MOTOYANの日々題
DiaryINDEXpastwill


2001年11月30日(金) ヴィン・ラディン捕捉?

 懐かしいドラマの「太陽にほえろ」をみていたら、突然のニュース速報が入った。ヴィン・ラディン捕捉かと思いきや、「雅子様、出産」のための入院というものだった。その後特別番組に切り替わり、「太陽にほえろ」はどうなるのだろうか?
 
 評論家が出てきて、宮内庁病院までの予想経路やどうでもいいことを伝えている。今ごろ、日テレには、苦情電話がガンガンかかっているのではないだろうか。確かに待ち焦がれていた天皇の後継ぎの誕生で(いや、誕生前)ニュース性は高いが視聴率は稼げないと思う。民放なら徹底して視聴率にこだわればいい。NHKでも同じく特集をやっているのだから。

 あすから、師走。暖かいのでそんな気はしないが、あっという間に2002年がやってくるような気がする。


2001年11月29日(木) 鬼の霍乱?

 2,3日前から朝起きたときに頭痛・のどの痛み・鼻詰まりの兆候がみられ、ついに風邪をひいたかな?と思っていたら、今日は昼間でもくしゃみと鼻水が止まらなくなった。1年ぶりくらいの風邪だろうか。「鬼の霍乱」などと言われるが、「わたしゃ、鬼じゃないぞ!」

 ところで「霍乱(かくらん)」というのは「日射病・暑気当り」という意味らしい。夏に起こる病気であって寒い時期に起こるものには、あてはまらない。鬼を想像すると真っ赤な顔でいつも怒っているようで「暑そう」だ。その鬼が日射病にかかるからかなり珍しいことのたとえとして使われている。

 他にも鬼をテーマにした言葉は多い。「鬼が笑う」「鬼の目に涙」「鬼の首を取る」・・・。実在しない「鬼」だからいいが、他の言葉に言い換えたらどうだろう。「先生」「おやじ」は死語になっているが、今の中学生が最も恐れている「母」なんてしゃれにならない。

 はやく、風邪を治してあさってからの師走に備えよう。


2001年11月28日(水) ADSLは、おすすめ

 ADSLを使用したはじめての送信となった。不安だったエリア外でもなく、モデムのADSLランプが緑に点灯して快適につながっている。ISDNは最高で64kbpsの通信速度であるが、現在、750kbpsが出ている。64も出ていたわけがないので約15倍の速度だろう。ダウンロードの速さが今までとは比べ物にならないほどだ。

 これでは、ISDNは完全に消滅するような気配だ。ノーマルなダイヤルアップに比べるととても快適であるが、安価で速いADSLには太刀打ちできないだろう。ただ、来年には光ケーブルを使用したものがやってくるらしい。

 私のようなヘビーユーザーにとっては今後のブロードバンドの情報は見逃せない。


2001年11月27日(火) より速く

 今日でISDNとお別れとなる。電話を移設したついでにADSLを申し込んだ。接続が速くて、月々の料金がトータルで少し安いから経費削減にもなる。2年前の今ごろ、普通の電話回線を使ってインターネットがつながった時の感動は今でもしっかりと覚えている。また、ISDNに変更して常時接続(フレッツISDN)になった時もその接続の速さに驚き感動した。明日からは、ADSLの世界に入るのでまたまた楽しみだ。

 ところが、不安がある。ADSLの場合は、NTT中継局との距離によって速さが大きく異なるらしい。2kmが安定した速さが得られるがそれ以遠は、保証できないとのことだ。どう考えても、2km以上ある。逆に遅くなったら再度ISDNに変更ということもありうる。

 あすは、ケーブルテレビの工事もはいる。NTTの光ケーブルを利用したもので本来なら、光ケーブルを利用したインターネットが最速と言われているが、鹿児島ではそのサービスが行われていない。将来的には光ケーブルを利用したブロードバンドが可能かもしれない。

 人は贅沢なものでより速い速度を求める。インターネットに関しては、速いにこしたことは無い。職場のLANは、本来高速のはずだが、最近途中で「中止」ボタンを押すほどに遅くなった。1回線を多くの端末で分け合っているかららしい。昼間などは、トイレにいって帰ってきても開き終わっていない場合が多い。

 ADSLの速さに大きな期待を抱きながら、最後のISDNで接続している。


2001年11月26日(月) 漢字力の低下

 今、横で小1の史佳が宿題で漢字の練習をしている。「名まえ、百円、千円、学校」などを書いている。日本語の特徴として漢字とひらがなが混ざっているから速読に向いているらしい。漢字だけを読んでいくと意味がわかるというものだ。

 若者の漢字力の低下が言われている。評論家・立花隆氏に『東大生はバカになったか』(文藝春秋)という刺激的な新著がある。立花さんは臨時講師として東大経済学部で学生百二十六人の答案に接し、「なんじゃ、これは」と驚いた。「熱帯雨林に必(匹)敵する」「理性をフルに発輝(揮)する」「環境の保然(全)」「自由化路戦(線)」「興味や感(関)心を持つ」など、漢字の誤用が四十二例あげられている。この程度の国語力しかない学生がよく東大に入れた、とあきれたという。(産経抄)

 学校現場をみると数学と英語に追われて国語は小さい存在となっている。国語も古文と漢文は、勉強しても現代文まで手が回らない状況がある。書くこともワープロの普及でローマ字を打てば漢字に変換されてくるから漢字も覚えない。東大生がそんな状況だから、推して知るべしだろう。

 入試に英語の聞き取り試験はあっても日本語のものは聞いたことがない。中学受験の小学6年生に実施したらよいと思っている。他人の話を聞けない子供が漢字力の低下以上に深刻な問題になっている。


2001年11月24日(土) 漂着物楽会

 NHKのニュースで「漂着物学会の設立」が放送された。昨年の学校保健学会でビーチコーミングと出会った。学会の講演で古賀市歴史資料館の館長、石井忠先生の話を聞いて「海から流れ着いた物」に興味を持った。

 今年の冬は吹上浜に数回この目的で出かけ、貝殻、やしの実や外国製のライター・ポリ容器など拾ってきた。夏は、海岸がきれい?だから、冬のほうがいいらしい。この冬も出かけるつもりだ。宝物探しのようなスリルとロマンがあってなかなか楽しいものだ。

 漂着物学会は、高知県の大方町で設立され、石井先生が初代学会長に就任した。全国を持ち回りで開かれるようだから、吹上浜でも近いうちに開催されると思う。石井先生は「学会」ではなく「楽会」にしたいと言われている。やってみて初めてわかる楽しさを十分にご存知だからこその提案だ。もう30年以上も玄海灘の海岸を中心に行っていて、収穫?も倉庫いっぱいらしい。

 赤道直下に生息するオウム貝の殻が珍品として流れ着くことがある。オウム貝に関しては鹿児島は奇跡的なエピソードを持っている。30年程前、生きたオウム貝が、指宿沖の定置網にかかった。漁師さんも見たことのなかった貝で市場に出せば高く売れるのではと思った。ところがそれをみた専門家が「フィリピン沖から生きたまま漂流するオウム貝なんて奇跡だ!」ということで今は無き「与次郎マリンパーク」の水槽で飼育されていたが、まもなく死んでしまった。

 こんな大発見が漂着物には潜んでいる。鹿児島大学の藤枝先生は、学会設立に際してこのように書かれている。
====================================================================
 ビーチコーミングとは、手に入れたいものを探して回るのではなく、その時々の出合いを楽しむものである。これは古本屋での本との出合いに似ている。例えば新刊書店の本たちは、「気に入らなかったらいいのよ」とばかりにきれいな姿でつんとお澄ましして並んでる。一方、古本屋ではどうだろうか。新たな主人との出合いをずっとずっと待っていた本たちは、私との出合いを求め、重ねられた本と本との隙間から飛び出してくる。私はいつもそんな本を見つけては手を伸ばし、ニッコリするのである。浜を歩いて手にとる漂着物も同じである。遠くから声をかけて来るものもいれば、砂に埋もれながら「あいたた、見つかっちゃった」とかくれんぼを楽しんでいるのもいる。浜の上でも、お互い出合いを待っている。どちらも手の中で少し温かい。お互いうれしいのである。浜には有形無形の物が流れ着き、流れ出す。
====================================================================


2001年11月23日(金) 野球部イレブン

 勤労感謝の日で小春日和のうららかな一日だった。昼食を屋上で食べたり、近所の新築された家をみて回ってのんびりと過ごした。お家見学で気がついたのが、「表札」のバラエティーさだった。

 オーソドックスな漢字のもの3割、ローマ字3割、個性的なもの3割、その他1割だった。プラスチックに自筆で書いたものから、彫刻調の凝ったものまで様々でそこに住む人の「こだわり」が感じられた。

 わが家は、まだ付けてない。車のナンバー選び以上に悩んでいる。というのも「本」一文字で「本」にするか「MOTO」のするか迷っている。制作費は一字につき、いくらと決まっているのかどうかは知らないが、漢字にすると「ほん」と読まれそうなのだ。銀行などでも「ほんさん」と呼ばれてビックリすることもある。ルビ(読みがな)をつけようか。いっそのこと屋上に街の本屋さんのように「本」と書いた看板を立てましょうか?でもお客さんが本を買いにきたらこまるし・・。

 夕方から、夏輝の野球部の同級生メンバー10人が新築祝いという名目で泊まりにきた。きっとにぎやかな夜になると思う。3年後の甲子園出場を夢見て夜通しのミーティングが行われるのだろう。同じメンバーで6年やれるのだから監督次第で甲子園も・・・。


2001年11月22日(木) 勤労感謝の日

 あすは、「勤労感謝の日」。これは「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日です。この日は、以前は「新嘗祭(にいなめさい)」として祝われ、これは、もともと天皇が新穀を供え、自ら食してその年の収穫を感謝する宮中の儀式の一つで天皇に限らず国民こぞってその年の秋の収穫を喜び、新穀を神仏に供えて感謝する日であった。

 祝日の起源にこだわるつもりはないが、明日から3連休となる。土曜休日やハッピーマンデーなどの影響で連休が多くなったが、金曜日から始まる3連休は珍しい。たいていが、土〜月の3連休であり、土曜日と月曜日の授業は、他に比べて極端に少ない。特に土曜日は半分しか実施できない。他の曜日にも授業があれば、それほどでもないが土曜に週1時間だけという授業は大変だ。

 時々、曜日を入れ替えて土曜日の授業を行うが、それぞれの利害関係があって簡単にはいかない。利害は、二通りがある。予定の授業がつぶれてしまって困る場合とその逆の場合だ。学校の先生は、基本的にまじめだから授業時数が減ってしまうことを嘆く場合が多い。時間数をやりくりする側からみると「もっと、臨機応変にやってほしい」と思うのだがむずかしい。

 何はともあれ、師走を迎える前の3連休、しっかり英気を養って「走り回らないと」いけない。せめて明日ぐらいは、日ごろの勤労に感謝してゆっくり身体を休めたいものだ。


2001年11月21日(水) むかでと人間

 「むかで」「やすで」「さそり」「まむし」など人間に嫌がられている昆虫・は虫類などは三つ文字が多い。昨日、K先生がむかでにかまれた。帰宅しようとして校舎を出て数歩、歩いたときに運悪く、むかでのしっぽを踏んだらしい。すると、頭の部分が当然反ってしまい、足の指にむかでの口がガブリという状況だったらしい。2時間ほど足先がしびれて動けなかったとか。災難だった。スリッパを履いていたためのことだった。

 むかでにかまれる被害は、70%が寝ているときで、その激痛に一瞬にして目がさめるそうだ。私は、まだかまれたことはないが、周囲には結構経験者がいる。誰に聞いても「とても痛かった」という。小さな昆虫がえさで人をかんでも何の得にもならないが、自己防衛のためにかむのだろう。就寝中にむかでにかまれないための蚊帳が売られている。蚊帳は蚊に刺されないためのものだけではないようだ。

 むかでは、人に見つかったらほとんどの場合、始末される。身体をちょん切られてとことん息の根を止められる。それほどに人間が憎しみをもって見られる節足動物は他にはあるまい。
こんな 笑い話がある。
===========================================================
 ある 大店のご主人が
主人「 番頭さん。タバコを 買いに 頼んだが まだかな ? 」
番頭「 へい。まだのようで。」
主人「 誰に 頼んだのじゃ ? 」
番頭「 カタツムリに 頼みました。」
主人「 ありゃ ダメじゃ。のろすぎる。他の 誰かに 行かせなさい。」
番頭「 それなら ムカデに 頼みましょう。足が 百本も あるので 早いです。」
 ところが、1時間たっても ムカデは 帰ってこない。
主人「 何を しておるんだ ! こりゃっ、番頭。行って見てこい ! 」
番頭「 へ〜〜〜い。」
急いで 番頭が 店の 玄関に 行くと、ムカデが まだ 靴を 履いていましたとサ。
===========================================================
 むかでのおもちゃがあるが、あれほど本物にそっくりのものがあるだろうか?と思うほどだ。


2001年11月20日(火) ペアガラスは快適

 ペアガラスは、ガラスを二枚組み合わせ間に空気層あるいは真空層を入れた窓ガラスである。断熱・防音性能が従来の1枚の窓ガラスより飛躍的に優れている。一般の住宅では、住宅の窓から夏期に住まいに侵入してくる熱のうち「窓」を通して侵入してくる割合は53%、冬期に逃げる熱のうち「窓」から放出される割合は37%にもなるという。

 ペアガラス窓を使うと、冷暖房のためのエネルギーは、基本仕様(最も安価な)ペアガラス窓の場合、年間で灯油が340Lから243L、電気が309kWhから220kWhに削減できるという。つまり、灯油は97L、電気使用量が 89kWh節約でき、灯油の値段を1L32円、電気料金を21円/kWhとすると、金額としては、約5000円の節約となる。20年間で約10万円。これに対して、ペアガラスにするためには、 50万〜100万円余計に必要である。今の灯油や電気料金では、金額だけから言うとあまりメリットはない。

 しかし、断熱・防音性能が優れているということは、住み心地という点では快適になる。窓からの熱の侵入・放出が少なくなると、室内の温度差が少なくなる。冬場に室温自体は高いのに足元が冷えるということがなくなる。確かに以前の家に比べると暖かい。防音性能については、外の音はほとんど聞こえない。

 省エネ対策に対して減税や補助が行われているが、ペアガラスに関しては、住宅金融公庫の特別融資枠が大きくなるぐらいであまり優遇されていない。どこの家にも窓はある。だから、資源確保や地球の温暖化抑制のために減税や補助があってもいいと思う。


2001年11月19日(月) ここ数百年で最大の天体ショー

 結果として数百年に1回のできごとにめぐりあった。出てみないとわからない「しし座流星群」を眠さと寒さを我慢して2時間見つめていた甲斐があった。夜半過ぎから始まった天体ショーは、予想通り、3時19分にピークを迎え、同時に2・3個の流れ星が快晴の星空を横切っていく。あちこちから喚声が上がる。インターネットではオーストラリアからのライブで現地の「Light」の声が聞こえてくる。こちらでは「光った」である。

 新居の屋上で寝袋に入り、新築祝いの天体ショーを見た。次の発現は33年後、住宅ローンが終了する年の今ごろでローン終了祝いとなる。ミレニアムの年にこの世に存在し、数百年来の天体ショーを見られて、しかも平和なこの国に生きられることを天に感謝したい。

 2時52分頃の流星は、ひときわすごかった。天の色がピンクに変わり、緑の閃光を残して消えていった。先にも後にもその1個だけだった。星の数ほどの流星の中でも他を圧倒する優れものがいることに驚いた。人間の世界でも確かにそういう人はいる。そんな存在には恐れ多くてなれないにしても、「Light」「光った」と声をかけられる人生を送りたいものだ。


2001年11月17日(土) 8以上の数

 屋外で携帯電話を使っているときに別の人の電話番号を教えてもらうことがある。筆記用具はない。ポケットを探って何かを見つける。車の鍵がある。尖った方を使って地面に番号を書いておく。地面が土なら書ける。アスファルトやコンクリートの地面なら書いたつもりでも実際は読みにくい。こんな経験が多くある。

 番号を聞く準備ができている場合は、筆記用具を持って電話する。しかし、「今、不在だから携帯電話にかけ直してください。番号は090・・・・」あわてて先ほどのような行動に出る。11桁の数字を暗記すればことは足りるのだが、自信がない。だから、メモするわけで後で思うと暗記したほうが確実なような気がする。

 日本人は昔から8以上の数は数えられない。「一重、二重、三重・・・八重」で終わりで「八・8」はそれ以上の数をも表している。九重というのは、相撲部屋くらいのものである。家庭にある電話は市外局番を除くと7桁(東京・大阪は8桁)で自信を持って暗記できる。ところが、携帯電話は090の後に8桁くるから、厄介ものだ。

 なんと、携帯電話には録音機能がついているらしい。その機能を使うと便利だという。操作方法を覚えよう。また電話中に電話機の中に入っている電話帳を見て相手にその番号を教えられる方法も覚えよう。携帯を持ってもう4年になるがついている機能の半分も使っていない。


2001年11月16日(金) 室内で自転車?

 世界室内自転車選手権が、明日から加世田市で開かれる。数年前から話題になっていたが、マイナーな競技であり、参加者は16カ国200人程度の大会である。フィギィアやサイクルサッカーなどが行われる。小泉首相もゆかりの地での開催で日帰りでやってくる。最近、加世田への道路がやけに工事が多いと思っていたら、路面のでこぼこを直す工事だったらしい。18日には、牧園で開かれる全国育樹祭に参加される皇太子様もついでに見学するらしい。

 人口2万人強の地方の町で開かれる世界大会ということで地元の人にはいろいろな動員がかかり、てんやわんやの様子らしい。なぜ加世田市が自転車をやるかというと、20年程前まで私鉄の南薩線が通っていた線路跡をサイクリングロードにしたこととサイクルサッカーの選手がたまたま加世田市役所に勤務したことから始まった。大したゆかりはない。

 自転車といえば、ツールドフランスや競輪など屋外のスポーツのような気がするが、室内で自転車なんて誰が考えてもおかしい。サーカスの曲芸ならいざ知らず。体育館の床は傷つくし、オイルやタイヤで汚れるし、もし学校の体育館で生徒がやろうものなら「けつバット」の刑に処せられてもおかしくない。体育館で行うサッカー:フットサルも私から見ると許しがたい。壁は傷つくし、もっとも、最近では野球もドームなど室内でやることもあるからスポーツの室内化が進んでいるのかもしれないが・・・。


2001年11月15日(木) 自作の横断歩道

 「旅館前国道に横断歩道自作」という新聞記事を読んだ。自分が経営する旅館の前の道路にお客さんが渡りやすいようにと道路区画線工事業者に頼んで横断歩道を作ったとして旅館経営者が送検されたとのことだ。道路を隔てて駐車場があるため客の便宜をはかって自作したらしい。読んだ瞬間に腹のそこから久しぶりに笑った。

 この経営者の発想がとてもすばらしい?と思う。普通は、国道事務所や警察に陳情という道筋を通ると思うが、自腹を切って客のためを思って親切心で作ったと思う。しかも3本も引いてしまったのだ。横断歩道設置の基準はよくわからないが、個人的理由では作れないのだろう。しかし、旅館は公共性があり、お年よりや子供も利用するだろうから、陳情すれば引いてもらえたのではないだろうか。引いたその日に住民からの通報により発覚したそうだが、利害関係にある住民からの指摘であったのではないだろうか。

 道路は、車のためだけにあるものではない。最近は、車優先で人は、歩道橋を渡らされたり、地下道をくぐらされる。無理やり横断しようとするならば、かなりの危険を伴う。人優先の道路はもう出現しないだろう。

 もし、住民の通報がなければ、だれも何の疑いもなくその横断歩道を利用したのではと思うとますます楽しくなる。もしかしてこの広い日本に無認可の横断歩道が結構多かったりして・・・。


2001年11月14日(水) 遠足を思う

 人吉に遠足で出かけた。朝から小雨が降り始めてやはり自分が雨男か?と思いながらも人吉に着くと雨は止んで球磨川下りも45名の参加で滞りなく実施できた。
球泉洞の鍾乳洞探検にも30名以上の参加があり、高校3年生にとっては高校時代最後の思い出ができたと思う。
 
 オプション(川下り・鍾乳洞探検)をやると5000円ほどの出費で申し訳なかったが、私立の学校だからこそやれる企画であり、上流の価値観をもった生徒がいてくれてほっとしている。めったにできない貴重な体験を多少のお金はかかってもやることが今後の人生へ好影響を与えてくれると思う。春の遠足では、山川町のそうめん流し(これは、回転式そうめん流しの発祥の地として有名で鹿児島の食文化の一つとなっている)を体験できて、秋に球磨川下りと南九州の文化を体験して大学や社会へ旅だってくれたらとの思いが込められている。

 帰りに桜島サービスエリアに立ち寄った。そこには、桜島の降灰を自由に持ち帰ってもらうように箱の中に灰とビニール袋が準備されていて県外客に好評らしい。たまたま、そのコーナーを見ていたら中年の夫婦が珍しそうに袋に詰めていた。そしてスプーンにとって鼻まで持ってきた。臭いをかいでいる。
「お客さん、いくら何でも桜島の降灰は臭いはしませんよ」


2001年11月13日(火) 伊東家の食卓

 新しいテレビが来てはいるもののアンテナ工事ができていないため、きれいな映像の番組は見ることができないが、少し工夫をして何とか見ている。ニューヨークでの航空機墜落事故や北部同盟のカブール占拠のニュースが流れる中で我が家の人気番組「伊東家の食卓」を久しぶりに見た。

 「1秒で作れる、浅漬け」は、野菜をきざんで袋に入れて塩を加え、タオルで包む所までで、もしかして車で轢くのでは?と思った瞬間に車が出てきた。そして美味しそうな浅漬けが出来上がった。車は交通手段だけに使われるものではないことがわかった。この発想の斬新さが視聴率を高めているわけで採用者には30万円という破格な賞金も理解できる。

 この番組もかなり見ているが、実際の生活の中では、即座に思い出せないことが多い。人間の記憶力の貧弱さにあきれるばかりだ。学習というのは、よほど印象に強く残っていない限り、すぐには効果が出ない。効果を出すためには、繰り返しの学習が必要であることが言われている。予習→授業→復習を繰り返して身につくものだろう。若いうちは、そのサイクルは少しでいいが、脳の老化が始まると簡単ではない。これからは、新しいことを学習するとともに今までに培ったことを忘れないような復習が必要性を強く感じる。

ちなみに本家の食卓は、秋刀魚が4匹、焼かれて寝そべっていました。


2001年11月12日(月) 小春日和

 春のように、ぽかぽかと暖かい日のことを「小春日和(こはるびより)」という。この言葉、2月や3月に使われることもしばしばあるが、それは間違い。小春とは陰暦10月、現在の暦では11月のことで、小春日和とは立冬を過ぎた今ころの、春のように暖かい日のことをさす言葉である。それと似た間違い方をされるのが「麦秋」という言葉、これは秋をさす言葉ではなく、麦が刈り入れ時をむかえる初夏のことである。

 目がさめてカーテンを開けると桜島が朝日の昇る前に美しいシルエットとして寝ぼけまなこに飛び込んでくる。新居での4日目の朝を迎えた。霧島連山も見える。営業の方が、ここは眺め代が1000万円と言っていただけの事はある。2階にリビング、1階が寝室というめずらしい間取りの所以だ。屋上に上がるともっとすばらしいパノラマが開ける。気温は低いが、小春日和を思わせる1日のスタートだった。

 2階にリビングという間取りの欠点は、階段を上り下りする回数が、極端に多いことだ。玄関のチャイムが鳴るたびに駆け下りて鍵を開け、また上がる。一日中、家にいてこの繰り返しをやると足に来る。「なにがバリアフリー仕様住宅だ」といいたくなるらしい。しかし、日ごろの運動不足解消には最適なつくりかもしれない。モニターつき自動ロックドアがとてもほしい住まいであることは確かだ。


2001年11月10日(土) 人、ひとり知るは、宝なり

 鹿屋でビーチバレーの佐伯美香選手の講演会が行われた。7月頃、高校時代の同級生から11月に講演会を開くが、適当な講師はいないかと聞かれて、義妹の彼女にお願いして実現した。トークショー形式を望んでいたのでコーディネーターにKTS鹿屋支局アナで志學館2期生の小浜さんにお願いした。寮生の世話をしていた頃の寮生であり、二つ返事で了解をもらった。

 今まで人生でこれほど知り合いを引き合わせて行ったイベントはなく、高校の同級生、義妹、教え子と全くつながりのなかった人たちを自分の仲介で引き合わせ、新しい人のつながりを作れて、300人以上の聴衆に喜んでもらって満足している。

 もともと、積極的に他人と知り合いになれるタイプではないし、他人にものを頼むことが苦手なほうであるが、人と人のつながりは、大切に思ってきた。そして結果としてこんなビッグイベントが開けてとてもありがたかった。「人、ひとり知は、宝なり」と志學館初代校長の九万田先生がいつも言われていたが、人生の宝物をいっぱい持つことのありがたさを再認識した。また、人のものを頼むのは苦手だが、人からものを頼まれると「いや」と言えない自分が、ここにいることにも気づいた。これから「ずうずうしく頼むこと」を勉強していこう。


2001年11月09日(金) 新居のカギ

 やっと新居のカギが渡された。住宅金融公庫からの通知が遅れて、昨夜に届いた。届いたのはいいが、440万の減額で再度、資金計画の作り直しと不足分の調達にてんやわんやの状態だ。

 あらかじめ、家を購入する気があれば、自己資金を貯めておいたかもしれないが、その気がなく思いついたかのように契約をしてしまったものだから、資金調達に苦労した。考えられるありとあらゆる所から融資を受ける形になるので来月から生活がやっていけるか心配だ。

 今までは、結構、お金の無駄遣いを楽しんで生活してきたように思う。これからは、それもままならないかと思うと楽しい人生が終わったような気になるが、たかが家ごときでそうなってたまるかという反骨精神をもっていきたいものだ。しかし、現実はそう甘くはないだろうなぁ。

 がんばろう!


2001年11月08日(木) 耳学問のすすめ

 同僚が、急に体調が悪くなり大事をとって救急車をよんだ。かぜの延長で内臓等に異常はなく次の日から復帰できて何よりだった。

 初めての救急車搭乗体験談を話してくれた。その話の中で病院へ電話連絡する消防署員の言葉に「自分が歳をとったなぁ」と感じたという。病院への連絡で「患者は、○○歳の女性」と言う言葉が気分が悪くて意識もうろうとしている中ではっきりと脳裏に響いてきたらしく、「○○歳といえば年寄りじゃないか、それが自分のこと?」と大きなショックを受けたらしい。

 日常は、自分の歳をそんなに気にしないでいつまでも若いつもりで支障なく生活をしている。自分の年齢を書く機会は多いがそんなに気にならない。しかし、耳から聞くと実感がわく。「聞くこと」と「書くこと」は大脳の神経回路が全く別なのかもしれない。書く、聞く、読む、見るという情報収集の中で「聞く」ことが最も強く大脳に響くのではないだろうか。生まれて2・3年で言葉を話せるようになることから、語学の勉強の基本は聞くことにちがいない。書けない・読めない歳で話せるのだから。

 英語の授業を通算すると8年あまり受けて来たにもかかわらず、英語がほとんど話せない自分の学び方が、読む・書くが中心だったからと思う。聞くこと中心の学習なら1年もあれば十分だろう。今からでは、遅いかもしれない。47歳という歳を聞けば、しっかりおじさんを意識するから。まだ自分は若いと思っている方は、他人に年齢を言ってもらえばきっと自覚しますよ。


2001年11月07日(水) 語呂合わせ

 11月7日、今日は鹿児島のローカルラジオ局MBCの日で一日中、特番をやっていた。周波数が、1107kHZだから11月7日を定めたものだ。数字のゴロ合わせ遊びは、「○○の日」が有名で10/2が「とうふの日」など多くある。高速道路で仕入れたネタで11/18は「土木の日」という粋なものまである。

 家の電話番号や車のナンバーなど割り当てられたら、すぐにゴロ合わせを考えるがなかなか簡単にはいかない。歴史の勉強で「いい国(1192)、作ろう鎌倉幕府」などとゴロ合わせで覚えて今でも忘れていない。国家予算なども出されたら次の日の新聞にゴロ合わせが出る。あんなに多い桁数をよく合わせるものだと感心する。しかも、だいたい2種類で、批判めいたものと擁護するものとがある。来年度予算案もまもなく出るが、100兆円に近づいている。記憶にあるのが「よく5兆にくい止めた(4兆9529億円?)」で何年度のものかはっきり覚えてないが、20年ほど前だろうか?国家予算が20倍近くになっているから、日本の予算も膨らんだものだ。だれかのおなかと同じでスリムになるようにしなければ。


2001年11月06日(火) AC?、JARO?

 「昔、浦島太郎は亀をいじめている子供たちを叱って亀を助けてあげました。今は亀をいじめている子供たちをみて見ぬふりをするだろうなぁ」「子供から逃げるのは止めましょう。♪AC〜公共広告機構です。」夜10時頃、ラジオから流されるCMです。以前は「この世界で一番大切なものは、家族です。♪AC〜公共広告機構です。」と流れていた。

 「ジコ虫」や育児放棄「チャイルドマザー/チャイルドファザー」など多くの新語を作り出している公共広告機構は、「広告を、営利目的のためだけでなく、公共のためにも役立てようと全国の企業が集まった団体です。人々に広告で直接呼びかけることで、より住みやすい社会をつくるために貢献していきたいと願っています。」と設立の趣旨を述べている。人によっては耳の痛い文言を聞かされているでしょうが、前からこの団体の目的は何だろう、と思っていました。

 広告というのは、出す側が、利益を上げることが前提であって、このような広告からは利益は生まれないと思っていた。しかし、多くの企業の集まりで社会貢献の意味でやっていることがわかりました。また、各企業から出される環境対策レポートも目を通したことがありますが、この企業は、環境問題に関しても十分な取り組みをやっています。などと本当かよ?と思わせるような美辞麗句を並べていました。

 もうひとつよくわからないのが、JAROです。調べてみました。
============================================================
JARO(ジャロ)とは、社団法人「日本広告審査機構」の英文名 Japan Advertising Review Organization, Inc. の略称です。
JAROは「悪い広告をなくし、正しいよい広告を育てたい」という広告界の念願で、広告主や新聞社、出版社、放送会社、広告会社それに広告製作会社など広告に関係する企業が自ら集い、昭和49年10月に誕生した民間の広告自主規制機関です。
そして今日まで、消費者に迷惑や被害を及ぼすウソや大げさ、誤解をまねく広告を社会から無くし、良い広告を育む活動を行っています。消費者からの苦情や問い合わせをもとに、JAROは公平なスタンスで広告を審査し、問題のある場合は広告主へ広告の改善を促しています。
広告の社会的責任がますます重くなってきている現在、JAROの使命は、いよいよ重要になってきています。
============================================================
 ただ、広告といってもいろんな種類のものがあって、利益を生みためだけのものではないことがよくわかった。広告は、自己アピールと考えましょう。


2001年11月05日(月) 「また、お会いしましょう」

 昨日は陽気に誘われて、人吉に遠足の下見を兼ねて昼過ぎから出かけた。牧園あたりが少し紅葉している以外は、全く夏の気配だった。球磨川下りの予約を入れて試乗した。「急流コース」は以前経験したが、11月からの「清流コース」は、初めてだった。清流というようにのんびりと船は進んで行き、カモやサギ類が、石ノ上から人間をながめているように思えた。

 同行した史佳は、とても楽しそうにしていたが、私は眠気が襲ってくるほどだった。となりに座った長崎からの二人の老婆と話をしながら90分の川下りが終わった。九州に限らず、暇さえあればあちこちを旅しているらしく、別れ際のあいさつが「また、お会いしましょう」に変に感動した。一期一会とは思うが、なんかいつかどこかでまた会えるようなそんな一言だった。あいさつ一つにしても、人生の先輩方は日本語を巧みに使いこなしているわけでこれから一つひとつ学んで行こうと思う。

 帰りに人吉の温泉につかってつかの間の休日を楽しんだ。その温泉も地元の人に聞いて推薦してくれた温泉だったので実にすばらしかった。


2001年11月03日(土) 傘とジャンパー,白と茶

 1年に何回かしかない「特異日(晴れる可能性のとても高い日)」が雨でおはら祭りの総踊りやパレードが中止になった。50回目を迎えた今年までで4回目の中止らしい。ルース台風の年とともう1個の台風で被害が大きかった年と昭和天皇が崩御する直前の国民総謹慎の年に続いてのことだ。屋外で行われる行事やイベントは10ミリ以上の雨が降ると中止の可能性が高く、昨日から今日にかけて26ミリの降水量を記録したそうだ。

 秋になると一雨ごとに寒くなる。さすがに今は半袖ではいられない。わが家では、長袖がまだ準備できていないので半袖の上にジャンパーを羽織っている。2月にハワイのナイキショップに行ったときに突然のスコールに襲われて、急きょ購入した100ドルのレインコート兼用のナイキのジャンパーを着ている。なにせスポーツショップだけに傘はゴルフ用の35ドルの傘しかなく、日本に持って帰るには邪魔だったから、後々使えるジャンパーを購入した。この冬はお世話になりそうだ。

 知り合いの紹介でS社の家電製品展示会に出かけた。415リットルの冷蔵庫が展示してあって、同じ製品で139,800円と109,800円が隣り合わせで並んでいた。3万円の違いはどこなのか、念入りに調べたが全く同じであった。しいて言えば白と茶の色の違いだけだった。係に聞いたら、なんと茶色が売れなくて在庫を多く抱えているので3万円引きとのことだった。冷蔵庫も家具のひとつ、調度品として生きているのだと認識した。私は、当然茶色を買いますが、皆さんはいかがですか?


2001年11月02日(金) 霜月初めのできごと

 季節はずれの花火が上がっている。鹿児島の秋祭り「おはら祭り」の前夜祭の花火だ。数日前から、電球をいっぱいつけた花電車もデモンストレーションで走っていた。今年はドレミちゃんとポンキッキのキャラクターで史佳はとても喜んでいた。

 昨日から国道の渋滞がひどくて何事かと思えば、近くに大型スーパーが開店し、そこへ行くために駐車場待ちで国道の1車線を使っていることがわかった。オーナーの娘さんが中3にいるので「朝9時に花火が3発上がって開店したね」というと「恥ずかしいから言わないで」と照れていた。近くにできたことで時々利用するだろう。同じ品なら安いに越したことはないが、値の張る商品に限って知り合いが多く少々高くても信頼関係で買うことが多い。これもまたよし。

 近所のMさんは、この店でパートを始めるそうだが初日は「都合が悪い」と言ってお店を休んで日替わり商品の列に並んでホットカーペットを手に入れたそうだ。

 話は変わって、史佳に鹿児島テレビ(KTS)から荷物が届いた。「ぽよ」のクッションが入っていて手紙に「あなたの応募した、なぞなぞのクイズが11月8日に番組の中で流されます」と書いてあった。いつ、応募したのかも家族の者は知らずに史佳に聞くと「インターネットで自分で送ったよ」と言った。この子も小さいときから運を使い果たしてしまうのだろうか?


2001年11月01日(木) 冬モードに突入

 衣更え、下校時刻、スクールバス発車時間など世の中は完全に冬モードに入った。しかし、着ている服は半袖で、周りの人に悪いような感じに思う。しかし、ほんとにあたたかい。自分だけがそう思うのだろうか?鹿児島だけがそうなのだろうか?

 10日に一日遠足を計画しているが、霧島の紅葉を目的にしているが少々心配だ。紅葉を見に行って色づいていない木々を見るほど落胆はない。魚釣りに行って1匹も釣れずに帰ってくるのとにている。(これはよくあることだが)紅葉といえば、中国山地にある蒜山高原と北海道の大雪山山系でみた記憶が脳裏に焼き付いている。鹿児島の紅葉は色づいたら、すぐに散ってしまう。しかし、その記憶では、あたり一面が赤や黄色に染まり、これが「紅葉か」と思い深く感動した。しかし、とても寒かった印象がある。紅葉は、温度が急激に下がる地域できれいとされている。

 四国の石槌山も紅葉で有名だ。その中腹にある家に20年前の11月に結納をかわしに行った時にはすでに紅葉の季節は終わっていた。11月23日だった。来週くらいが最高にきれいだろうという情報が入った。秋休みは、ないから行けないなぁ。

 


MOTOYAN |MAILHomePage