バビロンまで何マイル?
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2006年09月29日(金) 武勇伝

さて、入院シリーズも何とか終了し、復職のめども何となく立ったので通常営業に戻ります。って急に話がくだらなくなるだけなんだけど。

入院してる間に夏は過ぎ去り、大分寒くなってきた(って雨ばっかりじゃねえか)今日この頃、各地で「防災訓練」なるものが行われ始めるわけですが、そこで最近友人から仕入れた話を。
 「どーせ書くんだろ」と言われたので書きます(笑)。

 ・私の会社の「防災用ヘルメット」は白地に社章が入っているタイプのものなんですが、友人んところは「黄色」なんだそうです。そう、工事現場でかぶってるアレですな。で、ある時彼は自分のそれに何気なく「赤い水玉」をマジックで書き散らしてみた。
  そして防災訓練当日、奴は「毒キノコ」のようなそれをかぶって(本人曰く「すっかり忘れてた」)参加したそうな。しかも部内の隊長かなんかやってて、そのヘルメットのまま一生懸命指示を出したり報告に行ったりやっていたと。周りは大爆笑だったそうなんですがそこは「大天然」の奴のこと、自分が笑われていることに気がついたのはだいぶ後。
  防災訓練の時には大抵所轄の消防署の人が視察に来て、訓練後の講評などするわけですが、奴はそこで「いい年して何やってるんですか」と名指しで怒られたそうです。「あんな若造に怒られる筋合いはない!」って怒ってましたけどね、おいらだってそれじゃ「アフォかおまえはーーーー!」くらい言うって。

 ・奴のいたずらは「毒キノコ事件」だけではないんですね、これが。
  別の年には「タオルで鼻から下をおおって、その上にヘルメットをかぶって出た」とか(おまいは過激派か)、放水訓練をしてるときに部下と「水鉄砲合戦」をやっちゃったとか(本人は「水圧は調整した」と言ってますが、これはシャレにならないくらい危ない。高圧で水が出てるときに手を離すと筒先が飛び跳ねてヘタしたら頭かち割れます。良い子は絶対に真似しないで下さい…てか、こんなバカやる奴はいないと思うが)。
  どっちの時も、もの凄い勢いで怒られたと怒ってましたが…どう考えてもアンタが悪い。30もとうに過ぎてやることじゃねえだろ(苦笑)。

まあ同じことをおいらの会社でやったら間違いなく総務部長あたりに呼び出されて大説教大会(シャレの効かない会社だからなぁ)な訳ですが…過激派ごっこはちょっとやってみたい気もするw

 話は変わって。
 火曜日、とても天気が良くかつ調子もよさげだったので久々に布団を干し、枕カバーからタオルケット、カーテンにエアコンのフィルターまで洗い、掃除機をかけた。

 すっきりして一息ついてたら相方から電話。「掃除してたー」と言ったらひとこと。

 「…雨乞い?」

 一度きっちりシメた方が良いでしょうか、こいつ。


<<今日のひとこと>>
 次の日大雨降りました(笑)  ○7点


2006年09月18日(月) 10W病棟(8)

これで最後。

入院中に知り合った人との「これから」について。
仲良くなった人と退院後につき合いをするか、というのは微妙なところだと思う。特にこういう場では「同じ悩みを共有している仲間」という気安さはあるが、退院してそれぞれの生活に戻ると当然そちらのつき合いが主となるし、そもそも病状も微妙に違うわけで、そこを勘案せずに下手に付き合って、逆に共倒れになる可能性もなくはないからだ。
だから、退院後に連絡を取るなら前もってその辺のコンセンサスを取っておき、なおかつある程度の覚悟が必要と思われる。まあ、これは通院しているときに知りあったり、デイケアなんかに出ている場合も同じなんだろうけど。
私は入院のためだけにここを受診したので、退院したらつながりは切れる。特に連絡先を交換する気はなかった(だから自分では教えてもらおうとしなかった)が、結局数人と電話番号やらメアドやら交換した。交換した人たちとは適度な距離を保ちつつ、良い友人づきあいができればいいなと思っている。


最後の最後に。
 入院中、これだけの本を読んだ。
  けらえいこ「あたしンち」1〜5
  さくらももこ「ちびまるこちゃん」1〜3    まあこれらは再読。
  松本零二「銀河鉄道999」
  手塚治虫「ブラック・ジャック」       この2作品は最近安価で出てる「スペシャル」版。
  林真理子「食べるたび、悲しくって…」「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」「星空のステラ」  これも再読だな。
 ここまでと「ガラスの仮面」は病棟にあったもの。
  前に書いた三島由紀夫の自刃事件の本は持っていった。
  京極夏彦「姑獲鳥の夏」  これも持っていったもの。3年かかって完読(苦笑)。
  しりあがり寿「表現したい人のマンガ入門」  売店で購入。この人が綿密なプランニング(?)の上でマンガを書いているのがよく分かった。でもあの絵(笑)。
  浅田次郎「勇気凛々ルリの花 四十肩と恋愛」  同じく売店で買った。この人のエッセイは読みやすくて面白くて、入院生活にはちょうど良い。
  宮部みゆき「霊験お初捕物控 震える岩」「天狗風」  これも売店で。宮部みゆきの時代物は敬遠していたのだが、面白かった。私が宮部ファンだというのもあるけど。ここら辺からみんなに呆れられるようになってくる(笑)。
  司馬遼太郎「軍師二人(新装版)」  姐さんが「司馬遼太郎は大好きで、全部持ってる。面白いよ」というので売店で(ry。通常版は字が細かくてしんどそうだったのでこっちを選んだが、内容的には私はちょっと…という感じ。びみょーなエロがウザい。

 「姑獲鳥」だけで2週間乗り切れると思ったんだけどなぁ…4日で読んじゃったよ。京極堂が事件現場に乗り込んでいくあたりからは早かった。
 浅田次郎、宮部みゆき、司馬遼太郎は置いてきた。荷物増やして帰るのもアレだし、読んでくれる人いそうだし。


この夏の17日間は、ある意味とても貴重な体験をした期間だったと今は思う。でももう入院する気はないし、そもそもこれからは休職しないように気をつけながら仕事をしようと思っているけれど、万が一また入院しなくてはならない状況に陥ったら、私はまたあそこに行くんだろうという気はする。

復職のための面談を今週中にやることになっている。休職に入った日を考えると、おそらく来週から復帰することになると思う。…さて、仕事の段取りを思い出さなくては。

(おわり)


2006年09月17日(日) 10W病棟(7)

ちょっと外泊するので未来更新。

入院5日目、担当の看護師さんに「外に出たいよー」とこぼしたら、「あら、外出許可30分出てるわよ。先生言ってなかった?」。
ベッドから跳ね起きる自分。
 私「ええっ、聞いてない。外出していいの?」
 看「うん、大丈夫。今から行く?」
 私「行く行く。てか出して下さい(笑)」
 看「かをるさん出たがってたもんねー(笑)。じゃあナースステーションで手続きしましょ」

出かけるときは専用の用紙に記入し、預けてあるもの(財布とかライターとか)を出してもらい、入り口の電子ロックを開けてもらうという手続きが必要。帰ってきたらカメラ付きのインターホンを押すと中から開けてくれる。買ってきたものがあればチェックを受ける。私は外出するとたいてい本を買って戻っていたので、看護師さんに「また本買ってきたのねぇ」と笑われていた。
病棟の外に出たらエレベーターで下りて中庭に出たり、売店に行ったり。但し私は病院の敷地から外には出られなかった。長期入院している人は「社会復帰の一環」として、段階的に敷地外への外出が許されるようになるのだが、私は短期だったし、休みに来たのに人混みに出るのマンドクセというわけで、自分から敷地外への外出許可を求めなかった、というのもある。

初めて外出許可が出て、向かった先はコーヒーショップ。普段からコーヒーをよく飲んでいたので、どうしても飲みたかったのだ。(インスタントコーヒー持ち込みにすればよかったんだけど、そこまで頭回らなかった…)コーヒーを買ってから急いで外来にある有料ネットコーナーへ。そこで書いたのが8/17分の日記。タイトルでも分かるように、あの時は30分で病棟に戻らなきゃいけなかったので、慌ててここを検索してログイン(ログインIDをちゃんと覚えていた自分に少し驚愕)し、ほんのちょっとだけコメントをつけた。
2時間外出できるようになってからは、午前・午後1時間ずつ出ていた。ゆっくりネットを回ったり、時々姐さんと一緒に外出し、病棟内でできない話をしたり、他の患者さんと一緒に中庭の喫煙所で喋ったり。
やはり、外出できるようになってからの自分は何というか、音を立てて快復していったような気がする。

ここの病院には名物がある。それはなんと「カレーパン」。売店で売っているのだが、あまりの人気(と、ここの入院患者が多すぎるせいで)並べられてから1時間以内で売り切れてしまう代物だ。しかも土・日はお休み。
外出許可が出なかった頃、姐さんや他の人たちが「おいしいよー」と言っているのを聞いていて、食べてみたくてしょうがなかった。調理パンの病棟持ち込みは禁じられており、また患者同士のお菓子や煙草のやり取りも禁止されていた(病室でこっそりお菓子が回って来たり、他の人が吸ってる煙草を「試し吸い」と称して一本もらうということは良くあったのだが)ので、買ってきてもらうわけにも行かない。間食も控えていたし…とはいえ、評判の味を確かめたくて2回食べた。カレーがよく煮込まれていて、適度な辛さでうまい。油っこいのは仕方ないけど、私は「揚げカレーパン派」なのでそれはそれでまた良し。
最初に買いに行ったときには2種類あってどっちか分からなかったので、姐さんに教えてもらった目印を頼りに見つけ、レジのおばさんに尋ねてみた。
 私「あの、これがおいしい方のカレーパンですよね?」
 レジ「(笑)。どっちもおいしいけど、そっちが人気のある方ですよ。暖かい内に食べてね」

退院直前の金曜日、「最後のカレーパン食いに行く!」と宣言し、皆に大笑いされながら時間を狙って売店に向かったら、ちょうど来たばかりのカレーパンにありつくことができた。まだ暖かいそれを買い、ベンチで食べて満足。カレーパンにはやっぱり牛乳が合うね。

…うーん、書いてたらまた食べたくなってきた。


(続く)


2006年09月16日(土) 10W病棟(6)

今回はちょっといい話。

入院中はちょうど、高校野球の実施期間だった。
おじいちゃんで一人野球の好きな人がいて、しかも早実出身。「(早実が)いつ試合するか分からないから」と、昼の間は毎日食堂の指定席に座って、NHKを見ていた。新聞は毎日届けられるので、見ればその日の試合予定は分かるのだが、そこは軽い認知症のおじいちゃん、覚えられなかったらしい。
食堂にはテレビが2台あったのだが、高校野球期間中、片方はそのおじいちゃん専用。途中でもう一台のテレビが壊れて撤去されてしまったのだが、おじいちゃんの熱心さに押され、みんな好きなようにさせていた。
早実が勝つとおじいちゃんは満足げにうなずいていた。看護師も患者も「よかったねえ、もうすぐ決勝だね」などと声をかけていた。おじいちゃんも「早実が勝った次の日は新聞を買っておいてもらってんだよ」と応える。本当に楽しみなんだなあと思っていた。

そして例の決勝戦。
その日はいつもより多くの人たちが食堂に集結していた。私も普段は野球を見ないのだが何となく顛末が気になって、試合開始から食堂にいた。ど素人の私から見ても面白い試合だったが、結局再試合となる。
「いい試合だったけど、決まらなくて残念だったねー」との看護師の言葉に「いいんだよ、明日もまた見られるんだから」と言うおじいちゃん。何とも良い笑顔。

翌日の再試合、ご存じの通り熱戦の末早実が優勝した。
この日は「教授総回診」などもあり、ちょうどいいところで患者全員が病室に戻らなくてはいけなかったのだが、回診が終わった途端(確か8回か9回か、その辺だったと思う)、かなりの人が食堂に出てきていた。…教授まで立って見てるよ(笑)。
試合終了の時は歓声と拍手。おじいちゃんは涙ぐみながら校歌を口ずさんでいた。みんながおじいちゃんに「おめでとう」と声をかけている。
この日姐さんは体調が悪く、試合結果(というよりおじいちゃんの様子)を気にしつつも病室で休んでいたのだが、私が「早実優勝したよ」と伝えに行くと、「おじいちゃんに『おめでとう』って言わなくちゃ」と私にすがりつきながら食堂へ。
「よかったねー、おめでとう」と姐さんが言い、おじいちゃんは涙を拭きながら「ありがとー、こりゃ一生の思い出だよー」とそれは嬉しそうに言う。
「何言ってるんですか、来年だって強い選手が入ってきっと出られるから、まだまだ優勝するの見なくちゃ」と私が言うと、「そだなー、長生きしなくちゃなー」と。来年も再来年も甲子園みなくちゃね、おじいちゃん。

その日の夕方、おじいちゃんは自宅に電話をかけていた。かけ終わってからふと私の座っていたソファの所に来て、「明日のスポーツ新聞買っておいてくれって家に頼んだんだよ」とにこにこして言う。
もちろん各テレビ局のスポーツニュースも消灯ぎりぎりまで見ていて、また涙ぐんでいた。(後で聞いた話では、「ニュースとかもビデオにとってもらったら?」という男性患者のアドバイスもあり、また電話をかけて頼んだらしい)

私が退院間近になり、病院の中庭にあるベンチで姐さんと話をしていたら、一時帰宅していたおじいちゃんが夫人を伴って帰ってきた。「お帰りなさい」と声をかけた私たちにおじいちゃんは「おいしい物たくさん食ってきたよー」とご機嫌な様子。
私「優勝の時のビデオとか新聞とか見た?」
爺「見たよー。また泣いちゃったよ」
奥様は私たちに「もー、うるさくて大変だったでしょ」というので、私は「いやいや、旦那さんのおかげで高校野球が楽しかったですよ」と応えた。これは本当の気持ち。

今年の夏はこのおじいちゃんのおかげで、本当に高校野球を楽しむことができたと思う。

(続く)


2006年09月15日(金) 10W病棟(5)

ちょっとだけ更新ペースを上げてみる。書き出してみたらこれ含めて後4回分あった。

精神科病棟にはいろんな人がいる。
半分は10代〜50代くらい、あと半分はお年寄り。お年寄りの多くは程度の差はあるが認知症らしく、公的支援が受けられるように手続きをする間、入院しているという感じの人が多い。
私の同室者も2人おばあちゃんだった。「看護婦さんや先生に嫌われている」「私が食堂に出ていくとみんなが嫌な顔するから行かない」「ほんとは私と一緒にいるの嫌でしょ」などと言っては私や姐さんに「そんなことないから(食堂でご飯食べよう)」と言われていたおばあちゃんも、薬が代わったら愚痴がぴたっと止まり、だいぶ普通に話せるようになった。現実はそうでないということが分かってきたらしい。薬との相性もあるんだな。
とはいえ嫁の愚痴を言うときが一番しゃっきりするんだ、これが(苦笑)。

人の区別が全く分からなくなってしまったおばあちゃんもいたのだが、時々見せる笑顔が大変可愛らしく、ある意味患者達のアイドルのような感じだった。看護師に付き添われて病棟内を「散歩」するときは、私たちは彼女の名前を呼んでは手を振り、笑い返してくれるととても幸せな気分になった。
逆に、機嫌の悪いときには手を振ってもぷいっと横を向かれてしまうこともあるのだが、私たちにとってそれはそれでかまってもらえて嬉しいのだ。

まだ10代〜20代はじめと思われる青年。
私が入院してしばらくは顔も見なかった。少しして看護師が食堂に連れ出してくるようになったものの、テレビの前でうなだれているだけで、看護師さんに半ば強制的におやつをもらってもろくに食べずにじーっと下を向いていたのだが、そのうちテレビに顔を向けるようになり、その視線もだんだんしっかりしてきた。そして食事のトレイを自分で下げに来るようになり、おおおっと思っていたら、私が退院する頃には「おやつ下さい」と看護師さんに言うようになっていた、しかも笑顔で。…まだ若いというのもあるだろうが、精神病だ何だっつったって病気は適切な治療をすれば治るんだよ。すげぇなぁ、と思った。

若者はだいたい私と同じ感じか。あまり病状を詳しく聞いたことなかったし。ただ全員微妙にぶっ壊れているだけなので会話はおおむね普通にできる。といっても他愛のない話ばかりしているわけだが。
勿論それができない人もいて、時々突拍子もないことを聞いてくる人もいる。
頓服の薬(1日3回までもらえる)ばかり飲んでラリ気味の人もいる。病状がちょっとキツいんだろう。

姐さんとは病室で、あるいは喫煙所でいろいろ話をした。堅い話から身も蓋もない下世話な話まで。
ある日病室でふと「こんなんなっちゃって老後が怖いねー、どうしようね(ちなみに姐さんも独身)」などという話をし始めてしまい、二人で喫煙所に行っても自分の遺体の処理をどうしてもらうのがいいかという話をしていたら、後から入ってきた男性に「あんたら、なんつー話してるんだ」と笑われた。
 姐「だって切実だよー。看取ってくれる人いないんだから」
 私「そですよ、このままじゃ老後は団地の一室で腐乱死体になるかもなんだし」
 男「辛気くさい話をするなあっ」

喫煙所では本当にいろんな人と話をした。私と同じように休職している人もたくさんいる。自然と「復帰できるかなー」という話になる。私以外の人はたいてい過去に入院歴があり、まあ何とかなるさ的に考えている人が多かったのだが、私は初めてだったのでそこのところが一番心配だった。
「慌ててもしょーがないよ、少なくとも今は休むことだけ考えなよ」と何度言われたか。まあそうなんだけどね。

(続く)


2006年09月14日(木) 10W病棟(4)

今日は入浴日。入院以来初めてのお風呂で私はわくわくしていた。姐さんに「入ってきてからそればっか言ってた(笑)」と言われたが楽しみなんだから仕方ない。いそいそと順番を取り、着替えを用意してじっと待機。時々順番を覗きに行く。
浴室はシャワーが2つと湯船。せっせと髪と身体を洗い、お湯につかる。ああ気持ちいい。実を言うと家では「風呂はいるのマンドクセ」という方なのだが、やっぱり風呂は良いねぇ。しかも朝風呂。出てちょっと涼んだら朝食だ。なんだか贅沢。

さっぱりしてご機嫌でごろごろ(やっぱそれか)していたら、検査だと呼び出される。胸部レントゲンと心電図。翌日には頭部のCTスキャンと胴部エコーだ。胴部エコーの時は食事制限をされたので朝食食えず。検査が終わってからパンと牛乳、フルーツの「食待ち食」なるものが出た。それを完食して、さらに1時間後の昼食を完食してしまう。やっぱ良く食うな、自分。
ちなみに検査の結果は「異常なし」だった。…血液検査の結果がダメだっただけで(苦笑)。

この日は一日落ち着いて過ごす。私は緊張がピークに達すると感情のコントロールができなくなる(たいてい泣きっぱなしになる)のだが、それを越すと急激に環境に慣れるという癖がある。前の晩にそれをやらかしたため、慣れてきたんだろう。
とはいえ食堂でテレビを見たり他の患者さんとトランプしたりするのは気が進まなかったので、基本的にはベッドでごろごろしながら本を読んでいたのだが、時々食堂に行くこともさほど苦にならなくなってきた。よく「連れモク」していた姐さんのせいもあるかもしれない。そのせいか、入院中の喫煙量が普段の倍に増えたが。
他の患者さんとも軽く話ができるようになってきた。
 「(ガラスの仮面)もう半分まで読んだの??」
 「残りも今日中に読めるかも」
 「みんな入院中に一度はハマる(男性も真剣に読んでいた)けど、かをるさんが最速だねぇ(笑)」
 「子供の頃から30過ぎまで『花とゆめ』ずっと買ってたから、ストーリー分かってるし」
最初あれだけ怯えていたのに、何とかなるもんなんだな。

洗濯などもするようになる。自分でできない人は家族に汚れ物を持って帰ってもらうことになるが、できる人は自分でやる。
病棟に全自動洗濯機があり、順番表に名前を書いておくと空き次第呼んでくれる。専用のプリペイドカードがあり、1回100円。
洗濯が終わった頃また呼び出され、乾燥室(スキー場なんかにある暑い部屋を想像してもらえると良い)に干す。
この部屋にも当然鍵がかかっていて看護師に開けてもらうのだが、陽気な看護師さんが鍵を開けながら、
「10Wのハワイへようこそー♪」
だと。言い得て妙だ(笑)。
午後になると「乾燥室を開放するので、洗濯物を取り込んでくださーい」という放送が入る。でも厚手のものはなかなか乾かない。
私はたいてい翌日まで干しっぱなしにしておいた。

担当医師には「まだ外出できないですか?」と毎日聞いていた。「閉じこめられている」という感覚がどうにも嫌だった。
 「まあねぇ、もう少しゆっくり休んでもらってから…」 外に出られないと休めないわヴォケ。

この日は両親が見舞いに来てくれた。私は梨が好きなので、むいて持ってきてくれた。食べながらいろいろ話をする。
日頃はものすごい親不孝者なのだが、こう言うときに来てくれるとほっとして涙が出そうになる。入院前に預けたハムスターは母が可愛がってくれている様子。いろいろ安心して、消灯しても泣かずに眠れるようになってきた。…といっても、消灯後の見回りを1〜2回は見送ってからじゃないと眠れなかったんだが。

(続く)


2006年09月12日(火) 10W病棟(3)

入院したばかりのある夜、病室で姐さんとマターリ話をしていたら、食堂の方から怒鳴り声と何かが倒れる音が聞こえてきた。
 姐「なんだー?」
 私「誰か暴れてるのかなぁ…ちょっと行ってみようか」
姐さんと二人で食堂の方に行ってみると、食堂にはほとんどの患者が集まってきていた。男性患者が二人つかみあっていて、別の男性が間に入って止めている。若い女の子の何人かは泣き出している。
 姐「あー、やっちゃったか」
 私「あの二人仲悪かったの?ふつーに話してたと思ってたんだけど」
 姐「片方がちょっとアレでね」
夜勤の看護師(ベテランの人で良かった)が一発叱りとばしてとりあえずその場はおさまる。しかし男性陣はおさまらず、話を聞いて飛んできた医師や看護師に詰め寄ったりしている。
姐さんはしゃがみ込んで泣く女子をなだめ、私は怯えるおばあさん(隣のベッドの人だった)を「大丈夫ですよ」と病室に送り、落ち着くまで話につきあう。

 とんでもないところにきちゃったなぁ…と正直思った。しかし姐さんが言うには「最近は珍しいよ。今入院しているのは大人しい人ばっかりだから。前はけっこうあったよ」とのこと。この程度でビビっていてはいけないということか。


消灯直前に喫煙所に行くと、喧嘩していた片方が(後で聞いたらこっちが「アレな人」らしい)入ってきた。喫煙所が凍り付く。
誰も何も喋らず、ただ煙草を吸うことに集中しているのに彼はへらへら笑っている。怖い。
無言のまま早々に退散し、消灯時間となったが寝付かれず、睡眠薬を追加してもらう。

翌日、姐さんから事の詳細を聞くことができた。「アレ」な方が保護室に収容されたとのこと。姐さんの「もう保護室から出てくんな(怒」との言葉に、みな同意する。
こんな所にいて「あいつおかしいよ」と言われるのも何やらものすごく矛盾を感じないでもないが、ここにも人間関係がある。だから病気云々の前に「性格的に嫌われる奴」というのはいるわけで、まあその人がそーいう人物だったということだ。私はまだほとんど喋ったことがなかった人だったんだが、他の人たちの話を聞いてるとさもありなん、という感じもする。
もう一人の当事者は「ごめんね、入院早々脅かしちゃって」と謝ってきた。この人は話してみると、気さくでとても良い人だった。どうやらそれまでにもいろいろ経緯があり、溜まり溜まってのことだったらしい。

保護室は病室群とは別のエリアにあり、基本的に行動が制限される(病院外への外出許可が出ていても、病院の敷地からは出られない。買い物等には医師の同行が必要。喫煙もしばらくの間制限されていたようだ)。ずいぶん経ってから、たまたま扉が開いてる時に覗いたのだが、だだっぴろい部屋の中にマットレスだけがぽつんとあり、扉の反対側は鉄格子。トイレも部屋の中にある。ここに長期収容されるのはかなりキツいらしい。

私も環境に徐々に慣れてきて、ぽつぽつ話をしたり、漫画を読んだりしていたので昼間は割と平気だった(病棟内には公衆電話が1台あり、家族以外への電話は禁止されているのだが、こっそり友達に電話したりしたし)のだが、私の場合こーいうことは後からじわじわやってくる。この日の夜、とうとう涙が止まらなくなり、夜勤の看護師さんに助けを求めた。ナースステーションの前でしばらく泣きじゃくってから頓服の薬をもらい、やっと眠った。

(続く)


2006年09月07日(木) 10W病棟(2)

1日のスケジュール。
6:00  起床(別に寝てても良い)

6:30  テレビ体操後、男性はひげ剃り。月、水、金は入浴
    風呂場は一つだから男女順番に入るが、曜日によって男女どちらが先に入るかは違う。
    入り口前に荷物を置いて順番取り。

8:00  朝食
    パン(マーガリン付き)とサラダが多い。牛乳は必ずつく。この間、看護師、医師は引き継ぎ中。
    基本的に食堂に集まって食べるが、気分によって病室で食べるのも可。
    食事は人によってかなり違う。入院時に好き嫌いやパン食、おかゆ等主食の指定、また「きざみ食」などを指定できる。
    (「昼だけパン食にして」などと言うことも可能)。途中変更可。
    また、個人でふりかけや梅干し、ジャムなども用意できるが、原則看護師預かりで、食事の時に出てくる。
    私は入院時の血液検査で生活習慣病に関わる値が軒並み規格値を外れたため、それ用の薬が処方された他、
   「エネルギーコントロール食」が出されるようになった。そのため個人的に調味料、ジャム等の購入を諦め、
    間食も抑えることにした。まあ腹へってりゃ何でも食えるし。

9:00  朝の服薬、検温。昨日のトイレの回数を聞かれる。水曜日は体重測定もあり。
    服薬は用意されたコップ(プラスチック製の使い捨てのやつ。名前が書いてある)に水をくんで並び、看護師に名前を
    言って手のひらに薬をだしてもらい、その場で飲む(溜め込んだりしないようにするためだと思う)。

12:00 昼食
    たまに麺類が出る。昼はカロリー高めの食事が多い…が、私は食べられず。「ミックスフライ」が出た時、
    自分は「白身魚のホイル蒸し」だったorz 

12:30 昼の服薬
(入浴日は、1:00頃から介助の必要な人が入浴する)
17:00 夕方の検温

18:00 夕食(看護師、医師引き継ぎ)
    何故か私は夕食に汁物がつかない。そのかわりフルーツが必ずついていた。デラウェアは食いにくいんだよ!!

18:30 夜の服薬

20:30 就寝前の服薬
    煙草が吸えなくなるので喫煙所が混む。

21:00 就寝


スケジュールだけ見るとかなりヒマそうなんだが、空いている時間には担当の医師や看護師(看護師の担当は日替わり)の巡回がある。看護師の巡回は人によってまちまちで、一日に何度も来てくれる人や、カーテンを少しめくって、無言でガンを飛ばして行く人といろいろ。
朝の服薬後〜昼食、昼の服薬後〜4時までは、外出許可の出ている人は外出可能。外出ができない身にとってはかなりつらい。面会は午後、家族(あるいは生活上必要な人。ケースワーカーとか)のみ。家族以外の人と会いたければ外出時間中に病院まで来てもらって、売店や外のベンチで会うことになる。
私は5日間外出許可が出なかった。その間、ひたすら本を読んで過ごす。
 保坂正康「三島由紀夫と『楯の会』事件」(アタマやられて入院しているのに何読んでるんだ)
 美内すずえ「ガラスの仮面(1〜42)」 (病棟内にあったもの。話は分かっているので2日間で読破。後で皆に呆れられる)

入院したのが金曜日で、入浴が終わった後だったため月曜日まで風呂に入れない。頭がべたべたしてくる。同じ病室の人(もう8ヶ月入院してるらしい。以下「姐さん」)曰く「洗面所でみんな髪とか足とか洗ってるよ」とのこと。確かにシャワー付きの蛇口があるので、そこで髪を洗った。ドライヤーは貸してもらえるのですっきり。
姐さんは話し好きで面倒見がよく、音楽やら読書やら話題も豊富なので、この日から退院まで夜な夜な語ることとなる。

まだまだ夜は半べそをかいていたのだが、それを加速させるようなことが突然起こった。

(続く)


2006年09月04日(月) 10W病棟(1)

病室廊下の窓から見える高層ビル群が雲にかすんで、それがまるで長崎の「軍艦島」みたいだなぁと毎日思っていた。

入院の説明を受けて病棟に上がる。この病院の最上階だ。(入院前にいろんな病院のHPを見たけれど、どうしてこの手の病棟はどこも最上階なんだろう?)
入り口の鍵が小さな音を立ててロックされたとき、私はここに来たことをものすごく後悔した。
入院は自分の意志で決めたことだったのだが、かかりつけ医の「クックル先生」は「別に入院までしなくてもいいんじゃない?」と言っていて、それを「家にいると何するか分からないから」と押し切った形だったからだ。
「クックル先生の言うことは間違ってなかったんだなぁ…」と半分うなだれながら、荷物チェックを受けた後(ここでカミソリやら袋についてた紐やらMD、PHSを没収された)、ついてきてくれた家族と別れ、看護師に付き添われて病棟内に入る。どこに行くにもナースの持ってる鍵が必要だ。

4人部屋の病室に行く。中にいた人に軽く挨拶をするといきなり「暑がり?寒がり?」と聞かれる。「暑がりなんです」と言うとみんなが「よかったー」と。何でもエアコンの調節でトラブルが絶えないのだそうだ。私が入った病室は幸いにも全員暑がりだった。
それからホールで昼食。他の人はすでに済ませたらしく、テレビを見たりトランプをしたりしている。…あ、喫煙所がある。煙草吸って良いんだとちょっとだけほっとするが、緊張のせいか病院のヤケにあっさりした食事が喉を通らなかった。

食事をしてから採血と問診。看護師さんはおおむね優しい。問診はいかにも医者然とした若い男性。今までの人生とか聞かれた。
入院の説明をしてくれた医師(問診した医師の上司)は飄々と「じゃ、ちょっと休みますかー」と言う感じで、もらった書類にも「任意入院だから開放扱いでいいよ」ということが書いてあったので自由に外にでられるのかと思った(病棟自体は閉鎖)ら、1週間は外出できないとのこと。急に心細くなる。
病室に戻り、カーテンを閉め切ってぐったりする。本当に心細い。これからどうなるんだろう…そればかり考えていた。不安が治まらないので、頓服の薬を一錠もらって飲んだ。そしたら眠くなってきたので、少しだけうとうとできた。

夕方、気を取り直して喫煙所に行ってみる。私は新しい環境に置かれると、喫煙所から話のきっかけを掴むことが多い。
案の定、先客たちから「今日入ってきたんですよね?」と聞かれた。「いやぁ、ちょっと鬱がこじれて」などとあっさり言えるのは、同じような病状を抱えているからこそ言えることなのかも知れないなとふと思う。
夕食をもそもそ食べ、後は持ってきた本を読んで過ごす。薬の時間を向こうから言ってきてくれるのはいいなぁ。

9時消灯。電気がふっと消えたとき、涙が出てきた。不安でしょうがなかった。ティッシュで涙を抑えつつ、眠気がくるのを待つ。やっと眠れたのは3回目の見回り(消灯後、1時間おきに夜勤の看護師が見回りに来る)の後だった。

(続く)


かをる |メールかをるさんの○と×。