*黎明ノォト*

2001年07月31日(火) 本読み

 本が読みたい。

 というすごく強い欲求が久し振りに沸いて来た。
 それまで数ヶ月間、全然本を読みたくなかったのだ。
 まあ、その理由としては多分、友達に京極夏彦の『〜の宴』(←名前を忘れた)を2冊借りていて、それを一度中断してから手をつける気になれない、という事が最大のネックになっていると思うのだけれど。
 そう、まあ、しばらく本を読まなかった。
 十二国記の新刊は買ってたけれど。


 で。今日はテストが終わった解放感から、買い物をした。
 本を買った。
 そして思った。
 うわー、もっと早くこの人の本を読んでおくんだったっ!!!!

 今日選んだのは、
 嶽本野ばらの『カフェー小品集』。
 名前に惹かれた。

 もともと、この店に通ってくれるひとから嶽本さんは薦められていたのだけれど、本屋でぱらぱら見て、なんだかステレオタイプな感じがして躊躇っていたのだ。
 けれど、今回『カフェー小品集』を読んで、これはすごいと思った。
 これはまた明日にでも書くことにする(笑)。



2001年07月29日(日) 選ぶもの

 私は妙なところでこだわりを持っていて、肝心なところにこだわりを持っていない。まあ、つまりはこだわるポイントが人とずれているだけなのだけれど。

 例えば、持ち物について言えば、絶対に子供っぽいものは持ちたくない。
 キャラクターものは絶対だめ。キティちゃんとか。似合わないという理由もあるけれど。
 あと、基本的に柄物もダメだ。嫌いじゃないけれど、そして選ぶこともあるけれど、あまり多くはない。それよりも無地のシンプルなものがいい。
 あ。金色はダメ。
 それから、よく本を持ち歩くけれど、挿絵入りはちょっと恥ずかしい。
 漫画なんて、不特定多数の他人のいる処では読めない。
 本にしても、ブックカバァは必需品。
 雑誌は基本的に読まない。特に人のいる処で読んだり、持ち歩いたりはしない。

 でも文藝雑誌は好き。
 ミステリマガジンとか、結構読みたい。
 幻想文学という雑誌も好き。

 実は。今日は大好きな十二国記の特集がある、と聞いていた「活字倶楽部」という雑誌を買いに行った。
 どんな雑誌か全然知らなかったけれど、長野ファンさんたちもよく読んでいるものだということは知っていた。
 で、今日初めて購入した、と言う訳だ。
 で、見た途端に思った。……十二国記が載ってなかったら、そして薦められなければ絶対手に取ろうとも思わなかっただろうなあ、と。

 中身はすごく面白くて、何故か爆笑しながら読んでいた(←おかしい)し、次も読みたいかも、と思ったんだけれど、サイズと言い、表紙と言い、ノリと言い、多分私の中の評価では「コドモっぽい」になってしまいそうだ。
 でもね、すごく面白かった。
 こういう雑誌を読むの、久し振りだったので。

 かつくらを読んだ第一感想。
 ほんとーうに、「ボーイズラブ」って分野は一般化してるんだなあ、ということ。思ったよりも堂々とした一ジャンルで、すごく面白いな、と思った。
 ……っていうか、これが第一感想って、絶対私はどこかおかしい。



2001年07月28日(土) 一周年。

 今日一日、一周年だとすっかり忘れていました。
 中屋さんの書きこみで思い出した次第(笑)。

 有難う
 ありがとう
 ありがとう御座います。

 って言い続けているので今日はやめておきましょう。(もう言ってる)

 いろいろ思うところはあるけれど、まあ一年が経って、いろいろこの店でやって来て、大抵は楽しい事ばっかりで、時々自分がだめだめだーとか思うこともあったけれど、まあ大半は趣味で好きなように出来たので、満足です。
 それに付き合って、ここを訪れてくれた人も4000人にはなった訳ですし。

 やっぱり、自分が好きだと思う物を好きだと言ってくれる人がいて、それをちょっとずつ確認できると言うことは幸せですね。

 なんとなくのろけ(?)っぽい一周年日記。



2001年07月26日(木) 足音

 夏。
 独りでかんかん照りのアスファルトを歩いていると、不意に自分が自分の足音だけを聞いて歩いているということに気づく。
 それはまるで、「音」と呼ばれるものが足音以外全て遠のいてしまって、自分の回りの空間には自分の足音という「音」だけで見たされてしまったかのようだ。
 自分という殻の中で、アスファルトからの振動が響きあって、妙に空虚な音になって、響く。自分の中で。

 それと同じ事が、蝉の声でもおこる。
 あまりに圧倒的な蝉の声に包まれると、すべての聴覚が蝉の声に奪われて、私の周りには蝉の声しかなくなる。そして、日差しの熱気も、なにもかもがどこかへいってしまい、ただ蝉の涼しげな声だけが響き木霊する。
 ……蝉の声はどう聴いたって涼しげだ、と思う。
 なのに今まで賛同の声を聞いた事はない。

 この、たったひとつの音だけに聴覚が集中してしまう感覚は、夏だけのものだ。
 きっと暑さに呆けているんだろう。
 けれど、それはほんのすこし、気持ちのいい瞬間でもある。
 私は今、夏を歩いているんだ、とそう思うから。



2001年07月24日(火) 病弱?

 最近、無意味に寝不足だから、とここ数日は9時間睡眠を取っていた。
 そしたら、今日、風邪を引いた。

 今日一日に原因があるのか、
 それとも睡眠時間を取り過ぎて耐性が弱まっていたのか。
 
 まあ、毎日クーラーに当たって、昼間の普通の気温が耐えられないくらいだから、汗をかいて電車のクーラーに当てられて冷えたり、やたら暑がりの多い学校で強いクーラーに当てられて、風邪を引いたのかもしれない。
 テスト前。
 テストが終わっても、全然休みなんてないのに(涙)。



2001年07月21日(土) 対蝙蝠奮戦記

 今日は大変なことが起こった。
 私はパニックに落ち入り、妹は私以上に現実逃避へと走った。

 私の家には愛猫がいる。愛犬もいる。
 どちらも雑種だ。
 どちらもそれ相応に可愛いが、私は猫可愛がりするタイプではないので、私の都合のいい時にだけ相手にすることに決めている。
 そう、私の家では愛猫を飼っている。愛猫の方は素性すら知れない。
 一昨年の夏、生後数ヶ月という姿で、可愛らしい首環をして現れた。
 どこにも行こうとしないから、飼い主を探してみたけれど見つからなくて、うちで飼うことになった。
 愛猫はとろい。のんき者だ。
 抱いていて、その腕の高さから落としてやると、さして太ってもいないのにお腹から着地するように見える。
 とろいのだ。

 今日は両親が出かけていた。テスト前である私と妹は俗に言う「お留守番」というやつをしていた。
 夕食も済み、私たちはそれぞれ学校で出された課題をしていた。
 私はその時、丁度自分の盛大な計算ミスを発見し、PCのディスプレイの前で放心していた。
 愛猫がどこかで鳴いた。
 てっきり、ベランダから「入れてよう」と鳴いているのかと思い、私は呆けたままベランダの窓を開けようとしたが、愛猫はそこにいなくて、廊下で鳴いていたのだった。
 うちの愛猫は良く鳴くが、意味もなく一匹のときに鳴いたりしない。
「なんで鳴いてんのかなあ?」
 と妹に言うと、愛猫も愛犬も猫かわいがりしている妹は課題を置いて、立ちあがった。相手をしてやるつもりらしかった。
「隣りの部屋に入ったで」
 と言って、私はPCの前に戻った。この修正をどうするか考え始めていた。
 と。
「うーわあああ!」
 と言う声が隣りの部屋から聞こえた。「?」とか思っていると、「お姉ちゃんのとこ行っといで!」と明らかに愛猫にけしかけている。
 猫かわいがりの妹が愛猫に「ほかの人の処へ行け」なんて言うのは珍しいので、更に「?」だった。
 すると。愛猫は大人しく私の方へ来た。
「?どうしたん?」と、私は愛猫に近付き……。
「うわああぁぁ!?」
 急いで後退すると、椅子の上に登った。
 何故なら、愛猫は黒い物体を口に咥えていたのだ。
 ごきぶりだ、と思った。

 ゴキブリは大嫌いだ。いや、昆虫が好きではない。
 いくら実験で蝿を生きたまま掴み取りした事があって、その蝿の足や羽をはさみで切ったことがあったり、頭を裂いて、脳をスケッチしたり、内臓をスケッチしたりしたことがあるといっても、やっぱりそれでもそれは実験だから出来たことであって、実際そんなことが普通の生活で活かせるはずもない。

 とにかく、愛猫が咥えているゴキブリが逃げ出しても平気なように椅子に登った。愛猫がその黒い物体を話したけれど、それはぴくりとも動かなかった。
 妹は現実逃避して、愛犬と遊びはじめた。役立たずめ。
 仕方がないので、蝿叩きを持ってきて、その黒い物体を叩いてみた。
 そのとき。
 目に入った物体のカタチが見なれぬもので。
 私は、眼鏡をかけたまま、ほんのすこし、近寄って見た。


「きゃあああああああああっ!!!!!!」


 違った。違った。ゴキブリじゃなかった!!
 なんと、その黒い物体は、蝙蝠だったのだ。
 イエコウモリ。はねをたためば、丁度でかいゴキブリくらいの大きさになる。
 蝙蝠を叩いてしまった。
 一瞬、叩いたことで内臓が破裂してたらやだなあ、絨毯がべったり、だったりして。なんて考えていた自分がいたりして、人間パニクると何を考えるか判らない。
 愛猫はかなり蝙蝠くんを気にいってるらしく、わずかに彼が動く度につついて遊んでいた。
「やめて〜〜っ、やめて、いじらないでっ!!」と言っても愛猫には通じない。
 愛犬と現実逃避している妹を連れ戻し、私は新聞紙を持って蝙蝠と対峙。
 妹にはちょっかいを出す愛猫(邪魔なので)を連れ去ってもらい、孤独な戦い。
 新聞でなんとか、直視せずに捕獲しようという作戦だったが、なかなか巧くいかずになかば自棄。やたらめったら「うわああ、」だの「ごめんね、ごめんね」だのと独り言を呟きつつ、なんとか捕獲。

 ……で。誰が一番むごいって、多分、そのまま捕獲した蝙蝠を新聞紙でぐるぐる巻きにしてごみ箱に放り込んだわたしなのだろう、と思う……。

 因みに、蝙蝠くんを捕獲後、愛猫を解放したのだけれど、奴は一目散に先ほど蝙蝠くんのいた所へ走っていった。面白そうなのでついて行ったら、くんくん辺りのにおいをかいで蝙蝠くんを探している。
 ものすごく淋しそうににゃあにゃあ鳴くので、笑えるくらいだった。
 そのうち、諦めたのか私の方へ擦り寄って、撫でて、と首を伸ばしてきたのだけれど、ちょうど口を差し出すような仕草だったので、「ひええええっ」と言って飛び上がってしまった。
 さっきの蝙蝠くんを思い出して。だって、蝙蝠を咥えてた口なんだよ?
 愛猫にごめん、とあやまりつつ。
 そのうち愛猫は、次の獲物を求めて、外へ出て行ったのだった……。

 脱力。



2001年07月20日(金) もうだめ。

 もう駄目です。
 世間の大学の半分は只今テスト中だとは思います。
 私も例に漏れずテスト前です。
 けれど、けれど。
 だめです。もうだめ。

 やる気もなくて、なにもしたくなくて、もう寝てしまいたい。
 いや、寝ています。
 ああ、もう厭だ。



2001年07月17日(火) 清涼

 今日は雨が降った。
 だから夜がほんとうに涼しくて、涼しくて。

 夏の昼間。
 雨が降った時の濡れたアスファルトの匂いが好きだ。
 もちろん、水を撒いた時の匂いだって。

 夏の夕方に。
 ふっと香る水の匂いが、秋を感じさせることもある。

 夏は。
 外が明るくて。そのぶん、灯りをつけない家の中は暗くて。
 その情景は私にとって、強烈な夏の印象になる。

 こういう夏のイメージは、きっと誰しも持っていて、それできっとどこか全然べつのものを浮かべるものなのだろう、と思う。

 けれど、私が「夏」を思い浮かべた時、どうしてそこに清涼感があるのだろう?
 私の「夏」の景色からは、まったく気温が削除されている。
 ……それは私にとって夏の気温がつら過ぎるせいなのだろうか。
 よく判らないけれど、何を思い浮かべても、そこにあのうだるような気温がない。「うだるような暑さ」という雰囲気はあっても、そこに本当の気温が感じられない。


 どうしてだろう?



2001年07月16日(月) へとへと

 予想外に多忙な人生を送っている気がする今日この頃。
 もともと忙しいことに対して免疫のない私は、少し忙しい時期(テスト期間等)になると、忙しい自分に自分で感心するか、いきなり勤労意欲を削がれるかのどちらかにしかならない。
 やらなければならないことはいつだって後回し。
 まず、やらなくていいことばかりに手をつけたがる。

 忙しいから、頭を休息に使えない。
 現実逃避に歌を歌ったり、本を読んだりしかできなくて。
 忙しい、という気持ちはあるから、勉強をしなくても、じっとなにかに手をつけることは気分的に出来ないし。


そうしてまた気付けば、堕落した生活を送って、
後悔もしている暇がないくらい追いつめられて、
だからってもう何も出来なくて
やけっぱちになって、ヘコんでしまうのだろう。


それが分かっていても、どうにもしない自分。



2001年07月14日(土) さみしがり。

 自分のさみしがりっぷりが
 徐々に目立ってきて
 なんだかなあ、と思う
 今日この頃。



2001年07月12日(木) おとつい→昨日→今日

 この頃、時間の経緯と言うか、日々の区別と言うか。
 それがつかない。
 昨日と今日の区別だとか。そんなものが曖昧で、ふとした瞬間に混同してしまう。


 例えば、昨日、友人ふたりが「完徹だー」と言っていた。
 つまり、おとついと昨日の間に寝なかったのであって、昨日と今日の間にはきちんと睡眠をとったことになる。
 なのに、何を間違ったのか、私は今日分かれ際にそのふたりに、「今日はちゃんと寝るんだよ、」と言ってしまったのだ。
 ふたりはぽかんとしてただろうけれど、私はそれに気付かなかった。
 そして、家に帰ってからその間違いに気付いたのだ。


 その瞬間、自分の時間を巻き戻してやり直すか、それかもしくは時間を完全停止させて私の存在をなかったことにして欲しいというくらいに恥ずかしくなった。
 よくあることだ。
 こういう気分になることは。
 私はいつもこんなささいなことに引っかかっては自分という存在を抹消したくなる。
 そして、今日もそんな気分になってひとり「あぁ〜〜」だの「ううっ」だのと呟いていた。怪しいこと限りない。

 これは夜眠る時間だとか、そんなものとは全く関係がないと思うのだけれど。
 なんなんだろう。
 どうしてそんなことになるのか、と言えば。

 ……やっぱり、自分がちゃんと一日に区切りをつけられていないから、なのだろうか。
 ということは、早く寝ろ、とそういうことになるのかな……?



2001年07月10日(火) 月と海

 海に出かけたのは随分と久し振りで、だから私はとっても楽しみだった。
 それが例え、実験をする為の実習であったとしても、海辺に行くということ自体なんら変わりもないので、それはそれで楽しむことにしていたし。
 だから、やっぱり楽しかったことがとても嬉しい。

 一週間のうち初日と最終日をのぞく5日間を実験をすることで過ごした。
 嫌だと言っても仕方がないので、空き時間に泳ぐことにする。
 実験所の目の前も、その裏も海。
 泳がずにいられようか。
 と、言う訳でかなり久し振り(6年……ぶり)に泳いだ。背の立たないところは、久し振り過ぎて怖かったのでやめておいた。守りの人生。

 でも、それよりなにより。
 夜になっても実験が終わらない日もあったけれど、基本的に夜は自由だったから、好きなように使えたのがとても嬉しかった。

*   *   *   *   *


 二日目。まったく実験がうまく行かずに、生物系の実験にはありがちな、「次まで数時間待ち」というものに出くわした。
 あまりにも暇で、いい夜だったので友人に車を出してもらって、ドライブに行った。
 そうして、海を見ようと、浜辺で下ろしてもらったのだ。
 丁度月は満月で、大潮のころで、その上台風が近付いていたので波がすごく荒くて高くて。下手をすると波にさらわれそうなくらい近くでその荒れた海を見ていた。
 やけに興奮して、離れ難くて。
 荒れた海に月の光が反射して、まるで海が生きているようだった。…なんていうと、陳腐に聞こえるかも知れないけれど。それでもそう言ってしまうくらいに魔性を感じた。
 言葉では伝えられないくらい怖かった。
 あの広い浜一帯がどんどんさらわれていくくらい、ほんとうに波の強さが違ったのだ。
 あの海を、あの月灯りのもとで、あの場処で見れたことを感謝している。
 忘れ難い。今回の実習期間中、その場に一緒に出かけた子とは「すごかったね、また行きたいね」と言い続けていたくらい。
 そこに車をつけてくれた友人には感謝してもしたりない。


 今回の小旅行(実習)で覚えているのは、そんなこと。



2001年07月02日(月) 小旅行(涙)

 明日、朝から一週間ほど出掛けます。
 店主完全に不在ですが、それでも遊びに来て頂けたらとても嬉しいです。

 和歌山へ参ります。
 海へ。
 世の中では、この小旅行を「臨海実習」と呼びます(笑)。
 きっとウニや、ウミウシや、イソギンチャクや、貝たちと戯れてくるのでしょう。

 あまり用意が出来てません。
 参りますね......。

 では、行って参ります。



2001年07月01日(日) 碧宝珠

 焦って7月更新をしました。
 焦った割には頑張った。ほんとに。

 テーマは「碧宝珠(あをほうじゅ)」。

 先日購入した碧い鉱石の指輪が主役。

 そして、活躍したのが先日頂いた、玩具のようなデジタル・カメラ。
 本当に玩具みたい。解像度も低くて、一度電源をoffにしたら、もう中の情報が消えてしまうような使えないデジカメ。
 けれど、「今日なんとか更新するぞ!」と気合を入れて全然言う事を利かないデジカメと格闘しているのは楽しかったです。
 カメラマン(写真家?)が、一枚の写真に一体どれだけの没写真を作っているか、ということがやっと分かった気分です。


 今回の主役。トップ・ホール・バナァ・黄昏ノート看板に登場する指輪について。
 私はアクセサリィがとっても好きです。
 自分で思っているよりもずうっと好きで、それを最近やっと悟ったところです。
 特に、銀色のもの。
 そのうちでもさらに、石のついたもの。または、意匠がクルス(十字架)であるもの。
 そのふたつがとっても好きで、ついふらふらとアクセサリィを探し歩いてしまいます。
 この頃は、男の子がしているような、少しハードなシルバーアクセサリィが欲しくてたまらなかったのですが、結局はふらふらと石のついたものを買ってしまいました。
 高いものである必要も、ブランドものである必要も全然ないんです。
 むしろ安いもののほうがいい。
 今回のこの指輪。
 写真では全然色が出ていないのが残念です。
 水色ではなくて、少し翠がかった、深い波間の色(と思っている)。
 水晶なんかに引っかけたので、内側に細かい瑕がつきました(笑)。普段からつけているので全然構わないのですが。
 こういうふうな乱暴な扱いにも耐えられるものでないと。高価だと、こうは遊べませんものね?(笑)

 一緒に、安いクルスを買ってしまいました。
 すごくシンプルで、まるで実用的で、これをつけているとアクセサリィを越えて本当に自分が十字架に信仰を持っている気分になります。
 本当に十字架に信仰を持ってないくせにそういう気分になるのって、少しだけ背徳的な気がして、笑みが漏れます。
 悪趣味(笑)。

 色に対して、自分なりの評価を加えるのが好きだ。
 今回の指輪に対しては、「海の碧」。
 マニキュアやなんかにも、私なりのイメージを与えてしまう。
 つまり、惚れこみやすいのだ。


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