しむちゃんのつれづれ日記
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2002年09月30日(月) イヤでも来てしまう期末

期末は好き嫌いに関わらず来てしまいます。
当たり前っちゅーたら当たり前のことですが、これが来なかったら
決算もしなくていい。でも時代の流れとしては四半期ごとになって
くるのかな。決算は。投資家向けの情報公開として。

多くの上場企業にとって今日という日は、自社の株価がどうなるか
気になる日。今日の終値をもって自社の資産価値が決まります。
でも決算上の興味は保有株の株価。これが簿価割れしていると
評価損を計上することになります。いまだに原価法を採用している
企業には関係の無いことですが、それでは含み損(表面上、損失が
出てこない損失のこと)がどれだけあるのか分からないので、企業を
評価する上で投資家が困ります。銀行なんかがずーっとそうしてきた。
逆のこともあるわけで、含み益がどれだけあるのかが分からない。

資産を時価評価することが企業をすべて表現することになるかどうかは
疑問もあります。というのも、全ての投資家が企業を正しい判断で
評価しているかどうかが疑わしいからです。

いわゆる投資家の中には「投機家」と言われる人たちも含まれます。
投機家は儲けることが至上命題の集団。儲けるためには手段を選ばず
テクニカルな方法やら心理的な方法を使ってシロウト投資家をある
落とし穴に落とし込んで、自分たちが利益をこうむるように仕掛ける、
規模は違いますが、いわゆる投機筋とかヘッジファンドとかに代表
されるものです。

年金の運用なんかもそのひとつになってしまいます。
世界中の年金ファンド(マネージャー)がターゲットとする銘柄を
いつも探しています。期末の大株主なんかを見ていると、それが
よく分かります。日本の持ち合いのような長期保有を目的とした
海外の投資家はごくまれ。海外企業の情報は見えにくいから。

本来の投資家というものは長期投資をすべきもので、短気的な利益を
追求する人も投資家じゃなくて投機家の範疇に入ります。その意味では
デイトレーダーも投機家。街に出回っている投資情報本のほとんどは
投機を目的にしている。つまり短期的で表面的なもの。決して企業の
体質やら本来の姿を反映させていません。あくまで株価の動きだけを
どう見るかに注力していて企業評価などは2の次。

というわけで投機家に翻弄される期末日。
経済財政担当大臣と金融担当大臣が兼務で竹中氏に決まりました。
政府と日銀の連携がうまくいっていなかったという反省から決断したと
小泉首相は述べていますが、本当にその通りです。反対の意見を平然と
述べていたあの組み合わせは変更して正解だと思います。今回の人事。
平蔵君、がんばって欲しいですね。マーケットは瞬間的に反応しました。

はい。今日は曇りときどき雨。(東京地方)



2002年09月29日(日) 帰ってきました

土曜日の朝はあいにくの雨。
不便ですが、飛行機に乗るからと傘は折りたたみ。
昼前の便に乗って午後1時過ぎに福岡空港へ到着しましたが、
到着したら福岡は晴れ。東京は涼しい毎日でしたが、福岡は
むしろ暑かった。長袖を着て行ったんですが、袖を折らないと
暑くて汗をかいてしまいました。

寝る時に最初は暑いと思って窓を全開にしていたんですが、
今朝目がさめたときには寒くて寒くて。タオルケット1枚で
寝ていたのですが、寒さで丸くなって寝ていたようです。
部屋が2階なので風が通っていたようです。

夜それを見かけた母親が窓を閉めようかと思ったらしいですが、
なぜだかこの人(わたくしのこと)は寒いほうがいいと思ったらしく、
閉めるのを止めたそうです。本人いわく。
それを聞いた後はムッとしてしゃべってあげませんでしたけど。(笑)

午前中はいつもの通りサンデープロジェクトを見てゆっくりしてた。
でも帰りの飛行機の時間もあり、昼過ぎには隣にある母方の実家へ
仏さん(つまりじーちゃん、ばーちゃんね)を参ってから東京へ戻る
ことにしました。

食道狭窄(何かの理由で食道が狭くなって食べ物が通らなくなる病気)
である母親は、なにげに昼ご飯を食べていたのでどうしたのかと聞くと、
手術しなくてもいい処置をしてもらったとうれしげに話してくれました。
それを聞いただけでもひとつ心配事が無くなってホッとしました。

それからもうひとつ。兄貴のところに子供ができて、お宮参りをして
きたことをうれしそうに話をした後に、話しの矛先がこちらへ向かった。
孫を見たいのもあるけど、早く嫁さんを連れてこいって。
もう、年寄りってこれだからたまらん。なるようにしかならんって。

いやぁ、経済的な観点からすると、自分のような人間は年金の運用を
潰しにかかっているようなもの。労働者数が右肩上がり(つまり人口が
増えていく傾向)であるうちは成り立っていた年金が、今や破綻寸前に
なっているのは少子化の影響。財政難もそれが理由のひとつなんだよね。
だから子供を作るのは(しかも2人以上)、自分の老後の保証をする
ことになるんだよ。分かってるんだけどさ。こればっかりはね。

話しを締めくくるのに苦しい展開になってきたので今日はこのへんで。

はい。今日は晴れ。(筑後地方)



2002年09月28日(土) こんな中途半端な時期に

いやぁ、帰省しました。
いくつか用事があったわけですが、そのひとつにCDショップの店長へ
会いに行くのがあったのですが、それができなかった。

その店長とはかれこれ20年弱の付き合い。
学生の頃から通っていたお店で、お店だけでいえばその前の店長の頃から
通っているんですが、予約特典とかコンサートチケットとか、非売品とか
こっそり便宜を図ってもらたりして。学生の時にやっていた合気道を
息子さんがやっていたりなんかして、話の合う店長でした。

その店長がこの9月でお辞めになるとのお知らせを聞いていたので、
なんとか間に合ったと思い、あせって駆けつけたのはいいんですが、
すでに次の店舗への改築中で、中へは入れず。店長がどうなさっているのか
顔すら見れず、とぼとぼと実家へ帰りました。

その店長はオーナーでもありました。一昨年から売上が落ち込んじゃって
どうしようかと悩んでいらっしゃって、半年前に一度店をたたもうかと
思われたのですが、なんとか半年だけでもがんばってみようと決心しての
延長でした。ですから、店長がお店を辞められたのは予想されたことでは
ありますが、最後に一言でも声をかけたかった。いやぁ、残念です。

はい。今日は晴れときどき曇り。(筑後地方)



2002年09月27日(金) やはり

動きがなく困ってしまいましたが、もうここまできたら仕方なし。
あちらが動かなければこちらも動くのは止めようと思いましたが、
こちらはお膳立てしている関係上、知らん振りするわけにもいかず
詫びを入れて役目を降りることにした。とはいえ、予想されていた
ことだから、この週末に業者は手を打つはず。上司は相手先に呆れ顔。

ま、そんなことより驚きが。
上司の異動があると。この10月1日付けで。
ごたごた動いているこの状態で異動されるのは、我々の精神的に
非常によろしくない。我々が上司の異動を聞かされたのは昨日の午前。
会社帰りにささやかな送別会をしましたが、隣に座っている同期のヤツが
キレちゃいまして、そりゃもう大変さ。(笑)

ということで、酔っ払って最終で帰ってきましたとさ。おえ。

はい。今日は曇りのち雨。(東京地方)



2002年09月26日(木) もしかすると

明日は場合によってはキレているかも。

あるお膳立てしてあげて決を委ねた。相手が決めるべきことなので。
これでも前に進まなければわたしゃあ、もうしてあげることはありません。
ってか、知りません。勝手にしやがれバカヤロウと言い放って知らん振りを
するかもしれません。人の好意を無駄にするヤツは無視します。
いくら仕事とはいえ。状況は理解しているとはいえ。

タイムリミットがすぐ目の前に来ているというのに他人事のように自分の
立場から逃げるヤツには腹が立ちます。こいつが逃げたもんだからこちらが
どれだけ自分の時間を犠牲にしているのかが分かっていない。

動いてくれれば問題なしなんだけど、さてどうなるやら。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2002年09月25日(水) もっと学ばねば

経済って、1.生産性 2.所得配分 3.失業
これら3つに集約されるそうです。他のことはどーでもいいこと
なんだそうです。(どーでもいいっちゅーても、それぞれ大事な
ことではあるけど、それらも結局上の3つに集約されるっちゅーわけ。
しかも経済学よりも社会学の領域かもと。)

なにやら「あの人」の言いまわしに影響されているみたいだ。(笑)
さて誰でしょう?東大大学院を卒業してMIT不動産センターを
修了した「あの人」です。

本屋に並んでいた新刊を手にとって面白いと感じたので買いました。
著者の書いた原書を読んでみたくなった。「あの人」の翻訳が
どれだけ面白い翻訳なのかを確認するためね。

しかし自分だったらあれだけ読みやすい翻訳はできないな。

はい。今日は晴れ。(東京地方)



2002年09月24日(火) 何がいけないのかを説明できない人

いやぁ、困っています。
困っているとはいえ、無視しておりますからいいんですが。(苦笑)

いろいろと事情があって、こんど新たに作る拠点に派遣の女性を雇うことに
しているんですが、ウチの職場の社員の嫁さんを雇おうかと考えている。
そのことに対してその地区の人事GLが一般的な慣習として馴染まぬと
いう理由で夫婦同一職場について拒絶しています。

ウチの会社の決まりかと聞くと、そういうことではなく一般的にダメだと。
分からないほうがおかしいと言い出すもんだから、わたしゃあブチ切れる
寸前までいってしまい、もう少しで部長職の相手を怒鳴りつけるところ
でした。喧嘩をしたところで相手のほうが力が強いのは分かっていますが、
決まりごとではなく一般的なことだというところにカチンときたわけです。

ウチの会社はそんなに大きな会社だったのかと言いたかったし、一般的な
ことであれば、中小企業は夫婦でがんばってやりくりしているところは
いくらでもあるじゃないかと。しかもそんなことを認めない上に、直接
派遣会社と契約せずに、子会社で派遣業を営んでいるところを通せと言う。

その言い方が横柄であることもあるんですが、コスト意識もない契約を
平気でやれというその時代遅れの考えにムカついている。子会社を通すと
当然のことながら管理費がアップするので、他で採用している派遣さん
よりも割高な費用となってしまう。雇おうとしている人は前から大手の
派遣会社に登録しており、そこだと世間レベルで契約できるのに。

郷に入れば郷に従えと言いますが、あまりにも古めかしい、というか、
儲けている時代であればまだいいのですが、その地区は大赤字を生んだ
事業部を抱えてリストラをしたばかりだというのに、人事GLみずからが
そんなことじゃ先行き暗いです。今日の昼飯時に上司に言いつけました。
どうすれば会社にとってメリットが大きいかを考えないほうがおかしい。

あまりに頭にきたのでその人事GLの言う夫婦同一職場拒否に対して
自分の判断で無視することにしました。さらには、子会社へ支払う費用が
あまりに世間レベルを超えているようであれば派遣会社と直接契約を
結ぼうと思っている。この2点については上司へ報告し、いざとなれば
応援してもらうことにした。

東京地区人事の主査も言っているんですが、正当な理由がないんだよね。
夫婦同一職場の不当性。そりゃ周囲の士気が下がるようなこともあらーね。
場合によっては。それを論理的に説明してみろよってなもんだ。

言いたいことはたくさんありますが、この場でなく本人に言うことにします。
ここでウダウダ言っても仕方ないもんね。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年09月23日(月) 民主党党首選

結局は鳩山代表が3選しました。
何が何でも政権交代すると公言している鳩山氏ですが、そういう思いは
最初っから出して欲しかったところです。スマートさには欠けるものの、
情熱については彼の場合は民主党の中では大きいほうだと思います。

決選投票で254対242という僅差で菅幹事長を破ったということですが、
ただ大きな声を上げるだけのつまんない菅氏を擁する民主党の層の薄さが
露呈したような気がします。自分の思いとしては野田氏が選出されて欲し
かった。どうせ自民党と何ら変わらぬ政策しか持たぬ民主党ですから、
変化を最小限に抑えつつ、若手を従えてしたたかに、しかも論理的に、
建設的に意見を述べていく野田氏をトップに据えることで、なるほど
民主党もしっかり考えているんだなと国民に思わせることが先じゃない?

いかんせん与党にならなければ政策決定権がない。
地盤が労働組合じゃどうしようにも数の面でおっつかない。
民主党に求められているのは、いかに無党派層を獲得するかということ。
あるいは自民党政治に不満がある人、つまり自民党の一部、共産党以外の
各政党から人材を確保して、民主党という政党の枠を越えた政策集団を作り、
何をやっているのか分からない民主党(政策がコロコロ変わる)でなく、
オレたちはこういうことをやっているんだと分かる形で示すことが必要。

大事なのは党首が誰かじゃなくて、この党は何を目標とする政党なのかが
明確になること。それからそれらを実行していくこと。そういう意味じゃ、
民主党の明日は曇り空。党首変わらずして党内の変化は望めない。だから
菅氏や鳩山氏の1位2位というのは、民主党が変わらないことを意味してる。

与党や首相に対して文句を言うだけの政党であれば、そんなものいらない。
自民党の対抗馬は民主党しかないんだから、そこんとこをきちんと考えて
もらいたいもんです。

ちなみに会社の組合からは民主党議員の応援や投票を呼びかけられますが、
自分は一度たりとも民主党員に票を投じたことはありません。
人の失態を突いて自己を正当化するその手法は間違い。しかもその指摘の
仕方があまりにお粗末だから、かえってそんなことしないほうがマシ。
本質の側面だけをかじって、そこだけをチクチクするのは評論家のすること。
菅氏もそういう意味じゃ評論家かな?健闘をたたえあっている場合じゃないと
思うんですけどね。→ここをどーぞ。

は。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2002年09月22日(日) 挫折した人を外交官に

今日は午後から雨になりました。
それまでは窓を開けていると涼しい風が入ってきて、すっかり秋の様相。
冷たいものを飲んでいると、体が冷えてしまって寒くなるほどです。
昨日、布団干しをしておいて良かった。

さて今朝のサンデープロジェクトでも取り上げられていました北朝鮮の
日本人拉致問題。安部副官房長官は厳しい質問やら指摘を受けていま
したが、どうやら彼は直前まで首相の訪朝を知らされていなかった模様。
タカ派の彼を意図的に外したんじゃないかというのはあながちハズレ
ではないんでしょうか。そうは言われても、かれは首相の側近のひとり。
グチを言うわけにはいきません。首相を信頼していると言うしかない。

ここでポイントとなったのは、今回の首相訪朝は外交の手法としては
順序がおかしかったのではないかということ。事務レベルで粛々と
進めていった最後の手としてトップが乗り込むといったことが今回は
トップが乗り込むことが最初だったこと。

悲観的に見れば今回のトップ会談は小泉内閣にとって命取り。でも、
楽観的に見ればこれからの交渉の道筋をつけてくれたということで、
完璧ではないにしても、問題解決の可能性が高くなったということ。

どういうことかというと、北朝鮮は首長の言うことは絶対的。だから
金正日の言うこと以上のことは下のものには決めることができない。
そうなると、事務レベルでの協議では具体的なことは何も引き出せない
ことが考えられるのです。もう済んだことだと言ってね。

一方では、今まで一貫して北朝鮮による日本人拉致はなかったという
姿勢を今回の小泉首相の訪朝で崩したこと。非公式には何度となく
北朝鮮の姿勢をどうにか崩せないかトライしていたようですが、これが
崩せなかった。ブッシュ大統領の発言や、不審船の捕獲などという
追い風が吹いていたことが救いではありました。

大きな流れとしてはロシアや中国の方針転換が背景にあります。
北朝鮮としても同志が資本主義社会に近寄ったことで孤立に近い状態に
なってきています。しかも北朝鮮は貧困の真っ只中にあるようです。
いくらテポドンやノドンで脅かしても、核爆弾の製造をちらつかせても、
それらを維持していく財政的、政治的なバックアップがありませんから
政権としてはそのうち化けの皮をはがされることになります。
誰からかって?そりゃ外圧に決まってます。内部告発なんかしちゃって
あとからバレたりなんかすると、暗殺なんてことになりかねない。
日本ではありえませんが、公開処刑なんてこともやりかねませんから。

外交はそれぞれの国のエゴとエゴとの戦いですから一筋縄ではいかない。
国民感情としては納得いかないことも、あちらの国では取り上げるに
足りぬこととして葬り去られることもあります。国の土壌として認める
わけにはいかないことは、たとえ相手の感情が分かっていたとしても、
認めたくても認められないことはいくらでもあります。日本の政治家や
お役所なんかでも同じでしょ?一旦認めたこと、計画したことは簡単には
変更しようとしない。自分の間違いを認めない。自己革新ができない。
北朝鮮に限った話ではないんです。どこにでもある現実です。

それにしても今回も外務省の対応のマズさが目立ちました。
彼らはマニュアルにないことは対応できないんですかね。
平和ボケした日本人の典型です。緊急性なんか考えず、あくまで自分の
考えられる範疇の中でしか動かない。ボケた頭では動けるはずがない。

間違った見方かもしれませんが、司令塔(ムネオ)がいなくなったことで
外務省を取り仕切る人間がいなくなり、誰に相談をしていいのか分から
なくなってしまったため内部で混乱したというのが対象者リストを提示
された後の翻訳に6時間もかかってしまった裏事情ではないのかな。

官僚としては首相や官房長官に相談するわけにもいかず、ましてや素人の
外相に相談するわけにもいかず。そういうときに都合の良かった人物。
自分たち寄りの政治家を動かしてものごとを決めていくという決定の
プロセスが出来上がっていたんじゃないでしょうか。それが今回は無い。

そういった意味で、いわゆる「カシコイ」人じゃなく、いかに問題対処が
できるかという観点で外交官を派遣したらどうなんだろうか。少なくとも
日本という国を代表して派遣されているわけだから。利権とか保身とか、
そういうことにこだわらない、国益を大事にし、素直に国民のために
奉仕する公務員として活躍できる人。そんな人たちに外交官になって
欲しい。登用する側の意識改革も必要ですけどね。まずそこからかな。

いわゆるエリートたちは挫折も無く生きてきた人たちですから、自分の
間違いは絶対に無いと思っている。人間だったらそんなことありえない
から、挫折を乗り越えて強く生きている人を外交官の登用の条件として
みたらどうかと思うのは自分だけでしょうか。とはいえ、やっぱり
登用する側の人間たちはエリートですから、そんな人は登用しないで
しょうね。くやしいですけど。

はい。今日は曇りのち雨。(東京地方)



2002年09月21日(土) 国のバランスシート

あんまり大きな記事にはなっていませんが、財務省が国のバランスシートを
発表しました。→こちらをご覧下さい。
2000年度ですけど、数年前までは発表されていなかったもの。2年前の
ものですが、見ごたえあります。単位は兆円で現実感がありませんが。

バランスシートとは右側の負債・資本を使って左側の資産にどう使われている
かが分かるもの。乱暴な言い方ですが金融は右側、産業は左側といったところ。
左側をしっかりしないと右側だけではどうしようもないということでもある。

不良債権と呼ばれるものは左側。これが腐っているから右側が改善されない。
腐っているものを排除すると資本が減少するから政府は公的資金を注入する
ように仕向けているのですが、金融庁は否定的。そんなことはないと。でも
危機的状況ではないと言っているのみ。危機的な状況になったらダメじゃん。
その前に手を打とうとしているのに。

金融システムが危機的になると国家的なパニックになります。
銀行業とはあくまで金貸しですから基本的には町の金貸しと同じ。
違うのは産業を育てるという志があった筈であること。「あった」と過去形に
しているのは、どうもその志に疑問を感じる(時期があった)から。

金融システムとは銀行のいわゆる電算システムのことだけじゃなく、お金を
基本に成り立っている国民経済そのものです。中央銀行である日銀の勘定から
国民一人一人の通帳ひとつまでつながっているそれらの総称です。狭義では
銀行システムのことです。大手の銀行が破綻すると怖いのは、今では横の
つながりが深くなった銀行システムが連鎖的に崩れてしまうということです。
自分の取引銀行でないところがつぶれても、その影響の大きさのために自分の
預金の引出しが難しくなるなんてことは可能性としてありえます。そうなると
支払期日が守れなかったりして、特に決済日なんかは混乱することでしょう。

国の債務超過は負債の計上の仕方(公的年金の計上の仕方)により、最大で
869兆円。債務超過とは負債がどれだけ資産を超えるかということ。
そこらへんの国だったらとっくに破綻している数字。日本の場合だと、まだ
国債の発行ができるから救われている。とはいえ、先日の10年もの国債は
札割れ(発行予定額より応募額が下回ること)したそうですから、日本の
先はそんなに明るくないことを意味しています。

長期国債が売れなければ短期国債を発行しなきゃならない。
これは危ない兆候。国の長期の信用が無くなっているということですから。
短期ものが増えると返済期日が短くなるし、その時の状況により金利も振れる。
そうなると台所事情に関係無く返済はしなきゃならないから、負担が増えます。
そのうち投資家からは見離されて国債の発行すらできなくなってしまいます。
その時は国家破綻です。想像もしたくありませんが。

そんなことを予感させてしまいます。このバランスシート。
でも、公開されればどこをどうすればいいのかということが、少なくとも
チェックできるのですから、非公開であった時代に投資家に不信感を与えて
いた頃に比べればまだマシかもしれません。企業の決算に比べれば、まだまだ
遅い感はありますが、とにかく数字が公開されていることが大事。専門家でも
きちんとした処方箋を作ることができないでいる現状です。だからといって
我々はヒト任せにして国家の財政状態を見過ごすことはできません。

自分の財布の中身を充実するためには自己の研鑚が必要ですが、その土壌を
与えてくれている国の財布の中身をチェックすることは我々国民一人一人の
財布の中身を守ることにつながると思います。ぜひ問題意識を持って覗いて
みてはどうでしょうか?ながめるだけではつまんないですから。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年09月20日(金) 日銀の役割

前例の無い日銀による銀行保有の株式の直接買い取り。
この発表に反応した株式市場は昨日大幅高でしたが、今日はその反動
でしょうか、渋い動きでした。連休前の週末でもあるし。

そういったやり方もひとつの手ではありましょうが、あくまで小手先
のやり方ですから超短期的な効果に過ぎません。期末まで続くはずが無い。
と思う投資家はいい頃合いを見計らって売ってきます。

こういうマインドを捉えるのが大事なんです。

で、日銀はどうすればいいかというと、インフレの期待を持たせるのです。
しかも短期的でなく、長期的にインフレが起こるであろうと皆が期待する
ことをやってのける、あるいは態度の表明を行う。そうすることで貯蓄を
投資に回すように仕向けるのです。

実質金利がマイナスな状況では資産を持つより現金を持つほうがお徳。
景気安定を目指す日銀がインフレをさせるようなことを行うことは通常
考えにくいことですが、短期的なインフレではいずれデフレになるで
あろうと皆は考えますから、いつかはインフレも収縮していきます。
それではダメ。ならば、日銀も思いに反するでしょうが、継続して
インフレを目指していくしかありません。

流動性トラップの一番の要因は年齢構成の問題。
つまり労働層の減少が見込まれること。高齢化が待ち受けているからね。
そうなると必然的に生産が落ちます。右肩下がりです。経済成長の逆方向。
であるからこそ日銀の出番なわけで、ここまできたらインフレターゲット
ではなく、終わり無きインフレです。借金の返済をするより、借金をして
投資をするほうがお徳だと思わせる雰囲気作り。

極論ですか?どうですか?(笑)

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年09月19日(木) 白いいたずら

なんだか朝からいやーな予感はしましたが、まさか本当にそうなるとは。
昨日受けました成人病検診で胃検診のときに飲んだバリウムがいたずらを
していたんです。

これまでバリウムは2回飲んだことがあって、その2回とも下剤を
飲まずに翌朝を迎えましたが、なんのことなくいつもの朝でしたが
(唯一違うのは大きいものの色が白いことだけ)、今回は噂に聞く
恐ろしいことになってしまいました。

バリウムって、飲んだ後に大量の水を飲まないと固まってしまうのは
以前病院で胃の検査を受けた時に説明を受けて知っていましたし、
周囲のヒトの話でもその通りだったのですが、まさしくその通りに
なってしましました。

このまま会社に行ってはマズイと思い、会社に電話してよろしくない
状況であることを話して(笑われましたが)、しかるべきモノを買い、
しかるべき処置をし、しかるべきことをし、その結果は・・・。

ゲート破裂により涙を飲んだ。以下想像に任せます。


それはそうと、今月の内に帰省する予定です。
せっかくですから兄貴の子供を見に行ったり、今月で店を辞めるという
CDショップの店長のところへ行ったりしよう。まだ予定ですけどね。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年09月18日(水) 流動性のトラップって

※9/20誤記入訂正

具体的な議論はしませんが、今の日本が陥っている流動性トラップ。
ゼロ同然の金利、インフレ期待の持てない状態、いくら日銀がジャブジャブ
お札を刷っても借金の返済に明け暮れて新しい起業のために使おうとする
機会を見出せないでいて、生産性の向上に寄与できないでいる資金。

お金が必要以上に出回れば借り手が不足して金利は下がり、何かの理由で
借り手が増えれば金利は上がり。単純な構造ですが、経済が停滞して
しまった状況で以前であれば流動性を増やせばお金が回ってモノが増え、
生産性が上がり経済が活性化する図式が、今やもぬけのカラ。

金利を下げても回らないお金。しかしもう限界まできている低金利。
そうなると日銀の出番ではありません。景気を安定化させるのが責務で
ある日銀のやれることは何でしょうか?バブルから崩壊までのシナリオを
作った日銀ですから、なにか考えているんじゃないですか?>遠い目

いったん崩してしまった銀行システム。(崩れたんじゃなくて崩した)
日銀指導で行われていた強制貸し付け。(窓口指導っちゅーうやつ)
甘い汁にだまされてホイホイ借りていった国民・企業。

無理をしてお金を使った結果が今の状態です。
無理がたたって壊れた経済は、望むべくは自然治癒なんですが、そうこう
していると近い将来、老齢化が到来し、稼ぎ手よりも福祉を受ける人口が
多くなってしまいます。こうなると市場経済だけでは国民生活が脅かされる
ことになってしまい、政府の出番となりますが、いざそんなことになっても
財政が大赤字では出すものも出せません。ケインズも首吊りしなきゃならぬ
不幸な世界になっています。

そんな不幸な世界を迎えることの無いように行っているのが構造改革。
本当に血が出る前に予防をしているんです。かすり傷で済んでいるものでも
深い傷になってしまえば大手術をしなくてはなりません。つまり国家破綻で
IMFの出番です。インドネシアや韓国のように。でもこれも必ずしも
成功したとはいい難い。一部では今の日本にはIMFしかないという意見も。

極論ですが、日本の政治は共産党以外はどこも同じ。あれこれ自民党とは
違うところをアピールしておりますが、経済効果としては何ら変わらない。
ということは、共産党以外のどこの政党が与党になったとしても我々の
暮らし振りに変わりは無いということ。

傷口はいっときの痛みに耐えて傷口を開いて手当てをする方が、傷口を
ふさいでしまうよりも直りが早いし直った後の姿がきれいであるのは
政治や経済構造も同じだと考えます。痛みに直面しなければ声を上げない
我々ですから、無理した結果が今の状態ならば、無理して痛みを実感
するのもひとつの手かと。でもその痛みを与える立場のヒトが問題。
だから小泉さんを選んだはずなのに、時機を逸してしまってはその痛みを
受ける覚悟も失せてしまいます。

そういった意味でも早い構造改革を進めて欲しいもんです。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2002年09月17日(火) ちょっとみかけた特集

隣の職場に広報部があるんですが、帰り際に担当君が新聞を広げて
いたのでちょっと覗いてみました。今日は大した記事は無かった
のですが、横のほうによけてあった特集記事が目に止まりました。
それは、「加速する 市町村合併」。

折り曲げて上を向いた面に九州の地図があったからなんだろうと
思って覗いてみたらそういうタイトルだった。で、実家のある場所を
見てみると、なんだか合併の雰囲気が見うけられました。ずいぶん
昔からあった話ではあるんですけど。

この合併の動きは、言い方は悪いのですが、体力が弱ってきた、
あるいは体力が無くなってきた市町村が自分たちよりより体力のある
近所の市町村と合併することにより「魅力のあるまちづくり」を
推進するということのようです。さらには地方分権の受け皿になろう、
というものです。

市町村数の変遷が書いてあって、1888年(明治21年)には
市が無くて町村が71314。その翌年に市制町村制施行により
「明治の大合併」と言われる集約が起き、市が39、町村が15859。
江戸時代から引き継がれた自然集落を約300から500戸を標準
規模として合併が行われました。

戦後になって大幅に市が増え、1953年(昭和28年)には
「昭和の大合併」と呼ばれる、戦後、新制中学校1校の設置に必要な
約8000人を標準として、合併促進計画を作成。その時点で市が
286、町が1966、村が7616でした。同年から1961年
(昭和36年)までに市町村は約3分の1になりました。

今日に至るまで市町村合併特例法改正がたびたび行われ、そのたびに
すこしずつ市が増えつづけ、2002年4月の時点で市が675、
町が1981、村が562となり、ここからさらに合併が進む模様です。

さいたま市のように3市が合併する場合(県庁所在地よりも大きな
都市が近くに存在し、行政上不都合を生じたケース)もありますし、
良くあるパターンとしては市に郡部が合併するケース(財政難により
補助金や税収の面で有利な近隣の都市にくっつくケース)があります。

合併するには大きく分けて民意を反映したものと行政側の都合とに
分けられます。どちらがどうというのはその地域によって事情が違う
でしょうから何とも言いがたいのですが、望まれるのはどの地域でも
差の無い行政サービスを受けることができるようになること。でも
これは自治体の税収によって(税率と市民数により変わる)見方が
変わりますよね。

大半はお互いにメリットのある場合が少ない(どちらか片方が犠牲に
なる)ので、ある意味救済なのですが、それでも地域拡大により
市民数は増えるし、なんらか欲しいものが手に入ることもあるし、
必ずしも不利益とは限りません。その見合いをどう考えるかです。
でも具体的なことを考えないと、一般論で言っても地域の事情は様々。
今度はどこかの例でも挙げてみようかね。

はい。今日は曇りときどき雨。(東京地方)



2002年09月16日(月) やっとこせ写真を撮った

職場のヒトからちょっと呼ばれて、
「しむちゃん(仮称)は結婚するつもりあるよね。
実はウチの近所の集まりがあって、誰か紹介して欲しいと言われて、
ちょうどキミのことが思い浮かんでさ。どうよ?お見合いしてみる?」

するどい直球で攻められもんですから、
「あ、はい。いいっすよ。自分で良ければ・・・。で、何を用意すれば
いいんですか?自己紹介みたいなやつがいりますよね。写真も。」

「そうだね。履歴書というか、お見合いだったら身上書かな。
写真はスナップ写真じゃない方がいいな。できたらボクの自宅へ送って。」

と言われて2週間が過ぎてしまいました。ウチの近所に写真屋さんがどこに
あるか知らないこともあったのですが、なーんだか本当は乗り気じゃなくて。
身上書かどうかは分かりませんが、それっぽいものは作っていましたが、
写真は最近のスナップ写真すら無く、近所の写真屋を探すことから。

ネットで探していたら、結構近くに古くからやっている写真屋さんがあるのが
わかりまして、そこに撮影の予約をいれてから行きまして、着いたらなぜだか
ご主人が不在で、30分ほどそこのおばあちゃんと世間話をしていました。

そもそも写真を撮られるのが嫌いな自分。嫌いなんですよね。写真の中の
自分の顔。なぜかって?それは表情を作れないから。

お金も無いからきちんとしたお見合い用の写真(1万2千円〜)ではなく、
すぐにできるポラロイドでの撮影(それでも3千円)にしました。
それをみて改めて思いましたが、自分の髪は茶色いなぁって。色が薄いんです。
髪の毛の量はそれなりにあるので薄くない(笑)のですが、見た感じやや赤い。

以前から色が薄いのは指摘されておりました。今年の正月に親戚のおばちゃん
から、「あんたの髪の毛の色はいい感じだね。それって何色に染めてるの?」
なんて言われる始末ですから。これは地毛だよ。小さい頃からこんな髪で
あることは知ってるじゃん。坊主の頃なんて”ひよこの頭”なんて言われてた。

まだまだ茶髪が出現する前のこと。珍しかったんでしょうかね。
とはいえ、その頃は脱色なんていうことをやっていた連中もいましたから、
それと同じことをやっていたんじゃないかと疑われたこともありました。
でも地毛だからなんともしようがない。黒に染めるのもしゃくだし。

ま、そんなことはどうでもいいとして、明日郵送してその後どうなるかは
相手さん次第。かな?わりと冷めてます。自分。まだお相手のことも全く
知らないしね。

はい。今日は雨ときどき曇り。(東京地方)



2002年09月15日(日) ゆっくりできた

昨日のゴルフコンペで痛んだ体は今日一日ゆっくり休んだおかげで復調。
明日からはさくっと仕事ができるでしょう。ってか、3連休でしたね。
試験勉強でもしようかね。それとも仕事の段取りでもしようかね。

「太陽の季節」は今日が最終回でした。
英子の死でドラマは終了するわけですが、なんだか終わり方が茶番劇です。
ドラマそのものは好きですが、竜哉や周りの人間の変化が大きすぎて
心境の変化を表すには時間がなさ過ぎです。ドラマの編成期間である
3ヶ月の間で表すのは難しかったかもしれませんが、これは脚本家の責任。
原作者である石原慎太郎東京都知事は期待外れと思っているかもしれません。

マクロでは変化を求めながらもミクロでは変化を嫌うこの時代において、
青年の揺れ動く心境の変化を表した小説を取り上げることで、沈滞した
ドラマを復活させようとしたかもしれませんが、時代が求める内容では
なかったかも。バブルの頃に「東京ラブストーリー」が流行ったのとは違い、
経済が沈滞したこの時期に「太陽の季節」は何を我々に訴えたかったか。

そんなことを考えながら見ておりましたが、感じるものが違う方向だった
かもしれません。主役の青年の心境よりもヒロインのひた向きで真っ直ぐな
心のほうに気持ちが行っていたかも。そんな人はいまどきいないなぁ、と。

でもドラマの制作側としては何でもいいから感じ取ってくれればいいという
ぐらいの気持ちだったのかな。原作の忠実度よりも視聴率のほうが気になる
ところでしょうから。とか言ったらプロデューサーは怒るかな。(笑)

持つ者と持たざる者との差が少なくなっていることが、この小説の忠実度と
視聴率の関係を狂わせてしまっているかもしれません。原作に忠実になれば
なるほど現実との差が大きくなりますから、見ている方からすると面白みが
少なくなります。現代版「太陽の季節」は時代背景の違いからストーリーを
変化させているように見うけられます。致し方ないことと妥協するよりも、
セットやロケ地など映像的に無理なものは別にしてこだわりを持って制作に
当たって欲しかった。スポンサー(東芝)の圧力は無かったと思いますが。

さて明後日は小泉総理の訪朝ですね。
毅然とした態度で北朝鮮の金正日主席との交渉では強気に出て欲しい。
あちらからバカにされないように。見下されたらおしまいです。
卑怯な行動をして相手との交渉におけるカードを作るなどするぐらいなら、
なんにもしないで悲劇の国としてアピールするほうがどれだけ説得力あるか。
経済的にも国力としても貧弱だからこそ求めるところが違っています。
今のままではただのカネむしり屋です。北朝鮮は。当たり前の話なんですが、
北朝鮮は理解できません。生まれ育った背景があまりに違いすぎるから。
でもモノ・カネ・ヒトの略奪でいつまでも生き延びられるとは思えません。
いつかは一人立ちできるように国政を考えてくれるように願うばかりです。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2002年09月14日(土) 行ってきた打ってきた

1時間ぐらい朝寝坊をしたのが致命傷でした。
6時半頃に出れば余裕で到着すると考えた大月カントリー。
でも寝坊したのでウチを出たのは7時過ぎ。

ここは中央高速の上野原と大月ICの間ぐらい、つまり談合坂SA付近に
位置するゴルフコースです。東京方面から向かう場合は上野原で降りて
一般道路(国道20号)をしばらく通ってからコースへ向かう細い道に
曲がるのが一般的なアクセスなんですが、今日は3連休の初日という
ことでしょうか、連休の中央道の様相で、八王子料金所前から渋滞が。
しかもそれが相模湖ICあたりまで続いていたもんですから、通常で
あれば1時間半程度で到着するところを、1時間半たっても八王子で
立ち往生しているという始末。

下を通っても物理的に間に合わない時刻になっていたので、それは諦めて
そのまま上を通ることにしました。上野原ICを出たのは9時20分。
集合時間は9時30分。現地までは急いでも30分以上かかるところ。
それで国道を通らないルート、つまり山道を通っていきました。

以前、1度通ったことがあるので、しかもナビがあるから大丈夫だろうと
思って山道ルートを選びましたが、なぜだかナビが一部違う道を検索し、
おまけに途中で通行止めになっていたりなんかして、でも運良く以前通った
道に出てきて、そこから先は少々オーバースピードでしたが、山道を
ひた走り、途中で幹事さんへ送れる旨を伝えていたので、それでもとにかく
早く到着できるように運転しました。

到着したのは9時50分前。フロントで確認すると1組目のスタートが
9時52分。自分は2組目でしたから、55〜6分がスタート時刻。
3分ほど遅れているので急げば間に合いますよと言われ、急いで仕度をし
現場へ向かいました。到着したらちょうど2組目がスタートしている時間。
簡単に遅れたことをお詫びし、到着早々にティ―ショットです。

1発目の結果は体ができていないこともあり、当然の結果ですが、あっち
向いてホイで右のコースへ向かって飛び出しました。同じ組のオジさんから
君はイチローの流し打ちみたいなことやるね、なんて皮肉を言われました。
そのホールはコースを外れたら1ペナで前進なのですが、まだまだゴルフを
できる体になっていなかったからしばらくはまともに打てなかった。

最初の3ホールはダボもとれない始末。でも体が慣れてきたらボギーか
パーのペース。なんか調子がいいんじゃないかと錯覚するぐらい。

昼食を食べた後の3ホール目までは調子良かったのですが、4ホール目の
ティ―ショットで左手をおかしくしてしまい(腱鞘炎の再発)、ドライバーを
振れなくなってしまいました。以降、結果はメタメタ。

上がってみれば前回よりもスコアは4つほど良かったのですが、左手の
腱鞘炎だけは悔やまれます。ティ―ショットがまともに打てないんですから。
でもそこは見栄っ張りの自分ですからティ―ショットでドライバーを
持たぬわけにはいきませんでした。結果はともあれ。

前回が思ったより早く着きすぎたのでしょうね。その記憶があるから今回は
ゆっくりできると考えたのが甘かった。左手を痛めたのも準備運動もできな
かったからです。腰も止まって引っ掛けが出てきましたし。準備運動が
できるぐらいゆとりをもって出発すべきでした。ショットとしては50球も
打っていない段階で痛めたわけですから、相当状況は悪いです。

とりあえず残りの休日2日はクラブは握りません。
来週も打ちっぱなしには行かないでしょう。
痛みが取れてしばらくたったらゆっくりと始めることにしよう。

というわけで、これからゆっくりと休みを堪能します。

はい。今日は曇りときどき雨。(山梨東部地方)



2002年09月13日(金) 金曜日の晩ですが

今日はSQの利益確定のために多くの銘柄が売られまして日経平均も下落。
週末とも重なったため重たい雰囲気です。下落の方向はどうにも止まりません。
とはいえ、1日の中では昇降があります。朝一番にどーんと売って、それに
つられた投資家(投機家?)たちが売りに出したところで買い増すといった
テクニックをやる投機筋も多く存在して、またそれにつられた投資家が
買いに走るとまた売りに出したりして。その繰り返し。

小口の投資家は投機筋の格好の餌食です。
朝グチに上げてそのあとダレて、午後にもう一度上げて終了前に下げる動きが
出てくれば、おおよそ投機筋が関与していることが多いです。あるいは週末の
終了時にドンと上げて終えたときも同じです。注意信号です。これは週明けに
前週の上げを意識した投資家が買いをいれて値が上がったのを見て投機筋が
また売りを入れる可能性があります。市場の動きにいちいち反応するのは
それこそ敵の思うつぼ。

しかしながら目の前の動きが投機筋なのかどうかを判断するのは非常に難しい。
上に述べたのは一例ですが、必ずしもその通りではありませんからKKDの
世界です。でも下げ調子のときにはデイトレーダーには不利ですね。

そもそも余剰金を株式やら国債に投じるから投資家と言うんですが、これは
銀行に貯蓄する分をより利率が高いと思われる債券に振りかえることから、
昔の言葉で言えば「金利生活者」です。要するにカネを持っている人のこと。
そうでない人は企業家か賃金労働者です。これらの人は基本的に金持ちでは
ありませんから投資する余裕なし。それをあえて投資するならば借金をして
投資するしかない。これは本末転倒。借金をした時点で負債が確定するのです
から、そのあとはドツボにはまるか運良く取り返すか。いちかばちかですから
これこそバクチと言えます。借金ができたからそれを取り返そうと賭け事を
するのと何ら変わりません。借金を返す当てが不確定なんですから。

元本が保証されている商品は利率が低いのは常識。
利率が高いのは元本が保証されておらずリスクが高いのが前提で作られている。
そのリスクの判断も必ずしも正しくはありませんから儲かる可能性もあります。
でも統計的に出しているものですから、ほぼ間違いなくどこかの時点では損を
することは間違いない。目的が短期的な利益を出すことだったらなおさら危険。
間違っても証券会社や銀行を恨んではいけません。自身のリスクですから。
損をするのがイヤならば、借金をしないで支出を減らして貯蓄を増やす方が
リターンを期待するよりよっぽど確実な資産の増加方法です。収入を増やす
ことを考えたほうがいい。下手に投資に時間をかけるぐらいなら自分を磨く
時間を作ったほうがいいです。長い目で見て。

さて、明日は会社のコンペがあるので早起きしなきゃならん。
久しぶり(約半年振り)のコースですので楽しみですが、いかんせん
前回のラウンドから打ちっぱなしをサボっていたのが不安ですけど。

ま、どうやら明日は雨のようですし、スコアが悪くてもそれを理由にできる
からいいっちゅーたらいいんですけどね。明日には結果が出ます。

はい。今日は曇りのち雨。(東京地方)



2002年09月12日(木) 小泉首相の怒り

”経済財政諮問会議の前回会合(9日)議事録が12日公表され、小泉純一郎首相が
財務省に猛省を促したとして関係者の関心を集めた発言が明らかになった。首相は
「税制改革も歳出改革も一体となってやらなきゃいけない。財務省も反省してもらって、
塩川大臣は指導力を発揮してやかましく言ってほしい」と不満をぶちまけたという。

議事録によると、首相は財務省を一喝した前段で、郵政、道路公団、政府系金融などの
改革にも財務省が及び腰だったことを指摘。首相自らがリーダーシップを発揮して、
一連の構造改革に着手した決意を強調するとともに、財政規律にこだわり減税幅の
拡大論議に冷淡な財務省に対して、「経済活性化に結び付けていく『あるべき税制改革』」
という基本方針を、改めて忠実に具体化するよう注文したものとみられる。”(時事通信)

これは何かと言うと、財務省の中にある「主計局」と「主税局」が縦割り行政をなし、
財務運営に一体感がない、ということです。主計局は歳出、主税局は税収が役割。
つまり歳出を減らした分を減税などに充てれば財政は膨らまないのに、それを受け入れ
ずに従来のやり方をしているから、いつまでたっても構造改革は実現しないという
思いで塩川大臣を叱ったわけです。

これはまさしく縦割り行政の典型で、財布を預かるものとしてはある意味片手落ち。
主計局は税収の限界に合わせて歳出を決めるのではなく、決めた枠に税収が追いつか
ない場合は財投やら国債の発行でまかなえば良いなどと言う破滅的な考えで自分らの
仕事を正当化しているフシがあります。当事者は決してそのようなことはないと反論するで
しょうが、結果的にそのようなことをやっているのだから反論の余地はない。

謙虚な姿勢で、指摘されたことをどう解決していくのかをマジメに考えて欲しい。
一国のトップが指示しているんだから、聞く耳持てよってな感じです。
官僚と政治家の戦いでもあるんですが、官僚も政治家のせいにしないでまず結果を出す。

うだうだ言って自分を正当化しても国民には何ら利益にはならない。
そんな利益も生まない人には給料を払う必要もないと思うんですが。当然ながら。
一生懸命考えてさえすれば給料はもらえる、しかも相対的に立場が上だと考えている
のは大きな勘違いであることを認識できないならば、世論が批判の声をあげるべき。
公務員は公僕であるという大前提を忘れていい気になっているバカヤロウが多いこと。

小泉首相の怒りも分かります。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年09月11日(水) このタイミングというのは

1年前の事件についてはテレビや新聞でたくさん報道しているので、
あえてここで書くのは控えておきましょ。

今日は北朝鮮の不審船引き上げについて。
気象上の問題で延び延びになっておりましたが、とうとう正体が
明らかになる見込みが立ったわけですね。

さてこの引き上げのタイミングが9.11となったこと、それから
北朝鮮との首脳会談の1週間前となったこと。これは日本にとっては
なんだか偶然というよりも見計らったかのようなタイミングです。
意図的ではないとはいえ、何かに導かれたようでもあります。

小泉首相はこのタイミングでブッシュ大統領との会談を実現し、
恐らくは北朝鮮との交渉について話し合いをしたことでしょう。

北朝鮮の総書記と日本の総理が直接会談をするためには水面下の調整が
地道に長い間行われた結果であることは間違いないんですが、状況が
北朝鮮にとってあまりに悪すぎることから日本の申し出を断りきれなく
なったか、あるいはいつもの調子で隠された陰謀によるものなのか。
そのあたりのことは推測の域は越えられません。

それでも、核の恐怖をちらつかせながら無償の援助をつかみとるという、
さらには赤い色の元に終結した思想集団が起こしたひとさらいをネタに
カネをたかるという卑怯な手段にしか訴える方法がないという政治の
手詰まりかもしれません。なにせ国民の生活が保証されていない惨めな
状況ですからね。

交渉は交渉でやってもらえば構わないんですが、そのやり口に納得でき
ない日本政府が取れる対応といえば、少数の日本人人質を蔑ろにして
北朝鮮の挑発を無視するしかありません。たとえそれが人道的に反する
ことであったとしても。(日本国内の世論もあるが)

こういう言葉は好きじゃありませんが、戦後の「総括」ができていない
唯一の国が日本ですから、これにケジメをつけることが必要であるのは
誰も否定できないと思います。(「総括」というのはリンチとか殺人の
イメージが拭えませんから。本来はそういうことではないんだけど。)

それにしても来週の北朝鮮訪問はタイミングが良すぎる。
きっと不審船の引き上げについても日本側の交渉のネタになっているんじゃ
ないでしょうか。なにせ砲撃されて沈没したとはいえ工作船の全貌が
明らかになるんですから。北朝鮮にとっては秘密を捕まれたのと同じ。
公式的には工作船は存在していないわけですし。

やはりここまでことがうまく進んでしまうと、期待するのはその結果。
うやむやで済ませることは国民が納得せず、支持率の低下に結びついて
しまうでしょう。下手をすると小泉内閣の存亡に関わることになるかも。
こういう意見は多くの人が言っていますよね。

でもこの会談で求められるのはお互いの非をきちんと認めること。
それでお互いに無駄なエネルギーを消費しないことです。これからね。
民族間の融和とはそういうところから始まると思っています。
民間の地道な活動だけでは限界がありますからね。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2002年09月10日(火) しゃべっていいものか・・・

珍しいというか、なんでここにという問い合わせがありました。
ウチの事業室は半導体関連の装置を輸入販売している部門。であるにも
かかわらず、調べたのかそうでないのかは分かりませんが、

「○○サービス株式会社と申します。教えて欲しいのですが、御社では
民間飛行機は扱っていらっしゃいますか?」

と言うので妙だとは思いましたが、飛行機そのものかパーツだけなのか、
はたまたヘリコプターやセスナも含めてのことか聞きましたら、すべて
含めて空を飛ぶものと言ってきましたので、それはウチの会社だけのことか
グループ企業全体の中で扱っているのかどうかを聞きたいのかと尋ねたら、
グループ企業も含めてだと言います。そこで自分は、

「ウチの会社で扱っているのはジェットエンジンのブレードは作っていますが
エンジンそのものは他社。さらに言うと、民間飛行機そのものを製作している
企業は日本に存在しないと思いますが。たとえばジェットエンジン関係でしたら
IH○さんやら富士○工さんがアメリカのボーイング社なんかに納入している
でしょうし、戦闘機であれば三菱○工さんなんかがやっていらっしゃると思い
ますよ。」

というと、

「エアロスペースはどうですか?」

なんて聞くから、

「ロケット本体は経験ありませんが、ランチャー(発射台)ならありますよ。
ロケット本体をお聞きになりたいなら三菱○工さんにお聞きになった方が
いいと思います。」

と言うと諦めたようで、それじゃいいですといって電話を切りました。

後で知りましたが、今日はH2ロケットの3回目の発射の日だったんですね。
成功したようで安心しました。宇宙関係には全く関係ないわけではありません
から、関係部署はホッとしたと思います。

となりのシマが広報部なので、そこにつなげば良かったのですが、たまたま
電話がかかってきた時は対応できる人が席をはずしていたのでそうもできず、
結局、自分がしゃべり過ぎないように注意しながら話してあげました。

こういった外からの質問に対しては広報部が対応することになっています。
でないと会社としてしゃべっていいこととそうでないことがありますから。
今回は自社のことというよりも他社に関することだったので、どちらかと
いうと早く切って欲しいという気持ちが強かったですね。少なくとも自分の
部門に関係することではなかったし。

感じの良さそうな女性の声だったから、つい対応してしまったというのが
本音なんですけどね。(笑)

はい。今日は曇り。(東京地方)



2002年09月09日(月) なぜ最初から相手の身で考えるのか

上司との意見の違いが出ました。
商品の輸送途中で客先手配の輸送業者が客先構内で商品を転倒させ、
現地の判断で、その場で考えうる修理方法を行い、当面の立ち上げには
支障の無い状態で設置している。

ここで問題となるのはその修理費用を誰が出すか。
ウチの会社は装置の立ち上げまでを請け負っている立場。
つまり本来の輸送は現場への設置までウチの会社あるいはウチの会社が
雇った業者が行うもの。だから現場までの設置に輸送保険をかけている。

今回はその輸送途中で客先の構内業者が商品を扱って損傷させた。
誰の責任でこの損傷をカバーするかが問題になっているんですが、一意的
には客先手配の構内業者が直接の当事者ですが、その構内業者とウチの会社
とは契約関係には無いので、筋からすると客先へ責任を問うことになります。
まだ引渡しを行う前の商品ですから、商品の所有権はウチの会社にあるはず。
それを傷つけたのは客先手配の構内業者だから。

実際の責任は構内業者が取るにしても、ウチの会社が責任を問うのは客先
しか選択肢は無い。だからそれを修理して使うか新しい商品と取りかえるかの
判断は客先の責任において行うことになるはず。これは建前ね。

現実問題としては客先の手前強く出ることができない。
そうなると客先は第三者的になってしまい、責任は商品を傷つけた構内業者
だからオレは知らない。直接交渉してくれとなる。こうなると問題は複雑。
お金の流れはシンプルですが、お互いの立場が取引関係に無いのに責任が
どうとかこうとか言っても、いざ保険会社と話をしても保険会社はいかに
保険金を支払わないかという方向で話を進めますから、ウチの会社としても
交渉にならない。

まず、修理で済まされるのか新品と交換すべきなのかなんですが、今回の
装置は配電盤。いわゆる電気品なので見た目で不良個所があるかどうかが
わからないシロモノ。しかも悪いことに、使用装置は水素リッチつまり
水素ガスを使用する装置。ちょっとしたショートの火花でさえも水素爆発
する危険性をはらんでいる。この危険性を否めないというのが客先とウチの
会社の統一見解。だから新品と交換すべしというのが2社の結論です。

でも構内業者側の保険屋からすると、保険の精神として損傷品はまず修理
ありき。修理不可能か、修理をすることで新品よりも費用がかかるならば
費用の安い新品を採用するという考えです。だから性能保証とか安全性とか
いっても保険屋としては評価ができないと言います。だからストーリーが
うまく作れないのです。

ここから先は具体的な内容に踏み込みますのでここでは書けませんが、
上司とは見積もり金額について意見が合いません。自分が考えている金額は
保険屋が納得いかないだろうし、構内業者も出し渋ると思われると。
だからもっとコストに近いリーズナブルな金額を提示しろと。でなきゃ
事態は長引き最悪は金を取れないことが考えられると言うんです。

でも自分が考えている数字は国内で取引する上で何ら恥ずかしくない数字。
決してぼったくりでもなく部品発注ベースでは当然もらいたい数字。
保険の精神は実損を補填するものですから上司が言わんとしていることは
分かっています。それでもウチの会社が取れて当たり前のお金を相手の
立場になって譲歩するなんてことは自分としては不本意です。要求しても
おかしくないことは堂々と要求したい。なぜそれがダメなのか。
クールに考えちゃダメなのか。

でもこれが経営判断として否定されるのならそれに従うしかありません。
おかしいことをおかしいと主張してそれが認められないならば従うしかない。
ここで突っ張っても無駄なエネルギーとなりかねない。reluctantly yes
といったところですか。上司の命令は絶対ですから。

状況は第3者には少々分かりにくいものなのでこれを読んでお分かりになる
方はいらっしゃらないとは思いますのでウダウダとは述べませんが、筋が
筋として通らないこともあるんだということで理解していただければと。

上司の命令をしれーっと無視したらどうなるんでしょうね。(笑)

はい。今日は曇りときどき雨。(東京地方)



2002年09月08日(日) ひとのせいにしても・・・

”走っても走っても近づくことのできない太陽。
そんな太陽が沈んでいく自分をあざ笑っていた・・・。”

このドラマ、佳境に入ってきましたね。
でも主人公はまだこんなところで死んでしまうわけにはいきません。

背景は違いますが、親父と同じ生き方はしたくないという思いは
自分も同じです。親父の血が流れている事実こそあれ、だからと
いって同じ生き方をしなきゃいけないわけでもないし、同じ道を
たどる必要もない。育ててくれた恩はあるものの、それが自分の
人生を決定してしまうのは個としての人間性を無くしてしまう。

これは反抗期の反抗心とはまた違うもので、同じレールは歩きたく
ないというか、自分というものを見つけ出してきたというか、
単に親父の背中を見たくないこともあるでしょうし、暮らしてきた
生活を繰り返したくないという思いもあるかもしれません。

親父の社会的な地位が高いから自分も高くなれるのは世の常ですが、
その逆だったらどうでしょう。親父の社会的な地位が高いわけでも
ないのに自分はそうなりたくないなんて思っても、お前は高く飛ぶ
ことはできないなんて三行半をつきつけられたら、その現実を受け
止めることはできるでしょうか。特に若い時代においては。

少なくとも親父の過去や今の姿に反発している限りは、その記憶が
ある限りは、親父のようになりたくないという気持ちは離れません。

そうこうしているうちに親父は年を取り、自分より弱い立場になって
いきます。そんな親父を見ていてもやっぱり親父のようにはなりたく
ないという気持ちは持っているもので、これは親父をひとつの生きる
指標にしているんだと思います。良かれ悪しかれ。

すべての人がそうだとは言いませんが、自分にとっての親父とは
自分の生きる方向性を決める価値を持っていると思います。もし
早死にしてその目標がいなかったら、あるいは認めたくないような
別れ方をしたならば、その目標を失った自分はそのあと何を見て
いけばいいのか分からなかったでしょう。

そういう意味でも親父は生きているだけでも価値があります。
たとえ今考えていることが頼りなかったり間違っていると思われる
ようなことだったりしても、それが自分に必ず跳ね返ってきますから。

親父を否定しても自分を否定するようなことのないようにしなきゃ。
でなきゃ、親父を否定した意味が無い。親子関係を語るだけの
考えは持ち合わせておりませんが、少なくとも自分が惨めにならぬ
よう、人のせいにして生きていくことだけは止めよう。特に親を。
何の解決にもならないから。

はい。今日は曇りときどき晴れ。(東京地方)



2002年09月07日(土) 科目試験の申し込み

実は昨日、体調を崩しておりまして、会社を休んでおりました。
一昨日からおかしかったのですが、どうも頭が痛いんです。後頭部。
背骨の曲がりのせいなのか、脳内の血管が詰まって脳梗塞気味なのかは
分かりませんが、仕事のヤマは一昨日に越えたので、昨日は休むことに
しました。もしかすると運動不足がたたったのかも。うーむ。

昨日は一日中雨でしたが、今日は夜になってから雷雨。ピカピカゴロゴロ。
一気に涼しくなった感がありますね。エアコンを自動運転にしたら
暖房がかかりましたから。暑くて切りましたけど。(笑)

それはそうと、単位取得が遅れています。今年の必修科目である英語だけは
単位を取っておかねばならんので、10月の科目試験を受けるために勉強
しなきゃ。学士入学は英語に関してはレポートの提出不要だから、とにかく
テキストを勉強するのみ。

いくら英語専攻出身だからといっても、試験となると勝手が違うのでテキスト
の勉強はしなきゃならんのよ。とはいえ中身は高校での学習内容がほとんど。
受験を乗り越えた現役大学生だったらできて当たり前な内容なんですが、
受験勉強から長く離れていると、いくら専門ができている人でも結構できない
もんです。自分も例外でない。

というわけで高校生の気分に戻って、英語の勉強をやりなおしです。
とはいえ、試験日まで1ヶ月ぐらいしかないから、3年分を1ヶ月でやりなお
します。とにかく今年は英語を終わらせて来年度からは専門科目へ移ります。
英語の1科目はスクーリングで取れなかったから来年また取りなおしですが、
それを除けばなんとかなるでしょ。(笑)

まったく無計画でやっているので、真面目な人から見ると何だこの人はなんて
思われるかもしれませんね。今年だけはのんきです。今年だけは。
ってか、仕事とのペースの取り方がうまくできないので必死こいて生活リズム
を壊すのもマズイですし。なにせ仕事が優先ですから。
こんなこっちゃ2年半では卒業できませんね。(苦笑)

はい。今日は曇りのち雷雨。(東京地方)



2002年09月06日(金) 古い体質は改善しなきゃ

少々時間が過ぎた話ですし、書いていいものかどうか悩みましたが、自分的に
やはり納得できないので書いちゃいます。


スクーリング初日の帰りにばったり会った友人(大学の英語講師)と立ち話
をしている時に言ってたこと(NHKで取材)が気になってはいたんですが、
16日の21時から放映された番組(王家の指輪物語)をたまたま見かけまし
て、もしかしたらこのためだったのか、と思いました。本人に確認していない
ので真相のほどは不確かですが。

彼の専門は北欧。
英語の専門家がなんで北欧かって言うと、それは英語の歴史によります。
その歴史的な関連の中で彼は北欧(特にスウェーデン、アイスランド)に
興味を持ったわけです。最近では映画「指輪物語」の翻訳にも関わった人です。
(ちなみに日本語訳は戸田奈津子さんということになっておりますが、翻訳の
作業は一人でできるものではなく、多くのスタッフが関わっております。)

英語史の詳しいことは忘れてしまいましたので、青森明の星短期大学助教授
である坂本明裕氏の言葉を借りてみますと、

”英語の祖先に当たる言葉は、インド・ヨーロッパ祖語と呼ばれ、この言語を
話していた人々は紀元前約6000年〜4500前後に中央ヨーロッパに居住していた
と思われています。彼らは、幾つかの語族に別れ移動を始めますが、総称して
インド・ヨーロッパ語族と呼びます。その中の一つであるゲルマン民族は、
ヨーロッパ北部に移動し、後にブリテン島に渡ることになります。ブリテン島
に侵入したアングロ・サクソン族の用いていた言葉が英語の起源となります。
「イングランド」という現在の呼び名もこのことに由来しています。

インド・ヨーロッパ語族の存在が知られるようになったのは比較的最近の18世紀
のことです。インド駐留のイギリス人、サー・ウィリアム・ジョーンズは、インド
の古代語であるサンスクリット語がそれまで全く別の言語だと考えられていた
ギリシア語やラテン語と共通の源から発していることを発見しました。さらに、
その後の研究でヨーロッパで用いられているほとんどの言語が、この一つの源
から別れたものだということがわかったのです。この共通の言語がインド・ヨー
ロッパ語と呼ばれている言語です。”

言葉の起源は人類の歴史を紐解くと良く分かるんですが、やはり文化の拡張です。
その勢力の拡張です。たとえばブリテン島においては、イベリア人という先住民族
がおりましたが、紀元前6〜7世紀にケルト人が移住してきたことにより、その
主役がケルト人になってしまいました。ブリテン島の名もその一派であるブリテン
人に由来すると言われています。

日本においても”文化=言葉(方言)”という形になって現れていることを考えて
みると、これは自然な流れかもしれません。日本に関しては農耕文化ですので、
あえて大陸のような狩猟のために住居を移して生活するのとは違いますから、文化
の伝播は狭い地域にとどまります。だいたいの目安は周囲の山のことを考えると
分かりやすい。囲まれている範囲が文化の範囲。従って言葉もその範囲が同じで
あると言えます。移動が山によってさえぎられていたんです。ご自分の方言が
どの範囲で使われているかを考えると良く分かると思います。(もうひとつの
大きな要因は海ですね。関東地方では川もその遮りの一端を担っていますけど。)

日本の場合はどちらかというと島国の性で周囲から影響を受けてきました。
(昔から外圧によって日本は動かされていたんですね。)
イギリスにおいても状況は似たようなもの。違うことといえば、イギリスの言葉は
北アメリカ大陸へ伝播したということ。このことは同じ大陸系でも中国系列と
ヨーロッパ系列の違いでしょうか。より狩猟性の高いヨーロッパ族の方が新天地を
望んだということでしょうか。農耕していたら、しょっちゅう移動するわけには
いきませんからね。必ず帰ってこなければなりません。長い間を住むわけですから、
その中で「ムラ」社会という認識が生まれてきたんでしょう。「個」ではなく。

あ、話はそれてしまいましたね。(笑)
彼はあるところで失態を犯したという責任を感じまして、ご自分なりの責任の取り
方をしました。その失態というのは聞けば聞くほど彼の責任というよりは彼の周囲の
人間に恵まれなかったために彼の立場が悪くなったと思えます。

傍から見ると何で折れるんだという気持ちになるんですが、これは当事者でないと
分からぬこと。彼を責めることはできません。今でも後遺症があるようですが、
われわれは静かに見守るしかありません。干渉したところで彼の立場が良くなる
とは思えませんから。ここでは細かいことは書きません。

こんなところはサラリーマンよりも厳しい世界で生きている人なのかもしれません。
ある意味、狭い世界ですからね。自分みたいなジェネラリストはそんな彼から学ぶ
ところが多いです。人間的な温かさを感じる人です。ってか、言葉では言い表せない
ほど人間的に大きい人です。

そんな人が有名人の取り巻きから批判の対象にされるというのは納得がいきません。
その取り巻き連中というのは主従関係で縛られた、自分では何にもできない連中
(つまり虎の衣を借りた連中)でしょうから、これは以前から自分が批判している
官民の癒着と現象は同じ。なにせあの業界ではひとり勝ちの様相ですからね。
あの人がいなかったらあの業界は成り立たないかも。

ま、これは特定の人を批判するのが趣旨ではありませんからこれで止めときます。
批判の仕方が陰険だということ、あるいは本人ならまだしも、周囲から批判を浴びた
ことに納得がいかないんです。これってイジメじゃん。ふるーい体質引きずってる。

いかんいかん。やめます。

今日は宇多田のことを書こうかと思いましたが、少し落ち着いてからにしましょ。

はい。今日は雨。(東京地方)



2002年09月05日(木) 聞いてて声もかけられない

会社の帰りに立ち寄る定食屋での会話。

お客:「このまえ見かけなかったけど、体のほうは大丈夫?」
女将:「ええ。入院していたんですけど医者から切れないって言われてね。」
お客:「どういうこと?」
女将:「あたしガンなんですけど、肝臓だから切れないんですよ。
    だって今回は4回目でね。切るところがなくなっちゃってて。」
お客:「・・・・・。今はいいワクチンがあるでしょ。」
女将:「そうなんですけどね。丸山ワクチンと○○ワクチンがあって、
    あたし○○ワクチンを使ってるんだけど、このまえテレビで
    やってたんですけど、あたしと同じワクチンを使っている人が
    お亡くなりになってね。きっとあの人はワクチンが合わなかったのね。
    ワクチンは万能じゃないからあたしにも合うかどうか・・・。」
お客:「・・・・・・。」
女将:「あたしの身内でガンになった人はいないのよ。あたしが初めて。
    健康診断にも行かずに過ごしてきたのに、あるとき体重が一気に
    5キロも減ってね。おかしいと思って病院へ行ったら手遅れだった。
    年を取ったら普段から体を見てもらわなきゃいけないってことね。」

直接聞いたわけではないんだけど、この女将さんはときどき入院しなきゃ
ならないことは他のお客との会話の中で聞こえてきたことはあるけど、
まさかガンだったとは。少々切っても蘇生する肝臓ですが、何回も切って
いたんじゃ、蘇生する時間がありません。

自分の母親は潰瘍の時点で胃の3分の2を切っておりますので死を意識
するまでには至っていませんでした。最近ではこの胃の切除の後遺症か
どうかは分からないそうですが、食道狭窄(食道が狭くなっていること)に
なってしまっており、食べ物が通りにくくなっているようです。お腹は減って
いるのに食べれない状態があるそうです。手術をするかもしれないと。
それでも死を意識するほどじゃない。本人は体力的に苦しいだろうけど。

この定食屋に足を運ぶようになったのは、食事の質がいいのは言うまでも
ありませんが、なんとなくですがこの女将が自分の母親を見ているような
気にさせてくれる人で、安心するんですよね。いてくれるだけで。
見てくれは痩せてて頼りなさそうですが、しゃべる言葉は江戸っ子そのもの。
言葉は明瞭。主張もきっちり。態度がはっきりしているから分かりやすい。

だから、今日の会話を聞いたときには胸が詰まる思いでした。
こそこそと話すわけでもなく、普段のお客との会話でのことですから、
別に隠し立てするわけでもなくしゃべってるので余計にそう思いました。

以前からご飯は大盛りを頼んでいた自分ですが、今日に限っては女将さん
からごはんはどうするかって聞かれたけど普通でいいよって言ってしまった。
なーんだ、つまんねーのってな顔をされましたが、気分的にさ。んー。

店を出てから少々涙ぐんでしまいました。
でもまぁ、いつものようにいつもの調子でまた定食を食べに行こう。

はい。今日は曇り。(東京地方)



2002年09月04日(水) 経済学史入門風

千穂ちゃん(ニュースステーションで久米宏の左に座っている上山アナです)
はいいねー。(笑)

ま、それはいいとして、経済学派には大きく分けて古典派とケインズ派が
あります。レッセ・フェールを標榜して市場は徹底的に自由放任すべきと
主張する古典派。それに対して政府による有効需要創出(つまり政府の介入)
の必要性を説くケインズ派。

どちらがどうだなんて、そのときどきで都合のいいように使われるだけ。
でも知っているのと知らないのとでは大きな違いです。なんで政府が構造
改革を声高に叫んでいるのか、不良債権処理がなぜ進まないのか、どうして
おとーちゃんの給料が下がるのか、マクドナルドのハンバーガーはなんで
安くなるのか、田中康夫が脱ダム宣言をするのはなんでか、日本の公定歩合は
人類史上最低なのになんで消費者金融が横行するのか、年金がもらえるとか
もらえないとかなんでそうなのか、なんでバブルははじけたのか等々・・・。

すべてがふたつの理論で説明がつくというわけではありませんが、説明が
つかなくとも、これがどういう意味を持っているのかという自分なりの
理解はできるはずです。なーんにも知らずにただ目の前の現象に手を拱いて
いるだけではそれこそ不安です。この先どうなるのか予想すらできないから。
予想したとしても根拠のないタダの空想にしかなりません。

マルクスの言葉を借りると、
経済には人間の手によって変えることのできない法則性がある。モノの価格、
経済の動きは「需要と供給によって決まる」という法則がある。

この法則性について供給こそが需要を作る。すなわち「供給によって需要は
決まる」と主張するのが古典派。一方「供給によって需要が決まる」として
いるのがケインズ派。経済の動きを読むための基本的で最も重要な理論を
提示しているのが古典派とケインズ派であるということです。

古典派の基本思想であるレッセ・フェールは、ジョン・ロックの哲学である
人間はあるがままの自然人とし、国家が経済に口出しする権利はなく、国家は
自由人である国民に奉仕するためにあるものだというところが源泉。

ケインズの理論はその古典派へのアンチテーゼとして生まれたもの。
古典派の大家であるマーシャルの門下生でありながら、マーシャルの研究成果と
古典派理論のほころびを切り付けて同じマーシャル門下生のピグーからは
「月に向かって吠えるようなものだ」とこき下ろされながらも勝負はケインズの
勝利に終わったといいます。

アダム・スミス、リカード、ベンサムなどもいますが、やはり根底にあるのは
彼らの哲学。その前にはバーナード・ベンサムがいまして、彼の著書である
「蜜蜂物語」の蜜は贅沢、それがベンサムの快楽になり最大多数の最大幸福を
導き、それが「神の見えざる手」によりおのずと実現されることを発見したのが
スミス。そのスミスの思想を科学的に再構築し完成させたのがリカード。

昔の思想が今も通用するかどうかというのは疑問のあるところでしょうが、
でもその哲学は人間の本質を突いていると考えれば、人間の行動は時代の変化
により変化しない限り、本質も変わらないから理論的にも通用するということ
でしょうか。哲学はある意味思い込みですから、わたしには難しくてよく
分かりません。なんだか理屈をこねくり回しているようで。(笑)

人が生活するため(食べていくため)には何らかの経済活動をしなくては
なりません。例え道端で放浪している人であっても何らかの経済活動をして
いるもんです。そんな経済活動をなにげに見過ごして暮らすのか、意識しな
がら暮らしていくか。贅沢で平和な日本にはこの意識が欠けているのかも
しれませんが、ガングロで街を闊歩していた女子高生たちにはなーんにも
関係なかったようで失礼しました。金子勝氏は彼女らは人類が死滅しても
生き残る人種だと言っておりますから、逆に考えないほうがいいのかもね。

いや。あくまで笑い話ということで。あはは。

はい。今日は晴れ。(東京地方)



2002年09月03日(火) これはいいのか悪いのか

上司が帰ろうとしたので、ちょっとグチってみましたら、意外な反応が
返ってきました。

明日は1日中、上司は席を外すので今のうちに言っておかないとマズイ
と思い、大阪の営業案件で装置の発注がまだで自分が補助していること、
つまり米国メーカにPO(注文書)を発行するため大阪の営業担当部長
からネタを仕入れてシコシコと作りつつ、この担当部長が仕事を丸投げ
してきたことをグチったわけです。

以前の上司だったら
「しむちゃん(仮称)、おまえはそれぐらいこなせるし、やる気を出して
がんばってやってみろよ。」
と言われたでしょう。

でも今回は、
「高給取りが給料分の仕事をしないなんてふざけてる。しむちゃん
(仮称)は月次決算もあるし予算書作りもあるし勤怠簿の世話もして
いるし、やることはいっぱいあるのに案件が10件も20件も錯綜
している状況でないのに人に頼るなんて給料泥棒だ。まったくもう。」

個人面談では、三遊間ゴロを拾ってくれるか?ってなことを仰せつかった
にもかかわらずです。人がやれないこと、やろうとしないことをやって
くれるかという意味ですが、今の管理職の不甲斐なさが本件に限らず
目に付いてきた今日この頃なので、自分のグチについ共感してしまった
のでしょうか。

この上司は自分らの職場の統括でありながら、本社企画本部の理事さん
でもあるので全社的なところの一部の面倒も見ているわけで、下には任せ
られないことも自分でやっている人です。ですから自分が遅くまで残って
いる時でも、なにやら相手との交渉用の文章を考えながらウンウンうなって
いる時があります。でもこれはわれわれ下っ端が絡む内容ではないので
口出しできず。ヨソのふんぞり返っている事業部トップとは違って、忙しく
してます。動き回っています。動く室長です。(笑)

そんな上司なので、それこそそれぞれ持ち場のある責任者が自分のやるべき
ことをやってくれれば心配事も減るのでしょうが、ある意味彼らが仕事を
放棄してしまっているフシがあるのでそれが上司のグチとなっているのです。

以前から自分も言っているように、会社は仕事をしていようがしてなかろうが
給料をくれるわけではありません。自分がやらなくても誰かがやってくれる
だろうなんてことは中小企業では非常識です。限られた人員の中で事業を
やっていくわけですから、それぞれが能力を発揮しながら誇りを持って事業を
伸ばしていこうという信念がなければいつかはダメになってしまいます。

ウチの職場の一部の組合員が労働基準局に駆け込んだことも、管理者の
配慮とか仕事の配分とか人事評定とか、あるいはそんなこと以上に本人の
やる気を引き立たせることを怠っていたのが原因じゃないかと思います。
彼らはその本人に対して使えないバカヤロウと罵倒しておりましたが、
自分から言わせると、あんたたちのやり方が原因じゃないのかと反論した
かったぐらいです。駆け込んだことは正しい判断だとは思いませんが、
そうさせるに至った原因をもっと真摯に受け止めるべきです。

他人の責任を問い詰めるのは簡単ですが、自分に余程の不利益が生じない
かぎりは、そうそうそんなことをしてはいけません。管理職ならば。
なぜなら責任はすべてそこの部門長が負うものだから。部下の代わりに。
上が責任を取ってくれることで(あるいはそう宣言してくれることで)
下は自由に動けるんです。雰囲気作りの基本だと思います。そうでなきゃ
下はやりづらいです。上の目を気にしながらやらなきゃならないから。

表向きは下の者に責任を持ってやれというのはいいこと。
でもいざとなったら責任は上のものが取る。やらせているのは上だから。
そこで信頼関係ができて、少々のつらいことでもグチらずがんばれる。
上の者のがんばっている姿を見て下はがんばるんです。もっとがんばら
なきゃって。結果が出るかどうかはその人の能力次第。

上は下を選べないのと同時に、下は上を選べない。
そんな中でどれだけがんばれるかが会社生活だと思います。
だから下は容易に組合やら労働基準局に助けを乞うてはいけないんです。
管理職は簡単に下の育成を投げ出してはいけないんです。
そういうところをうまく運営していくことで会社は回っていくと考えます。

なんだか職場の雰囲気がよろしくないことが気になって書いてしまいました。
サラリーマン渡世です。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年09月02日(月) 当然予測された結果

長野県知事選のことです。
圧倒的な強さで勝ちました。弁護士である長谷川候補の主張も甲斐無く、
というか、新聞報道で槍玉に上がっていた虎の衣を借りたと言われても
おかしくない議会のバックアップにもかかわらず圧倒的に負けたことは
長野県民が田中知事に対する期待が相変わらず大きいことを表します。

たとえば接戦であれば、田中さんよ少しやり方変えてくれという県民の
メッセージであったでしょうが、今回は圧倒的。あんたのやってきた
ことは正しかったと言っているわけです。

第3位以下はどうでもいいとして、長谷川候補やその支持者、つまり
県議会の人間たちはこのことをもっと重く見なければならない。
操っていたつもりの長谷川候補があれだけの負けっぷりであったの
ですから、県議会の信頼はこれを機に崩れてしまったわけです。
しかもそのことを全国の国民に知らしめてしまったという事実。

長谷川候補がなぜ県議側に立ったのかは定かではありませんが、不信任
を受けたからという理由だけでは説得力無かったですね。彼女自身、
県議会とは絡んでいないと主張するも、その疑惑はぬぐえなかった。
田中知事の不信任決議自体が県民の納得のいかないものだったから。

これを民主主義のゆがみと言いますが、県知事は県を預かる首長であるが
ために県議会もマトメあげていかねばならない責任もありますから、
このまま歪んだままでは以前の繰り返し。田中知事は県議会との対話を
必要に応じて深めていくと言っておりますが、妥協していくというのでは
なく、議論を深めるという姿勢で望んで欲しいもんです。

ま、本人からすると言わずもがなといったところでしょうか。
信念を曲げてまで妥協するなんてことは彼はしないでしょうから。
ウラでこっそりなんてことをしない主義を取っている彼だからこそできる
ことなんでしょうね。既得権対理想を掲げたポリシーとでは県民の期待
としては明らかですね。どちらを望むか。

でもなんといっても田中知事の分かりやすい言葉遣いに共感を得ている
人が多いと思います。いわゆる政治家らしからぬ言葉遣い。専門用語で
凝り固まった一般市民には何のことやらさっぱりといった言葉遣いでは
人の心はつかめませんから。やってることは深くても、人に分かりやすく
説明することは難しいことです。それをなにげにやってしまう田中知事は
長野県に限らず全国の自治体が望んでいる首長ではないでしょうか。

はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)



2002年09月01日(日) 翌日になって体が痛い

タイトルにある通りで、左の脇が痛いし左手が腱鞘炎ぎみ。
筋肉は時間が経つと痛みは取れてくるもんですが、腱鞘炎だけは
どうしようもありません。痛くなくなるまで使わないのが一番いい。

でもおかしいんだよね。いつもは小指の筋が痛くなるのに今回は
中指の筋が痛い。これはまったくもって握り方に問題がある証拠。
しかも右手の中指の皮が剥けてしまう情けなさ。

背中とか腰に痛みが来るのは最悪のパターンなので、それが無かった
だけでもまだマシかな。でも手打ちになっているのは明白ですから
改善しないとこの後が思いやられる。というわけで今日も練習場へ。

数を打つことは考えずに、いかに手打ちでなくなるようにするか。
これが今日のポイント。痛みがさらに感じられるようになった時点で
終わりです。無理してもよろしくないので・・・。


と、書き残して打ちっぱなしに行ったわけですが、最初の一球から
左手が痛くてしょうがない。ゴルフクラブは(バットでもラケットでも
一緒ですが)左手の小指薬指側でしっかり握れなければスウィングが
きちんとできません。だもんだから、振ってもうまくダウンができません。
ってことは、引っ張り下ろすことができないんです。

トップからダウンにかけて左手で引き下ろすことができなければ、
当然ながらヘッドが返らないわけで、そうするとボールの行方は自ずと
決まってきますよね。だから体が反応してそうならないように無理して
ヘッドを返そうとして右手に力は入るわ痛い左手を返そうとするわ。

悪いものがどんどん悪くなっていくのが辛かったのですが、そのうち
左手の痛みが無くなってきて(どうせ明日また痛くなってきます)、
脇の痛みを除けばふつうに打てるようになりまして、ドライバーを
握ったりなんかしました。おそらく1週間は左手が痛くてキーボードを
打ちながら涙している自分の姿が想像されます。

と書きながら左手がいてぇ〜なんて思ってます。すでに。
明日は予算書の提出日だというのに、これじゃ使い物になりません。
痛くてパソコン使えないなんて言ったらぶっ飛ばされるかな。あはは。
ってか、右手薬指の皮剥けの方が痛かったりして。

はい。今日は晴れ。(東京地方)


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