Blueの日記

2006年01月30日(月) 花を買う


日頃からグリーンは買えども
撮影以外で花を買う習慣がない私は
知り合いのちょっとお祝いの為
ずっと気になっていた小さな小さな花屋に立ち寄る。

店内は畳一畳分あるかないかのスペースに
かわいい花やドライや実モノがギュギュっと
ディスプレイされていた。
この全体小振りさ加減がなんともかわいらしい。

両手のひらにのる位のアレンジメントに決めた。
店の女の子がサービスに
「咲き方がすごくかわいいんですよ」と
一輪のバラの花と葉っぱをくれた。

花をもらうとなんだかドキドキして
事務所に戻って小さなコップにすぐ差した。

なんだかすごくうれしいぞ。



2006年01月15日(日) さよなら、さよなら


最も親しい友のお父さまが亡くなった
木曜の朝方の事だった

葬儀に参列する中で
遠い昔に一度だけお父さまと
酒を酌み交わした時のことが鮮明に蘇ってきた
3才程になる初孫の写真を
とてもとてもうれしそうに見せて下さった
その彼女も随分大きくなり
お父さまの写真を抱いて
御遺族の御挨拶の場に立っていた

人の命は永遠ではない
そんな当たり前のことを
この先何度も大切な人を失いながら
脳味噌のどこかにすりこんでいくのだろうか

車に乗り込むと今日の気候は4月上旬並ですと
ラジオのDJが言っていた




2006年01月08日(日) 湯葉の味


何気にまわしたチャンネルで
京都の食だと歴史とか、色々やっていて
見ている人が行ってみたくなるような
そんな映像が流れている
よくある旅番組だ

ただ京都だったから何となく
見入ってしまったのかもしれないが、
実際産まれた時からお年頃まで暮らした京都とは
別物のようで、いや、きっと今もそこに
身を置く人にとっては特別ではない風景
ばかりだとも思うし
暮らしてた頃の自分もそうだったし。

そして京都を離れてから住んでいた以上の
年月が流れている自分も
仕事や遊びで京都に足をおろしたとたん
懐かしいのではなく
全く知らない土地に舞い降りたような
少し不安でわくわくする感覚も味わってきた

その中である映像をきっかけに
涙がぼたぼた落ちて来た

特別悲しいやら感動やた全く関係なしなのに
祖母を思い出してしまった
祖母が大好きだったのかはわからない
が、織物をしている姿は飽きることなく
その傍らですっと見ていた
気の遠くなるような長さの織物を
一定のリズムで薄暗い光のなかで
カラカラ、ザッザッ、シャッ
繰り返しほぼ均一にその音が延々続く
まるで機械がくりだすように時間差なく

けれど絵模様に入るとその均一さが一気になくなる
1ミリ2ミリの幅で違う色の糸を
爪でキュッキュッと寄せて行く
祖母は何も話さない
子供の私も何も話さない
子供ながらに声を発してはいけない気がしていた

代々父の家系には墓に刻まれる男性の名は無かった
唯一祖母の弟で戦死したという方の名だけはあった

おじいちゃんもひいおじいちゃんもそのまたおじいちゃんの
話しを聞かされることはなかった
父も自分の父親の顔を知らないらしい
理由はわからないがとにかく女がきつかったからだと
根拠もないことを私の母は言っていた
私は母にあまりなつかなかった。
祖母の側にいく私を快く思っていなっかたのも
子供ながらに感じていた。

祖母の織物をしている寡黙な横顔が
その横顔が目に焼き付いて忘れることは無い

もうあの頃の子供ではない私は
自分の都合のいいように祖母の生きざまを解釈するけど
でもあの強さは半端では無かったのは本当で
そうでありたいと
あたしもそうでありたいと
ぐしゃぐしゃの顔でテレビに映る老婆を見ていた



2006年01月06日(金) あけたね


あけたさ
ほぼ6日前にね

にしてもなんだな
年々イベントごとに無関心になってくるのな
っつか今回は右腕がずっと痛くて
それどころじゃなかったのかな
年賀書くのも苦痛でしかたなかったもんな
まだ痛いしカメラ持つ度の痛みが怖いな

去年のこともちらっと振り返って
あの人に連れてってもらった展覧会がイチバン強烈だったな
もっかい一緒にビールが呑みたいな
今年もまた会えるかな
新しいいい出会いもあるかな

今夜はまた雪が降るようだな


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