**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2013年01月17日(木) 朝の新聞で

朝の新聞を開いて、いきなりの一面記事から兄の会社名が飛び込んでくる。いつもこんな状況を気にしていた。海外赴任の兄が被害にあわないかということを。 去年一度はサウジアラビアへいくとなっていたのが、幸いにもまた立消えで、今度は韓国へしばらく赴任という事になっている。 ホット胸をなでおろすが、兄の会社も大変だろうしその御家族の心配ははかりしれない。

神戸淡路の震災がおきたのがちょうど今日の日付だった。何事もなく朝を迎えられる事を信じたかった。 世界では今もどこかで人が争い、血を流している現実に改めて気がつかされる。 生きていられる事、無事でいられることを今、自分自身でどうとらえるつもりか。 ぼんやりしてなどいられないはず・・。

久しぶりにフルートを吹いてみた。この部屋では気が引けるので、歩いてもいける距離の市の施設の音楽室へと出かけた。 音はもうまともに練習もしないで長いけれど、始めたばかりの頃に比べれば、全然きれいな音がまだでせるので喜ぶ。 指が・・。左の中指と薬指の付け根の関節が壊れてしまっているのはもう元にはもどらないのかもしれない。仕事で常に力が加わっていた場所。曲がってしまった。使いすぎだった。ただでさえ仕事で僧なのに加えて、ギターひいたり、フルート吹いたりして、常にその部分を横に曲げていたから、リューマチの腫れとともに軟骨が磨り減ったのだ。



2013年01月14日(月) 宙ぶらりな時間

なんと12年前からもこのサイトを使わせてもらっているというのに、有り難いもんだ。途中の分をきれいに削除してしまうなんて、私らしいブレもここにある。実際のところは一度この日記はもう削除して、もうないはずだった。 忘れていた頃になってあるとき、ふとムーンリバーの歌詞を訳したものを検索したときに、なんと自分の、しかももうないはずの日記に書いていた訳詩が出てきてびっくり仰天。 リンクしてみたら繋がって全部ある。
やっぱりほとんどを消してから、また書き始める。

 伊勢白山道というサイトを読み始めなかったら、こんなにブログに親しみも覚えないままで過ごしたかもしれない。 ネットで触れる言葉に命を感じること。一人だけでは深めることが簡単ではないかもしれない。

年明けしての連休というのが、今日が初めてだった。明日までのわずか2日間。これがもう30歳からのずっと当たり前のパターンなのだけど。その30歳というのが、もう22年も前のことなんだなあ・・。 1月も小正月という15日を迎えるとやっと、気持ちがほ〜っとするのも、体に染み付いた気分だと思う。

思いっきりぐっすり眠ったんだな。目が醒めたらまた、朝と勘違いしてしまった。得したといえば得だけど・・。

また、葉っぱが伸びてきた。おととしの冬に買ったシクラメンの小さな鉢。ずっと、緑が耐えないまま、過ぎてきた。土がいいのか、一緒に買った同じものは、とっくに終っているのに。何かが宿った感じがして不思議な気持ちでいつも眺めている。



2013年01月09日(水) 今年が始まった実感



みーこの命日は昨日で7回目を迎えた。 長いような短いような年月。
日曜の朝 お腹の辺りで眠っていたみーこの痙攣で目が醒めた。前の晩は
とても冷えていたのに、ベットの中にも入らずに部屋の真ん中で眠っていたみーこだったものの、もちなおしてまだ大丈夫だと思い始めた矢先だったので何か起きるとは思えないまま、一緒に眠ったのだった。



2013年01月06日(日) 年が明けた

大晦日は一人で過ごすには淋しすぎる。もう一人はきついと思う。若さがないのと、テレビが無いのと。 

毎日掃除するのを仕事の一部として、楽な職場で過ごせた一年が終った。給食の仕事のような重労働と過酷な気温と向かい合う事もないのだ。 その分何か他にストレスはあるものだけど、生きて上で当たり前なだけのこと。

自分の部屋も掃除しないわけにはいかなくなる。平気で散らかして新年を迎える気にだけはなれない。玄関も床も拭いてさっぱり。 こんな気持ちのいいことなら普段からやっておけばいいんだと、感じながら、簡単に終える。
こんな流れの中で感謝の気持ちが流れ込む。 有り難い。ひたすらに。

それでも何もかもうまくいっているとはいえない。 何もかも考えたくないばかりになってすらいる。 自分の力で他者をどうこうするなんてこと、よく言ったものだ。オオミエを切るばかり。 自分のことを何とかしなきゃならないというのに。 幻想ごっこもできない。 

母のところで手料理を食べる。買ってきた刺身用の魚の切り身はとろけるような柔らかさと甘さ。冬の魚は信じられないほどのおいしさだった。弟にも食べさせてやりたい。 彼はお金でなんだって好きなようにおいしいものも食べられる人。 貧乏な姉は面倒をかけるかもしれない厄介な存在にともすれば陥る代物にしかならない。 ちゃんと結婚して家庭を築いた成熟した姉として、関わるべきだった。 何もしてやれないのはこういう事なんだなあと今になってやっとわかった。

なんか、苦手な算数と数学の世界が果てしなく広がっていくような感覚を覚える。 両親と兄弟の歩いてきた歴史。 どう答えをみつけたらいいのか、さっぱりわからない。

ばかなんだろうけど、間違ったことしたのかもしれないけど、もうそれを後悔したり、責めたりしたくない。 すべてなるべくしてなった。自分の未熟な性格が望んだ行動だけど、反省はしつつも、卑下したりしたくない。

このまま図書館へ逃げ込んで またしっかり考えてみようといつも思う。そして、行けば絶対そんなことはしないというパターンを踏みにでかけようかな。

お金は使えないのにじっとしていたくはない気分。年の始めはいつも何かに後押しされてる気がする。

ミー子は年明けの一週間後に旅立ったんだな。 その年はほんとに寒かったのを思い出す。 やせ細ったミーこの姿を毎日眺めて辛い日々が続いていた。別れが近い予感が苦しくてたまらない日々。もうあれから、あさっての命日で7年になるんだな。


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