MOTOYANの日々題
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2001年05月31日(木) |
2年ぶりのボウリング |
今日限りの私立学校共済厚生施設利用補助券を使って2年ぶりのボウリングやってきました。 足の骨折の影響でまったく違った投げ方をしないと投げれなかった。 右足の踏ん張りが利かないのでそろそろと歩いてボールを置くように投げる。 はたから見ると「大きな体でなんとせこい投げ方をしているのだろう」と思えるほどの本意でない不細工フォームです。 しかし、スコアは変わらない。力まず、丁寧に慎重に投げるからだろう。 ゴルフもスコアがよくなった。 今まで、若さと体力にまかせて力いっぱいの動作が、いかに基本を妨げていたかということである。 パワーに頼らず、テクニックでプレーすることの大切さをやっと学んだ。遅すぎたかもしれないが、世間の自分はまだ若いとお思いのおじさん・おばさん、「力を抜いてしなやかに、華麗に振舞ってみてはいかがですか?」
只今、三者面談の真っ最中で40分授業が行われている。 いつもの50分の授業のペースで進んでいくと尻切れになるので途中を少々急いで帳尻を合わせている。 大学のときの教育実習で初めて教壇にたったとき、50分の時間を持て余して同じ事を繰り返して話した苦い思い出が思い起こされる。 大学卒業後、短大に勤務し、1コマ100分の講義をこなし、中高の50分の授業が体に染み込んで、朝、6時に目がさめたら6時50分まで2度寝ができるようになった。 自他ともに「人前で話をする」事が苦手と認めており、情けないことである。もっとも、合わない職業を選んでしまったのではないかと自己嫌悪に陥ることもある。 今、思い起こすと100分もよくしゃべっていた青年時代を不思議にさえ思う。 式典などでの司会や朝礼などでの進行も毎日のようにやっているが、なかなか思うようにいかなくて、皆様にご迷惑をおかけしていることだろう。やりたくてやっているわけではないのでご容赦を願いたい。
6月2日から教育実習が、始まる。10名の実習生がやってくる。 自分の適性を確かめ、学校の楽しさ、教師の喜びをを味わってほしいものだ。 50分の時間を持て余してもいい。苦境にあるときにその人の能力が発揮され、高まるものだ。健闘を祈る。失敗するのは今しかないから。
「変人」が驚異的な支持率を獲得し、所信表明演説で打ち出した「小泉内閣メールマガジン」を6月14日から発行すると発表した。編集長は、安倍晋三官房副長官がつとめ、毎週木曜日に配信する。配信申し込みは9日から首相官邸サイトで行われる予定だそうだ。 名が同じで親しみを感じているが、週1回の発行もなかなか大変だと思う。この日記とどちらが長続きするか、楽しみだ。内閣が変わるまでは、がんばろう。 ネット上では多くのメルマガが、飛び交っている。私も、1日に10通ほどのメルマガを受け取っている。ほとんど、懸賞応募時に配信希望したもので、車・家電・飲料などさまざまな最新情報が送られてくる。すべては読む時間はないが、暇なときや仕事の合間に目を通している。 新聞広告やチラシよりも奥が深い。リンクをクリックしていくと結構楽しい情報が入ってくる。コンピュータといっても文字を打ち込むのは人であり、編集者の意図や苦労がよくわかる。 自分もいつかはメルマガを出そうと思っているが、これこそ続かないような気がする。無理なことは止めよう。でも・・・。
2001年05月28日(月) |
西郷さん似の武蔵丸の苦悩 |
「貴乃花、鬼迫の優勝」という新聞の見出し。 右ひざ間接の脱臼の痛みを押して、ファンのために無理を承知で、千秋楽に出場し、見事に優勝を果たした。勝った瞬間の顔はまさしく「鬼」の顔だった。 貴乃花の優勝に素直に拍手を贈りながらも昔のことを思い出した。 十数年前のオリンピックで日本の山下泰弘選手と戦ったエジプトのラシュワン選手は山下選手の怪我の脚を攻撃せず、山下選手の優勝になった試合は、私に限らず多くの日本人が記憶に残る清々しい結果でした。山下選手の優勝とラシュワン選手にファインプレーの精神と柔道の心に対して多くの日本人は惜しみない拍手を贈りました。 武蔵丸の心境も複雑だったと思う。勝てば、相撲人気の落ち込みに拍車がかかるし、勝てる相手にわざと負けるのもフェアーではないし、一晩、悩んだことだろう。休場してくれればと思いつつ朝を迎えたことだろう。 本割の勝負を見る限りでは、とても相撲にならない。決定戦が始まるまでの時間はとてつもなく長かったことだろう。 もし、本割で「自分は相撲はとれないよ、このとおり」という貴乃花のジェスチャーを素直にとり、決定戦で力を抜いて胸を合わせたとするならば、貴乃花の「取れても1番だけ」という作戦にまんまと引っかかったわけで、この作戦が実際にあったならば貴乃花はまさに「鬼」であり、「知将」の横綱である。さすが、プロである。 「晋どん、もうそろそろ、よかが」という西郷どんの最期の言葉を武蔵丸が知っていたか否かは不明であるが、迷いの中で自分を殺して勝負したなんてまさしく平成の西郷どんである。
おまけ:西郷どん→最後うどん(誤変換アワード)
日曜日は、日記もお休みにします。
2001年05月26日(土) |
スポーツ、盛だくさん |
新聞のスポーツ面が4面もあるこのごろ、スポーツ真っ盛りです。 スポーツの秋よりも盛んでしょう。テレビでの中継に見入るのもいいですが、何かやりながらラジオで聞く、インターネットのライブ中継でみる?よむ?のも楽しみです。 大リーグのイチローのライブにも慣れましたが、アクセスが集中し、2回に1回はタイムアウトで画面が表示されません。 ワープロしながら、ライブ中継を楽しむと仕事もはかどります。眠気が吹っ飛ぶのがいい。願わくば、2画面パソコンが登場してほしいものです。 ラジオ中継の思い出といえば、4歳の頃、郷土出身力士「鶴ヶ嶺」(寺尾の父)の勝ち負けを周囲に聞こえない音量で聞いて回りに報告する、悪趣味がありました。 高校時代、下宿生活でテレビがなく、ミュンヘンオリンピックの男子バレーボールを徹夜で聞いたこと、巨人に入った新人投手「堀内」のノーヒットノーラン+3打席連続ホーマーの試合のこと、など思い浮かびます。 インターネット中継では、シドニーオリンピックがはじまりでした。何よりも情報が速いので4歳の頃の悪趣味がぶり返してきたようです。
インターハイの県予選も各種目毎に始まりました。高校野球は、7月8日からです。梅雨を前にして悔いのない準備をしたいものです。
2001年05月25日(金) |
フレックストラベラー制度 |
航空会社3社が6月から「フレックストラベラー制度」を導入する。
▼ フレックストラベラー制度とは ▼ 会社が提供できる座席数以上に、ご予約をお持ちのお客様が搭乗手続に来られた場合、ご予約をお持ちのお客様の中から自主的に座席をお譲りしていただくことに協力いただける方を募り、ご協力いただけるお客様に対し、会社が協力金のお支払いならびに代替交通手段の提供等を行う制度です。(国内線に限ります。) ========================================================= 要するにダブルブッキング対策であり、航空会社の苦肉の策ととれる。 10年ほど前、初めての海外旅行(修学旅行の下見)のとき同行のT先生がロスからラスベガスに向かう便に乗れず、1便遅らせられたことを思い出した。詫びのしるしに、1年間有効のアメリカ国内線航空券をもらった。しかし、同行できずにグランドキャニオンに行けなかった。アメリカの航空会社はアバウトだと感じたが、日本でも同様なことがあるらしい。要人のために必ず1席開けてあるとか、急病人用に1席を確保してあるとかいううわさは聞いているが、実際のところは不明だった。 しかし、今回この制度を導入するということは、日常的にダブルブッキングが発生していることを意味している。めったに起こることではないだろうが、最近の航空運賃は不可解なことが多い。空席で飛ぶよりもダンピングしてでも満席に近づけるということだろう。鹿児島→東京の正規の往復料金よりもホテル付のパック料金のほうがはるかに安いという矛盾が起こるわけである。 特に6月は国内外の料金が安い時期である。暇があればと思う。みんなが忙しいから安くなる法則が成り立つのだろう。平日のゴルフはゆっくりできて、安い。休日は、待たされた上に、高い。なんとかならぬものか? ========================================================= ▽ なぜ座席数に不足が生じてしまうのか ▽ 予約を取得していても様々なご事情により搭乗手続きに来られないお客様もいらっしゃいます。これらの座席は実際には利用されず、空席のままとなる可能性が高いため、ご搭乗を希望されるお客様に対して座席を供給できないこともあります。このような事態を極力回避し1座席でも多くのお客様にご利用いただくために、弊社では厳密な座席管理のもと、一部の便において提供座席数以上の予約を受け付ける場合がございます。JASからのDMより引用
ホタルの話題が聞こえてくるこの頃です。 幼い頃、家の中にホタルが入ってきて天井や壁でほのかな光(あの頃は、家が火事になるのではと思うほど強烈な光だったが)に夏の訪れを感じたことだった。 清流がない、情報がない、風流を味わう暇がない。それでこの数年見ていない。 以前に宮崎の小林まで出かけたが、「ゲンジボタルを養殖しています」という感じでその数の多さに少々、幻滅した。 河川工事、農薬などホタルが生息できる環境が少なくなり、もう元には戻れない気がする。わずか30年で変わってしまったわけでおそらく、ホタルは大昔から天文学的な数の年月を生きぬいてきたのに人間ひとりの一生の1/3の年月で滅びそうになっている弱い生き物なのだ。 スイカの種ほどのヘイケボタルが、乱舞する姿をもう一度見てみたい、子供達に見せてあげたいと思いつつも・・・。
今年の初物のスイカを食べながら
2001年05月23日(水) |
志學館1期生の不思議 |
15年前に誕生した志學館の1期生がメーリングリストに私もROMで参加しているが、私にはとても信じられないことがある。 発言へのレスの速さもそうであるが、お互いの誕生日をしっかり覚えていることには感心させられる。バースディメールが飛び交うわけで1期生の「絆」の強さをかんじてしまう。 誕生したばかりの新しい学校(行く末も全くわからない)に勇気?をもって入学し、自分達で学校の校風を作り上げてきた彼らの志學館に対するボンノ(煩悩)はその後の卒業生よりはるかに高いと思う。 流行に流されなかった。ルーズソックスや幅広ズボンが流行り始めた頃だったが、誰一人として着用するものはいなかった。自浄作用があった。 裾だしシャツ、制服ミニスカート、染髪、授業中のメール交換など今の学校の環境はどこでも厳しい状態に陥っている。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、学校・学生のあり方として指導しないわけにはいかない。多くの学校は、これらの指導に多くのエネルギーを費やし、本来の学習指導や生活指導に手が回らないという状況にあるらしい。 近頃、硬派の生徒に魅力を感じるようになったのも、1期生のことを懐かしく思うのも「お年頃」だろうか?
2001年05月22日(火) |
結果の出せる努力を! |
この世の中、いろんなチャレンジがある。 「挑戦」と言うほどだから時にはだめなことがある。 というより挑戦に失敗する事のほうが多い。 そして、終わった後で「一生懸命に頑張ったからいいじゃないか」 という慰めの言葉がかかる。 時が経てば、しっかり忘れて、次の挑戦が始まる。 しかし、もっと時が経てば「後悔」がおきる。 あのとき、もっと結果の出せる準備をやればよかった、と。 30年前、甲子園がすぐそこまで来ていた時に慢心のすきをつかれて ベスト8止まりで終わってしまった。 優勝候補No1と言われ当然、そういう結果が出るものと思って 時を過ごしてしまった後悔である。 「絶対、甲子園に行くんだ」という気持ちがあれば可能だったと思う。 高校野球に青春をかける若者よ、野球は結果がすべてだ。 結果の出せる練習をしてほしい。 大学進学に青春をかける受験生よ、入試は結果がすべてだ。 結果の出せる勉強をしてほしい。 その場しのぎの、その場だけの努力は空しいものだ。 慰めの言葉は、この世にたくさんある。 賞賛は「おめでとう」ひとつだけだ。 策を講じろ、術を高めよ、そして正々堂々と。
結果の出せない、野球部の練習を終えて。
今日は、一日中はっきりしない天気で、梅雨前線が北上してきたためで「梅雨のはしり」とニュースで言っていた。 はしりとは「時季に先駆けて出る農作物・漁獲物など。また、同種の物事のうち、いちばん初めのもの」でこれから本格的に必ずやってくるものの前ぶれのことである。 日本の梅雨は、作物に大きな恵みをもたらし、豊富な水の源である。 しかし、約40日、気分的にうっとおしい日が続くかと思うと気が重くなる。 あの、蒸し暑さが大の苦手である。 さわやかな話題を期待しながら耐えるしかないのだろうか。 「梅雨のなごり」の頃は猛暑だから「はやく冬が来い」と願う気持ちが大きい。
絶好のゴルフ日和、朝、8:03スタート いきなり+2、0、0、1、1、−1、2、1、1 ドラコンゲット−1、0、3、2、2、2、1、1、3 92(NET72.8)2位・・・後半、息切れでした。 ちなみにドラコン推定距離、360Y。生涯指折りの飛距離だった。
緑を見ると目の調子が、絶好調です。 ものがかすんで見えることがない。 きょうは、早く寝よう。
ついに登場しました。 小学校の絵日記以来の日記です。 あの頃は、まとめ書きを得意としていました。 さて、40年経過してどうでしょうか? そろそろ、人生の午後を過ぎようとしている今、金目の財産は残せそうにないので 知的財産(そこまで行くと言い過ぎ)を残そうと存じます。 な〜んて冗談ですが、使えるものは使わないと損ですので 暇つぶしのネタにします。 一方通行ですが、感想などあれば掲示板に書いてください。 三日坊主になりませんように!
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