きのう、私の棲息地は雲っておりました……。 おかげで徹夜の意欲も1:30には失せ、さっさと眠りました。
と、言う訳で今日は起きてみます!! 見れたらいいな。 見れるのかな。 獅子座流星群の話題が出るたびに、小学校(中学?)の国語の教科書に出ていたおばあちゃんと僕の話を思い出します。
流星群の夜に、くもり空を見上げて僕が。 「うわーーん。今度僕が見れるのはおじさんになってからだ」 って喚いて泣くんです。 そしたらおばあちゃん(この人が、またはちゃめちゃなのv)が、ばしーんって、男の子をひっぱたくの。 男の子とおばあちゃんは結局仲良く帰って行くんだったかな。
可愛らしいですよね。 今日見れたらいいな。
既に秋からもう、冬と言ってもいい時期になっているけれど。 スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋……いろいろあって。 そうして、大抵夏バテの食欲不足の反動のように、秋になるととってもたべものが美味しくて美味しくて、たくさん食べたくなってしまう。 または、だらだらとたべものを口へ運んでしまう。
そうやって、ご飯やお菓子を気の向くまま、食慾に任せてだらだら食べていると(そして、うっかりそうなってしまうのです……/涙)。 ふっと思い出すのです。 つい最近、テレビの何気ない番組で誰かがさらりと言ったこと。
「食慾って、言ってみれば本能でしょう? その本能、つまり慾をね、綺麗に昇華しているひとは素敵だよ。 綺麗にものを食べるひとは綺麗だよ。 慾に、落ち着いて美しく素直に従えるひとはとても綺麗だと思う」
みたいなこと。 いいえ、本当はもっと簡単な言葉で、ここまでは言っていないのだけれど、私は拡大解釈してこういうことを言ってるのかしら、と瞬時に思ってしまったのです。 ものを食べる行動は本能に近いけれど、それが美しいひとほど慾が綺麗。 ……みたいなことかしら、と思って。
良く思い出します。 私の食べ方は綺麗かな、気持ちいいかな、綺麗な慾に見えてるかなって。 そうして、自分を反省します。
予想外におやすみが頂けたので、予想外にゆっくりしていいことになったので、とっても嬉しくて、思う存分ゆっくりするつもりです。 出無精だから、もう家に居れるのが嬉しくって。
えへへ。 久し振りに図書館にでも行ってみようかしらん。
誰にだって、何の脈略もなくふと思い出す出来事というのがあると思うのだけれど。
ふと今日思い出したことがある。
どうしてだったっけ……ああ、電車の中で、誰かの読んでいるスポーツ新聞が目に入ったんだった。競馬の記事だった。
競馬……私は、負けるのが嫌いなので、賭け事はしない。
だから、競馬もただ人が馬に乗って馬を走らせてその早さを競っていて、それに乗じて金が動いているものだ、という認識しかなかった。
けれど、その人は言ったのだ。 テレビの競馬中継をぼんやり眺めながら。
「…馬って本当にきれいに走るなぁ、」
驚いた。
そうか、馬が走ってるんだ。
人が馬を走らせているだけじゃなくて、馬が走ってるんだ。
……そう言われて見れば、確かに綺麗だった。
言葉がしみじみと沁みて、切なかった。 身体を病んでいる人の言葉だったからかも知れないけれど。
そのうちそういう気持ちで競馬中継を見る時が来るのだろうか、なんてありがちなことを考えてしまう。
そういう想い出。
実を言うと(?)、私は自分に甘く人には厳しい。 とは言っても、だれでもどうせ、突き詰めりゃそうなるでしょう?
という話は置いておいて。
人柄、というものについて。 私は、賢い人が好きだ。頭を変な風に回転させて、突飛な事を言う人が。そして、その突飛さが本当に賢さに裏打ちされているな、と感じる人は筋が通っていてとてもいいな、と思うし、憧れる。そうなりたいと思う。
私の言う賢さ、というのは学問的な賢さではない。 もちろん、私は学問的に頭の切れる人だって大好きだ。けれど、それだけではさっぱりだめで、そこに一種の「常識」を持っていないと、全然好きにはなれない。 ―――要は、そこだ。 私は「常識」を持っていない人を見ると苛々する。
それこそ、世の中にはいろいろな種類の常識があるけれど、私に言わせてみれば一番大切な常識は「自分の最低限の責任は果たして、それ以上他人に迷惑をかけすぎないようにすること」だと思っている。 この一点。全ての常識と言うのはこの一点に集約されると思う。 この一点がある程度クリア出来ない人は、それだけで私にとって価値が下がる。
特に集団行動というときにはそれがとても肝心で。 あまりに多すぎる集団ならまとめるのは無理、という諦めもあるし、サポートする人数も豊富にいるからいいのだが。 数人でやっている作業で、いくらその日のノルマが少なくてひとりくらいいなくても大丈夫な時でも、「今日の作業はおれいなくても大丈夫でしょ」って言って来ないとか、そういうのが本当に許せない。 確かに忙しい時に休むよりもいいのだけれど。 それ以前に、このほんの数人でやっている作業で、ひとりがいないということがどれだけ責任を放棄している事になっているのか、分かっているのだろうか。
……なんてことを、自分が迷惑を被った訳でもないのに、人に軽く説教してしまった自分がいて、本当に私は他人に厳しいんだなあ、と思ったのだった……。
新しい事がしたくてたまらない。 それは、この店のことについても。何にしても。 不意にそういう衝動が起こって、けれど、「〜みたいなのがしたい!」と思いつくだとか感化を受けるとかいう程度のことなので、何せネタがない。
とてもとてもしたいのだ。 新しい事が。 なのに!! どうして私の頭は容量が限られていて、思いつかないんだ〜〜!!
なんて。 今日はひとりウィンドウの前でこっそり身悶えていたのでした。
ふう。
実は私には、「CDを買う」という文化がない。 あまり音楽に対して大きな関心がないものだから、CDを借りてきてMDに落としてそれを聞くだけで充分だと思っている。 だから私の持っているCDは数少ない上に、良く訳が判らない。
テンションが高く(?)なった時にふらふらCD屋に行き、むやみやたらに視聴しまくって満足して帰る、と言う事もやっていたけれど。
何気なく視聴して思わず挙動不審になってしまったCDがある。 すぐ買いましたけどね(笑)。
“libera”というボーイズ・クワイアグループの「luminosa」と言うCD。 長野好きを主張している私も、実は今まで「少年合唱」なるものに興味は全く持っていなかったのです。本当に。 聞きたいな、とは思っても、それほどの価値があるとは思っていなかった。 けれど、この「luminosa」を視聴して、一曲目で
「うわ〜〜〜〜っ、やられた」
と、思った。 少年合唱を甘く見ていた。
どうやらこのliberaというグループの音楽は他の合唱団とはちょっと違うらしいけど、まあそれは置いておいて。 とにかくすごく好きだと思った。
という訳で、すぐ購入。
もともと宗教歌は好きなので、この「luminosa」に収録されていた曲調も好みだった。
keep me as the apple of thy eye hide me under the shadow of thy wings
keep me as the apple of thy eye hide me, hide me, hide me
……とか言われるとね。 ほろり、と。 切なくなりますよね。
「私はちゃんと店に居るのよ、ちゃんと何とかネタを作ろうとして、 毎日チェックはしてるのよ!」
……という、在宅証明(?)のために、ネットに繋いだら一文でもいいから日記を書こうと決めた。 その一日目。 さて、矢張りネタがない。
* * *
ところで、最近久し振りに大きな本屋にゆっくりと行ったのだけれど(このところ読書熱が下がりっぱなし&借りた未読本が多数&微妙に多忙で行かなかった)。 ……行くと、本が欲しくて堪らなくなる。 私はもともと本は借りて読むタイプだった。だから、家にある本はある意味かなり自分の好みと照らし合わせて、厳選して購入したものばかりだった。 それが、年を経るにつれてある程度経済的にも成長し、本が高価なものではなくなった今では、本が欲しくて堪らない。 手元に置いておきたくて堪らなくなってしまった。 とくに、ハードカヴァ。 そもそも本は持ち運びがだと思ってたので文庫にこだわっていたのだけれど、最近はハードが欲しくて欲しくて…。
本屋に行くと、もううずうずする。
と言っても結局かなり惹かれた物しか買わないので。 最近(…と言ってもここ一ヶ月?)買ったのは、夢野久作の『ドグラ・マグラ(上)』(角川文庫)と名前忘れた方の『オルガニスト』(新潮文庫)です。 どちらも、まだ途中。
本は欲しくても、読書熱に火は点いていない模様。
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