a fish called datsu -だつという名の魚-
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ジオシティーズに何度アクセスしようとしても拒否される。何でか? 今日、NHKの朝の連ドラ『私の青空』が最終回を迎えた。 結局主人公のなずなはライバルのジムの娘との葛藤の末、子どもの太陽が二人で暮らし、太陽の父親とは別居して籍を入れない事にした。それぞれがふさわしい人生を生きて、それを他の人たちは受け入れるのがいいと言う趣旨の最終回だったが、何だか釈然としない思いが残った。 別に息子の父親と暮らさないことがおかしいと言う訳ではない。母子と一緒に暮らしていても、「子育てはお前の責任だ」と言うだけで、子どもが失敗したときにここぞとばかりに母親を責める父親を持つよりは遙かにましである。ただ、劇中、なずなはずっとシングルマザーであることを周囲から責められて暮らしてきた。なのに、最終回前の1〜2週間前から急に、「なずなちゃんは偉いよ」と言うことになっていた。急激な態度の変化に「機械仕掛けの神」という言葉を思い出さずにいられない。
私はこれまでどんなシャンプーを使っても、髪の地肌がかゆくなって頭がフケだらけだった。そしていい評判を聞けばシャンプーを変えてきた。そうしてうちには余り使われていないまま、余っているシャンプーが沢山ある。 ある日、評判を聞いて石けん(コーセーの黒い石けんだけど)で洗い、酢(お猪口1杯程度を洗面器1杯のお湯で割る)でリンスして、少し油を付けてみた。すると地肌がかゆくなくなった。なのでそのまま使い続けたら、髪を染めても艶があるので大変満足している。でも、まるで形状記憶合金のように寝癖がバリバリ付くのだ。たぶん地肌が元気になった証拠なのだと思うが、もう少し髪が柔らかくなった方がスタイリングしやすいんだけどなあ。
近頃、有線でヒューバート・カーの「エンジェル07」をよく聴く。彼らはだいたい80年代中頃に活躍したドイツのバンドなんだけど、今になってまた聴くとは全然思わなかった。よく聴けばa−haの亜流みたいな感じなんだけれど、当時はちょっと気に入ってた。彼らの「リムジン」という曲をまた聴いてみたいなあと思ったけど、その曲が入ったTen Songs というアルバムは処分してしまったなと今頃になって思い出す。音楽はいつ聴きたくなるか分からないものだ。
昨日書いた『純愛時代』を読んだ。「モノ語り」というよりも、心の病に今時の恋愛に関する心の微妙な動きを絡めたものといった感じがする。中でも、第3章の「マーガレットのある部屋」が心に残った。詳しくは書かないが、この患者は昔は問題があったとはいえ、いいお父さんだと思う。そして恋人の保母さんが患者を思う気持ちも素晴らしい。
映画日記のことでアニからメールを貰う(と言っても数日前だが)。昔からある方の劇場は、2軒(3軒?)しかないことにあぐらをかいていて、昔から企業努力が足りないと思っていたらしい。アニの地元でも、そのシネコンができて半年で5件の地元劇場がつぶれたらしい。こちらの方も時間の問題かも知れない。詳しくは、こちらや丸山一昭の『世界が注目する日本映画の変容』(草思社)をおすすめしたい。後者はテレビ局の取材を著者の古巣とはいえ、映画製作では余りパッとしないテレビ朝日でやってるのは考え物(観客動員だとフジテレビ、新人の発掘育成だとWOWOWが一押し)だが、とても興味深く、またおもしろく読める。立場は違えど、それぞれが熱意を持って映画に取り組んでいるのがよく分かる。
長野県の知事選挙は今日告示だったらしい。もし私が長野県民だったとしたら、田中康夫に投票するのは嫌だなあ。あんなペログリ(打ってて恥ずかしくなる言葉だ)いわしてる奴が知事になったら、横山ノックみたいにセクハラはしないだろうけど、女性問題で失脚しそうだ。本当にセクハラなどをしなくても、政敵にとって隙がありあり。ボランティアとか市民運動をしているところは買うけれども、性的にだらしのない奴は嫌いだ。だからといって、あの「ミズスマシ知事」の後継者に投票するのも、もっと嫌だな。そしたら共産党候補か、もう一人(余りよく知らない)か、それとも棄権かのどれかだな。って、まったく大きなお世話か。まあ、それだけよその県民にも関心を呼んでる事件だからね。
「いなし系日記(仮)」と言う題はやめました。「いなす」って言葉には、逃がす、帰らすと言う意味もあるんだもの。新しい題は映画『ワンダとダイヤと優しい奴ら』の原題にちなんでみましたが、本当に「だつ」って魚はいます。
後日談(2001/05/16記) 『世界が注目する日本映画の変容』では、テレ朝の事例は失敗例として取り上げられていたということを再読して気付いた。
というのも、今日、ゲイリー・ニューマンの曲を聴いてて歌詞にそういうのがあったから。近頃は彼の曲は余り聴いていなかったが、何となく今日は久しぶりに聴いてみたくなった。私は高校時代、彼の大ファンだった。特に初期のチューブウェイ・アーミー時代の曲が大好きだったが、同級生はユニコーンとかTMネットワークとかのファンが多かったので、みんな私の話題についてゆけなかったのを思い出す(ちなみに私が高校時代に好きだった他のバンドは、P−モデルとソフトバレエ。そういうのも余り仲間がいなかった)。
新書を3冊買う。 『純愛時代』 大平健 岩波新書 『思想検事』 荻野富士夫 岩波新書 『優生学と人間社会』 米本昌平他 講談社現代新書 読んでる時間が無かったので、感想はまた後日。でも『純愛時代』は楽しみだなあ。『精神病理』シリーズで物をめぐる人間模様を上手く拾ってきた著者なので、今度はどんな「モノ語り」を読めるかが気になります。
2000年09月26日(火) |
いなし系日記の始まり |
なぜ「いなし系」なのかというと、一言で言うとダジャレなんだけど(苦笑)、自分は社会人になってからいなすのが得意になったと思うからだった。ちなみに「いなす」というのは質問や攻撃をかわすと言う意味。もっといい題が変えるかもね。だから(仮)なんだけど。 今日は(と言うか、今日もまた)オリンピック中継を放送する店のテレビに目が釘付けだった。昨日の『ニュース23』で見た、『黒い輪』というオリンピックの暗部を告発した本を書いたジャーナリストの言うことを聞くと、楽しんでばかりでもいられないとは思うが、楽しいのである。 特に心に残ったのはソフトボールだった。負けたのはとても残念だったが、それだけ頑張れば、もう負けてもよく頑張った言いたいところだ。 そして最もびっくりしたのが、体操のガラ演技で見た中国の団体競技だった。男性4人だったのだが、最年少の少年を縄跳びにして飛ぶような、アクロバティックな演技ですごかった。さすがお家芸と言うしかない。ただ、その演技がお昼のフジテレビの中継でしか見られなかったのが残念なのだが
後日談(2001/05/16記) ここって、最初は『いなし系日記』って言う名前だったんだよなあ。そういえば。そして、その頃にはオリンピックだったんだ。もう遠い昔のようだ。
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