哀しいことに、今年の風邪は中途半端な熱が出て「さっ」と治らない。 三週間目に突入。 つらい.....。
>>今の症状 1、鼻水 2、声が枯れる 3、微熱 4、咳
何故病床日記なんだ.....(苦笑)。
というわけで、困ったことに6月更新ができないのです。 ネタを揃えている時間がありませんでした。 もし万が一、それを楽しみに6月1日0:00頃、早速来てくださった方(いるのかなあ...)、済みませんでした。 これからもせめて月一模様替えくらいはしたいなあと思っている今日この頃。
ああ、もっとはやくこの店を始めていれば良かった。 その方が、過去の空虚な時間を有益に使えていた、と思う。
そんな些細な後悔だって、何の益にもならないけれど。
2001年05月28日(月) |
いろいろ考えてみると |
どうやら、身の回りに閉鎖を決定されたサイトさまが続出らしい。です。
一時期、自分が閉鎖をする訳ではないのに、リンクを張らせて頂いている処が閉鎖するかも、というのをきっかけにして、「閉鎖」ということが自分の中でかなり重苦しく存在していた時期がありました。 今でも御付合いさせて頂いているサイトさまが閉める、というのを決められるのはとても寂しいのですが、柔軟になったという感じはします。 やっぱりそれは管理人さまが決めることなんだな、と。
特に、リンコ([隠れ処]の管理人さま)とチャットでおしゃべりしたときにいろいろその話題をして、「閉鎖する管理人」さまが考えていることが分かったような気になってみたりしたことも要因でしょうか。
いつかはこの店だって閉めるんでしょうし。
とか考えると、自分が何をどう考えて経営しているのかもちょっと解らなくなったりもするのですが。
>>風邪状況。 何故か病院に行った途端に悪化。 あの頼りなさそうな医者を信じて良いものかどうか。 今日は声が出なかった。むむ。
かなりヤバイことになっています。
何がって......風邪です。 頭痛に始まる微熱の風邪は一日でなんとか回復したのですが、それ以来、死にそうなくらい咳に悩まされているのです。 「こいつ吐くつもりかっ!?」ていうくらいに連続で咳込み、「うえっ」となって収まります。ある意味発作に近い。 もう辛いので、咳を必死で我慢することにしています。これもまた辛い。
何となく風邪よりも内因性のもののような気がして、今になって慌てています。 今のところ気管支炎が第一候補。 厭だなあ。 明日朝一で病院に行ってきます。
だいたい、朝早く自分の咳で目が覚めたり、寝入ろうとした時に連続で咳に襲われたりと、厄介な状況。
早く治そうっと....。
2001年05月23日(水) |
すごく気になっていること。 |
ここ最近、ふっと思い出しては気になっているお話があるのです。 だれか、ご存知だったら「何に収録されていた」「誰の」「何ていう」お話だったか教えて頂けないでしょうか??
主人公は女の音楽の先生です。多分、高校。 そこで、教え子の中にひどくアンバランスで、歪んだ感じの男の子を見付けて気になるのですよ。 先生はその男の子が整った容姿をしていて、すごく綺麗な子だってひとめでわかるんですけど、まあ思春期の男の子だから、食生活も荒れてたりして、ニキビだらけだし、体型も理想的ではなくて。 で、ちょっと性格的にも無気力になっていたその男の子をもてあましていた両親は、先生が「預かって面倒を見ます」(あ、教育目的ですよ)と言うのに頷いて、先生に息子を預けるんです。 先生はその子をのんびり改善していくんです。 それがね、すごく耽美的で好きだったんです。 常に薔薇の香料の入ったお風呂に入れて、汗を拭くのにも同じ香料を入れた冷たい水で湿したタオルを使って。 で......どうなったんだっけ? 良く覚えてないのですが、先生が生徒を殺しちゃったんだったかな?
何のお話だったのでしょう。 誰かご存知無いですか? 私としては、「書物の王国 美少年」あたりに収録されていた気もするのですが、今はこれを手に入れられないので確認もできないのです。
久し振りに風邪を引きました。
この冬も、回りがぱたぱた倒れて行く中でひとり元気だったのに。 風邪、と言っても咳が出て、頭がずきずきして(これまた久し振り。酔った時みたい)、それでも熱は36度6分という.....。 じつは私は自分の平熱を正確には知りません。 だから、身体は「熱があるよ」という反応をするのに、体温計は36度6分と平熱なので、自分で「??」だったのです。
どうやら、私の平熱は約35度5分程度らしいです。(やっと知った)
今は咳が止まりません。 もうすこしで喉から血を出しているかも知れない.....(笑)。
ともあれ、復帰。
風邪。 頭痛。 ダウン。
絶対に家族には気付かれていない、と思っていた些細なことが実はバレていることを知った。 住食をともにするということはこんなにも危険性に溢れている(大袈裟)。
落書きを未だに書きつづけている事とか、お話を書いている事とか、ハンドルネームを持っている事や、HPの運営をしている事や、そんなかなり全ての事を家族に話さないので、秘密にしているつもりなのだけれど。 どれくらいバレているのだろう。 怖い。 気をつけてお話のかけらや落書き中の紙を仕舞うようにしているけれど、まあ見ようと思えば見れるところに置いているし。
一体、私のどのくらいのことを家族は知っているのだろう。 怖い怖い。 自分は隠しているつもりだから余計に怖い。
今、「さあテレホタイムだ」と思いつつネットに繋いだ時、テレビでゴスペラーズが歌っていた。 うまいなあ。じょうずだなあ。 「癒し系」という言葉は吐気がするほど嫌いだが、実際癒されたような気分になるのも分かる気がする。というか、しみじみする。
もともと暗いトーンのものが好きだから、しんみりした曲は好きだ。 それを「癒し系」などと言う言葉でまとめられて、だから流行ってるんだと言われたら腹立たしい。 違う。そうじゃない。好きなの。そう言いたいから。
ゴスペラーズかあ.....昔、いいともに出てた気がする。 いいな。買おうかな(単純)。
この季節の夕闇が、もしかしたら一番好きかも知れない。
藍紫のほの暗い光がすうっと落ちてきて、いろんな色をより引き立たせる。庭先の白い薔薇が、黄色いパンジーが、ピンクの桜草が、紫のスミレが、茂った緑の葉の全ての色が映えて、その仄かな光の中で意外な自己主張を始めるのだ。
空は桔梗色という表現がぴったりくるような色をしていて、地平に近付くにつれ、濃紫、菫、碧、蒼、そして白、黄色。 ちょっとだけ紫に見えるエリアの緊張感が好き。
まだ陽の暮れないもう少し早い頃には、オレンジに輝く飛行機雲が見れたり、場合によっては機体に陽の光が反射して、目に届いたりする。
そういえば、この間初めて人工衛星を見た。 もうすっかり夜で、真夜中と言っていいくらいだったけれど、すうっと動いていく星が見えて思わず足を止めた。 星の合間をすうっと光って過ぎ、すうっと光を消して、また現れて。
季節を美しく享受する。 それは私の理想でもある。
一日過ごしている間、「あ、今日このこと日記に書こう」と思うことがいくつかある。 けれど、夜になって実際書き始めると、すっかり忘れてしまう。 あれ?という感じ。
今日もそう。何を書こうと思っていたんだっけ?
まだ皐月になったばかりなのに、時折緑陰夏を感じたりして、どきどきする。
翠。緑。 萌えたばかりの茂った緑は、実はとても好きだ。 そして、鮮やかな緑の上の白い花、というのにものすごく惹かれる。 もう時期は過ぎそうだけれど、茉莉花だとか、雪柳だとか。 緑の上の白。
それは、すごく少年に似合う気がするのだ。 若い緑自体が少年っぽいし、その上の清楚な白は、自己主張がささやかだけれど強くて、目を奪われてしまう。 いつも、いつもあの花を少年に抱いて欲しいと思う。
そのうち、抱かせよう。そんな少年を書こう。
好きなことをどんどん見つけて、どんどん増やしていくのが人生である。
良く聞くポジティブな台詞。貴方もそう言うだろうか。
けれど、私は。
「これは嫌いだ」と悟っていくことも人生だと思っている。
++ ++ ++
例えば、此の世には無数に物事があって、考え方があって、事象があって、それらのものの中で私たちは生きているのだけれど、大半は知識だけで、実際に見たり聞いたり体感して知ったものではないと思う。 それまでは興味を持っていても、体感したその時に「あまり好きじゃないな」と知ることは、やっぱりそれはそれでいいことだと思うのだ。
好きなものだけを持っている人生は、もしかしたらつまらないのだろうか。 良く解かりもしないくせに、ふとそう思った。
娯楽小説と文学小説の境界について。 それは一体なんなのだろう? 例えば、夏目漱石が書いたものは文学小説だ。何十年、百何年経ってもまだ伝えられているものだ。それはすごいことだと思う。絶版にもならず、地味に地味に売れている、読まれている。 じゃあ、今巷に溢れているこの小説たちはこれからどうなるのだろう? 直木賞だとか、芥川賞だとか、文学賞はいろいろあるだろうけれど、その受賞作家は年月を経るごとに増えていく。そのうち一体何割が後世に伝えられるものを遺せるのだろう?
残るものが文学なのだろうか? 残らないのだとしたら、文学の意味は何なのだろう? 残らない小説の意味、それは刹那の娯楽じゃないのか? だとしたら、娯楽小説と文学小説に違いはないじゃないか。
だったら、何隔てなく、読まれるべきなのだ。 例えば、コバルト文庫だからと言って、敬遠すべきではないのだ。 だったら、何故そういう文庫による区別が出てくるのだろう。 あの分類が判らない。ような気がする。
良く判らない。 文学だと言われても、私にとって娯楽にならなかったら、読みたくはない。 否、読めない。 だったら、私にとって「文学」という枠は存在しない。 小説は、私が面白いと感じるか、否かだ。
いままで残ってきた小説たちは、どうして残って来たのだろう。 これから、いつか消えてしまうのだろうか。 それとも、「文学=今まで残ってきたもの」とはいつでも不偏で、残り続けるのだろうか。
判らない。そういう判らない区別が何故か世の中には大量に在る。
今日は発癌性物質を扱った。
その時に、友人が言ったことがある。 「今癌だって言われるなら、ごく初期で完全に直るか、もうあと一ヶ月しか生きられないくらいの末期癌だったらいい」と。 言うことはわかる。とくに前者は。 けれど、ね。 私は、残りが一ヶ月だったら、何も出来ずに死んでしまう。 それを聞いた私の返答は、 「.....末期でも、最低半年は猶予が欲しい」
じゃあ、その半年の間、何するの?と聞かれて。 ....まさか、溜まった特注品をなんとか昇華するんだ、とは言えなかった....。
2001年05月08日(火) |
行動だとか、そういうもの。 |
自分が訳も分からずに動かされているという状況は、私をじわじわと侵食して、滅入らせる。 それは唐突に訪れる。 それまでは指示されたことを順に追って一生懸命にやっているのだけれど、ふと自分がその指示内容を理解していないことに気づいて、ただ動かされているだけだということを悟るのだ。 その途端に、端から見たら急にテンションが下がったように見えるくらい、がたんと滅入る。
自分の存在意義がそこにはない、と思う。
理解していないから、細かいところで指示された行動の意味が分からなくて、ほんの些細なミスをしてしまったりする。 ミスをしてしまった、ということがなんだか嫌な気分なのだ。 意味が解かっていないなら、これを今必死にやっている私は無意味だ。 理解している人間がやったほうが、どれだけスムーズに進むか。
意味も判らない状態で指示されるのはとてもつらい。 できるだけ意味を考えて行動しよう。
言葉が汚い。 そっけないというか。 言葉だけが先に出て来てしまう。 自分の心情が置いてけぼりをくう。 だから、<黄昏ノート>の書き込みも、日常生活のケータイメールやなにかも、いつもいつも何回も読み直して書く。
けれど、このところそれがおざなりだ。 後で読んで見ると、必要以上にそっけない言葉になっていたりする。 BBSの書き込みはとても重要だと思うのに。 一番ナマの自分が居る場処だから。
反省すると同時に、自分に飽き飽きする。
電話越しの会話は、直接喋るよりも本性がバレると思う。
今日、昼間に一本の電話がかかってきた。 私が受話器を取り上げて、「もしもし、」と言うと、聞きなれない声で、「あ、那音ちゃんいますかあ?」と話してきた。 どうして、セールスだの勧誘だののバイトの兄ちゃんは一発でばれるような会話をするかなあ。今日も一発でセールスだ、と思った。 不愉快だった。なんであんたに「ちゃん」よばわりされなきゃなんないんだ。 「わたしですけど」 そう言ったら、相手は驚いたようだった。対応に困っていた。 本人が出るなんて思ってもいなかったんだろう。 うさんくさそうに返事をしていたら、相手はわたしの警戒を解く為か、 「大丈夫大丈夫、別に宗教ちゃうし。オウム真理教ちゃうし、“しょーこー”って言えなんて言わへんしさ」 オウム真理教って。 うざったいので、出掛けるからと告げたら、「それは断り文句やろ?」ときたもんだ。 その上、「学生?え?どこ?短大?え、四大なん!賢いんやー」などと言ってきたので、「はい」と答えてやった。 「…はいって、」と気分を害したらしかった。 気分を悪くするならそういう莫迦なことは言うな。
だいたい、そのまま電話を切るという神経はどうかしている。 おまえがかけてきたんだろう?勝手に。勝手に話しを振っておいて、気分が悪くなったら切るってどういうこと。
話しぶりで、教養がないことがバレる。 教養っていうのは学歴じゃない。常識を知ってるかどうかだ。
でも、電話させるならちゃんと人を選んで雇えよ....。 爽やか好青年から電話がかかってきたら、セールスでも思わず話しくらい聞いちゃうって。 雇い主の方もよっぽどどうかしてる。電話してきた人間の対応で、その店なりなんなりの質もバレてるのに。
茉莉花(ジャスミン)がいいニヲイを巻き散らし始めましたね。 この季節、良く咲いています。庭先に、薄桃色の細長い5枚花弁。蔦のように伸びる茎。
本当に濃い匂いの花は自己主張が強くて、そのくせ言う程目立たない花で、私は匂いのきつい花は結構好きです。 金木犀とか、沈丁花とか、茉莉花とか。 ふっと鼻先をくすぐられて、驚いて振り返ってしまうんです。 どこにあったっけ?と思って。 意外に遠くにあって、驚いたり。通り過ぎた後が一番匂います。
茉莉花。茉莉香。
月夜はとても好きで、丁度いい角度で月光が差し込む季節には、ベッドの上でぎゅっと縮まって、なんとか月光を浴びて眠ろうとしてしまいます。 要は、隠れロマンチストなんです(笑)。
今日は手に取れそうな月夜でした。 檸檬みたいなかたちで、きゅっと手に隠れてそのまま空から取ってしまえそうでした。 手を差し伸べて、月を隠して、こぶしを作って、そのこぶしを外したらそこには月がなくなっていそう。 そういう楽しい月夜でした。
私は普段、コンタクト・レンズを使って生活しています。 裸眼ではほとんど動けません。夜道はとうてい歩けないし、左右の視力に差があるので遠近感に疎く、うまく像を網膜上に結べないのです。ふらふらします。
けれど最近、レンズの調子が悪く、眼鏡をかける機会が多い。 眼鏡は嫌いじゃないです。 特に、2年前に作ったKalvan Clein(?カルヴァン・クライン)の眼鏡は強さも丁度よく、銀縁の感じが大好きで、一目惚れして買ったものなので、眼鏡をかけるのも苦痛じゃない。
だって、自分に似合う似合わないよりデザインで先に選んでましたからね(笑)。
眼鏡をかけた日は、自分がすごく知的になったようで、いい気分です。
2001年05月01日(火) |
『肩甲骨は翼のなごり』 |
日記が手軽に書けるのが嬉しいv
この間、文庫本を買ったのです。 で、その裏表紙を開けたところに、同社発行のほかの本が紹介されるようなページに、『肩甲骨は翼のなごり』というディヴィッド・アーモンド氏の訳本が紹介されてました。 いや、これがね。 なんか、紹介文(コピーって言うのかな)だとか、表紙の写真が載っていたのですが、その表紙だとか、ものすごくツボなんですよね・・・・。 球体関節人形が白いガウンをしどけなく羽織って、だらしなく座り込んでる写真。コピーとしては、
「古びたガレージの茶箱のうしろの暗い陰に ぼくは不可思議な生き物を見つけた 青蝿の屍骸にまみれ蜘蛛の巣だらけの 彼は誰 ・・・・・それとも、なに?」
ほらほらほらっ!! 興味をそそられません? ご存知の方、少しだけその本の感想を下さると嬉しいです。
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