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:::2009年03月27日(金)
:::難民?




先日内定通知書と詳細な給与についての決まりごとなどの書類を内定先企業からいただいて、その際思ってたのとちょっと違うじゃん!というところがあり(年俸いくら、と聞いていたのが見込みの金額で実際は変動する額だった)、ちょっとしょんぼりしつつも今更翻せなくています。


1社目の時は求人票の内容と相違ない契約で、それ以降は派遣で時給しか関係なくて気楽でしたが、今回正規雇用になるにあたって自分でいろんなことをしなければいけない段になって、ピンはねされまくりと思っていた派遣も楽といえば楽だったんだな、と思い返しています。


先述の給与についてがちょっと見込みと違ったため、住もうと思っていた物件のお気に入りからさらにランクを落とさなければいけなくなり、住居探しがちょっと大変&へこみます。これまで住もうと思っていた街だとゴキと暮らす家をコンセプトにしたような所しか住めないので、全体的に地価の安い地域に視線を移しています。


そんなこんなで来週末にかけて上京して物件を探索することになりました!
彼が結婚後初めて弟の家に泊まります。弟の奥さんにダメ姉と思われないようにがんばろう。そして小さな甥にも初めての対面です。
故あって弟と実家(というか親)がうまくいっていなくて、ずっと会えなかったのだけど、これをきっかけに少しずつ普通に接することができるようになるといいな。


それはいいのですが、その日程の中に会社に行って書類関係を片付けたり詳細な説明をもらう日を設けていたのに、急に「終日予定が入って〜」と別途再来週日程を調整して来てくださいと本日言われてしまって超困っています。


数日だったらネットカフェ難民をした方が新幹線代(一往復2万円分)が楽だろう、でもちょっと怖いな、とか。高速バスは変な事件が先日あったのでちょっと怖いな、とか。
小さい会社なので社長が事務手続きの仲介をしてくれるのですが、そのせいでものすごくひと作業、一連絡に時間がかかって困ります。外出の少ない事務方の他の方にお任せしてくれたらいいのに。。
お金の話をするといやしい感じですが、予期しない上京だったために今の自分にはホントお金がなくて悲しいです。働いている同じ年代の人たちならそのくらいなんでもないんだろうか……。私ってけち?でも、もーもー、軽々しくまた来てねって言わないで欲しいです。



:::2009年03月22日(日)
:::ガンマン




今日は午後から、上京しますのお知らせ第一弾を方々に送りました。
張り切っていっぱい書いたものだから、返信をたくさんもらってそれに返して、と超早撃ちメールを体得した気がします。


これだけたくさんお知らせメールを出すとさすがに上京がダメになりました的なことはないよね、という気持ちになってきます。だんだん物件探しに不動産屋さんに連絡を取ったり、出社日が決まってきたりと現実味を帯びてようやく、私上京するんだという気分になってきます。
ずいぶんのんびりな生活を送っているので、また忙しない生活に戻れるかちょっと不安ですが自分を叱咤激励していかなければ。


東京に面接に行った日、東京駅で降りて意気揚々と歩き始めた時、一人のおばさんがものすごい勢いで走ってきて、私に体当たりしながら両手で私をつかんで横にぐいっと押しのけてきたために転びそうになってしまったのですが、あれに象徴されるようながっかり体験をまたするんじゃないかと、8年(位?)東京にいて1年離れただけのくせに「東京は怖い所だ」的な田舎もの発想が出てきました。
次の職場でもいい人たちに恵まれるといいなあ。そして今度こそ私も与えることのできる人になりたいと思います。とりあえずは挨拶から!


今日久しぶりにたくさんの人とメールして、お祝いの言葉をもらったりしつつ近況を聞いたりしていたのですが、みんな着実に人生を歩いている感がすごくあって、今更就職で小躍りしている自分って一体……という気分にちょっとなりました。遅いよ!
結婚して子供がいる人や、職場でキャリアを積んでる人、新しいステージに進みつつある人、いろいろで、まぶしい。私も今度の仕事で腰を落ち着けたら、恋愛をがんばるとか仕事以外で自分を磨くとか、そういうことをしたいなあと思います。しばらくはまたぺーぺーからのスタートなのでそんなこと言ってられない!かもしれないけれど。


自分がなぜしっかりできないのか、色々考えていて、ひとつに、今までの仕事などの周りの環境が、全て自分より年上の人のみで構成されていたからでは?ということに気づきました。そして次の職場でも私は最年少になります。
なんとなく、後輩扱い、子ども扱い的な感じで今まできたので、大人の女よフフン的な立場になったことがなく、そのためいつまでも後輩キャラなのでは……という気がします。もうすぐ28だって言うのに後輩キャラって。
この一年実家でおばさん扱いされてやたらショックだったのも、それがあるかもしれない。でも実際いい年になっているのだし、これからは落ち着きとかしっとり感なんかを身に着けたいと思います。



:::2009年03月10日(火)
:::成長




いつ頃から向こうに行かなければいけないかが大体分かってきたので、住むにはどのあたりがいいかな?の相談を弟にしていた今日。


弟は営業マンをしているのですが、しばらく見ないうちに(電話なので見てはいないですが)なんかやり手みたいな口ぶりになっていて、あれこれ不動産屋さんとの対峙のコツなどを伝授してくれました。
私のこれまでの引越し経験を振り返るとだいぶなめられていた!っていうことが分かりました。。女性だから?学生だったから?分からないけど、オーラの問題だろうか。いまさらながら情けない。


淀んでいた流れが一気に流れ始めて、こういうことが苦手ののほほんな私はついていけるか心配ですが、これから一人で生きていく大人の人間として、何とかしなければ。と危機感を覚えました。


会わないうちに家族を得、さらに一戸建ての家までゲットした彼の自信満々の口ぶりに、正直おおっと遅れを取った感や私こんなんで独立して生きていけるのかとか、ものすごく心配になってきました。2つも年下の弟がものすごく「まっとう」に人生を謳歌しているのに私の悩みレベルの次元って……。


利便性や街の治安のことを訪ねながらおぼろげにあのあたりにしようかな候補がいくつか出てきたので、これからは楽しい物件検索タイムです。
実際に不動産屋さんと対峙するのは弟の話を聞けば聞くほど怖くなってきますが(そこまで交渉できないよ!)、がんばろう……。



:::2009年03月08日(日)
:::たぶん、おそらく




前回は、内定もらえるけど条件面で交渉するからダメになるかも……、というところで止まっていたので、続々報を。


結局このご時世なので、いったんこの条件で採用すると社内で協議した後に上げるのは難しい、と、私の給与交渉はNGで終了しました。
予想していたことですが、このご時世、とか苦しい状況、とメールで来ていたので、どの程度の苦しい状況にあるのかなど今後の見通しも含めて率直に社長とガチ電話してしまいました。
その前に地元友達や先方の会社に紹介してくれた現社員の知人に、社長の反応から私を採用することへの本気度合いを相談して、その位の質問なら大丈夫だろうということでそうしたのですが、自分をアピールすることがメインだった面接より緊張しました。


結果的には条件の改善は難しかったですが、その代わりに会社の状況についてかなり詳しくかつ正直に教えてもらえたので割と好印象。また昇給の基準についても確認できました。
あとは自分がそれを受けて、この会社に行くかどうかというところなのですが、色々考えて妥協できる範囲だと思ったので(イマイチな条件を仕事内容や勤務地、会った社員さんの雰囲気といった好材料が凌駕した)、さきほどお受けしますとの連絡を入れました。


これであとは人事の人との手続き関連の調整と、一度また上京して書類を交わすような手順を経て入社という流れになると思います。会社自体がつぶれるとかの想定していない事件が起こらない限りは。。
でもまだ手元に書類がなかったりなので、やっぱり実感がわきません。どれだけ心配性なんだろう、私は。という風に思いますが、それには理由があります。
去年リーマンショックに端を発する不景気の波で、父の力でいつでも入社OKとなっていた企業が軒並み人員削減になるから新しく入れるのはそれらの調整後になるけど、とか、OK自体がNGになったりと、オセロで一気にひっくり返されたみたいに状況が一変するというのを経験してしまったからです。
今回の企業は不景気を受けた今、私の正直な所(これまでや能力、考えていること)をすべてとはいいませんが8割くらいはお話した上で採用していただけたので、不景気だからやっぱりなし、は多分ないとは思っています。でも心配なものは心配なんです!


もう日がすごくあいてしまったし誰も見ていないだろうと思っていたこの日記なのに、それを見て何人かの人からお祝いのメールをいただいて、先走って書きすぎた!っていうかなんでこんなに放置してたのにすぐメールが!?と驚きつつもとても嬉しい気持ちでいます。
そんな人たちに「やっぱりなしになりました」なんて知らせたくないので、このまま順調に行って欲しいです。
毎回、ダメかもしれない状況だと書くのはウザイので、心の中はともかくこれからはダメにならない限りは受かったものとして書いていきます。




このまま順調に入社が決まったら今度は住む所探しです。
どの街?から始まるほど全く決まっていない上に、上京資金が乏しい中でのことなので入社日にできるだけ近い日付で引っ越す必要があるため、すぐ動くわけにも行かず、まだお部屋探しサイトをちょっと眺めた位の段階です。
少しでも節約したいけど前の部屋みたいにボロ過ぎる(私より年上)のは地震や泥棒が心配なので難しい。時間もない。でもがんばって見つけなければです。


また、そうした手順だけでなく、上京そのものに関して悩んでいたけれど、よく考えたら私が(家庭の事情はあったにしろ)帰ると決断したのはいつまでも正社員になれる見込みもないままに派遣生活を続けていくことに未来が見えなかったのも大きな理由です。
それが今正社員で東京で働ける状況になったということは、シンプルに考えれば私が心配していた主な問題が解決したということです。実家にいるうちに両親のそばにずっとついているべきでは?とか新しく考えることが生じたけれど、それは帰郷せずに東京で働き続けていても考えるようになったことだと思います。
それではもし帰郷せずに東京にいるうちに正社員になったまま今に至っていたら、両親のそばにいるべきでは?ということだけで帰ると決断するだろうかと考えると、それはNOだと思います。


親不孝な考え方かもしれないけどまだ両親は若いし(50代中盤)(でも最近もう老い先短いとか言います……)、両親が心配というだけできちんとできている生活を捨てるのは、私は(去年の家庭の事情クラスのものが生じない限りは、生じたとしても?)できないと思います。
だから迷っていたけど私はもやもやを全て解消とは行きませんが、だいぶすっきりとした気持ちで上京することに決めることができました。


今私にできることは、両親が私の心配などしないくらいに充実した生活をこれから送ることだと思っています。
傍にはいないけれど、あの子はあの子で幸せにやっているんだから、と安心してもらうことで、ひとまず20代での恩返しができたらいいな。



:::2009年03月04日(水)
:::続報




前回の日記から若干日があきましたが、今後についてほぼ固まってきたので続報を書きます。


結論をまず書くと、5月くらい?からまた東京で働くことになりそうです。
前の日記を書いてからまた少しあって、ふたつの会社の面接を受けさせていただいての感触と、家族との話し合いと、私自身がどうしたいのかについてと。
いろんなことから上京を決めました。


以下、順を追ってそこに至る経緯を。


決めた、といっても、消去法ということもできるような感じです。父の知人を通じて紹介していただいた企業での面接とその後の対応は、私的にちょっとないな、というものだったのです。
面接内での詳しい話は伏せますが、その企業の商品が好きで面接にたくさん人が来るけど使えない人が多い、のようなことを人事の方が笑い話にしていたり、数日で結果がくると言いながら面接後半月近く何の音沙汰もなく「落ちた?」と思ったら二次面接のお知らせが日にち伺いではなく決定事項として送られてきたこと(すごく近い日程)、など。私的にはちょっと失礼だな、という感触でした。


東京の企業の面接では社長を紹介していただいたので直接お話をさせていただくことができました。
印象としては、ものすごくいい!というほどではないけれど、自分が面接にあたって、入社したら扱うことになる仕事について調べていて確認したいと思っていた箇所について質問して返ってきた答が、自分の予想したものだった、というか、方向性が似たような感じというか……。説明しにくいですが、とにかく、働いた時の自分の様子が思い浮かびやすかったり、こういう風に提案していこう的なビジョンが思い浮かぶ感じでした。
仕事内容についても、派遣時代にやっていた仕事の進化バージョンのような仕事で、さらに私の志向を汲んだ形で他部署を兼務しながら経験をつむことができるような内容です。


ただ、東京の企業の方は地元企業(コネあり)とは違って他の候補者の人もいるので落ちる可能性が高く、微妙だった地元企業に否応なく行くことになるかも、地元を断って他を探す?でもなあ……という状況でした。


そこに、東京の企業の方からも採用のご連絡をいただきました。
ただ、面接時に最低でもこれくらいは、といったその最低年俸の金額での提案だったので、また悩みつつ(受かりたくて生活が少し苦しいレベルの額を言ってしまっていたのでした)、給与の交渉をしつつ上京しよう、ということに決めて、現在交渉中です。
採用内定は出ているけど給与交渉で「やっぱりナシで!」と切られる可能性も無きにしも非ずですが(もしそうなったら悲しいどころじゃないです!)、社長さんに是非一緒に働きたいです、といっていただけたので多分大丈夫と信じています。
条件面などが決まったら出社日などについての調整に入り、引越しをして、大体5月位から働き始める予定になりそうです。


まだ本当に上京できるのか自分で疑っている部分があるので(笑)具体的な出社予定日が決まるなど現実味を帯びてきたら、実家に戻る時に知らせた人たちにまた上京しますの連絡をしていこうと思っています。




今まで、この1年やその他たまに数ヶ月ずつ行ってきた転職活動で、馬鹿にされたりセクハラまがいのことを言われたり、最初から相手にされなかったりと自分の無力さを痛感してすっかり自信をなくしていた私にとって、人からの紹介ではありますが父のコネでなく正社員での採用通知をもらえたことは、正直まだ信じられなくて、でもとても嬉しかったです。
あんな、どう考えても人生アウトな状況から選べる立場になるとは思わなかったです。


約1年前に実家に帰ることを決めたときには、希望したとしてももう実家近くから離れることはないのだろうな、と漠然と考えていたのに、何もかもがちっともうまくいかなかった1年を経てこんなに早く、再び上京することになるなんて全く考えていませんでした。
すべて自分の会社で人が必要になった時に私のことを思い出して紹介してくれた知人のおかげだと思っています。前に一緒の職場だっただけで、あまり仕事上の接点がなかったのにずっと気にかけてもらえて、本当にいい人です。


またもう一人、今回の就職のことで、色々相談に乗ってもらった地元の友達もいます。
東京の企業の方で採用通知をいただいた際に給与交渉をしていいような状況かどうか分からず(むしろしたら切られるんじゃ……)と思って、「年俸○○円か無職更新かどっちにしたらいいの?」とテンパって泣き顔の顔文字つきメールを送ってメッセで相談に乗ってもらったのですが、私がネガティブに受け取っていた自分の状況を、客観的に見ればものすごくいい状況なのだとずっと説得してくれて、とても元気をもらいました。


彼女が以前転職する際に話を聞いていたのですが、その時と逆だね、といいながら相談に乗ってくれて、最後に、「あなたから泣き顔付きのメールが来ると思ってなかった、でも嬉しかった」と言われました。
私と彼女は小学校からの付き合いですが、そういえば切実な相談をするのは初めてでした。私は日記でも分かるようにふらふらしててすぐいっぱいいっぱいになってしまう性格なのですが、あまり外に出ないらしく、相談事もほとんどは自分で何とかしようとする傾向があるようです。
彼女はいつも自分の相談ばかりだったから、自分が相談を受けることができて嬉しい、ちょうど自分は自信を失っている時期だったから余計に、と言ってくれました。
そんな風に思っていたなんて、と意外で、切羽詰らなくても時には周囲に相談することもありなのかな、と思うきっかけになって、そういった意味で彼女にとても感謝しています。


うれしい、というより、本当に?後でやっぱりなしって言わない?という状態での日記ですがなんだか浮かれた内容になったような。
これでダメになったらすごくかっこ悪いですが、このままうまくいきますように、という願いを込めて、言霊的な意味をこめて。


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