでも構わずハシを持ち上げる。しかし、やがて大粒の涙がこぼれてどんぶりにぽたぽたと落ちる。寅次郎は自分の愚かさを今さら悔しがりながらさめざめと泣くのであった。このシーンにはいい加減に生きてきた男の惨めさ、無念さがよく出ていた。まさに「男はつらいよ」である。

それから一年が経ち、題経寺にさくらとつねが遊びに来ていた。さくらの息子・満男のお披露目のためである。御前様は満男を抱き上げ、「さくらさんにも、博くんにも似ていない」と呟く。つねがたき付ける。「でも、誰かに似ていませんか」誰かとは勿論寅次郎のことである。「そう言えば、よう似とる」満男と寅が似ていると言うのは、第42作以降の満男恋愛作品の暗示ともとれる。なんとこの時点で、後のシリーズで展開されるのに必要なカードは全て出揃っているのである。以後の全ての作品でレギュラーメンバーは全く変更されることはなかった。それだけ第1作のフォーマットは強固だったのである。さくらは冬子の近況を御前様に聞く。もう既に結婚したようである。机の上に冬子当ての葉書きがどっさり乗っている。その中に、寅次郎のものがある。ここで再び手紙の内容を読み上げる寅次郎のナレーションが入る。その流暢さたるや、オープニングのそれよりもさらに勝っていると言える。寅次郎は喧嘩別れしたはずの登と共に元気良く啖呵売に興じている。空は青々と日本晴れ。劇判も力強く、まるで寅次郎を勇気付けるかのようだ。結局、寅は悲劇を三日のうちに喜劇にすり替え、今日も明るく楽しくに生きてゆくのである。これだけの内容がつまって時間は僅か90分。とてつもない密度の物語であった。

※※※※

いかがだっただろうか。あれこれ長く書いてきたが、本当のところは有無を言わず実物映像を見てもらいたいのである。「男はつらいよ」は何遍見返しても面白い作品だし、新たな発見が毎回見つけられる稀有な映画だ。ハリウッドの大作映画もいいが、たまにはこういう作品も見て、四角い顔の男に思いを馳せてもらいたいものである。


2004年03月15日(月) 対話式:私家版「耳をすませば」論評

先日の木曜、僕は東京のフランス料理店「バキシム・ド・モンマルトル」でとある女友達と会食していた。彼女は台湾在住で(日本人だけど)、現地会社から久しぶりに長期休暇の辞令が下ったのをこれ幸いにと、1週間ほど前から日本に遊びに来ていたのだ。折角日本に帰ってきたのですから日本料理はいかがですか、と僕は提案してみた。だが、彼女は米は台湾でも嫌になるほど食べる、どうせなら普段お目にかかれないものを食べたいと言い張るので、僕が知っている唯一の西洋料理屋を紹介する羽目になった。僕は内心がっかりした。日本料理のいい店に自信を持っていたからである。しかし、運ばれてくる料理はやはり素晴らしく、場の雰囲気は何とも華々しくなった。こうなってくると当然、おしゃべりのほうも自然とたけなわになる。僕たちはあれやこれやと口を動かした。会話の内容は、ちょっと前の対中国円借款の停止に始まり、政治家の悪口を経由して、今や最近観た映画の話になっている。女友達はふと思い出したような微笑み顔を造り、こう訊いてきた。

「そうそう、この間テレビで『耳をすませば』放送してましたわね。ご覧になりました?」

これを聞いた僕の心内に、何やら熱いものが流れたような感覚が走った。「耳をすませば」は大好きな映画のひとつなのである。僕ははやる気持ちを抑えつつ、努めて冷静な風を装って、しかしやや威張った口調で応えた。

「ええ、もちろん観ましたよ。と言っても初見ではないですけどね」

すると彼女はにっこり笑って言った。

「それじゃあ、ちょうどいいわ」
「何がですか?」
「実はね、私、この作品観たの初めてだったんです。それでね、全体的にはとても面白くって満足したんですけど、枝葉末節に納得できないところがあるんですの」

映画に限らず、絵画や音楽などの固有のある芸術作品を好む者が、逆に嫌う者と対峙した場合、何とかその人が抱いている”嫌”の暗雲を吹き飛ばし、あわよくば”好”の風を送り込みたい、と考えるのは自然な成り行きである。ましてこの友達は嫌っているわけではなく、ただ疑問点を払拭したいだけなのだ。僕の頑張り次第で、彼女は「耳をすませば」の愛好家に転換する素質を秘めているのである。これはなかなか責任重大だ。

「ほう・・・具体的にどんなところですか」
「例えばあのラストシーン。朝もやの中で若い二人が新たな希望に燃える構図はとても素晴らしいと思うけど、『結婚しよう』なんてセリフはおかしいでしょう。せっかく思春期の純真な淡い恋を描いてきたのに、あれじゃあ興ざめだと思いませんか」

うーん・・・と僕は唸ってしまった。こういう考え方もあるのか。しかし僕にとってはあの展開に問題はないと思っていたので恐る恐る自説を述べてみた。

「あの年代の子は一体に背伸びをしたがるものですよ。特に主人公達には目標があるわけですし。精神的に駆け上がってゆくような感覚の時って妙に大人ぶりたいものじゃないかなあ。思うに、『結婚』という言葉を口にすることによって気持ちを高揚させているんですね」
「そんなものですかねえ」

相手はわかったようなわからないような表情を浮かべつつ、次の疑問点に議論の場を移した。

「それからお父さん役の声優、そう、立花隆ですね。あの人の吹き替えがとても下手だと思いましたわ。抑揚に乏しいし、画の動きとセリフがあってないし、あれは完全なミスキャストでしたわね。ジブリってどうして素人をああも使いたがるのかしら」

これまた僕の考えとは180度違った見解である。どうやら彼女の疑念はなかなか強固で難攻のようだ。どこから切り崩してゆくべきか、表現ひとつで彼女の受け取る印象は変わるだけに、こちらも腕の見せがいがある。もっとも上手く成功するとはひとかけらも思わないが。

「いやいや、あの朴訥な声が主人公を影で支える実直さと包容力を自然と表現していて素晴らしかったじゃないですか。立花氏を起用した狙いは”演技”などというものとは別なところにあると思いますよ」

こう答えると、彼女はちょっと不思議そうな表情を浮かべた。僕は言葉を続ける。

「笠智衆さんているでしょう、俳優の。あの人は決して上手い役者じゃないですよね。セリフにもかなり訛りがある。でも、彼には存在感という絶大なる魅力があるんですよ。あの人が映っているだけで、何とも言えない味わいが画面に滲み出てくるんです。そういう存在感の前では演技などというかったるい概念はたちまちにして蹴散らされてしまう。立花さんについても仕組みは同じです。例え棒読みであっても、いや棒読みであるからこそ、不器用なほど真面目でやさしい性格である父親の心性をどんな演技派よりも的確に表現できる・・・製作スタッフはそのように踏んでいたのではないでしょうか」
「それじゃあ、あのキャスティングは話題性を振り撒くための戦略ではなかったの?」
「違うと思いますよ。宮崎さんにしろ、高畑さんにしろ、スタジオジブリの監督は、実体感の乏しい、いわゆるアニメ声を嫌っているようですね。僕も最近の声優は甲高い声と存在感の希薄な人ばかりだと思っていますもの。」
「それは確かにそうですわね」

彼女はちょっと感心したような顔つきをしてみせた。これはいい調子だ。このままいけば彼女が乗っている「耳疑丸」は転覆するだろう。そこに僕の「耳好丸」が現れれば、彼女はためらいなく「耳疑丸」から飛び降りて「耳好丸」の乗務員へと乗り換えるに違いない。僕は思わずフライングして勝利の喜びに浸った。しかし女友達はにこやかな顔立ちから、ハッと気付いたような表情になり、これだけは訊かなきゃ、という口調で喋った。

「でもね、これは根本的な問題なんですけど、そもそもあの内容をわざわざアニメでやる必要はあったのかしら。だって、アニメーションは想像力にあふれた世界や、滑らかな動きを楽しむものでしょう?私なら実写でとるのが普通の流れだと思うんですけど」

ついにこの質問がきたか、と思った。というのも、僕は以前これと同種の批判を挙げた批評文を読んだことがあるのだ。ここは慎重にゆかねばならぬ。僕はゆっくりと口を開いた。

「そういう意見はよく聞きますね。でも、あれを実写でやるとちょっとおかしくなっちゃうんじゃないかなあ。中学生であれほど瑞々しい雰囲気を出せる人はいないでしょう。それに、あの映画の魅力である透明感のある風景を果たして実写で描けるかどうか。だいたい、題材からしてとても照れくさい作品ですから、実写だとどうしても嘘や誇張、矛盾なんかが鼻についちゃうと思いますね。ところがアニメの場合、その辺を虚構の中のミゾに上手い具合に隠せちゃう。つまり実写で撮るのが本道に見えて、実はアニメーションじゃなきゃ成り立たない作品なんですよ」
「じゃあ、逆説的に言えば、敢えてそういう題材を選んだスタッフの勝利ってことになりますね」
「その通りです。宮崎さんはやはり慧眼ですね。どうすればヒットするアニメーションが作れるか、よく分かっている。まあ、プロデューサーや監督もすごい人ですけど」
「そういうことを考えていくと、これはとっても奥深い作品なのねえ」

彼女は感嘆したような声を出した。僕は宗旨替え作戦が上手くいったことにすっかり気をよくして、偉そうに言を継いだ。

「まあ、そんなに理屈っぽく観ないほうがいいですよ。あの作品は理想の青春を謳っているわけですから。こんな風にはいかないだろうなあ、と思いながらも、一方でうっとりとして観る。これが正しい視聴方法なんじゃないでしょうか。見終わった後、ああいう清い恋愛をしてみたいなあと思ったでしょう?」

すると彼女は決然と

「いいえ」

と述べ、次のように言った。

「初恋の人と両思いになれたってことは、振られた経験がまだないってことでしょう。失恋の愉しみを知らないようじゃあ、人生の味わいを半分も分かってないわね」


2004年03月13日(土) 唯一無二の時間

私はスタジオジブリが制作した映画はほぼ余すこと無く好きである。その中でも昨日日本テレビで放送された「耳をすませば」が格別に好きである。初めて見たときはなんて作品だと思った。この妙な感覚はなんだろう。左足の付け根の裏の、角質の中心に位置する1センチ四方の上皮を待ち針でツンツンとつつかれた様な、或いは鼻の上の吹き出物の、特に赤くなっている火災警報器のボタンのような突起物をつまよう枝で玩ばれたような、または背中の肩甲骨よりやや下あたりの、例えるなら川の支流と支流が重なって本流に合するライン上の一部分みたいなところを孫の手の先っちょで少しだけ触られた様な、そんなような何ともむずがゆくなる気持ちを抱かせるのである。しかしそれだけではないのだ。同時に雫と聖司に対して実に暖かい共感の嬉しさがこみ上げてくるのである。いや、このさい共感などという生ぬるい表現では飽き足らない。むしろ二人を影ながら偲んで偲んで偲び入って見守りたいと思った。いや、むしろ「雫・聖司純情後援会」を結成して彼らを表から裏から強力にバックアップしたいと思った。いや、むしろ原作者の柊あおいさんの事務所に押しかけて、続編の要望とその展開を直談判したいと思った(むろん、比喩法ではありますが)。私はそれほどまでにこの映画が好きであり、その気持ちは今回の放送でさらに高まったようである。

「熟慮断行」という言葉がある。よく考えた後、思い切ってやってみる、という意味である。私はこの「熟慮断行」こそ、この映画の深層に密やかと横たわって、静かにしかし力強くテーマを支える髄のような存在だと思っている。よく若さの特権として「失敗を恐れず行動できる」ということをあげる人がいるが、個人的にそれは間違っていると思っている。若い時だって失敗は嫌だ。失敗は想像力を駆使してなるべく避けなければならない。順風満帆平穏無事に過ごせるのならそれに越したことはない。これは若かろうと年をとろうと同じコトである。しかし、青春時代には精一杯迷った結果、試しにやってみるということが可能である。これは一定年齢を超えた人には出来ない。立場と言うものがあるから、熟慮は出来ても断行ができないのである。何とはなしに生きてきた雫が恋人に触発されて起こした行動は、まさに「熟慮断行」の賜物であり、その結果「もっと勉強しなければ」というもともとの命題に舞い戻ることになるのだが、これは思想的に後退したことを意味するのではない。雫にとっての「勉強」というテーマが、より一層の意味と重要性を得て、力強く甦った証しなのである。しかも、今度の場合は社会的・精神的に上位自我に属する聖司という目指すべき目標がある。青春期における、自分でも持て余してしまうようなエネルギーを傾ける場所が、確固たるイメージを持って雫の内部に存在するのである。これぞ熟慮断行の末の獲得であり、これぞ青春時代だけの栄光である。よくこの映画を指して「クサイ」だの「恥ずかしい」だのと批判の声を荒げる人がいるが、ならば逆に聞きたい。全く恥ずかしくない青春時代などあるのか。程度の違いこそあれ、誰でも雫や聖司のような、あとから考えてみると顔が火炎放射器化してしまう経験はあるはずである。ただ、彼らが普通の人がなかなかやらない熟慮断行を実践して見せたのがやや珍しいことではあるが、これだってその気になればできないことではない。悩んだ末に飛べ、考えた挙句に跳べ、と製作者は今まさに思春期を過ごす少年少女達を挑発しているのである。聖司と雫の、危うく脆く、弱々しく軽率で勘違いはなはだしく、一人合点の早合点で自意識過剰のこんこんちき、という弱点は、そのままひっくり返して彼らの魅力でもあり、それは一時期の人間のみが特別に与えられる大変貴重なものだ。その一瞬の光を精一杯に輝かせてほしい。これが若くして亡くなられた、本作品監督・近藤善文さんの心からのメッセージだったに違いない。


2004年03月01日(月) B級映画は世間の花

先々週に笑わず嫌いの前半の感想をここで書き、後半についても書くことを約束していたのだが、いざとなるとなんだか面倒くさくなってしまい、結局タイミングを逸してしまった。前半をあれだけたっぷりに論じたのだから、後半も同様に書くのがスジというものだが、まあ、そこはそれ。今さら大掛かりにやるのも白けるので、ちょっとだけの記述にとどめることにする。後半で私が面白いと感じたのはペナルティ、アンタッチャブル、木村祐一の3組。ただし、あの調子だと売れるのはレギュラーだろう。本意ではないが。

これだけでは何なので、他の事について何か書こうと思う。ネタが無いので苦しいところから引っ張り出すしかないのがしんどい。

ここ最近(と言っても3〜4週間前だが)「ロード・オブ・ザ・リング」「ミスティック・リバー」と大作映画を立て続けに見た所為か、反動的に俗に言うB級映画を見たい気持ちがとても強まっている。しかし、今やB級映画で面白いものを探し出す作業は非常に困難なものになってしまった。その理由の第一は、近年の映画界が洋・邦問わず大作主義に染まっており、B級映画の制作数自体が極端に少ないということ。第二の理由は第一に付随して、その中で面白いB級映画など、なきに等しいということ。最近は低予算でひたすら下品で馬鹿なことをする作品をB級の傑作と称する向きが多いが、私はそうは思わない。それは単に下らないだけの話である。B級はB級なりにちゃんとした手順を踏んでいるのだ。そしてその方法論は、エセB級映画の思想とは全く違うところに位置する。私が考える面白いB級映画の条件は次の通りである。

ー膺邑は明るく、軽い。ただし軽薄ではない。
⊆膺邑に対立する、取ってつけたような巨悪がいる。
その巨悪を倒すため、主人公は仲間を集めて荒唐無稽な作戦を練る(ヒロインがいる場合、ここら辺で登場する)。
な語の途中でとんでもない省略技法が使われる。
ゥ薀好箸縫丱バカしいどんでん返しがある。
Ε魯奪圈璽┘鵐匹任△

これらの条件のうち、,鉢Δ鮟くどれかひとつでも当てはまる場合、その作品はB級映画である。しかし全ての条件を満たした場合、B級はB級でも「正しいB級映画」となり、作品として大いに盛り上がるものになる(無論、演出がしっかりしているのが最低条件だが)。予算の多寡はこの際関係ないのだ。故に製作資金はA級だが内容はB級、しかし面白い作品というものは存在する。今すぐに具体例を挙げられないのが悔しいところだ(思いつかないからこそ見たいのかも知れないが)。こういったB級映画に求めるものはただひとつ、「スカッとした爽快感」であり、ここがA級映画とも、下らない映画とも一線を画している。要するに見た後気分が良くなるような作品であることが必要であり、大作映画にしばしば散見される「芸術性」といううそ臭い概念を排し、ひたすら娯楽に徹するところにB級映画の栄光がある。もうすぐアカデミー賞の授賞式が執り行われるが、そういう華やかなところとは別で頑張る、快き映画作品のことも私は応援したいと思うのである。


橋本繁久

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