へい太の日記

2002年11月10日(日) トマト時雨

11月の冷たい雨 北向き 四角い窓ガラスに映る
茶色くしぼむ風景 斜めに滲ませて
犬の散歩に向かう人の姿 膨れてる
近いうち 霜が降りる気配を 振りまいて 

なのに庭先には青いトマトの実
向日葵が黄色の花を咲かせてる

散歩ひもをもって外へ
刈り取られた稲田
休耕田の枯れ果てたぼさぼさ雑草
いまだ収穫終わらず 雨に打たれた稲
三毛猫のまだら模様

庭先の青いトマトを思う
向日葵 いくつもの黄色な大輪

果たしてこれから赤く色づくのか
縞々の太った種に変わり行くことができるのか

川面に映える夕焼け
やがて色をなくす夕暮れに
時雨は松さえ染めるのか

家にたどり着く頃には
庭先の青いトマトも
向日葵の大輪も
色を無くしているのだろうか



2002年11月03日(日) 時雨に思う

時雨が窓に斜めに水を残してゆく
犬の散歩に向かう人の姿が膨れている
そのうち霜の降りる気配

なのに庭先には青いトマト
向日葵は黄色い花を咲かせている

散歩ひもをもって外へ
刈り取られた稲田
休耕田の枯れ果てたぼさぼさ雑草
まだ収穫が終わらず時雨に打たれ倒れた稲
三毛猫の大地

庭先の青いトマトを思う
向日葵のいくつもの黄色い大輪

果たしてこれから赤く色づくのだろうか
果たして縞々の太った種に変わり行くのだろうか

川面に映える夕焼け
やがて色をなくす夕暮れに
時雨は松さえ染める

家にたどり着く頃には
庭先の青いトマトも
向日葵の大輪も
色を無くしているのだろうか



2002年11月02日(土) 生きる場を作ろう

生きる場を作ることだったんだ
自分のめざしているもの、考えているものって
外では暴走族がうるさい
ノーライフキングもリアルに生きるとはそういうことだったんだ
ゲームの中にもテレビの中にも
プロ野球やJリーグにも実は生きる場なんて
そうそうはないんだ
生きる場を用意してやること

自分が詩を月に1回読みに行っていることも
自分の生きる場を作り
誰かの生きる場を作っていることに他ならない
例えお客さんが一人になっても
生きる場であることに変わりはない
そうして、数多くの生きる場を作ってやらないと
やがて大人になる子どもたちは
きっと息が詰まって死んでしまうに違いない
大人すら息が詰まりそうになることがあるんだもの

運動会でも勉強でも
生きる場がなくちゃつまらない
そんな目で今まで見てこなかったことが不思議だ
確かに誰かが目立つ場になれば誰かは目立たないところに押しやられるけれども
つらい思いをする子はいるかもしれないけれど
でも、みんなの生きる場を奪うよりはまし

千と千尋の神隠しはやはりそういうことだったんだ
もののけ姫の「生きろ」も
現実の場に生きる場所がなくては仕方がない
それを大人が作って用意しておいてやらなくちゃ
誰がそんなことを気にとめてしておいてくれただろう
息が詰まりそうだといってそんな世の中にしてきたのは
自分自身じゃないのか?

永井均に教えられたように
哲学して悩む場があるだけでいいんだ
叫ぶ詩人の会に教えられたように
うだうだと自分の思いや願いを
誰かに向かってぶつけるだけでもいいんだ
決して異端なんかじゃない
異端を異端として葬り去ろうとする世の中の方がおかしいんだ
オタクに逃げるんじゃない
生かされる場、生きる場として必要なんだ
駅前でギターをジャカジャカ鳴らしている少年達よ
それはもしかしたら君たちの生かされている場じゃないかもしれないぞ

自由だ、個性だを言ってる場合じゃない
自由と個性でカタをつけようとするんじゃない
そんなもの探していたらいつの間にやら人生の終わりを迎えているよ
つまんない世の中でもいいんだ
自分の生きる場があればそれで
悩むより
自分が生かされる場を探そう
(なんだかおかしい気もするけど今はこれで)


 ← 昔々あるところに・・・  ここはどこ?わたしはだれ?  いつまでもいつまでも・・・ →


へい太 [おてがみ] [へい太のほむぺ]

My追加