2003年11月30日(日) |
ラストエンペラーの弟とその妻 |
ただいま頂きものの長崎ミカンを食べ過ぎて肌が黄色くなっています。(笑)
『流転の王妃・最後の皇弟』がテレビ朝日開局45周年記念番組として、この 土日に放映されました。「皇弟」という言葉は造語でしょうが、音だけを聞いた 限りでは、あの「ラスト・エンペラー」を思い出してしまいます。皇帝の弟と 言えば締まりがないから漢字二字にしたのでしょうね。
兄である溥儀は満州国の最後の皇帝でしたが、日本の関東軍は満州国はあくまで 日本の支配下と考えており、皇帝とは名ばかりのものでした。日本の陸軍は当然 同じ考え。というか陸軍のタカ派が関東軍ですから、日本を離れた地で陸軍よりも 力があると勘違いしていたかもしれません。一方では、支配力を誇示する必要が ありましたから、その象徴として皇帝を支配していることにしなければなりま せんでした。支配するところまではいいのですが、国を治めるという考えがありま せんから、満州国の国民から非難を受けたのは必然でした。
そういったことよりも、この放送を見ていて「中国と日本」という表現に違和感を 感じたのは自分だけでしょうか。満州=中国という等式ではないことはご承知の 如くです。誤解を承知で敢えて言わせてもらえば、満州はいわば夷狄(いてき)、 つまり華夷の弁(中国と野蛮人を区別する)からすると野蛮人です。その野蛮人を 統治して中国を統治の礎にしたと勘違いしたところが誤りだと思うんです。 (しかし華夷の弁とは抗弁で、歴史的に夷狄が中国の支配を繰り返したことは事実。)
日本の当時の統治に対して今でも恨みを持たれているのは、その統治の仕方が あまりにも日本的であったがためです。日本的というのは、その国民の文化や 国民性(つまり生活様式)、それから宗教すら日本流に置き換えようとしたから。 中国の長い歴史を無視して日本を絶対的な力を有する国であると、日露・日清戦争の 勝利を経て勘違いしてしまったことにあります。
この根底には幕末からの倒幕思想に遡ると自分は考えていますが、そのあたりの 細かいところは別の機会に改めるとして、明治維新で天皇制が復活したことの 悪影響のひとつだと思えます。(ただ、明治維新そのものが悪かったと言っている わけではないので念のため。明治維新が実現されたからこそ今の日本が成立して いるわけですからね。)
なーんだか面白くない書き方になってしまいましたが、放送には感動を覚えて しまっていたのですよ。実は。テレ朝がこのテーマを選んだ理由は知りませんが。 そこまで推測するのは野暮っていうもんですからやめときますね。
ところで、日中国交正常化を実現した時の日本の首相は誰だったでしょう?
はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)
2003年11月29日(土) |
デジタル書道展・・・の話題のはずだったけど |
今日はコトウさんとムスメちゃんと一緒にYAMATが出展するデジタル書道展に 行って参りました。雨の降る中どうかなと思っていましたが、地下鉄一本と いうことで、手荷物にならない折り畳み傘と、雨ガッパというかあれは何と 言うんでしょうね、自分はみのむしルックと呼びましたが、ムスメちゃんを 抱っこしたときに濡れないように覆い被せるヤツです。
ムスメちゃんは1才2ヶ月で10kgほどあるそうで、同じ年代では小さい かもしれませんが、それにしても10kgの重量を抱っこし続けるのは結構 重労働です。コトウさん自身もちっちゃいから、抱っこはしんどいだろうな。
なんとかボチボチ歩けるようになったから、いつも抱え続けなければならない 時期は越えて、まぁそれはそれでバランスが取れてきたわけで。でも雨の日の 外出は歩きがおぼつかないから歩かせるわけにもいかず大変そうです。 (とかいうことは、本人に言った言葉をそのまま掲載。)
こういうときに旦那がいないのは変な感じですが、徹夜で疲れた旦那を引っ張り 出すわけにはいかないというコトウさんの配慮ですから何も言うまい。
でも、このような姿を見ていると、本当に子供が欲しくなります。 他人の子供でもかわいいと思いますから、自分の子供には思いっきりかわい がって甘やかしてしまうんだろうな、なんて思います。男の子だろうが女の子 だろうが。人様の子だと、いくらかわいくても自分の子供のように扱うのを どうしても遠慮してしまいます。
いや、どうしてこういうことを言うのかというと、書道展の会場に入る時には コトウ母子と一緒でしたから、そこにいた人からは自分は旦那だと思われた かもしれないのに、抱っこもしてあげない、手も引いてあげない子供に冷たい というか母親任せの旦那だなと思われたかも、と思うからです。
え?そんなこと思った人はいない? それならいいんですけど・・・。考え過ぎですか。
人様の子でも自分の子でも同じように愛情を注げることができればいいのです けどねぇ。いずれにしても自分の子を持ちたいと思っている以上は、その前に やることをやらねばなりません。そう思いつつもひとつのことにケリをつける ことができない自分がいます。人を好きになることに器用でない自分は複数の 人と同時進行で付合うことができません。一番の人はどのような状況であれ、 やっぱり一番です。ケリをつけずに勝手に諦めて他の人と付き合ったとしても 自分の中では一番の人がいるわけですから、その他の人とはうまくいくはずが ありませんし失礼ですよね。一番の人との間でとにかくケジメをつける必要が あることは良く分かっていますが、その人とのいい関係を失うかもしれないと 怯えていることも事実です。だからなかなか切り出せない。
ただ自分にとってもその人にとっても時間は限られているわけで、いつまでも 今の関係が続くわけではありません。早かれ遅かれ今のままではそのうち別れを 迎えることになるのも事実です。
まぁ色々とあって今年のウチにはどうにかしなければならない状況になって きてしまいましたから、切羽詰らないと動かない自分にとっては環境としては 整ってきたのかもそれません。結果として何にもなくなったらなくなったで そうなったときに考えるとします。
おっと。デジタル書道展の話題からすっかり外れてしまいました。 コメントするのも恐れ多いですから差し控えときますか。(なんのこっちゃ)
YAMATごめん。 そういうわけで忘年会の幹事よろしく。(脈絡なし)
はい。今日は雨。(東京地方)
2003年11月28日(金) |
他に人材はいないのかねぇ |
今日はちょっとお会いしたい人がいたんですが、都合が合わずに取り止め。 まぁ押し掛けなので、あちらの都合次第ななんですけどね。
仕方がないので、ウマイもんでも食べて帰ろうかと思いましたが、運悪く席が 一杯でひとり客が堂々と座れる状況ではなかったので、コンビニでパスタを 買って、部屋にある即席麺で済ませることに。給料が出た後の週末ぐらいは 贅沢したいよねぇ。
明日の午後にコトウさん夫婦と一緒に友人であるYAMATも出展するデジタル 書道展に顔を出すことにしました。YAMATはムスメちゃんに会うのは初めてかな。 どんな反応をするか見ものです。
今週は仕事でいろいろと変化があったので、退屈していた自分にとっては 面白かったというか、先が見えてきて精神的に落ち着いてきたというか。
それにしても社内の人事って難しいものです。 当事者である自分がこういうことを言うのもおかしいのですが、ある部門の 人材がいなくなるので、その代わりを今月になってから探していることを、 本社の人事主管から聞かされていて、考えておいてくれと言われていました。 しかし自分は既にツバが付けられていると上司から聞かされていたので、 自分がどうこうとは言えない立場だとそっけない態度をしていました。
おとといには、元上司が擦り寄ってきて、そのある部門に行ってみないかと 言われ、昨日は本社企画の事業本部担当者が上司に相談があると言って自分を そのある部門に充ててくれないかと言ってきました。(今日の昼メシの時に 上司が教えてくれました。)
いずれにしても、この時期に自分に声をかけてくるということは、ひと月が 経っても社内に適材が見つかっていないということです。おおよそ人事という ものは、それなりに適材を見つけて、それなりに事が進むもんです。それが なかなかうまくいかないのは、いい傾向ではありません。
社内の人材の流動化がうまくいかないのか、本当に人材がいないのか。 若手の採用人数が減っているのが一番大きな要因でしょうが、それにも増して、 中堅(40才前後)の社員の数が圧倒的に少ないのも要因のひとつです。 自分に声がかかったことを考えると、後者の要因なのでしょう。
会社も大きなうねりの中でもがいていますから、分社化したり子会社化したり して、本体が小さくなりつつあります。本体の社員数がそれだけ減るという ことです。ということは、それだけ選択肢が減ることになりますから、動く方も 動かす方もやすやすとは決められなくなります。それでも人材が不足すると なると放っておくわけにもいかない。
自分としては、何度も声をかけてくれていることに感謝をしていますが、 人事権は直属の上司にあるわけだから、彼が首を縦に振ってくれない限りは 自分もどうしようもありません。職場の希望は聞いてくれることにはなって いますが、サラリーマンの異動というのは希望と違うところに配属されるのが 当然の出来事になっています。できるできないは関係なく、とにかくやれと。 そうやって本人の能力を試していきながらいろんな人の目に晒していくんで しょうね。そこで潰れるかどうかを見ているのでしょうね。
仕事が沈滞しているので、考えることができて良かったと思うことにします。
はい。今日は曇り。(東京地方)
2003年11月27日(木) |
増税の流れは否定できない |
なんだか釈然としないことでイライラしています。 いつもくどい文章が尚更くどくなりそうなので、今日はちょっと簡単に。
近頃の政治の世界では税金を上げる方向で話題が持ち切り。 歳出の半分が借金で賄われている世界でも異例な日本の財政ですから 建て直しのためには必要な議論ですが、いよいよ将来に向かって個人の懐が 厳しくなりそうな流れになってきています。
増税(年金増含む)に伴って収入も増えれば異論はないのでしょうが、それが 保証されていない限りは、増税に対して賛成する人は少ないでしょう。
収入を増やすためには付加価値を上げるしか手はなく、何をもって付加価値と するかに知恵を出さなければなりません。そういう意味でも従来のやり方、 手法、頭脳では付加価値は変わらない、あるいは下がることになりますから、 より教育レベルを上げていく必要があります。(学生だけでなく社会人も)
日本は肉体労働も知的労働も、質を上げなければ生きていけない国になって きているんでしょうね。あるいはアメリカ並みに収入の格差が出てくるでしょう。 これを拒否すれば、それはまさしく社会主義国家です。
近代資本主義国家から社会主義国家になった前例がないので、もしこれが実現 すれば、経済の教科書が塗り替えられるという歴史的な出来事になります。 (個人的には決してそうなることを望んでいませんが・・・。)
はい。今日は曇り。(東京地方)
2003年11月26日(水) |
おなかの出っ張りが意味するもの |
「偉大なる」将軍の報道を見るにつけ、彼の映像も目に入ってきますが、その際に いつもそのスタイルが気になります。というのも、彼のような背格好をした国民が 他にいるのだろうか。軍服を着た取り巻きもみんな痩せこけた面構えで、一見して スリムな体型をしています。
理由が何かを知る必要性は全くありませんが、これは偶然ではないと考えるのが 自然でしょうね。多くの人がそう思っているのではないでしょうか。
国名の正式名称に「民主主義人民共和国」とありますが、これがまともな国名だと 思えないのは、そんなどうでもいいところにも表れています。
神経質な話題なので、このあたりでおしまいです。
はい。今日は曇り。(東京地方)
今日は午後から3社会議があったので、午前中の間にひと仕事してから出向く ことにしたのはいいのですが、これがなかなか進まなくて、結局昼休みは1時 からしか取ることができませんでした。それも残りモノの定食を15分でかき 込んでの忙しい昼食。胃腸には良くありません。が、そうも言っていられません。
3社会議の準備資料がありまして、これも用意しなければならないけど、ウチの 会社の人間は誰も持ってこようとしません。自分の上司も今日の大事な論点となる 資料を転送もしなくて放っておいた。そのことを詫びることもなく放っておいた。
先週の金曜日夕方に協議の相手から電話で確認があって初めてその資料の存在が 分かりました。時間が遅いから為す術もなく今日を迎えましたが、彼は送られて きたその資料は今日の会議に使われることを知ってか知らなくてか無視していた。
そのことに腹立たしさを覚えながら限られた時間の中で出来うることをして会議に 臨みまして、おいしいところだけ取って会議を締めた。自分の気持ちもすっかり 冷めてしまいました。この資料の存在を自分が知らなかったら今日の会議は成立 しなかった。知り得たから結果的にはなんとかうまくいったようですが、彼は さっさと問題を解決して手切れをしたいと思っていたのではないのか。まるで 問題がズルズルと延びてもどこ吹く風といった感じで切迫感がない。
そろそろこちらは精神的に今の仕事に我慢の限度が来ているから、さっさと終わ らせて次の職場に移りたいと考えています。目処は今年一杯。年を過ぎてまで今の 仕事をしたいとは思っていません。今でもいつまでやらせているんだって感じです。
後ろ向きなことしかやっていない今の仕事には時間的な限度っていうものがある。 他にやることがなくて今の仕事をするしか選択肢がないならまだしも、こちらは 次の職場が待っているというのに、部下を潰してしまうような取扱いをしたりして いかがなもんだろうか。といった不満が沸沸と湧き上がってきます。
緊張の糸も張り詰めっぱなしではいつかは切れてしまいます。 ただ、ここで切れたらサラリーマン生活は終わってしまうので我慢しています。 きっと20代だったら切れているんだろうなぁ。30代も後半になってしまうと 転職が難しいという現実もあり、なかなか会社を切ってしまうことに至りません。 しかも退職の理由が上司とのウマが合わなかったなんていうのは、転職には不利。
さて、これからは自分の中の限界との戦いです。 うだうだグチをスミマセン。
とりあえず今日は給料日なので、瞬間風速的にフトコロはあったかいです。 それだけが救いです。すぐに飛んでなくなりますけどね。
はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)
2003年11月24日(月) |
丸山茂樹の密着取材を見ていて思い出したこと |
「努力し続けて少しずつ自分の能力を上げていく。タイガーのような天才でない自分は そうしていくのがオレが生きていくやり方。」
合理的習得と非合理的習得。 言い替えると、最初から手順を教えてあげて効果が早く表われるやり方と、熟練工の ように見よう見真似で時間をかけて体で覚えるやり方。 仕事の覚え方、教え方についての考え方です。
新入社員の時に同期のヤツと議論したことです。 同期のヤツは合理派。自分は体得派。
今に至っては、いずれも一長一短があるので二極論で結論付けるのはよくないと考えて いますが、教える相手のレベル次第といったところでしょうか。
問題は、教える側と教えられる側の認識の違いです。 教えられる方は、当然教えてくれていいと思っていても、教える方は当然知っている ことだから教える必要はないと考えている場合には、なんで教えてくれないのだろうか、 あるいはその逆の時に、なんでそこまで言われなきゃならないんだと思いますよね。
人によってそのレベルに差がありますから、誰にでも同じことが通用するわけではあり ませんが、会社の中では最低限のことを伝えるだけで、それ以外のことは自分で覚える、 勉強して知る、といったやり方が一般的です。そして繰り返し経験することで体に染み 込ませる。
機械的にやればいいことは限られていますから、それ以外は時間が解決してくれること。 与えられたことをやる立場まではそれでいいのです。
同期のヤツはそれが気に入らなかった。 時間が経てばと言うが、今教えてくれれば今分かるものを、と言うのです。 これはどういうことかというと、彼は学部を主席で卒業した優秀なヤツ。 だから一度教えてくれれば理解できる、経験なんか必要ないというプライドがあるの です。自分はそれをプライドとは言わずに思いあがりだと考えました。 学校での勉強と会社での仕事とは質が違う、とね。
でも彼がこう言う背景は分かっています。 それは職場環境が違うこと。自分の職場は事務系学卒の先輩が複数いる職場。 でも彼の方はそのような先輩はおらず、現場のオジサンたちばかり。ということは、 学卒を育てようという環境ではなくて、あくまで自分たちが教わったやり方で教えよう とするもの。つまり職人気質の古い体質ですから、効率を良くして、より多くの仕事を 片付けるというよりも、「オレの仕事」を大事にするやり方です。 「オレの仕事」とは、他の人にはできないオレ流のやり方。だからそう簡単には他の人 にはそのやり方を教えない。教えたらオレの仕事がなくなるからです。
効率を求めれば、オレの仕事は次の人に譲って、「オレ」はより高度な仕事に向かって いくはずなのですが、オレの仕事以上の仕事はないと思っていますから、そのオレの 仕事を失えば次にやることがなくなるので、自分の領域を失ってまで他人に譲るように なることを排除します。会社のためでなく「オレ」のためにね。
「オレ」と若手が圧倒的な能力の差があり、時間をかけないとどうしてもその領域まで 到達できないのとは違い、事務屋の仕事の第一段階は仕事のやり方を覚えること。 第二段階は従来のやり方での問題点を洗い出すこと。第三段階はその問題点を解決する こと。第四段階は従来以上の結果を出すことであり、いかに時間をかけずにこれらを 達成できるかです。
現場に近い職場環境にいる彼の立場では、時間の進み方が違うのです。 そのことに彼はイラだっていた。そういう背景があることも分かっていました。
能力のあるなしに関わらず、プライドのある人は自分(の仕事)以外のことを見ようと しない傾向にあります。見ても自分の方がよりいい仕事をしていると考えてしまいます。 そこに他人を吸収しようと考える余地はありません。
ひとつの形を作ってしまえば、その枠に囚われて、枠外の領域に飛び出そうという考え には至りません。同期のヤツの考えには、その枠に早く入りたいと自分には見えたもの だから、有能な人間の考えることではないと思いました。
思いもよらないこと、人が経験もしていないことを解決していく能力。 個人としてのプレミアムはここにあると思っていますから、すでに他の人がやっている ことは素直に流されるか、他の人に任せればいいだけのことであって、そこに固執する 必要は全くないと思います。
人がやっていないことは合理的に習得できない。見よう見真似でも習得できない。 だからこそKKDが大事になってくる。(K=経験、K=勘、D=度胸です。)
素直に流される一方では、なぜこうしているのかという疑問を持ち、それを理解しな がら覚えていくことが大事で、その疑問を解消するためには当然ながら勉強も必要です。 その積み上げが仕事の本質をつかむ土壌となります。
経験の積み上げが仕事の勘を養い、それが自身の度胸をつけていくことになる。 そう思っていますから、時間も当然かかります。いきなり結果を求めれば、どこかで 落とし穴にはまってしまい、それに気付かずにムダな時間が過ぎてしまうと思っています。 そのムダな時間を作ってしまうことを自分は合理的でないと考えるわけです。 能力の高い人材を作れない会社にとってもいいことではありません。
このことは恐らく時間の考え方が違っているのであって、合理的・非合理的ということ では片付けられないのでしょうね。まるで政治における経済政策のようです。つまり、 短期的に経済を復興させようとするか、長期的に経済を健全化するかの違いです。 目的はどちらも経済を復興させること。前者は将来に、後者は目先に不安が残る。 この点についても合理性だけでは説明できません。
合理性には他の観点もありますから、その点に付いてはまた別の機会に。
はい。今日は曇り。(東京地方)
今日のサンデープロジェクトで地方自治再生の第4弾として、第1弾に続いて 鳥取の片山知事のことが取り上げられました。
この片山知事は全国知事の中でも地方自治の最先端を走っている人で、縦割り 行政(つまり国との太い繋がり)を改善し、いかに地方自治を健全に独立して 運営していくかに力を注いでいます。
・事前の根回しの廃止(財務省と県財政課との議会前の調整を無くす。) ・一件審査(現場を実際に見て一件一件審査すること。知事の査定も有り。) ・議員からの口ききを文書化する ・不明瞭だった手当てを公開する
何を意味しているのかというと、地元選出の国会議員あるいは地元議員が国から 掴み上げた補助金・交付金を使わせて公共事業を促がしているということです。 議員が役人に圧力をかけて動かしているのです。根回しに追われて、現場を見て 決定をするプロセスを怠っていたことです。
だから、是は是、非は非であることをきちんとしていくことを宣言しています。 こういった当たり前のことがやられていないことが組織病だと言っています。 過去を引きずらない、そのためには政策転換も辞さないという強い信念のもとに 行なわれています。
民間企業もそうですが、より自己保身意識の強い役人にとっては、トップの意向が 自身の行動に強く反映されます。個人だけの行動ではできなかったことをトップが 守ってくれることで、本来の仕事を遂行できる環境を作ってくれるからです。
従来のやり方を変える場合には、変えることに対して従来のやり方でやってきた 人たちからの横やりが必ず入ります。それが国会議員であったり、県会議員で あったり、地元の業界団体であったり、役所内の部課長や局長であったり様々。
ですから、そのような人たちからの圧力に屈しないためにトップは強く、そして 信頼できる人でなくてはなりません。処世術がうまいとかうまくないとか、そう いったレベルの議論ではありません。余計な雑音を消せるかどうかという側面と 下の人間が安心して本来の業務を遂行できるかどうかです。
今回の話は、地方行政を正しく行うためのひとつの具体例です。 どこの自治体も同じことを適用すればいいというわけではありませんが、いずれに しても、地方自治体内部における、そして国との繋がりにおいて存在する問題を 是正していこうとする方向性は間違っていませんから、その問題の所在を明らかに できる環境を整えていくことが先決です。当事者は問題を問題と捉えていないか 捉えたくないと思いますからね。そのためには役所内部の横通しを良くしなければ なりません。まさしくこれは縦割り行政からの脱却です。意識改革です。
仕事というのは、民間も行政も同じことで、作為の契機という人為的なところから 始まっていますので、そこに関わる人の意識が変わらなければ運用も変わりません。
片山知事はそんなところに切り口を見出しているわけで、これはスピードが早いか 遅いかを別にすれば、小泉首相も同じことを唱えているわけです。片山知事はその スピードに不満があって政府に文句を言っているわけで、やっていることそのものを 否定しているわけではありません。そういう意味では、片山知事は小泉首相の支援者 とでも言えるでしょうか。地方が変わらなければ構造改革も達成されないですから。
国の構造改革のためには(住民も含めて)地方も変わらなくてはいけない。 こういった知事が日本全国にどんどん現れて欲しいもんです。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
なんでこの時期に「地獄の黙示録」なんでしょうか。 BS2で21時から完全版として放送していました。
NHKはアメリカの醜態を晒したいのでしょうか。 これは映画ですから事実ではありませんが、ベトナムにおけるアメリカの行動を モデル化した映画であることは間違いないので、必ずしも事実とかけ離れた内容 であるとはいえません。とすれば、イラクにおけるアメリカの行動への抗議とも 受け止められかねません。こう思うのは自分だけでしょうか。
この「地獄の黙示録」では変なところで日本語が使われています。 例えば、”すきやき”とか”さよなら”とか。 ベトナムも日本も所詮アメリカからすれば同じってことですか。
地獄の黙示録は70年代後半に作られたベトナム戦争映画の草分け。 その後、「プラトゥーン」「フルメタル・ジャケット」「ハンバーガー・ヒル」 などが出てきました。(というか、それぐらいしか知らない。)
ベトナムを題材とした映画は他にもたくさん作られたようですが、戦争の意味、 ベトナムの意味を知らない我々にとっては、湾岸戦争のようなバーチャルなもの としか受け止められません。イラク戦争も然りです。
でも映画では問題提起をしてくれます。 例えばこの「地獄の黙示録」での会話で、 「フランス人は自分の土地を守るために戦っているが、アメリカは何のために 戦っているのか。無意味な戦争だ。」 それなのにアメリカ人を支持する。
この「何のために」というのが重い言葉で、アメリカは今でも西部劇の世界に 浸っているのかと言っているかのようです。アメリカの言う自由主義圏の拡大を 実現したいがために、社会も思想も違う国をアメリカナイズしているかのよう。
オレを守るためにオレに介入するヤツは許さない、というのと、オレを守るために オマエのところに出向いて叩き潰す、というのでは大きな違いです。
アメリカが戦争を起こす本質は「恐怖」です。 自分を倒しかねない脅威に対する恐怖です。 カーツ大佐もウィラード大尉もセリフで言っていますが、「恐怖」です。
時代が恐怖なのではなくて、恐怖を作り出している自身が恐怖なのです。 個人レベルでも国家レベルでも。その恐怖を排除するために自身を殺してしまう わけにはいかないから、恐怖となるその相手を排除することになります。
日本のイラク戦争に対する姿勢はどうでしょうか。 アメリカと同じレベルで戦争加担の動機とできるでしょうか。 後始末だから援助すべきだと言えるでしょうか。
直接的な表現をできないNHKとしては見事と言いましょうかね。 ちょっとした災害予防ともとれなくはないですけど。テロの危険は日本にも及んで いるようですから、対岸の火事と他人事のように思っている日本人に対して意識を 植え付けるためにもね。というか、興味のない人はそもそも見ていないか。
それよりも、ラグビーのワールドカップ決勝。イングランド対オーストラリア。 今回5回目のワールドカップ。ラグビー発祥の地イングランドの優勝で幕引き。 ようやく北半球に優勝をもたらしました。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
今日のWBSを見ていて、今まで誤解していたことを発見しました。
それはイモ焼酎は鹿児島だ、ということ。 「白波」は薩摩酒造、「霧島」は霧島酒造。どちらもイモ焼酎のメーカ。 薩摩酒造は名前から明らかに鹿児島だと分かりますが、霧島酒造は宮崎だとずっと 思っていましたから、ここはソバ焼酎のメーカだとばかり思っていました。
ところが「霧島」はイモ焼酎。宮崎にイモ焼酎? 違和感を感じたので会社のHPを見て分かりました。 霧島酒造は都城に発して、現在の本社も都城。 都城は現在宮崎県ですが、都城は江戸時代の一時期薩摩藩の私領だったのです。
歴史的には島津家の発祥の地ですから、まぁ鹿児島と言ってもおかしくはありません。 地元の人から言わせると、とんでもないと言われるかもしれませんけど・・・。 (都城は廃藩置県当時には都城県となり、鹿児島県よりも石高で上回っていました。)
九州といえば焼酎だとよく言われますが、北部九州の自分にとっては今ひとつピンと きません。なぜなら焼酎は九州東部および南部のお酒。西部や北部程に水田が発達 していたわけではなかったからです。米どころはやはり日本酒です。
鹿児島のイモ、宮崎のソバ、大分のムギというのが九州における焼酎の区分けですが、 どこも酒にできるほどの余剰米がなかったからだと推測されます。酒は飲みたいけど 米が少ないから土壌に合った農作物で対応する知恵を育んだのでしょう。
どうも自分には日本酒が合っていないらしく、飲むのはビールか焼酎。焼酎とはいえ イモは匂いがきつすぎるからソバかムギです。もっぱら。もっぱらかなぁ・・・。 飲んでないし。
というか、飲みの話ではなくて誤解の話しでした。お粗末。
はい。今日は曇り。(東京地方)
少々堅い話になりますが、しばらくお付き合い下さい。
社会保障(主に年金)は、右肩上がりの経済成長と人口増を前提に組まれた仕組み。 つまり将来の保険料収入の増加を見込んだ給付体型を組んでいますから、保険料収入が減少 すれば破綻することは明白です。だから躍起になって保険料収入を確保しようとしている。
厚生労働省の試算は、ここをご覧下さい。
しかも給付対象者への給付水準は変えないとうのだから現役世代への負担が増えるのは当然。 国民のフトコロを絞っている最中にこのような問題が指摘されるのは政治的にどうだろうか。
というのが小泉内閣(というよりも坂口大臣)への疑問ですが、この問題は少子化が叫ばれて 久しいわけだしバブルの崩壊から10数年も経っているわけで、これまで手を付けてこなかった 歴代の内閣に問題があります。今に始まった問題ではありません。年金の仕組みが複雑という 背景もありますけどね。当時の大蔵省や厚生省がいかにずさんな資金活用をしていたか想像され ます。ここに郵貯も絡んでいるわけだから問題はいよいよ複雑です。(つまり財政投融資のこと)
だからこそ小泉首相は批判を敢えて受けることを承知の上で構造改革に踏み切ったわけだけど、 批判だけ受けるのはあまりに哀れとしか言いようがありません。
損切りは早めに手を打つことが一番損をしない方法です。 挽回しようと色目を使うことが過ちを犯しやすい一番の元凶です。 構造改革の一環である不良債権処理は、この損切りに当たります。これが滞留している間は、 いつまでたってもこれを穴埋めするだけの資金を投入せざるを得ないので、これに税金が使用 されることになるので我々はそれをムダ金と呼んでいるわけです。企業を潰さないために国や 地方自治体が公共投資と称して予算を付けてあげるから、これもムダ金と呼んでいます。
一方では、ムダ金をなくして効率を上げることに集中すれば、一見いいことをしているように 思えますが、これはマクロでは投資の総額を減らす、あるいは現状維持とするわけで、経済の 規模は大きくはなりません。ということは国民所得も増えないわけで、個々の所得レベルが 増える人がいる一方で、所得減少あるいは失業する人を認めることにもなります。所得格差を 認めることになるわけです。GDPが増える中でそれぞれの個人所得が増えるのが経済成長と いうのですが、GDPが変わらなければ個人所得が変わらないのが自然です。
であれば、むしろ所得が変わらない環境での制度を作り上げることにエネルギーを消費して 欲しいわけです。ミクロとマクロが混在して議論されるからこそ話が複雑になると思います。 ミクロでいいことでもマクロで悪いことであれば、まさしく合成の誤謬(ごびゅう)です。 草葉の陰でケインズがせせら笑っているかもしれません。
ケインズは公共投資で経済復興を唱えた人ですが、彼はひとつ注意をしておりまして、それは 景気対策は短期とするべし、と言っております。長期の景気対策は借金を増やすだけで、逆に 景気悪化の要因になると言っているのです。日本はバブル崩壊後、このケインズ政策に失敗 しているわけだから、これを繰り返すのは愚の骨頂です。景気が悪化した原因を問わない政策が ケインズ政策ですから、効果が現れなかった時にどうすればいいかまでは言っていません。
話を戻せば、従来の年金給付の方法を変えなければ、年金制度が崩壊することは明らかです。 社会保険庁がタレント(江角マキ子)を使って、やや高圧的なセリフで年金はきちんともらえると 言っていますが、ある意味、恐ろしいプロパガンダです。こんなもので安心して保険料を支払う ことができるでしょうか。きちんともらえるならば、公平にきちんともらえる仕組みを説明して 欲しいものです。社会保険庁のHPでは満足できる説明はなされていません。 (きちんと説明してしまうと、長たらしく、また矛盾を含んだものになるのが怖いのでしょう。)
そもそも年金制度は5年ごとの見直しがなされていますから、その度ごとに見直しはかけられて いるのでしょうが、これが改善なのか改悪なのかが見えてこないところに問題があるわけで。
増える保険料と減る給付金のことだけがクローズアップされると、そりゃもう国民は大騒ぎです。 現状の悪いところは何がどう悪いと反省し、その上でどうするかについて国民に審判を仰ぐ形が 理想的でしょう。全体像を分かりやすく説明してくれることも説明責任のひとつです。
厚生労働省が昨年12月に発表したたたき台を、東洋大学教授である駒村康平氏がまとめている レポートがあります。これなんかにざっと目を通すとそのあらましが見えてくるかもしれません。
そういったことで、国民の納得できる制度変更を望みます。 難しいから分からないと言って、勉強をせずにマスコミの発言を真に受けるなんてことはやめて おきましょうね。後になって他人のせいにしても始まりませんから。
はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)
2003年11月19日(水) |
つまらないことで言い争いはしたくないから言わないけど |
本当は今日載せたいことを用意していましたが、上司のひとことが自分を ムカつかせたので、少々そのことについて愚痴らせて下さい。
傍から見るとつまんないことに聞こえるかもしれませんが、それは馬刺しの 話題になった時のこと。同期の人間が用事でウチの職場に立ち寄った時に 出張で熊本に行くから、その時に霜降りの馬刺しで接待だと言い、それに 上司が霜降りはうまいよなと言っていたから、自分が口を挟みまして、
「霜降りの馬刺しは地元の人は食べませんよ。あれはヨソの人向けです。」
と言うと、
「キミが言うのは嗜好の問題だろ?好き嫌いは何にだって誰にだってあるよ。 一般的に霜降りはおいしいものだ。」
と言うのでカチンときました。 オレの言っていることが正しい、と思っている人にいくら説明をしても聞く 耳を持ちません(少なくとも彼らはそうです)から、ムダなエネルギーを 注ぐことはしませんでしたが、地元の人間を目の前に否定するとはいい度胸。
あんたの言う一般的とはサンプル数がどれだけのもんだと問いたいところ。 圧倒的に自分の方がサンプル数が多いから誤差は明らかに小さい。シックス シグマを習得した人の発言とは思えない。ただの思い込みです。しかも、 当地に住んでいるわけではないからあくまで聞いただけの情報です。こちらは 地元の情報がいやでも耳に入ってくるし、お邪魔したお宅でも来客用には 霜降りではなくて赤身です。わざわざ太らせて脂肪の乗った馬刺しを食べる 習慣もない。そりゃ好きな人はいるでしょう。その数が多いかどうかを言って いるわけです。みんな霜降りが好きで食べていたら、自分も霜降りを口に していたでしょうよ。霜降りはおいしいと耳にしていたでしょうよ。それが 今の今まで霜降りがおいしいなんて地元の人から聞いたことがないという ことは、その数が圧倒的に少ないということ。商業的においしいと洗脳されて いる人はおいしいと感じるかもしれませんけどね。でも舌はそうそう変わる ものではありません。
ちなみに自分の実家は久留米です。熊本県ではありません。 でも久留米は福岡の文化というより熊本と佐賀の文化に近い。福岡とは山で 遮られていますすが、佐賀や熊本とは分断するものが少ない。人の行き来も 福岡に比べれば多かった。言葉を見れば明らかです。博多弁よりも熊本弁に 限りなく近い。これは人の行き来が多かった証拠です。生活環境が近かった 証拠です。全てがそうだとは言いませんが、熊本の多くの知り合いやその ご家族を見てきた限りでは、こと馬刺しは霜降りの「し」の字も出ません。 赤身が常識だからです。近所の肉屋とか馬刺し専門店に行っても霜降りは 売っていません。需要がないからです。
馬刺しの霜降りは牛肉の霜降りの影響です。 霜降りはうまいという観念を馬刺しにも適用させたかったのでしょう。 でも馬刺しにある脂身は馬刺しに合いません。馬刺しは生肉ですし、少々 馬独特のクサミがあるから、あの脂身の臭いは違った肉のように思えます。 だから自分の知り得る範囲の大半は霜降りを食べません。これは文化です。
こういった背景なんかどこ吹く風の彼らですから、あーだこーだ言っても あっそ、てな感じです。しゃべるこっちも気分悪くなるからしゃべるのを やめた次第です。
というか、言い方が問題。 オレの知り得る範囲では霜降りが好きだと言う人が多いぞ、と言えばいい ところなのに、「一般的に」と言うから癪に触る。食文化を無視している。 土地が変わると食文化も変わることを全く理解していない。どこでも同じ 味覚を持っていると勘違いしている。恐らく彼らの地元のことを一般論で 切ってしまうと、その土地のことを知らないからだと反発するだろうに。 (ちなみにこのふたりは愛媛と埼玉の出身です。)
こんな上司とふたりで職場にいる時間が早く終わって欲しいと思うこの頃。 ちょっとしたことで憤りを感じてしまう自分にも反省しながら。
はい。今日は曇り。(東京地方)
2003年11月18日(火) |
正月の帰省はどうしようかねぇ |
年明け頃に仕事以外で忙しくなりそうな雰囲気です。 職場の異動が年明けになる可能性が出てきいるから、そちらの方も慌しくなるかも しれませんけどね。(職場はいずれにしても東京地区なので引越しは不要。)
正月明けの3連休中に、大学時代のクラブの同期が卒業以来の同窓会をやらないか と言ってきているからです。でも、どうせやるなら年末当たりにやって欲しかった。 年末年始に帰省して、一旦東京へ戻ってからまた福岡へ帰省するなんて二度手間。 しかもまだ繁忙期が解除になっていないから飛行機代も高い。特割を使っても片道 3万円弱かかります。これじゃあ、車で帰っても掛かる費用は変わりません。
で、他にも帰省する用事ができつつあり、もうこの際ですから親に断って正月は 帰省しないで、この3連休にだけ帰省して、少しばかりの有給をくっつけてしまおう かなとも考えています。もし、異動の話が現実になれば、うかうか休みを取っても いられないので、この計画はなくなるかもしれません。少しばかり時間が経ってから もう一度考えてみようと思います。
まぁ、もしこの計画が実現するとなると、逆に正月がヒマになってしまうわけで。 とはいえ、今の時点ではどちらとも言えない状況です・・・。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
月曜日からボチボチやっています。 以前だったら忙しさにかまけて手を抜いてきたことも、人がいなくなったから時間を かけてでも足を動かしてでもやらなきゃならなくなりました。
時間があるからやりますよ。あーやりますとも。
さて、日本もいよいよテロの標的になってきました。 情報を得た投資家は円を売りドルを買う行動となり、一気に1円50銭も円安となり ました。日本がイラクへ自衛隊を派遣すれば日本の首都圏を攻撃の標的にするという 声明が中東系のマスコミにアルカイダを名乗る者から寄せられたからです。
”AFP通信によると、ロンドン発行の週刊誌アルマジャラに、アルカイダの指導者で アブムハンマド・アルアブラジと名乗る人物が電子メールで送ってきた。その一部には 「(日本人が)経済力を破壊し、アラー(神)の軍隊に踏みつぶされたいのであれば、 イラクに(自衛隊を)送ればよい。我々の攻撃は東京の中心部に達しよう」との文面が あるという。 また、ロンドン発行のアルクッズアルアラビ紙にもアルカイダ傘下の「アブハフズ・ アルマスリ軍団」と称する組織から電子メールが届き、日本とともに英国やイタリア、 オーストラリアの名を列挙して、「犯罪者ブッシュ(米大統領)の追従者」と非難。 そのうえで最近起きた一連の爆弾テロの犯行を認め、「(テロは)バグダッドやリヤド、 イスタンブールにとどまらない」として、日本もテロの標的にするとしている。 ” (朝日新聞 11/17 11:35)
小泉首相はテロには屈しないと声明を出しましたが、日本の首相がこのような声明を 出しても国としての強い意思と受け止められるかどうかと言ったらそうでない。何故か。 それは憲法九条があるから。これがある限り国外における戦闘行為はできません。
戦闘行為を想定していない(できない)日本においては、仮に国外からの攻撃を受け たとしても、それに対抗できる防衛手段を持てないということです。国外に敵国が いないわけですから、当然いざとなった時の防衛にも限界があります。
米ソの冷戦時代はそれで良かった。 米ソのにらみ合いで他の国も牽制されていましたから。小さなイザコザはあったにせよ。
世界的な協調が重視されてきてからは、それぞれの国が自身のことを守っていく必要が でてきました。米ソの圧倒的な軍事力が衰えてきてからは、それまでの軍事負担が 各国に負わされてくるようになりました。日本も例外ではありません。
このアルカイダを名乗る者からの声明は、日本の出方を探っているのかもしれません。 従来のように友好的な日本となるのか、米国と同様、攻撃的な関係にすべきかの分れ目 なのかもしれません。しかし残念ながら日本の取る道はひとつしかありません。
それは米国と同様の歩調、つまり自衛隊のイラク派遣です。 法律上の制約から行動は戦闘行為以外のことになりますが、いずれにしても自衛隊が イラクへ出向くことに変わりありません。やることはどうであれ、日本の「軍隊」が 当地へ出動することに対してテロ集団は敏感にならざるを得ません。
なぜそこまでして日本はやらなければならないか。 それは米国が圧倒的な覇権国ではなくなったからです。 それと経済大国であった日本に陰りが出てきたため、カネで軍事力を買えなくなった からです。この二つが大きいと思います。戦後のいい時代は終わりました。各国が 応分の負担をする時代が来ました。これはカネだけでなく人的な貢献も含まれます。
神の国に仏様はいないと言えば分かりやすいでしょうか。
経済復興と国家自立。難しい局面に入ってきました。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
世界中で宗教を背景にした戦争やテロが勃発していますが、その際たるものが キリスト教vsイスラム教・ユダヤ教、つまり。欧米vs中近東(東南アジア含む) とも言えるでしょう。
3つの宗教には共通点がありまして、どれも一神教であること。それらの神様は 名の違いはあれ、古代イスラム教を源とした同じ神様です。
それなのに、お互いに排除する行動を取るのはなぜでしょうか。 十字軍以来の憎しみ合いなのでしょうか。もっと根が深いのでしょうか。 融和することはできないのでしょうか。
この疑問が解消しない以上は、いつまでたっても宗教は怖いという観念を拭い 去ることができません。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
2003年11月15日(土) |
総選挙を振りかえって |
さて、総選挙から1週間が過ぎようとしていますが、各政党のマニフェストを 記憶されている方はどれだけいらっしゃるでしょうか?何かひとつでも覚えて いるでしょうか?
かくいう自分は冊子を見直さないと覚えていない状況。 それだけ真面目に検討しなかった証拠でしょうか。せいぜい先日総括した程度 であり、個々の内容までは記憶に残っていません。マスコミの盛り上がりと 盛り下がりに連動してすっかり頭が切り替わっているという情けなさ・・・。
選挙が終わって、それまでは毎朝駅前で叫んでいた立候補者がいなくなって 静かな毎日に戻りました。せめて選挙結果に対するお礼と挨拶ぐらいしても いいかなと思いますが、そんなことやっている立候補者はひとりもいません。
救われるのは、選挙があるなしに関わらず駅前で訴えを行なっていた共産党の おばさんとおねーさんが寒い朝になったにも関わらずいつもの格好で駅前に 立って声を出していたということ。おばさんとおねーさんといえば失礼ですが 彼女らは市会議員です。お疲れさまと声をかけたいぐらい感心します。声を かけたい、ということは声をかけていないということ。賛同しない共産党の 党員に声をかけることは自分のちっぽけな信念に反するからです。それでも 市民に訴えかける姿勢には頭が下がる思いです。党がどうこうではなく個人の 姿勢として。
政治家は選挙民から投票してもらって始めて議員になることができるわけだから、 当選しようが当選しまいが、その結果を踏まえて市民に感謝の意を表すべきだ と思います。そこにいる人が自分に投票してくれたかどうかは関係ありません。 次もまた投票して欲しい、今回投票していないなら次は投票して欲しい、と いう姿勢を見せるべきだからです。選挙が済めば用はないとするのはいかにも 市民無視の姿勢です。そういう細かいことに気を遣うより、国会でやるべき 仕事がたくさんあるから構っていられないというのは詭弁です。投票前は頭を 低くして、投票が終われば知らん振りとはいかがなものかと思います。
礼節を知らない国会議員は、考えていることは腹黒いと言わざるを得ません。 オレがおまえたちを生かしてあげているなんてつけ上がるのもいい加減にしろ と言いたいです。地道な政治活動をしている人がどれだけいるだろうか。 国会は手続きですから、その手続きの源である選挙民の声は大事です。これを 無視しては民主主義は成り立ちません。声を拾っていくには議員自身に信用が なければなりません。党首・幹事長の応援があったからあんたは当選できたと 言いたい人もいるわけです。どんな仕事をしてきたのかと問いたくなる人も たくさんいるわけです。肩書きが実績であるわけではありませんから。
自民党が比例区で大負けしたのは、そんなつけ上がり議員が多いのが理由では ないでしょうか。大都市圏(1区)であればあるほど、田舎から引っ越して きた人が多いわけですが、そんな人たちは田舎のプライドを隠して都会の顔を したい人ばかりだから、本心を表すことを嫌う場合が多い。そんな人たちは 都会の議員のつけ上がりを見るにつけ、いよいよ敵対心を持つわけです。その 敵対心を持たれる筆頭が自民党ですから、都会の自民党議員は謙虚な心と姿勢 を持つことを求められているわけです。
加えて、都会に住むエリート心を持った人たちからすると、昔ながらのどん くさい政治をする議員や政党を心良く思っているわけではないので、表向きでも 説得力のある政策がないと支持をしようとは思いません。自分は彼らのこの 行為は必ずしも国民レベルの生活を向上させるとは思いませんが、少なくとも 社会的に正常だと思われるかどうかは別にして建前を支持して自身を正常だと 思い込んでいる動物ですから、ある意味、頭が堅いと思います。ですから論理的 に説得できる能力が求められるわけで、従来の力技や有名どころの名を借りての 選挙では勝てるはずがありません。逆に信用がなくなって見切られます。
ちんけなプライドを持った人が集まった地域を都会と称するならば、そこから 選出される議員は、そんな人たちを説得するだけの政策や行動を伴っていなけ ればなりません。見透かされないようなしっかりとした意思のある人が求め られることになります。ただ、社会の信用が建前で形成されているならばそれは それでいいのですが、そうであるがために本音を言えない社会になってしまう ことが怖いわけです。
そういう意味でも、駅前に立つ共産党の市会議員の方々は、市会議員らしい仕事 をしているな、と感じるわけです。こういう人たちが自民党にいてくれたらなと 思うわけです。悲しいかな共産党はいつまでも政権政党にはなれませんから。
てなことで、今回の自民党の惨敗は小泉政治の失敗ではなくて、個々の自民党 議員の日頃の努力と姿勢が問われた選挙であったということで締めたいと思い ます。失礼しました。
はい。今日は曇り一時雨。(東京地方)
2003年11月14日(金) |
変えていくのが付加価値 |
ウチに帰っていつもの場所に座ると、そこにパソコンがあるのとないのとでは まるで風景が違って見えます。風景だけでなく、気分的にもそこにいつも見て いたものがないと不自然でしたから、ようやく手元に戻ってきてホッとして いるところです。だから何ができるかというとできることは何もありませんが、 当たり前のことを当り前にやっているだけなので、それが生活のリズムなので しょうね。
さて今日は会社の帰りに車で会社に立ち寄っていた後輩と一緒に帰りました。 帰る方向が一緒だったので。職場が近くなったので、目に入った自分を見て、 声を掛けてくれました。(通勤ではなくて仕事で車を使っている人です。)
車中の会話で気になったことがあります。
仕事が忙しいから人を増やしてくれ。余計な事務処理をするから残業を押し つけられて本来の仕事ができない。これは問題だ。
と言うから、切り返しました。
仕事の質、やり方を変えないで量が増えたから人を増やせと言うのは、それは キミが自分の仕事を変えるつもりがないということを言っている。なぜなら 増えた分を他の人にやらせたいと言っているわけだから、自分の仕事量はなんら 変わらないことになる。効率を良くして自分の仕事量を増やせる努力をしよう とは考えないのか。給料が増えるのと同じくして、仕事量を増やそうとは思わ ないのか。同じ仕事をしている以上は同じ給料でも構わないのか。むしろ同じ 仕事しかしていないのなら、給料が上がること自体がおかしいとは思わないか。 もしそう思わないのなら、年を増すごとに不良社員と化することを肯定している ことになるぞ。その積み重ねが会社を悪くしていることになるぞ。それこそ リストラの対象になりやすいから自分の首を絞めていることになるぞ。自分を 変えないで他責にするのは簡単だが、それでいいと思っているのか。キミは 営業だから、人を増やした分をカバーできる受注を約束してくれるのか。それが できないで仕事量が増えたというのは会社の目からすると不自然にしか見えない。 仕事のやり方がおかしいとしか言えないだろう。どうやってその人の給料を 支払うつもりなのか。見方を変えてみろ。学卒の生きる道は頭を使っていくこと。 それができないなら学卒の給料すらもらえないぞ。
なんて説教をしてしまいました。 運転をしながら良く聞いていたと思います。これだけ言われたら途中で寝てしまう ところです。自分だったらイライラして運転が荒くなってしまうかもしれません。
彼はやる気のない人間だとは思っていないから自分も言ったわけで、そのあたりは 本人も良く分かっています。入社は彼の方がひとつ下だけど、年齢は同じなわけで 会社生活は1年しか変わらないし、人生は同じだけ過ごしてきています。だから 自分の言いたいことは良く分かっているわけで、本人は分かった上で発言したこと だと思いますが、ついつい言い過ぎてしまいました。
こういう話はなかなか社内ではしゃべる人間もいないからね。 みんなそれぞれのプライドをもって仕事をしているから、自分の仕事のやり方に 異論を唱えられると反感を抱きます。それでも、おかしいことはおかしいと言う ことができる社内環境にしたいわけです。(社民党委員長を辞任した土井たかこ さんも、同じことを言っていましたね。)
こういうことを話せる人間が社内にいることだけでも救いなのかもしれません。 誰も会社をダメにして自分を路頭に迷わせることなんか考えていませんからね。 仕事のやり方を変えることは非常に難しいことではありますが、結局は会社の ためでなく自分が会社で生き残るために仕事をしているわけだから、そこに自分と いう社員がいることを評価してくれるようにしなければなりません。そのためにも 従来と同じことではなくて、従来以上のことができるように頭を使うことが求め られているんです。だから年功序列の悪い習慣を会社は排除することを宣言した わけで、社員もそれに伴って、自分の能力を発揮して行くことが望まれます。
従来の仕事を変えないのはお役所だけで結構です。 民間の活力は変化をしていくところから始まるのだと思います。 小さな改善努力の積み上げが活力の源だと思います。だからこそ、そんな小さな 努力を評価してくれる制度を作らなければなりません。活力は個々の成果を評価 してくれることにあると思います。評価のできる人間を育てることにあります。 少なくとも自分の会社はそうなって欲しいと思っています。
誰かのためにではなく、自分のためにね。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
朝から体調が悪くて今日は会社を休みました。
会社に連絡した後、しばらくボーっとしていると家電屋から電話が。 「○○○東所沢店ですけど、ご依頼の商品の修理ができあがりましたので ご連絡致しました。お早めにお引き取りにお越し下さい。」
はいはい。ありがとう。今日はしんどいから週末にでも引き取りに行くよ、 と言いたかったところですが、部屋でボーっとしているのもムダな時間を 過ごしているようで、夕方になってから引き取りに行くことにしました。
それにしても電源が入るようにするだけで15000円とは高いよなぁ。 さすがソニー製品だと改めて感じました。まぁ3年間はまともに動いて いたわけだから、ソニー製品としてはマトモな方だったかな。
ウチに持ち返り、早速立ち上げて動作の確認とアプリケーションが壊れて いないかの確認をし、今日はそこまで。あれこれいじるのは週末にしよう。 それにしてもADSLはいいねぇ。ダイヤルアップは本当に不便でした。
この2週間ほどの間、部屋でPCを触らなくなってからというものは、 ゆとりの時間ができました。部屋で日記を書く時間も睡眠時間に変わった わけだから、自身にとってはいいことだったと思います。
日記を書かなきゃと思って2年半。本当に毎日欠かさずに書いてきました。 かける時間を間違っているんじゃないかと思いつつも書いてきました。 でもそろそろ毎日の更新は止ようかと思います。その分、現在中断している テキストの勉強を始めて、そちらの方に時間を割く時期かなと思います。
ひとつの区切りとして3年間。来年の5月までは書き続けることにします。 その後はヒマを見つけてといった感じになるかな。書き続けることに苦痛を 感じているわけではありませんが、時間のかけ方を別のところへ向かわせる 方が自分にとってはいいことだと思ったわけで。バイオ君が冬眠したお陰で このような考えに至りました。
まだ半年先のことですが、今から宣言しときましょ。 あ、でもこの日記は週末に更新ね。
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
これらの違いって何か知ってる?と問われて、その場ではうまく説明できず、 調べている最中です。
その場で答えたこととは、
・神社-仏教伝来以前から存在する神道に基づく神様を奉ったところ 天皇も神様に含まれる
・お寺-仏様を奉ったところ
・お宮-???
神社とお寺の違いは、社の前でかしわ手を打つか打たないか。 神様は社にいるわけではないから呼び出す必要がある。だからかしわ手を打つ。 仏様は社の中に奉ってある。そこに向かってお祈りをするからかしわ手は不要。
もうひとつ言えば、鳥居があるかないか。 鳥居をくぐるのが神社で、鳥居のないのがお寺。 神前に立ち入る際には決められたところから入らなければならない。 その入り口が鳥居。もともとは「入り戸」あるいは「入り人」と言った。 「入り戸」を逆から読めば「とりい」となる。これが鳥居の語源。 (神仏習合で混在しているところもあるという指摘は受けること覚悟の上。)
そういえば、お宮って何だっけ。きつねに油揚げだっけ。あれはお稲荷さんだ。 水天宮も宮という字がついているからお宮かな。でも水の神様、安産の神様 というからな。お稲荷さんだけがお宮かな。どうなんだろう。
なーんて、分かったような分からないような、自分でも要領を得ないことを 言ったなと反省しています。そこであらためて調べているというわけ。
神様を崇拝する心は精神文化。つまり、聖なる力は固定された何かに基づいて いたわけではなくて、形がないからこそ自然の全てに神の存在を置いてそれを 伝承として伝え、地域ごとに様々な神様が言い伝えられているのだと思います。
仏教が入ってきてからも神道が根強く生き続けたのも、その言い伝えがあった からこそだと思います。まぁ、「神」という言葉は天照大御神が起源とされて いますから(日本では)、この流れだと解釈しても間違いではなかろうかと。 それはまさしく天皇直系を神と見なすことです。ただ、各地の神社と天皇家は 必ずしも結びついていないと思う今の段階では、天皇家を神社の守り神と直結 するのは危険だと考えています。古代から各地域で神と見なしたものを奉った 社が神社になったと考えるのが自然なんでしょうかね。もともとそこに神様が いた場所ではありませんから、呼び出す必要があるのでかしわ手を打つ。
一方、お寺の方ですが、これは教派の違いはあれ、仏様を中心に奉っている のはどこも同じですから、仏様が奉ってあるだけでお寺だと言ってもいいかも しれません。公益として建立されたのがお寺で、個人の家は仏壇です。個人に おいては亡き人を仏様と呼ぶのは仏教の教えなのでしょうか。とはいえ今では 葬式仏教に落ちぶれてしまった感はあります。仏様には手を合わせて静かに祈る。 (結婚式では神式・キリスト教式、葬式は仏式が主流。大晦日には除夜の鐘、 正月には3社参りなどと宗教が入り混じっていますね。クリスマスやバレンタイン デーなんかは宗教とは関係なく広まったこの日本は何なんでしょう???)
日本人の宗教心について、このようなコメントがあります。(杉田荘治氏) ・日本人の宗教心の源は民族神道であり、それがいつも心の基調となっている。 ・日本人にとっては神も仏も、本質的には同じである。 ・生き仏 ・日本人は一つだけの神、一つだけの宗派を忠実に信じることには、注意深い。 ・日本人は祭りが好きで、神とともに楽しむ。
詳しい記述は彼のHPを参照して頂きたく。
さて、お宮さんですが、いろいろと見ているうちに、お宮=神社という記述の多い ことが目に付きます。つまり、お宮とは神社境内の社のことを指しているということ です。ということは、お稲荷さんも神社ですね。だから、神社・お寺・お宮と いう分類ではなくて、神社とお寺の二つに分ければいいだけの話でした。 (例えば赤ん坊の「お宮参り」ってありますが、これは地元の氏神に対して、その 地区の氏子にしてもらうためのお参りです。お願いをしに行くのは神社ですよね。)
というのが今の時点での結論。
神仏習合とその分離などという歴史的な側面もありますが、話がややこしくなり ますので、そのあたりは割愛します。
でも、外来の宗教は本来の教義とは違う形で入ってきてしまった(あるいは都合の いい形、日本に馴染む形で広めた)ので、仏教もキリスト教も、ある意味では どちらも日本教と言うこともできるわけで、違う宗教と解釈すること自体、意味が 薄れているのかもしれません。日本の神道も然りです。
格好や儀式に違いはあれ、やっている行為(お願い事をする)は同じでは。 神様頼み、仏様頼み。お願い事をすればかなえられるとするのは違和感が・・・。
はい。今日は曇り。(東京地方)
引越し作業もひと段落し、通常の業務に戻っております。 しかしこれがやりにくい環境です。
フロアは変わりませんが、以前いたところから端へ追いやられて、他の部門が 移動してきて周囲を取り囲みました。しかもウチのシマは2人しかいませんし、 所詮彼らからしたらヨソ様ですから、やっぱりよそよそしい。ウチの職場と 彼らを仕切る線引き(ラックとかパーテションなど)はありません。
見通しがいいからこちらの仕事もあちらの仕事も丸見えです。声も筒抜けです。 でも電話が鳴っても誰も取ってくれません。知らない人からの電話だから 対応が分からないという理由です。別に構いません。あんまり電話もないし。
しかし、なんだか同じ職場で村八分になっているような気分です。 しかも急を要したり、とりわけ忙しいわけではないから、のんびり仕事をして いるわけで、通常業務を持つ者からすると異常に見えるのかもしれません。 「ヒマ」な部門ですから。
ちなみに、現場作業がヒマなのは深刻ですが、事務屋がヒマなのは必ずしも 悪いこととは言えません。逆に、忙しい状態がずっと続く方がまともだとも 言えないのではないでしょうか。
程度の問題でしょうが、ヒマ過ぎたり忙し過ぎるのは、
①仕事のやり方が悪い(個人の能力)②職場の運用が悪い(上司の能力)
ことに尽きるわけで、総体的な仕事量が増えたから忙しくなったというのは、 効率を無視して従来のやり方を踏襲しているからそう感じるのであって、ただ 忙しいから人を増やせというのは事務屋の発想ではありません。本来はね。 (税収が足りないから国債を発行して補え、というのと何だか似ています。 本質を問わない小手先術だと思います。)
ただ、ヒマ過ぎる人の中には意図的にヒマにされている(干されている)人も おりますから、運用の範疇では言えないこともありますけどね。
事業が存在している中での仕事は、個人の裁量と職場の運用で多くは解決される ものですが、事業が存在していない職場の仕事は、いわゆる循環的なことを するわけではありません。自分の場合は事業管理業務がありますから毎月の 仕事があるのでそれだけは循環的ですが、事業終了に関することは、基本的に 依頼ベース。こちらから主体的にやることはほとんどありません。
とはいえ、ヒマな自分と普通に仕事をしている人とが同じ環境に存在すると、 お互いにけん制してしまうような気がします。少なくとも自分はそのことが 気になっているからこのようなことを書いているわけです。
建前としては、ウチの職場は早期に業務を終了させて、人材の異動を速やかに 行うということになっていますから、仕事がなくなることは悪ではありません。 ヒマな職場を隣で見ている人たちからするとわれわれは悪と見られるかも。 なにせ仕事をしていない(やる仕事がない)んだから。
仕事がなくなれば、人材も他へ異動せざるを得ませんから、ヒマな職場で白い 目を向けられることもなくなります。早くそうなることを祈っています。 祈るばかりではなくて、仕事がなくなるようにしなければなりませんけどね。
はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)
もはや時期遅しですが、恐れずに書いてみたいと思います。 これを書いた時点は選挙の翌日なので、とりあえず時事的な話題ということで。
総選挙の結果について時事通信社の速報から引用します。
衆院党派別当選者数(合計)
【時事通信社調べ】(選管確定) 党派名 合 計 女 性 重 複 公示前勢力 自 民 240( 9) 37 247(△7) 民 主 177( 15) 72 137(+40) 公 明 34( 4) 0 31(+3) 共 産 9( 2) 6 20(△11) 社 民 6( 3) 5 18(△12) 保守新 4( 0) 0 9(△5) 無の会 1( 0) 0 5(△4) 自 連 1( 0) 0 1(±0) 諸 派 0( 0) 0 2(△2) 無所属 8( 1) 0 5(+3) 合 計 480( 34) 120 475 (欠員 5) ※自民党は追加公認3人を含む
数字上では民主党ひとり勝ち、他は吸い取られ。与党では公明党だけが善戦。 自民党は単独過半数を狙い失敗、民主党は政権奪取を狙い失敗。結果の数字 だけではなんとも判断しにくいこの結果。当事者たちもいささか当惑している かもしれません。
当日は各局が選挙速報を放送していたから、特にテレビ朝日を集中的に見て いました。ニュースステーションでの民主党の仮想内閣を30分放送したことで 自民党の幹部がテレビ朝日への出演を拒否したことも後から分かりました。
久米宏氏が放送中に言っていたことの意図がうまくつかめなかったのですが、 後半の田原総一郎氏のコメントでようやく分かりました。テレビ局としての バランスを欠いているという批判によりテレビ朝日のみの出演拒否でした。
民主党の仮想内閣は自分としては軽く捉えていましたが、自民党はそうは捉えな かった。とりわけ自民党の苦戦が予想されていたから選挙妨害とも受け止められ かねないことであったわけです。
というのも、自民党は政権政党ですから、あらためてこの選挙期間中に選挙後の 組閣なんていうものを考えてもいません。ですから、民主党が30分も放送時間を 取ったなら、自民党にも時間を与えろという考えにはなりません。自分にやる気が ないのだから、民主党だけが勝手にやったと捉えるしかありません。それを受け 入れたテレビ朝日が悪いという論理です。(自民党は出演依頼に対して断りを 入れてきたといいますから)
テレビ朝日側に立っても、自民党側に立っても、どちらからも言い分はあると 思います。ですからどちらがどうすべきだったとかいうヤボなことは言いません。 (田原総一郎氏のように剣幕立てて説明を要求しても仕方がないという考え)
あいつだけやりやがってと思う自民党と、あいつがやるならと思う自民党。 大人の政党であるならばどちらの選択肢でもなく、ただ冷めた目で見届けるに 留めるべきだったのかな、なんて思います。
いずれにしても、マニフェスト選挙と呼ばれた今回の総選挙。 威勢がいいのは今だけとならないように国民側もチェックを入れるようにしな ければならないと思います。来年には参議院選挙もあることだし。
はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)
2003年11月09日(日) |
大した作業はしていないと思ったけど |
やはり体は正直です。 引越し作業の疲れがどっと出てきました。
普段は重たい荷物を運ぶことがあまりない(あるとしてもちょびっと)から、 台車を使わずに書類の詰まったダンボールやデスクトップをいくつも運んで いると、そのときはいいのですが、後から疲れが出てきます。
自分は腰痛経験者だから、重たいものを担ぐときにはそれなりの姿勢で持ち 上げる必要があることを言われております。足を伸ばしたまま荷物を持ち 上げることは厳禁。必ず腰を落としてから持ち上げる。軽いからといて、 これを忘れてしまうと痛い目にあいます。腰が悪くない人も同じようにした 方がいいです。力があると過信してしまった時に起こりやすいです。
まぁ、自分の場合はスポーツをしているときに痛めた腰なので、いわゆる ぎっくり腰とは違うそうなのですが、腰痛には変わりないので気を付けてます。
というか、こういうときに限って日曜日に整体の予約をしていません。 予約は来週の日曜日ですから、それまでは体のバランスが悪くなるような 姿勢をしないように気を付けます。でも今日会った人から歩きがぎこちないと 指摘された時はよく分かるなぁと感心しました。自覚症状がないのはあまり いい傾向とは言えませんから、指摘してくれた人に感謝。
ところで、今日は選挙には行きましたか? 選挙の結果は自分が投票しようがしまいが出てくるもんですが、もし投票を しなかったならば、出てきた結果に不満を持つことだけはしないで下さい。 票を投じたいという積極的な気持ちがないから投票しなかったと言っても、 結果的にはどこの政党のどの人が政治をしても構わないと言っていることと 同じになってしまいますからね。
投票率の低さは政治の責任だと思いますが、一方では有権者の政治に対する 関心の低さ、つまり社会をもっと良くしたいとか生活に苦しんでいるとか、 そういう意識が無い(少ない)からだと思われます。ご承知の通り政治は 生活に直結する事項が多いわけですから、生活に困っているわけでなければ 政治に期待することも無いわけです。投票率の低さは生活が豊かになった 証拠であるとも言えるでしょう。
国会議員は国民の生活とともに国家の将来を考える人たち。 議員自体の資質に問題がある人は一部にいるようですが、そのことを除いても 彼らが国家の制度を作っていることは間違いありません。自身の生活に何らかの 思いがあるのなら、少しでも政治に関わることをお勧めします。直接接する ことがなくても、自身の考えを整理してみると意外と今支持している政党の 考えと違っていたりします。自分が何を欲しているのか、何に不満なのか。 そのあたりを整理してみると支持政党が自然と見えてくると思います。
投票結果が出る前に寝てしまうので、次の日記更新のときにでもコメントを 書いてみたいと思います。それまで皆さん、さようなら。
バイオ君は週明けから修理開始のようなので、恐らく2週間ぐらいしないと 手元に届かないんでしょうね。それまでは週末更新ペースは変わりません。
はい。今日は曇りのち雨。(東京地方)
自分の中の総括。(順不同)
自民党 - 民間の活性化・拡充 民主党 - 税金の使い道を変える 公明党 - 年金の確保 共産党 - 消費税率アップの否定 社会党 - 護憲 その他 - (検討外)
どこを支持するかは個々の視点、生活状況により違うと思います。 ですから、どこの政党を支持してもとやかく言うことはできません。 むしろ政党による政策の違いが無ければバランスも保てませんから それぞれの政党が違う政策を挙げることは健全な証拠。
自分の中では大きく2つのグループに分かれると思っています。
1.自民党・民主党グループ 2.公明党・共産党・社会党グループ
1は経済の活性化を①自民党→中長期②民主党→短期に求める 2は社会保障の充実を求める(長期的な生活の安定化)
そんな捉え方をしています。
個々の政策は政党の中でも上記に矛盾しているところもありますが、 それらを実行できるかどうかは政権を握ってからの話。そこをきちんと チェックできるかどうかが今後国民に委ねられることになります。
今は良く分からない、漠然としていたとしても、だからといって投票を 拒否しないで、誰が、どこが一番自分にとって、国にとって有益かを 検討不充分でもいいですから決めて投票所へ行ってみて下さい。
もしかすると予想もしない結果になるかもしれませんよ。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
昨日は「ヒマ」と書きましたが、さすがに引越し前日ともなると色々と 粗が出てきまして、あれをやらなきゃこれをまだやっていない、なんて 思い出したり指摘されたり。さすがに自分ひとりではどうにもならない ので、先ほど異動した人を呼び出して、手伝ってもらうことにしました。
2人で5人分の机と2台の共用デスクトップ、そして資料を入れている 6段ラック3本半のお片付け。付け加えるとプリンターも。上司が会長の お供と称して沖縄旅行へ行ってしまっているので男手が足りません。 というか、女性もいませんから単に手が足りないということです。 もう、とにかく書類を捨てることに専念。あるわあるわ捨てる書類。
自分は午前中は打ち合わせで別の場所へ行っておりましたし、お手伝いに 来てもらった人は、その人の仕事を午前中に片付けてもらってから来て もらいましたので、いずれにしても午後から片付け開始。今日は第4稼働日 ですから、一般会計の締めということもあり、自分にとってはひと月の中で 一番忙しい日ではありましたが、片付けをやらなきゃと1時間で済ませ、 修正があったら来月分でやることにしました。
救いは、フロアの移動がないこと。 横にスライドするだけだから決められた手順を一部省略しています。 明日は会社に出て、業者に指示を出すことにしました。何もしなければ 総務から指示を出された通りにしか業者も動けないから、細かいところで 問題が起きるかもしれません。社員が傍に付いていれば、それなりに事は なんとか進むもんです。問題は引越しの後に出てきますが、それでもそれ なりに問題は解決します。あるべきものが無いことが一番問題ですが、自分の 職場の場合はまずそのようなことはありえないので、なんとか大丈夫でしょう。
そういうわけで、明日はいつもの通りの時間に会社に出社します。 いつもは金曜日の夜は夜更かししていますが、今日は寝ることにします。
でも、「朝まで生テレビ」が選挙前で今日の放送になっていますから、気に なって起きてしまうかも。そんときは寝ずに起きていよう。無理か???
はい。今日は曇りのちときどき晴れ。(東京地方)
はっきり言って会社では「ヒマ」です。
今週末は職場の場所移動(同じフロアですが)があり、引越しモードでは ありますが、ウチの職場は数メートルの移動だけなので大した作業は発生 しません。土曜日は業者への現場指示のために出勤ですけどね。
とりあえず今週は引越しということもあり、せめて机の上ぐらいはきれいに しておきたいので、書類をどんどん捨てています。もともと片付けるのが うまくない人なので、机の上に行き場のない書類が山積みになっています。 対外業務はいわば終わったようなものなので、現状進行しているもの以外は 机の上にある方がおかしいと、捨てまくりです。
対外的な業務は、すでに客先へ引継ぎを説明しているので、物品検収後の 支払以外の問い合わせは基本的にはありません。支払に関する問い合わせと 言っても年に数回程度ですから、あってないようなもの。
もしあるとすれば、引継ぎ会社の対応があまりにまずくて、その対応の悪さ に対するクレームの類ではないかと予想しています。保証期間が残っていても、 人がいないから対価を支払って業務代行してもらっているものもありますから。 これらの保証責任はウチの会社にありますからね。責任は引継ぎできません。
大きなトラブルを抱えていれば、そのためだけに人員も確保していなければ なりませんが、ウチの上司はそれはないと判断し、実務者の多くを10月から 別の部門へ異動させました。残るは上司である室長とサービス部長、それから 自分の3人だけです。一時は20オク程度の売上で平均20名ほどの人員を 抱えていた部門でしたが、この下期からは売上もなく3名体制。戦後処理だけ。
いろんな人から尋ねられますよ。お前は(あなたは)これからどうするのかって。 どうするのかは分かっているから答えられますが、どうなるのかは分からない。 自分の処遇は自分では決められませんからね。どこに行きたいかなんていう ヒアリングもありませんし、恐らく既に行き先は決められているんでしょう。 知らないのは自分だけなのかもしれません。
まぁ、そんなこんなでヒマしているので、その間に書いています。 会社で日記を書くだなんて思ってもいませんでしたが、バイオ君も冬眠して いるわけだし、仕事もヒマだし、善しとしています。
どのみち日記の更新は週末なので、今日の日記をご覧になっている方はまず いらっしゃらないと思います。なので、勝手気ままに書いております。
いずれそのうち自分もどこかへ移ることになりますから、ヒマな今のうちに 机の上だけでなく机の中まで掃除してしまおうかな、なんて。
はい。今日は雨のち曇り。(東京地方)
2003年11月05日(水) |
たまには選挙もいいものだ |
選挙期間中は政治を考えるいい機会になったりします。 普段は関係ない、難しい、勝手にやれ、なんて無関心を興じたりしているもの ですが、選挙となるとそうはいかない。少なくとも、自分を窮地に陥れるような 人に投票するわけにはいきませんから。
一方では投票率が低いのが実情です。もはや誰が当選しても地域も国家体制も 変化は生じないと諦めているからでしょう。これは自民党体制が長く続いた影響 なのかもしれません。自民党体制が長く続いたことで、野党の存在意義が薄れて きているのも事実です。国民が自民党を受け入れてきたということですから。
社会党なんかはそのいい見本かもしれません。 戦後一貫して経済を成長させて国家を安定させるという大きな目標にまい進して きた日本に対し、そこに欠けている平等精神(貧しい人を作らない)・環境保護 (企業や国家の都合だけで国土を痛めることをしない)を唱えてきた政党ですから。
このような対抗政党がいて歯止めをしていたからこそ、与党である自民党も我が道 だけを突き進むことができませんでした。そういう意味では自民党も変化をして きたのでしょうね。社会党の政策を一部取り込まざるを得なくなりましたから。
一方、政権を取るという観点ではもはや共産党や社会党にはその実力はありません。 そうなると、彼らに投票をしても実現できる可能性が低いことは否めませんから、 自民党の個々の政策に不満があっても生活に変化が起こるわけでない限りこれら 野党に投票するだけの動機付けはできませんね。
選挙戦では、よく”無党派層の取り込み”なんていう言葉がでてきますが、この 無党派層とはなんぞや、ということを政党側は考えているんでしょうかねぇ。
かくいう自分も無党派層の仲間入りしています(正確に言うと自民党を支持しつつ いつでも鞍替えする気持ちがある)が、いろんな意味で無党派になっているのでは ないでしょうか。
例えば、 ①信頼できる政党がない ②政治に無関心 ③政党よりも立候補者に関心がある ④どこの政党でも構わない ⑤政党政治はおかしいと考えている ⑥投票なんかするつもりはない ⑦政治の助けは必要ない ⑧支持政党を表明すると立場が悪くなる
などなど。
いずれにしても選挙権を有する人は、面倒でも投票に行きましょう。 たとえ個々の選挙で権利を放棄してもその権利を取り上げられるなんていうお咎めは ありませんが、投票しようがしまいが誰かが当選する仕組みになっている以上は、 誰が政治をしても不満を言わない人は別にして、自分が一番望むであろう立候補者や 政党に投票して、できる限り望ましい環境作りをする、その一端を担っていることを 自覚する必要があるんでしょうね。
はい。今日は晴れのち雨。(東京地方)
2003年11月04日(火) |
税収から経済合理性へ |
さて、昨日の続きです。
戦後景気拡大路線を順調に歩んできた日本だからこそ直接税だけで済んで きましたが、経済の拡大が鈍化あるいは停滞すれば期待していた税収が入って 来ないのは明らかですから、間接税の比率を上げていかなければなりません。
税収不足を借金で補填する、あるいは税収を上げて支出に見合った収入を 確保するという考えではいけないというのが(今の)小泉首相の考え。 必要なところに必要な分だけきちんと査定して配分する。それを全体に 広げれば不必要なものがたくさん出てくるから、それだけで支出が大幅に 改善できるということです。言わずもがなですけどね。
消費が増えなければ税収は増えません。 ですから税収を増やすためには消費税を上げるか所得税を上げるか法人税を 上げるか、企業と国民にしわ寄せが来るのは当然のことです。将来のために せっせと貯蓄するのは消費を減らす行動ですから、個人にとっていいことでも 全体にとってはよくないことです。これを合成の誤謬と言います。
個人がせっせと貯蓄をすれば消費が減りますから、税収を増やすために税金を 上げる方向になります。したがって余計に家計は苦しくなります。税金だけでなく 収入も減っている現状ですから、貯蓄するだけの余裕がなく、取り崩しの方向 です。貯蓄の取り崩しも限界がありますから、いずれにしても収入を増やす 方向にならなければなりません。公共投資が必ずしも悪でないのはそのため。
小泉内閣の経済課題は、いかに経済を活性化して収入を増やすか、構造改革して 支出を減らすかの2点。収入を増やす政策と支出を減らす政策を両建てです。 どちらかひとつだけでは片手落ちです。どちらもいずれはやらなくてはならない ことですし、今やらなければ永遠にやれないであろう課題です。特に構造改革 なんていうのは国民にも苦労を強いることですから、景気のいい時には到底 受け入れられる政策ではありません。お役所・政治家にとっては自分の首をしめる ことですから当然反対します。この抵抗を許してきたのがかつての自民党ですから、 ここに楔を打ち込んだ小泉首相の功績は大きい。
収入に見合った支出にするか、支出に見合った収入を取るか。 個人のフトコロのことを考えれば選択するのはどちらか明らかです。 国と個人とは違うという理由で後者を善しとするならば、これは資本主義の 国家ではなくなります。まるで封建主義です。日本が純粋に資本主義になり きれないのは、この封建的な思想が各所に残っているからです。
収入があろうがなかろうが国民の生命と財産を守るため使うべきところには使う。 政治家が一度約束したことはコロコロ変えられない。中止なんて考えられない。 これってどこかで誰かが言っていませんでしたか?
政治判断と経済的合理性って必ずしも一致しないんです。 むしろ政治判断は経済合理性に反することが多いのです。(多かった)
政治家は表面的には(票が欲しいから)国民の方を見ながら活動をしていますから、 国民が嫌がることは極力避けたいし、言わない。国民が欲するのは利便性とか 公共性の向上ですから、これを実現するためには地域の税収よりもはるかに大きい 支出を伴うもんです。経済が拡大している時期はそれで通るのですが、そうで なくなれば、税収に見合った規模の提供に留めなければ、結局は支出した分の しわ寄せを国民に押し付けるしか手がなくなります。税収の拡大が見込まれない 時期であれば、要望を飲めないことも多々出てきます。これをきちんと伝える ことのできる政治家が本当の意味の政治家だと思います。
そういうわけで、政治判断を経済合理性に基づいて決定している小泉内閣の 方針は、いかにも教科書通りだと思いませんか。とりわけ特殊なことをやっている わけでもありませんし、やるべきことをやるべきと言って実行しているだけ。
資本主義とはなんぞやということを考えてみるいいきっかけだと思うんですが、 みなさん、どのようにお感じになるでしょうか?
はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)
小泉首相の応援演説を聞きに行ってきました。
予定時刻の5分前には宣車の回りは人だかり。 駅に向かうバス通りで、バス以外を通行止めにしての演説。
誰も彼もが小泉首相目当てだと分かりました。 予定時刻になっても候補者本人と選対本部の人間、そして地域の市長の 応援演説でしたが、市長さんたちの応援演説が続く度にブーイング。 小泉首相はまだかと言わんばかりです。まるで芸能人を待っているよう。
20分ほど遅れて小泉首相が到着しました。 演台に上がると大きな声が沸きあがりました。さすがに黄色い声はあまり ありませんでしたが、小泉首相の登場とともに群集は宣車の方へ詰め寄り ました。
普段は見れませんからね。国家の首長だし。 かく言う自分も小泉首相を目の前で見たのは初めて。
演説の前から雨は一旦やんでいたので濡れることなく良かったのですが、 その分、宣車の近くは満員電車と同じ状態で身動き取れないぐらい。 幸い、応援演説が終わってから雨が降り出しました。しゃべる方も聞く方も 運が良かったというか、天が味方したというか。
首相までの応援演説は聞いちゃいませんが、小泉首相の応援演説には誰もが 初っ端から耳を貸していました。目的は小泉首相目当てということもあります が、今日の応援演説の最後の場所だから、声がもうガラガラで聞くに耐えない。 あまりのひどさにしゃべっていることが聞き取れないほどでした。 だから余計に耳を傾けていたようです。
しゃべる本人も声高に叫ぶことができないもんだから、さすがに声のトーンは 低く抑えてしゃべっていました。それにしても小泉順一郎という人はしゃべり がうまいです。他の人がありきたりのことをしゃべるので飽き飽きするのとは 違って、われわれに分かりやすく、そして身近なところを取り出してしゃべって くれる。視野に入った赤ん坊連れの人に気遣いを見せる余裕振り。これがまた 政治家の奇麗事に見えないんです。
小泉首相の支持が高いのはここにあるのでしょうね。 内容云々というよりも、いかにも政治家、いかにも選挙の時だけ奇麗事と いったことのない人物だと思われているのでしょう。国民に接する普段の姿が そうしているんでしょう。
でもこれは必要条件であって十分条件ではありません。 しかしこれまでこの点、つまり親しみやすさに関しては不充分であったと 言わざるを得ません。小泉首相はこの点を備えているだけでも国民から支持 されるだけの要因を備えているわけです。政策が分からない人にはどんな 人柄かで判断するしかないですからね。
政策の点で言うと、どうしても気になるのが在任期間中に消費税を上げないと いうこと。上げないといえば聞こえはいいのですが、在任期間が過ぎれば 消費税を上げるということを言わないのは対抗勢力からするとダマシと言わ れても仕方のないこと。上げるという言い方だと人気が落ちるから敢えて 言わないのでしょうが、消費税を上げることは公約とせずとも上げることに なる公約内容になっているわけですから、何らかの説明があってもいいはず です。このことが分かって支持するのであればいいのですが、知らずに3年後 を迎える人は小泉首相に騙されたと言うことになりかねません。というか、 だれもがうすうす感じ取っているとは思いますけどね。
税金の考え方については明日に譲ることにします。
はい。今日はくもりのち雨。(東京地方)
2003年11月02日(日) |
選挙期間中はわれわれが政治を考えるいい機会 |
「小泉総裁・安倍幹事長があなたの街にやってくる」
ということで自民党のHPにあるのは知っていましたが、選挙事務所の宣伝カーが ウチの前の道路を走っていまして、明日(11/3)17:30に清瀬駅前に来る と言っておりまして、改めて自民党のHPを見ました。
今日の17:00には安倍幹事長が所沢駅に来ていたんですねぇ。 見逃していました。
今日・明日は総裁と幹事長で東京・千葉・埼玉を遊説しているようです。 休日に都心とその周辺(神奈川はすで終わり)を回るのは常套手段ですが、今年は どうなんでしょうか。聞きに来る人がどの程度のものなのでしょうか。 でもこの件については、とにかく現場を見てみて話をしましょう。
テレビで見ている小泉純一郎がそのまんまにガラ声で叫ぶんでしょうか。 彼は理念型の政治家ですから具体的な政策を訴えるとは思っていませんし、具体的 な政策は他の人が言えばいいと思っています。
小泉純一郎の理念と国民の感性が同じベクトルを向かうかどうか。 嵐のように政策を並べ立てても、聞いている国民はそのうちのひとつかふたつ位 しか関心がないから、本当に大事だと思うことだけを訴えてくれればいいと思い ます。それが聞いている側のどれだけの心に響くかです。 やはり選挙は昔ながらのやり方になってしまうんでしょうね。
そこにマニフェストというイギリスの手法をもって結果責任を問うことに国民の 関心を向けようと北川氏を始めとした政治アドバイザーと呼ばれる人たちが叫んで いる方式に民主党が乗っかって、他の政党も無視することができなくなったことは 大いに結構。
しかし、細かい議論になればなるほど国民はそれについていけなくなって、結局は 感覚として自分たちをどうしてくれるのかというところに行きついてしまいます。 細かい議論をするのは、繰り返しますが、大いに結構。むしろするべきです。 細かい議論をするからこそ、それぞれの政党の考えも細かく知ることができるし、 我々も判断材料とすることができます。
ですから、今年から始まったマニフェストを我々も勉強して、この政党は自分が 求めることをしてくれると言っているのかそうでないのか。そのあたりの判断が できるように勉強しなくてはなりません。マニフェストとは政治家にだけ課した 責任追及ではないわけです。国民がそれを理解し、選挙後にマニフェストにある 項目を政党がきちんと実行しているかチェックをする必要があるんです。
理解していようがしていまいが政治は勝手に進んでしまいますが、理解することを 面倒がって都合のいい時だけ文句をつけるのはそれこそ身勝手です。結果的には 自分の首を絞めてしまう結果になります。政治家は都合のいいように国民の声を 「利用」しますから、表面的にはいい人のように見えますが、それがどういう 結果を生じるのかを理解していなくてはなりません。
政治を行うためには何をするにしてもお金がついて回ります。 そのお金をどこから調達するかが政治家の役目です。
国を動かすためには国の懐から配分してもらわなければなりませんから、これは 国民の税金と国の借金。国の借金はいずれ国民が返済しなければならない性格の お金ですから、結局は税金をもって返済することになります。国の借金が増えると いうことは、税金が高くなるということです。だからやみくもに国民が欲する ことを実行しようとする人はお金のムダ遣いを気にしていないことと同じであり、 後の税金増を要求していることと同じです。
このような議論をしていると、恐らく水掛け論になってしまうでしょう。 景気を良くすれば税収も上がるから借金を恐れるなってね。
でも、それをやった失敗がバブル崩壊後に実証されていることを忘れてしまって います。一時的な回復しかできなかったことは、景気対策としてお金を突っ込む ことがバブル崩壊の対処法ではなかったことで証明されています。
戦後ずっと右肩上がりの経済で隠れてしまっていたところがあるのです。 量的な拡大では通用しなくなった経済の実態があるわけです。腐った何かがあるん です。政治家、国や自治体、そしてその関係団体。民間もしかり。
民間が先行して辛い目にあって努力しているんですから、次に政治家や国、自治体、 その関係団体も同様に辛い目にあわなくてはならないんです。全ての立場の人々が ドブさらいをして始めて苦しい中で生き残る知恵が出てきます。
誰だって辛い目にはあいたくありません。しかし辛くならないような仕組みを しっかり作り上げていることが非効率を生み出しているのですから、その仕組みを 崩して本来あるべき姿に戻そうというのが構造改革。壊すと言っているのは元に 戻すということなんです。甘えの構造に慣れてしまっているから、元に戻そうと すると辛いと感じるんです。
過去の清算をする時は誰かが辛い目に会わなくてはなりません。 これを逃れていて積み上がったからこそ今になって全体が痛い目にあわなくては ならなくなりました。その時々に小さな痛みを味わっていれば大きな問題には ならずに済んだと思います。
国民ひとりひとりがそうであり、国政を預かっていた国会議員がそうであり、 地方自治体も政府関係団体も役所もそうです。みながそれぞれ自身を守るために 仕組みを作り上げてきたのです。
そういったしがらみを捨てて元に戻れるかどうか。 経済回復のカギはそこにあると思います。ですからしがらみを捨てることなしに 経済回復はあり得ない、というのが自分の主張したいところです。
現状をいかに回復するかに捕われて目先のことを考える前に、あるべき姿に立ち 戻る。その作業を今していると考えれば、構造改革は当たり前のことをしている ことになります。改革・破壊と言えば抵抗あるなら、あるべき姿に立ち戻る、と 言い換えましょう。
経済回復のことを言うのなら、何が問題で今のような状況になったのか。それを 冷静に分析してこそ対策が打てるというもの。分析なくしてやみくもに手を打って いるように思えるのは自分だけでしょうか。共産党や社会党の言うことは無視する としても、民主党ですらその点に言及していないように思えます。過去の清算を 今しているんだよと言っているのは小泉内閣だけです。避けて通れないことです。
これを避けて他の手法を講じても将来の負担を増やすことは明白です。 もし将来を案じるのなら、どう考えても多くの人が批判している自民党の政策に ならざるを得ません。現実に即した政策ですからね。できることとそうでない ことをきちんとわきまえています。やらなきゃいけないこととやれることとは 違います。
自民党の内部にはまだまだいろんな勢力が存在しますから、自民党の政策が 議員すべての考えとは言えないでしょうが、それを恐れずに自民党を変えて いこうとしている小泉首相をこき下ろすのは国民にとって得策ではありません。 名前は同じでも中身は違う自民党に変えているわけですから、その移行期として いろいろな問題が生じてしまうのは仕方のないことです。時間もかかります。
従来触れてこなかったことに敢えて触れてきているわけですから、それらを 変えるには時間を要します。それらを小泉首相在任中に種をまいて、その後に 芽を出させる作業をしているのです。恐らくいい結果が出るのは小泉首相の任期が 切れた後でしょう。いいところは後任の人が持っていくわけです。彼が在任中は 批判されるだけです。そういうことから逃げないでオレに任せろと言っている 小泉首相を変えても、旧態依然の自民党や官僚がムクムクと起き上がってくる だけです。ですから、小泉自民党を生かし、小泉首相に十分仕事をしてもらって、 その結果、われわれがよりよい生活を確保すればいいのであって、今を嘆いて 小泉内閣打倒に走ってもいいことはありません。
意見をタラタラ言ってきましたが、要は将来われわれの生活を守ってくれるのかを きちんと考えている人に投票しましょう、そういうことを言いたいわけです。
何も考えずに流れに任せて投票するなら意味がないですよ、と。 いいことばかりを並び立てている人に限ってわれわれを不幸にする政策の持ち主で あることを見抜きましょう、と。
ま、そんなとこです。
※11/7 小泉純一郎首相の誤字を修正しました。兼松さんありがとう。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
ちょっと落ち着いています。
ヒマな時間ができるといつもはあれやこれや考えてしまって、できない ことについて疑問を投げかけてそれが解決できないことに苛立ちを感じ たり落ち込んだり。そんな時間ができることがイヤだったり。 後向きなことばかり考えてしまう週末が来なけりゃいいのにと週末が来る たびに考えてしまっていました。
職場のことについて言うと、来週からは隣にいた担当者が異動でいなく なるし、向かいの席にいたオジサンが男気を出して退職することになった のでいなくなります。先週までは上司を含めて4人いたのが、来週からは 2人です。担当は自分ひとり。上司と自分の2人体制です。横須賀の事務所 にはサービス部長と担当の2人がいますが、担当君は来週から異動となり サービス部長だけになりますが、そのサービス部長も12月一杯で退職の 方向です。
そういうわけで、1月からは上司と自分の2人体制です。 ほとんど解体した職場ですが、契約履行義務の期間が続いている以上は、 会社として対応する窓口がないといけません。ですから窓口としての組織 (実効性がないとしても)が存続する必要があります。ただ、それだけの ことを仕事としていてもほとんど仕事はありませんから、名目上の組織を 残すだけで、実質は他の職場に異動して対応する時だけ窓口として機能する のみになると思われます。清算事業団です。(大概は事務的に存在するだけで、 それだけを仕事としているわけではありませんからそれと同じ。)
このような状況になってくると、自分の異動もそう長い先ではないなと 思えてきました。専属の必要性がなくなってきましたからね。 会社としては昔のことをさっさと終わらせて他に人材を必要とするところへ 人材を移動させることを望みます。実際にそうなってきているわけですから、 会社としてはいい状況です。必要としているところで人材を活用することは 会社にとっては当然の考えです。
後向きな仕事を任されて前向きになれというのは無理な相談ですが、救いは 複数個所から自分に対して引き合いがあるということ。次に行く場所がどこか は知りませんが、どこかには行けるだろうことは推測できます。 この仕事で会社生活が終わってしまうという最悪なパターンではなくなり ましたから、ある意味生活の不安はなくなりました。
精神的な不安定さは、今の仕事の後に自分がどういう立場になるのか分から ないという不安でしたから、そういう意味でも不安定な精神状況は改善した ように感じます。
プライベートな面でもいろいろありますが、そのことはクヨクヨしても どうしようもないことなので、ひとつひとつ区切りをつけていくしかないと 思えるようになりました。はっきりしていないこともありますが、とにかく 自分にできることをしてうまくいこうがいくまいが、次の結果を求めて次の 行動に移ることを考えます。
会社では人を送り出す役目で最後に残る自分は辛い人間だと思っていましたが、 サラリーマンで組織の清算をする人なんて数えるほどしかいないわけだし、 次の職場が控えていることを考えると、やるべきことをきちんと全うするのみ。 次の仕事へのステップです。多くの人ができない経験です。
そんなことを考えていると、心の中でモヤモヤしていた何かが取れてきたよう な、なんだか吹っ切れたような気持ちになってきました。
このひとつきの間に新しい出会いもあり(あ、成田有里恵さんのことね)、 ある意味、自分にとっては励みになっていることも精神的には一助になって います。コトウさん、いい人を紹介してくれました。 というか、こちらから紹介してくれって言いましたっけ?(笑)
さて、これから夜が長い季節になってきました。 仕事に対する精神的なモヤモヤがなくなってきましたから、もうひとつの モヤモヤの方を片付けましょうかね。夜も長くなってきたことだし。
はい。今日は曇り。(東京地方)
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