2005年02月13日(日)- シノナイ世界 - こんばんは。minetです。 しばらく休養させていただいております。 --- おばあちゃんが、真っ白に燃え尽きるのを見て、 もう二度と会えないと泣いて、泣いて、帰ってきて。 それでも、今までと何も変わらない日常がすぎていきます。 本当に、何も変わらない。 私は日常に追われて、いつもと同じ怠惰な一日が暮れる。 大切な人がいなくなる。 それは、突然体の一部が真っ暗な闇に呑まれるような感覚に似ている。 しばらく、何が起こったのか理解できない。 そして、空洞になった残りの体を繋ぎ合わせ、なんとか元に戻そうとする。 もっと、わたしがおばあちゃんのために出来たことがあった、 しておけばよかった、そう後悔した。 でも、わたしがもし、1月に帰らなかったら。 夏から会いに行かなかったら。今どころの後悔ではないのだろうか。 一月の半ば、最後にばあちゃんの家へ会いに行ったとき。 私は、何を話して良いのか、分からなくて、昔の話とか聴きたかったのに、 そうすれば、ばあちゃんが向こう側へつられて行ってしまうんじゃないだろうか、 今まさに命の火が消えんとする人に向かって、何て声をかければいいのか、 わからなくて、ただそばにいて、一緒にご飯を食べて、 隣の部屋で眠り、朝10時頃起きて、お昼頃に家を出た。 何も、本当に、何も。 夕方に来て、次の昼には帰っただけ。 会話もただ、少なかった。 夕食の時、おばあちゃんが、 「梅干しをくれないか」と言って、二つも食べた。 その後、わたしが寒天のおやつを食べていたら、 「それを食べる」と言って、自分でちぎって食べた。 ご飯も一粒残さず、全ておいしい、おいしいと言って食べた。 お父さんから聴いていた、せん妄など微塵もなかった。 わたしは、おばあちゃんがまだ生きられる、そう思った。 別れ際に、またねと言った。 そうしたら、いつもみたいにおばあちゃんは笑わなくて、 少しだけ、元気のなさそうな顔をした。 元気がないのは、病気のせいだろうと思った。 私も少し、急いでいたから、余裕がなかった。 おばあちゃん。 畳の上で、娘二人と孫一人に看取られて、大往生だったそうです。 昨日、大学院の入学手続き書類が届きました。 忘れまいと思っても、わたしは忘れる。そしていつか、いなくなる。 でも、その前に、その前に。 おばあちゃんに報告できて良かった。 初めて誰かと連れ添ったことも、伝えられて良かった。 メガネケースに、随分前の二人のプリクラが貼ってあって、 苦笑いしてしまったけれど、それでよかった。 -
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