やっぴーの独り言

2001年05月30日(水) 模様替え

 突然思い立って玄関とLDの模様替えを決行した。

今までキャラクター物が多い部屋だったのだが、今回のイメージは『バリ島で過ごす休日』を目標にした。

 バリ島で購入したアタのマットや籠、キャンドルスタンド、絵、バティックなどを出してきて、今まで飾っていた『テレタビーズ』や『セサミストリート』グッズは息子の部屋にお引取り願う。

良い感じに仕上がったので後は息子のあまり使わないおもちゃを彼の部屋(今はおもちゃ置きと化している)に置こうと整理し始めたら、普段は見向きもせんおもちゃを愛しげに抱き『コレはダメ!!コレもコレもコレもゼ〜〜〜〜〜ンブダメ!!」とぬかした。
子供って言うのは頑固の塊で(うちの子だけか?)言い出したら聞かないので結局「バリ風インテリア」&「デコトラ(アートトラック)、ハム太郎ハウス」の混在と言う非常に趣味の悪い部屋になってしまった。

『模様替えなんてしなけりゃ良かった・・・。』





2001年05月29日(火) 好物

私は昔は大喰らいだった。どれくらい大喰らいかというとカプリチョーザとか行くとパスタ(大)ピザ(大)サラダ(大)肉系1品、デザートをたいらげるくらい。もっとわかり易くいうと『某カレー屋』の1300gカレーを食べた事も有るくらい。
でも子供を出産してから食が細くなり食の好みが変わり今では『ベジタリアン』といっても過言ではないくらい180度食生活である。
ちなみに昨日のメニュー

朝ご飯−バタートースト、コーヒー

昼ご飯−ご飯、納豆、漬物

晩ご飯−野菜炒め(キムチ入り)

周りから見ればかなり質素であるが私はこのメニューのローテーションを半年以上くずしていない。かなりお気に入りのメニューである。(もちろん旦那とチビにはちゃんとした食事をつくっている)

しかしたった一つ悩みが在る。たまに外食して鮨や肉を喰らうとVERY VERY HARDな下痢に見舞われることである。






2001年05月27日(日) お洒落さん

私は仕事場(制服あり)に行く時いつもTシャツで行く。
ある日社員の子に『いつもお洒落ッすね〜。普段はどんな服着てるんですか〜』と聞かれた。
んん〜〜私の普段着・・・。昔は気を使っていたのだが今は毎年行くバリ旅行で『VOLCOM』でボトムを2〜3枚&Tシャツを4〜5枚購入してそれを1年間ローテーションで着ているだけ。私ってお洒落じゃない!!
 デモね、言い訳するわけではないけど今流行りの服って子供と行動をともにするには不便なのが多いのよ。
先ず『ベアトップ』あんなものを着た日ニャァまだ乳離れしていない息子がベロンと剥げる絶好のデザインだし・・・。(実際着用した時に街中で剥かれた)
 『膝丈スカート』は買い物に行って傍若無人に走り回る息子を追いかけられない。(スリットが裂けた経験あり)
 あと『ピンヒールのミュール』は子供を抱いて足でもグリッといったら・・・・。
その結果私の定番服はTシャツ&ヒップハングのパンツ&スニーカーに行き着いた。ヒップハングって今流行りだし一見のお洒落さん的なアイテムだが、私の場合ただ単にヘソピアスをしているので股上が深いと当たって痛いからとい全然お洒落さん的な発想から来たアイテムではない。
先日友人からもらったTシャツを着ていたら街で『何所で購入したんですか?』と聞かれた。私は???と思い、後からそのTシャツは何ぞや?と聞いたら『SPARK』というメーカーで有名人もよく着ているとの事だった。
全然知らんぞ(汗)
私は友人から貰う服で何とか流行遅れにならないでいる事を深く感謝するのであった。

そーいえば2〜3年前に違う友達が『ARMANI EXCHANGE』の服をくれた時も『ふ〜ん、アルマーニのパッチモンか』と思いながら着用していたお馬鹿なワシ・・・。
 



2001年05月26日(土) 結婚

私たち夫婦は結婚して7年になる。
食の好みは違うし、寝室は別々だけどまぁ大きな問題もなくそこそこ良い関係かなぁ。
 私と旦那は知り合って2ヶ月で婚約3ヶ月で入籍(結婚式はその1ヵ月後)という周りから見れば『子供でも出来たの???』と驚かれるぐらいのスピード結婚でした。

 私が某EXPOでコンパニオンをしていた時、旦那が友人と来ていたのを私の友人が拉致してきたのが最初の出会いである。私の友人が「私だったら彼氏もいるので安心だろう」と彼らとの飲み会に連れて行ったのだが、その期待を裏切って私と旦那が意気投合して付き合いだしたのだ。(もちろんその時付き合っていた彼氏とは別れた。2股かけるほど器用じゃなかった私。)

 それから旦那は暇さえあれば私の家に来た。そしてあれよあれよと言う間に婚約。
 両親は出来れば『見合い結婚』を望んでいたが言い出したら聞かない私の性格をよく知っているので渋々OK。私の親らしく『返品、交換(誰と?)はお断りだよ』という洒落までかまして。

 結婚ってタイミングとよく言われるがまさにその典型的な私の結婚。
周りにはサル並みの脳みそと言われている私にふさわしい話である。



2001年05月24日(木) 怖い話

聞くだけでゾクゾクする話がある。
先ず1つめ
 知人が1人でサーフィンへ行った。その日は波が大きく案の定、彼は激しく波にまかれた、まかれれている最中にボードが戻ってきて腹に激突。(フィンに当たったらしい)かなり長い時間まかれて彼は岸まで流された。
『オォォ〜助かった』と喜んでボードを持って岸を歩いていると、彼の足に何かがピタピタとあたったそうな。『んっ?』と思い足元を見ると、自分の周りが血だらけで腸がだらぁ〜〜んとぶら下がっていたそうな。
 彼はその場で倒れそれを発見した見知らぬサーファー君が救急車を呼んでくれて命は助かった。が、出血多量&腸全開でかなりやばかったらしい。退院するまでに半年かかった。サーフィンはきっぱり辞たらしい。
 彼曰く『人生観が変わった。命有っての自分』

さて次の話。
友人(女)で腕に30センチほどの複雑な形をした傷を持っているヤツいる。
何故この傷が出来たかというと、彼女んちは『クリーニング屋』で中学生の時母親に脱水機から洗濯物を出すように頼まれた。
友人と約束があった彼女は早く終わらせたく脱水の終わりかけでスピードが徐々に落ちかけた業務用脱水機に『ぐっ』と腕を突っ込んだ。
 その瞬間、あらぬ方向に腕がぐぉきっっ!ぐぉきっっ!1回転以上した。
 関節の所から骨が2箇所程飛び出して手がブラ〜ンとなったらしい。
 そんな彼女は今『クリーニング屋』の若女将として頑張っている。

最後は私の話。
私は子持ちである。息子を出産した時の出来事。
陣痛は痛い。すんごく痛い。だって生む時に***を麻酔なしで切開しても全然痛く無いくらい陣痛が痛い。でもそれ以上に痛い事があったのだ!!
 子供も無事出産して『ア〜終わった』と一息ついていると。先生がおもむろに私の***に『ぐッッ』っと手を入れた。
そして私の10ヶ月間もの労働を終えた胎盤を手で剥ぎ始めたのである!!
お腹の中でバリバリと言う感触を感じ激痛が走る。先生曰く「自然に後産を待つより、剥いだ方が胎盤が体の中に残らず産後の肥立がよい』との事であった。
 『アレは陣痛の10倍は痛かった。』
余談であるがうちの母もその先生に私を取り上げてもらったので、『胎盤剥ぎ』経験があるらしい。
が、それよりその先生にしてもらった子宮筋腫のオペの時、途中で麻酔が切れて看護婦さんの手を握って知らせようとしたのだが気付いてもらえず、結局最後まで麻酔が切れたままだったのが1番痛かった。と語っていた。
 おお〜〜〜〜こわっっ!! 



2001年05月23日(水) 果たせぬ夢

私は飽き性だ。
それの証拠に仕事をコロコロ変えている。
最初は保険会社の事務(1年)、エステティシャン(半年)、ネイリスト(1年)
今は飲食店店員。今の仕事は何故か2年程勤めているがそろそろ辞めようかと
思案中・・・。

その中にず〜〜〜〜っと続いている仕事がある。司会の仕事である。
イベントコンパニオン時代を含めると12年!!我ながら驚きである。
何故其処まで続けられるのか考えてみた。やっぱり1番はその都度仕事内容が変わるという事である。ある時は『お子ちゃま』をなだめて喋らせそして又ある時は
カラオケ大会で『ジジ、ババ』をヨイショ!!ちょっと華やかにステージでの
ナレーター。

 でも最近それにも飽きてきたと言う事で結婚式の司会なるものにチャレンジしてみた。結果は・・・?
 面白い!!と言うか感動する!!でも情に厚い私は感動しすぎて途中で泣いてしまう失態をやらかした。オォォ〜〜〜〜〜『プロ失格』

確かに私は泣き上戸である。選挙でうぐいす嬢をした時は最終日の2日前くらいから泣いていて『最後のお願い』の時は泣きすぎてリバースした。(ゲロッたってこと)イベントとかでも5日間ぐらいのものになると、最終日カメラ小僧なんかに
写真を渡され『お疲れさん!!』なんていわれた日ニャ、化粧が溶けるのもかまわずにボロボロである。

 まぁそのような仕事は年に5〜6回あれば良いほうである。

 しかし結婚式は1日にハードな時は2回こなしたりするモンである。その度に泣いていたら私の1生分の涙を使い果たしてしまって親の葬式に泣けなくなるのではないか・・・。と言う恐怖すらおぼえてしまう。
泣きたくないからという訳でもないのだが、とにかく結婚式の司会は、自分に合わないような気がして、それ以来よほど頼まれない限り辞退している。
感動を無駄使いしたくないという意地汚い考えも手伝っている。
 でも司会の仕事は好きなのでまだ当分は続ける予定。

最近気にになる職業それはズバリ『夜の蝶』
である。
 旦那には『スタート地点に立つには遅すぎる』と笑われた。
果たせぬ夢である。








2001年05月22日(火) 初体験

私の旦那はコギャルが大好きだ。
んでもってギャルママも大好きだ。
しかし私はコギャルでもギャルママでもない。
よって旦那は外に目を向ける。でも素人さんは家庭を壊すかも・・・という不安があるのかひたすらギャルがいるスナックで目の保養をしている。
あちらさんはオダテテなんぼの世界なのでとても気分良く過ごせるらしい。
それに比べると素人さんはやたらと高飛車で気分が悪くなるらしい。

明日旦那は近所にオープンする『キャバクラ』なるものを初体験しに行く。
噂によると其処にはパッツン パッツン
スーツを装着した、20才くらいの方が50人ほどいるらしい。
何を勘違いしたのか『セクシーダンスタイムってあるのかなぁ』と友人に聞いていた。

『よかったねぇ。ダーリン34歳にもなって初体験があるなんて。』
と言いながら軍資金を渡すべきかどうか悩む私である。



2001年05月08日(火) う〜・・・・・

風邪ひきさんが治らない


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