夏の日の江夏@東京ドーム - 2004年07月26日(月) モルツ球団VSワールドパワーズの試合を見てきた。 往年のスター選手が結集したこの試合。 江夏ー田淵の黄金バッテリー復活。 54歳村田のMAX136キロ。 元祖若大将・原の2塁打。 亀山努のヘッドスライディング。 田尾安志の三塁打2本。 池山のギャオス内藤からの本塁打。 ブライアントの本塁打。 まさかの坂東英二登板(5球)。 定岡正二のエラー。 などなど、見応えてんこ盛りの試合だった。 平日にもかかわらず、東京ドームのスタンドは満員。特におじさん世代の人たちが目立った。宣伝媒体として起ち上がったモルツ球団だが、日本球界において、このチームの存在意義は大きい。 - 「THE ROCK ODYSSEY」 - 2004年07月25日(日) 「THE ROCK ODYSSEY」に行ってきた。 横浜国際競技場にステージが設置され、席はアリーナ席とスタンド席がある。 僕はアリーナ席の一番ステージ寄りの席で見れた。 まず、歌に感動した前に、横浜国際競技場のピッチに立てたことに感動した。って言っても芝生はシートで隠れてしまってるけど。 HY、トラプト、ブラック・アンド・ピーズ、ラルク、レニー・クラビッツ、レッチリ、矢沢永吉が登場。トリの矢沢のパワーはすごかった。 コアな矢沢ファンのオーラもすごかった。僕もタオルを上に投げまくった。これから先、矢沢のライブを見る機会なんてそうそうないと思うので、見れてよかった。 レニー、レッチリもめちゃかっこよかった。 ラルクは完全に浮いてた。 - キャリアデザインって? - 2004年07月23日(金) 去年の秋、とある就活講座で「再来年就職してから、定年を迎えるまでの約40年間のキャリアプランを紙に書いてください」と講師から言われた。「あほか」と思った。 今日、インターンでお世話になった野村さんの事務所にバイトしにいったのだが、野村さんもそういった講義を行っている就活講座に疑念をもつ一人だ。野村さんは大学卒業後、リクルートに入社し主に雑誌の編集に携わり、「アントレ」の編集長も務めた。昨年退社し、経済産業省が出資する「ドリームゲートプロジェクト」のメンバーに加わり、今年の春、ネット事業を行う会社を自ら起ち上げた。 今年のリクナビに、キャリアデザインに関したコラムを野村さんが担当することになり、そのことについて少し話をした。「サラリーマンになる気なんて大学時代になかったし、まして編集者なんて考えたこともなかった」。「就活情報が錯乱してるから、学生たちはそれに振り回されてる。就活って大人にとっては今やビジネスとして定着してるから、大人の陰謀に学生は惑わされちゃだめだよ」。「今の自分は、その時その時に感じたことを素直にやってきた結果。だから自分にとっては数十年後のキャリアデザインを描くなんて馬鹿げてると思ってるよ」。 2年前、うちの大学にキャリアデザイン学部というものができてしまった。 ダサいし、安っぽいし、専門学校っぽいし、言いにくい。ほんとに安易な考えに基づいた学部だと思う。人の人生って、その時に起こる風向きや、縁や運、時代の流れによっていくらでも変わってくるものだ。そういったものを受け入れ、あるいは反発し、強さを身に付け、その上にキャリアってものが存在してくのだと思う。 リクナビっていう最大の就活サイトで、反キャリアデザインについて語る予定の野村さん。ん〜、かっこいい。 - がんばれ、多田野 - 2004年07月22日(木) 先発ローテンション入りが見えてきた。 インディアンスの多田野がエンゼルス戦で好投を見せた。 9回2死から救援投手が同点にされ、つかみかけた2勝目はするりと 逃げたが、ウェッジ監督の多田野に対する評価は確実に上がった。 メジャー2年目の、日本でプロ経験がない投手が名門インディアンスの ローテに食い込もうと頑張っている。もはや雑音を気にする多田野の姿は そこにはない。 立大4年の時、東スポが一面で報じた「事件」をきっかけに、多田野は 横浜からの指名を回避された。聞いた話によると、その報道があった後も 横浜は多田野を指名する方向に話は進んでいたらしい。しかし、親会社の TBSの社長が「イメージダウンになるからダメ」と言ったらしい。だから アメリカに渡った後、数年経てば理解力のあるオーナーがいる日本球団に 入団するだろうと思っていた。 が、たった2年でこれだけの実績を上げればこれから先、メジャーでの 居場所を確立していくに違いない。心の器が大きいアメリカの球団を多田野 が離れたいと思うはずがない。今考えると、多田野にとって渡米は正しい選択 だったのかもしれない。 高校野球の地区予選も盛り上がってきた。多田野の母校・八千代松陰も順当に 駒を進めている。僕の母校も今日が初戦で、無事に一回戦突破。去年は決勝で 破れたので、今年は雪辱を晴らしてほしい。 兵庫県予選で、甲子園球場を使用していた。4年ぶりらしいが、どうも理解で きない。まあ、一人でも多くの球児に甲子園経験をさせたいという考えは容易に 想像つくが、それは兵庫県の球児に限定されるわけだ。 報徳学園と播磨工業の選手達は一回勝っただけで甲子園の舞台にたった。 一方、他の都道府県予選では甲子園まであと一歩という決勝まで駒を進め、 そして破れ、甲子園に立てない球児が存在する。地理的な理由で、このような 差別が起こっていることに対して、高野連は一体どのような考えを持っているの だろうか。 -
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