Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2003年05月30日(金) 悪魔の分泌液促進病

今年こそは決して罹るまい、と色々防護策を練っていた花粉症の症状が、残念なことに一昨日あたりから出始めてしまった。外出するときは専用メガネと防衛マスクでしっかりと身を固め、帰宅時には衣服についた花粉を振り払い、手洗い・うがいも徹底してやってきた。万全な体制が敷けたと思っていたのだが・・・これで当座しばらくは激烈なくしゃみ攻勢と陰険な目のかゆみに悩まされるのは確定的。憂鬱だ。

それにしても、私が罹患するイネ花粉症というのはどうにも質の悪いもので、同じ花粉症の仲間の中でも最悪な症状を発揮する非常にありがたくない存在らしい。スギ花粉やヒノキ花粉に罹る人はイネ花粉には罹りにくく、その逆もまた然りなのでどうせならそちらさんのお世話になりたいのだが、世の中は上手くいかない。私はスギ花粉達には嫌われているようだ。

大体、世間一般の人たちが言うところの”花粉症”とは紛れもなくスギ花粉のことであり、せいぜい2〜4月がピーク。なので今頃”花粉症”だと言っても誰も同情してくれない。それどころか、いまだに花粉症で苦しんでるのは性格がしつこいからだ、なんていわれる始末。どんなジャンルでもマイノリティはつらい。

家でのくしゃみ連発とウサギさんもびっくりの真っ赤なオメメは百歩譲って耐え忍ぶとしても、我慢ならんのは学校での同症状だ。高校二年のとき数学の授業で当てられたその瞬間からくしゃみ57連発(今のところ最高記録)が出たときには人生終わると思ったもんね。まさしく地獄絵図。大学でも少人数授業のときは毎度毎度怯えながらの90分。小心者の私をそんなにいじめないでくれ。ホント、お手柔らかに頼みますよ、花粉症さん。


2003年05月05日(月) 遠き日の夢

今日はどんよりと蒸し暑く、小指の先に神経痛でも感じそうな天気で、風はまるで、日頃の恨みをテニスサークルで八つ当たりするヒステリーな中年主婦のように吹き荒れていた。私は濛々たる砂塵の中をあてどもなく歩き続ける、ある時は吟遊詩人と、またある時は行商人と形容されるのがまさしく当てはまるといった気持ちで一日を過ごした。空を見上げると、薄曇りの向こうに新円を描いた太陽がその存在を必要以上に誇示していた。肌から噴き出す汗は体温を下げる役割を忘れ、単に水分を表面に排出するという使命を帯びた精密機械のようにその仕事をひたすら遂行しているかのように思えた。何かよく分からない、「寂寥」といった言葉では表現しきれないすさびが体中を吹き荒らしている。連休がまもなく終わるからだろうか。あの、ぶつ切りの、まるで僅かな儲けまで全てを手放したくない小心者の投資家のように気前の悪いゴールデンウィーク。それが終焉を迎えたところで、私に負の要素を押しかけるほどの影響力を持っているようにはどうしても思えなかった。何か他の理由があるに違いない、だが、それをいちいち詮索するのはやめよう、と自分に取りすがって言い聞かせた。それは歯を磨くだの朝食を摂るだのテレビを見るだのといった一連のお決まりの行事を済ませている間にきっと記憶の回路から消え去ってしまうだろう。電子レンジとコタツとオーブンを同時に動かして飛んでしまったヒューズのように。そう考えるとふいに気が楽になった。生活の不幸の多くは、考え方を変える事によって大部分は取り除くことができる。苦しみを額面通りに受け取ってはいけないのだ。人生を楽しむことが出来るかどうかはそこにかかっている。”気は持ちようだよ、ワトソン”私はまるで先輩サラリーマンから処世訓を教えてもらったばかりの新米社員が感じる、絶望的状況から抜け出した時の無闇なありがたさを享受しているかのごとき感覚に陥った。何やら必要以上に幸せを感じているようにも思えた。例えそれが自分に対するごまかしであってもそれはそれで価値はあるのではないか。無意味な思索にふけっていたそのとき突如、地面が大きく揺れた。それは「立っている」という事実を否定するためだけに、意地悪な子供に悪戯された結果であるかのようだった。炭酸飲料を缶を開ける前に2、3度それを振る悪戯のように。私は地面に突っ伏し、頭を抱え、ひたすら目をつむってこのいまいましい事態が癇癪を治めてくれるのを待った。そんな思いとは裏腹に地は割れ、粘土質がむき出しになり、その隙間から滲み出るように赤黒いキャラメル状の粘り気を持った液体が噴出した。マグマだ。私は一瞬のうちに確信した。何故、確信したかを聞くのは”やぼ”であった。マグマが怒涛の勢いでこちらに迫ってきているのは明白であった。どうすれば良いのか?とりあえず逃げるべきか?それとも天にすがったほうがいいのか?そのままに突っ込んでいくのも男らしくていいかもしれない。そのどれもが選択しきれないうちに、超高温のトマトジュースはサーファーが喜びそうな大波をおこして我が身に覆い被さらんばかりになった。もう、だめだ。呟いた言葉とは裏腹に心の中で必死にあがいた。だが状況は決定的であった。よく響く、高音の叫び声が私の耳に聞こえた。鳥達がさえずっていた。世界中の鳥達が。目線の向こうに光が見えた。最初一条であったその光はたちどころにあたりを照らした。よく分からない、ただ眩しいといった嫌悪的感情が何よりも先立った。それから、茶色の壁のような物が目の前に現れた。それが、いつも見慣れた天井の木目であると気づくのに多少の時間がかかった。光は昨晩閉め忘れたカーテンより射し込んでおり、さえずりはスズメによるものであることが分かった。朝が来ていた。本物の5月5日の朝が。私は胸のあたりを押さえながら体を起こした。そして、何となく、もう更新を1ヵ月半止めているこの日記について思いを馳せていた。


橋本繁久

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